2017年 08月 17日
日本国憲法の秘密-536- (加計学園問題について)
・鈴木三郎助・・父の代から商家。味の素の創業者
・森矗昶・・漁師一家。森コンツェルン(戦前の財閥)の創始者。衆議院議員(1924-1932)
・安西直一・・漁師一家。森矗昶の仲人で、後に千葉県議会長となる。


森興業(日本沃度→日本電気工業)、昭和肥料、東信電気、これらは漁師一家出身の森&安西コンビが関わった会社である。
スポンサーは、ヨード事業を手掛けていた鈴木商店で成功を収め、味の素を創業した鈴木三郎助。
電力事業を行っていた東信電気は国家統制に組み込まれることになった。後に東京電力の一部となる。
日本電気工業と昭和肥料は合併して昭和電工となった。

安西八郎兵衛(勝浦の貧しい漁師)
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安西直一
(森矗昶より12歳年上で豪農の娘と結婚した森矗昶の仲人となる、後に千葉県議会議長)
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安西浩(東京瓦斯会長)・・・帝国コークス社長の娘と結婚
 安西正夫(昭和電工会長)・・・森矗昶の長女と結婚

安西浩の長男・一朗(昭和アルミニウム社長)
 東京大学名誉教授で癌研究会癌研究所所長でもあった吉田富三の娘と結婚
安西浩の長女・和子 ・・・佐藤栄作首相の次男と結婚
安西浩の次男・邦夫(東京ガス相談役)・・・日本交通社長であった川鍋秋蔵の娘と結婚

安西正夫の長男・孝之・・・日清製粉会長の正田英三郎の娘(皇后美智子の妹)と結婚
安西正夫の次男・直之・・・住友財閥の創業家住友家16代当主吉左衛門の娘と結婚
安西正夫の長女・千世・・・政治家大橋武夫の長男である大橋宗夫と結婚安西正夫の次女・八千代・・・現在も武蔵野音楽大学の学長である福井直敬と結婚
安西正夫の三女・公子・・・住友銀行会長堀田庄三の長男でモルガン・スタンレー証券会長堀田健介と結婚


森為吉(勝浦の貧しい漁師)
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森矗昶
(豪農の娘と結婚隣家の安西直一に仲人を依頼し、以後ビジネスパートナーとなる。森コンツェルン創始者)
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森暁(昭和電工社長、衆議院議員)・・・外務官僚で貴族院議員であった室田義文の孫と結婚
森清(昭和火薬社長、衆議院議員)・・・1965年河野一郎が亡き後、中曽根康弘らと対立し森派を形成
森美秀(昭和火薬社長、衆議院議員
森満江・・・父森矗昶のビジネスパートナー安西直一の息子の安西正夫と結婚
森睦子・・・三木武夫首相と結婚
森三重子・・・三重県知事や衆議院議員であった田中覚と結婚(田中は再婚)

田中覚
三重県四日市市出身の官僚。1955年に辞職して三重県知事選に出馬当選。5期務めた。四日市ぜんそく発生時の知事。
1972年、知事5期目の途中で、田中角栄・三木武夫の説得に応じて自民党三木派から衆議院選挙に立候補して当選した。
森三重子と結婚したのは1975年。

三木武夫の妻は、森矗昶の次女である。(三木は徳島県出身)
森&安西というカジメ拾い漁師コンビ一族は天皇家や首相一族と姻戚関係を結んだ。
戦後平和の象徴天皇、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作や平和的との評価がある三木武夫との関係から森&安西一族も平和的だと感じる人がいるのかどうか知らないが、一方ある意味、、、やけに公害好きな一族でもある。

三木武夫という政治家は捉えどころがない。
その存在は、自民党に居ながら「自民党をぶっ壊す」と息巻いた小泉純一郎、新党を作っては壊すと言われる小沢一郎、党を渡り歩きながら出世した小池百合子などと、どこか重なるところがある。
逮捕にまで至った田中角栄の金権政治に比べて「クリーン」と言われ、タカ派の中曽根康弘に比べて「平和主義者」と言われた。
一貫して派閥の寄せ集め状態の自民党の体質からの脱却、党の近代化を訴え、時の政権、党執行部とも衝突を繰り返した。
大政翼賛会や田中角栄などの大勢力と対立し、一貫して小規模の政党・派閥を渡り歩きながら首相にまで上り詰めたため、バルカン政治家の代表格とされる。

三木は吉田茂とも対立したと言われてる。何故かと言えば三木が吉田の官僚政治を否定したから。

三木は決して日本の官僚のことを否定していたわけではなく、日本の官僚機構が国際的に見ても優れたものであることを認めていた。しかし三木が日本の官僚機構を評価していたのは、あくまで行政機関としての役割や機能に関する点であって、自民党など政党が官僚的に運営されることに反発した。三木がなぜ政党が官僚的に動かされることに反発したのかというと、三木が政治家としての道を歩み始めた戦前期、政党政治が没落して官僚超然主義の内閣が続く中で、泥沼の戦争に突入して国民に多大な犠牲をもたらしたことに対する深い反省があった。

戦争に導いたのは官僚だとでも言いたいようだ。
だから国会中継で官僚なしに政治が回っていくとは到底思えないだろう様子を国民に見せているのだろうか?

政党政治と官僚政治との差について三木は、国民を代表して政治に当たる政党は、国民との血のつながりが絶たれれば生命力を失う反面、官僚は必ずしも国民との直接的な結びつきを必要としないとし、組織の性格が全く異なることを指摘した上で、国民とのつながりが政党の生命であり、国民から政治が遊離すれば政党政治は形ばかりのものになるとした。
そして政治が官僚主義的に運用されるようになれば形式主義、権力主義がはびこるようになり、更に官僚政治は目前の問題に対処するいわば受身の政治であるのに対し、政党政治は目先を廃し、問題を本質的に捉え、対処していくものであると主張した。
このような考え方を持つ三木は、政党が官僚的に運営されることに反対し、官僚的な政治を進めているとした佐藤栄作の三選、四選に反対し、更に派閥抗争や金権体質は党の官僚化が原因であるとして、三木が党の近代化を訴え続ける理由の一つとなった。

でも言う事とやることが違う人は大勢いる。その点、三木も例外ではなかった。
三木は吉田茂の官僚政治を批判し、官僚・軍人・皇族等の出身ではなく一般人の政党員による政治を謳っていたにも関わらず、吉田茂と縁戚で近く親しい間柄にあった岸信介や佐藤栄作(ともに官僚出身)政権の誕生に協力していた。
つまり三木武夫は実のところ、吉田茂、池田勇人、岸信介、佐藤栄作に近い人物なのだ。

松村謙三1964年(昭和39年)- 池田勇人総理退陣時の後継総裁選出について、日中友好及び党人の立場から河野一郎を推す。派閥共同代表の三木幹事長が、川島正次郎副総裁とともに、池田指名に従い佐藤栄作を推したことに反発。脱派して松村派を再結成。

言う事とやることが違う人が大勢いる、ということについての補足だけれど、大勢の中には、無意識に言う事とやること(行動)が違ってしまう人と、分かっていながらも言う事とやること(行動)が違っている人がいる。

言葉=行動
言葉≠行動(無意識)
言葉≠行動(意識あり)
さらには考えや思いとの不一致もある。
考え・思い=行動
考え・思い≠行動(消極的)
考え・思い≠行動(積極的)→役割演技、ロールプレイング、ディベートなど

考え・思いと行動が一致していなくても、表に出てくる言葉と見かけの行動が一致することは多々ある。
例えば、何らかの事情で本心を隠して迎合する場合、仕事などで役割演技が必要な場合など。
何が良くて何が悪いかということは一概には語れない。
同時に人や物事の評価ってなかなか難しい。表層だけでは分からない。

私は以前、長男が小学校の授業で行ったディベートについて書いたことがある。

長男が小学校高学年の時だったと思う。
学校の授業で、パンチームとご飯チームに分かれ、「朝食はどちらがいいか」ということを討論したと長男が教えてくれた。
「へぇ~。もしも1対35人とかだったら1人の方は大変だね」と私は言った。
「半々に分けるんだよ」
「え?半々?」
「自分がどっち派かということは関係なく割り振られるんだよ」
「えええっー。どうして?」
「そういうものらしいよ。だから俺は本当はご飯派なんだけどパン派になっちゃったの。しかもね、意見言う人あんまりいないから、だいたい俺が言ってた」

私はこの時初めて、ディベートに「強制割り当て」なんていうルールがあると知ったのだった。そしてとても驚いた。
だってそれは自分の思考や信念や好みに嘘をつくことを是とすることだから。
大人がお遊びでやるならともかく、子供が学習することではないのではないかと思った。 第一、ディベートなんかあえてやるまでもなく、日常は言い争いの宝庫である。(本気の議論は関係に亀裂が入りかねないからディベートで丸く収めようということ?)
パンとご飯は戦う必要がない。パンとご飯を許容しあうことが大切。パンとご飯に折り合いを付けることを学ぶべき。審判より仲介を。(結構いいこと言うでしょ?)

