2017年 09月 22日
日本国憲法の秘密-565- (加計学園問題について)
法律施行よりも早く、2002年の夏に第一次募集が行われた構造改革特区。
加計学園と今治市の間で獣医学部の誘致の話が始まったのは2005年。先に述べたように「獣医学部新設」は加計学園側の希望(提案)だった。
それから話し合いを重ね、応募書類などを用意したのだろう。実際の申請は2007年となった。
そして2007年2008年と立て続けに認定を蹴られた。
今治市が認定不可となるだけならまだよいが、加計学園を誘い了承してもらった手前、認定不可が続けば加計学園に合わせる顔がないと自治体側はプレッシャーになるだろうと思う。何と言っても「区域」の募集だから。
それで国会議員に口利きを依頼したのではないだろうか。同郷で本宮県議がかつて公設秘書を務めた村上誠一郎・衆議院議員(自民党)に。
しかしその頃、政権は民主党に変わっていた。
従って村上はそれを妹の夫である岡田克也・衆議院議員(民主党)に振った。岡田は民主党の要職に就いており閣僚でもあった。

小泉内閣 2001年4月26日-2006年9月26日
安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日
福田内閣 2007年9月26日-2008年9月24日 申請開始 結果「不可」
麻生内閣 2008年9月24日-2009年9月16日 申請 結果「不可」
鳩山内閣 2009年9月16日-2010年6月8日 申請 結果「実現に向け検討」
                     ※愛媛県出身衆議院議員が国会にて獣医師環境について質問
菅内閣  2010年6月8日- 2011年9月2日 ※愛媛県・岡山県選出議員が獣医と構造改革特区に関する勉強会を開催
野田内閣 2011年9月2日- 2012年12月26日
安倍内閣 2012年9月2日-現在


自民党政権で2回「不可」をもらい、その後民主党政権に変わって「実現に向けて検討」という結果を得た。
やはり口利きが功を奏したのか民主党政権ではだいぶ歩み寄りがみられた。
しかしそれも地域限定(愛媛・岡山出身者)なものであり、結局民主党政権でも認可されることはなかった。
そうこうしているうちに2011年、東日本大震災が発生し、翌年再び自民党・安倍首相の時代を迎えることとなった。
そして登場した「国家戦略特区」。


「構造改革特区」(2002年~現在)
従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を、特別に行うことが可能になる地域をいう。

「国家戦略特区」(2013年~現在)
あらゆる岩盤規制を打ち抜く突破口とするために、内閣総理大臣が主導して、地域を絞ってエリア内に限り従来の規制を大幅に緩めることを目的とする。また、この区域は「解雇ルール」、「労働時間法制」、「有期雇用制度」の3点の見直しを対象としている。

似たような特区制度が2つ存在している。
どちらにも関わっている人物が竹中平蔵。

上の2つの特区の一番大きな違い、それはこれだと思う。

・2013年(平成25年)10月21日、午前の衆院予算委員会で、雇用分野を所管する厚生労働相など、、関係分野の大臣を、国家戦略特区ごとに設ける統合推進本部から、外す考えを表明。この件に関して安倍晋三総理は、「意見を述べる機会を与えることとするが、大切なのは意思決定。意思決定には加えない方向で検討している」と語った。

・産業競争力会議の竹中平蔵は、総理の主導により「地方から国にお願いして国が上の立場から許可するというもの」ではなく、「国を代表して特区担当大臣、地方を代表して知事や市長、民間を代表して企業の社長という国、地方、企業の3者統合本部でミニ独立政府の様に決められる主体性を持った新しい特区」であると語り、「特区を活用して岩盤規制に切り込みたいと思っている」と語っている。
 

国家戦略特区は統合推進本部から関係分野の大臣を外し、意思決定には加えないことにした。
獣医師であれば農水省、医師や薬剤師や看護師であれば厚労省、その大臣を加えないで意思決定を行うというのだ。大臣の後ろには官僚と呼ばれる省庁職員(国家公務員)などがいるわけで、要するにそうした人達が岩盤規制の元凶だから加えないでおこうと思ったのだろう。
でも少なくとも政治家よりはそれぞれの分野に精通しているはずである。
国家戦略特区は専門省庁や専門家を蚊帳の外に置いて、「特区担当大臣」「知事・市長」「企業の社長」、この3者で進めましょうという驚くべき制度なのだ。
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国家戦略特別区域とは、日本経済再生本部からの提案を受け、第2次安倍内閣が成長戦略の柱の一つとして掲げ、国家戦略特別区域法2条で地域振興と国際競争力向上を目的に規定された経済特区である。実態はパソナグループ会長の竹中平蔵の金儲けのために、国のルールを変更する売国機関に成り下がっている。 


(内閣府 国家戦略特区ホームページより)
 産業競争力会議において、これまでとは次元の違う国家戦略特区の創設の検討が提案されたことを受けて、国家戦略特区の具体的な制度設計等の検討を行うため、国家戦略特区ワーキンググループを設置しました。
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ちょっと前に「異次元の圧力」とか言っていた人がいて、「それを言うなら次元の違う圧力のほうがいいのでは」と突っ込まれていたけれども、意味は同じですね。ロケットなら異次元のほうがしっくりするかも!?それはそうと国家戦略特区も次元が違うらしい。


上の名簿にも下の名簿にも名前がある坂村健。
この人、トロンOSの人である。

学歴
1971年 慶應義塾高等学校卒業
1974年 慶應義塾大学工学部電気工学科卒業
1979年 慶應義塾大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了(相磯研究室)工学博士。論文名は「問題適応型可変構造計算機の研究 」

職歴
1979年 東京大学理学部情報科学科助手
1986年 東京大学理学部情報科学科講師
1987年 東京大学理学部情報科学科助教授
1996年 東京大学総合研究博物館教授(研究部・博物情報メディア研究系、大学院理学系研究科情報科学専攻教授併任)
2000年 東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授
2017年3月 東京大学を退職、名誉教授
2017年4月〜 東洋大学教授(同大学 情報連携学部 情報連携学科、及び 情報連携学研究科)

1983年頃にどのような経緯があったかは不明であるが、1984年6月に、前述のヴィジョンのためのコンピュータ・アーキテクチャなどを実現する目的を持ち、TRONプロジェクトを開始、TRONの名は「The Realtime Operating system Nucleus」の頭字語から。「Todaini itatokini tukutta Realtime Operating system Nucleus」とも、また、映画『TRON』を見た後の命名ではある、とも書いている。


1985年8月12日日本航空123便の墜落事故の陰謀説にトロンOSが出てくる。
陰謀と言うと急に胡散臭くなるがあの事故や経過はかなり不可解であることは確か。

==主要な陰謀説==
・プラザ合意のための揺さぶり
(G5のアメリカ・イギリス・西ドイツ・フランス・日本によって1985年9月22日に発表された。協調的ドル安を図ることの合意である。実質的にはアメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 円高ドル安に誘導する内容であった。日本不利な合意と墜落日が近かったために当初からこの説は根強い。だから坂本九さんなど有名人を多く乗せたとまで言われる)
・グリコ森永事件絡み
(脅迫された企業の1つであるハウス食品工業の社長・浦上郁夫氏が搭乗していて亡くなった。また同じ日に犯人側からの「終結宣言」が届いていた。しかしどこに届いたのかは、墜落でそれどころではなくなり定かではない)
・神経生理学の世界的権威であった大阪大学の塚原伸晃氏が搭乗していたから。
(文部省の神経領域の大型プロジェクトの総括班長であり、文部省に出向いた帰路だった。マインドコントロールを研究していたとか)
・トロンOSの開発技術者が17名搭乗していたから。
(噂が出た最初の頃は「WindowsOS日本版の開発技術者」だったが、現在は「トロンOSの開発技術者」になっている)
・123便には貨物として多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が積載されていたから。
(核兵器転用可であり、日本国内で核兵器製造を計画していたため、アメリカのCIAやロックフェラーが脅して妨害したという噂)
・プロ野球チームの阪神タイガースがペナントレースで快進撃を続けていたため。
(阪神タイガースの中埜肇球団社長が搭乗していて亡くなった。阪神タイガースナインはこの日、福岡→羽田の移動で墜落機に乗っていた。それが折り返して羽田→大阪便になった。 しかし結局この年、チームは日本一に輝いた)


【トロンOS説での検証】

昨今この説でよくコピペされているのは以下の文章。
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実は20年前に日本に純国産の無償OSが存在していた。

無償OSというと耳新しいもののように感じるが、実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃の日本に「トロン」というOSがあったのである。
「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSでオープンソースであり無償なのであった。
95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。 
それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのである。
 
即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、当時の日本政府が屈した結果だったのである。
もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。
日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないのである。
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20年前というのは80年代後半のこと。
ネタ元はこちらのようだ。
上の記事は123便墜落絡みの記事に引用されていたものだが、ネタ元の1989年はしっかり省かれている。123便の墜落は1985年である。
つまり元の記事は墜落事故に絡めたものではなかったのだが、これを引用してあたかも墜落と関係しているかのように仕向ける記事を書いた人がいたのであろう。

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皆さんご存知だろうか。かつて日本にもこの「Windows」と競った「OS」のあったことを。
1980年代のことである。坂村健・東大教授(当時、助手)が手がけた「トロン」があった。
1989年、日本の全国の小中学校に大量の教育用コンピュータを導入する計画が打ち出され、大手メーカー11社の全社がOS「トロン」の採用を希望したのだった。
ところが、日本市場を「トロン」に独占され米国製OSが締め出されると危機感を抱いた米国政府が、「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせて圧力をかけてきたのだ。
この勢いはただ者ではなく、日本に戦争を仕掛けてきたような勢いだったのである。即ち、米国にとっての「OS市場の独占」とは「国家戦略」であり、戦争に等しいものだったのだ。
この有無を言わせぬ「宣戦布告」に対して、当時の日本政府はあっさり「無条件降伏」をしたのだった。

かくして「Windows 95」が上陸し、瞬く間に日本のパソコン市場を独占して行ったのである。
米国のこの世界戦略は大成功し、パソコンOSといえば「Windows」、それ以外のアーキテクチャの機種は市場の片隅に追いやられたのである。殆どの人が、パソコンというと「Windows」そして「米国製」というイメージさえ持っている筈だ。
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TRONプロジェクト
TRONプロジェクトの推進母体としてトロン協会が発足したのは1988年である。

このトロンプロジェクトに松下電器が関わっていた。
実は123便の犠牲者には松下電器グループの社員が複数いた。
1985年8月14日の毎日新聞には「一度に17人遭難松下電器グループ」という記事見出しがあったようだ。
「トロンOSの開発技術者が17名搭乗していた」という説の17名はここから来たものと思われる。

犠牲者一覧があるので私も数えてみたが16名である。後で身元判明した人がいたのかもしれない。
会社や部署はそれぞれ違う。



この陰謀説に文部省も登場する。
大阪大学の塚原伸晃が文部省の神経領域の大型プロジェクトの総括班長であり文部省に出向いた帰路で犠牲となった。
塚原は1985年に『脳の可塑性と記憶』という本を執筆した。
能の可塑性とは可塑性とは形を変えることが出来る可能性、変化しうる性質、可変性や柔軟性のことである。
外界の刺激などによって常に変化が起こっている。
辞書で可塑性を調べると誤解しそうな説明が書いてある。
「外力を加えて変形させ、力を取り去っても元に戻らない性質」
可塑性を持つ身近(?)なものと言えば粘土。
粘土いろんな形にすることが出来る。一度作ったものは手を離してもぐにゃ~と崩れてしまうようなことはない(元に戻らない性質を持っている)。
固まってカチカチになるのはまた別の要素。
熱で柔らかくなって変形する物質もあるが、冷えると固まるので、元に戻らないということはない。

文部省関係で言えばこんな陰謀説もある。
日航ジャンボ123便 米軍最強SR-71は日本の文部省が撃墜した
電磁パルスに関係するものだが(なんと愛媛丸も出てきます!)、北朝鮮による電磁パルス攻撃の可能性があると少し前にテレビやネットで盛り上がっていましたね。












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# by yumimi61 | 2017-09-22 22:34
2017年 09月 21日
日本国憲法の秘密-564- (加計学園問題について)
あれは僕が大学を辞めた頃だったろうか。
この町に学園都市構想なるものが持ち上がった。
正直僕はどうでもよかった。いや、正確には、そんなものは望んでいなかったと言うべきかもしれない。
それを望むくらいならとっくに僕はこの島を離れていただろう。
穏やかな海が、高くない山が、父や母の背中に重なった。
曲がりなりにも僕は大家族や故郷を愛していたのだ。

そんな僕の思いを知ってか知らぬか、30年間あの土地を占拠するものは現れなかった。
遮るものない風景への思慕は決して嘘ではない。
嘘ではないが・・時はとどまることを許してはくれない。
あの頃僕は20代だった。
そして今は僕は・・
この町に加計学園が、獣医学部でいいなら、来てくれると言ってくれたんだ。

それが2005年のことだった。(たら~ららららら~ら♪)



2002年12月小泉内閣は構造改革特別区域法を制定、2003年4月施行。
地方自治体・民間企業・個人から提案を募集し認定し、認定されると特例措置にて法規制が緩和される方法で進められた。
募集は法律施行よりも早く始まっており、2002年の夏には第一次募集が行われた。(国会の数の論理による’可決ありき’での募集でしょうか?)
2011年安倍内閣から始まった国家戦略特区の陰に隠れてしまった形になったが募集は継続して行われている。
今年度6月~7月に行われていた募集が29次になる。

愛媛県の本宮勇県議がブログにて「国の構造改革特区第12次提案から申請を続けています」と書いている(前記事参照)。
第12次募集は2007年10月15日~11月14日が募集期間だった。
以後、愛媛県今治市は「加計学園による獣医学部新設」を何度か申請していたようだ。
しかし小泉内閣に始まった構造改革特区は下から上に這い上がるのを支援することを目的とはしていない。
獣医に関する法規などを所管する農水省も学部の現況や需要と供給のバランスを考え獣医学部の新設は必要ないと判断していたのだろうと思う。
認可は下りなかった。

小泉内閣 2001年4月26日-2006年9月26日
安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日
福田内閣 2007年9月26日-2008年9月24日 申請開始 結果「不可」
麻生内閣 2008年9月24日-2009年9月16日 申請 結果「不可」
鳩山内閣 2009年9月16日-2010年6月8日 申請 結果「実現に向け検討」
菅内閣  2010年6月8日- 2011年9月2日
野田内閣 2011年9月2日- 2012年12月26日
安倍内閣 2011年12月26日-現在

潮目がやや変わったのは民主党政権の時だった。
これが一部自民党支持者(安倍首相擁護派)の反論材料にもなっていた。
「自民党は認可していなかった、検討すると言ったのは民主党ではないか!」と。
しかしそう、昨日書いた通り、加計学園と今治市を繋いだ本宮勇県議は同じ愛媛県出身の自民党衆議院議員である村上誠一郎の公設秘書だったことがあり、その村上誠一郎の妹の夫が民主党(現:民進党)・岡田克也議員である。
加計学園理事長と安倍首相は友人関係にある。

安倍晋三(自民党)衆議院議員
 |
加計孝太郎
 |
学園理事・事務局長(本宮県議の同級生)
 |
本宮勇(自民党)愛媛県議会議員
 |
村上誠一郎(自民党)衆議院議員 愛媛県今治市出身
 |
岡田克也(民主党)衆議院議員 三重県四日市市出身

この繋がりは無視できない。


加計学園誘致関係人物を見ると、加戸を除いて同世代である。
もうひとつ東京大学法学部という共通点もみられる。
村上・岡田・前川に関しては卒業年もあまり変わらないため大学在籍期間が重なっているということになる。

安倍晋三 1954年9月生まれ 東京都(選挙区は山口県) 成蹊大学法学部卒
加計孝太郎 1951年7月生まれ 広島県 立教大学文学部卒
本宮勇  1954年3月生まれ 愛媛県 愛媛大学中退
村上誠一郎 1952年5月生まれ 愛媛県 1977年東京大学法学部卒 
岡田克也 1953年7月生まれ 三重県 1976年東京大学法学部卒 通産省(経済産業省)入省
前川喜平 1955年1月生まれ 奈良県(東京都)1979年東京大学法学部卒業 文部省(文部科学省)入省
加戸守行 1934年9月生まれ 関東州(愛媛県)1957年東京大学法学部卒業 文部省(文部科学省)入省

※村上誠一郎は東大在学中、亡父・信二郎が所属していた三木派を引き継いだ河本敏夫の知己を得て、東大卒業後は河本の秘書を務める[要出典]。
村上は村上水軍の子孫であるそうだ。

※岡田克也
ジャスコ創業者の岡田卓也は父。イオン取締役兼代表執行役社長の岡田元也は実兄。2010年より東京新聞政治部部長を務めている高田昌也は実弟。
桑名市と四日市市を地盤としていた竹下派所属の山本幸雄の後継者として出馬をした。竹下登と財界との関係で繋がりが深かった父の岡田卓也を通じて打診、克也が「やってもいい」と意欲を見せたことで自由民主党竹下派の新人候補として出馬に至った
今でこそ野党の顔というイメージが強いが、彼はもともと自民党に所属していた。大企業創業家という地位を持ち大物政治家との繋がりもあった。
ちなみに妻(村上誠一郎の妹)は医師であるらしい。


村上水軍のことは、中曽根弘文―前川真理子<前川喜平の妹>の話の流れでこちらに書いた

(呉市は)地形的に天然の良港と言われ、古くは村上水軍の一派が根城にしており、明治時代以降は、帝国海軍・海上自衛隊の拠点となっている。第二次世界大戦中は、帝国海軍の拠点でもあり、当時は全国10大都市に数えられるほどの実に40万人を越える人口を抱えていた。

呉市山手の通称「山手の谷」はもともと被差別部落ではなかったが、1889年の軍港開設と共に海軍に納める牛豚肉のための屠場が設けられ、続いて火葬場や海軍の監獄、野犬処理場等が作られ、この付近に住む人々が賤視されて被差別部落になったとされる。山手の入口にある上山手橋には地獄橋の異名があった。

瀬戸内海沿岸に散在する部落について、「瀬戸内海ですと、村上水軍ですとか、塩飽水軍などの名前を聞くはずですが、村上水軍の一番の支配者の人は部落ではないのですが、水軍のかなりの部分は、現在でも被差別部落民です」(『江戸の非人 部落史研究の課題』本田豊、三一書房、1992)、「海岸や沖合警備の名目で瀬戸内の島々に政策的に配備された部落は、豊臣秀吉によって壊滅させられた村上水軍の系統を引くものではないか―そのように私は考えるのだ」(『日本民衆文化の原郷』沖浦和光、解放出版社、1984)との考察がある。


そしてまたメビウスの輪のように(?)ここに戻ってしまう。

森興業(日本沃度→日本電気工業)、昭和肥料、東信電気、これらは漁師一家出身の森&安西コンビが関わった会社である。
スポンサーは、ヨード事業を手掛けていた鈴木商店で成功を収め、味の素を創業した鈴木三郎助。
電力事業を行っていた東信電気は国家統制に組み込まれることになった。後に東京電力の一部となる。
日本電気工業と昭和肥料は合併して昭和電工となった。

安西八郎兵衛(勝浦の貧しい漁師)
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安西直一
(森矗昶より12歳年上で豪農の娘と結婚した森矗昶の仲人となる、後に千葉県議会議長)
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安西浩(東京瓦斯会長)・・・帝国コークス社長の娘と結婚
安西正夫(昭和電工会長)・・・森矗昶の長女と結婚

安西浩の長男・一朗(昭和アルミニウム社長)
 東京大学名誉教授で癌研究会癌研究所所長でもあった吉田富三の娘と結婚
安西浩の長女・和子 ・・・佐藤栄作首相の次男と結婚
安西浩の次男・邦夫(東京ガス相談役)・・・日本交通社長であった川鍋秋蔵の娘と結婚

安西正夫の長男・孝之・・・日清製粉会長の正田英三郎の娘(皇后美智子の妹)と結婚
安西正夫の次男・直之・・・住友財閥の創業家住友家16代当主吉左衛門の娘と結婚
安西正夫の長女・千世・・・政治家大橋武夫の長男である大橋宗夫と結婚
安西正夫の次女・八千代・・・現在も武蔵野音楽大学の学長である福井直敬と結婚
安西正夫の三女・公子・・・住友銀行会長堀田庄三の長男でモルガン・スタンレー証券会長堀田健介と結婚

中曽根弘文・真理子(旧姓:前川)夫妻の娘の結婚相手である川鍋一朗の父は川鍋秋蔵の息子である。

森為吉(勝浦の貧しい漁師)
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森矗昶(豪農の娘と結婚隣家の安西直一に仲人を依頼し、以後ビジネスパートナーとなる。森コンツェルン創始者)
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森暁(昭和電工社長、衆議院議員)・・・外務官僚で貴族院議員であった室田義文の孫と結婚
森清(昭和火薬社長、衆議院議員)・・・1965年河野一郎亡き後、中曽根康弘らと対立し森派を形成
森美秀(昭和火薬社長、衆議院議員)森満江・・・父森矗昶のビジネスパートナー安西直一の息子の安西正夫と結婚
森睦子・・・三木武夫首相と結婚
森三重子・・・三重県知事や衆議院議員であった田中覚と結婚(田中は再婚)

※田中覚
三重県四日市市出身の官僚。1955年に辞職して三重県知事選に出馬当選。5期務めた。四日市ぜんそく発生時の知事。
1972年、知事5期目の途中で、田中角栄・三木武夫の説得に応じて自民党三木派から衆議院選挙に立候補して当選した。
森三重子と結婚したのは1975年。









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# by yumimi61 | 2017-09-21 23:45
2017年 09月 21日
日本国憲法の秘密-563- (加計学園問題について)
愛媛県今治市が学園都市構想を決定したのは1975年で、中心となるべく大学の建設予定地を造成したのは1983年。
国は1976年に「私立学校振興助成法」を施行し、1991年には大学設置基準をも緩和した。
これによって1991年以降私立大学の新設が相次いだ。(18歳人口は1992年がピークで以後減少)
なかでも看護系を筆頭とした医療系の大学が増加し、都市部に限らず地方にも新設が進んだ。
しかし今治市に新設あるいは移転する大学はなかった。
2001年に小泉内閣が誕生し、「聖域なき構造改革」を打ち上げる。
2002年には大都市圏における大学新設の制限を撤廃したため、大学の都市回帰が始まった。
今治市の大学建設予定がますます窮地に陥ることは火を見るより明らか。

2002年12月、小泉内閣は構造改革特別区域法を制定。
構造改革特別区とは、従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を特別に行うことが可能になる地域のこと。
言うなれば法規の逸脱を法規が認めるものである。
その最たるものは1条に天皇を掲げた日本国憲法であり皇室典範であろう。

憲法14条
1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3.栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


天皇制や皇族に対する態度は憲法14条に沿うものではない。本来憲法違反。
憲法違反を逃れるために憲法1条2条に天皇に関する記述を置いている。

憲法1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
憲法2条
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。


第1条はなかなか凄い。
最高裁判所裁判官国民審査のように天皇の国民審査が、あるいは大統領のように天皇を決める選挙が一度でもあったかと言えばない。
「日本国民の総意に基く」という文言は、審査や選挙という日本国民の意思によって決めると言っているのではなく、勝手に日本国民の総意と決めて国民に押し付けるものである。
第2条は第14条の例外を定めたものである。
同じ憲法内にある決まりなので本来は効力は同じである。どちらが上とか下とかないはず。でもそれでは矛盾してしまう。平等と天皇、どちらもが憲法に規定されていることなので、例えば両者が争うような場合には最高裁まで行ってもどちらが正しいと裁くことはできない。憲法上は「天皇や皇室が差別されること」も「何人たりとも差別されないこと」もどちらも正しいのだ。
その状態を逃れようと思えば、憲法の優先順位は数字の若い方が上とするしかない。(14条よりも1条2条のほうが格上で優先されるということ)

極端なことを言えば、法規の例外を認めるということは、法規が犯罪と認めているものを、他の法規が「あなたは特別に犯罪者にならなくていいですよ」と定めていて、そちらが適用されるということである。
天皇や皇室の例外を認めるのは他の法規ではなく同じ憲法内である。そしてその憲法を最高法規と同じ憲法内で定めている。

憲法98条
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。


憲法に反する法規は効力を有しないと定めているのだから、これまで制定され運用されてきた法規は憲法に違反するものではないということだ。
そういう認識にあったはずである。
だからこそ憲法よりも具体的で、限られた者や事項に適用する特別法が優先されても何ら問題はないし、実際にそれを運用してきた。


従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を国が特別に認めて可能にしてあげる構造改革特区、こんなのは国民平等の精神からは逸脱するものだ。
でも構造改革特区は憲法違反ではないと見做されているから制定され運用されてきたはずである。
1つ言い逃れとして考えられるのは、「国民」ではなくて「地域」であること。
1.「すべて国民」は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
「全ての地域」は平等でなくてもOKでしょ~!みたいな。
でも普通に考えれば地域の中には民が存在するわけであり・・。


都市に行きたい、西日本や離島は嫌、こういう個人の意思は憲法違反ではない。
自分がどうしたいかであって人にそれを強制しているわけではない。
どちらかと言えば、大学が学生を選ぶことのほうが人種・信条・性別、社会的身分又は門地・学力などによる差別ではないかと思うが、それだって法律で一律に定めたものでも他大学に強制するものでもなく、各大学の意思であるということならば問題ないということになろう。
憲法が定めているのは法の下の平等。法律は全ての国民に平等であれということ。
自由競争や個人の意思(選択)が法の下にあるうちは違法ではないが、個人の意思を尊重すると結果的にあらゆるところに差が生じてしまう。
価値観の多様性が無くなれれば無くなるほど差は生じ差は大きくなる。
しかし強制的にその差をなくそうとすると個人の尊厳が侵されることになる。


愛媛県今治市の大学建設は自由競争や個人の意思から生じる差にすっぽりとはまり込んでしまった。
自由競争における勝ち負けで言えば負けたのだ。
その上、小泉内閣は構造改革特区にて、従来法規からの逸脱を特定の地域に認めることにした。
この構造改革特区の恩恵を受けない限り、愛媛県今治市が陥った差から抜け出す方法はなさそうだ。
だが小泉内閣が目指したのは下から上に這い上がることを支援することではなく、平等の呪縛から解放してやることである。普通に甘んじていたものを上に引き上げること、突き抜けることを許すことである。
何を目的にそうしたかと言えば国際競争力を高めるためであろう。


国際競争に勝利したとしてもたらされるものは何だろうか。金か名誉か。
勝利するということは敗者がいるということに他ならない。
世界中の人々が安全に安心して生きていくのに果たして勝者と敗者が必要なんだろうか。


構造改革特区の是非はともかくとして国家として目指すべきものがあったということは理解できる。
愛媛県今治市の「何とか構造改革特区の恩恵に与れないものだろうか」という心情も分からなくはない。

構造改革特区を利用するとなると、従来法規制があった事業などを提案する必要がある。
従来から「お好きにどうぞ」と言われていた事業などを提案しても特区に認められることはないのだ。
「私立学校をどんどん作ってください、金銭的な支援も行いますよ」、国は随分前からそう言っていたのだから、単なる学校建設や学園都市構想ではダメである。
そこで持ち出されたのが獣医学部だったはずである。

国家資格、国家試験受験資格、そういうものは国が扱い、需要と供給のバランスや一定のレベル維持をコントロールしている。
看護師など保健福祉系の国家資格者は増員を目的に策が講じられてきた。
しかしその流れの中においても愛媛県今治市の大学建設は叶わなかった。
すでに全国各地に保健福祉系の大学は新設されている。
一方で大学進学率上昇に貢献したのは保健福祉系を筆頭にした医療系であるので、学生を集めることを考えると医療系は捨てられない。
医療系で、国家資格が関係し、今現在も国家が規制などコントロールしているものは何か?
医学部(医師)と薬学部(薬剤師)が思いつくだろう。
定員に比べると志願者は多いはずだから、後発だったとしても全国区の大学として十分通用するだろう、ハイカラな学部をつくるよりも確実に偏差値や学校の格は上がる、そう考えると思う。
では薬学部を誘致しなかったのは何故か?(薬学部は2006年に4年制と6年制の2つの過程が設置され、以後30校近く新設されたのでチャンスであったことは確か。現在全部で74校)
松山大学(私立)が2006年に薬学部を新設している。
実は愛媛県今治市の一番最初の学園都市構想(1975年)はどうも松山大学の移転を念頭に進められたようなのだ。
東京教育大学(筑波大学)が移転に猛反対したように、松山大学内からも反発が大きかったのかこの話が流れてしまった。
遺恨を残したのか、今更松山大学もないだろうという感じなのか分からないが、松山大学薬学部が今治市に来ることもなかった。


社会的地位の高さを思えば医学部こそ確実に学生が集まり大学の格も上がるが、実際医師を養成するのは楽ではない。実習研修施設なども確保しなければならない。となると病院がなくては話にならぬかもしれない。病院経営かぁ・・・なかなか大変そうだなぁ・・・病院作ったら医師以外にも必要だしなぁ・・・
医学部、薬学部と来て、次に思いつくのが獣医学部。
そうだ、これだ!これがいい!
何と言っても獣医学部は数が少ない(医学部より薬学部よりも)。
数が少ないということはライバルとなる大学が少ないということ。
つまり必然的に学校は全国区となり、確実に志願者がある、そう踏んだ。
研究職なら国家試験もいらないし(薬学部例より)、公務員養成だったらちちんぷいぷいちょっと誰かに頼めば何とかなるだろう、きっとそう思ったと思う。


誰がそう思ったかと言うと加計学園理事長(あるいはその側近、あるいはコンサルタント)。
腐っても鯛、仮にも学校経営者。ある程度大学進学事情を知っていたからこそ導き出された獣医学部。

加戸・前愛媛県知事の国会での証言を思い出してほしい。
「愛媛県の、今治の夢を託している事業であって、『加計ありき』と言いますけど、12年前から声をかけてくれたのは加計学園だけであります。
 私の方からも東京の有力な私学に声をかけました。来ていただけませんかと。けんもほろろでした。
結局、愛媛県にとっては12年間加計ありきでまいりました。いまさら、1、2年の間で加計ありきではないのです。それは愛媛県の思いがこの加計学園の獣医学部に詰まっているからでもあります」


(長いこと造成地が埋まらず切羽詰まった愛媛県今治市に)声を掛けてくれたのが加計学園だったと証言している。
12年前2005年のことである。

愛媛県今治市と加計学園を結んだキーマンはこの人。

本宮勇 
1954年(昭和29年)3月4日生まれ
実家は専業農家
(経歴)
愛媛大学 中退
今治南農協(現:JAおちいまばり)職員
自民党県連青年部長
衆議院議員・村上誠一郎の公設秘書
今治市議会議員(1991~1999年)
愛媛県議会議員(1999年~ 当選5回) 

選挙区:今治市・越智郡
所属政党:自由民主党
所属会派:自民党志士の会
所属委員会等:環境保健福祉委員会、議会運営委員会、地方創生・産業基盤強化特別委員会
役職:愛媛県議会議長(平成27年度)、愛媛県議会副議長(平成26年度)
県議会地域公共交通活性化促進議員連盟会長
県議会防衛議員連盟副会長
自民党畜産議員連盟副会長
愛媛県農業共済組合理事
今治市農業委員
全国道路標識・標示業協会愛媛支部顧問

村上誠一郎 1952年(昭和27年)5月11日生まれ
自由民主党所属の衆議院議員(10期)
愛媛県今治市生まれ。1965年(昭和40年)に東京教育大学附属小学校(現筑波大学附属小学校)、1971年(昭和46年)に東京教育大学附属中学校・高等学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1977年、東京大学法学部を卒業。。
第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣で内閣府特命担当大臣(規制改革・産業再生機構)、第2次森改造内閣・第1次小泉内閣で財務副大臣を務めた。
今治市長や愛媛県議会議長、衆議院議員を務めた村上信二郎は父。
民進党衆議院議員の岡田克也は義弟(妹の夫)。



ブログ「愛媛県議会議員 本宮いさむ活動日記」 2014年6月18日
獣医学部誘致に向け、岡山で打ち合わせ

 岡山市内に本部を構える加計学園に到着しました。学園理事で法人事務局長を務めている高校の同級生と打ち合わせを行います。

 今から9年前、同級生に大学誘致の話を持ちかけたところ獣医学部であれば検討するとの返事が返ってきました。当時、加戸知事に相談したところ「何処の学園ですか?」との話があり「岡山の加計学園ですと申し上げたところ・・・」、それなればいうことで獣医学部誘致に向けた活動がスタートしました。獣医学部については約50年前に北里大学に設置されて以降は門が閉ざされていることもあり、国の構造改革特区第12次提案から申請を続けています。未だ認可をされていませんか、何年か前から国は提案実現に向けて対応をするとの回答になってきました。


2014年に今から9年前と書いているので加戸証言と同じく2005年である。
今治市の本宮議員の高校の同級生が加計学園の理事で事務局長であり、彼を通して誘致を持ちかけたところ、「獣医学部ならばいいよ」という返事だったということなのだ。








 



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# by yumimi61 | 2017-09-21 12:12
2017年 09月 20日
日本国憲法の秘密-562- (加計学園問題について)
大学新設にはいろいろ問題があるにせよ、1991年大学設置基準緩和以降、実際私立大学は増えてきた。
背景には「私立学校振興助成法(1976年施行)」もある。
この時の新設大学設置は東京など大都市部ではなくむしろ地方で増加した。(大都市での大学新設は制限されていた期間があった)
文部省の推奨がここにきてやっと実を結んだことになる。

愛媛県今治市は最初から獣医学部の新設を考えていたわけでない。
大学の設置とともに宅地造成や企業誘致なども行って街を形作る学園都市構想であり、来てくれる大学は何でも良かったというか獣医学部である必要はなかった。
しかしそう、この新設ブームが巻き起こった時も愛媛県今治市が1983年から用意していた土地に大学が設置されることはなかった。
全国的に医療系大学新設が流行したが願いは叶わなかった。
愛媛県立医療技術大学は2004年に短期大学から大学に変わった大学であるが、この時に今治市の造成地に移転することも検討されたらしい。しかし移転はしなかった。
県立大学以外の4年制大学はすべて松山市にある。

愛媛県の4年制大学
<国立>
愛媛大学 松山市 法文学部・教育学部・社会共創学部・理学部・医学部・工学部・農学部

<公立>
愛媛県立医療技術大学 伊予郡砥部町 保健科学部(看護学科・臨床検査学科) 助産学専攻あり

<私立>
松山東雲女子大学 松山市 人文科学部(心理子ども学科 )
人間環境大学  本部は愛知 愛媛県松山市に2017年4月 「松山看護学部看護学科」を設置
聖カタリナ大学 松山市 人間健康福祉学部(社会福祉学科・健康スポーツ学科・人間社会学科) 2017年4月に看護学科を新設
松山大学 松山市 経済学部・経営学部・人文学部・法学部・薬学部



今治市が用意した土地は瀬戸自動車道(しまなみ海道)の今治インターチェンジの近く。
安倍首相が国家戦略特区に今治市を選んだ時にも確かそんなことを言っていた。しまなみ海道で広島と繋がっているとかなんとか。
しかし瀬戸内海の島を転々と繋ぎ、通じているのは広島県の尾道である。
残念ながら広島市にはかなり遠い。
もっと近いとしても有料高速道路を自動車で通学する学生はまずいないであろうから、中国地方からの通学圏になるというわけではない。
愛媛県内の松山市と今治市の駅から駅は電車で1時間半弱くらいなので頑張れば通えないことはないかもしれないが、いこいの丘は今治の駅からは若干遠い。2キロくらいな感じ?つくば駅から筑波大学よりは近いかも。
自宅から通学できる学生は僅かだと思うので寮を完備だろうか?アパート完備?
いずれにしても愛媛県に根を下ろすことになるので、進学にはある程度覚悟が必要である。
そもそもな問題だけれども、どうしてここに大学生が集まると考えたのだろうか。
私立大学+自宅外通学(一人暮らし)になると金銭的に保護者の許容ハードルは一段上がる。
当初は筑波学園都市構想のように既存の大学(学部)を教員学生ごとごっそり移転させることが目的だったのだろうか。


ともかく愛媛県今治市の大学建設予定地は全く日の目を見なかった。
そうこうしているうちに時は2001年となり小泉内閣が誕生。
聖域なき構造改革の柱の1つに「中央から地方へ」というものがあったが、大都市圏での大学新設制限を2002年に撤廃。
それを機に私立大学の都会回帰が始まり、以後は地方よりも大都市圏での新設が多くなった。
「中央から地方へ」というのはいったいどういう意味だったんだろう。
主導権が中央から地方へ移る(地方に任せる)という意味ではなく、中央から地方への命令を強化するという意味?
都市回帰では今治市の予定地はますます難しくなるだろう。
(ちなみに文部官僚だった加戸守行は1989年にリクルート事件で辞職し、1999年から愛媛県知事になっていた)






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# by yumimi61 | 2017-09-20 00:33
2017年 09月 19日
日本国憲法の秘密-561- (加計学園問題について)
本日2本目!