見かけの敵味方では本心は分からないということをディベートの一件で確信することになった。
かつて赤十字病院建て替えラッシュの記事でも役割演技について触れた。
三木武夫という政治家もディベートの片割れというか役割演技というかで、決して吉田茂系の敵ではなかったのだろうと思う。

元首相が逮捕されたリクルート事件。
天皇や首相が本気でその気になれば、元首相の逮捕起訴は権力で持って握りつぶせたであろう。
元首相さえも逮捕できる日本の警察アピールか、そうはしなかった。
小卒の田中角栄元首相が逮捕された時の首相が三木武夫だった。

また靖国神社に「私的参拝」し、問題を炙りだしたのが三木武夫である。
公人か私人かの言い争いではないけれども、公式参拝反対派の皆さんも私的参拝(御忍び?)ならば良いということなのだろうか?
それなら私的参拝にすれば良いのに。
もそも公式参拝ってどういう意味なのだろう?予め参拝を予告し肩書を付けて参拝するということ?
私的参拝と宣言し予め参拝を予告して参拝すればテレビカメラが待ち構えていても勝手に肩書を呼称してくれても私的参拝?
私人が私的に参拝する自由があるのは確かだけれども、公務員という立場は特別であるからして、しかも戦没者追悼式を政府主催で行っているのだから、公務員のうちはそれで我慢しておくとかではダメなのかしら?
それが嫌ならば公務員を辞めればいいんだわ。
過去記事より
政治家の靖国神社参拝がたびたび話題になる。
この問題に火が付いたのは遊就館が再開した1985年夏のことである。同年8月15日の中曽根康弘首相の公式参拝が大きく問題にされた。
実はその前にも問題になった首相がいた。それが日本プレスセンタービル竣工パーティーに出席したという三木武夫首相である。
戦後の歴代首相のうち、吉田茂(5回)、岸信介(2回)、池田勇人(5回)、佐藤栄作(11回)、田中角栄(5回)、みな全て公式参拝しているが、国内でも外国でも何ら問題とされてこなかった。(誰も興味なかったんですかねぇ?)
ところが1975年(日本プレスセンタービル竣工の1年前)、三木首相は何故か急に「私的参拝」と言って靖国神社を参拝したのだ。
これが報じられ、参拝が公式か私的かの論議を呼び、それから10年間、首相が靖国神社を公式参拝することは避けられていた。
再開したのが1985年の中曽根首相だったのである。(靖国神社・遊就館の宣伝に使われたんでしょうか?)









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# by yumimi61 | 2017-08-17 14:43
2017年 08月 16日
精霊
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あなたが生きていくということは、運命の手綱を繋ぐこと。

あなたが生きていくということは、運命の手綱を手放すこと。
 
運命の手綱を緩めることなく、運命の手綱を委ねることなく。

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# by yumimi61 | 2017-08-16 00:50
2017年 08月 15日
🐼パンダ名🐻
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私もパンダの名前を考えたのですが、「キュウキュウ」はどうですか?

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# by yumimi61 | 2017-08-15 00:55
2017年 08月 12日
日本国憲法の秘密-535- (加計学園問題について)
「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社は東京電力とも深い関係がある。
森&安西&鈴木コンビが設立した東信電気は現在の東京電力の一部となっている。
そして東信電気と昭和電工は設立者が同じである。

吉田茂・岸信介・佐藤栄作の身内である安倍晋三・麻生太郎の現総理副総理コンビはもちろんであるが、そのほか昭和電工や東京電力と大いに関係がありそうな政治家の名を上げればこの人ではないだろうか。

石破茂衆議院議員。
キリスト教徒でありながら「日本会議国会議員懇談会(相談役)」「神道政治連盟国会議員懇談会」の会員でもあることは先日書いた。

石破茂の母方がキリスト教なのである。母の祖父が金森通倫。
金森は熊本洋学校の熊本バンドの1人であった。
熊本洋学校が閉校するにあたり生徒を託されたのが同志社の新島襄(群馬出身)であった。(熊本洋学校の跡地が日本赤十字社発祥の地となった)
金森は新島襄から洗礼を受けたプロテスタントである。
同志社卒業後の1880年から5年ほど岡山教会(日本基督教団の前身日本組合基督教会の教会)の牧師を務めていた。
その後、東京の番町教会(プロテスタントの日本基督教団の教会)の牧師になるが、それも1年ほどで去り、自由党に入党し『自由新聞』の主筆となる。
この自由党は板垣退助のつくった党であるが、ここに竹内網(吉田茂の実父と言われている人物)がいた。
ちなみに読売グループの日本テレビ社屋に隣接して番町教会がある(カトリックの上智大学市ヶ谷キャンパスの近くでもある)。自由党に入党した金森は三井鉱山や東京米穀取引所に関係し、1898年に正式に棄教して、1900~1914年の間は内務省や大蔵省の委託職員であった。
1914年に信仰を回復してキリスト教への再入信を表明。救世軍に入隊。
救世軍はプロテスタントの伝道組織で本部はイギリス・ロンドンにあり。
宗教組織なのに何もかもを軍隊に準えているという不思議な団体。十字軍と間違いやすいのにね。

すでに述べたとおり、「日本会議」は教科書問題にも関わる団体である。
また石破は防衛大臣の経験もある。

防衛庁長官(第68・69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第46代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域担当)兼地方創生担当大臣等を歴任した。
父は、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任した石破二朗。

鳥取出身。慶應義塾高校・慶應義塾大学を卒業後に三井銀行(現:三井住友銀行)に入社。
石破の三井銀行入行に関して、三井信託銀行社長を務めた鳥取県出身の土井正三郎は、「昭和五十三年初夏の頃石破(二朗)さんから令息・茂君の就職について相談を受けたことがありました。そのとき私は本人の志望会社を認められることを強調し、たまたま入社志望会社の人事担当役員が古くから親交がありましたので、石破(二朗)さんと一緒に訪ねたこともありました。又、令息の学業、クラブ活動の成績等は極めて優秀、希望通り採用内定し、その通知を受けられた、ご両親のご安堵の程が察せられたことを想起しています」と述べている。東京都中央区にある本町支店に配属。

早い話、石破茂の父親(当時参議院議員)が同郷の三井銀行信託社長に三井銀行への就職斡旋仲介を依頼したということであろう。

1981年、父・二朗が死去。父の死後、二朗の友人であった田中角栄から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ、政界入りを志した。
1983年、三井銀行を退職し、田中角栄が領袖の木曜クラブ事務局に勤務する。1986年、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選した。当時28歳で、全国最年少の国会議員であった。なお、石破本人は田中派からの出馬を希望していた[要出典]が、鳥取県全県区からは既に田中派の平林鴻三が選出されていたため、中曽根派の幹部であった渡辺美智雄を頼り、中曽根派から立候補した。


実は石破茂の妻が昭和電工の取締役だった中村明の娘である。
でもって、石破茂議員はかつての東信電気を含む東京電力の大株主であり、東電から政治献金も受けていた。
石破茂議員の娘は早稲田大学のAO入試で政治経済学部に入学し、東京電力にご就職。
ちなみにAO入試は「真正面からの裏口」「正々堂々とした裏口入学」などと揶揄されたりするものです。
もっとも卒業してしまえば、どんな成績でどんなふうに入学しどんな学生時代を送っていたかなんて全く関係なくなって、学歴だけが独り歩きしてくれますからね。だからこそのブランド校なわけで。
東電株主や政治献金についてはこちらのまとめ([炎上]石破茂さんが東電の仲間だった![東電の大株主][娘が東電入社] )に資料あり。



子供の頃、学校で日本の四大公害病を習いましたね?
昭和電工は四大公害病の原因企業でもある。

①水俣病
(種類)水質汚染(生物濃縮・食物連鎖)
(発生年)1953年頃
(発生地)熊本県水俣市
(原因企業と工場)新日本窒素肥料(現:チッソ, JNC)水俣工場
(物質)メチル水銀化合物

②新潟水俣病
(種類)水質汚染(生物濃縮・食物連鎖)
(発生年)1965年
(発生地)新潟県 阿賀野川流域
(原因企業と工場)昭和電工(現:新潟昭和) 鹿瀬工場
(物質)メチル水銀化合物