看護系も例外ではないが、看護系に限らず大学生の学力が低下していることは多くの関係者が認識していることで周知の事実である。
国立大の医療技術短期大学部が目指した看護職の地位向上は大学進学率の上昇に伴うことはなく、むしろ逆行しつつある。


HUFFPOST 2014年09月17日
更なる看護大学の新設を!少子化に逆行して高まる大卒看護師人気
森亘平 医大生


静岡県焼津市出身。平成21年3月、静岡大学教育学部附属島田中学校卒業。同年4月、静岡県立静岡高等学校入学。平成24年3月、静岡県立静岡高等学校卒業。同年4月、国立大学法人浜松医科大学入学平成26年現在、医学部医学科2年生。

浜松医科大も国立であるが医科単科大学として設立されており、前述の医療技術短期大学部は存在しない大学であったが、静岡県出身の学部長が推進していた群馬大学医療技術短期大学部の4年制化より2年早い1995年に4年制看護科が設置されている。

現代の日本における少子化の余波は教育界に大きく影響しています。8月25日には大学受験予備校の代々木ゼミナールが全国27か所の校舎のうち実に7割にあたる20か所を閉鎖し、全国模試も廃止することが発表されました。これは必然であるのかもしれません。日本私立学校振興・共済事業団によると今春の大学入試の結果、定員割れが起きている私立大学は全私立大学中46%にも上ることが分かりました。そのような状況で看護大学の状況は異端です。志願者数が少子化に逆らって増加しているにも関わらず、養成体制が追いついていないのです。看護師不足による現場の需要、さらには看護師になりたいという学生からの要望、ともに確実なものであることから、より多くの看護大学の設立が必要だと思います。

大学の看護科志望者に比べて定員数がまだまだ少ないというレポートである。
私立と国公立を併願している学生数によってダブつきはあるだろうが、それにしても志願者に対する定員のギャップは大きいと述べている。
この図は結構インパクトがあって、大学や法人がその気になってもおかしくないかも。
e0126350_15381118.jpg


しかし本当にこんなに私立大学を志願する者(願書を出したものということですよね?)がいるのだろうか。
私立大学が水増し報告しているということはないのだろうか?
国公立・私立合わせて8万5000人ほどが看護学科を志願しているが、定員外となった(私立看護大学を不合格となった)数万人はどこに流れているのだろう?)
専門学校に行くのだろうか?それとも進学せず働きもせず?


1991年の大学設置基準が緩和され大学が増加し進学率も上昇する前の1990年の18歳人口は200万人くらい。
戦後上昇を続けた18歳人口は1992年の205万人をピークに減少に転じ、2009年頃から今日に至るまで120万人程度で推移している。

1990年の全国の18歳人口は200万人くらい。
・大学進学率は約25%なので、大学進学者は50万人。

2009~現在までの全国の18歳人口は120万人くらい。
・大学進学率が約50%なので、大学進学者は60万人。
・短大と専門学校進学者が23万人くらい。
・就職者が21万人。
・それ以外の高校卒業者が10万人
・高校に進学していなかったり中退した者が6.5万人。

大学進学者はおよそ10万人ほど増えた。
そのうち看護学科が2万人近くを占める。増加の5分の1(20%)は看護科が担っている。
他の保健福祉系を含めればもっと多くなることは確か。
残りはハイカラな大学や学部学科だったりするわけだが(それだけではないですね)、上記にあるように既存の私大含めて私大の半数近くは定員を割れているそうだ。

前にも書いたが、看護系大学がかなり増加しているが、実は看護系専門学校も減っておらず、むしろ増加しているくらいである。
看護師を養成するならば専門学校でもよいわけだが、医学部や薬学部に比べて偏差値が看護学部の偏差値は低いと述べながら(ここがセールスポイント?)、医学生が4年制看護大学にこだわる理由は何だろうか。
レベル低下が叫ばれているにもかかわらず、医学生がどうして更なる看護大学設立を推奨できるのだろう。(専門学校卒よりは大卒のほうが聞こえがいいだろ?)



医学部(医師国家試験受験資格)が6年制というのはよく知られていると思うが、戦時中など需要が高まった時には3年制や4年制で養成していた時期もある。

獣医学部(国家試験受験資格)もかつては4年制だった。
1978年に国家試験受験資格が大学院修士課程修了に引き上げられた(実質6年)。
1984年から獣医学部(獣医師国家試験受験資格)も6年制一貫教育となった。

薬学部もかつては4年制だった。
2006年から4年制と6年制の2つの過程が設置された。
新4年制過程は薬学研究者の養成が目的で薬剤師として働くことを最初から目的にしていない。薬剤師の国家試験受験資格が得られない。学位は学士(薬科学)。
6年制は薬剤師養成が目的である。学位は学士(薬学)。
6年制課程を有する薬学部をもつ大学は、薬学実務実習に必要な施設を確保する義務を有する(大学設置基準第39条の2)。
上位国立大学では研究者養成がメインとなっているそうだ。
国公立大学の6年制課程が約700名、4年制課程が約1,500名、一方、私立大学では6年制課程が約10,000名、4年制課程が約500名となっている。
薬学部には私立大学も多く、偏差値だけに拘ればピンキリである。
現代の研究職は学位が非常に重要となっているので4年制でも大学院に進む必要があると考えられる。実質6年(でも国家試験受験資格は得られない)。
かつて医療技術短期大学部の臨床検査技術学科(3年制)から企業の研究職に就職した人が結構いたけれど、昨今は長く大学にいないとダメな感じ。

制度改正で30校近くが薬学部を新設したが、薬剤師も過剰気味らしい。
離職率が高くない仕事は基本そんなに不足することはない。
足りないのはドラッグストアやテナント薬局の薬剤師だけでは?(「薬剤師不在のため」とロープはったり覆いをしたりしているお店を見たことはありませんか?あれが薬剤師が確保しきれていないからなんですね)


加計学園の獣医学部は研究を目的としているらしいから、薬学部と同じで制度変更による4年制導入(国家試験を受けない人達養成)を見据えているのでは?



薬学部のある大学(★は 6年制課程と4年制課程を併設する大学、無印は6年制のみ)
<国立>
北海道大学★
東北大学★
千葉大学★
東京大学★
富山大学★
金沢大学(医薬保健学域薬学類)★
京都大学★
大阪大学★
岡山大学★
広島大学★
徳島大学★
九州大学★
長崎大学★
熊本大学★

<公立>
静岡県立大学★
名古屋市立大学★
岐阜薬科大学★

<私立>
北海道医療大学
北海道薬科大学
青森大学
岩手医科大学
東北医科薬科大学★
奥羽大学
いわき明星大学
国際医療福祉大学
高崎健康福祉大学
城西大学★
日本薬科大学★
東邦大学
東京理科大学★
日本大学
千葉科学大学★
城西国際大学
帝京平成大学
東京薬科大学
明治薬科大学★
昭和大学
昭和薬科大学
星薬科大学★
慶應義塾大学★
北里大学★
武蔵野大学
帝京大学
横浜薬科大学★
新潟薬科大学
北陸大学
名城大学
愛知学院大学
金城学院大学
鈴鹿医療科学大学
京都薬科大学
同志社女子大学
立命館大学★
大阪薬科大学★
近畿大学★
摂南大学
大阪大谷大学
神戸薬科大学
武庫川女子大学★
神戸学院大学
兵庫医療大学
姫路獨協大学
広島国際大学
安田女子大学
福山大学
就実大学
徳島文理大学
徳島文理大学(香川薬学部)
松山大学
福岡大学
第一薬科大学
長崎国際大学
九州保健福祉大学★
崇城大学

獣医学部のある大学
<国立>
帯広畜産大学(畜産学部共同獣医学課程。2012年度から北海道大学との共同教育課程に改組):単年度定員40名
北海道大学(獣医学部共同獣医学課程。2012年度から帯広畜産大学との共同教育課程に改組):同40名
岩手大学(農学部共同獣医学科。獣医学科を2012年度から東京農工大学との共同学科に改組):同30名
東京農工大学(農学部共同獣医学科。獣医学科を2012年度から岩手大学との共同学科に改組):同35名
東京大学(農学部獣医学専修):同30名
岐阜大学(応用生物科学部獣医学課程。獣医学課程を2013年度から鳥取大学との共同学科に改組):同30名
鳥取大学(農学部獣医学科。獣医学科を2013年度から岐阜大学との共同学科に改組):同35名
山口大学(共同獣医学部。農学部獣医学科を2012年度から鹿児島大学との共同学部に改組):同30名
鹿児島大学(共同獣医学部。農学部獣医学科を2013年度から山口大学との共同学部に改組):同30名
宮崎大学(農学部獣医学科):同30名

<公立>
大阪府立大学(生命環境科学部獣医学科):同40名

<私立>
酪農学園大学(獣医学群獣医学類):同120名
北里大学(獣医学部獣医学科、2007年度より獣医畜産学部獣医学科から名称変更、十和田キャンパス):同120名
麻布大学(獣医学部獣医学科):同120名
日本大学(生物資源科学部獣医学科、1996年に農獣医学部獣医学科から名称変更):同120名
日本獣医生命科学大学(獣医学部獣医学科、2006年度より日本獣医畜産大学から名称変更):同80名

※国公立獣医学部を見てもらうと分かるように、多くの大学が共同学部に移行している。共同教育課程制度が2009年に導入されたのだ。
複数の大学がそれぞれの施設や教員を提供し合うというもの。
要するに教員その他のレベルや専門性・経験値が落ちている、実習など含め教育や獣医師養成環境が悪化しているということだと思う。
実績ある既存の獣医学部がこの状態なので、新設私大を認可するのは疑問。












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# by yumimi61 | 2017-09-19 17:37
2017年 09月 19日
日本国憲法の秘密-560- (加計学園問題について)
大学の増加を支えたのは間違いなく医療系(薬学、保健福祉など)である。
保健福祉には看護、栄養、社会福祉、理学療法や作業療法などのリハビリ関係が含まれる。
とくに看護系の大学の増加が著しかった。

1980年代半ばには6校しかなかったのに、2014年には226校にもなっているそうだ。少子化なんかどこ吹く風の看護バブル。


=1990年前の看護4年制大学= ( )内は看護系学科の設立年。
【国立】 千葉大学(1975年) 東京大学(1953年) 東京医科歯科大学(1989年) 琉球大学(1968年)
【公立】 高知県立大学(旧:高知女子大学)(1952年)
【私立】 聖路加看護大学(1964年) 日本赤十字看護大学(1986年) 北里大学(1986年) 藤田保健衛生大学(旧:名古屋保健衛生大学(1969年)

1980年代後半に日本赤十字看護大学と東京医科歯科大学が新たに4年制の看護系学科を設立したが、それまでは6校だった。
当時の看護系の4年制大学は看護教員を目指す人や国家公務員や県職など事務的仕事に携わる人を養成していたのだと思う。
少なくとも私はそう思っていた。

この時代、多くの看護師養成を担っていたのは専門学校である。高卒の場合、3年制。
例えば4年制の日本赤十字看護大学が開校されても、赤十字看護専門学校という3年制の看護師養成学校は各地に多数存在していた。
専門学校の他に短期大学での養成もあった。この短期大学も3年制。
当時は各都道府県に存在する国立大学が医療技術短期大学部という学部を持っていて、ここでも看護師の養成を行っていた。大学に属しているのに3年制の学部という変則的な教育システムであった。
これは看護師の国家資格を得るための所定の過程が高卒後3年であるからである。
専門を3年で教え込むので何もあえて4年もいることはないということ。
その頃の大学には教養課程というものが明確に存在した。
どんな学部であろうが最初の1~2年は教養課程をメインに学ぶという決まりがあり医学部も例外ではなかったが、医療技術短期大学部はこの明確な教養課程が省かれていた。そのぶん夏休みなどは短かった。
看護業界は仕事のハードさから離職率も高く慢性的な人手不足でもあるので、無駄に時間を稼いでも仕方がないということだったんだろうと思う。
私立などの学校運営側からすれば長く学生をしてもらったほうが安定した収入がある。
一方学校運営に税金が投入されることを考えると、学生期間は短く回転したほうが効率がよく節約になる。

国立大学の医療技術短期大学部は高度な医療を提供する大学病院で働く看護師や、地域の病院で看護師長クラスで働くことが期待される看護師、保健師や助産師を目指す人を養成するものであった。
短期大学部3年終了時に希望し希望校の試験にパスすれば4年制の大学に編入することも可能であったし(とはいっても対象の4年制大学がほとんどない)、試験にパスし保健師や助産師の養成科に進めば嫌でも計4年にならざるを得ない。

学力も社会的地位も総じて高い医師という職種と協力し合ったり渡り合う看護師が必要とされた。(先生と呼ばれる職業の人はどうしても傲慢になりがちなので医師の暴走を食い止めたりフォローしたりという・・)
だけど医学部卒と専門学校卒では学歴からして馬鹿にされてしまう(口に出さなくても思っている)。准看護師になると中卒でも可能だったりするので看護師の学力イメージはどうしても薄まってしまう。
だから国立医学部や大学病院に併存して看護学科を置いたわけだが、6年生の医学部から見ると3年制短期大学部というだけで職業的にはやはり軽視の対象となってしまうらしい。
そこで短期大学部を4年制にして「短期」という言葉を省こうという運動が起こった。


以前にも書いていて繰り返しになるが、私は群馬大学医療技術短期大学部を出て、その後保健師の養成学校に進んだ。4年間の学生生活を送っているが学位は持っていない。


過去記事より)
共通一次世代の推薦入試

私は群馬大学医療技術短期大学部に推薦入試で合格した。

「群大の医短で今年から推薦入試が導入されることになったそうだ」と担任から聞かされたのは、3年の夏頃だったような気がする。
それまで県外を中心に考えていた私の転機だった。

現在でも各地の大学で「医学部地域枠推薦」や「指定校推薦」などの推薦入試が行われているが、そのどちらとも少々違った。

「医学部地域枠推薦」というのは地域に医師を確保するためのものなので卒業後の勤務地が何年か指定されているが、それはなかった。
就職先が群大附属病院と指定されているわけでも県内と決められているわけでもなく、進学も可能だった。

「指定校推薦」というのは、高校を指定し推薦枠を与えるもので、指定された高校は評定などの要件を満たした生徒から希望者を募り、多い場合には校内選抜が実施されて推薦者が決定する。
入試は主として書類審査及び面接と小論文となるが、校内選抜者になれば不合格になることはまずない。
私が受けた推薦入試は群馬県内の女子高(一部共学校もあったかもしれない)に2名ずつの推薦枠が与えられていたようだが、2名が揃って合格することはないと事前にはっきりと言われた。(各指定校から1名ずつの合格)
校内には2名以上の希望者がいて選抜があり、選ばれたのは私と、もうひとり親しくしていた友人だった。
どちらかが不合格になるということで何となく気まずかった。
入試には面接と小論文の他に、一般的な試験も課せられた。
但し教科は3教科だったろうか、少なかったと記憶している。

結果は2人とも合格だった。
先生も非常に驚き喜んでくれた。
一緒に合格した友人は、日本化薬で看護師として働いている友人である。

クラスの誰よりも先に試験に臨み、進路が決定したので、当時は大学における推薦入試も今のように一般的でなかったのだと思う。
AO入試は日本にはまだ存在しなかった(1990年が最初、慶應大学にて)。

私は群馬大学医療技術短期大学部の推薦入試の1期生だったのだ。


推薦入試の走りの時代にいて、さらに国立大学の医療技術短期大学部の4年制構想の真っ只中にもいた。

過去記事より)
4年制構想

私が群馬大学医療技術短期大学部の学生だった時の学部長は、ことあるごとに「これからはパラメディカルではなくコ・メディカル(co-medical)*の時代」だと話し、医療技術短期大学部の4年制化実現への抱負を語っていたものだった。
その学部長は群馬大学医学部出身で群大附属病院の第二内科(循環器内科)医局出身。専門は血液学だった。
当時は医療技術短期大学部看護学科の教授であり学部長でもあった。


*コ・メディカル
1982年(昭和57年)、第1回糖尿病患者教育担当者セミナーの講演において、阿部正和東京慈恵会医科大学学長(当時)が、患者教育には医師のみならず全ての関係スタッフの協力が不可欠として、医師以外の関係スタッフを卑下したパラメディカルとの呼称を止め、「協同」を意味する接頭辞の "co-" を用いた「コ・メディカル」(co-medical、英語発音: [ˌkəʊˈmɛdɪk(ə)l] コウメディカル)との呼称の使用を提唱した。「コ・メディカル」という名称は、後に定着する「チーム医療」の考えと合致し、日本の医療業界に広く受け入れられた。


群馬大学医療技術短期大学部の4年化構想が提起されたのは1984年。
私の入学年が1986年なので、まさに4年化構想の真っ只中にあり、学部長の熱意に満ちた話を何度も聞いて育った。
4年制の医療技術学部の創設を目指しての予算要求を開始したのは1987年。以後毎年行った。
しかし当時は文部省の大学審議会は大学に新たな学部の増設は認めておらず、後に譲歩案として出されたのが医学部に保健学科を併設するというものだった。
つまり医療技術学部という独立した学部ではなく、医学部内に保健学科を作れということである。
それに伴い1993年からは医学部保健学科として予算要求を行った。
保健学科の設置が決定したのはそれから3年後の1996年10月。
1997年から保健学科として学生を受け入れることになった。

全国の医療技術短期大学部で一番最初に4年制化したのが大阪大学で1994年。
その後、神戸大学、金沢大学、群馬大学と続く。
2004年までにすべての医療技術短期大学部が4年制化した。
(最終2004年に移行したのは、北海道大学、東北大学、京都大学、熊本大学)←ほぼ旧帝大チーム(九州大学は2003年)
看護研究学会においてはその設立過程から、熊本大学(2004年)・徳島大学(2002年)・弘前大学(2001年)・千葉大学(古くより日本の国立大で唯一看護学部を持つ)の4大学が力を持っている。・・・( )内は4年制移行年。

この国立大学の医療技術短期大学部の4年制化(保健学科設置)実現にやや先行して始まり出したのが新設看護系医療系大学の設置であった。



医師以外の医療職を馬鹿にしたのが医師ならば、その地位をあげようと努力してくれたのも医師だった。
群大で4年制構想を進めていた学部長(医師)は静岡県出身の人で、医師として老人施設の医療も経験したことがあるそうで、医師以外の看護やリハビリといった医療職にも理解があった。

私学を積極的に助成していた1980年代の文部省は国立大学に独立した4年制看護学部を設置することをガンとして認めなかった。
妥協案でも医学部に付随しなさいというものであった。
今現在でも看護学部が存在する国立大学は千葉大学のみ(1975年設置)。
その一方で、大学設置基準を緩和して、新設の看護系大学は認可していった。


国立大学の医療技術短期大学部も1990年代後半から医学部保健学科や医学部看護学科に移行し、完全に4年制となった。(  )内は移行した年。

北海道大学医療技術短期大学部(2004年)
秋田大学医療技術短期大学部(2003年)
東北大学医療技術短期大学部(2004年)
弘前大学医療技術短期大学部(2001年)
群馬大学医療技術短期大学部(1997年)
筑波大学医療技術短期大学部(2003年)
金沢大学医療技術短期大学部(1996年)
岐阜大学医療技術短期大学部(2001年)
信州大学医療技術短期大学部(2003年)
名古屋大学医療技術短期大学部(1998年)
新潟大学医療技術短期大学部(2000年)
大阪大学医療技術短期大学部(1994年)
京都大学医療技術短期大学部(2004年)
神戸大学医療技術短期大学部(1995年)
三重大学医療技術短期大学部(1998年)
岡山大学医療技術短期大学部(1999年)
鳥取大学医療技術短期大学部(2000年)
山口大学医療技術短期大学部(2001年)
徳島大学医療技術短期大学部(2002年)
鹿児島大学医療技術短期大学部(1999年)
九州大学医療技術短期大学部(2003年)
熊本大学医療技術短期大学部(2004年)
長崎大学医療技術短期大学部(2002年)

ベネッセ教育総合研究所によれば、4年制になった今でも勉強が想像以上に大変と根を上げる学生が国公立私立問わず後を絶たないとのこと。
学力や質の低下も問題視されていて、制度をいじったりしている。



4年制化と言っても今まで3年でやってきたことをただ4年に延ばすのではレベルは却って下がっているではないか!と言われかねない。
そこで旧国立大医療技術短期大学部看護学科は4年制移行以降、看護師のみならず保健師あるいは助産師の同時養成を行うことを謳った。
医療技術短期大学部時代も保健師や助産師養成科に進むのは一部の人であって多くは3年で就職していった。
でもせっかく4年制にするのだから、4年制に入学してくる人達には最初から両方を目指してもらうことにしたのだ。
どこに就職にするにしろ全員が2つの資格者になれば、看護科のレベルは今までよりも上がっていると主張できるだろう。
ところがこれが思うようにいかなかった。
目論見が外れ、4年で両方を取得できる人は以前と変わらず一部の人であった。
結果的に、3年で出来ていたことが4年かかるようになった、4年で出来ていたことが6年(修士課程)かかるようになった、そういうことになってしまったのだ。
新設大学では尚更で最初からそれを目指していない。しかし学位は取得できて大学院に進めば修士・博士とランクアップし教授や国家公務員や国家機関に就職できたりしてしまうかもしれない。。
そういうレベルや実務経験のない教授陣が教える看護教育や国家戦略の行き着く先はどこなんだろうか。

卒業要件に保健師国家試験受験資格が指定されている大学、要するに入学者全員が保健師国家試験を受験できる可能性のある大学は226校中20校くらいしかない。
それ以外の大学は保健師養成のための選抜試験を課し、それに合格した10~20人程度のみが進める過程となっている。
保健師養成を諦めた大学もある。(看護師国家試験の合格さえ危うくなってきている・・)
助産師も同様で選択選抜コースである。
看護大学が増えてセット教育を謳ってみたものの保健師や助産師の養成コースは相変わらず狭き門である。

旧医療技術短期大学部看護学科の現在の保健師養成(国家試験受験資格取得)について調べてみた。
人数は明記のある大学のみ。

・北海道大学―2011年度入学者より取得不可となった。2014年度入学者より大学院修士課程で取得可。
・東北大学―全員が取得できたのは2011年入学者までで以後不可。2014年度から大学院博士課程前期(修士課程)で取得可。
・秋田大学―選抜制
・弘前大学―2012年入学者から選抜制
・筑波大学―卒業要件を満たせば全員取得可
・群馬大学―選抜制(40名)
・金沢大学―2014年度入学者から選抜制
・岐阜大学―2012年度入学者から選抜制(30名)
・新潟大学―全員取得可
・信州大学―選抜制(20名)
・名古屋大学―2012年度入学者から選抜制
・大阪大学―2012年度入学者からは選抜制(20名)
・京都大学―選抜制
・神戸大学―2012年度入学者からは取得不可。2016年度より大学院博士課程前期課程で取得可能になる予定。
・三重大学―2014年入学者から選抜制(20名)
・岡山大学―2011年度入学者から選抜制(20名)
・鳥取大学―全員取得可
・山口大学―全員取得可(卒業要件)
・徳島大学―選抜制
・九州大学―選抜制
・鹿児島大学―選抜制
・熊本大学―2012年度入学者から選抜制
・長崎大学―2012年度入学者から選抜制

ほとんどの大学が選抜制に移行している。
大学院修士課程での取得に移行したところもあるので、やがてほとんどの大学がそうなるかもしれない。
保健師という職業は自治体と関係が深いので、あとは公立の大学がどうかなというところだが、全員取得は厳しいかもしれない。私立はもっと難しい。
よって入学者全員が看護師と保健師の国家試験受験資格を同時に取得できる大学はもうほとんどないと考えてよさそうだ。
そもそも最初から無謀な話だったのだ。


こうなると文部省が国立大に独立した看護学部を認めなかったことも一理あると思ってしまうが、ではなぜもっとレベルが下がるであろうことが予想された新設大学は認可したのかということになる。
















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# by yumimi61 | 2017-09-19 13:05
2017年 09月 18日
日本国憲法の秘密-559- (加計学園問題について)
1991年、国(文部省)は大学設置基準を大幅に緩和した。
この策は見事に大当たり。大学の新設や学部の増設が大幅に増加していくことになった。
それに伴い大学進学率も急激に上がっていった。

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私は2014年1月に大学進学率についても書いている。
過去記事より)
時代はどこへ向かうのか

長男の友達が「帝京大学に行こうかなぁ~」と言ったら、そのお母さんが「帝京大学はとんねるずの出身校で馬鹿っぽく思われるからやめなさい」と言ったんだとか。
高卒が売りだったとんねるずがいつのまにか大卒になっていたという話でした。ちゃんちゃん。
時代が変われば何とやら。

少し前のこと、長男がこんなことを言った。
「意外に大学って行かないもんだよね。友達の半分くらいは進路決まっているみたいだし」
同じ高校に限らず小中学校の同級生などと範囲を広げてみると就職先が決まっている子も少なくないと言うのだ。
進学校での大学進学率は100%に近いだろうけれど、社会には工業高校や商業高校という実業高校もあるし、また進学校ではない普通高校も沢山ある。
「友達の半分くらいは」という彼の実感はなかなかいい線をついていて、2013年の大学進学率は49.9%である。(短大や専門学校進学を含めると70%ほど)
専門学校は募集や入試が早いため専門学校に進学する子はすでに進路が決まっている。
専門学校であれば不合格ということはあまりない。(但し入学金や授業料は大学より高めか私大並み)

これも意外かもしれないが大学進学率が急速に伸びたのはバブル経済の弾けた1991年頃からのことである。
1990年には24.6%しかなかった大学進学率が2009年に初めて50%を超えた(50.2%)。
しかしそこでほぼ頭打ちになっていて、ここ2年ほどは若干減少しており、大学進学率もついに限界を迎えたかと言われている。


帝京大学については小保方母が帝京大学グループの教授だとか帝京大学派公衆衛生の学位を出せる大学院を新設したとか先日も過去記事絡みで紹介し、帝京大学もあまり良い噂を聞かないと書いた。
2014年のこの記事ではお友達のうちのとんねるずの話しか書かなかったが、それとは全く別に世間によくない噂があったのだ。

それと「意外に大学に行かないものだね」という長男の感想はおそらく大学全入時代というイメージから来るものだと思う。
だからそれについても書いた。

リンク先の文章は、高校生の2人に1人が大学に進学するという実質的な「大学全入時代」の中で、で始まっている。
確かに「大学全入時代」と言われて久しい。
2人に1人(半数)で何故「大学全入時代」になるんだろうと思うかもしれないが、この「大学全入時代」というのは、高校生のほとんどが大学に進学する時代という意味ではなく、大学を選り好みしなければ誰でも(どんな成績レベルでも)大学に入れる時代という意味なのである。
どういうことかと言えば、出生数(子供の数)は増えていないのに、大学数は増えているということである。
大学は学生がいなければ経営にならないので、推薦試験やAO試験を積極的に導入し、早めに学生を確保する。

実質的な大学全入時代の傾向として、一般選抜(一般入試)による入学者の割合が減少していることが挙げられる。
一般選抜による入学者の割合は、私立大学では2007年に50%を下回ったとのこと。
私立大学入学者全体の半数以上が一般入試の学力テストを受けずに大学に入学する。



大学進学希望者(受験者)≦日本中の大学の定員
大学や学部の数が増えて大学進学希望者分の席(定員)はあるということ。
要するにちゃんと振り分ければ不合格になる人がいない状況、それが「大学全入時代」である。
しかし実際には不合格となって希望の大学に進めない人がいる。
何故かとえいば希望する(受験する)大学や学部に片寄りがあるから。簡単に言えば人気に差がある。
大学全入時代に不合格になる人がいるということは逆を言えば定員を割っている大学が存在しているということ。
大学は受験に際して結構いい値の受験料を取るわけだから、受験者が少ないというだけで経営にダメージを与える。
希望の大学を不合格となった人が滑り止め大学で妥協したり、後期試験で他の大学に流れれば多少こなれるが、浪人する人がいるということはそれだけでは解決しない問題であろうと思う。 


大学の学生の学力に関して言えば、大学が増えたことによって低下した。
すなわち1991年以降日本の大学生の学力は下降している。
私立大学入学者全体の半数以上が一般入試の学力テストを受けずに大学に入学をしているのだから当然な話。
大学を増やしたからといって学力が上がるわけではない。
そもそも学力向上や勉強をしたいから大学へ進む人がどれくらいいるのか。
まだ就職したくないから、親のお金で自由を謳歌し遊んでいたい、家を出られるから、都会に行きたい、恋愛相手や結婚相手を探すため、大学に進学したり学位を取ったほうが就職に有利だと思うから、親や先生が大学に行けとうるさいから、そういう人も少なくないのが現状。
大学進学率が高校のステータスになっているのか、現代の高校はやたら大学進学を推奨している(進学校でなくとも)。入学の時点で受験の話をしたりする。指定校推薦が変な夢を見させたり。
家庭の経済状況が厳しかったり大学(学問・勉強)に対して興味がなくても、「学校圧」や「いつでもみんな一緒のお友達関係」や「パパ同士ママ同士バトル」などから大学進学から離脱できない状況もある。
大学に行く気が無いなら実業高校へ進むという手もあるのだが、実業高校は負け組みたいな風潮もあるため、目的もなく普通高校に進学してしまう。
それでも大学希望者は高校3年生の50%程度が限界のようである。
その数値をさらに伸ばそうと給付型奨学金や大学無償化などが検討されているのだろうけれども、大学に行く人を増やしたからといって学力が向上するわけではないことは現状が証明している。
学力向上が望めないところにもってきて、収入が無くなる学校がどうやって学校運営していくのか?
国や自治体が肩代わりする?何のために?学校経営者を救うために?
その資金はいったいどこから出てくるのか?