③イタイイタイ病
(種類)水質土壌汚染(排水→川→田→米)
(発生年)1910年頃
(発生地)富山県 神通川流域
(原因企業と工場)三井金属鉱業 神岡鉱山亜鉛精錬所
(物質)カドミウム

③四日市ぜんそく
(種類)大気汚染
(発生年)1959年頃
(発生地)三重県四日市市
(原因企業と工場)石原産業、中部電力、昭和四日市石油、三菱油化、三菱化成工業、三菱モンサント化成
(物質)硫黄酸化物


昭和電工の鹿瀬工場はもともと、昭和恐慌の影響により電力会社が余剰電力を抱えていたこともあり、東京電力の前身の1つである東京電燈、東信電気および鈴木商店の共同出資により、阿賀野川第一発電所の発電全量を買い取る契約で昭和肥料鹿瀬工場として1929年(昭和4年)に操業を開始した、カーバイドから肥料用の石灰窒素を生産する工場である。さらに1936年(昭和11年)には昭和肥料鹿瀬工場に隣接して昭和合成化学が設立され、昭和肥料からカーバイドの供給を受けてアセチレン・アセトアルデヒドを経て酢酸やその誘導品を合成する工場が操業を開始した。 


第二水俣病は、熊本水俣病に対しての政府の責任回避ともいうべき対応によって引き起こされたといえる。政府は熊本水俣病が発生した時点で原因の究明を怠り、チッソ水俣工場と同様の生産を行っていた昭和電工鹿瀬工場の操業停止という措置をしなかったからである。熊本水俣病に対して的確な対応をしていたならば新潟水俣病は避けられたはずであるといわれる。また昭和電工は証拠隠滅のため都合の悪い資料をすべて破棄したと見られ、事件の全容解明はほぼ不可能とみられる

昭和電工の新潟水俣病は、1971年に因果関係が認定され患者側全面勝訴した。
発生年(患者が初めて確認された年)の1965年に昭和電工の社長だったのは 、美智子皇后の妹が結婚した安西孝之の父親・安西正夫(社長在任:1959-1971)である。
安西正夫は初代社長の森矗昶の長女と結婚しており、森矗昶&安西直一というカジメ拾い漁師家コンビは姻戚関係も結んでいた。
正田美智子が天皇家に嫁いだのは(皇太子妃となったのは)1959年。
美智子の妹・恵美子が昭和電工社長の長男・安西孝之に嫁いだのが1963年。
新潟水俣病の発生より後になるが、上記に転載したように熊本ですでに発生が確認されており、同じことをしていた昭和電工は発生が予想できたはずなのだ。
にもかかわらず、その企業経営者一族に後に皇后になるだろう人の妹を嫁がせた。
さらに言うと、本家熊本の水俣病の原因企業チッソの社長として当時対応にあたったのが皇太子妃雅子の祖父・江頭豊である。
皇室はどれだけ公害病(水俣病)好きなのか。
ともかく何か裏がありそうな関係である。



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# by yumimi61 | 2017-08-12 14:49
2017年 08月 12日
資料(吉田13人衆)
安西家と姻戚関係にある政治家・大橋武夫は、吉田茂首相、広島出身の池田勇人首相、岸信介首相の弟で安倍首相の叔父にあたる佐藤栄作首相の時に入閣している。
大橋は吉田13人衆の1人でもある。
また同じく安西家と姻戚関係にある佐藤栄作も吉田13人衆の1人である。
そしてその安西家は皇后の実家や世界最古の財閥とも言われる住友とも姻戚関係にある。


吉田13人衆は、内閣総理大臣・吉田茂の有力な側近グループのこと。
吉田が退陣した後も吉田に付き従った。
吉田と同じ官僚出身者が多いのが特徴である。
通常、以下の13名を指して呼ばれる。
彼らの多くは吉田の政界引退後も政界で強い影響力を誇った。

  • 益谷秀次衆議院議長など)
  • 林譲治の父、衆議院議長など)
  • 周東英雄自治相農水相など)
  • 小金義照郵政相など)
  • 池田勇人池田行彦の義父、総理大臣など)
  • 佐藤栄作佐藤信二の父、総理大臣など)
  • 保利茂保利耕輔の父、衆議院議長など)
  • 大橋武夫運輸相など)
  • 橋本龍伍橋本龍太郎の父、橋本岳の祖父、文相など)
  • 愛知揆一愛知和男の義父、愛知治郎の祖父、外相蔵相官房長官など)
  • 福永健司福永信彦の父、衆議院議長など)
  • 小坂善太郎小坂憲次の父、外相、労相など)
  • 田中角栄田中眞紀子の父、田中直紀の義父、総理大臣など)
  • 渡邉恒雄著『派閥』(弘文堂、1958年)より。年齢順。


    出典が渡邊恒雄の著書となっているが、渡邊恒雄とは御存知の通りかつて永遠に不滅な読売巨人軍のオーナーだった御方。現在も読売新聞グループ本社代表取締役主筆。
    フィクサーと言われることもある。
    教科書問題にも微妙に絡んでくる。
    先日も載せたけれども私の過去記事から。

    末っ子の小野寿満子さんは、外交官の加瀬俊一氏と結婚。
    加瀬俊一氏は総理大臣顧問や国連大使を歴任。 
    佐藤栄作首相のノーベル平和賞受賞に向けて尽力したのも加瀬氏だったといことです。
    当時の日本において重要なポストにいたことは間違いないでしょう。

    この加瀬俊一氏と寿満子さんの息子さんが、オノ・ヨーコさんと従弟である加瀬英明氏。
    教科書に繋がるのはこの方です。
    彼もまた首相特別顧問、外相特別顧問などを歴任しているようです。

    加瀬英明氏は、一頃盛んにニュースにもなった「新しい歴史教科書をつくる会」の顧問であり、 「新しい歴史教科書」を出版している自由社の社長であられます。
    統一教会とも関係があります。(統一教会はX JAPANの話題でリンクした先にも出てきていた)

    上記の自由社はWikipediaにリンクしてありますが、自由社という同じ名前の社が2つあります。
    石原萠記氏が社長の自由社と、加瀬英明氏が社長の自由社です。
    社長は違えど、社名も所在地も同じ。
    (加瀬氏は、石原氏の自由社の取締役でもある)
    (加瀬氏の自由社の監査役の弁護士がパチンコチェーンストア協会法律分野アドバイザーというのもなかなか凄い)
    教科書検定に合格したのが石原自由社。
    すぐさま版権を譲渡し出版したのが加瀬自由社。
    歴史もあやふやなら教科書出版社もあやふやといったところでしょうか。(現実に問題多々あるらしい)

    石原萠記氏は学生時代、先頃話題になっていた読売グループの会長、渡辺恒雄氏らとともに学生運動に参加。
    社会主義者です。
    東京電力とも関係があり、自由社は東電から財政援助も受けていました。なんと3月11日大震災と原発事故発生の日にも東京電力の勝俣会長と一緒にいたというから悪運強し。

    渡辺恒雄氏は共産党員でしたが、後に自民党の中曽根首相など保守系の政治家と親密になっていったのは周知の通り。
    また読売グループは原子力発電とも関係が深い。(参考:CIAのスパイでもあったらしい正力松太郎氏)



    日本版金融ビッグバンと呼ばれる金融大改革によって財閥化・独占化を推し進めたのは世紀末(2000年前後)で橋本龍太郎が首相の時であった。



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    # by yumimi61 | 2017-08-12 13:04
    2017年 08月 11日
    日本国憲法の秘密-534- (加計学園問題について)
    昭和電工の話の続きです。
    ・鈴木三郎助・・父の代から商家。味の素の創業者
    ・森矗昶・・漁師一家。森コンツェルン(戦前の財閥)の創始者。衆議院議員(1924-1932)
    ・安西直一・・漁師一家。森矗昶の仲人で、後に千葉県議会長となる。


    鈴木はヨード事業に成功して味の素に軸を移し、さらに電気化学事業へ進出した。
    一方の、森&安西コンビは、日露戦争が終わって需要が減り、ヨード事業は思うようにいかなくなる。
    強引に千葉県のヨード事業者を連合させて生き残りを図るも、軍需で潤った事業は軍需が無くなれば当然沈む。
    第一次世界大戦後に経営難に陥った。森が救済を頼み込んだのが鈴木だった。 