1991年の大学設置基準の規制緩和によって、大学数、学部数、大学進学率とも増加した。
なんともハイカラな大学名や学部学科名が登場したのもこれ以降である。
ハイカラな名称はどうしても新しさと軽さが前面に出てしまい、案外受験生にも不評である。もうちょっと名称がどうにかならないものかと・・
大学の増加を支えたのは間違いなく医療系(薬学、保健福祉など)である。
保健福祉には看護、栄養、社会福祉、理学療法や作業療法などのリハビリ関係が含まれる。
とくに看護系の大学の増加が著しかった。

1992年に「看護師等の人材確保の促進に関する法律」が施行され、1990年代後半から現在に至るまで看護系大学(保健学科や看護学科の設置)は増殖し続けている。
1980年代半ばには6校しかなかったのに、2014年には226校にもなっているそうだ。少子化なんかどこ吹く風の看護バブル。


いくら大学進学が当たり前になりつつあるとは言っても、お金のかかること。出来れば資格取得に繋がる食いっぱぐれのない職業関係の大学や学部に進学してほしいと親は考える。
お金を出してもらう子供からすればなるべく親の願いに沿って円満に大学進学したいと考える。
大学の先の就職が念頭にあるため、文学部とか経済学部とか抽象的な学部は好まれない。
理工系でも数学・物理・化学など基礎系学科は敬遠されがち。学問探究よりも就職目当てだからだ。
現に優秀な成績でそうした学部学科に進んでも、それを活かして就職できるわけではなく、全く違う業界の会社に就職するという話は後を絶たない。
子供達も高校の段階と大学で就職を考える段階、就職をしてからでは、考えもだいぶ変わっていて、もっと違う学部(学科)を選んでいればなぁなんて言ったりする。後の世代にはそういうものが情報として積み重なる。
企業側から見れば、新卒に専門的な仕事が最初からこなせるとは思っていない。だから研修期間を設ける。しかし設定した期間にマスター出来ない新卒が多く、研修期間を延ばすはめになる。1年とか研修に充てている企業などもあり、大学とはなんだ?という話になってしまう。
しかも慣れないことに耐え切れず辞めていく新卒も少なくはない。
何をどう学ぶのか分からない学部学科に比べると、大まかにイメージできる医療系は魅力的なんだろう。
さらに、教師や医師、警察官に弁護士、銀行員などと同様、医療従事者にも割合お堅い印象がある。
同時に弱者の味方だから優しくて悪い人ではないかもなんて印象もあるかもしれない。
看護系なんかだと男性受けとか結婚相手として親受けが良かったりもしそうと思ったり、医師と出会うチャンスもあるし~とかなんとか?(それを言うなら芸能界経由の患者のほうがよいのではとか?)
それまで大学進学を考えていなかった層(進学率増加分)を一手に引き受けたのが医療系であると言っても過言ではない。










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# by yumimi61 | 2017-09-18 12:58
2017年 09月 17日
日本国憲法の秘密-558- (加計学園問題について)
1976年「私立学校振興助成法」施行。
既存の私学が新たに補助金をもらえるようになるようなことは喜ばしいことだったろうけれども、大学や学部の新設や移転となると助成すると言われてもそう簡単にはいかない。
まず不動産に莫大な費用がかかる。新設ならば備品や人件費もそっくり上乗せとなる。そのうえ学生が集まらないとなれば既存の事業を含め死活問題となろう。
学校法人は私立であっても営利法人ではないが、赤字を垂れ流して存続できるわけがない。利益をあげていく必要がある。
だから私学はなるべく富裕層の子弟や自分達に有利に動いてくれる政財官の有力者の子弟を抱え込みたい。
「金で買えないものはない」という名言を吐いた人もいたが、学力より何よりお金が一番大事。(やっぱり対抗すべくといった感じになっちゃうんでしょうかねぇ?)

株式会社ならば利益を株主に分配するが、学校法人など非営利法人は出資者に利益を分配することが禁じられている。利益はすべて事業に還元しなさいということなのだ。
また株式会社の株券は売買されるが非営利法人ではそのようなこともない。
要するに株式会社などに比べると閉鎖的で第三者の干渉を受けない。
職員を縁故採用して手当や給与を高くする、縁故者に外注する、営利法人を別に作りそこと取引する形で利益を流す、公私曖昧に理事などが贅沢品を購入したり旅行したり遊んだり、利益で資産運用する、そのようなことがわりと自由に出来る。


お金が大事な人達が火中の栗を拾ったりなんかしない。経済的に勝算のない事業に無暗に手を出したりはしない。負け戦はしない。ある意味においては冷徹でシビアである。有力な私学伝統校ほどそれを実践してきたということ。だからこそ続いてきたのだ。
愛媛県今治市には42年も前(1975年)から学園都市構想があり、文部省の推奨もあって1983年から積極的に準備し動いてきた。
しかしその誘致に乗る大学や法人は皆無で、愛媛県今治市の学園都市構想は頓挫していた。
造成した予定地は荒れ果てていった(この部分は想像です)。


そもそも「公」に「私」を援助しろと言っても、「公」のどこにそんな余分なお金があるのだ?という話になる。
地方自治体自体が国から補助金を貰っている。
国は国で世界に類をみない大赤字国家の借金大国。
高齢化が進み、出生率は下がり、頼みの若者は故郷を捨てて都市部に集中。
家を捨て車を捨てて、コンピューターや携帯を手に入れコンパクトに、ある部分では健全に生活しているため、国や地方の財政力は弱体化。(もっとも1980年代はまだコンピューターや携帯の時代ではなかった)
やがて人口が減少していくことが予想されており、そうなればますます窮地に陥る。大学だって学生争奪戦となるだろう。
そんな時代に、どんな勝算を描いたのか知らぬが、大した税金も取れず利益を分配することのない大学の設置を自治体が援助するなんて理解に苦しむ。「経済効果」という雲を掴むような話に惑われてしまうのだろうか。


夏には日本一二を争う暑さに襲われる地域の、多くの子供達が通う市立小中学校の教室にエアコンがないのに、私学の立派な校舎設備やその運営に税金から補助金を出すと言ったら、「その前にやることがあるだろう!」と市民が怒るのは当然だと思う。
外国に通用する人材を育てて、その人材を東京あるいは外国に送り出すならば地元にいったいどんな恩恵があるというのか。なんのリターンもないのにどうして税金から私学に資金援助しなければならないのかと疑問を持つのも不思議はない。(県立ですけれども進学校だからエアコン代は自分達で出します・・?)
(これはローカルな話ですけれども)



「私立学校振興助成法」を施行し、文部省が自治体に私学助成を推奨したが、既存の私学は冷徹でシビアな面を持ち、勝算ない新設にはなかなか踏み切らなかった。
そこで次なる策が打たれた。
1991年、国(文部省)は大学設置基準を大幅に緩和したのである。
この時の首相は海部俊樹。早稲田大学卒で竹下登など早稲田大学出身者と親交が深かった。
初当選以来、三木派に所属し、三木武夫の秘蔵っ子として知られていた。
代表的な文教族であり、福田赳夫内閣と第2次中曽根内閣で2度文部大臣を務めている。
リクルート事件で有力政治家が謹慎している中で、極端な世代交代を避けたかった竹下が、「時計の針を進めず、戻さず」として年齢の割に当選回数があり、かつ同じ稲門会(早稲田大学)として近い関係にあった海部を首相にする構想を打ち出したことから、思いがけず総理総裁の座が転がり込んできた(派閥の長である河本敏夫も総裁候補の一人だったが、高齢などのため見送られ、河本は海部を支える姿勢を明確にした)。



大学設置基準の大綱化
日本で1991年(平成3年)におこなわれた大学設置基準等の改正を指す。これにより文部省の大学に対する規制が緩和された。

文部省が大学の設置を認可する際の基準である大学設置基準では、大綱化以前は、「学部の種類は、文学、法学、経済学、商学、理学、医学、歯学、工学及び農学の各学部、その他学部として適当な規模内容があるとみとめられるものとする」と規定され、旧制大学の学部名称が基本とされていたほか、カリキュラムについても、一般教育科目、外国語科目、保健体育科目及び専門教育科目の区別を定め、それぞれについて、卒業に必要な単位数(一般教育科目36単位、外国語科目8単位、保健体育科目4単位、専門教育科目76単位の、計124単位。)を定めていた。

また、学士の名称については、学部名に応じて、文学士、理学士等29種類が定めており、それ以外の専攻の名称を名乗ることは認められていなかった。

しかし、大学進学率が向上し、高等教育の規模が拡大する中で、旧制大学を規範とする大学制度では、多様な社会のニーズに対応できなくなったことから、1984年(昭和59年)に設置された臨時教育審議会は、1986年(昭和61年)の第二次答申で、高等教育の個性化・多様化等を求める答申を出した。この後設置された大学審議会の答申を受けて、1989年(平成元年)の大学院設置基準の改正、1991年(平成3年)の学校教育法等の改正、同年の大学設置基準・学位規則の改正等が行われた。このうち、1991年の大学設置基準の改正により、大学に対する規制は大幅に緩和されることとなった。

大学設置基準の改正により、まず学部名称については、「学部は、専攻により教育研究の必要に応じ組織されるもの」とし、例示を廃止した。
また、カリキュラムについても、一般教育科目、外国語科目、保健体育科目及び専門教育科目の区別を廃止し、卒業に必要な単位数は124単位で変わらないものの、科目区分と単位数の設定は、カリキュラムにより、各大学が自由に設定できるようになった。
さらに、学士の名称が「学位」の一種に位置付けられる(学校教育法及び学位規則の改正による)とともに、名称も「○○学士」の表記から、「学士(○○学)」の表記に変更し、「○○学」の表記もカリキュラムにより大学が自由に設定できることとされた。

これ以降、国公私立大学を問わず、各大学で改革が行われることとなり、情報・環境・国際・地域・総合・政策等のキーワードを組み合わせた様々な名称の学際的な学部が新設、又は既存学部の改組により設置されることとなった。学部名称は、1979年の69種類から、現在では500種類以上に増加することとなった。これに伴い学位の名称も多様化し、700種類以上に増加した。

また、教育科目の区分の廃止に伴い、多くの大学で一般教育科目の削減が行われることとなり、一般教育科目・外国語科目・保健体育科目の教育を担当する教員が所属する「教養部」は改組されることとなった。結果として、新制大学設置の際、旧制大学に統合された旧制高等学校・旧制大学予科に由来する存在であった「教養部」は、国立大学においては東京医科歯科大学以外の全てが廃止された。

この他、授業評価や自己評価システムの導入なども含め、これ以降、日本の大学は大きな変革期に入ったが、これらの変化のきっかけについては「大綱化以降」と称される。













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# by yumimi61 | 2017-09-17 21:54
2017年 09月 17日
日本国憲法の秘密-557- (加計学園問題について)
日本で最初の学園都市構想は筑波(つくば)である。
中心となった学園は国立筑波大学である。
筑波大学の前身は東京教育大学で、その前身は東京師範学校。
明治初頭の1872年に文部省によって創立されており、東京大学の母体となった学校や慶應義塾大学の母体となった学校に次いで古い学校である。(東大以外の旧帝大や早稲田大学よりも古い)


筑波大学の母体となった東京教育大学の本部は文京区にあった。
文京区大塚に本部の他、教育学部・文学部・理学部が存在していた。
目黒区駒場に農学部、渋谷区幡ヶ谷に体育学部がそれぞれあった。
東京大学と東京教育大学という国立一期校(旧入試制度による区分)の本部はともに都心である文京区に存在していた。
都心における総合大学はそうでなくても手狭なのに、然程大きくない同じ区に似たような大学が2つ存在する。この2つの大学を離したいという理由が学園都市構想の裏には存在したと思われる。
そして茨城県筑波市に追い出される学校は東京大学ではなく東京教育大学のほうだった。


東京師範学校(東京教育大学・筑波大学の前身)学校創立のキーマンは森有礼(薩摩藩出身)であり、アメリカの影響を強く受けた学校だった。また森有礼と新島襄(群馬出身で同志社創立者)はアメリカで知り合い旧知の仲であった。
明治期は薩長閥が仕切っていた時代だが、東京大学は伊藤博文(長州藩)が設立しイギリスの影響を受け、一方の東京教育大学はアメリカの影響を受けた。
どうしても英米や薩長閥と一緒に括ってしまうが微妙に隔たりがあることも確か。そもそも薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)は犬猿の仲だった時代もある。(それを結びつけたのが土佐藩・高知)
この微妙な繋がりと隔たりは私大の慶応義塾大学(福沢諭吉)と早稲田大学(大隈重信)にも見られる。
早稲田大学と同志社大学には医学部がない。どちらも歴史ある古い学校であるにもかかわらず。
(早稲田理工出身の小保方STAP事件は早稲田大学の医学部認可蹴落としに一役買ったと見ることだって出来なくはない)


世界の科学技術に追いつき追い越すため、国際色豊かな街に、それが学園都市構想の表立った理由である。
1985年に筑波市で科学万博が開催されたことがそれを証明している。
筑波(つくば)市に集まるのは理系の研究機関や企業の研究所である。
また東京教育大学のほか1897年創立の国立東京外語国大学も移転させる案があった。言い方を変えると東京外語国大学も都内から追い出したかったということになる。

東京教育大学では教授学生ともに猛烈な反対運動が巻き起こった。
移転によって首都に存在するというブランド性と利便性を失う。
それだけでなく職場や学校が移転するということは家や家族など個人的な事情や経済的損失も伴う。
折しも学生運動の時代。超大学派による反対運動になったっておかしくはない。
また理系重視の学園都市構想であったため東京教育大学では文系の反対が大きかった。どうしたって文系の軽視に繋がるからである。

筑波学園都市構想は政府主導で行われたが、閣議決定された時の首相は池田勇人(広島県出身)。

●池田勇人(1899年生まれ)広島県出身 ・・吉田茂の舎弟
大蔵官僚を経て終戦後まもなく政界入りすると、吉田茂の右腕として頭角をあらわし、吉田内閣の外交・安全保障・経済政策に深く関与した。佐藤栄作と並ぶ「吉田学校」の筆頭格である。1960年に首相に就任した。


○永野重雄(1900年生まれ)広島県出身 
新日鉄会長、経済同友会創立者で会長。“戦後の財界のドン” 財界四天王の1人
全日空(ANA)の前身は朝日新聞航空部である。 会社設立に協力したのは永野重雄。若狭得治に「一切永野さんと美土路さんの手によって全日空が作られた」と言わしめるほど。
ショーン・アイゼンベルグを紹介されスクラップ工場設立に協力した。アイゼンベルグが結婚したのは永野の娘という説もある。
アイゼンベルグらはイギリスに麻薬貿易に貢献したサッスーン一族を殺して麻薬販売網を力ずくで奪い取った。

【財界四天王】・・・池田勇人内閣を表裏で支えた4名を指す。
小林中(富国生命保険相互会社元社長、日本開発銀行初代総裁、アラビア石油元社長)
水野成夫(経済同友会元幹事、産経新聞元社長、フジテレビ元社長)
永野重雄(日本商工会議所元会頭、富士製鐵元社長)
櫻田武(日経連元会長、日清紡績元社長)

○加計勉(1923年生まれ)広島県出身
池田勇人(1960-1964年首相)が中学の大先輩にあたり親交があった。
その関係で宮澤喜一(1991-1993年首相)の後援会長も務めていた。
1955年予備校・広島英数学館を設立。
1961年、岡山県岡山市半田山の山麓(現在の岡山市北区理大町)に学校法人「加計学園」を設立⇒岡山理科大学



筑波学園都市構想の真の狙いは表向き理由ではなかったと考えられる。
わざわざ新しく造る都市なのに、中心となる学園(筑波大学)の近くまで線路を引いて駅を置かなかったことがそれを証明している。



地図の紫マークが筑波大学。
広大なキャンパスでありキャンパス内でさえ徒歩移動は難しい!?
赤マークがつくばエクスプレスの終着駅「つくば」。

前川・前文科省事務次官は前川製作所の創業一族であると書いたが、実は前川製作所の守谷工場がつくばエクスプレス沿線にある。関東鉄道沿線でもある。緑マークのところ。
乗り換えるといろんな所に行ける良い場所にありますね。
常磐自動車のインターもかなりお近いですね。
まさか前川製作所だけのためにつくばエクスプレスや常磐自動車道を造ったのではないと思うけれど・・・
守谷工場が前川製作所のマザー牧場工場なんだそうだ。1970年操業。



愛媛県今治市の学園都市構想は筑波学園都市構想よりも遅く、こちらは県や市が主導となって進められていた。
しかしその構想には文部省が関わっていたと思われる。
なぜなら文部省は1980年代以降に自治体が土地を無償提供したり補助金を給付するなど資金援助をすることによって私立大学を誘致することを推奨していたからだ。


この文部省の推奨の根拠となる法は1976年に施行された「私立学校振興助成法」である。
国や地方公共団体が、学校を設置する私立の学校法人に対して、私立学校振興助成法施行令の定める基準に従って、あるいは国会の議決や地方議会の議決を経て、助成することが出来るようになったのだ。
但し助成を受ける学校法人は、文部科学大臣または都道府県知事に経営状況の報告を行うなど所定の監督に服さなければならない。
法律が制定された時の首相は三木武夫(徳島県出身)である。

森&安西&鈴木コンビが設立した昭和電工と東信電気。
森家は首相家(三木武夫)と姻戚関係にある。
安西家は皇后の実家や首相家(佐藤栄作)と姻戚関係を結んだ。

三木武夫は吉田茂の官僚政治を批判するも、吉田茂に非常に近く元官僚でもある岸信介や佐藤栄作のが政権誕生に力を貸していた。
三木は、吉田学校の生徒の1人に数えられる田中角栄が逮捕された時の首相である。
「私的参拝」と言って靖国参拝し物議を醸した。
そしてー
超法規措置としてテロ犯を釈放した首相でもある。


私学助成法に大きな問題がある。
国民という視点で語れば公立学校に通う子供も私立学校に通う子供も同じ国民であるが、私立の学校は経営者や出資者という個人の損益に直結している。
限られた個人の利益のために公費(庶民の税金)を投入することが妥当なのかという問題である。
「公」とは何か?「私」とは何か?
国立大学に関して言えばもはや国立ではなくて教職員も公務員ではないが、未だに「税金で学校に通わせてもらっていることを自覚しろ」とか「税金で高い給料もらっているくせに」とか言われたりすることがある。
その一方、私立学校に助成金が入っていることや私立学校教職員は年金なども待遇が良いことを知らなかったりする。
あるいは知っていても知らんぷりなのか。

公務員は民間企業に比べると給与の男女差が少なく、非常に安定して昇給する給与体系となっている(昔ほどではないと言うが)。
成果を上げずとも(実力主義ではなく年功序列が基本)大きな問題さえ起こさなければ給与は上がっていって高い退職金を手にして老後も安心。
なんだかんだ言っても公務員はなってしまえば美味しい職業だと言われる。(だから、あなたも公務員になれる!とか言って自衛隊員を募集したりもする)
民間企業に比べると女性が産休や育休を取りやすく(職場復帰しやすく)、定年まで働きやすい。
教員の場合は産休育休代替制度が古くから整っている。(教育委員会の地域機関である教育事務所が登録制にてピンチヒッターを請け負う人を確保していたりするから)。
こうしたことから公務員に厳しい目が向けられたり、非難の対象となったりすることは昔からあったこと。
公務員の教員が優遇されるならば、同じ仕事をしている私学の教員にも同じ待遇を!ということなのか知らないが、「公」と「私」の問題は「国家とはなにか」という問題にも通じる。

ともかく文部省は1980年以降積極的に「公」は「私」を援助しなさいと推奨していた。
その理由の1つとして挙げていたのが一極集中回避と地方活性であったが、それも表向きの理由に過ぎず、ただ単に限られた「私」の利益に貢献することが目的だったのだろうか。







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# by yumimi61 | 2017-09-17 13:46
2017年 09月 15日
日本国憲法の秘密-556- (森友・加計学園問題について)
森友学園問題は少し本気で調べれば分かりそうな不正が放っておかれ、籠池夫妻だけを詐欺容疑で逮捕するなんていう暴挙によって有耶無耶にしようとしている。

さて加計学園問題に戻ろう。

犬猫も家畜も減少傾向にあり、今後増加するとも思えず、獣医師の需要増は見込まれない。
国際的にも日本の獣医師数は家畜数に比べると多いという状況にある。
従って獣医師養成を目的とした獣医学部を新設する理由などどこにもない。


加計学園の獣医学部新設が計画されているのは四国の愛媛県である。
四国は畜産業(家畜飼養)が盛んな地域とは言えない。
では犬猫はどうだろうか。犬猫飼育数のトップ10は人口トップ10とほぼ同じであり、四国では愛媛が一番多くて全国26位。
もちろん学生は大学が所在する地域にのみ就職していくわけではない。
しかし大都市圏ならともかく地方に存在する大学ではやはり就職先も地方色が強くなる。
また実習を伴う学部は実習先・実習地を考慮しなければならない。
それを考えると四国の愛媛県に獣医学部を新設しなければならない理由は特段ない。

加えて残念ながら日本各地から学生を集めるのには大層不利な環境にある。

加計学園が獣医学部を新設する目的は、「創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究の推進」である。
昨今は研究や開発や新技術と言えば何でも許されると思っている。
採算性は度外視。狂っているとしか思えない。
どこから湯水のように資金が湧き出てくるのか?北朝鮮然り。


多様な実験動物を用いたライフサイエンス研究などと言うと、大変デリケートな問題にも発展するだろう哺乳類など大型動物を使った実験を想像して暗然たる気持ちになったりもする。

加戸守行・前愛媛県知事は「加計ありき」を否定していない。

「10年の後れを取り戻す大切な時期だと、そんな思いできょう、参上させていただいたわけでありまして、そのことがらはそんな意味での地方再生、東京一極集中ではなくて、地方も頑張るんで地方も国際的拠点になり得るんだよと。そういうもののモデルケースとして、愛媛県の、今治の夢を託している事業であって、『加計ありき』と言いますけど、12年前から声をかけてくれたのは加計学園だけであります。
 私の方からも東京の有力な私学に声をかけました。来ていただけませんかと。けんもほろろでした。
結局、愛媛県にとっては12年間加計ありきでまいりました。いまさら、1、2年の間で加計ありきではないのです。それは愛媛県の思いがこの加計学園の獣医学部に詰まっているからでもあります」


12年も前(2005年)から安倍首相の友人である加計学園の理事長は獣医学部を設立を考えていた。
12年も前どころか、愛媛県と今治市が大学誘致(学園都市構想)を目指し始めたのは42年前の1975年のことである。
1983年には建設予定地の土地造成し、以後大学誘致目的でお金を積み立ててきたという。

学園都市構想というとまず筑波(つくば)市を思い出すが、筑波の学園都市構想は1950~1960年代に始まった。
筑波は果たして学園都市として成功したんでしょうか?あまりそんなイメージはないですが。
筑波の良さは電車1本(つくばエクスプレス)で1時間以内で都内と繋がること。止まる駅が少なく電車がスピードを出す。初めて乗った時はスピードに伴う(?)何とも言えない(あえて言うならば分解してしまうのではないかと思うような)独特の電車の振動に心底恐怖を感じたくらい。
駅から大学は歩いて行ける距離ではなく大変不便。駅から離れた研究施設なども同じく。学生ならともかくややくたびれた出張サラリーマンが人気の少ない通りのバス停で佇んでいる姿を見るとこれも何とも言えない気持ちになる。
ただつくばエクスプレスの駅周辺など沿線はそれなりに開けて恩恵を受けたと思われる。
学園都市としての恩恵なのか、つくばエクスプレスの恩恵なのか・・。
日本の国章と筑波大学の校章と瑞穂の国小学校(森友学園)の校章はそっくりである。

筑波学園都市構想の中心となったのは国立で伝統ある筑波大学であり、国家主導で進められた構想である。
愛媛県今治市の学園都市構想は筑波学園都市構想よりも遅く、こちらは県や市が主導となって進められていた。
しかしその構想には文部省が関わっていたと思われる。
なぜなら文部省は1980年代以降に自治体が土地を無償提供したり補助金を給付するなど資金援助をすることによって私立大学を誘致することを推奨していたからだ。
愛媛県と今治市はまさに文部省の推奨どおりのことをしたに過ぎない。
この時代の愛媛県の学園都市構想にどれほど関わったのか、あるいは全く関わっていないのかは不明であるが、加戸・前愛媛県知事は愛媛県出身である。1980年代には文部省の官僚であった。そして前川・前文科省事務次官は部下だったそう。
文部省・文科省の組織体系が分からないけれど、上司部下という関係はどれくらいの密度なんでしょうか?
あといつの時代の上司部下関係なんでしょうか?

加戸・前愛媛県知事は文部官僚1970~1980年代に文化庁でお仕事されていたような職歴記述も見られるのだが、私は文化庁にあまりよいイメージを持っていない。
何故かと言うと、心理学者の河合隼雄が文化庁長官になり、文部科学省が全国の小中学校に配布した道徳の副教材『こころのノート』の編集に携わっていたから。
河合隼雄には経歴詐称などあまり良くない噂があった。

以前、河合隼雄は高校教師の在職中に夜間大学院に通っていたと書いたが、どうも夜間ではなくて昼間の大学院らしいという情報もある。

臨床心理学者・河合隼雄の異常性
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/760.html

なにしろ、河合は自分の経歴を隠そうとしているので、はっきりしない点があるのだ。河合が京大教授だったことを知っている人は多いだろうが、天理高校教諭やその在職中の大学院通学や天理大学教授だったことはあまり知られていないだろう。ただ、在職しながら大学院に通学していたことは確かである。高校(奈良の天理高校)教諭の身分を保ちながら昼間の大学院にも籍を置けるものかどうか分からないのだけれども(物理的に果たして可能なのだろうか)、こちらの情報(昼の大学院)のほうが正しいとすれば、河合は尚更悪いということになる。天理高校には15年間も在職していたらしい。その在職中に大学院に行きたくなったようだ。おそらく、「本校天理高校の生徒指導に役立てたいので、大学院に行かせてほしい」と申し出たのだろう。そうして、大学院を修了するや、その年のうちに天理高校を退職している。これは詐欺だ。天理高校では、河合が大学院通学中には、担任・校務分掌・学年関係の仕事や授業時間で配慮していたわけだから。
河合がカウンセラー・臨床心理学者になることができ、こんにちの河合があるのも、天理高校在職中に大学院に通学していたからである。いわば河合のアイデンティティの根本には、大学院通学に際しての天理高校の配慮がある。ところが、河合は自己の経歴から天理教関連の学校を排除したがっているように見える。天理教は、河合にとって恩人といってもよいにもかかわらず。
このように倫理観の欠如している者が中教審の委員になって国の教育行政にタッチし、果ては「心のノート」などという道徳の教科書に類するようなものを作成するのは問題ではないだろうか。これこそ偽善というべきだろう。


河合隼雄は兵庫県出身。天理高校や天理大学が奈良県天理市にある。晩年も奈良県天理市で暮らしていたようだ。
この河合隼雄に、傍から見る異常なほどまでにと言いたくなるくらい傾倒していたのが兵庫県出身の村上春樹だった。
私は心理学者への傾倒に嫌悪感すら感じるという記事を書いたことがある
その記事で臨床心理士についても触れている。
一般の方はご存知ないかもしれませんが、臨床心理士という職種は現在でも国家資格ではありません。
国家資格化しようとの動きもありますが、今のことろ、文部科学省認可の財団法人が認定する民間資格です。(そこがよかったのかしら?)
(まぁそれに国家資格があればいいってものでもないですけれどね)


民間資格なのに自衛隊では何故か給与が他よりも良いという待遇だった・・・。
実はその後、2015年9月16日に公布された公認心理師法に基づく国家資格「公認心理士」が誕生した。
公認心理師法は、文部科学省と厚生労働省の両省が管轄している(共管)。

2014年4月にもSTAP小保方関連で書いた。
小保方晴子さんのお母さんと言われている方が小保方稔子さん。
お茶の水女子大学大学院にて修士号を取得。臨床心理士の資格(民間資格)もお持ちのようだ。
以前に慶應義塾大学からお茶の水大学大学院に進学と書いたが、それはお姉さんだったようで、お母さんの出身大学は不明。
現在は帝京平成大学健康メディカル学部教授および大学院健康科学研究科教授。
こちらの大学は教授要件に博士の学位は必要ないようだ。
帝京平成大学は帝京大学グループ内にある。
帝京大学が国会議員に献金していたという話はこちらに。(亀井氏は元警察官僚。徳洲会創設者の息子・徳田毅の媒酌人もした)

ともかく「心理学」が身近な一族であるようだ。

繰り返しになるが、心理学と言えば、村上春樹さん(早稲田大学)が崇拝した河合隼雄(京都大学)なのである。
河合さんは2002年に文部科学省文化庁長官に就任した。
「心のノート」なるものを教育現場に導入したのが河合長官であった。
その他にも「関西元気文化圏」「九州・沖縄から文化力」といった構想を持っていた。
自身が兵庫県出身だったせいか西の地域により愛着を感じていたようだ。
そういえば村上春樹さんも兵庫県神戸市の出身だった。同郷のよしみもあるのだろうか。

今回の騒動を河合・村上両氏に関連する下記観点で見てみた。(オウム真理教との関連は本の出版。その本の出版社が講談社。村上『ノルウェイの森』も講談社で、河合も講談社からの出版がある)

●河合隼雄・村上春樹
兵庫県、心理学、京都大学、早稲田大学、オウム真理教、講談社、、、

【兵庫県関連】理研CDB、野依理事長、豊田亨(元オウム真理教の科学技術省次官で地下鉄サリン実行犯)、神戸製鋼(元オウム真理教の科学技術省大臣・村井秀夫)、阪神大震災、人工地震(オウム真理教の主張)
【心理学関連】文部科学省文化庁、小保方稔子、小保方晶子
【京都大学関連】山中教授、野依理事長、笹井副センター長、青山吉伸(元オウム真理教の弁護士)
【早稲田大学関連】上祐史浩(元オウム真理教の外報部長)、TWIns、小保方晴子
【講談社関連】小保方晴子(講談社が絵本宣伝に名前を使用)、音羽グループ、光文社(『検死秘録』『葉隠入門』『週刊宝石(獄中ラブレター)』)、小保方宇三郎(元光文社社長・群馬県出身)、野間佐知子(元講談社社長・2011年3月に逝去)


帝京平成大学は帝京大学グループと書いたが、帝京大学は2011年に公衆衛生の学位を出せる大学となっている。
国立大学から唐突の私立大学といった感じであった。
帝京大学もあまり良い噂を聞かない。

公衆衛生大学院設置大学も前回書いた時よりも増えている。
(前回は帝京大学までだった)

2000年度開校
##京都大学(大学院医学研究科社会健康医学系専攻)

2001年度開校
##九州大学(医学系学府医療経営・管理学専攻)

2007年度開校
##東京大学(大学院医学系研究科公共健康医学専攻)
##大阪大学(大学院医学系研究科医科学修士社会人コース)

2008年度開校
##長崎大学(大学院国際健康開発研究科・国際健康開発専攻)
##筑波大学(大学院人間総合科学研究科・フロンティア医科学専攻)

2011年度開校
##帝京大学(大学院公衆衛生学研究科)

2014年度開校
##岡山大学(大学院医歯薬学総合研究科・医歯科学専攻)

2015年度開校
##東北大学(大学院医学系研究科・公衆衛生学専攻)
##広島大学(大学院医歯薬保健学研究科・医歯科学専攻)
##慶應義塾大学(大学院健康マネジメント研究科・公衆衛生プログラム



















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# by yumimi61 | 2017-09-15 23:32
2017年 09月 15日
日本国憲法の秘密-556- (森友・加計学園問題について)
有価証券の種類の中には債権証券と社員証券がある。
手形、小切手、国債、地方債、社債などは債権証券である。
商品券や図書券も債権証券に含まれる。
つまりお金や物に換えることが出来る券のこと。
これらの券を持っている人は誰かに「貸し」があるということなのだ。
これらの券を発行した人は誰かに「借り」があるということである。
貸した人が誰であるかは特定されていない。券の所有者が変わっても構わない。要するに券の売買が可能である。
また返済に関してのルールはややルーズであり、貸した人が返してほしいというアクションを起こさなければそのままとなってしまうし、期限内に換金しなければ無効となってしまうものもある。

すでに何度も述べてきたが、紙幣は債券である。
日本銀行券という債券を発行した日本銀行は「借り」を保有している。日銀の借金の証が紙幣である。
日本銀行の借りたいものが何かと言えば本当はゴールド(金)なのだ。
ゴールドという普遍な価値の後ろ盾があるからこそ国債も成り立つ。
債券と債券を交換し合ったって意味がない。普遍的な価値が欲しい。
価値が同じものでは保証(安心材料)にはならない。この場合の価値とは価格のことではなく種類のことである。
だからこそ土地は優良な担保となり得る。

 ゴールド⇔日本銀行債券(紙幣)⇔国債証券
 
しかし現代ではゴールドの部分が抜けている。だからおかしなことになる。
最近ではこれも崩れているようだが、かつて日本銀行は国債を買うために紙幣を発行すると言われてきた。

 日本銀行債券(紙幣)⇔国債証券

債券と債券だけの交換では意味がない。
日本銀行が普遍的な価値を持っていなければ保証や後ろ盾にならない。
ゴールドに代わり日本銀行が借りたい普遍的な価値とは何か。ひょっとして土地なのか?
 
 国土⇔日本銀行債券(紙幣)⇔国債証券

国債も債券である。国は日本銀行債券(紙幣)を借りた。
貸したという証の国債証券を持っている人に対して時期が来たら日本銀行債券(紙幣)を返済しなければならない。
日本銀行が国債を持っているならば、国は日本銀行にだって返す必要がある。
しかし一方日本銀行は自行で発券した債券の返済を行わない。
貸した金は返してもらって、借りた金を返さなければ、日本銀行だけが膨らんでいく。
もっとも上に書いたように日本銀行が借りているのは金ではなくて土地かもしれない。

貸したものを返してくれと言われたら発行者は応じなければならない。
紙幣の場合、本当は同等のゴールドが返されるべきなのだが、そんなにゴールドがないので「紙幣と同等の物品をお返しします」というルールになっている。
だけど日本銀行は物品なんか作っていない。日本銀行の借りを返しているのは日本銀行ではなく国民なのだ。
日本銀行の借りが堂々巡りしているだけなのだ。
日本の国土は誰のもの?確か国民に主権がありましたよね?
日本国民は国土を日本銀行に貸していて、日本銀行の代わりにあくせく働いて物品を返済しているのも日本国民、そういうことになるのでないか。


企業が発行する債券は債権証券であるが、株券は社員証券である。
財貨を支払ってもらう権利の証が債権証券であるが、社員証券は社員の証に過ぎない。
この場合の社員は従業員ではなく、従業員の証の社員証のことでもない。
従業員とは従う者であるが、社員は社に対して意見したり主張する権利を持つ同等な立場にある。
その代わり、株券と引き換えに出したお金は戻ってはこない。
「社に対して意見したり主張する権利」や「儲かった時に分け前をもらう権利」を買ったと考えるべきものである。
株券に限らず出資とはそういう類のものである。
会社は資金に余裕が出来たとしても出資金を勝手に株主など出資者に返してはならない。
何故かと言えば、会社は出資金をベースに成り立っているからである。
いわば出資金が普遍的な価値なのだ。
その保証があるからこそ金融機関や他の会社から取引に応じてもらえる。
お金が無いからお金を出してもらうという借金の側面があることも確かだが、自己資金と出資の大きな違いは実はここにある。
自己資金と出資金は同じお金でも種類が異なり、出資金は保証に成り得るということ。
大きな仕事をしようと思ったり、大きなお金を動かそうと思ったら、やはり保証は大事。
小銭だったら誰にでも簡単に貸せるけれども、大金だったらそう易々と誰にでも貸せない、それと同じこと。
株式会社にはそういう意味合いがある。
前にも書いたと思うけれど、外国ではクレジットカードが身分を保証したりする。
いつも自己資金で生活しているほうが良いだろうと思うかもしれないが、カードで購入したりローンをしたことがない(借りを返さないのはもちろんダメだけれど)なんていう人は信用されなかったりするのだ。

以上のように融資と出資は違う。融資は返還義務があるが出資にはない。
だけど出資者は債権以外の一定の権利を持っており、これが他者に対して保証の側面を持っている。
保証があるからこそお金を出してもらった人は他の人から取引に応じて貰える。
寄付や給付にも返還義務がないが、こちらはお金を出した人の権利は特にない。つまり他者に対する保証にはならない。
(返還型奨学金と給付型奨学金はこの部分を考える必要があるだろう)

融資
お金を貸す(融資する)のは主に銀行。
お金を借りるのは大小さまざまな企業であり個人。
借りる者に対して銀行による厳しい審査がある。
但し銀行のお金というのは元を正せば誰かから預かっているお金。
預けてもらって貸し出すのだから銀行は最初から自転車操業している。

債券
お金を貸すのは個人や企業。
お金を借りる(債券を発行する)のは国や地方自治体や企業など。
借りる者(発行する者)に対して銀行や証券会社による引き受け審査がある。

銀行での資金調達
1年以内の短期資金- 割引手形、手形貸付、当座貸越
1年以上の長期資金-証書貸付、支払承諾
※長期資金のほうが審査が厳しい。一般的に融資といっているのは証書貸付(担保をとっての契約書よる融資)である。

※支払承諾は銀行が保証料を取って支払いを保証するものである。審査はさらに厳しいはず。
例えば森友学園の学校建設が藤原工業に発注された。藤原工業は請け負いたいのはやまやまだが、金額も大きいし森友学園の財務状況や支払い能力にやや不安を感じている。そんな時に銀行が森友学園の保証人になってやるということである。契約は銀行と森友学園の間で交わされる。この時に限度額(保証額)が設定されると思う。森友学園は銀行に保証料(保証額の0.2~0.5%程度が相場らしい)を支払う。
万が一支払いが滞った時には森友学園に代わって銀行が藤原工業に支払わなければならない。そんなことが実際あったら銀行は儲からないから支払いはまずないという前提に立ったものであろう。普通に考えたって明らかに怪しく危険な人の保証人にはなりませんよね?



日本銀行にお金を預けるとお金を徴取します。徴取されたくなかったら市中銀行はもっと国民にお金を貸し付けなさいというのがマイナス金利。
市中銀行は国民の親兄弟や親戚なわけではなくビジネスである。
何の保証もなくホイホイと貸し付けるわけにはいかない。金額が大きくなればなるほど尚更の事。
大金を長期で貸す時には、本当に返してもらえるんだろうかと審査し吟味し、金利を乗せ、さらには抵当権を設定した後に貸す。
どうしてか?それは他者のお金を預かっているからだ。そしてそれは銀行の存続にも直結することである。
貸したお金が返ってこないことで銀行がつぶれることもあるし、そうでなくても返せない人にバンバンお金を貸している銀行では信用が落ちる。
信用が落ちるということはお金を預けたくなくなるということだ。
金融機関は銀行以外にもあるが、銀行の一番の強みは信用であろう。
普遍的な価値に近いところにいるのが銀行であり、銀行の信用を支えているのは厳しい審査であったりもする。
要するに銀行は厳しい審査を簡単に手放すわけにはいかない。
厳しい審査を手放せば預金者が減る。
この世の中に審査を通る人が減れば必然的に銀行の融資だって減る。
また抵当権設定なしに大口の融資に応えるわけにいかない。
だけど抵当権が設定できる物件は次から次へと溢れ出てくるわけではない。(日本の)土地は基本増えないのだ。
2番手3番手での抵当権設定では心許ない。
こうなれば貸したくても貸せない。貸す相手がいないということになる。企業の資金調達方法は銀行の融資だけでなく株式や社債で増資することも可能である。
日本銀行がマイナス金利にして貸し出しを増やせと言っても増やせる環境になければ市中銀行は貸し出せない。市中銀行につぶれろと言っているようなものである。
それに金利を下げて物価が上がるわけもないと思うけれど。












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# by yumimi61 | 2017-09-15 11:45
2017年 09月 13日
912
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1988912 その夜きみは
15歳になって
築き上げたものが あっけなく崩れていくのを その目に焼き付けて
上手く歩けない日も 早く走れない日も あったけど
それでも一歩ずつ また一歩ずつ きみは
きみは

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# by yumimi61 | 2017-09-13 00:18
2017年 09月 12日
日本国憲法の秘密-555- (森友・加計学園問題について)
前記事に「最初に(森友学園は)土地9.5億、校舎7.5億と計画していた」と推測し、抵当権との関係から3つの契約書があった理由を考えたが、ひとつ大きな問題がある。
森友学園は当初土地を定期借地契約にしていたことである。
この契約で工事に着手し、基礎工事の段階で埋設物が見つかって、売買契約に切り替えた。
学校を借地に建設することは禁じられているらしく、そうだとすれば本来認可は下りない案件である。
だからこそ、土地を10年以内に買い取るという条件を付けたのではないだろうか。
この条件契約が合法なのかどうか、誰にでも適用されるものかどうかは分からないが、少なくともこの条件がなければ出来ない契約だったのだろうという推測は立つ。

(9月10日の記事にも転載した朝日デジタルの報道)
国有地は国土交通省大阪航空局が管理していた8770平方メートル。財務局は2013年に売却先を公募し、森友学園が小学校用地として取得を要望。学園が10年以内に買い取るとした定期借地契約が15年5月に結ばれたが、基礎工事の掘削中に「地下に埋設物が見つかった」と連絡してきた学園と財務局との間で、16年6月に売買契約が結ばれた。

人から借りた土地を抵当に入れるわけいかない。そんなことがまかり通るわけがない。だから森友学園は小学校用地を担保に融資してもらうことはできない。
建物を抵当に入れるには完成していなければならないため、こちらもすぐに融資(振込み)してもらうことはできない。
ということで、森友学園は小学校の建設工事の代金を完成まで自分で用意しなければならない。(他の所有不動産を抵当に入れて融資してもらった形跡は登記事項で分かる)(自分で用意と書いたが建設費の融資が銀行の審査を通っていればつなぎ融資なども銀行が指南してくれると思う)


最初に計画していた建設費7.5億円を3回に分ければ1回は2.5億円。(とはいっても必ず3回と決まっているわけではない。それは契約による)
着手2.5億円と中間2.5億円で5億円である。
5億というのは藤原工業の「5億しか支払ってもらってない」という主張に一致する。
この主張が正しければ森友学園が少なくとも5億円を自力で用意したと考えられる。
5億しか支払われなかったのは、完成間近となったが工事が行われなくなったので最後の2.5億円の支払いを森友学園が拒否したか、支払いが行われなかったので工事をストップしたかのどちらか。
最終段階なので建物を早めに引き渡してもらって登記すれば融資が実行されるから、ここまできて急に支払いに困窮するというのは腑に落ちない。
土地売買契約後は土地を担保に融資してもらうことが可能になるので業者への支払いは却って余裕がでる。
もっともその前の5億円をどうやって調達したかにもよるが。 


最初の契約が15億円説もある。
これを3回に分ければ1回の支払いが5億円。
着手時の5億円しか支払ってもらっていないということになる。
しかし中間支払いがなければその先の工事は普通は進めないはずである。
藤原工業がまともなら校舎が完成間近だったということがおかしくなってしまう。


契約が7.5億円で、藤原工業も7.5億円で工事を進めたとする。(それが正解だとする)
そうとなると、23億円の契約が正しいと証言したキアラ建築研究機関が嘘を付いていることになる。
15億円で契約して実際には21億円かかったと証言した藤原工業も嘘を付いていることになる。



国と森友学園の土地契約が定期借地契約だったということにはさらなる問題がある。
定期借地契約の定期とは「期限が定められている(有限)」という意味である。
定期の付かない借地契約では、期限を定め満了したとしても自動的に更新されてしまう。
借り賃の支払いが滞っていたり、よほど問題のある使い方をしていない限り、貸主は「もう退去して」というアクションを起こしにくい。
問題があって退去を要求したとしても素直に応じてくれるとも限らない。
強制撤去するなんてことはかなりハードルが高くなる。
ずるずるとした関係では貸主の立場は強いようで弱くなってしまうのだ。(金払えば文句ないんだろう!的に凄まれたりして・・?)
そういうトラブルを避けようと思えば地主は最初から土地を貸すのを避ける。そうなると優良な土地の有効利用が出来ない。
断っても貸せ貸せと迫られるかもしれない。
ということで、国によって定期借地権という制度が導入された。
契約期間を終了したら借主は貸主に土地を返されなければならないと法的に定めたものである。更新はない。

定期借地で学校運営するということは、100年も200年もその場所で子供達を育て子供達を送り出そうと考えてはいないということになる。
校舎建設に何億円もかけても、壊すことが予定されているということになる。
学校経営は校舎を作ったり壊したり、新たな場所に移したりできるほど利益のあがる商売なのか。
または理念的にも不味いだろう。瑞穂の国が笑う。
「すぐには買えないけれどいずれ土地を買うから」と言うしかない。
貸す側も同じである。学校を建てると言っている人に土地を貸すわけにはいかないのだ。


法的に定められた定期借地契約(定期借地権)には3種類ある。

1.一般定期借地権
一般の人が借地に家を新築するための制度。
期間は50年以上で契約される。
期間満了後は更地(建築物のない土地)で返却する必要がある。
借主が貸主に建物を買い取る要求をするのも禁じられている。
契約は文書にする必要がある。(口約束は無効)

2.建物譲渡特約付借地権
期間は30年以上で契約される。
期間満了後に建物ごと返却する制度。
土地借主は自分が建てた建物を契約満了時の相当の価格によって土地貸主に譲渡するという特約が付いているということ。
契約は文書である必要はない。(それは期間を経ると多くの場合、建物の価値は下がるため。また壊すにも費用がかなりかかるので建物持主にとってもすでに建物の価値は低くなっている)
トラブルを避けたければ文書にしておくのが無難。

3.事業用借地権
借地に建てられる建物は事業用の建物に限られる。個人のマイホームではダメ。
期間は10年以上20年以下で契約される。
この期間で撤退(退去)しなければならないということなので、短期間で収益が見込める事業が適している。
契約は公正証書で作成する必要がある。


国と森友学園が交わした10年以内に買い取るという条件での定期借地契約は上記の定期借地権に当てはまらない。
国有地は別に何か特別な取り決めがあるのだろうか?
もし無いとするならば最初の契約からして違法ではないのか。
事業が学校という性質上、本当ならば期限を切っていない借地契約のほうが良いが、学校建設は借地では不可という縛りがあるためやむを得ず買取条件での定期借地契約を利用したのではなかろうか。
つまり正当な契約でないことを最初から分かっていた。

買取前提の借地契約は実質的に支払猶予なのでは。
最初から売買契約ならば問題なかったものをあえて法を犯すようなことをしているのだから。
それは森友学園に便宜を図ったということに他ならないであろう。
こうなると埋設物があったという話も俄然怪しくなる。
土地価格の値引きを正当化させるための作り話。
でもあまりに値引き額が大きかったため怪しまれることになった。
なぜそんな怪しまれそうな値引き額を付けたかと言えば、やはり土地の抵当権設定だけで土地建物の金額を融資させるためだったのではないだろうか。
それが何を意味するかと言うと、森友学園は普通に銀行に融資を掛け合ったら審査に通らないということだろうと思う。要するに森友学園は建物建設の工事費を調達できない状況にあった。
だから土地を抵当に工事費も捻出させてあげた。

土地の価値(抵当権)のほうが建物より確実とはいえ、審査に通る状況ではない法人に対して土地代金を融資する銀行があるかどうか。
しかも背徳な取引がチラついている。
銀行がリスク回避すれば融資は叶わない。
そうなれば「鶴の一言」、権力者同士の手打ちが必要であろう。
何と言っても億単位の決済だから。
で、銀行はどこ?りそな?











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# by yumimi61 | 2017-09-12 12:31
2017年 09月 11日
日本国憲法の秘密-554- (森友・加計学園問題について)
国立公衆衛生院で学位を出していたが、国民に開かれた学院ではなかったので完全紹介制の一見さんお断りシステムなんだろうかと疑問を呈した。
森友学園の小学校の設計業者は京都のキアラ建築研究機関だそうだが、日本の観光地の代表のような京都は景観に煩いことも有名。
言い方を変えると、中味(現実の生活に即しているとか合理性や効率性、安全性など)よりも箱が大事。イメージの維持が重要。
神社仏閣とともに京都のイメージを形作っている祇園であるが、祇園と言えば花街。祇園と言えば舞妓・芸妓。
舞妓・芸妓のルーツは祇園社(八坂神社)に参拝する人をもてなす水茶屋の茶立女にある。
ちょっと昔風に言えば茶屋、甘味処、近代風に言えば喫茶店、今風に言えばカフェ。
そうしたお店で働く店員は、お店で歌を歌ったり踊ったり、三味線(ギターでもピアノでも良いけれど)弾いたりは致しません!(いい迷惑です。ねぇ?)
ギターやアコーディオン持参で「酒場」などを回り、客のリクエストに応じて演奏したり歌ったりするのは流しと呼ばれる方々です。

京都の花街で舞妓や芸妓がいるお店もお茶屋と言う。
こうしたお店は一見さんお断りで、馴染みの方の紹介がなければお店に入ることも出来ない。
つまり開かれていない。その開かれていなさを格式だとか言ってしまえばそれまでだが、一般に開かれていない場所なのだから「いったい中で何をやっているのか」と思われても仕方ない。
昔は舞妓というのは年端もいかない幼い女の子(処女)が入門して、旦那さん(夫ではなくパトロン)が付く際に性行為をすることが慣わしだった。それを水揚げと言った。
現代ではそういう風習は残っていないと言われていて、うっかり関東の人間がそんなことを言おうものなら猛反論されて「遊郭や花魁(娼婦)とは違う!」とかなんとか言われるだろうと思う。
でも京都にそういう歴史があったことは誰も否定していない。
歴史を重んじる京都での歴史・・・。
外国人には遊郭も祇園も花魁も舞妓も芸妓も芸者も細かい区別なんかつかない。まごまごすれば娼婦(売春婦)や慰安婦だって同じになっている。そのうちコスプレイヤーだって同類になるかもしれない。「コスプレ」だからいいものの「コスチュームプレイ」とか言うと怪しさが漂ってくる。

舞妓というのは近代のアイドルのような存在で、男を感じさせない初々しさが売りで色恋はご法度だった。
そうして何も知らない少女に大人のイロハを仕込んでいくわけである。
その醍醐味というかなんというか?
高く売るための「恋よりも芸」である。
昔は口減らしや借金のかたに祇園や遊郭へ少女が身売りされたことがあった。子を身売りしたのは親や親戚などだった。 一種の人身売買である。
近現代のアイドルというか芸能人というかタレントというかグラドルというか(このあたりの区別も明確ではありませんよね)だって、枕営業があるという噂は後を絶たない。
舞妓や芸妓が枕営業しないなんて言っても説得力がない。
そういうところにお偉いさんが足しげく通うのは問題ないのだろうか?

なんでこんな話をしたかと言うと、森友学園の小学校の外観が京都の祇園の「一力亭」に似ていたから。
祇園商店街のお店 一力亭


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法務局で登記事項証明書をとると登記してある内容が分かる。
他人の所有する不動産であっても住所(地番)が分かれば調べられる。
どこの法務局でもいいし身分証なども別にいらない。若干(数百円)お金がかかるだけ。
また法務局に出向かなくてもインターネットで登記事項を得ることもできる。
不動産の情報は丸見えで、借金なんていう個人情報もオープンになっているということなのだ。
本来は他人の借金を覗き見るのが目的ではないと思うが、不動産を抵当に融資する人にとっては大事な情報である。

上の見本は登記事項証明書の下半分。
権利部(乙区)と書いてあるところが抵当権設定で、どこから幾ら借りているか、利息はいかほどかなどの情報が記されている。
その下の共同担保目録というのは、セットになっている抵当(担保)。
例えばA銀行から3000万円の融資をしてもらうのに、土地と建物の両方を抵当に入れた場合にはここにその両方が記される。
一般庶民の新築住宅ローンの抵当では土地建物セットが多いが、抵当は住宅ローンだけとは限らず、建物と他の建物、この土地とあの土地という組み合わせもある。


マスメディアの方々はまず森友学園や籠池夫妻が使用している土地建物の登記事項を調べてみるべき。(普通に考えればそんなことはすでに行っていると思うが、それについての情報が出てこない)
建設業者である藤原工業が売却についての署名活動をしていたところをみると、小学校建物はまだ引渡しや登記がされていない状態かもしれないが、土地はすでに売買されたのだから登記(移転)されているはず。未だ国有地ではおかしい。
9億5600万円の土地が値引きされて1億3400万円になったということだけれども、1億でも大金は大金である。森友学園(籠池理事長)が支払ったはずのその資金は融資によるものだったのか否か。
この土地に抵当権が設定されているのか、森友学園の他の不動産や自宅はどうなのか。
もし融資ならば債権者は誰なのか。
とりあえずそれを調べるだけでも価値があるのではないかと思う。


上記の登記事項証明書の抵当権設定に記されている債権額というのが最初の借入額であり、返済が進んで残高が減っていってもこの額の記述は変わらない。(利息から計算すれば残額は分かる)
利息の下に記載されている損害金は返済が遅れた時に上乗せされる額である。
一般住宅を新築するため土地建物を購入する時は(土地の購入と建設がほぼ同時期に行われる時には)、土地を売った人と建物を建設する人が違っても、融資してくれる銀行などが調整して一緒に手続きをしてくれるので、業者への支払いが急に出来なくなるというようなことは考えにくいし、抵当権の設定は上記のように土地建物共同であることが多い。

なぜ森友学園は藤原工業に5億しか支払っていないのだろうか?
なぜ藤原工業は5億しか受け取らずに21億かかる工事を進めて行ったのだろうか。
なんだかとてもおかしい、怪しい。


抵当には根抵当権という種類の抵当権もある。
根という字から何となく想像できると思うが、どっしりと根を張ってしまい深い関係になってしまうのだ。
誰と深い関係になるかと言うと銀行である。
どういうことかと言うと、枠を決めてしまうのだ。
例えば銀行から1億融資してもらった。普通の抵当権では返済を続ければ残高が8000万円になったり5000万円になったりする時が来る。
根抵当権はならない。不動産担保に基づく枠だから1億のまま。
その代わり、減った2000万円だったり5000万円をまた融資してくれる。
融資限度額は借入額の1.2倍が設定されるので、実際はもう少し借入できる。
簡単に言えば銀行の抱え込みである。借りる側は穴が空いたところをまた融資で埋めるのだから自転車操業と言ってもいいだろう。
一度根抵当権をつけると銀行がなかなか外してくれない。「枠」は顧客確保という意味の枠でもあるのだ。
1つの銀行と深い関係になり融資残高が減らないから、この不動産を担保にして他の金融機関からお金を借りることは出来なくなる(審査に通らない)。


森友学園の小学校の土地は埋設物があったがため国が値引きしてくれて1億3400万円になった。
その埋設物のせいで土地の価値がかなり下がるようならばダメだが、そうでなければ土地の価値は元の売価9億5600万円に近いものであるはずである。
払った金額と価値の差額は8億1900万円。
もしも校舎建設費が大阪府に報告した7億5000万円が正しければ、土地を抵当に入れるだけで土地建物をカバーできる計算となる。
(一般的には融資される額は評価額よりも少し少な目、だから自己資金も必要)
建物は完成しないと抵当権設定できないけれども、土地はすぐに出来るので9億の融資にすぐに対応してもらえる。
森友学園(籠池理事長)は建設業者に8億円ほどすぐに支払える状況となる。
8億円を自己資金と考えて欲が出た(とする)。
最初に土地9.5億、校舎7.5億と計画していたが、土地が8億円も値引きされたので、その8億を校舎建設に回すことが出来る。15.5億。
藤原工業と森友学園が最初に契約したという額が15億だったと言われている。
23億の契約書もあったということだけれども15億に8億足すと23億である。
「建設費は8億円を足しておいて」という指示がこんがらがって、15億円と23億円が生じた。一番最初に予定していたのが7億。
そう考えると3つの契約書があったことも辻褄が合う。














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# by yumimi61 | 2017-09-11 14:46
2017年 09月 10日
日本国憲法の秘密-553- (森友・加計学園問題について)
不動産の現況と権利関係を登記簿に記録して公示するのが不動産登記である。
法務省の地方支分部局である法務局が不動産登記という制度によって土地や建物を管理している。
その制度に基づいて国がその不動産が誰のものであるかを証明してくれる。
だから調べようと思えば誰が所有者なのか分かる。
また抵当権が登記されていれば、その不動産を担保にして誰がお金を貸しているかも分かる。


土地は法的に無期限の価値を持つし(減価償却されない資産)、土地を作ったり壊したりということは基本的に出来ないので(埋立地は別)、建物に比べると所有者や価値が動き難く、同時に明確にしておく必要がある。
一方の建物は劣化するし、造ったり壊したりも可能。
価値の増減は土地以上に大きい。
そんな建物の新築時登記には「建物表題登記」と「所有権保存登記」と「抵当権設定登記」がある。
「建物表題登記」は建物を新築した際に行う登記。
この建物の所有者は誰々さんであるという表札みたいなもの。借地に建てた場合などには特に重要である。
「所有権保存登記」は所有権登記のなかった不動産に初めてされる所有権の登記のこと。
「抵当権設定登記」は住宅ローンなど融資を受ける際に行われるもの。

登記のない建物の所有者になった者は不動産登記法に基づいて「建物表題登記」や「所有権保存登記」をする必要がある。
但し実際には未登記の建物は数多く存在する。
未登記となる一番の理由は銀行を介していないこと。要するに融資(ローン)で建物を新築したのではなくて手持ち現金で建てた場合。
また母屋は登記されているが、母屋以外の建物(離れ)を後から建てた場合の離れや増築部分が未登記であることなども多い。
未登記ならば固定資産税が逃れられるかと言えば、そんなことはない。
固定資産税は登記の有無に関わらず課税される。税金徴収への執念は凄まじく(?)、ちゃんと見回って発見するので見逃されることはまずないとのことです。


融資を受ける場合には何か抵当に入れる必要がある。
例えば銀行から3000万円借りようと思ったら、同じ価格(価値)程度の不動産を抵当として差し出す。
差し出すと言っても自分の物でなくなるのは万一返済不能となった場合の事で、返済が行われていれば不動産を実際に差し出す必要はない。
抵当権という権利をお金を貸してくれた人に渡すだけのことである。
完済すれば抵当権は抹消できる。
銀行もビジネスなのでそんなに気前よくポンポンとお金を貸してくれはしない。審査の上で貸してくれることになっても何か抵当権を設定する。
通常庶民が住宅ローンで家を新築する場合には、新たに新築する家の土地建物に抵当権が設定される。


抵当権それ自体は契約書も登記も必要なくて、お互いの意思表示つまり口約束だけでも成立する。
だからこそと言おうか、だけれどもと言おうか、言った言わない論争でなんとか有耶無耶にしてしまおうなんて考えは甘い。
お金を借りるということはそれだけの覚悟を持って行うこと。お金を貸すということはそれだけのリスクを背負うということ。
同時にお金の貸し借りは信用第一であるということでもある。
しかしながら抵当権は複数の人が持っている可能性がある。
1つの不動産に1つの抵当権しか設定できないということではないのだ。
例えば、1つの家にA銀行、B銀行、C社、3つの抵当権が設定されることもある。家の所有者は3か所から借金をしているということ。
借金返済に行き詰まれば、3者が返せ返せ返せと言い、それぞれ抵当権を主張する。
債権者平等という原則があるので、本来お金を貸している人の権利は平等であるべきなのだ。
しかし1つの価値を3等分したら到底貸した金額は戻ってこない。
貸した側がなるべく損をしないためには2者よりも優先して返してもらわなければならない。
それが抵当権の登記によって可能になる。
優先順位は登記の早い順なので、お金を貸したのは先だったけれど登記を忘れていて先を越されてしまえば、もう1番にはなれない。
だから抵当権が設定されたらすぐさま登記する必要がある。
銀行など第三者からお金を借りるときには、こうして第三者側から登記が求められるので未登記であるということはまずない。
また一般的に考えればあまり価値のない物件に2番目3番目として融資することはないだろうと思う。
お金を貸した当時の評価額よりも相当高値で売れなければお金が戻ってくることは考えにくいからだ。


抵当権を設定したら登記をすぐに行う必要があると書いたが、建物を抵当に入れるのに建物が存在していなかったら意味がない。透明では何の価値もない。
つまり建物の登記は基本的に建物が完成したら出来るということになる。
では建築主に引き渡される前(建設途中)の建物の所有者が誰かと言えば建設業者である。
建設業者は工事が完了したら所有権を建築主に引き渡し、工事完了引渡証明書を発行する。(その後に残工事をすることはある)
所有権が建築主に引き渡されていないのに登記することは出来ない。
「所有権保存登記」と「抵当権設定登記」の間が開いてしまうと、抵当権の順番に先を越されてしまう可能性があるので、これは同時に行ったほうがよい。

ここで問題となるのが融資(振込み)時期と業者への支払いの関係。
3000万円の工事費を融資してもらうことが決定したが、実際にお金が振り込まれるのは建物が完成し建築主に引き渡されて登記後になるということである。
例えば建設業者への支払いが、着手1000万、中間1000万、完成(引き渡し時)1000万だとすれば、とりあえずその3000万円を自分で用立てる必要がある。
通常建設業者は支払いのない工事を進めたり、支払いのない建築主に所有権の引き渡しを行ったりはしないから建築主はその工面が絶対必要となる。
とりあえず手持ちのお金を融通しておくか、実際に振込みが行われるまで他の所から借りるか(つなぎ融資)。
とりあえずの短期だからと説得して親兄弟や知人に無利子で借りるという手段もあろう。
工事期間が長ければ長いほど融通しづらくなるし、ビジネスで借りれば金利がかさんでくる。
建設業者との交渉で最終段階の引き渡し時期などは多少融通がきくこともある。



森友学園の問題は国有地が安く払い下げられたということから始まったはずだ。
土地評価額は9億5600万円。
森友学園は地下のごみ撤去費など(8億1900万円)が差し引かれた約1億3400万円で購入したという。
近隣国有地に比べると破格の安さ(10%ほど)だと問題視された。

学園「ごみ撤去1億円」 国は8億円見積り 国有地購入
吉村治彦、飯島健太
朝日デジタル 2017年2月14日12時10分


 国有地は国土交通省大阪航空局が管理していた8770平方メートル。財務局は2013年に売却先を公募し、森友学園が小学校用地として取得を要望。学園が10年以内に買い取るとした定期借地契約が15年5月に結ばれたが、基礎工事の掘削中に「地下に埋設物が見つかった」と連絡してきた学園と財務局との間で、16年6月に売買契約が結ばれた。

森友学園はやはり購入資金が不足していたのか、国有地をすぐには購入するつもりはなく、10年以内に買い取るという条件でとりあえず借りる契約を結んだ。
ところが、地下に埋設物が見つかった途端、売買契約に変更。それはつまり値引きの理由が出来て、安く買えることになったということだろう。
値引きの理由(地下埋設物が本当にあったのか)と値引き額が嘘偽りない事実なのか、それとも人を騙すための創作話なのかは分からない。

 財務省の資料によると、近畿財務局はこの売買にあたり、不動産鑑定士が査定した更地価格9億5600万円から、国交省が積算した地下のごみの撤去・処理費8億1900万円と撤去によって事業が長期化する損失を差し引いていた。

建物と違い土地は完成を待つ必要はない。土地はすでに存在している。
売買と同時に所有権移転登記が出来る。
しかし前述したように建物は完成してからの登記であるので、融資と業者への支払いの関係で工事期間が長くなることは望ましいことではない。
工事が始まってから当初の予定より工期が長くなることを余儀なくされたとなれば、確かに建築主には損失が生じる。
工事費が高額になればなるほど建築主は損失は大きい。それは金利を考えれば分かること。
森友学園の小学校建設の場合、建設に支障ある埋設物が存在するにも関わらず説明もなく土地を売却した責任は国にあるということで、撤去費と損失分を値引きしたということなんだろう。
国有地売買の法的詳細や契約は分からないが、一般的に考えると代価を値引きするという行為はおかしくはない。
問題はその価格が正当かどうかということになるが、埋設物がどんなもので、その撤去費が幾らなら妥当なのか、また損失計算をどのようにしたのか、埋設物の存在が土地の価値に影響を与えるのか、開校時期がずれこむなど森友学園の事業に与える損失があったのか、国と学園の間で交わした売買契約に違約があったのか、詳細が分からないので何とも言えない。
2015年5月に定期借地契約、2016年6月に売買契約を結び、2017年には校舎はほぼ完成しているようなので、工期延長による金利分の損失と常識的な金利から考えれば8億越えの値引きは高いと感じる。何年何十年と延びたわけではないのだから。










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# by yumimi61 | 2017-09-10 15:48
2017年 09月 10日
1Q8…6?7?8?9?
あなた、今どこにいるの?
僕は今どこにいるのだ?

尾崎豊と『ノルウェイの森』

尾崎豊が逮捕されたのは1987年12月22日。
覚醒剤に気が付いた父親が警察に通報しての逮捕だったそうだ。

懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の判決を受け、逮捕から2か月後の1988年2月22日に釈放された。

その日、東京拘置所から出る尾崎は手にある物を持っていた。
作家、村上春樹が書いた本、『ノルウェイの森』である。

この本は上下巻となっており、1987年9月に発売された。
クリスマスに向かう秋に発行され、当時としては斬新な赤と緑の表紙で、「100パーセントの恋愛小説」というコピーも受けたのだろうか、ベストセラーとなった。
マスコミなどに取り上げられ、評判は増幅し、驚異的なセラーとなる。
これによって村上春樹は国民的に認知される作家となったし、国際舞台へ出ていくことにもなった。


『ノルウェイの森』というタイトルは、ビートルズの"Norwegian Wood"いう曲の邦題と同じであった。
小説の冒頭をはじめ、何カ所かにビートルズのこの曲が登場する。

小説は学生運動の時代の学生の話である。(1968〜1970年)
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚した頃。
著者である村上春樹の学生時代とも重なる年代である。
過去記事より)



『ノルウェイの森』上下巻を確かに私も持っていたはずで、前にも探したことがあるが、どこにいってしまったのか見つからないでいる。


公益財団法人和敬塾
東京都文京区目白台にある男子大学生・大学院生向けの学生寮。1955年(昭和30年)、前川製作所の創業者である前川喜作によって創設された。


村上春樹はこの寮にいたことがあるそうだ。
大学一年の春から秋まで西寮生だったものの、和敬塾そのものが肌に合わず引っ越す。村上の代表作『ノルウェイの森』に出てくる寮は、和敬塾をモデルにしている。


7,000坪の敷地に、東寮、西寮、南寮、北寮、巽寮、乾寮の全部で6つの寮がある。塾生は約600名、塾生の所属大学は約50校である。留学生もいる。発足時は西南北の3つだったが、後に東寮、2005年4月より大学院生と留学生のための寮である巽寮が加わり、さらに2009年4月より乾寮が加わった。乾寮は全寮の中で留学生が最も多く、中国や韓国、台湾等のアジア系民族が多い。なお西寮と北寮は2009年に建て直された。

年間を通じて様々な行事があるが、なかでも開催期間1ヵ月、約20種目を数える体育祭は最大行事である。また各界の著名人による講演も数多く催され、大講堂前の廊下には湯川秀樹、金田一京助等の著名人からの色紙が飾られている。

和敬塾本館(旧細川侯爵邸)について
和敬塾本館は、1936年に細川護立(元首相細川護煕の祖父)が細川侯爵家の本邸として建てた西洋館であった。細川護煕も幼少時、和敬塾本館で過ごしていた。東京都指定有形文化財になっており、映画やドラマ撮影のロケにも使われている(現在は敷地が分割されているが、新江戸川公園、永青文庫の敷地まで細川邸であった)。 また、本館は結婚式の会場に使われることがある。

熊本藩、熊本洋学校(熊本バンド)、新島襄と同志社、赤十字社、近衛家、島津家、キリスト教・・・✚


兵庫県立神戸高校を卒業して1968年に早稲田大学に入学した村上春樹は、大学にはほとんど行かずジャズ喫茶でアルバイトをし、1971年に学生結婚した。
1974年に国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店。
早稲田大学を卒業したのは1975年だったという。
1977年、「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移す。
1979年、作家デビュー。
1981年、住居を千葉県船橋市に移す。

和敬塾を創設した前川喜作も早稲田大学出身。
その孫にあたるのが前川喜平・前文部科学省事務次官。
奈良県御所市室出身。御所市立秋津小学校4年生の時に東京に転居。麻布中学校・高等学校を卒業して東京大学に進学。
1979年4月 - 東京大学法学部卒業、文部省入省
1986年9月 - 宮城県教育委員会行政課長
1989年2月 - 在フランス大使館一等書記官



あー!(なになに?)
当時群大医学部に麻布高校出身の先輩がいたなあ。
カッコいいと評判だったかも!?
お昼に学食でよく見かけた。


喫茶?ジャズ?出会い?
私は普通の喫茶店でアルバイトをしていたことがある。
今風に言えばカフェ。普通のカフェですよ。
群馬県前橋市上小出町1-21-3にあった「ハートピア」という名前の喫茶店。
現在は「やきとり一蔵(上小出店)」というお店になっているみたい。
もう少し前は居酒屋だったような。
「やきとり一蔵(上小出店)」の写真を見てみたが、店舗は同じもののような気がする。作りがよく似ているから。
カウンター席があって、その向こう側にテーブル席があった。
カウンター内から見て右手に学生が貸切でわーっと出来るような大きなテーブルがあった。カウンターから見て左側には人目に付きにくい半個室(スペース)があった。
入り口は2か所。駐車場あり。
お客さんは医学部や大学病院に近かったので学生や先生の常連客とか、あと公園にもわりと近いのでカップルなども多かった。
お料理担当はマスター(御主人)、デザートや飲み物担当はママさん(奥様)。プラス、昼間はパートさんがいて、夕方から夜には学生のバイトがいた。閉店は21時か22時くらいだったと思う。
ある時ママさんと話をしていたら、ハートピアが親戚の税理士事務所の顧客だということが判明して、その偶然にとても驚いたことがあった。
どうしてそんな話になったのかは全然覚えていないけれど。
私は幼少期に病気で入院していたことがあるが、その時母が私に付き添っていたため妹はその税理士一家に預けられていた。


♪広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず~
七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず~♪
仙台のご当地ソング(?)である『青葉城恋歌』。
実は前橋にも広瀬川という小さめな川がある。(七夕祭りもあります)
学生の時にはよくこの川のほとりを歩いた。






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# by yumimi61 | 2017-09-10 00:53
2017年 09月 08日
日本国憲法の秘密-552- (森友・加計学園問題について)
学位もなく?、公務員試験を受けることなく?、有権者の審判もなく、教員や公職に従事しているらしい自称(?)一級建築士の鈴木敏恵さんという方を前記事で紹介した。

実は私、建築士ではなくて、宅建の本を持っているんです!
宅建(宅地建物取引士)は不動産取引に関係する国家資格。
現在は受験に際して学歴要件や実務要件はもとより年齢その他何ら制限はなく誰でも受験できるようになっている。
かつては高校卒業以上の学歴、または2年以上の実務経験が必要であった。

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ここからが大事なのでよく聞いてください。
この本を試しにAmazonで調べてみたんですね。
するとなんと・・・商品価格32,800円(送料別)!!
定価は970円です。これはどういうことなんでしょうか?プレミアが付いている?
念のため、私が出品しているんじゃないですからね。あ、あとAmazonから買ったわけでもないです。
前から時々不思議に思っていたんだけど、なんてことはなさそうな本に破格な値段が付いていることがありますよね?あれは間違い誘い(カード払いで間違いにも気が付かない)なんでしょうか?