    戦争で需要が高まったのは火薬の原料となりうる塩化カリウムである。ヨードより多量に灰に含まれる。
    でも戦争が終われば需要が無い。他に使い道はないか?そう考えたのが鈴木家(鈴木商店)で、塩化カリウムを電気分解してマッチの原料となる塩素酸カリウムの製造を行うことを始めた。
    電気分解というからには電気というエネルギーが豊富に必要である。
    だから電気がなければ仕事にならないし、電気が高ければ儲からない。
    そこで自前で電気も作ることにした。
    三郎助は、芝浦製作所(現在の東芝)の常務取締役の岸敬二郎に相談を持ちかけた。水力発電の第一人者といわれる岸はこの案に賛成し、長野電灯取締役の小坂順造と高橋保を紹介する。
    こうして東信電気が誕生し、長野県に発電所を建設するに至る。
    その時に建設部長に就任し、その後塩素酸カリウム製造工場の工場長に就任したのが森矗昶。
    鈴木三郎助なくして森コンツェルンなし。
    森は負債を片付け新たに自身でも森興業(日本沃度→日本電気工業)という会社を創立。 


    発電所で作る電力が余ったので、他に何か利用できないかということで誕生したのが昭和肥料という会社。
    余剰電力を使用して石灰窒素と硫酸アンモニウムを製造した。
    必要に迫られて作ったのではなく、電力が余ったから物を作った(ただ余らせておいたのでは無駄である)。
    言い方を変えれば、需要があるから供給するのでなく、供給するから需要を掘り起こせということになる。


    日本電気工業と昭和肥料が合併して昭和電工となったのは1939年。
    この時代に何が起きていたのかと言えば、日中戦争。
    1938年3月、近衛内閣において、「国家総動員法」や「電力国家統制法」が成立し施行された。
    大々的な戦争に突入するための法準備を整えたのだった。
    こうして民間人がそれぞれの場所で行っていた電力事業が国家に掌握されることになる。

    しかしそもそも明治時代の誕生は公と私の境界を曖昧にさせていた。
    公共所有であったものを権力者が私有に転換したり、縁故者に無料あるいは格安で払い下げたりもした。
    福沢諭吉や渋沢栄一、松方正義、大隈重信などに代表されるように、以後官なのか民なのか分からない人物が増えるきっかけともなった。
    また外から見れば、官であろうが民であろうが「日本」である。
    日本にお金を貸している債権者から言えば、官であろうが民であろうが「債務者」である。

    日本は倒幕と明治政府誕生の際にも借金。
    日清戦争、日露戦争でも借金。
    1923年の関東大震災の際は、日本の大手電力会社も巨額の外債を発行している(借金)。
    信用で成り立つ世界においては借りたものは返す必要がある。借りるということは通常元金だけでは済まない。
    金利は固定物もあるが世の情勢によって変化するものもある。
    変動金利は今は安くても将来高くならないという保証はない。
    返済計画以上に急激に上昇すれば返済に行き詰まることもあるだろう。だから変動金利での借金は怖いのだ。固定金利は通常割高)


    1932年、ライバルであるはずの日本の大手電力会社5社は手を組んだ。金利が上昇して返済が厳しくなったからだ。
    国内で競争していたのでは(競争は値段下げ合戦となったりサービス過剰を生む)外国への返済に回す利益が確保できずに共倒れになってしまう。
    だから競争しないで高い価格で押し付けたり、安い価格で買ったり没収する。
    このような手を組むことを企業連合やカルテルと言うが、お互いの利益を守るために行う。他社の台頭や参入を拒む独占目的でもある。
    1938年の国家統制の前に下準備が整っていれば人々は変化に気付きにくく移行もしやすい。


    森興業(日本沃度→日本電気工業)、昭和肥料、東信電気、これらは漁師一家出身の森&安西コンビが関わった会社である。
    スポンサーは、ヨード事業を手掛けていた鈴木商店で成功を収め、味の素を創業した鈴木三郎助である。
    電力事業を行っていた東信電気は国家統制に組み込まれることになった。後に東京電力の一部となる。
    日本電気工業と昭和肥料は合併して昭和電工となった。


    鈴木商店や味の素の鈴木三郎助には弟がいた。鈴木忠治。
    兄の三郎助は戦前の1931年に没。弟の忠治は戦後1950年に没。
    電力会社がカルテルを組んだり国家統制法によって戦争に直走った時代にはすでに三郎助は生きておらず弟が継いでいた。
    鈴木一族は長州五傑の1人である井上勝や日銀創立者の松方正義一族と姻戚関係にある。

    井上勝の次女・・松方正義の息子(松方義輔)と結婚
        三女・・松浦勝純と結婚(婿養子で井上姓となり井上勝純となる)
    井上勝純の娘・・鈴木竹雄(味の素創業者の弟である鈴木忠治の三男)と結婚

    鈴木竹雄東大名誉教授(商法学者)
    兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。娘は日本放送協会(NHK)報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。





    安西家は3代前までさかのぼれば、ただの庶民であった。この家族を語るときは必ず、戦前の新興財閥であった森コンツェルンとの関係を抜きには語れない。安西八郎兵衛、森為吉は、勝浦の貧しい一漁師にすぎなかった。
    漁師と言っても、割のいい仕事はカジメの拾い集めだったという。
    「拾い屋」から始まり、個人の拾い屋を結集して、さらに小事業者を強引に仲間に入れて総房水産株式会社を起こしたわけだが、これが結局上手くいかず鈴木三郎助を頼ることになる。
    他者を強引に連合させて起業する、一塊の拾い屋にどうしてこんなことが出来たのだろうか?


    安西八郎兵衛
     |
    安西直一
    (森矗昶より12歳年上で豪農の娘と結婚した森矗昶の仲人となる、後に千葉県議会議長)
     |
    安西浩(東京瓦斯会長)・・・帝国コークス社長の娘と結婚 
    安西正夫(昭和電工会長)・・・森矗昶の長女と結婚

    東京瓦斯の最高実力者として20年以上も君臨し、「法王」と呼ばれる。
    東京瓦斯は現在の東京ガス。
    1885年10月 - 当時の東京府から東京府瓦斯局の払い下げを受け渋沢栄一、浅野総一郎らによって、東京瓦斯会社として創立される。
    当時の東京府長・渡辺洪基は福沢諭吉に師事した慶應義塾出身者で岩倉使節団にも随行している。府長在任は1年で(当時は1期1年でほとんど1年で交代)翌1886年には唯一の帝国大学(東京大学前身)の初代総長に39歳で就任した。
    また駐オーストリア公使、衆議院議員、貴族院議員を歴任し、東京統計協会(日本統計協会の前身の一つ)、国家学会、日本建築学会、工業化学会(日本化学会の前身の一つ)など多数の学会会長を務めた。
    1892年45歳の時に両毛鉄道(両毛線)の社長にも就任。両毛線は群馬県前橋市と栃木県小山市を結ぶ鉄道。伊勢崎市、桐生市、足利市、佐野市などを通る。かつては貿易の稼ぎ頭であった生糸・織物の輸送で重要な路線だった。
    帝国コークスのコークスは石炭系の固形燃料。


    安西浩の長男・一朗(昭和アルミニウム社長)
     東京大学名誉教授で癌研究会癌研究所所長でもあった吉田富三の娘と結婚
    安西浩の長女・和子 ・・・佐藤栄作首相の次男と結婚
    安西浩の次男・邦夫(東京ガス相談役)・・・日本交通社長であった川鍋秋蔵の娘と結婚

    安西正夫の長男・孝之・・・日清製粉会長の正田英三郎の娘(皇后美智子の妹)と結婚
    安西正夫の次男・直之・・・住友財閥の創業家住友家16代当主吉左衛門の娘と結婚
    安西正夫の長女・千世・・・政治家大橋武夫の長男である大橋宗夫と結婚※※
    安西正夫の次女・八千代・・・現在も武蔵野音楽大学の学長である福井直敬と結婚
    安西正夫の三女・公子・・・住友銀行会長堀田庄三の長男でモルガン・スタンレー証券会長堀田健介と結婚

    皇后の妹と結婚した安西孝之は慶應義塾大学卒で昭和電工入りし取締役となった。

    ※※大橋武夫は吉田・池田・佐藤内閣で入閣し、労働大臣や運輸大臣を歴任した。
    濱口雄幸首相は義父にあたる。
    長男の大橋宗夫は、元大蔵省関税局長で、NTT常務や安田総研の取締役理事長などに就任しており、2015年に亡くなった。
    大橋武夫の息子には他にも昭和電工社長となった大橋光夫がいる。
    彼は、日本と台湾間実務関係を維持するために設立された特殊な性格を有する日本台湾交流協会の4代目会長に2011年6月より就任している。この協会の理事長は事務長は歴代全て外交官である。
    中華民国(台湾)とは1972年の日中国交正常化によって国交を断絶した。それは今でも変わらない。国連他、中華民国を承認していない国が多数である。台湾は独立した国家ではなく中国に含まれるという認識にあるはずなので台湾との関係は純粋に台湾との関係だけでは済まない。
    前にも書いたけれど、二重国籍問題は、「台湾との二重国籍」ではなくて、「中国との二重国籍」問題となるはずである。





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    # by yumimi61 | 2017-08-11 15:45
    2017年 08月 11日
    あらけずり
    e0126350_00334063.jpg



    おかか、あるる?
    アルルの女!
    でも使わないけど。(使いなさい?)
    イメージは薄く軽く踊るような削り節だと思うんですよ、たぶん皆さん。
    本鰹と削り器、決して安い買い物ではありません。
    でも実際にはイメージどおりの削り節にならないのが現実です。
    刃物や工具は基本的に見せるために存在するものではないので、結構忠実に品質と値段が比例するものの1つかもしれません。
    鰹節に何万何十万を投資できるかどうかと言ったらまあ普通は出来ないですね。
    そもそも削る時間がない!?気力がない!?体力がない!?