加計学園問題の前に散々取りざたされていた森友学園問題。
森友学園問題と言えば土地建物取引。

7月31日、大阪地検特捜部は森友学園の籠池夫妻を詐欺の疑いで逮捕した。
逮捕容疑‐国の補助金(5600万円あまり)を騙し取った詐欺の容疑。

国や自治体が関与している補助金の不正受給が「詐欺」で逮捕されるというのは極めて異例ではないだろうか。
しかも補助金は騒動になってからすでに返還されているとも言われている。

この補助金は国土交通省が実施している「サステナブル建築物等先導事業」に対するものである。
建設費総額が幾らかなんてことは直接関係ない。
「建築物の木造化」「建築物の内装・外装の木質化」に対しての費用補助である。

サステナブルとは持続可能という意味。国連あたりが好んで使いそうな言葉。環境問題でもよく使用される。
国交省のサステナブル建築物等先導事業(リーディングプロジェクト)に対する補助金は2種類ある。「省CO2先導型」と「木造先導型」である。
先導的な技術の普及啓発に寄与する住宅・建築物を公募によって募り、整備費等の一部を国が補助するもの。
森友学園は平成27年度(応募期間:2015年6月9日‐7月17日)に「木造先導型」に応募して、支援対象として適切と判断された。(応募総数7件で6件が適切)
評価委員会による評価結果が国土交通省に報告され、それを踏まえて国土交通省が採択を決定する。

平成27度サステナブル建築物等先導事業(木造先導型)評価委員会/委員名簿
委員長 大橋 好光 東京都市大学/工学部建築学科教授
委 員 五十田 博 京都大学/生存圏研究所教授
委 員 伊藤 雅人 三井住友信託銀行㈱/不動産コンサルティング部審議役
委 員 腰原 幹雄 東京大学/生産技術研究所教授
委 員 長谷見雄二 早稲田大学/理工学術院教授
委 員 萩原 一郎 (独)建築研究所/防火研究グループ長
委 員 林 知行 秋田県立大学/木材高度加工研究所教授

≪森友学園のプロジェクト≫防火地域に新築される小学校の校舎及び体育館の木質化についてのプロジェクト
大阪府豊中市 学校法人森友学園 5,678㎡ 3階建 
補助限度額 6194万4000円
・大阪府豊中市内の防火地域に、私立小学校の校舎及び体育館を新築するプロジェクト。
・鉄骨造ではあるが、建物の内外部、また教室の床材に、杉材等の木質材料を使用し、木質化することで視覚的に大規模な木造校舎の再現を目指している。
・主体構造となる鉄骨を木造フレームと変わらない寸法で納め、内外にわたって木質化。


正式に応募し評価委員会が適切であると判断し国交省が合格印を押した。だからこそ、国から森友学園に補助金が支払われた。
これのどこが詐欺なのか?
これを詐欺だと認定するには、申請内容が全くの出鱈目だったと言う以外にないであろう。
申請したとおりに建築されなかったということ、つまり実際は木を活かした建築物ではなかったということだ。
学校建物は実際に出来上がっていたようだがどうだったろうか?
完成を見ないまでも建設の経過を定期的に確認していればもっと早い段階で分かることではないだろうか。
国交省はどの段階でチェックに入るのだろうか。
実績を書面で報告してもらうだけだろうか?
応募書類なども設計業者や建設業者の専門家や代理人が揃えたものだと思う。
籠池夫妻だけで出来る詐欺ではない。

また補助金不正受給が事実だとしても、そもそも詐欺ではなくて、補助金適正化法違反ではないのか。
詐欺というのは広く一般的な犯罪に用いられる罪名である。
補助金には補助金適正化法という固有の法律が存在する。
憲法や自衛隊法のところで述べたけれども、法律には適用対象が広い一般法と適用対象が特定されている特別法が存在する。
通常は特別法が優先されるのだ。


森友学園は木造先導型での応募だったけれども、実は前川製作所も28年度(応募期間:2016年9月5日-10月20日)に省CO2先導型で応募し適切と判断されている。

建築物(非住宅)/中小規模築物部門
株式会社前川製作所 前川製作所本社ビル新館計画
(提案の概要)
世界の人が集い・つながり・未来つくりに挑戦するオフィスの創出を目指した本社ビル新館の新築プロジェクト。知的生産性向上を目指した空間利用を実現するための空調システム、普及性・波及性に優れた省CO2技術を導入し、中規模オフィスビルにおけるZEB Readyの達成を目指す。
(概評)
CASBEE・Sランク、BELS・5つ星の達成と、建築・設備計画からエネルギーマネジメントまでバランス良く省CO2技術を導入する取り組みは、中小規模オフィスとして波及・普及が期待できるものと評価した。知的生産性やウェルネス性の向上も目指し、多種多様の省CO2技術の積極的な活用は意欲的な取り組みで、先導的だと評価できる。


サステナブル建築物等先導事業(省CO2先導型)評価委員名簿 平成28 年12 月19 日現在
委員長 村上 周三 一般財団法人 建築環境・省エネルギー機構 理事長
委 員 浅見 泰司 東京大学大学院 教授
〃 伊香賀 俊治 慶應義塾大学 教授
〃 柏木 孝夫 東京工業大学 特命教授
〃 坂本 雄三 国立研究開発法人 建築研究所 理事長
〃 清家 剛 東京大学大学院 准教授
専 門 委 員 秋元 孝之 芝浦工業大学 教授
〃 伊藤 雅人 三井住友信託銀行 不動産コンサルティング部 審議役 環境不動産推進チーム長
〃 大澤 元毅 国立保健医療科学院 生活環境研究部 主任研究官
〃 桑沢 保夫 国立研究開発法人 建築研究所 上席研究員
〃 佐土原 聡 横浜国立大学大学院 教授
〃 山海 敏弘 国立研究開発法人 建築研究所 環境研究グループ長
〃 坊垣 和明 東京都市大学 名誉教授



森友学園が建設した小学校の設計業者は「キアラ建築研究機関」という京都の業者。
ホームページより
KYARA(Kyoto Academy for Researching Architecture=京都建築研究機関、通称キアラ建築研究機関)は、
代表の松本 正を中心に2002年、京都で開設された設計事務所で、松本及び共同代表の杉本 昌裕、そして実務経験を積んだスタッフがオープンな関係で結ばれた設計集団です。
10名(2012年1月現在)(1級建築士2名、2級建築士3名)

洛中の本事務所、神戸(芦屋)のアトリエ、東京(代官山)のサテライトオフィスを拠点に、これまで京都のみならず、大阪、神戸、滋賀、奈良の近畿一円、また東京、神奈川、静岡等の関東方面、また岡山等中国地方でも建物を設計、完成させてきました。東北大震災の折は、東北まで駆けつけ、集会施設、牡蠣工房等、復興のための火急の計画を実現させたこともあります。こうした私たちの活動は多方面にわたります。


大震災の際には東北まで駆けつけたとあるが、海援隊にちなんで京援隊なる組織を編成した模様。
京援隊(但し継続した活動報告はない)
京援隊は、被災地にものを送り続けることを目標としているのではありません。
むしろ、自立に向けてのサポートをしてゆきたい。
被災地では様々な情報が錯綜した混乱した状況の中で、
被災者が本当に望むものかどうかを考える以前に、モノが動いて、
時によっては不当な金額で、建築材料や建築費で建物が出来上がっていく状況を、
阪神大震災のときに、多く経験しました。資本主義である限り、ビジネスを否定はしません。
(海援隊が「商社」的側面を持っていたことは有名な事実です)。
そうではなく、然るべき場所に望まれるものが、適正な金額で届けられるような活動をしていきたい。



建設業者は大阪府吹田市にある藤原工業。
この会社、大阪府や大阪維新の会とコネクションが強いらしい。

ホームページより
従業員数21名
資格取得者(一級建築士2名、二級建築士3名、1級建築施工管理技士11名、2級建築施工管理技士3名、1級土木施工管理技士4名、二級建設業経理事務士3名、監理技術者11名 )

主な取引先
大阪府・・・・・・・・・・・・・・住宅まちづくり部
財務省・・・・・・・・・・・・・・近畿財務局・大阪国税局・大阪税関・神戸税関
国土交通省・・・・・・・・・・海上保安庁(第四・第五・第八管)・気象庁・近畿地方整備局
裁判所・・・・・・・・・・・・・・大阪高等裁判所
防衛省・・・・・・・・・・・・・・千僧駐屯地・阪神病院・他
独立行政法人・・・・・・・・国立病院機構・国立印刷局・万博記念機構・造幣局
独立行政法人・・・・・・・・雇用、能力開発機構・医薬基盤研究所
地方独立行政法人・・・・大阪府立病院機構母子保健総合医療センター
中納言(株)・・・・・・・・・・活け伊勢エビ料理店
あづま姿(株)・・・・・・・・・・着付用和装小物及び周辺用具の製造販売
その他民間企業、個人顧客



一般的には設計業者が建築主と建設業者の間に入って建設は進んでいく。
設計者は建築主と話し合って設計し、それに基づいて建設してくれる業者を選ぶ。
建築主の希望がある場合などは1社に依頼することもあるが、2,3の業者に声をかけて入札し決定する。(建築主は同じことをするなら安くしてくれる業者が良いと思うのが普通ではないだろうか)
建設中は設計業者が進捗状況などを随時確認する。
設計業者に支払われる費用は建築費の10%程度が相場。この相場には設計費用だけでなく交渉や確認などの費用も含まれる。
設計業者と建設業者が別の場合に建設費(工事費)とは別に支払われるものである。
つまり専門的知識を持って建築主に寄り添い主導権を持って建設を進めるというのが設計業者の役割である。

建築主・森友学園(籠池理事長)
     |
設計業者・キアラ建築研究機関
     |
 建設業者・藤原工業


建設費用に3種類あったことが問題になっていた森友学園の小学校建設。
国には23億8000万円と報告。
騒音に対する助成金関係の申請で関西エアポートに15億5500万円と報告。
認可を担当する大阪府には7億5000万円と報告。
こういう数字がよくニュースで挙がっていた。

設計業者のキアラ建築研究機関は23億8000万円で合っていると証言し、藤原工業は設計業者に23億8000万円の契約書を作るように指示され、森友学園側からは7億5000万円の契約書を作るように指示されたと証言したらしい。
最初に森友学園と藤原工業が交わした契約では15億6000万円だったが、追加工事があり最終的な工事代金は21億円ほどになったという。
しかし完成間際で工事はストップ。5億円くらいしか支払ってもらっていないとかなんとか。

工事費は大金。
建設業者からすれば工事を始めれば資材や人件費だって相当掛かってくる。
完成間近で建築主にとんずらされたり踏み倒されたりなんかすれば大変な事態。会社の存続に関わる。
だから工事費は現金一括が基本。前払い制。
でもそれで建設業者にとんずらされたら今度は建築主がたまらない。
だから業者は信用がとても大切。
でも金額が大きい場合には、工事に着手する時、中間、完成時と3回くらいに分けて支払ってもらうのが一般的ではないだろうか。
支払いがなければ工事を進めないでストップする。被害は最小限にするためには当たり前なこと。何と言ってもビジネスなのだから。
お金を支払わない怪しい建築主の工事を進めるほうがどうかしている。

そもそも大阪府が認可したから建設が始まったのではないのですか?
そう言えば加計学園も認可前から箱を作っていた?どうして?もしダメだったらどうするつもり?認可ありきだったから?
認可するということは、学校運営が出来るのかどうか費用面も含めて審査されるのでは?細かいことは気にしないで認可?


購入した土地代金や小学校の建設費を現金一括で支払えればよいですけれども、滅多にそんな人はいません。
どうするかと言えば借金する。一般的には銀行に融資してもらう。
融資してもらうには通常は銀行による厳し~い審査もありますよね?
資金力や返済返還能力のない者に莫大なお金を貸し付けますか?貸し付けませんよね?
森友学園はりそな銀行から融資されている?
銀行の審査も大阪府の審査も通った物件、この意味は重いですよね?
森友学園の資金力や資産がどれほどのものか知らないけれども、経営は厳しかったようなことが報じられている。
そんな法人にどうして大金が貸し付けられるのか?


もしも銀行から融資してもらったとするならば、ゆくゆくローン返済が出来なくなるということはあっても、業者への支払いに困窮するということはないであろう。
藤原工業のホームページにこんなことが書いてあったが現在土地建物は誰のものになっているのだろうか。森友学園?財務省?藤原工業?銀行?
下の文章は、財務省に売却してもらいたいという意味なのか、それとも財務省に買い取ってもらいたいという意味だろうか。


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署名活動にご協力頂いた皆様へ

 この度は、「豊中の小学校建設の土地建物について」
財務省に土地建物を一緒に売却手続きをしてもらうことを求める要望書
の署名活動にご協力いただき誠にありがとうございました。

 短い期間にも関わらず皆様のご協力により、4,343名もの方々から御
署名をいただき、先週、近畿財務局に提出する事が出来ました。

 皆さまには建物の存続に対し大きな力を貸して頂きましたこと、深く
感謝申し上げます。

結果につきましては決定次第、またこちらでご報告させていただきます。

  平成29年7月31日

藤原工業(株)総務部 小学校建築事務局

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# by yumimi61 | 2017-09-08 14:11
2017年 09月 07日
日本国憲法の秘密-551- (加計学園問題について)
法律を無視して、その資格もないのに勝手に学位を授与している、外国の財閥に支援されて出来た国立機関。
特別ルールがあるのか知らないが、人によっては専門学校卒なのに大学飛ばして大学院で学位を取得できたりもするらしい。(もしかして飛び級!?)
論文ひとつ出せば取得できる博士号。
論文もコピペだって実際は他者が行った研究だって分かりはしない。(論文に必死な人とそうでない人が出会えば、「これ論文に使っていい?」「どうぞどうぞ」なんてこともある)
客員教授の名で誰でも(ちょっと有名になれば)教授になれる社会。
この世界は「先生」という職業に憧れる人が多いということなんでしょうか?
日本の高等教育は崩壊しているのではないか、職業の目的を履き違えているのではないかと感じる昨今。(初等中等もですか?)


また経歴が華やか過ぎるというか何というか、どうしたらこんなに次々と仕事を引き受けられるのかという経歴を目にすることもある。
そこにはそこはかとなく政治臭が漂っている。
野中ともよさんなんかもその一例だろう。
そこには「ありき」が存在するはずで、「ありき」というのはつまり何等かのコネクションがあるということである。
権力者のコネであればあるほどその威力も大きい。
忖度とか御意向とか圧力とか、結局みんなそのコネが裏に表にチラついているということであろう。


ということで、前川喜平・文部科学省初等中等教育審議官!、鈴木敏恵さんという方をご存知でしょうか?


Wikipediaより
鈴木敏恵(すずき としえ)は、シンクタンク未来教育ビジョン 代表 ・教育クリエータ(Architect/設計思想)・一級建築士 ・日本赤十字秋田看護大学大学院非常勤講師 ・放送大学非常勤講師(専門:心理と教育)。

公職歴:内閣府中央防災会議専門委員(避難/人材育成)・千葉大学教育学部特命教授・東北大学非常勤講師。

建築家として未来型の学校の設計を行うとともに、21世紀の新しい教育として未来教育プロジェクト学習やポートフォリオ評価などを構想、提唱し自らも実践。

教育界、医学界、消防士など高度専門職の領域でアドバイザー、人材育成、コーチとして活躍。自治体や大学などにおいてプロジェクト手法やポートフォリオ評価などの全体構想コンサルタントも行う。2005年9月、12月に教育先進国フィンランド視察。近年、看護教育界での導入支援が目覚ましい。教職員研修、大学FD構想、新人研修、指導者育成、キャリアデザインを目的とする人材育成などを行う。
2005年~2015年 文部科学省 ものづくり日本大賞文部科学大臣賞(青少年支援部門)選考委員。
2014年より文部科学省 SPH(スーパー・プロフェッショナル・ハイスクール)指定、埼玉県立常盤高等学校のプロジェクト学習のスーパーバイザーを務める。

新しい教育創造
知識創造の時代に求められる新しい教育コンセプトをデザインするとともに、その具現化をはかる教育手法を設計。新カリキュラム対応/統合と実践への看護教育プログラム構想へポートフォリオ活用。病院における目標管理へポートフォリオを活かす手法。理学療法士、薬学生の育成・薬剤師指導者など臨地実習ポートフォリオ、新人研修ポートフォリオ・キャリアポートフォリオ・進路や就職へのパーソナルポートフォリオ活用の提唱とともにプロジェクト学習の手法を目的に応じ構想設計し導入。主に教育界、医療界、自治体等の新人研修、指導者育成、目標管理、人が育つ環境づくりの提案、専門学校や大学FD、公的機関の教育担当者支援、人材育成などを行う。

プロジェクト学習による「防災教育」提唱
 2000年 文部省大臣官房『学校施設整備指針策定調査研究(小中学校編)部会委員』  2002年 内閣府/中央防災会議「防災に関する人材の育成・活用専門調査」委員  2002年 日本初の防災プロジェクト学習/高知市立大津小学校にて実施  2003年 著書「ポートフォリオでプロジェクト学習!地域と学校をつなぐ防災教育」教育同人社  2004年 岐阜市立小中学校「防災プロジェクト」指導講師  2005年 NHKテレビ「視点・論点」にて「命を守る防災プロジェクト学習の推進」を提案  2005年 ヘラルド・トリビューン紙/オピニオン欄「防災教育をはじめよう」  2005年 著書「未来教育ポートフォリオ/防災プロジェクト 地震からこの町を救え!」学研  2007年 横浜市教育委員会『防災チェックシート、小学校用、中学校用』作成協力  2008年 総務省消防大学校「幹部科・火災調査課」講師   2008年 総務省消防庁国民保護・防災部防災課『防災教育に関する懇談会』  2009年 文部科学省防災教育支援事業「新居浜市小中学校における防災教育」指導講師  2009年 国土交通省/気象庁交通政策審議会第12回気象分科会臨時委員  2010年 千葉県教育委員会/地域・学校防災教育セミナー『プロジェクト学習で新しい防災教育を!」  2010年 島根県教育委員会/防災教育実践講座(島根県立教育センター 能力開発研修)  2011年 西条市教育委員会「集中豪雨」教員研修 企画指導・コーチング  2011年 内閣府中央防災会議「災害時の避難に関する専門調査」委員  2011年 主催:JICA/トルコ国民教育省(教育研修局、初等中等教育局教育委員会、大学)        「新しい防災教育の授業設計と教員研修について」講義  2011年 論文:特集 災害と地域ケア ─訪問看護師に提案─ポートフォリオ活用と        「防災ハザードマップ」による地域連携/医学書院「訪問看護と介護」  2011年 主催 文部科学省・島根県教育委員会「プロジェクト学習・ポートフォリオ評価を活用した防災教育」  2011年 東北大学にて東日本大震災地域の高校生「未来への願い」発表への支援  2011年 高知市・市民防災プロジェクト「地震・津波」昭和小校区/企画指導・講師  2011年 論文「子どもの自律的な防災行動を育むプロジェクト学習とコーチング」慶應義塾大学出版会 | 教育と医学  2012年 西条市教育委員会「集中豪雨」防災教育教員研修/企画・講師  2012年 内閣府/中央防災会議「防災に関する人材の育成・活用専門調査会」委員

公職歴ほか
『理科教育及び産業教育審議会委員』
『情報教育推進等に関する調査研究協力者』文部省
『電気通信審議会通信政策部会委員』郵政省
『次世代IT活用未来型教育研究開発会議委員』文部科学省・総務省
『中央防災会議専門委員』 内閣府  
『宇宙利用推進調査審議特別委員』文部科学省
『学力向上施策—文部科学省/その道の達人派遣事業』(社)日本理科教育振興協会
『島根県立看護短期大学客員教授』ほか



鈴木敏恵ポータルサイトのプロフィールより
一級建築士・architect・次世代教育クリエーター・シンクタンク未来教育ビジョン 代表

建築家として教育施設へのIT環境の実現、AVネットワーク化、遠隔教育システム、CAI(computer-assisted instruction)導入など、教育のインテリジェント化、学校の未来化を先導。1998年「未来学び舎構想インテリジェントセンター 21 / 設計企画において『日本計画行政学会賞』特別賞受賞。

「意志ある学び-未来教育」をコンセプトに、プロジェクト学習、ポートフォリオ、対話コーチングなどを融合させた次世代教育の設計思想から実施を全国展開。AI(artificial intelligence)時代の教育、次世代プロジェクト学習の構想・提唱。主に教育界、医学界へ新人教育、指導者育成、次世代教育構想コンサルタント等を行う。文部科学省「確かな学力の育成に係る 実践的調査研究 H21」事業採択。日本赤十字秋田看護大学大学院非常勤講師。

【公職歴】内閣府中央防災会議専門委員・国立大学法人千葉大学教育学部特命教授・東北大学非常勤講師・放送大学非常勤講師(専門:心理と教育)・島根県立看護短期大学客員教授・先進的教育ネットワークモデル地域事業企画評価委員(文科省総務省連携プロジェクト) 他



一緒にお仕事されてますよね?
未来教育プロジェクト全国大会(山下公園前「ワークピア横浜」 
教師、医師、看護師、理学療法士、大学関係者、様々な方が日本全国から参加。最新のポートフォリオやプロジェクト学習の実践発表や情報交換など楽しく開催されました。


鈴木敏恵という人、公職歴は列記しているが、Wikipedia、御自身のサイト、講演会などの講師略歴などどれも見ても学歴には全く触れていない。
高等教育を受けたのか、受けたとしたなら、どこで何を学んできたのか、分からない。「一級建築士」と書いてあるだけ。
箱と中味が全く関係ないとは言わないけれども、一級建築士が何故教育を指導しているのか。教員免許を持っているということなんだろうか。

一級建築士は国家資格である。
一級建築士の国家試験を受験するには学歴要件と実務経験の両方か、実務経験(長め)が必要である。
学歴要件はかつては「所定の課程を修めて卒業」だったが、近年「国土交通大臣が指定する建築に関する科目(指定科目)を修めて卒業」になった。
学歴要件を満たしていなくても実務経験を満たして二級建築士から一級建築士を受験する方法がある。
医療系の国家資格は実務経験だけでは受験資格は得られない。学歴要件必須である。
実務経験だけでOKとなると、知り合いに頼んで実務経験を満たしているという虚偽の証明書類を書いてもらったりすることが横行しがちなのだ。
虚偽が発見されれば資格を取り消されるが、見つからないことも多いのでは。


またこの専門領域の教育と資格者養成や管理がややこしいのは担当省庁が違う事。
学校の認可に関しては文科省。
でも、医師や看護師など医療系の資格を扱っているのは厚労省。
獣医師は農水省。
建築士は国交省。





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# by yumimi61 | 2017-09-07 23:12
2017年 09月 07日
日本国憲法の秘密-550- (加計学園問題について)
加計学園の獣医学部新設が52年ぶりだということだが、医学部も40年近く新設がなかった。
それがやはり安倍政権において2016年度2017年度と相次いで認可された。
震災復興支援策の一環として認可された東北薬科大(仙台市)と、国際医療福祉大(栃木県)が国家戦略特区を活用して千葉県成田市に設置する医学部である。


九条摂子久常節子という方をご存じだろうか。
看護協会の元会長で、国際医療福祉大大学院の副大学院長だった方である(現職ではない)。

私はこの人のことを2014年11月に書いている。赤十字社からの話の流れだった。
赤十字社はナイチンゲールの名をかたり「ナイチンゲール記章」なるものを創設して授与しているが、赤十字社が行っていることなので日本の受章者を見ると日本赤十字の養成所や看護学校出身者など日赤関係者がほとんどなのだ。
そんな中、 高知女子大学(現:高知県立大学)出身の方もいますね、という話であった。
久常節子は四国の高知県生まれで高知女子大学出身者で、ナイチンゲール記章を受章している。

実は看護教育界では高知はわりと力を持っている(幅が利く)。何故かというと、早い時期に大学だったからである。

過去記事より)
高知県立女子大学というのは日本で最初に4年制の看護学科を持った大学である(1952年)。
何故かと言うと、戦時中の医師養成作戦で作られた1校「高知県立女子医学専門学校」(1944年4月開校)が母体だからである。
高知県立女子医学専門学校は1947年にGHQの判定により秋田や山梨などの医専とともにB級判定され廃校となってしまった。
その学校が同年に医学科を持たない高知県立女子専門学校として生まれ変わり(生活科・生物科・英文科)、さらに1949年に高知女子大学(家政学部生活科学科)となった。
この大学に1952年看護学科が増設されたのである。
東京大学の衛生看護科の創立が1953年だからそれよりも1年早い。
大学の沿革を見ると、1952年に看護学校として指定、1955年に保健婦学校として指定と記載があるのだが、教員免許などの課程には「認定」、大学や学部学科の増設には「認可」という言葉を使用している。
「指定」とはなんだろうか?「認定」と「指定」の違いやいかに?
医科が廃校になったくらいであり昔から附属病院を持っていない。
現在は県内の提携病院へ実習に出す形式を取っているのだろうが、4年制の走りだった当時はどうだったのだろうか。


高知女子大学出身でナイチンゲール記章を受賞しているお一人、久常節子さん。
現在、国際医療福祉大学大学院の副大学院長という役職に就かれている。

1968年年3月 高知県立高知女子大学家政学部衛生看護学科卒業
1970年3月 大阪市立大学家政学部社会福祉修士課程修了
1982年12月 日本医科大学医学博士取得
1991年 カリフォルニア大学サンフランシスコ校ポストドクトルコース修了


博士の学位は日本医科大学で取得しているが、博士課程修了とは書いていないので在学して単位を取得したわけではなく論文のみで博士になった論文博士であろうと思う。
ちなみに医学博士=医師とは限らない。つまり医学博士だからといって医師として働けるわけではない。医師だけでなく学科を卒業していることや学位を取得していることと国家資格を持っていることは同じではないのだ。
前にも書いたことであるが、これは国際的に混乱を生んできた案件なので今回も付け足しておく。


≪久常節子の国際医療福祉大学院の副学院長になるまでの職歴≫
昭和45年4月 大阪府富田林保健所
昭和47年4月 高知女子大学家政学部衛生看護学科助手
昭和48年4月 大阪府門真保健所
昭和50年4月 福井県立短期大学看護学部講師
昭和52年9月 国立公衆衛生院衛生看護学部看護管理室研究員
昭和57年4月 国立公衆衛生院衛生看護学部主任研究官
平成 3年6月 厚生省健康政策局計画課保健指導室長
平成 5年7月 厚生省健康政策局看護課長
平成13年4月 慶應義塾大学看護医療学部教授
平成17年6月 社団法人日本看護協会会長

看護協会会長になる前はお役人や慶應義塾大学の教授だった。
2014年に書いた時には大ざっぱ職歴しか分からなかったが、細かい職歴が分かった。

私が問題にしたのは国立公衆衛生院である。
過去記事より)
国立公衆衛生院はロックフェラー財団から日本政府への経済支援によって設立されたものだそうだ。
日本の公衆衛生の改善向上のために、公衆衛生技術者の養成及び訓練、公衆衛生に関する調査研究などを目的とした。


国立公衆衛生院も国際文化会館や国際基督教大学(ICU)と同様にロックフェラーから財政支援を受けていたのである。
(国立公衆衛生院は、2002年に、国立医療・病院管理研究所及び国立感染症研究所・口腔科学部の一部を統合し「国立保健医療科学院」と改称した)

国立公衆衛生院時代は公衆衛生修士号(Master of Public Health,MPH)の学位を授与しており(期間によっては博士号も?)、WHOは国立保健医療科学院を「School of Public Health(公衆衛生大学院)」として紹介しているが、日本の法律上においては大学院にも省庁大学校にも該当しない。
国家公務員が不足を学ぶところだったのか、完全紹介制の一元さんお断りシステムだったのか、ともかく開かれた大学院ではなかった。
大学評価・学位授与機構の審査を通った省庁大学校の修了者は申請すれば学位が授与されるが、国立公衆衛生院や国立保健医療科学院はその対象にもなっていない。
つまり学位対象にならない人達に好き勝手に学位を授与していたことになる。

日本の大学に公衆衛生専攻(公衆衛生大学院)が設立されたのは2000年(平成12年)以降のこと。
これは公衆衛生修士号(Master of Public Health,MPH)を授与できる大学院である。

・2000年度開校 京都大学(大学院医学研究科社会健康医学系専攻)
・2001年度開校 九州大学(医学系学府医療経営・管理学専攻)
・2007年度開校 東京大学(大学院医学系研究科公共健康医学専攻)
            大阪大学(大学院医学系研究科医科学修士社会人コース)
・2008年度開校 長崎大学(大学院国際健康開発研究科国際健康開発専攻)
・2011年度開校 帝京大学(大学院公衆衛生学研究科)

他からも出始めたのでさすがに不味いと思ったのか、国立保健科医療科学院(旧:国立公衆衛生院)は2009年より学位称号を「Certified Public Health Professional (CPHP)」に変更した。
(ここもまた出ちゃったものは仕方ないというやつですね。しかもまだ出す気なのかという・・)

学位を授与できる大学院もMPHの他に、公衆衛生博士号(Doctor of Public Health,DPH)や学術博士号(Doctor of Philosophy,PhD)を与える課程を併設することが可能。
ここでまた問題になりそうなのが、ドクターである。
生命科学と似たような問題が起きそうな(起きている)予感がする。
公衆衛生大学院に進学できるのは、保健師や助産師のように看護師有資格者等という限定はなく、医師や保健師、助産師や看護師などの医療職に限らず、かなり誰でも進めるようになっている。
そこで博士号を取得さえすれば、現場で医療行為を行える医療職のようにも思われてしまうだろうし、
例えば「Doctor of Public Health」であれば医師と思われても不思議はない。
外国へ出てしまえばもっと分からなくなるし、紹介者を介せばお墨付きを与えたようなもの。
そうして何が何だか分からなくなる世界になります。


国立公衆衛生院、厚生省、慶應義塾大学、久常節子の足跡はその関係性をよく示しているのではないだろうか。
そして彼女は国際医療福祉大学大学院の副学院長にもなったのだ。


国際医療福祉大学は大学病院を持っているが大学に医学部がないという珍しい大学。
だけれども絶対に医学部を創らせてはならぬと言われたりもする大学である。
大学本部は栃木県にある。よってこんな政治家の名が挙がってくる。


副総理、蔵相、外相、厚相などを務めた渡辺美智雄、その子息の渡辺喜美と関係が深いとされ、文部科学省が構想する東北や千葉県成田市に新設を想定される国際医学部(仮称)を早稲田大学、同志社大学とともに目指している。

近年の医師不足を背景に、医学部の設置を検討している大学の1つである(学内に「国際医療福祉大学医学部設置準備委員会」を設立している)。


以前こちらに皇族&芸能人御用達ブランド産院御三家のことを書いたけれど、その時にもこの大学が登場した。
御三家の一つだった山王病院が1996年に高邦会・国際医療福祉大学グループによって買収されたという話題だった。


「近年の医師不足」は嘘か間違いか、言葉が足りないかである。
40年近くも医学部の新設はなかったが医師数は今日までずっと増加傾向にある。
1982年と2014年を比較すると15万人近く医師数は増えている。


「看護師不足」を背景にして近年看護系大学が爆発的に増えた。(それに伴い質が低下したと言われている)
大学が増えたことで急増したのが教授などを含めた教育者であり、重要視されるようになったのが学位だったのである。
そしてこの学位が専門分野に混乱を来たすことになった。

同上過去記事の中で久常さんと同じくナイチンゲール記章を受章しているした徳永瑞子という人を紹介したが、彼女は国立公衆衛生院で博士号取得したと言っている。
カトリック教徒で2011年4月に上智大学総合人間科学部看護学科教授に就任した。



この頃の私の記事に特区と「安倍晋三を囲む午年の会」の発起人で「エンジン01文化戦略会議」のメンバーでもある神奈川県の黒岩知事(元フジテレビキャスター)も登場していた。(こちらの過去記事
黒岩知事と国際医療福祉大学のただならぬ関係も分かる。





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# by yumimi61 | 2017-09-07 14:38
2017年 09月 06日
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# by yumimi61 | 2017-09-06 23:22
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# by yumimi61 | 2017-09-06 23:22
2017年 09月 05日
日本国憲法の秘密-549- (加計学園問題について)
西の小林一三、東の五島慶太。
阪急電鉄の小林、東急電鉄の五島。
東宝(と宝塚)の小林、東映の五島。
こういう対立関係にあった。
小林一三は慶應義塾→三井出身の実業家。
五島慶太は東京帝大→官僚の実業家。
小林、五島ともにやり手な事業家ではあったが、東急電鉄の創業者は五島ではなく渋沢栄一の田園都市株式会社であり、小林はその会社に密かに関与していたので五島は最初からビハインドな立場にあった。
小林は阪神(近畿)のイメージがとても強いが、出身地は山梨県である。
東急電鉄の株式を保有していた小佐野賢治も山梨県の出身である。小卒で上京し自動車部品の会社で働き、戦時中に東京トヨタ自動車に入社し、後に独立した。
小佐野賢治は故郷山梨をこよなく愛していたそうで、山梨県に小佐野賢治記念財団が設立されている。


倒産寸前にまで陥っていた東映は、借金が11億円(2006年の貨幣価値に換算すると数100億円)にも膨らんでいたが、住友銀行の鈴木剛頭取と交渉して融資を引き出した。東映再建には、東急専務で「経理の専門家」として五島が多大な信頼を寄せていた大川博を社長として派遣し、見事に3年で立ち直らせた。東映再建が失敗していたら五島家は破産していたといわれる。(でも今は東宝の独り勝ち状態)
住友銀行の鈴木剛は広島県、京都大学出身。住友銀行の西野田支店長時代、融資先であった松下電器産業の松下幸之助や三洋電機の井植歳男と出会い交流を深めた。
(三洋電機は新潟中越沖地震での子会社被災をきっかけに経営危機に追い込まれる。にもかかわらず倒産を回避しパナソニックとの経営統合によって巨大企業が消滅するという日本経済史上初の事例となった。倒産すれば会社が消滅するのは分かるが、ネームバリューのある大企業を統合再建する場合は通常そのまま名を残すことが多い。例えばシャープなど。しかし三洋電機はそのブランドを残すことを許されなかった。)
(住友銀行は現在は三井住友銀行となっている。銀行名を見ると三井銀行と住友銀行が合併して三井銀行がやや優位だったのかと思うかもしれないが、この合併は複雑。もともと三井系の銀行より住友銀行のほうが圧倒的に力があった。がしかし「さくら銀行」と「わかしお銀行」が絡んだ合併によって力関係が微妙な感じになっている)
大川博は鉄道院にて五島の先輩であった。経理に非常に明るかった。



(五島慶太は)1955年に横井英樹の白木屋乗っ取りに手を貸し、これに東横百貨店を吸収、「強盗慶太」の健在ぶりを知らしめる。
「強盗慶太」は慶應閥が五島慶太に付けたあだ名。(「ごとう」と「ごうとう」を掛けています。そんなの分かってるから?)五島自身も結構この名を面白がっていたようだ。
そんな五島を慕ったのが横井英樹だった。
横井は愛知県出身で小卒。しかしながら戦争で儲けた口で不動産業にも乗り出す。
横井は暗礁に乗り上げた白木屋(材木商→呉服屋→百貨店)買収の際に五島に頼み込んだ。

白木屋側、横井側も疲弊しきっていた。そこで横井は東急の五島慶太に買収を頼む策を講じる。横井は白木屋の株を買い取りをお願いするため、ほぼ毎日朝の6時に五島の家の前に立ち出勤を見送り、旅行に行く際には東京駅まで列車が出発するまで見送るなどしていた。その熱意によって五島は白木屋の買収に乗ることになる。ただし1株350円でしか引き受けないという条件であった。結果的に横井は5億8000万も損したことになる。

1956年(昭和31年)1月半ば、五島は築地にある料亭に横井と鈴木一宏を招き、五島は「君たち“五島学校”に入学せんかね、君たちのような生きの良い若い勝負師と組んで、まだまだ面白い仕事をしてみたい」と言い、それを聞いた横井は「五島会長、お言葉ありがたくちょうだいさせていただきます。今回の株の損は五島学校の入学金と思えば別に高いとも思えなくなってきました」と五島学校の門下生となった。しかし鈴木は門下生にはならなかった。白木屋乗っ取り騒動の一件で横井は五島という後ろ盾を得、その後も五島の企業買収にエージェントとして関わることが多かった。

次なる買収は東洋製糖。
後一歩で経営権を取得できるところまでいったところで、横井英樹襲撃事件が発生する。さらに五島が急死、東急を継いだ五島の長男・昇は、東急が横井に協力して買い占めていた東洋精糖の株式を東洋精糖の経営陣側に譲渡するなどの調停案(岸信介の絡みで永田雅一がまとめた)で合意し、東急は乗っ取りから撤退、東洋精糖の乗っ取りは結局横井が一人孤立してしまう格好になってしまう。このため、五島邸へ直接出向いて抗議している。
五島の急死が誤算だったのはいわずもがな、衝撃なのは長男の昇から横井は出入りを終生断られたことである。

五島慶太と横井英樹の関係をその息子は良かれと思っていなかったということだ。

五島慶太の死後は、五島門下生と言われた横井英樹と小佐野賢治が富士屋ホテルを巡って対立した。
横井も小佐野も五島慶太よりも30歳以上若い。
東京帝大卒の五島に対し、横井も小佐野も小学校卒という学歴しかない。
その2人が五島と仕事をしていたので、五島が師であり、2人は門下生と言われたわけだが、東急の株式を保有していた小佐野は横井とは立場が違う。
同じ五島慶太を師に仰ぎ、その五島から箱根の強羅ホテルを買った小佐野賢治がインテリに対する劣等感をぬぐえずにいたことに比べると、能天気でお気楽で執着心の強い横井の方が世間の注目を集めた。「ホテル経営は紳士の仕事」という名言とはそぐわぬ両雄ではあるが富士屋ホテルの支配権争奪をめぐり火花を散らすことになる。
このように小佐野にはインテリ(学歴)コンプレックスがあったようだ。一方の横井は能天気でそんなことは気にしないタイプ。
そして、五島から強羅ホテルを譲ってもらった(買った)のが小佐野賢治ならば、東京タクシーを譲ってもらったのが川鍋秋蔵である。

因縁はさらに続く。
1979年、横井英樹はホテルニュージャパンを買収した。
元の持ち主は藤山愛一郎、彼は藤山雷太の長男である。慶應義塾に銅像が出来るくらいの父を持っているわけだから当然慶應畑(但し大学は中退)。
大学中退したって別に困ることはない。父の興した藤山コンツェルンを継いで大日本製糖の社長となった。
1982年、ホテルニュージャパンは火の海と化し33人が死亡。
横井はホテル運営に違法があったとして実刑判決を受けて服役した。(藤山が持ち主の時に火災が起きていたら藤山愛一郎が服役していたということだろうか)


これまで見てきたように前川・前文科事務次官の縁戚関係から考えると、安倍首相サイドにいてもおかしくない人である。
そう受け取られても仕方ない背景を持っている。
では、あえてだからこそ前川事務次官の時に加計学園の獣医学部が新設が強力に推し進められたのだろうか?

獣医部新設は加計学園ありきだった。客観的事実と加計学園の背景からこれには同意できる。
加戸・前愛媛県知事は12年前も前から愛媛県は加計学園ありきだったと証言している。
加戸が愛媛県知事を務めたのは1999-2010年(3期12年)。
12年前は2005年なので、愛媛県は2005年から加計学園ありきで今治市への誘致を始めた。
当時はまだ国家戦略特区(2013年12月に国家戦略特別区域法制定)は存在しておらず、誘致に利用されたのは構造改革特区(2002年12月構造改革特別区域法制定)であった。
これは小泉首相(在位:2001年4月26日-2006年9月26日)の時に始まったものである。

特区で行われた規制の全国展開にあたっては、総理大臣を本部長とする構造改革特区本部に下に設けられた評価委員会が、各規制所管省庁との議論を経て、内閣総理大臣に意見を提出する。
初代評価委員長は、八代尚宏国際キリスト教大学客員教授。
その他の委員には、白石真澄東洋大学助教授、市川眞一クレディ・スイス証券チーフ・ストラテジストなどがいた。なお、当初は、三木谷浩史楽天会長や、野中ともよ三洋電機会長、北川正恭早稲田大学大学院教授も委員を務めていた。

例としては、認可第1号となった群馬県太田市(清水聖義市長)の外国語教育特区などがある。これは小学校から高校まで国語などを除き、すべて英語で授業を行うという構想である。


小泉首相は慶應義塾大学出身。太田市の清水市長も慶應義塾大学出身。
市長は特区で作った私立の学校の理事長となり、市長という権限を利用して公費を投入したことから地元では一頃問題になった。
慶應義塾大学に公務で行ったり、特区で作った学校の学生をとってもらえるように頼んでこようとツイッターで発言していたこともある。
三洋電機東京製作所は三洋電機の主力工場だったのだが、東京ではなくて群馬県の大泉町というところにあった。
太田市は2005年3月28日に「平成の大合併」を行い、新生・太田市となったが、大泉町は太田市との合併に合意しなかったため清水市長が嫌っていた。(市の名称でも太田か新田かで揉めた)
三洋電機が野中ともよを会長兼CEOに就任させるという人事を発表したのは2005年4月8日だった。


この三洋電機の奇抜な人事は従業員のみならず世間を仰天させた。
専門性や十分な経歴、民間企業での職歴などが微塵も感じられなかったからだ。
それがいきなり巨大企業のトップに立つ。誰だって驚く。
野中ともよ
東京都出身。都立富士高校卒。上智大学文学部新聞学科卒業後、アメリカ合衆国のミズーリ大学コロンビア校大学院に留学。帰国後フォトジャーナリストとしての活動を開始。
1979年からNHK総合テレビの報道、スポーツニュース番組でキャスターに就任。主な番組は、小林和男と共にキャスターを務めた海外ウィークリー、スポーツとニュース、サンデースポーツスペシャル等。
1993年から1997年にはテレビ東京・ワールドビジネスサテライトの2代目キャスターを担当した。
1987年には中京女子大学(現・至学館大学)の客員教授に就任。
1994年、上智大学大学院文学研究科博士前期課程修了。2001年には経済界大賞「フラワー賞」を受賞。ジャーナリスト活動のほか、各種社会団体の委員、アサヒビール、ニッポン放送等企業の社外取締役や日興フィナンシャル・インテリジェンス理事長、NTTドコモ、日興コーディアル証券経営アドバイザーなどとして活躍。
2008年5月には、国連IPCC議長であり、2007年度ノーベル平和賞受賞者であるパチャウリとの間で、パチャウリが代表を務めるインドTeriとガイアイニシアティブとの活動協力を続ける。


ご覧のとおり、彼女もカトリック系の上智大学卒。
新聞学科を出てジャーナリストやキャスターになった。それはよい。
だけど経営諮問委員というのは果たして適任なんだろうか?
社会的活動
宇宙航空研究開発機構(JAXA)経営諮問委員
産業総合研究所 経営諮問委員
文部科学省中央教育審議会委員(第2期~第3期)
NPO法人ガイア・イニシアティブ代表理事
NPO法人ポイントグリーン]理事 (POINT GREEN は、鴨下一郎元環境大臣が2002年からすすめるエンターテインメントや文化の発信力を活用して「多くの人々に環境意識を発生させる」ための活動)
アースデイ いのちの森 実行委員長



もう何度か書いているが、野中ともよは「安倍晋三を囲む午年の会」と「エンジン01文化戦略会議」のメンバーである。
「安倍晋三を囲む午年の会」の発起人はフジテレビの黒岩裕治キャスター(2011年4月より神奈川県知事)。彼もどちらのメンバーでもある。
「エンジン01文化戦略会議」は文化人とか芸能人とかいろいろな人がいるが、代表は作曲家の三枝成彰、幹事長は林真理子、副幹事長の1人が秋元康であった(最新を確認していないので変わっているかもしれませんが私が記事を書いた頃はそうだった)。
iPS細胞の山中教授もメンバーに名を連ねていた。
それでそのメンバーの大部分を渡辺プロダクションが引き受けていて、渡辺プロダクションはフランス政府やイギリス・ロスチャイルドとの関係を匂わせている。
過去記事、甍(いらか)三甍(いらか)四十八 器官51など参照してください。

有志の囲む会に参加しているくらいだからどっからどう考えたって野中ともよは安倍首相派であろう。
それとも発起人を重視してフジテレビ(フジサンケイグループ)とでも言えばいいのだろうか?
ともかく、そして三洋電機は消滅した。
エンジン01文化戦略会議は地方を回って、知事や議員や有力者を取りこんでいるみたいな感じ。










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# by yumimi61 | 2017-09-05 14:18
2017年 09月 04日
日本国憲法の秘密-548- (加計学園問題について)
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昨日の図に付け足した。
松方正義は日本銀行創立者。薩摩の島津家の後援で立身出世した人物。三菱財閥をはじめ有名どころと数多くの姻戚関係を結んだ。
赤いラインを引いたのはハイヤー・タクシー会社の日本交通の創業家である。
川鍋一朗の父親が川鍋達朗、川鍋達朗の父親が川鍋秋蔵(図に名前はない)。

川鍋秋蔵は埼玉県北足立郡宮原村(後の大宮市、現・さいたま市北区)に9人兄姉の一人として生まれ、鉄道省立鉄道工業学校卒業後、鉄道省大宮工場(現・大宮総合車両センター)に勤めたが、独立を志して1919年に上京。梁瀬商会(ヤナセ)の見習い運転手となり、1921年には川崎造船所社長・松方幸次郎の運転手に転じ、将来の独立を目指す。 

松方幸次郎は松方正義の三男であり、松方三郎の養父である。
松方幸次郎の妻の父は福沢諭吉のすすめで神戸の土地を買い占めた九鬼隆義。宮内省にも勤務した。
松方幸次郎の娘と結婚したのが国際文化会館設立者の松本重治。
国際文化会館設立を支援したのがロックフェラー3世であり、国際基督教大学(ICU)もこの流れで作られた大学。
九鬼家や松本家はキリスト教徒である。

川鍋秋蔵は1928年に独立を果たした。川崎造船専属の仕事があったため事業は順調だった。
1945年川鍋秋蔵は五島慶太を紹介された。
五島慶太は長野県出身。あの松本深志高校卒業。経済的理由から一旦は進学を諦めて働き始めるも、再び上級学校への進学を目指す。紆余曲折を経て1911年29歳の時に東京帝国大学を卒業。
高等文官試験(官僚試験)に合格し、加藤高明(三菱に入社し岩崎弥太郎の娘と結婚した三菱の番頭とも呼ばれた政治家で首相にもなった)の斡旋で農商務省に入省。その後鉄道院に移った。
1944年には東條内閣で入閣している。

五島慶太の旧姓は小林で、五島は妻方祖母の姓である。
妻の父親は皇居二重橋の設計者で、結婚の際に仲人をしたのは工学博士の古市公威(帝大工科大学初代学長、理研2代目所長、土木学会初代会長)(三島由紀夫の本名はこの人由来)。
五島慶太は東京横浜電鉄(現:東京急行電鉄)の経営者。
川鍋秋蔵は東急系の東京タクシーを五島に譲ってもらい、以来五島慶太とは盟友関係にあったと言われている。
だが実際はそんな美しい関係がずっと続いたわけではな。
五島は慶應閥から嫌われていたからだ。

慶應義塾の創始者・福沢諭吉は薩摩の島津家や九鬼隆義から経済援助を受けている。
慶應義塾は島津家や松方家(日銀)、岩崎家(三菱)寄りの立場にあるということである。
慶應は学閥が強いことで昔から有名。
先日まで書いていた話に出てきた阪急グループ創始者も慶應出身。阪急・小林一三並びに三越・三井・三菱の三グループは全て慶應閥であり、東急グループのオーナーだった五島慶太はこの慶應閥から兵糧攻めにあった。
東急グループの母体企業・田園都市株式会社の創始者は(日本経済の父であり理研の創始者でもある)渋沢栄一であり五島ではなく、その田園都市株式会社の経営にこっそり関わっていたのが小林一三であった。
また東急電鉄の株式を握っていたのも五島ではなくフィクサー小佐野賢治であった。
小佐野は日本航空と全日空の株を買収して航空業界へ進出することを狙っていた。その後ろにはロックフェラーがいたとされる。



慶應義塾の福沢諭吉は尾崎行雄と聖公会とも関係がある。
過去記事
年初にイエズス会のことを書いた。
現皇后陛下が通われたのが聖心女子学院高等科と聖心女子大学だからである。
この学校はカトリック系。設立母体は「イエズスの聖心会」。
聖心女子大学の卒業生の中に参議院議員の山谷えり子さんがいて、尾崎行雄記念財団の顧問もされているので、財団の役員も列記した。
実は尾崎行雄もクリスチャンである。しかも聖公会の信徒であった。
1875年(明治8年)のクリスマスに、聖公会のカナダ人宣教師で英語教師でもあったアレクサンダー・クロフト・ショーより洗礼を受けた。


アレクサンダー・クロフト・ショーは宣教師として来日し、慶應義塾の近くに住んでいた。
1874年には福沢諭吉の子供たちが英語を習いに来る。そして、福沢家の家庭教師として3年間雇われる。
福沢が自宅の隣にショーのために洋館を建てる。そして、慶應義塾の英語教師に招聘される。
英語だけではなく聖書も教えるようなり、学生たちが信仰を持ち、1875年のクリスマスに尾崎行雄を含めた8人の日本人がショーから洗礼を受ける。
また、ショーは英国公使館付きの牧師に任命され、日本の指導者たちと幅広くかかわりを持った。


明治期以降の日本はキリスト教が支配してきたようなものである。
特に国際人としてグローバル社会の上層で活躍したいと思ったらキリスト教徒であることは必須条件である。それもカトリックや聖公会である必要がありそうだ。
ちなみに日産に送り込まれたカルロス・ゴーンも、ソニーに送り込まれたハワード・ストリンガーもカトリック教徒である。


ところで先生、あの人のモデルは小佐野賢治ですか?
小佐野賢治の妻・小佐野英子はジャニーズ事務所の後見人で多額の資金援助をしているんですよね?
ということは、ジャニーズ事務所に誰か想い人がいたということですか?


小佐野英子の父親は堀田正恒。
子爵・鍋島直柔の次男として生まれ、伯爵・堀田正倫の婿養子となる。
鍋島というのは佐賀藩主の家系。
鍋島直柔は1871年に鍋島家を相続した。
慶應義塾に入学し、1873年に明治政府からイギリス留学を許可されたという人物。
その息子であった正恒は伯爵・堀田正倫の娘と結婚して堀田家の養子となった。子爵から伯爵にランクアップ。
堀田は下総佐倉藩(千葉県佐倉市)の藩主の家系。

日本では東洋・西洋諸国に定められる、いわゆる爵位制度を正式に定めるのは明治時代以降のことである。
1884年(明治17年)7月7日に発せられた華族授爵ノ詔勅により、華族制度が設けられた。華族制度は華族令(明治17年宮内省達、明治40年皇室令第2号)に規定された。

前にも書いたけれど世界の民主化に逆行したのが日本である。
身分が高い順に、公爵・侯爵・伯爵・子爵。そうした身分を天皇が独断と偏見によって与え、以後基本的に世襲となる。
権威者に気に入られなければ立身出世できないのが封建社会。自由競争とか実力社会とは反対な社会。
一番偉い公爵は九条道孝だった。明治天皇の母方の祖父である。現天皇の曽祖父にあたる。
近衛、島津、毛利などは公爵を授けられている。
総理大臣にもなった西園寺公望は侯爵である。(毛利を父に持ち西園寺公望の養子となった人物が昭和天皇の実父だという説がある)

但し小佐野英子の母親は堀田の娘ではない。
早くに亡くなったのか、堀田正倫は別の女性と結婚している。
その女性は仙台藩主であった伊達家の娘である。明治に入ってから生まれた伊達邦宗(31代当主)の娘。伊達邦宗もイギリスに留学している。
仙台伊達家は会津藩とともに親幕府派であったので明治維新後は憂き目を見ることになる。
伊達家分家や家臣は没落したり北海道へ渡って開拓の祖になった者もいた。
但し新政府側は親幕府派であっても主家などには爵位を授けて取りこんだ者もいて、主家であった伊達家も伯爵を与えられている。







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# by yumimi61 | 2017-09-04 15:27
2017年 09月 03日
日本国憲法の秘密-547- (加計学園問題について)
少し前に「ブログについて」という記事を書いて、その中でHTML編集の改行が面倒だと愚痴ったのですが、今日の先ほど、AUTO改行(自動改行設定)ボタンなるものがあることに気が付きました。
前からあったんでしょうか・・・だとしたら申し訳ない m( 〃..)m

これからはサクサク改行できそうです。
と思ったら新たな問題。プレビューをクリックすると、新たな画面で表示されるのではなくて同一画面で表示される(以前は新たな画面だった)。要するにそれまでの編集画面が消えてしまう。
戻るボタンで戻っても当然編集画面は真っ新おニューな状態で打ちかけた文字はなくなっている。
記事はどこに行ったのかと探してみると、どうも下書き一覧に自動的に保存されているようなのですが、そういう仕様なのでしょうか?(下書き保存ボタンではなくてプレビューボタンだけをクリックした)
しかしながらプレビューにて自動保存された下書き記事を編集し、改めてプレビューなり下書き保存なり投稿しようと思っても出来ない。
コピペし新規投稿画面に貼りつければ良いと言われればまあそうだけれども若干面倒ですね・・。
下書き保存をクリックし、下書き完了アナウンスがあったものは出来る。
書きかけて消えてしまうようなことがないように、公開前にまめに下書き保存しなさいということでしょうか。と同時にプレビューには気を付けろということでしょうね!?

ついでに凄く私事なのですが、ここ何年か私はブログ記事を一回で完成させて投稿するという形式ではなくて、一回の記事を何回かに分けて投稿しています。
最初は新規投稿ですが、2回目からの投稿は記事編集画面にて入力しているということになります。
「プレビュー・公開・下書き保存」のボタンが出てくるのは新規投稿画面のみで、記事編集画面では「プレビュー・保存」だけであり、記事編集画面では保存をクリックすれば保存だけでなく自動的に公開されてしまいます。
編集にて長文を足している時などは打ちかけた文字が消えてしまうということも発生するわけですが下書き保存が有効ではないのです。

================================
中曽根弘文―前川真理子<前川喜平の妹>
(長男)中曽根康隆・・JPモルガン証券入社、2013年より国会議(父)秘書
(長女)中曽根文子・・川鍋一朗(日本交通3代目社長)と結婚

中曽根弘文は慶應義塾大学卒。
長男の中曽根康隆も慶應義塾大学卒。
長女の中曽根文子も慶應義塾大学卒。その夫である川鍋一朗(日本交通3代目社長)も慶應義塾大学卒。

(川鍋一朗の父母)川鍋達朗―広瀬為宇
※広瀬為宇は、集成社取締役・日本陶器社長であった広瀬治郎の娘

(広瀬為宇の父母)広瀬治郎ー藤山桜子
※藤山桜子は、王子製紙取締役・大日本精糖社長などを務めた藤山雷太の娘

(広瀬治郎の父母)広瀬実光ー鄭沽龍
※鄭沽龍は北京公使館書記官であった鄭永昌の娘。鄭永昌は唐通事の鄭家8世鄭永寧の息子。


          広瀬実光・・・鄭沽龍 藤山雷太・・・江川みね
               |          |
              広瀬治郎・・・・・・・藤山桜子 
                       |
中曽根弘文・・・前川真理子  川鍋達朗・・・広瀬為宇
      |             |
    中曽根文子・・・・・・・・・川鍋一朗

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【ここでちょっとブレイク】
ブログ編集の問題はパソコンとスマホでは表示のされ方が違うということもある。パソコンで見るブログではこちらの意図した状態に反映されていないが、スマホで見るブログではちゃんと反映されているということがあるのだ。(私はほとんどパソコンで編集や投稿をしているけれども)
上の図もパソコンだと意図したもの(編集画面の図)とは線が一部ずれて表示されてしまうがスマホではきちんと表示されている。
下側のは図としてアップロードしたもの。


藤山 雷太(1863年9月13日(旧暦文久3年8月1日)- 1938年(昭和13年)12月19日)
佐賀藩出身の明治・大正・昭和の実業家、貴族院勅選議員。東京商業会議所会頭、芝浦製作所所長、大日本製糖社長、藤山同族社長、大日本製氷会長、日印協会理事、また三井財閥・安田財閥・共同の各信託会社の相談役・取締役等を歴任し、藤山コンツェルンを創立した。正五位勲三等。
1919年(大正8年)に藍綬褒章、1923年(大正12年)に紺綬褒章を受章。次いでフランス政府からレジオン・ドヌール・シュバリエ勲章を受章。安南(現在のベトナム)国王からはグラン・オフィシェ・ド・ランテン勲章を贈られた。


【ここで勲章(褒章)について一言】
褒章は、明治14年12月の「褒章条例」(太政官布告第63号)公布により、紅綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章が制定されたのが始まりで、以降、大正7年に紺綬褒章、昭和30年に黄綬褒章、紫綬褒章が制定され、現在に至っています。

褒章は天皇が授与する栄典である。法的には、戦前は大日本帝国憲法第15条の「其ノ他ノ榮典」であり、戦後は日本国憲法第第7条7号に該当する国事行為(同7条柱書き)であることに基づく。詳細は褒章条例(明治14年太政官布告第63号)により定められる。

戦前の絶対君主(独裁)の仕来たりが今なお重宝がられているという事実。
少なくとも反体制や戦争に反対する人が貰って喜ぶものではないと思うが。
「税金の無駄遣いになると思うので辞退します」と言えばいいのに。



私は藤山雷太についても以前書いている。東芝に関係した人である。

東芝の前身となる田中製造所は東京逓信工業よりも全然古い会社で、天才発明家と言われた田中久重が1875年(明治8年)に設立した。
1881年(明治14年)に創業者が死去。田中製造所は養子が久重を襲名して引き継いだ。
ここまでは家業であった。
しかし事業(電信機の製造)は行き詰まり、1893年三井銀行がこれを引き受け芝浦製作所と改称し、1904年に株式会社芝浦製作所として再出発した。
この時に三井銀行から芝浦製作所に送り込まれたのが藤山雷太。
芝浦製作所は1909年にアメリカのGE社に資本の1/4を引き渡して技術提携。GE社はモルガングループ企業。


藤山雷太は森永製菓創業者の森永太一郎と同じく佐賀県伊万里の出身。
慶應義塾の出身で福沢諭吉の計らいで出世した。


福澤諭吉を介して、福澤の甥であり山陽鉄道社長であった中上川彦次郎の知遇を得て、黒田清隆、大隈重信、鳩山和夫らと知り合ったという。
その後、中上川によって三井銀行に採用され、若輩ながら抵当係長という重要ポストに付けられた。その後、雷太は中上川の妻の妹と結婚し姻戚関係となった。
藤山は王子製紙の専務取締役に就任している。ということで王子製紙も三井系企業。

1909年(明治42年)に渋沢栄一に推挙され大日本製糖(現在の大日本明治製糖)の社長に就任。
この倒産寸前と評される大日本製糖を台湾での生産拡大などの経営方針で僅か2年ほどで再建させ、その後、朝鮮製糖、内外製糖、東洋精糖を合併し、規模を拡大させた。

三井退社後から、この間、駿豆鉄道社長、日本火災保険副社長、歌舞伎座取締役、出版社泰東同文局社長を歴任。帝国劇場の創立にも関わる。1917年(大正6年)から1925年(大正14年)には東京商業会議所の会頭を務め、日本商業会議所連合会会頭にも就任した。1923年(大正12年)に勅選貴族院議員となる。
この間に拡大させた企業群は『藤山コンツェルン』の基礎となる。



藤山雷太は森永製菓創業者である森永太一郎と同郷。
森永太一郎はファーストレディ安倍昭恵の曽祖父である。
彼女とその母もカトリック系の聖心出身。
森永製菓が森永乳業とは兄弟会社であるが、森永乳業はまた森永ヒ素ミルク中毒事件を起こした企業。(森永製菓はグリコ森永事件の被害企業)


美智子皇后は聖心女学院の中等科・高等科を経て聖心女子大学を卒業した。
国連難民高等弁務官など国連活動を行った緒方貞子も小学生の時にアメリカから帰国してずっと聖心であった(聖心女子大学卒)。現在はやはりカトリック系の上智大学の名誉教授でもある。
中曽根弘文の妻(前川喜平の妹)もずっと聖心だったらしい。
安倍首相の妻である安倍昭恵も聖心女子学院初等科・中等科・高等科を経て、聖心女子専門学校を卒業した。
聖心女子専門学校は英語科と保育科があり、彼女は英語科。
(トランプ大統領、英語科を卒業したからといって英語が話せるわけではありませんよ!)(それと電話会談って簡単に言うけれど、そんなに簡単なことではありませんよね?お得意のフェイクニュース?)
聖心女子専門学校はどちらの科も募集を停止したようなので、そろそろ閉校するのだろう。
明治天皇時代の教育勅語を暗唱して日本国イエーイ、安倍首相頑張れ~みたいな森友学園の籠池夫妻と安倍夫妻は意気投合したこともあったようだが、神様とか祈りとかはイエス・キリスト(あるいはローマ教皇?まさか天皇じゃないでしょ?)に通じると思われ。


第一次安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日
この時に教育基本法を改正した。
安倍晋三の妻である安倍昭恵は当然公のファーストレディだったわけである。
しかしこの内閣は1年しか続かなかった。安倍晋三は突如その座を降りたのだ。
夫人である安倍昭恵が大学院へ進んだのはその後のことである。
なんでもファーストレディになってはじめて勉強してこなかったことを恥じたそうなのだ(負い目に感じた?)。
富裕層階級の、とくに聖心女子大学卒のレディたちによる陰湿なイジメでもあったのでは?
「同じ聖心として恥ずかしいですわよね~」とかなんとか。
それで昭恵は大学進学を考えたらしいのだが、一から学生やるのも・・(勉強したいんじゃないんですかっ!)
編入はどうかしら!?(短大ならともかく専門学校からの大学編入は無理ですっ!)
じゃあ大学院は?(えっ大学飛ばして大学院?そんなのダメに決まってるでしょっ!)(え?いいですよ、どうぞどうぞ!?)
安倍昭恵は立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程を2011年に終了し、修士号を得たらしい。
修士論文は「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活 —NGOの寺子屋教育支援—」!?
(いやいや待って、おかしいでしょっ!なにこれ、忖度?御意向?圧力?お金?来る者拒まず?)
立教大学はアメリカ聖公会系の大学。聖公会はイギリスのキリスト教。
昭恵の祖父・父・弟が立教大学出身のようだ。やはりキリスト教徒一家なんでしょうかねぇ?