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    # by yumimi61 | 2017-08-11 01:01
    2017年 08月 10日
    クマのお墓とカトリック
    どうしてクマのお墓が十字型なんだろう。
    野性のクマがキリスト教徒だったなんてことはないだろうから、お墓を作った人など関係者がキリスト教徒であるということだ。
    あの施設がキリスト教系なんですか?
    あれはただの縦の板と横の板だ!?
    それと、どうして墓が漢字じゃないんですか?
    子供には読めん!?


    電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄
    桜とカトリックと渋沢栄一

    東京都北区飛鳥山。
    静岡県清水市に生まれ両親に連れられて上京し小学生時代を過ごした昭和30年代、桜の名所として名高い公園の中心には野球場があった。

    地域の野球チームに入っていたので、そこで試合をしたこともあるが、野球場の使用には前もって大人の代表者による申し込みが必要だったので、毎日放課後にする普段の練習は近所の空き地を探してやっていた。

    その当時飛鳥山公園に隣接した場所は野球に格好の空き地になっており、塀を乗り越えてこっそり進入すると人っ子ひとりいない広大な空き地の真ん中に野球の試合が出来るような広場があった。王子小学校に通う子どもたちはその場所を「カトリック」と呼んでおり、授業が終わると
    「カトリックに行こうぜ」
    などと言って飛鳥山公園脇の人目に付かない場所から手を貸し合って塀を乗り越えたのだった。

    国鉄の線路側に面した斜面は芝生が生えており野球に飽きるとごろごろ転がって遊んだ。かつてはハイカラに手入れをされていたであろう広大な敷地は、よく見ると建物の基礎の跡があり、おそらくカトリック教会があり、関東大震災とか、第二次大戦の空襲とか、不慮の火災とかで教会は消滅してしまい「カトリック」という名前だけが残ったのではないかと幼心に思ったものだった。

    後にその場所には幕末から明治を生きた実業家であり晩年を社会事業のために尽くした渋沢栄一の記念館が建てられたので、第二次大戦の空襲で焼けた渋沢栄一邸「曖依村荘(あいいそんそう)」の跡だったとわかったのだが、どうして王子の子どもたちがその場所を「カトリック」と呼んでいたかはいまだに謎である。僕の記憶の中で「カトリック」と言う言葉は「桜・幕末・明治・社会事業・渋沢栄一」と根拠もないままに結び付いて離れない。


    静岡県清水岡町。
    出身中学校への通学路でもあった記念塔通り。海から緩やかに桜ヶ丘に向かって登っていく坂道の左手に石垣を巡らせた建物があり、それは「カトリック清水教会」である。昭和10年完成の典型的カトリック教会なのだけれど、1600年代初めまで遡るとこの場所は「御浜御殿」という名の庭園付きの建物があり、それは徳川頼宣(10男)が父家康のために建てた隠居所だった。

    1609年「御浜御殿」が建った場所に326年後の1935年「カトリック清水教会」が建ったのだけれど、徳川家のものだったこの土地がどのようにしてカトリック清水教会」のものとなったのか、その変遷を知ってみたいなぁと思うのは春に花開く教会前の「桜」と門柱の「カトリック」の文字が幼い頃忍び込んだ渋沢栄一邸跡を思い起こさせるからかも知れない。





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    # by yumimi61 | 2017-08-10 01:08
    2017年 08月 08日
    日本国憲法の秘密-533- (加計学園問題について)
    日本中央政界における政権交代は失政による内閣総辞職後の衆議院野党第一党党首への大命降下や衆議院多数派工作で成立したものがほとんどであった。

    どういう事かと言うと、日本は民意によって政権交代がなされたことがないということである。
    1885年に内閣制度が誕生して以降、初めて民意(選挙で野党第一党が単独で圧勝)によって政権交代がなされたのは2009年だった。
    74年目にして初。
    これによって鳩山由紀夫内閣が誕生した。
    吉田茂の孫が麻生太郎、岸信介の孫が安倍晋三、そして鳩山由紀夫もまた同時代に首相を務めたことがある鳩山一郎(最終的に自民党)の孫である。


    政権交代を可能にするほどの野党民主党風がどうして吹いたのか覚えていますか?覚えていませんよね?
    そう、これといった理由はない。
    あえて言うならばこれまで民意による政権交代がなされたことが無かったから。
    自民党にいながら「自民党をぶっ壊す」と訳わからないことを言って観客を熱狂させた小泉劇場が目的を果たして終幕。
    高揚したものは下がる運命にある。
    上がったものが下がらなければ継続は難しい。
    小泉内閣の後、自民党は安部内閣(366日)、福田内閣(365日)、麻生内閣(358日)とまるで計画したように1年内閣を繰り出してきた。
    変わらない時は何があったってとことん変わらないが、英語派で漢字が読めないとかお金持ちだからカップラーメンの値段が分からないというような理由で首相の資質が大問題になる時もある。
    そしてついに政権交代という切り札を使った。
    野党はもちろんのこと、与党もメディアも「政権交代」を匂わせて選挙に突入したので誰も不思議に思わないけれども、同じような面々で74年起こらなかったことが起こるほどのことがあっただろうか?
    ない、と言わざるを得ない。

    地球温暖化への対策に必要な二酸化炭素の排出削減のための「鳩山イニシアティブ」をとったのも、アジアの問題を蒸し返したのも、急激な円高と株価下落という憂き目にあったのも、東日本大震災が発生したのも、政権交代した民主党政権であった。
    その後に誕生したのが今日まで続く安倍政権。
    2009年政権交代、2012年安倍政権誕生。
    たった3年で民意によって初めてもたらされたはずの政権交代を同じ民意が否定していく。



    戦争に敗北するという大事があれば通常国の在り方や社会は大きく変わるものだが、日本ではそれでも変わらず戦前戦後跨いで74年も民意による政権交代が行われなかった。
    74年目の政権交代が本当に民意だったかも怪しい。
    戦後日本の一党支配の基礎を築いたのは吉田茂。
    その吉田茂に不満を抱き社会党と連立を組んだのが芦田均内閣。
    この内閣は昭和電工事件をきっかけに崩壊していくが、もしも事件が起こらなかったらその後の歴史は変わっていたのだろうか。


    昭和電工事件
    ##1948年4月27日‥衆議院で昭和電工の復金融資を巡る贈収賄が問題化。肥料工場拡充のため23億円余の復金融資を受けた際に日野原節三社長が政・官・財界に膨大な運動費をばらまいた。
    ##6月23日‥日野原社長逮捕
    ##9月13日‥福田赳夫大蔵省主計局長を10万円の収賄容疑で逮捕。
    ##9月18日‥大野伴睦民自党顧問、20万円の収賄容疑で逮捕。
    ##9月30日‥栗栖赳夫経済安定本部総務長官、30万円と他の収賄容疑で逮捕。
    ##10月6日‥西尾末広前副総理(社会党書記長)を100万円の収賄容疑で逮捕。
    ##10月7日‥芦田内閣総辞職
    ##12月6日‥衆議院本会議で芦田、北浦圭太郎、川橋豊次郎の3氏に対する逮捕請求、20票の差で許諾。
    ##1962年4月13日‥最高裁で日野原元社長に懲役1年執行猶予5年の確定判決、同年11月に栗栖の懲役8ヶ月執行猶予1年追徴金150万円が確定。他の重要被告はほぼ無罪となる。



    昭和電工のルーツの千葉県の漁業にある。
    昭和電工の前身企業の創業や経営に大きく関わったのは、鈴木三郎助、森矗昶、安西直一の3人で、3人とも現在の千葉県勝浦市の出身である。

    ・鈴木三郎助・・父の代から商家。味の素の創業者
    ・森矗昶・・漁師一家。森コンツェルン(戦前の財閥)の創始者。衆議院議員(1924-1932)
    ・安西直一・・漁師一家。森矗昶の仲人で、後に千葉県議会長となる。

    この3人の事業の始まりと成功はヨード(ヨウ素)にあった。
    ヨード(ヨウ素)とは原発事故の時に散々話題になったあれ。
    カジメという海草を乾燥し焼いて灰を作り、灰の浸出液を煮詰めて取り出す。
    日本では1880年代から各地で行われていて、特に千葉では盛んに行われていた。

    ・森コンツェルンの創始者となる森矗昶は漁師の家に生まれたが、矗昶はヨード工場で見習い工をしていた。勝浦の豪農の娘と結婚。その豪農の隣家が安西家であり仲人を務めた。

    ・商家に生まれた鈴木三郎助は自身も商人を目指すが、結婚後も米相場に財産を注ぎ込むほどのめり込んでいた。ヨード事業を始めたのは母と妻。(過去記事229に書いた)
    ヨード事業で成功を収めるが、その資金でもって新たに会社を創業する。
    東京帝国大学にいた化学者・池田菊苗の発見したL-グルタミン酸ナトリウムの権利を貰って味の素製造に乗り出したのだ。
    池田菊苗は理化学研究所が創立後は理研にも所属していた。


    ヨード(ヨウ素)は上記3人の発見では決してない。すでに作られて利用されていたものである。
    鈴木の母と妻は作っていた製薬会社の社員から「作るといいよ」とアドバイスされ作り方を教わったくらい。
    先発ではないのに何故成功に繋がったのか?
    それは日露戦争(1904-1905)で需要が一気に高まったからである。
    何故需要が高まったか?実は需要が高まったのはヨードではない。
    ヨードより多量に灰に含まれる塩化カリウムのほうである。
    塩化カリウムとチリ硝石(主成分:硝酸ナトリウム)から硝石(硝酸カリ)を作ることが出来て、その硝石は黒色火薬の原料となった。
    戦争に使う火薬の原料として(カジメ→灰→塩化カリウム→+チリ硝石で硝石)の需要が高まった。
    硝石まで作れないにしてもカジメを採取し塩化カリウムを抽出できれば、それを売ることが出来る。

    鈴木家は硝石まで作ることが可能だった。
    何故かと言うとイギリス系商社ドットウェルの日本事務所(横浜)と付き合いがあったからだ。
    ドットウェル商会の前身はアダムソン商会で、1858年に中国で設立され中国各地に事務所を持ち、お茶などを輸出入をしていた。
    イギリスと中国とお茶と言えば、麻薬(アヘン)も忘れてはいけない。
    その貿易商社と鈴木家は取引があったため、日本で産出されず手に入らなかったチリ硝石を格安で手に入れることが出来た。
    だから硝石まで作ることが出来たのだ。





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    # by yumimi61 | 2017-08-08 15:17
    2017年 08月 08日
    日本国憲法の秘密-532- (防衛省問題について)
    文科省の加計学園問題と防衛省の日報問題がセットのような時期もあったので、私もここでちょっと防衛省管轄のハガキ名刺問題を挟んでおこうと思います。
    次男の病院騒ぎ記事でこちら↓の記事も思い出したものですから。

    あ、これリッチリンクと言います。画像をクリックすると当該記事が開きます。
    下記緑字はその記事から。

    数日前から家の階段の下から5段目に小銭とともに名刺のようなものが置いてあった。
    次男はポケットから出した小銭をしょっちゅう階段に置いておく。
    名刺もそこに一緒にあったので、学校前か街中で学習塾の勧誘にでもあったんだろうと思った。

    それでもどこから貰ったんだろうと思って名刺を見てみると、自衛官募集と書いてあった。
    名刺に書かれている氏名は女性名。これが俗にいう美人局作戦か(*˘︶˘*)♡

    昨年長男宛てに自衛隊から葉書が来たことを思い出した。
    また自衛隊への勧誘かぁと思った。
    (略)

    なんだかだんだん胡散臭さが漂ってきた。
    そこで次男に名刺をどこで貰ったのか尋ねてみた。
    すると「スーパー」という答えが返ってきた。
    スーパーというのは他でもないスーパーマーケットである。
    高校生男子がスーパーに行く機会はそれほど多くない。
    「競技場近くの?」と訊くと、「そう」と言った。
    学校の部活練習で陸上競技場を利用することがあるが、その競技場近くにスーパーマーケットがある。
    競技場練習の際にたまに立ち寄ることがあるらしかった。

    「勧誘されたの?」
    「そう」

    自衛隊が欲しいのは若く健康な(願わくば体育会系な)男子だろう。
    スーパーマーケットという場所は一般的に、そんな若い男子に遭遇することが極めて低い場所である。
    言うなれば勧誘キャンペーンを張るには相応しくない場所だ。
    何故そんなところで勧誘していたのか・・・?
    最初は不思議に思ったのだが、自衛隊募集相談員がボランティアみたいなものだとすれば、ただ単に買い物中に若い男子を発見して自衛隊募集相談員の血が騒いだのかもしれない。
    自衛隊募集相談員を調べていて見つけた。オバマ大統領、呼び捨てですよ!

    それはともかく。今度は住所をチェックしてみた。
    住所とTELのあとに何やら「串政」という怪しげな言葉が添えられている。
    住所と名前から辿ると「飲み屋」だった。
    ここを読むと、どうやら飲み屋のおばちゃんが自衛隊募集相談員のようだ。
    自衛隊のTシャツを着て接客もしているらしい。
    そんじょそこらの募集相談員とは気合が違うな。(と言っても他の自衛隊募集相談員を知らないが)
    そうか!スーパーに鶏肉を買い出しに行っての遭遇だったのか。
    ということは、あのスーパーは鶏肉が安いんだろうか。




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    # by yumimi61 | 2017-08-08 01:15
    2017年 08月 07日
    日本国憲法の秘密-531- (加計学園問題について)
    小学校しか出ていない田中角栄が出世したのは、理化学研究所の3代目所長の大河内正敏の庇護があったから。
    大河内正敏の孫に女優の河内桃子がいるが、彼女にも若干気になる点がある。カトリックとの関わりである。
    戦争の背景には宗教対立があることが少なくない。
    文化人や芸能人が戦争に無理やり(?)協力させられたというならば、こうした宗教活動はどうお思いでしょうか?
    こういうのも無理やり協力させられているんですか?

    亡くなる前年の末まで俳優座の舞台にも立ち続けたが、1998年11月5日の午前9時45分、大腸癌のため入院先の東京都渋谷区広尾の日本赤十字社医療センター病院で死去。66歳没。亡くなる直前の10月29日、病床でレデンプトール会の近藤雅広神父(当時・心のともしび運動専務役員)より洗礼受け「マリア」の洗礼名を与えられる。葬儀は河内の実娘が喪主を務めた。墓所は東京都台東区谷中の谷中霊園。

    カトリック善き牧者の会制作のカトリック布教番組『心のともしび』『太陽のほほえみ』の朗読を永年務め、その功績によりヨハネ・パウロ2世から聖十字架章を親授された他、1996年にはバチカン市国勲章も授与されている。


    多くの財閥が戦後GHQによって解体(分解)されたように、理研も解体した。
    理研は戦時中日本の原爆開発を担っていたいうが、「星野3兄弟が原爆を作った」と言われることはあっても、「理研が原爆を作っていた」と言われることがないのは皮肉なことである。

    日本の原子爆弾の研究開発は、1940年4月陸軍航空技術研究所所長の安田武雄中将が部下の鈴木辰三郎に「原子爆弾の製造が可能であるかどうか」について調査を命じたことから始まった。鈴木が指名されたのは、当時原子核を学んだ者が陸軍では鈴木と新妻精一 (最終階級は陸軍中佐) の2名だけだったからである。なお、すでに理研の仁科芳雄等は、英国の学術雑誌ネイチャーに、『Fission Products of Uranium produced by Fast Neutrons(高速中性子によって生成された核分裂生成物)』と題して、2個の中性子が放出される(n. 2n)反応や、複数の対称核分裂を伴う核分裂連鎖反応(臨界事故)を起こした実験成果を投稿してあり、同年7月6日に掲載されることになる