中曽根文子の夫・川鍋一朗の母は広瀬為宇で、広瀬為宇の母方の祖父が藤山雷太、父方の祖父が広瀬実光。
広瀬実光は日本陶器合名会社(現:ノリタケカンパニーリミテド)の社長だった人物。
日本陶器合名会社は6代目森村市左衛門と異母弟である森村豊が創立した会社である。
その後さらに、日本碍子(日本ガイシ)、東洋陶器(現:TOTO)、日本特殊陶業を設立した。
森村家はもともと旗本屋敷などに出入りする武具商であり、広瀬家は土佐藩主の家臣の家系で、仕事柄両家は親しい間柄にあった。
実光の父親・広瀬実栄は明治維新後、近衛第一大隊長として新政府に出仕したが,1873(明治6年)に板垣退助と共に下野。
板垣退助に近い存在であったということは、吉田茂の実父と言われている竹内網のこともよく知っていたであろう。
広瀬実栄は森村市左衛門が開業した森村銀行銀行の初代頭取となる。


ところで森村市左衛門や森村財閥を覚えているだろうか。
日本銀行創設者の松方正義の14男が7代目森村市左衛門(森村学園創始者、日本ゴルフ協会初代会長)の養子であったため、松方正義の家族について書いている時にページを割いた。
森村豊は渡米の船が一緒だった群馬出身の生糸貿易商・新井領一郎(旧名:星野良助)と知り合い、パートナーシップによって生糸輸入販売の会社(森村・新井商会)を設立した。
松方正義の9男の妻は新井領一郎の長女であり、夫妻の娘の1人は駐日アメリカ大使でライシャワー事件で有名なエドウィン・O・ライシャワーと結婚した。(過去記事
森村財閥の基礎を作ったのは6代目と異母弟、森村家にとって恩人となった新井領一郎。
森村家を継続的に支援していたのは慶應義塾創始者の福沢諭吉。

森村市左衛門6代目は貿易の専門家として日本銀行設立時の監事であった。
また教育・社会活動にも非常に積極的で、とくに、慶應義塾大学、日本女子大学、高千穂大学には多額の寄付を行った。

日本女子大学とはNHKの朝ドラ『あさが来た』の主人公のモデルだった三井家のお嬢様・広岡浅子が創立したとされる大学。
創立にあたっては、東京専門学校(現・早稲田大学)の創立者大隈重信が創立委員長となり、総理大臣伊藤博文、学習院院長近衞篤麿、文部大臣西園寺公望、財界人渋沢栄一、岩崎弥之助等各界の重鎮の多大な支援を受け、広岡浅子の働きかけで三井財閥から東京・目白の地(現在地)を寄贈され開校。(『わたしの大学』日本女子大学より引用)

大隈が日本女子大学の創立に関与しているため早稲田大学にも寄付を行っている。
また日本女子大学・学習院大学・学習院女子大学・立教大学・早稲田大学は学生交流協定を結んでおり、上記の関係を今に引き継いでいる。
高千穂大学の創始者・川田鐵彌は土佐(現:高知市)生まれ。
高知県尋常中学校と東京帝国大学(現:東京大学)を卒業して文部省に入り、 陸軍幼年学校の教官や東京専門 学校(現:早稲田大学)の講師をしていたという人物。
1903年(明治36年)に高千穂学校を創立した。戦後に大学となった。


松方正義の14男が養子入りした7代目森村市左衛門の妻は長州五傑の1人井上勝の長女。
松方正義の10男(日本銀行金沢支店長、日本特殊陶業監査役、共立原料各監査役)の妻も井上勝の三女。
井上勝の実子は女子のみで、次女の夫(松浦勝純)が井上家に養子に入る(婿養子・井上勝純)。
井上勝純夫妻の娘は東大名誉教授・鈴木竹雄の妻となる。
鈴木竹雄は鈴木商店(現:味の素)の2代目社長(創業者の弟)・鈴木忠治の三男。
鈴木商店とは味の素の前身で森&安西コンビへの出資者であり、昭和電工の創業者の1人。
ぐるぐる回ってまたこのコンビというかトリオというかに戻ってきましたね。







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# by yumimi61 | 2017-09-03 14:12
2017年 09月 01日
日本国憲法の秘密-546- (加計学園問題について)
中曽根康弘―小林蔦子<明治大学・早稲田大学教授であった小林儀一郎の三女>
(長男)中曽根弘文
(長女)中曽根美智子・・明治大学専務理事双川喜一の孫にあたる弁護士双川喜文の長男と結婚
(次女)中曽根美恵子・・元NHKアナウンサー。鹿島家娘婿の子で鹿島建設社長であった渥美健夫の長男と結婚

※中曽根康弘の妻の父である小林儀一郎の息子・小林義治は日本工業新聞社社長、産経新聞社専務であった。
また中曽根康弘の長女の息子であり双川正文はフジテレビのプロデューサーである。
このように中曽根家はフジサンケイグループと無縁ではなさそうだが、フジサンケイグループは「新しい歴史教科書をつくる会」や日本会議と関係がある。

「新しい歴史教科書をつくる会」
 ①残留組
 ②離脱組=日本教育再生機構(2006年発足)、改正教育基本法に基づく教科書改善の会(2007年発足)

「新しい歴史教科書をつくる会」=扶桑社(フジサンケイグループ)⇒2007年に関係解消
 ①残留組―自由社
 ②離脱組―扶桑社・育鵬社(扶桑社が新たに設立した子会社)
※豆知識―育鵬社の「鵬」は中国の伝説の鳥である。

上記のように「新しい歴史教科書をつくる会」は分裂した。
離脱組が安倍内閣をバックに新たに結成した日本教育再生機構(2006年発足)と改正教育基本法に基づく教科書改善の会(2007年発足)には日本会議が関わっている。
しかし残留組が組んだ出版社の社長で、つくる会の顧問もである加瀬英明は、日本会議の監事及び代表委員でもある。

ということで完全に分裂しているわけではないと考えられる。


中曽根弘文―前川真理子<前川喜平の妹>
(長男)中曽根康隆・・慶應義塾大学卒、JPモルガン証券入社、2013年より国会議員(父)秘書
(長女)中曽根文子・・慶應義塾大学卒、川鍋一朗(日本交通3代目社長)と結婚

※中曽根弘文の妻が前川喜平の妹であるが、前川真理子は美智子皇后と同じく聖心(カトリック系の学校)出身であるらしい。
ちなみに中曽根弘文議員は「日本会議国会議員懇談会」や「神道政治連盟国会議員」に属している。

※中曽根弘文・真理子夫妻の長女(前川喜平からみると姪)は、日本交通社長・川鍋一朗の妻である。
日本交通は日本交通公社(現JTB)のことではなくてハイヤー・タクシー会社である。
日本交通と川鍋という名を覚えているだろうか?
千葉県勝浦の森・安西というカジメ拾いの漁師コンビの姻戚関係に出てきた。

森興業(日本沃度→日本電気工業)、昭和肥料、東信電気、これらは漁師一家出身の森&安西コンビが関わった会社である。
スポンサーは、ヨード事業を手掛けていた鈴木商店で成功を収め、味の素を創業した鈴木三郎助。
電力事業を行っていた東信電気は国家統制に組み込まれることになった。後に東京電力の一部となる。
日本電気工業と昭和肥料は合併して昭和電工となった。

安西八郎兵衛(勝浦の貧しい漁師)
 |
安西直一
(森矗昶より12歳年上で豪農の娘と結婚した森矗昶の仲人となる、後に千葉県議会議長)
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安西浩(東京瓦斯会長)・・・帝国コークス社長の娘と結婚
安西正夫(昭和電工会長)・・・森矗昶の長女と結婚

安西浩の長男・一朗(昭和アルミニウム社長)
 東京大学名誉教授で癌研究会癌研究所所長でもあった吉田富三の娘と結婚
安西浩の長女・和子 ・・・佐藤栄作首相の次男と結婚
安西浩の次男・邦夫(東京ガス相談役)・・・日本交通社長であった川鍋秋蔵の娘と結婚

安西正夫の長男・孝之・・・日清製粉会長の正田英三郎の娘(皇后美智子の妹)と結婚
安西正夫の次男・直之・・・住友財閥の創業家住友家16代当主吉左衛門の娘と結婚
安西正夫の長女・千世・・・政治家大橋武夫の長男である大橋宗夫と結婚
安西正夫の次女・八千代・・・現在も武蔵野音楽大学の学長である福井直敬と結婚
安西正夫の三女・公子・・・住友銀行会長堀田庄三の長男でモルガン・スタンレー証券会長堀田健介と結婚

中曽根弘文・真理子(旧姓:前川)夫妻の娘の結婚相手である川鍋一朗の父は川鍋秋蔵の息子である。

森為吉(勝浦の貧しい漁師)
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森矗昶(豪農の娘と結婚隣家の安西直一に仲人を依頼し、以後ビジネスパートナーとなる。森コンツェルン創始者)
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森暁(昭和電工社長、衆議院議員)・・・外務官僚で貴族院議員であった室田義文の孫と結婚
森清(昭和火薬社長、衆議院議員)・・・1965年河野一郎亡き後、中曽根康弘らと対立し森派を形成
森美秀(昭和火薬社長、衆議院議員)森満江・・・父森矗昶のビジネスパートナー安西直一の息子の安西正夫と結婚
森睦子・・・三木武夫首相と結婚
森三重子・・・三重県知事や衆議院議員であった田中覚と結婚(田中は再婚)



中曽根弘文は慶應義塾大学卒。
長男の中曽根康隆も慶應義塾大学卒。
長女の中曽根文子も慶應義塾大学卒。その夫である川鍋一朗(日本交通3代目社長)も慶應義塾大学卒。

(川鍋一朗の父母)川鍋達朗―広瀬為宇
※広瀬為宇は、集成社取締役・日本陶器社長であった広瀬治郎の娘

(広瀬為宇の父母)広瀬治郎ー藤山桜子
※藤原桜子は、王子製紙取締役・大日本精糖社長などを務めた藤山雷太の娘

(広瀬治郎の父母)広瀬実光ー鄭沽龍
※鄭沽龍は北京公使館書記官であった鄭永昌の娘。鄭永昌は唐通事の鄭家8世鄭永寧の息子。

唐通事
唐通事とは、江戸時代の長崎や薩摩藩、琉球王国などに置かれていた中国語の通訳のこと。長崎においては、慶長9年(1604年)に在留明人の馮六官を唐通事に任じたのが初例とされ、以後日本語の出来る在留中国人とその子孫が一子相伝を原則として任じられた。
確実に両国の言語が理解できる環境を維持するために代々継承という形を採ったのだろうと思う。
鄭家と鄭永寧
長崎で唐通事を務めていた鄭家の初代は父親が中国人で母親が日本人のハーフであり、以後その子孫が継いできた。
鄭永寧は鄭家の8世にあたるが、彼は養子である(本姓は呉)。幾つの時から鄭家で育ったのかは不明。ともかく鄭家と血の繋がりはない。
そしてこの8世鄭永寧の時代は明治維新とともにやってきた。
長崎から東京に移り、1869年(明治2年)に外務省入りした。
以後、呉家は外務省や東京外国語学校で学び、外交官や三井物産などで働いた。



少し話がずれるが、「呉」という姓は中国によくある姓である。
また広島県には瀬戸内海に面して呉市が存在する。

(呉市は)地形的に天然の良港と言われ、古くは村上水軍の一派が根城にしており、明治時代以降は、帝国海軍・海上自衛隊の拠点となっている。第二次世界大戦中は、帝国海軍の拠点でもあり、当時は全国10大都市に数えられるほどの実に40万人を越える人口を抱えていた。

呉市山手の通称「山手の谷」はもともと被差別部落ではなかったが、1889年の軍港開設と共に海軍に納める牛豚肉のための屠場が設けられ、続いて火葬場や海軍の監獄、野犬処理場等が作られ、この付近に住む人々が賤視されて被差別部落になったとされる。山手の入口にある上山手橋には地獄橋の異名があった。

瀬戸内海沿岸に散在する部落について、「瀬戸内海ですと、村上水軍ですとか、塩飽水軍などの名前を聞くはずですが、村上水軍の一番の支配者の人は部落ではないのですが、水軍のかなりの部分は、現在でも被差別部落民です」(『江戸の非人 部落史研究の課題』本田豊、三一書房、1992)、「海岸や沖合警備の名目で瀬戸内の島々に政策的に配備された部落は、豊臣秀吉によって壊滅させられた村上水軍の系統を引くものではないか―そのように私は考えるのだ」(『日本民衆文化の原郷』沖浦和光、解放出版社、1984)との考察がある。

部落差別は江戸時代の身分制度の名残だとされてきたが、どうもそうではないらしい。

士農工商(四民)は、古代中国から用いられた言葉で、紀元前1000年頃には既に見られる。意味としては、漢書に「士農工商、四民に業あり」とあるように、「民」の職業は4種類に大別されるということになる。そして、これを連続して表記することで、「老若男女」のように、あらゆる職業の民、つまり「民全体」または「みんな」といった意味で使われる。
近世日本では、遅くとも17世紀半ばまでに「士」が武士を意味するように意味が改変されて受け入れられた。また、近代以降には「士農工商」が近世の身分制とその支配・上下関係を表す用語として認識されるようになった。しかし、1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが実証的研究から明らかとなり、2000年代には「士農工商」の記述は教科書から外されるようになった。

広島県は原爆が投下された町だとされるが、実はそこには福島という名のかなり大きな被差別地区があった。

県内には414ヶ所あるいは422ヶ所の同和地区があったが(解放同盟広島県連副委員長の本山清によると450ヶ所)、中でも最大の被差別部落は広島市西区の福島地区(福島町、南三篠町、都町)であり、規模の大きさは全国で五指に入る。広島県社会課による1925年の調査によると福島地区の戸数は894戸を数えたが、1945年8月6日の原爆投下で多大の被害を受け、福島町の人口の6割以上が被爆した。






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# by yumimi61 | 2017-09-01 15:03
2017年 08月 31日
日本国憲法の秘密-545- (加計学園問題について)
犬猫も家畜も減少傾向にあり、今後増加するとも思えず、獣医師の需要増は見込まれない。
国際的にも日本の獣医師数は家畜数に比べると多いという状況にある。
従って獣医師養成を目的とした獣医学部を新設する理由などどこにもない。
獣医師は民間資格ではなく国家資格であるからして、何の理由なく個人の夢や野望で増加させたり認可したりは出来ないであろう。
獣医学部の新設が長いことなかったことは別に不思議なことではないのだ。
また地域性や加計学園系列学校の実績を鑑みても、四国の愛媛県や加計学園が獣医師養成を担う必要はない。

獣医師増の必要はないという客観的事実→規制(新設は認めない)

岩盤規制を打ち破るのが国家戦略特区だとしているのだから、それは言い換えれば国家戦略特区は客観的事実を必要としないということになる。
調査もビッグデータも必要ない。
誰かの夢や野望、誰かの感情や縁故、そういうものがまかり通るのが国家戦略特区である。


教師の「依怙贔屓(えこひいき)」というものが古くから噂されたり問題になったりするように、差別にも通じる「依怙贔屓」は根の深い問題である。
客観的事実や集団の目的に合致した依怙贔屓(差別)なのか、それとも個人的な感情によるものなのかという違いがまずあると思うが、差別自体を忌み嫌う社会ではどちらであっても受け入れがたいのであろうし、確かにボーダレスな部分があることも否めず。
また客観的事実が例えば「あの子は見た目が可愛い」「あの子は可愛くない」「あの子は素直」「あの子は反抗的」だとしたら、その客観的事実による依怙贔屓(差別)が許されるのかどうかという問題にぶつかる。
問題と書いたが「美少女コンテスト」とか「ミスなんとか」とか「イケメン」とか見た目差別なんて十分に社会的コンセンサスを得ている観がある。
勉強が出来る子と同じように運動が出来る子も評価されるべきだという視点に立てば、勉強も運動も出来なくても見た目が良いことが評価されるべきという意見も無下には出来ない。
人間だから好き嫌いがあるのは仕方がないと言ってしまえば全てそれで終わってしまう。
そしてたぶん一番根が深いのは、他人が依怙贔屓をされるにはとにかく不愉快だが自分がされている分には(あるいは自分がしている分には)一向に構わないという人が多数を占める事であろう。
差別反対と言いながら自分が差別されることは気にならない。
差別反対と言いながら自分が差別することに対しては無頓着。
だから世の中は平等のようでいて(総論)、実はあっちにもこっちにも差別が蔓延している(各論)。
差別が蔓延しているのだから差別がなくなるわけないではないか。
国家戦略特区もそれにどこか似ている。
戦略を良き物としているのだから闘争が無くなるわけないではないか。戦う気満々なのである。しかも国家という冠が付いているわけだから国家レベルの戦いである。


愛媛県今治市が国家戦略特区に決まったのが2015年のことである。

首相官邸ホームページより平成27年12月15日 国家戦略特別区域諮問会議
(ラインは私が入れたものです)

平成27年12月15日、安倍総理は、総理大臣官邸で第18回国家戦略特別区域諮問会議を開催しました。

 会議では、「区域計画の認定」、「1次指定6区域の評価」及び「国家戦略特区の3次指定」について議論が行われました。

 総理は、本日の議論を踏まえ、次のように述べました。

「本日も、国家戦略特区で大きな成果が上がりました。
 家事を支援する外国人が、来年3月から神奈川県の各家庭で活動を始めます。これにより家事を担っている方々の負担が軽減され、活躍の幅が広がります。特に仕事を持つ家庭人には、大きな支えとなることと思います。
 全国で10番目となる国家戦略特区を、新たに決定しました。瀬戸内のしまなみ海道でつながった、広島県と愛媛県今治市です。
 例えば、しまなみ海道の『道の駅』の民間による設置、ライフサイエンスなどの新たに対応すべき分野における獣医師系の国際教育拠点の整備など、観光、教育、創業などの分野で、国際的な交流人口の流れを呼び込み、地方創生を実現します。
 
 医薬品などのドローンによる宅配を実証する千葉市や、福岡市と連携しながら高齢者の雇用を進める北九州市を、新たに特区の対象にします。  安倍政権の国家戦略特区に、終わりはありません。自治体や事業者の方から経済効果の高い規制改革提案があれば、これからもスピーディに対応してまいります。
 1つ1つの具体的事業を実現し、そのために必要であれば、新たな区域を指定してまいります。」
 

国家戦略特区で国家レベルの戦いのはずだが、安倍首相はどうも広島県と愛媛県今治市に国際人を呼び込みたいらしい。
国際人とは何かという議論もあるだろうが、簡単に言えば外国人ではないだろうか。
国家レベルの戦いに外国人を取りこむ・・国家とは何か・・国家とはどこか・・?


「国家戦略」において学校を作るならば私立学校なんか頼りにせずに国家が責任を持って国立で行えと言いたいが、日本国はすでにあった国立大学も手放している状態である(法人化)。
教育になんかもはや興味がないか、教育は手に負えないのか、それとも金欠なのか。
国立と私立の差も明確ではない。私立にも補助金いっぱい出しているし年金その他優遇しているし。


こうなってくれば客観的事実よりも個人の感情や縁故が優先されていると判断されても仕方ないであろう。
さらに加計学園は個人の感情や縁故が優先されるに相応しい背景を持っている。


「加計ありき」
前川喜平・前文部科学事務次官でなくたって、客観的(証拠)状況的(証拠)からそう思う。
これについて加戸守行・前愛媛県知事はどのように発言したかと言えば次の通り。

「(略)アメリカに、あるいはイギリス、ヨーロッパに10年遅れていると私は思います。10年の後れを取り戻す大切な時期だと、そんな思いできょう、参上させていただいたわけでありまして、そのことがらはそんな意味での地方再生、東京一極集中ではなくて、地方も頑張るんで地方も国際的拠点になり得るんだよと。そういうもののモデルケースとして、愛媛県の、今治の夢を託している事業であって、『加計ありき』と言いますけど、12年前から声をかけてくれたのは加計学園だけであります。
 私の方からも東京の有力な私学に声をかけました。来ていただけませんかと。けんもほろろでした。
結局、愛媛県にとっては12年間加計ありきでまいりました。いまさら、1、2年の間で加計ありきではないのです。それは愛媛県の思いがこの加計学園の獣医学部に詰まっているからでもあります」


加戸守行・前愛媛県知事は「加計ありき」を否定していない。
昨日今日の仲ではない、12年も前から加計学園ありきだったんです!と証言している。(12年前と言うと、2005年ということになりますね)
12年も前から安倍首相の友人である加計学園の理事長は獣医学部を設立を考えていた。
報道機関は加戸・前愛媛県知事の「加計ありき」発言もちゃんと報道してください!

一方で国家(国立)や国立大学法人や東京の有力私学は獣医学部新設や愛媛県での設立に見向きもしなかった。
それはつまり、必要がない、勝算がないと見做していたからであろう。
名だたる組織法人が勝算がないと判断したことに加計学園が乗り出せるのはどうしてだろうか?内閣がゴーサインを出せるのは何故だろうか?
腐るほどお金がある資産家揃いだから採算度外視?ついでに目的達成見通しも度外視?
魔力・超自然力による変質があるはずだから、名だたる組織法人の「勝算がない」は当てにならん?


お二人が閉会中審査の証言者となり、さらにその模様の報道に偏りがあったと取り沙汰されため、二人が対立軸のような印象を世間に与えたが、「加計ありき」については一致している。
加戸・前愛媛県知事は日本会議・教科書問題その他で内閣(官邸)に近い存在であるため、内閣(官邸)vs前川・前文科事務次官という構図は一見もっともらしく見えるが私はやや疑問に感じている。


前川喜作 早稲田大学理工学部卒 前川製作所創業者
 |
(長男)前川昭一 早稲田大学政経学部卒 前川製作所2代目社長(後に前川産業の社長)
(次男)前川正雄 早稲田大学理工学部卒 前川製作所3代目社長
※前川産業は前川製作所グループで不動産賃貸管理業を行う会社

前川・前文部科学事務次官は前川昭一の息子。前川製作所を継いでもよかった立場にあった。

前川製作所
株式会社前川製作所は、東京都江東区に本社を置く、日本の総合機械製造企業である。産業用冷凍機を始め、各種ガスコンプレッサーやそれらの周辺機器、食品加工機械などを製造・販売している。1924年(大正13年)に前川喜作が創業し、創業以来、世界各地に拠点を構えている。アンモニアを使った産業用冷蔵機では国内の60〜70%、冷凍運搬船用の冷凍設備では世界の80%以上のシェアを占めており[要出典]、世界三大冷凍機メーカーの一つと称される[誰によって?]業界最大手[要出典]である。

産業用冷凍機とは業務用冷凍機とは違うものであろうか。
業務用冷蔵冷凍庫・ショーケースと言えば三洋電機と言われて、確かにお店や施設で目にする冷蔵冷凍機にはSANYO製であることが圧倒的に多かった。(三洋電機の多くはパナソニックに吸収された)
冷蔵冷凍技術にも多種あり、その冷蔵冷凍技術は空調にも関係しているし、バイオメディカが扱うフリーザーがやインキュベーターにも関係している。
三洋電機が開発した世界初の製品も多々あり、シェアがトップクラスというものもある。(東京ドームの空調に利用されている吸収式冷凍機も三洋電機が手掛けたもの)
STAP細胞お披露目の写真撮影会の写真にもSANYOやPanasonicマークが写りこんでいる。(〇を付けた箇所)(小保方女史は早稲田大学理工学部卒)(STAP細胞騒動時の下村博文・文科大臣は群馬県出身で早稲田大学卒、選挙区は東京都板橋区)
(写真は過去記事に使ったものです)
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(前川昭一の長男)前川喜平
(前川昭一の長女)前川真理子・・中曽根康弘の息子である中曽根弘文と結婚
(前川昭一の次女)前川マヤ・・小泉グループのオーナーで東天紅社長の小泉和久と結婚

※中曽根弘文
自由民主党所属の参議院議員(6期)、自民党群馬県連会長。父は元内閣総理大臣の中曽根康弘。外務大臣(第142代)、文部大臣(第126・127代)、科学技術庁長官(第59・60代)、自民党参議院議員会長(第27代)などを歴任している。
私は昨年6月の参院選の時に選挙カーの後続車になったことをブログに書いた
・今日夕方車を運転していたら、目の前に選挙カーが現れた。(途中どこかで選挙カーの後続車となった)
某〇民〇の某候補の選挙カーで、車両の後ろ側に御立ち台(ステージ?)があるタイプの選挙カーだった。


某候補は中曽根弘文であるが、本人は此処に非ず。
代わりに群馬県議と太田市議が1人ずつ乗っていた(御立ち台に)。
誰かなぁと思っていたら以心伝心な感じでアナウンスがあって分かった次第。でも市議は誰だったか忘れてしまった。
県議は たぶんこの人だったと思う。
実はもはや名前は全然覚えていないのだが、当時調べてみたら太田医療技術専門学校理学療法学科卒業とあった。私はそこの卒業生を知っていたので印象に残っており、今回も学校と議員で調べて辿り着いたというわけ。

その県議の経歴を今回じっくり見てみたら専門学校以外にもへぇ~と思うことがあった。
社会福祉法人同仁会本部!
わたし、同仁会のことも前に書いたことがあるのですよ。(思い切りローカルネタの こちらの記事
(略)
そして2012年、そこは「サービス付き高齢者住宅 ぐるっぺ絆」になった。 運営しているのは大泉町にある「社会福祉法人 同仁会」という法人である。
旧太田市内にも施設を持っていたり、太田市養護老人ホームを受託したりしている。
ホテルプラザニッタ跡の高齢者住宅の落成式には太田市の清水市長や笹川県議(現在は衆議院議員、笹川良一の孫)も出席したという。
(余談ですが、あちこちで見かける笹川県議のポスターが何となく某アナウンサーに似ている気がするんです。気のせいですかね?視力が落ちているんじゃないか?)


※小泉グループ
中華料理レストラン事業の東天紅、小売業のアブアブ赤札堂、富士サファリパークを運営する小泉アフリカ・ライオン・サファリ等を有しているグループ。



少し前に書いた歴史教科書問題第一次は1982年、第二次は1984年だった。
第一次は文部省が「侵略」という言葉を書き換えさせたと一斉に報じたが、結局担当した日本テレビ記者の間違いで誤報という結果であり、書き換えさせたという事実はなかったというもの。
この顛末に納得がいかなかったのが当の日本テレビや系列の読売新聞ではなくて朝日新聞や週刊朝日だった。
読売の渡邊恒雄(東京大学)は元共産党員であり、実は朝日新聞社への入社を希望していたが不採用になったと後年本人が語っている。
渡邊は新しい歴史教科書をつくる会の出版社・自由社の社長であった石原萠記(早稲田大学・東洋大学)と学生時代に学生運動などもしていた。
渡邊は読売新聞にて政治家の番記者として大物政治家と繋がりを強め、フィクサーの児玉誉士夫とも親しくなり、CIAのスパイだったとも言われる正力松太郎や元共産党員である秘書を介して中曽根康弘や田中角栄とも親密になり、やがて自分もドンやフィクサーと呼ばれようになる。
中曽根に秘書には東大卒で渡邊家に住んでいたこともあるという小林克己がいて、田中の秘書には早稲田大学卒の早坂茂三がいた。保守系と呼ばれる政治家の側近にかつて学生運動にのめり込み共産党に入党までした人達がいたのだ。
共産党系つまり左翼であるから中韓などアジア寄りなのかと言うとそうでもなくて、新しい歴史教科書をつくる会に見られるように自虐的歴史は良しとしない(アジアに侵略した事実などないという)立場を取っていたりする。
第二次は「日本を守る国民会議(現在の日本会議)」編の高校用教科書が天皇中心の記述であり「天皇の人間宣言」も記載されていなかったことから中国が批判し、それを受けて中曽根康弘首相が文部省に検討を要請、異例の再審議が行われたという問題。
この歴史教科書問題の一件にも加戸守行・前愛媛県知事は当時文部官僚として関与している。

中曽根康弘は1985年日航機123便墜落時の首相でもある。
この事件にも文部省が関係しているという説もある。
その3日後の8月15日に公式に中曽根首相は靖国参拝をして物議を醸した。
リクルート事件はその3年後の1988年、朝日新聞のスクープにて発覚した。

中曽根康弘・前首相(当時)にも、加計学園創立者が後援会長を務めた宮澤喜一副総理・大蔵大臣(当時)にも、安倍首相の父である安倍晋太郎党幹事長(当時)にもリクルートコスモス社の未公開株が譲渡されていた。 
この時に文部官僚だった加戸はリクルートから接待を受けていたことが判明して文部省を辞職した。
前川文科事務次官が中曽根家と親戚というのはなかなか重い事実である。
中曽根と親密な関係にあった渡邊が支配した読売がスキャンダラスな報道をしたことも意味深長。時代が違うと言えばそれまでだが、ある時期の関係性を思えば報道しない選択だってあったはずである。

1988年6月18日に川崎駅西口再開発における便宜供与を目的として川崎市助役へコスモス株が譲渡されたことを朝日新聞が『川崎市助役へ一億円利益供与疑惑』としてスクープした。当時再開発が行われていた明治製糖川崎工場跡地の再開発事業であるかわさきテクノピア地区に関して、本来容積率が500%のところを800%に引き上げて高層建築を可能とさせるのが目的であったと報道された。

明治製糖は渋沢栄一らが台湾に創立した会社。川崎工場は1912年に設立された。
明治製糖は1996年に大日本製糖株式会社と合併し大日本明治製糖になったが、大日本製糖の前身・日本精糖も渋沢栄一が設立している。
日本で初めて角砂糖を作ったのが大日本製糖である。

7月になるとマスコミ各社の後追い報道によって、中曽根康弘前首相、竹下登首相、宮澤喜一副総理・蔵相、安倍晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄自民党政調会長ら、自民党派閥領袖クラスにもコスモス株が譲渡されていたことが発覚した。90人を超える政治家がこの株の譲渡を受け、森喜朗は約1億円の売却益を得ていた。時の大蔵大臣である宮澤は衆議院税制問題等に関する調査特別委員会で「秘書が自分の名前を利用した」と釈明した。さらに学界関係者では、政府税制調査会特別委員を務めていた公文俊平にも1万株が譲渡されていたことも判明した。
これだけ政治家が関与しながら、ロッキード事件の田中角栄のように逮捕起訴された政治家はいなかった。
こうなるとみな共犯であり共謀であるような感じ。
もっとも元首相が逮捕起訴されたほうが異例と言えるかもしれないが。



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# by yumimi61 | 2017-08-31 14:33
2017年 08月 28日
日本国憲法の秘密-544- (加計学園問題について)
前橋放送局の皆さん、私もこちらの本でしたら持っています!

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神尾哲男
埼玉県深谷市出身。1952年生まれ。
料理研究家、「料理工房神尾」主事。
1974年東京都目黒区「自由が丘トップ」にてフレンチシェフ澤部喜次氏に師事する。
1976年、池袋「レストランブッシェ」の料理長として迎えられる。
1982年、群馬県前橋市の本格フレンチレストラン「食卓物語」のオープンに伴いシェフに。以来、群馬県内を中心にキャリアを重ねるが、2003年に末期ステージ4の前立腺がんが判明。
骨とリンパ節への転移も判明し、医者からは「なぜ生きていられるのか?死んでいてもおかしくない」と驚かれる。
がんを抱えながら2007年、前橋市に「レストランポコ」開業。体に優しい料理は評判を呼び、多くのファンに惜しまれながら2013年に閉店。
その後は「料理工房神尾」を構え、健康に生き続けるための料理を提唱し、後進の指導にあたっている。2016年クラウドファンディングによる初著書『奇跡のシェフ』(上毛新聞)刊行。
2017年4月末に体調が悪化し前橋赤十字病院に入院。5月4日に同病院にて死去した。


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野村総合研究所(NRI,野村総研)
東京都千代田区大手町に本社を置く、日本の最大手シンクタンク、コンサルティングファーム、システムインテグレーター。
日本初の本格的な民間シンクタンクである株式会社野村総合研究所 (NRI) と、日本で初めて商用コンピュータを導入したシステム開発会社である野村コンピュータシステム株式会社 (NCC) が合併し、現在の野村総合研究所が誕生した。この合併により、リサーチ、コンサルティング、ITソリューション、システム運用等をトータルに提供する会社となる。

野村総合研究所 (NRI)の設立は1965年で、野村コンピュータシステム (NCC、前身は野村電子計算センター)の設立は1966年。両社が合併したのは1988年。写真の本は1990年に発行されたもの。
野村電子計算センターで思い出したので過去記事に関して追記。
前に私はベネッセの情報漏洩を記事にしたことがあり、赤ペン先生(進研ゼミ)のアルバイトをしていたと書いたことがあるが、それを扱っていたのは高崎共同計算センターだった。

文科省が実施している「全国学力・学習状況調査」は民間企業に丸投げしているらしいが、小学生部門を受注していたのが情報漏洩させたベネッセであるという記事はコチラ
さらに大きな問題はこれだけ大規模なテストが民間業者に丸投げされていることだ。
小6は大規模な個人情報流出が最近話題になったベネッセが受注しているそうだ。
やはりベネッセは国や自治体との結びつきが非常に強いと考えられる。

生活・学習環境の調査までされるにもかかわらず、民間企業・教育産業(小6はベネッセコーポレーション、中3は2007年度がNTTデータ・2008年度からは内田洋行が受託)に情報管理を任せていいのかという指摘がある。全日本教職員組合は特にベネッセコーポレーションが教育産業であり、情報が利用・転用される可能性があることを指摘してきたが、2014年度も小6はベネッセコーポレーションが受託した。

ベネッセにもなかなかご縁があるのですよ。
ある夏休み明けのこと、次男の高校の修学旅行の説明会と進路のための講演があった。そのことも記事にした

修学旅行説明会は1日だけでなく2日設けられていた。
9月3日 進路講演会+修学旅行説明会
9月4日 修学旅行説明会
私は修学旅行説明会のみの9月4日のほうに出席した。出席者はこちらのほうが少なかった。
前日行われた進路講演会の資料は翌日参加者にも配布された。
講演は全国学力テストや高校における模試をほぼ独占化したあげく、個人情報を大量に流出させたベネッセによるものだった。
講師はベネッセ社員。
2004年に大学入学しているので1985年生まれだろうか。そうだとすると日本航空123便が群馬県に墜落した年ですね。
今年で29歳。しかしベネッセに入社してからはまだ1年足らず。新人。
先輩達と立ち上げたベンチャー企業での経験が一番長いわけだが何の会社なんだろう。講演では語られたのだろうか。(出ればよかったじゃん?)
関東圏の事情に強い人のほうが良いような気もするが、気のせいでしょうかね。
この講師の方の経歴が資料に掲載されていたのだが、2008年神戸大学を卒業してリクルートに入社している。でも1年ちょっとで退社。
あららららら?