    鈴木は東京帝国大学の物理学者嵯峨根遼吉(当時は助教授)の助言を得て、2か月後に「原子爆弾の製造が可能である」ことを主旨とする報告書を提出した。安田はその報告書を持って東条英機陸軍大臣ら軍の上層部に原子爆弾の開発を提案するとともに、各大学、研究機関、主な民間企業にも報告書を配布した(この時点ではまだ機密ではなかった)。
    1941年5月陸軍航空技術研究所から理化学研究所の大河内正敏所長に「ウラン爆弾製造の可能性について」の研究が正式に依頼された。これを受けて仁科芳雄主任研究員は6月から研究に着手した(仁科は当初この要請を断ったという証言もある)。

    その2年後、1943年5月に「技術的にウラン爆弾製造は可能と考えられる」という内容の報告書を提出した。この報告を受け、航空本部長に就いていた安田中将は直ちに部下の川島虎之輔大佐に研究の推進を命ずるとともに、これを最高軍事機密扱いにし、航空本部直轄の研究とした。
    以後、川島が中心になって研究が進められることになった。軍の研究を外部に委託するときは航空技術研究所を通すのが通例であった。上部機関である航空本部が直轄とするのは極めて異例であり、この一件のみであった。
    アメリカ合衆国によるマンハッタン計画が開始された翌年の1943年5月に、理化学研究所の仁科博士を中心にニ号研究(仁科の頭文字から)が開始された。

    軍の研究を外部に委託する時には航空技術研究所や航空本部を経由したということはどういうことか、察するものがある。 



    大河内正敏3代目所長にから「ウラン爆弾製造の可能性について」の研究を振られた仁科芳雄主任研究員は戦後の1946年に4代目所長となった。
    理化学研究所は理研産業団より遅く1948年に解体となったが、すぐさま株式会社科学研究所を設立し、仁科芳雄が初代所長に就任。
    皇室や政府の補助金によって設立された理化学研究所は最初から純粋な民間企業とは言えなかったが、解体後はとりあえず純粋な民間企業として再出発した。
    しかし1956年には再び政府が出資、1958年には特殊法人化した。

    新潟にいて理研所長の大河内と田中角栄が出会ったのは1932年。
    田中が大河内を頼って上京したのは1934年16歳の時。
    戦時中の1943年に田中土建工業を設立。
    理化学興業などから仕事を請け負い、田中土建工業はみるみる年間施工実績で全国50位入りするまでになった。

    1945年(昭和20年)2月、理化学興業の工場を大田(たいでん、テジョン)に移設する工事のため、朝鮮半島に渡る。8月9日のソ連対日参戦で状況が変わったのを察して、降伏受諾の玉音放送前に朝鮮にある全資産の目録を「新生朝鮮に寄付する」と現地職員に渡した。敗戦後の8月下旬に朝鮮半島から引き揚げた。田中土建工業は戦災を免れる。

    田中角栄が国会議員となったのは1947年のことである。
    吉田学校の生徒だった田中角栄は翌1948年に発足した第二2次吉田内閣で法務政務次官となった。

    まもなく、1年前の炭鉱国家管理法案をめぐって炭鉱主側が反対議員に贈賄したとされる疑惑(炭鉱国管疑獄)が表面化し、1948年11月23日には田中の自宅や田中土建工業が東京高等検察庁に家宅捜索される。12月12日、衆議院は逮捕許諾決議を可決し、翌日田中は逮捕されて東京拘置所に収監された。田中の主張は、受け取った金銭はあくまで相手からの請負代金であり、贈収賄ではないとするものだった。

    直後の1948年12月23日に衆議院は解散し、第24回総選挙が実施される。この選挙に田中は獄中立候補する。政治資金も底をつきかけた状況で、1949年1月13日に保釈されたもののわずか10日間の運動しかできない中、1月23日の選挙では2位で再選を果たした。地元である柏崎市や刈羽郡で得票を減らす一方、北魚沼郡や南魚沼郡で前回の二倍に票を増やした。都会ではない「辺境」の地域、その中でも有力者ではない下層の選挙民、そして若い世代が田中を支持した。
    炭鉱国管疑獄は1950年4月に東京地方裁判所の一審で田中に懲役6か月・執行猶予2年の判決が下るが、1951年6月の東京高等裁判所の二審では、田中に対する請託の事実が認められないとして逆転無罪となった。


    裁判で係争中だったにも関わらず、裁判前後に田中角栄が提案者として関わった議員立法は33本にも及んだというから凄い。
    理研への政府出資(1956年)や特殊法人化(1958年)も理研に恩のあった田中が積極的に関わったと言われている。
    田中が初めて入閣したのは1957年39歳のこと。郵政大臣に就任。任命者は安部首相の祖父である岸信介首相だった。

    産業団を切り離し民間企業から特殊法人となった理化学研究所の所轄は文部省であろう。
    では理研が特殊法人になった前後の文部大臣は誰だったかと言えば、「文部大臣は瀬尾」とまで呼ばれた灘尾弘吉である。
    瀬尾の文部大臣期間
    1956年12月23日 - 1957年7月10日 石橋内閣 
    1958年6月12日 - 1958年12月31日 第2次岸内閣
    1963年7月18日 - 1964年7月18日 第2次池田内閣
    1967年11月25日 - 1968年11月30日 第2次佐藤内閣

    この灘尾弘吉も、池田勇人、宮澤裕(宮澤喜一の父)、永野重雄、加計勉と同様に広島県出身である。
    東大卒業後、当時内務省の人事課長で広島中学の先輩だった佐上信一の計らいで、内務省に入省し衛生局に入る。
    ※佐上信一は内務官僚で、岡山県知事、長崎県知事、京都府知事、北海道庁長官などを歴任した。

    天下りだけではなく就職斡旋もあるということ。
    官僚(国家公務員)に限らず地方公務員だって役所なんてコネ就職がほとんだとよく言われている。
    あとほら、よく聞きますよね?議員さんに入学や就職をお願いするとか、スピード違反などのもみ消しをお願いするとかっていう話。
    権力って恐ろしいもので(素晴らしいもので?)議員さんは何でも屋みたくなっている。
    「何かあったら何でも言ってください」とか選挙中につい言っちゃってるんでしょうね。



    先日、加計学園の創立者である加計勉が同郷の池田勇人(首相)と親しくしていて、その関係で宮澤喜一(首相)の後援会長も務めていたと書いて思い出した。
    私は以前にも宮澤喜一首相のことを書いたことがある。

    甍(いらか)百五十五 ・・次男が部活中に怪我をした時の話です。
    前の百五十四から続いている話です。
    きいちときいと
    (略)
    待合室は来た時よりも人が増えていた。
    ご年配の方々は朝が早いと言うけれども意外にゆっくりめスタートなんだろうか?
    その中に威風堂々とした男性がいた。
    診察に呼ばれた際にも大きな声ではっきりと返事して一際存在感を放っており、かつては中小企業の経営者だったというような雰囲気を醸し出していた。

    「ああ、きいちの甥っ子だな」
    国会中継を見ていたその男性が発した言葉である。
    え?きいち?
    テレビに目をやると宮澤経済産業相がいた。
    そうか宮澤洋一経済産業相は宮澤元総理の親戚筋なのかぁ。
    え・・・・み・や・ざ・わ・・?
    ああー!この間話題になっていたSMバーの人はこの人だったのか。どおりでどっかで見たことがあるような顔だと思った。
    (略)



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    # by yumimi61 | 2017-08-07 14:04
    2017年 08月 06日
    ブログについて
    私が使用しているエキサイトブログは数年前に記事投稿や編集をする管理画面が新画面に移行した。
    その時私も新管理画面を試してみたがとにかく使いにくかったので、すぐに旧管理画面に戻して、以降ずっと旧管理画面を使用していた。
    「サポートを終了しているので新管理画面に移行してください」という表示は毎回出るものの新旧どちらでも使用できる状態が数年続いていた。

    ところが先日変更していないのに新管理画面になっていた。
    調べると旧管理画面は強制終了、完全に取扱いを止めたようだった。
    それなら仕方ないので新管理画面を使うしかない。


    新管理画面は通常編集とHTML編集とがクリック一つで切り替えられるようになっている。
    せっかくの新管理画面なのだから通常編集というのを使ってみた。
    これは投稿編集画面がすでにプレビュー状態となっていて、改行やリンクや文字色や大きさなどが編集画面に反映されてくるので確認しながら編集できる。便利と言えば便利。
    何より凄いと思ったのは、その画面を使って他のホームページなどをコピーペーストすると、一瞬で複製できること。
    文字だけでなく、自分でいちいち設定しなくても文字色にアンダーライン、写真やリンク、何から何までそっくりにコピーしてくれる。
    HTMLソースを表示させて確認する必要も全くない。
    ただし、このリンクは要らないとか、この装飾は要らないといった応用(変更)は効かない。そっくりそのまま瓜二つが基本(とはいっても文字を消すことなどできる)。
    凄いと思ったのと同時にある種の戦慄が走った。
    無料配布やリンクフリーであっても直リンは禁止、直リンクはマナー違反、一旦自分の所に取りこめなどと言っていた時代が懐かしい。 