野村総研の説明に戻ります。
金融業・流通業に強みがあり、日本郵政公社(現・日本郵政グループ)の郵政総合情報通信ネットワーク、簡易保険システムの構築など、公共分野も拡大している。
米国ペンシルバニア大学による2015年および2016年グローバル・シンクタンク・ランキング(営利企業部門)では、5位に位置づけられている。また、給与水準は極めて高く、全従業員の平均年収は1,156万円 (2015年度) である。
なお、野村ホールディングスとは一定の資本関係があるものの、子会社ではない。

野村総研は日本郵政公社(現・日本郵政グループ)のネットワーク構築にも関与しているようだが、今年の5月に野村不動産と日本郵政との間に不穏な動きがあった。

日本郵政は2015年に買収したオーストラリアの物流会社の業績が悪化し巨額の損失を計上したのだが、この買収を主導したのは東芝社長も務めた西室泰三。
今年の5月頃、そんな巨額損失を出した日本郵政が野村不動産を買収するという報道があったのだ。
結局なくなったらしいが、日本郵政が不動産業に力を入れたいと考えていることを露呈した。
郵政民営化を果たしたのは小泉政権であるが、民営化して日本郵政になる前の日本郵政公社だった時代(民営化移行期)に日本郵政が多くの不動産を売却した先がリクルートコスモス社。
リクルート事件は、リクルート社がリクルートコスモス社の未公開株をが政治家や官僚、NTT経営陣などにばら撒いたという事件である。
この時にリクルート社から多額の接待を受けていたことが判明して文部省(大臣官房長)を辞職したのが後に愛媛県知事となる加戸守行である。この人が加計学園獣医学部新設にも関係している。


元々は野村証券の調査部だった野村総合研究所 (NRI)(現在の野村総研のリサーチ・コンサルティング部門)は、日本最大規模のコンサルティングファームである。官公庁・産業界のトップ企業をほぼ網羅して、サービスを提供してきている。米国のStanford Research Institute(現在のSRI International)をモデルに、日本初の本格的な民間シンクタンクとして設立された。 


そんな野村総研が1990年に上記書籍の「第6章21世紀を決める10年間」の「メタモーフォシスをむかえる技術」でここからが大事な時期だと説いている。
metamorphosis(魔力・超自然力による)変形(作用)、変質、変容、変態
これは技術もいよいよ魔力・超自然力頼みになるという理解でよろしいでしょうか?
これまでの産業革命の条件やパターンを見ていくと(産業革命波動説)、次のピークは2010年だというのだ。(過ぎてる過ぎてる?)(ありましたっけ産業革命?AI?自動運転?IoT?ちょっと遅れてるだけ?)
次なる産業革命に間に合うには遅くとも1990年代前半に種がまかれ芽を出していないとダメなんだそうだ。
ちなみに、今までの産業革命の革新技術は、蒸気機関、鉄鋼、電動機、自動車、コンピューター、IC、である。
この産業革命というか技術革新を成功に導いたキーテクノロジーあるいは戦略は次の(  )内のもの。蒸気機関(特になし)、鉄鋼(原価計算法)、電動機(交流送電)、自動車(大量一貫生産)、コンピューター(レンタル、ソフト)、IC(投資サイクル、シュリンク)。
単に技術だけあっても革命は起こりにくいというわけですね。だからこそ「技術戦略」。
それは私が前記事に書いた「多様性からは爆発的な流行(利益)は生まれない」ということに通じる。

野村総研は同じ場所で10のメガトレンドを紹介しているが、その10番目が興味深い。
第十 理論や科学常識を覆す新事実、新技術の登場。(からの、STAP細胞?)
物理学は19世紀末と同様に大きな見直しを迫られているかもしれない、そうですよ。
そしてさらに21世紀以降の技術として、テレパシーや透視といった類も真剣に研究開発テーマとしてあがってこよう、と10大メガトレンドを締めている。






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# by yumimi61 | 2017-08-28 14:12
2017年 08月 27日
日本国憲法の秘密-543- (加計学園問題について)
動物性脂肪は量に影響し、動物性タンパク質は質に影響する。(私の仮説)
つまり、動物性脂肪の過不足は健康に悪影響を与え寿命を縮めることになり、動物性タンパク質の過不足は脳機能やADL(日常生活動作)の低下を招くということ。
何故「動物」を重視するのかと言うと、人間は草木でなく動物だからである。
身体を構成するタンパク質は自分と同じタンパク質でできた動物、哺乳類なら哺乳類から摂る方が理に適っている。無理やロスが少ない。
生命活動、知的活動、経済活動、社会活動、あらゆる人間の活動の資本は身体である。
健康や長寿に魚が良いとか植物が良いといった説は根拠に乏しい。
日本対欧米という比較だけでは物足りない。なぜなら食生活の欧米化が進んでもなお寿命は延びてきたという現実があるからだ。
日本で獣肉消費量が魚肉を上回ったのは戦後高度成長期(1954-1973)後のことであるが、戦後はそれ以前もそれ以降も寿命は右肩上がりだった。(但し、寿命の長さ=QOLの高さ、とは言えない)

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QOL(quality of life)は動物性脂肪と動物性タンパク質の兼ね合いで決まるが、QOLは精神面・自己実現を含めた概念であり「自分らしさ」というものも重要であり、他者の価値観を押し付けたところで達成できるものではない。個々に違うものである。
ただそうした多様性を重視すると社会の管理は面倒になるので、一様の価値観でQOLを決めたがる、決めているというのが現実であろう。
人生や生活の多様性は爆発的な流行(利益)を生まないので、多様性を避ける方向で進んできたという歴史もある。

動物性脂肪と動物性タンパク質は完全に分断することは出来ない。
赤身(動物性蛋白質が多く含まれる部分)にも脂肪(飽和脂肪酸やコレステロール)が含まれている。部位によって脂肪とタンパク質の含有割合が変わるだけのこと。
脂肪が一番多いのは、ばら肉(脂肪32.9g、タンパク質14.4g)。
脂肪が一番少ないのは、ヒレ肉(脂肪4.8g、タンパク質20.5g)。
タンパク質が一番多いのは、もも肉(脂肪9.6g、タンパク質21.2g)。
タンパク質が一番少ないのは、ばら肉(同上)。
(可食部100g中)

簡単に言えば、家畜のお腹側がばら肉であり、背中側がロース肉。
ヒレ肉はその間に位置し、部位も腰に限る。
骨盤内にあり背骨(上半身)と大腿骨(下半身)を結ぶ筋肉(大腰筋)。
最も動かさない筋肉であるため非常に柔らかく、且つ脂肪も少ない。
一頭の家畜から採れる量は僅かであるため最高級の部位とされる。



獣医の需要は犬猫でも家畜でもない。
ではなぜ今獣医学部新設なのかと言えば、そう、それが国家戦略特区に関わる由縁。

国家戦略特区・・いったいどこの誰に対する戦略なのか?そもそも国家戦略という言葉がどこか物騒で何だか凄く嫌な感じがする。耳障り。
「絆」とか「TOMODACHI(間違ってもFriendではない!?)」とか「共生」とか「ボランティア」とか「寄付」「募金」「義援金」なんかが大事ではないんですか?
困った時はお互い様で助け合いの精神こそが美しい、人の物を盗んだり横取りしたり人を犠牲にしたり蹴落としたりして一番になることは人間として間違えているのではないですか?
大事なのは働き過ぎないことで、日本人は休暇や休日や家族サビースをもっと大事にすべきだと思っているんでしょう?
グローバルな時代だから自国ファースト主義はダメなんですよね?だからイギリスのEU離脱に幻滅したり、トランプ大統領が非難されたりしたんですよね?(なのに都民ファーストや日本ファーストは良き物という評価はなんなのか・・)
そういうものを持て囃しておきながら、一方で国家戦略特区イエーイ!みないな感じはどうも受け付けない。
国家戦略特区の受け付けなさは前にも書いた記憶があるが、国家戦略特区とは日本経済再生本部からの提案を受け、第2次安倍内閣が成長戦略の柱の一つとして掲げ、国家戦略特別区域法2条で地域振興と国際競争力向上を目的に規定された経済特区である。

日本経済再生本部からの提案を受けとあるが、日本経済再生本部をご存知だろうか?
知らないと政権(内閣)が有識者から提案を受けたように思うが、そうではない。
内閣の内閣による内閣のための組織。

日本経済再生本部
日本の内閣に設置された組織。2012年12月26日の閣議によって決定された。
第2次安倍内閣において、デフレや円高を脱却し、経済を再生する成長戦略の実現を目的として設置された。
組織
本部長:内閣総理大臣
本部長代理:副総理
副本部長:経済再生担当大臣兼内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、内閣官房長官
本部員:他の全ての国務大臣

安倍首相にデフレ脱却なんて言われると「そうだそうだ!!」なんて思うのかもしれないが、庶民にとってデフレは言うほど悪いものではない。
給料は上がらないかもしれないが、物価も上がらないし、ローン金利も上がらないから、トントンな感じ。給料が上がると物価も上がってローン金利も上がるのに舞い上がってローンなどして失敗する。
デフレが嫌な人達は預貯金などの金利目当ての資産家や土地転がしや投資家などであって庶民は実際のところ何でも同じ。景気なんて気分の問題だから。

それでもデフレ(物価下落)を脱却したいならば物を沢山作らない、サービスしないのが一番。
それを実施すると結果的には人余り状態になるがデフレ脱却のためには致し方ありませんね?
だから国を挙げて皆さんそんなに働く必要はありませんよと推奨しているのである。
資格職だって需要以上には供給する必要はない。需要供給のバランスを見て規制をかけたり緩めたりする。それもこれも経済のため。誰かの夢だけに沿うことは出来ないのだ。

物も人も過剰である。そのわりにというか、だからというか、生産性は良くない。
生産性が良くないということは、生産活動に対する労働や資本への寄与度が低いということ、資源から付加価値を産み出す効率が悪いということ。無駄遣いが過ぎる状態。
コンピューターの時代ですし、機械のほうが速く正確にやってくれますから、あなたたち要りませんということなんでしょうかねぇ・・
でも国としては全部が全部働かなくなるのはやはり困るらしくて、あなたたちはせっせと働いてくださいと特別扱いする区域がある。それが国家戦略特区なわけである。
あらゆる岩盤規制を打ち抜く突破口とするために、内閣総理大臣が主導して、地域を絞ってエリア内に限り従来の規制を大幅に緩めることを目的とする。また、この区域は「解雇ルール」、「労働時間法制」、「有期雇用制度」の3点の見直しを対象としている。
今後は人口が減少していくことが予想されている。
過剰な人が減っていくことで生産性が上がればよいが、そういう楽観的な見通しがないから国家戦略特区があるのだろう。



加計学園が獣医学部を新設する目的は、「創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究の推進」である。
昨今は研究や開発や新技術と言えば何でも許されると思っている。
採算性は度外視。狂っているとしか思えない。
どこから湯水のように資金が湧き出てくるのか?北朝鮮然り。

創薬という言葉に関してはSTAP細胞騒動を記事にしていた時に触れた。長いがこちらにも転載しておく。
過去記事
若山氏が遺伝子解析を依頼した第三者機関の中立性
6月16日、STAP細胞の多能性評価としてのキメラマウス作製をまかされた若山氏(理研→山梨大学)が会見を開いた。
小保方氏によればSTAP幹細胞の樹立を担当したのも若山氏であったということだ。
若山氏が騒動勃発後にSTAP幹細胞の遺伝子解析を第三者機関に依頼しており、その結果を受けての会見だった。
会見で「第三者機関とはどこか?」という質問され、若山氏は「(記者会見の)直前まで(私と)一緒に発表する、という話もあった。だが、並んで発表すると僕の味方だと思われてしまう。中立的な立場であるということから、現時点では明らかにしないということになっています」と答えているが、放射線医学総合研究所である。(所在地は千葉県千葉市)
研究所創立当時は科学技術庁所管の国立研究所であったが、現在は文部科学省所管の独立行政法人である。
こちらの記事に書いた通り、第五福竜丸で被爆した船員らに対して追跡健康診断を実施していたのが放射線医学総合研究所であった。

「放射線なのに何故幹細胞の遺伝子解析?」と思うかもしれないが、放医研には分子イメージング研究センターがあるからである。
科学技術振興機構の分子イメージング研究プログラムを通して、理研と放医研、大阪大学や東北大学はみな仲間である。これをオールジャパン体制とも言うらしい。
(オールジャパンで!と言っていたら、侍ジャパン3連覇ならずというテロップが出て、ちょっと面白かったこと
遺伝子などを用いた診断や治療の確立を目指すものである。
最近「創薬」という言葉をよく目にするが「創傷薬」(皮膚の傷を治す)ではなく、「薬を創る」(新薬開発いわば経済発展もしくは金儲け)ことである。
(略)

現在の文部科学大臣は、放射線治療の盛んな群馬県出身で、小保方氏と同じく早稲田大学卒で、小保方推しの下村氏である。
若山氏は解析依頼した放医研はその文部科学省管轄で、理研にも近い研究所であった。
若山氏がどういう意味で中立という言葉を用いているのかよく分からないが、仲間内であるのだから中立とは言い難い。
しかし第三者と言えば確かに第三者である。
(略)

(略)
ともかく若山研究室と理研も第三者機関の報告と同じ解析結果が出ており異議なしという状態であったのだ。
このことは非常に重大な意味を持つ。
何故かと言えば、若山教授はもとより放射線医学総合研究所も理研も山梨大学も実験の根本となるようなこと(Oct4-GFPとCAG-GFPの違いや遺伝子導入について)を全く理解していなかったということになるからだ。
それを否定する唯一の方法は「第三者機関の解析試料は別の場所から持ち込まれたものであり、私達は一切関知していない。話を合わせただけ」と言うしかないだろう。



一頃盛んにバイオテクノロジーが持て囃され、農業系の学校も農業という言葉を捨ててバイオなんとかいう科をつくるのが流行った時期がありましたね。
バイオテクノロジーは、「バイオロジー(生物学)」と「テクノロジー(技術)」が合わさった言葉。
古くから行われている品種改良や細胞・遺伝子などを操作する最先端技術がある。
今度の加計学園はライフサイエンスときた。
ライフサイエンス
生物学を中心に化学・物理学などの 基礎的な面と,医学・心理学・人文社会科学・農学・工学などの応用面とから総合的に研究しようとする学問。生命科学。
ライフサイエンス研究ならば別に「獣医師」「獣医学部」に拘る必要はない。
現に獣医師でも医師でもない小保方さんだってマウスを使って実験してたんですよね?
基礎は終わったから応用に行こうと思っている?

過去記事より)
マウスで始まり、マウスに終わる

今まで述べてきたようにこの論文を否定する要素はいろいろとある。
いろいろあるということが「捏造であった」という証拠になると思うのだが、決定的なのはやはりマウスの種類である。
マウス種類が異なれば論文での主張は一切通用しなくなる。
マウスは出鼻を挫くことが出来る要素なのだ。

小保方氏に手渡されたというマウスが下記のどのマウスだったかによって、実験に与える影響は大きく変わってくるので、そこがはっきりしていないと実験は成立しない。
よって把握していないとすれば論外。
何度か実験を繰り返したと思うが(小保方氏によればSTAP細胞作製に200回成功)、その全てが同じ種類マウスだったのか、それとも混在していたのか。
また1匹のマウスの中に幾つかの要素の混在はなかったのか。
このあたりのことも明確ではない。

【考えられる種類】
・Oct4-GFPマウス―多能性指標となる遺伝子Oct4をターゲットにしてGFP(緑色蛍光)を導入したマウス。
・CAG-GFPマウス―CAGプロモーターによって導入したい外来遺伝子(GFP)をほぼ全身の組織細胞(細胞種非依存的)に過剰発現させたマウス。よって非侵襲的に緑色蛍光が発現する。
・免疫不全マウス―人為的に免疫不全にしたマウス。
・疾患モデルマウス―人為的に特定箇所に変異(異常)を起こさせたマウス。
・野生のマウス―遺伝子操作など何の処理も施されていないマウス。

小保方論文や理研のプレスリリースは当初Oct4-GFPマウスだと述べていたが、途中(検証実験報告など)からは雲行きが怪しくなっており、「GFPを常に発現させたもの」などと図に記入するなどCAG-GFPマウスであったことを匂わせ始めていた。
GFPからも分かるようにこの2種類は緑色蛍光するように遺伝子導入したマウスであり、疾患などとは直接的な関係はないマウスである。
しかしなにせ遺伝子操作しているのだから予期せぬ不調(不良・不具合)までは分からない。

しかしともかく緑色蛍光から始まっている実験なので細かい点は抜きにしてGFPだけに注目する。
Oct4-GFPマウスと言っていたのがCAG-GFPマウスだったとするならば、この実験の一切は成立しない。
もしも無知や過失(うっかりミス)によりマウスが入れ替わっていたとするならば、実験の途中で思うようにいかない点が多々出現して気付くはずである。
ところがそうではなくて全て上手くいったと論文にまとめた。このことが過失ではなく故意であったのだろうという確信に導いた。

証拠は緑色蛍光したマウス

Oct4-GFPマウスは分化した細胞では蛍光しない。だからこそSTAP実験だってそれをマーカーにしたのだ。
それなのにマウスが蛍光することは決定的におかしい。
Oct4-GFPマウスではない。


過去記事より)
マウスの面倒見てるかなぁ
STAP騒動の最中、iPS細胞の山中教授の研究室でのマウス管理が杜撰であったことが報じられ、山中教授が謝罪したことがあった。
杜撰管理は2年以上に亘る。ということはそれ以前にもあったのでないかという疑われても仕方ないだろうと思う。

実験計画では、マウスはいずれも研究所2階にある飼育室と実験を行う処置室で管理されることになっていたが、2011年1月〜13年5月、計14回にわたって1階の洗浄室で見つかっていた。洗浄のために飼育室から運びこまれた飼育ケースの中にいた。
正確な数は不明だが、死骸を含め少なくとも21匹いた。11匹は生きたマウスで、このうち5匹は遺伝子組み換えマウスだったことが確認されたという。
研究所では、実験に使ったマウスは処置室で殺処分した後に冷凍庫に保管し、処理の専門業者が定期的に回収している。飼育室で死んだ場合も冷凍庫に保管し、同様に回収される。

遺伝子改変動物は生態系への影響が心配されており、その取扱いは慎重を期する必要がある。
報道によれば同じ建物内の管理区域外にいたということだが、屋外に逃げ出すことだってあり得る。
すでに逃げ出したマウスがいるのかもしれない。
飼育数を把握していないのか、逃げ出したマウスの正確な数は不明だと言っている。
生態系への影響も然ることながら、マウス管理がそれほど甘いとすれば研究の信頼性も失墜することは避けられない。
違う系統のマウスが混入してしまったり、逃げ出したマウスが交尾して知らぬ間に繁殖していたということだって無きにしも非ず。
STAP細胞実験のように、マウスの種類が違えば実験そのものが成立しなくなる。

死骸の状態で見つかったものがあるようなので、一般的に考えても衛生状態が不安である。
研究所では様々なウイルスや細菌を扱い、マウスには遺伝子組み換えだけでなく、こちらに書いたようにヒト化マウスも利用されているのだ。
それを思うと信じ難い杜撰さである。
こうなると殺処分したマウスを含め医療廃棄物の処理もルーズなのではないかと疑いたくもなる。

まさかとは思うけれども、教員に事務要員(スクール・サポート・スタッフ)を付けるように、研究者に付ける生き物係(飼育係)としての獣医師養成?



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# by yumimi61 | 2017-08-27 15:54
2017年 08月 25日
日本国憲法の秘密-542- (加計学園問題について)
東日本大震災が発生する1年くらい前、次男は増水をやたら気にしていた。
その時私はそれが津波という形で、あんな形で現実になるとは想像もしていなかった。

2010年6月5日『増水』これは増水の心配をしていた時の会話を記した記事だが、そこに動物(ペット)が出てきて、家畜の話にもなった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(略)
彼の心配は尚も続く。
「でももし急にどんどん増えたらどうするの?どうやって逃げるの?」
「そうなったら泳ぐしかないんじゃない」
「無理だよー。そんなに泳げない」
「太平洋側は無理としても日本海側なら行けるんじゃない」 ←またしてもいい加減な返事
「寒くて死んじゃう」
「その時が夏であることを祈ろう」
「ふざけてないでさー」(とうとう注意される始末)
「じゃあボートは?ボートに乗ればいいじゃない」(少し反省してまじめに)
「うちにボートある?」
「ボート?ゴムボートがあったかなぁ」(浮き輪に毛が生えた程度のボートです)
「犬はどうするの?一緒に逃げるんでしょ?」
「犬は難しいかな」(とは言ったけれど、以前子供に付き合って観た『マリと子犬の物語』に涙しました。『かわいそうな象』にも涙々)
「ひっどーい」(ほんとに大人ってひどいよね)
「そんなこと言ったらなっちゃんのほうが大変かも。犬はいざとなったら泳ぐかもしれないけど、猫は水嫌いでしょ。ぷるぷるってして、、、あー可哀想」(なっちゃんとは猫のことです)
(略)
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『マリと子犬の物語』というのは、2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の時に新潟県山古志村であった実際のエピソードを元にした映画で、2007年12月8日に公開された。
新潟三洋電子が被災した地震である。
東日本大震災が起こる前は、この地震が自分が体験した地震の中で一番大きなものであった。
そのせいか発生の瞬間を今でもよく覚えいている。
2004年(平成16年)10月23日 土曜日 17時56分
当時息子達は小学生だった。地域の少年サッカーチームに所属していたので土日はサッカー三昧だった。練習だけなら半日、試合があれば1日。
その日も試合だったのだろうか、地震発生時に私は洗濯物を取りこんでいてベランダにいた。揺れが強くて思わず桟に掴った。
翌日は赤城山のふもとでサッカーの試合があったが、上空にはヘリコプターが行き交っていた。
『マリと子犬の物語』のひどい(?)お父さん(公務員)役は、今を時めく船越英一郎!(もうときめいていないから?寝た子を起こすな?下火下火??)



=都道府県別家畜飼育数ランキング(トップ10)

■乳用牛の飼育数
 1 北海道 795400
 2 栃木県 52900
 3 岩手県 44600
 4 熊本県 44400
 5 群馬県 38800
 6 千葉県 34800
 7 愛知県 28600
 8 茨城県 26700
 9 宮城県 21000
 10長野県17600

■肉用牛の飼育数
 1 北海道 509800
 2 鹿児島県 333200
 3 宮崎県 250000
 4 熊本県 129800
 5 岩手県 91600
 6 栃木県 87900
 7 宮城県 83900
 8 長崎県 76500
 9 沖縄県 71400
 10 群馬県 62500

■豚の飼育数
 1 鹿児島県 1332000
 2 宮崎県 838800
 3 千葉県 681400
 4 北海道 626000
 5 群馬県 613200
 6 茨城県 559500
 7 岩手県 450200
 8 栃木県 393200
 9 青森県 381800
 10 愛知県 349900

■採卵鶏飼育数(単位は千羽)
 1 茨城県 12648
 2 千葉県 11865
 3 鹿児島県 9945
 4 岡山県 9904
 5 愛知県 9052
 6 広島県 8714
 7 群馬県 7216
 8 新潟県 6919
 9 北海道 6716
 10 青森県 6514

■肉鶏(ブロイラー)飼育数(単位は千羽)
 1 宮崎県 28188
 2 鹿児島県 26430
 3 岩手県 21794
 4 青森県 6844
 5 北海道 4849
 6 徳島県 4483
 7 佐賀県 3659
 8 熊本県 3541
 9 群馬県 2730
 10 兵庫県 2520

乳牛、肉牛、豚、採卵鶏、肉鶏、以上5項目全てにランクインする都道府県は北海道と群馬県である。

(地方)都道府県名・ランクイン数(獣医師人数)
(北海道)北海道5(3427人)
(東北)岩手県4(628人)、青森県3(546人)、宮城県2(653人)
(関東)群馬県5(647人)、栃木県3(710人)、茨城県3(1145人)、千葉県3(1878人)
(中部)愛知県3(1671人)、長野県1(761人)、新潟県1(514人)
(中国)兵庫県1(1372人)、広島県1(717人)、岡山県1(596人)
(四国)徳島県1(348人)
(九州)鹿児島県4(1074人)、熊本県3(655人)、宮崎県3(652人)、長崎県1(490人)、佐賀県1(255人)
(沖縄)沖縄県1(450人)

加計学園の獣医学部新設が計画されているのは四国の愛媛県である。
四国は畜産業(家畜飼養)が盛んな地域とは言えない。
では犬猫はどうだろうか。犬猫飼育数のトップ10は人口トップ10とほぼ同じであり、四国では愛媛が一番多くて全国26位。
もちろん学生は大学が所在する地域にのみ就職していくわけではない。
しかし大都市圏ならともかく地方に存在する大学ではやはり就職先も地方色が強くなる。
また実習を伴う学部は実習先・実習地を考慮しなければならない。
それを考えると四国の愛媛県に獣医学部を新設しなければならない理由は特段ない。
我が家の次男は、大学を選ぶ際の希望に、「家から通学できない場所にある大学」「群馬外の大学」というものがあった。(なんたる親不孝者・・)
さらに「離島は嫌」という希望もあった。
私はそもそも離島に大学なんかあるのかと思ったのだが、彼の離島には四国も九州も北海道も含まれていた。(橋や船や飛行機は不安ということなんだろうか)
日本に各地に散らばると言っても、これだけ一極集中が進んでいる社会においては上京と下京(?)では学生や親の許容度は違うであろうし、移動距離も影響する。
また東から西への進学は少なく、場所も近畿あたりが限度であり、それ以西への進学は本当に少ない。
最近の親は進学で家を出た子は地元外で就職や結婚をし地元にはまず帰ってこないと諦めていることが多い。
確かに帰ってこないから一極集中が益々進んでいくのだろうと思う。
大学進学率の上昇が一極集中を進めたという背景がありそうだ。
じゃあ地方に大学を作ればいいかと言えばもはやそんな単純なことではないだろう。



【世界の家畜数】
牛 14.7億
豚 9.9億
羊 12.0億
山羊 10.1億
水牛 1.9億
馬 0.6億
ロバ・ラバ・ラクダ 0.8億
鶏 214億

鶏以外の家畜合計数は約50億頭となる。
世界人口は約73億人。人口であるから赤ちゃんも老人も含まれる。
その人口の7割(10人いれば7人)は何かしらの家畜を1頭飼育している計算となる。
日本の鶏以外の家畜合計数は1320万頭。(牛豚以外は馬・山羊・羊で5万頭ほど)
人口は1億2700万。
人口の1割(10人いれば1人)が何かしらの家畜を1頭飼育している計算になる。
国際比較では、人口に比べると家畜頭数が少ない。


家畜数が多いのは中国。人口も多ければ家畜も多い。
約10億頭の家畜を飼育している。世界の家畜の5分の1(20%)は中国にいる。(そのうち半分近くが豚である)
中国の人口はおよそ13億人くらい。
人口の7.7割(10人いれば約8人)の人が家畜を飼育している計算。

アメリカでは1億7000万頭の家畜を飼育している。
アメリカは豚よりも牛のほうが少し多い。
アメリカの人口はおよそ3億人。
人口の5.7割(10人いれば約6人)の人が家畜を飼育している計算。
アメリカの獣医師の数は15万6000人(2014年)ほどで、日本の獣医師数の4倍であるが、家畜数は日本よりアメリカのほうが10倍以上多い。


残念ながら中国の獣医師数のデータはない。
データがある国で獣医師数が多い国順は、アメリカ、ブラジル、インド、スペイン、エジプト、メキシコ、ウクライナ、日本、フランス、アルゼンチン、ドイツ、イギリス・・の順となる。
ブラジルやメキシコ、アルゼンチンなどラテンアメリカ(南米)は牛や馬の飼育数が多い。


鶏は世界全体で214億羽ほど飼育されているが、うち中国が45億羽で、アメリカが20億羽。
中国とアメリカ合わせて約65億羽なので、世界に鶏の3分の1近く(3割)はこの両国が飼育している。
次いでラテンアメリカ(南米)、東南アジア、南アジア。

ちなみに獣医師1人当たりの家畜頭数が一番多い国はダントツ、オーストラリアである。
オーストラリアの人口が約1800万人なのに対し、羊は1億5000万頭もいる。
日本の獣医師1人当たりの家畜頭数は世界的に見るとかなり少ない。
このことからも獣医師を増やす必要性は全く感じられない。
この現状で足りないと言うならば、それは量(数)ではなくて質(技能)ではないのかという疑問が頭をもたげる。

加計学園の獣医学部はひょっとしてアジアからの留学生狙いでしょうか?




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# by yumimi61 | 2017-08-25 10:37
2017年 08月 24日
日本国憲法の秘密-541- (加計学園問題について)
獣医師数(獣医師免許を保有している人の数) 39,098人
このうち獣医事に従事しているのは、34,548人でおよそ88.4%である。

獣医と聞くと町の動物病院の先生を思い浮かべる人が多いと思うが、獣医事といっても幅広い。

農林水産省PDF 獣医師の届出状況(2014年12月31日現在)

国家公務員(計518人)
 農林畜産関係 297人
 公衆衛生関係 159人
 環境、その他  62人

地方公務員・都道府県職(計7121人)
 農林畜産関係 3078人
 公衆衛生関係 3828人
 教育公務員   46人
 環境、その他  169人

地方公務員・市町村職(計1887人)
 農林畜産関係  128人
 公衆衛生関係 1531人
 教育公務員    4人
 環境、その他  224人

民間団体職員(計7623人)
 農協など    2205人
 製薬・飼料企業 2407人
 独立行政法人(国立大学等)1011人
 私立学校     686人
 競馬関係団体   224人
 社団法人・財団法人798人
 その他      292人

個人診療施設(計17241人)
 産業動物  1896人
 犬猫   15205人
 その他   140人


多くの人がイメージする獣医さんは犬猫動物病院の獣医師であると思われるが、総数に対する割合は38.9%である。
獣医師の6割はそうでない仕事に従事している。
都会の犬猫動物病院では少ないと思われるが、地域によっては犬猫動物病院の獣医師でも産業動物を扱っていることもある。
うちの犬猫がお世話になっている動物病院の獣医師は家族経営のような動物病院から獣医師も雇う比較的大きな動物病院に拡大したのだが、畜産農家での仕事もあるらしいし、小学校などにも出向いている。そのように兼務している人もいるだろう。
個人診療施設に従事する人は被雇用者よりも開設者(院長・経営者)のほうが多いという特徴がある。
それはつまり、単独の獣医師で病院を運営しているか、獣医師を雇っても少人数であるということである。
その一方で病院であるからして休日や夜間の対応を余儀なくされることもある。
客商売なので17時終わりや土日ともに休診するということは行いづらい。
自身に家族があれば、「あなた!よそのうちの動物と家族といったいどっちが大事なの?」なんてことにもなりかねない。
可愛くて癒しのペットブームを相手にする動物病院は零細企業で結構ハードな仕事だと思う。
がしかし、ペットブームがなければ個人の犬猫動物病院の経営はなかなか難しいであろう。
極端なことを言えば、ペットが病気になっても放置して、いつどこで死んだって、誰にも咎められないのだ。
動物虐待が問題視され逮捕されるようなこともあるけれど、合法的に保健所が殺処分してくれたりもする。
予防を怠らず、無保険で診療費が何万何十万もかかっても病院に連れてきてくれるお客様がいなければ、犬猫動物病院は成り立たない。
社会構造や経済状態に大きな変化がない社会において(飽和状態・成熟期~衰退期)、そのお客様が大きく増えるとは思えない。例えペット数が増加したとしても。



2014年12月31日現在の医師数(医師免許を保有している人の数)は311,205 人である。

医師は病院(入院ベッド数20床以上)に従事する医師が一番多く、次いで診療所(入院施設なしか入院ベッド数19床以下)の医師である。
医師の場合も診療所は院長・経営者であることが多いであろう。

加計学園の獣医学部新設が52年ぶりだということだが、医学部も40年近く新設がなかった。
それがやはり安倍政権において2016年度2017年度と相次いで認可された。
震災復興支援策の一環として認可された東北薬科大(仙台市)と、国際医療福祉大(栃木県)が国家戦略特区を活用して千葉県成田市に設置する医学部である。

40年近くも医学部の新設はなかったが医師数は今日までずっと増加傾向にある。
1982年と2014年を比較すると15万人近く医師数は増えている。
毎年亡くなる医師資格者よりも毎年医師免許を新たに取得する人の数が多くなれば結果的に医師数は増えていく。つまり社会の高齢化は結果的に医師数も増加させるのだ。

日本の人口は1980年以降微増。引きで見ればほぼ横ばい状態が続いている。
出生数が減った一方で寿命は延びた。各論では大きな変化が認められるが全体としては横ばいなのである。
医師数が15万人も増加して人口が変わらないのだから、人口あたりの医師数も増加している。
しかしながら寿命はそろそろ頭打ちであると見られていて、予想ではこの後大幅な伸びはないと考えられている。
出生数が上がらなければ、いよいよ人口は減少に転じていく。
今はちょうどその過渡期にある。
人口が減れば同じペースで医師数が減っていくことは当たり前のことではないだろうか。
人口減少が予想されている中で早急に医師数を増加させる必要が果たしてあるだろうか?
子供を預けることが当たり前のようになり保育園数やその在り方が問題となっている社会で、犬猫動物病院の需要がこれ以上伸びるわけがない。

出生数が減った一方で寿命が延びた。要するに高齢化社会の到来。
高齢化の理由として科学技術・医療の発展が挙げられることが一般的だが、こんな見方も出来る。
出生数が減れば子供相手の商売は斜陽となる。
斜陽の背景には出生数だけでなく感染症の減少なども存在する。
需要(対象)が減少すれば供給側の力(人数)は余る。
その余力が成人や老人に向き、結果、寿命が延びた。
同じエネルギーであっても、分配先が変われば、当然結果は異なるであろう。
もしも科学技術・医療の発展だけで寿命が延びて来たならば、この先も伸びるという予想してもおかしくないはずなのだ。
しかし予想は頭打ちである。
それはつまり寿命が延びた(高齢化した)のは余力の分配の影響が大きかったと考えているということではないか。
そうでないとするならば、科学技術・医療の発展に限界を感じているということになる。



●獣医師数39,098人、医師数311,205人、医師数は獣医師数より8倍ほど多い。

●日本の人口は、約1億2700万人。世帯数は5340万戸。(2015年国勢調査結果より)

●飼育家畜数(農林水産省の畜産統計より、2016年2月1日現在)
乳用牛 135万(過去5年減少傾向にあり)
肉用牛 248万(過去5年減少傾向にあり)
豚   931万(過去5年減少傾向にあり)
採卵鶏 1億7300万(過去5年横ばい)
肉鶏(ブロイラー) 1億3400万(過去5年横ばい)

●飼育戸数
乳用牛 1万7000戸(過去5年減少傾向にあり)
肉用牛 5万1900戸(過去5年減少傾向にあり)
豚     4830戸(過去5年減少傾向にあり)
採卵鶏   2440戸(過去5年減少傾向にあり)
肉鶏(ブロイラー) 2360戸(過去5年減少傾向にあり)

●犬猫推計飼育頭数(一般社団法人ペットフード協会の2015年調査より)
犬 988万(減少傾向にあり)
猫 985万(横ばい)


家畜の飼育数は鶏を除いた牛と豚では1314万。
鶏は桁違いに飼育数が多く、鶏全体で3億700万羽にもなる。
飼育戸数(畜産農家数)は牛豚農家は7万3730戸。
鶏の飼育農家は4800戸。
鶏は飼育数に比べて飼育戸数が非常に少ない。哺乳類ではないし大きさも違うので一概には言えない面もあるが、飼育環境があまり良くないであろうことは推測できる(飼育される側にとっても飼育する側にとっても)

医師も獣医師も勤務場所や専門(得意分野)が様々であるが、単純に総数で見ると、医師は人口1000人におよそ2人いる計算となり、牛豚に対する獣医師は1000頭に3人いる計算となる。
家畜の牛豚にペットの犬猫数も足すと3287万頭で、1000頭に1人の獣医師がいる計算となる。
世帯数で見ると、1000世帯に6人の医師がいる計算となる。
牛豚鶏全ての飼育戸数は7万8530戸で、獣医師の総数は3万9000人なので、2軒の飼育農家に1人の獣医師がいる計算となる。


畜産も全体的に減退傾向にあり、伸び代のある産業とは言えない。
統計から見れば犬猫・家畜共に獣医師を増加させる必要はないという結論に至る。





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# by yumimi61 | 2017-08-24 12:36