    私はワードやメモ帳にちょこちょこ書いて保存し、それをブログ投稿画面にコピペするということも多用するが、これに関しては全くダメだった。
    文字サイズや行間隔がまちまちとなってしまい、今までのようにいかない。
    こちらが意図した状態にならない。書式の引継ぎが出来ないようである。
    そうならばと途中でHTML編集に切り替えた。
    そうすると今度は指示していないタグが自動で入りこみ、これまた意図しない状態となってしまう。
    最初から自分で入力したHTMLタグではないので見づらくて、さらに想定外の動きをするため、いじればいじるほど訳が分からなくなってくる。
    コンピューターが人間に歯向かって暴走するのではないかなどという懸念が時々語られるが、コンピューターは今だって暴走する(指示以外のことをする)。
    ワードからのコピペ、通常編集とHTML編集の切り替えをしていて、私は本当にそう感じた。


    旧管理画面はHTML編集に近かった。
    かつてホームページはHTML編集できなければ作れなかった。
    IBMのホームページビルダーが登場して誰にでも作れるようになったが、それでも凝ったり様々なことをするにはHTMLが理解できていないと不可能だった。
    ブログはHTMLを知らなくても投稿できる画期的なものであった。
    それで爆発的に広がった。
    エキサイトブログの旧画面編集は基本的なことは向こう側で勝手に設定してくれて(改行など基本操作のHTMLタグは表示されてこない形式)、文字サイズや文字色、装飾などはボタンを選んで押せば変えられるようになっていた。 
    変えたものについてはHTMLタグが編集画面に表示される。
    選ぶボタンの無いことをしたい時には、自分でHTMLタグを入れれば、それが反映されてきた。
    新管理画面も最初からHTML編集にすればワードコピペなども問題なく出来るみたいだが、今度は基本的操作も勝手にはしてくれないので、改行や段落なども自分でHTML入力しなければならない。 
    Enterを押すだけで改行できた旧管理画面に比べるとやはり面倒である。


    プログラミング教育に力を入れるとか今頃言っているけれども、社会や時代はプログラミングから離れることを選んできた。
    広く普及していくかと思ったことが普及せずに消えていって、コンピュータープログラミングが特別な人が出来る特別なことになってしまった。
    確かに覚えることも作業することも手間暇かかる。
    既存のSNSを便利だと躊躇なく受け入れ、慣れ親しんだ言語すら短文化が進み、文章が長いというだけで「長すぎる」「長くて何言っているのか分からない」というコメントが入る時代にコンピュータープログラミングを広く教える必要がどこにあるのか?普及するとも思えない。


    もうひとつ常々感じている不思議は働き方改革とかいうやつ。
    働き方改革なんて何十年も前にフレックス勤務として導入されたではないか。
    始業や終業が一斉ではなく働く時間を選べるなんてちっとも新しいことではない。
    ある程度の勤務年数を重ねた人は長い休暇を自分の好きな時に取得できるというような制度も何十年も前から実施している会社は実施している。
    フレックスがそれほど社会に普及しなかったということなんだろうか?
    もっともフレックス勤務は工場のライン作業者などには適さない。
    一斉に始まり一斉に終わる必要がある。
    個人で行えばよい仕事でない場合には、個人の好きな時間は選択できない。
    学校の教師とか病院の医師だってそうだろう。
    交代制にすればそれだけ頭数が必要になって人件費がかさむので、日勤のみなのに交代制というのは現実的ではない。
    また工場などの場合、ラインを動かしたり止めるという判断は、様々な管理においてとても重要な判断となる。
    同じく完全に工場を停止するのかどうかといった判断も。
    ラインや工場は動かし続けて人だけ交代で休んでもらうのか、部分的に動かすのか、それとも完全に停止して一斉に休みに入るのか、それとこれとでは大きな違いがある。

    働き方改革なんて言って誤魔化していないで、供給過多だからもう物は作らない、サービスもそんなにいらない、みんな働かなくていいよ、そのかわりお給料は減らさせて、はっきりとそう言えばいいのに。






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    # by yumimi61 | 2017-08-06 15:14
    2017年 08月 04日
    日本国憲法の秘密-530- (加計学園問題について)

    1976年7月26日、田中角栄元首相(在任期間:1972年7月7日-1974年12月9日)が逮捕された。

    いわゆるロッキード事件である。
    前に記事にしたが、この贈収賄事件には、丸紅ルート・全日空ルート・児玉ルートという3つのルートによる金の流れがあった。

    アメリカ・ロッキード社の旅客機を全日空に買ってもらうためだったと言われている。
    購入に関しての賄賂ならば購入の決定権がある者や承認する者に賄賂を贈るのが最適。
    あるいは決定権者や承認権者を上手く唆したり、脅したり出来る者。
    もしも本当にロッキード社が自社最新鋭の旅客機を全日空に買ってもらいたくて賄賂を配ったとするならば、次のようになる。

    贈賄側:ロッキード社
    収賄側:全日空

    しかし賄賂罪は公務員が関与していないと成立しない。
    民間企業のロッキード社から民間企業の全日空の人物に賄賂が贈られていても犯罪にはならない。
    実際の事件ではこういう構図となった。

    贈賄側:ロッキード社
    収賄側であり贈賄側(ロッキード社と政治家等を仲介):丸紅・全日空・児玉誉士夫(政界のフィクサー)
    収賄側:田中角栄(元首相)・橋本登美三郎(元運輸大臣)・佐藤孝行(運輸政務次官)

    贈収賄罪は贈賄と収賄で通常セットである。
    少額ならばともかく赤の他人が大金を贈ったり貰ったりしていて何の意味もないということはないだろう。貰ったことやその意図に気が付かなかったということもまずない。自らの立場を心得ていれば尚更だろう。
    商社の丸紅社長らは贈賄罪に問われたが、全日空ルートの全日空人物は誰一人として贈賄罪に問われなかった。
    全日空ルートは贈賄と収賄がセットになっていない。
    贈賄でないとすると全日空は公務員サイドから利益供与される立場ではなかったということになる。本当に単なる仲介人。
    やはり売買しようとしていたものは旅客機ではなかったと考えるのが妥当。
    児玉ルートも結局贈収賄とも解明出来なかった。

    ロッキード事件で逮捕され贈収賄罪で有罪判決の下った公務員3人のうちの田中角栄と橋本登美三郎は吉田学校の生徒として名前が挙がっている。
    トカゲのしっぽ切りだったのだろうか。


    「ミスターゴールドマンサックス」「ミスターウォール街」と呼ばれたシドニー・ワインバーグ同様に、田中角栄も小学校しか出ていないタイプである。
    政財界の有力者が集まる東京の生まれでもない。新潟県刈羽郡二田村大字坂田(現・柏崎市)の出身で、金持ちの2世でも有名大学出身でもない。
    そんな田中が総理大臣にまで上り詰めた。これこそ成りあがり伝説に相応しい。
    こんな人はもう2度と出てこないだろう。(現代でそうなるには義務教育の中学を卒業しないで成り上がらなければいけないわけだから相当ハードルは高い。中卒ならばまだチャンスはあるでしょうか)


    田中角栄の出世に寄与したのは理研である。
    理研の創設者は「日本資本主義の父」と言われる渋沢栄一。
    埼玉県深谷の豪農出身。

    国庫からの補助金(165万円+毎年25万円)、皇室からの下賜金(年10万円を10年間)、三井財閥や古河財閥からも寄付を受けて1917年に理化学研究所が設立された。設立場所の土地や設備は三菱財閥が提供した。


    ジアスターゼやアドレナリンの発見で知られる科学者・高峰譲吉が中心にいて設立者の1人されているが、高峰と渋沢は高峰の渡米を巡って対立した。
    但し理研や研究者たちは研究成果(特許)によってアメリカで財を成した高峰に憧れを抱き続けてきたはずだ。

    高峰譲吉
    タカジアスターゼ、アドレナリンを発明し、アメリカ合衆国で巨万の財を成した。三共創業者。現在の富山県高岡市生まれ。現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒。
    高峰は1890年にアメリカに移った。
    当時の法律ではまだ日本人は帰化することは出来なかったが高峰は永住覚悟だった。


    1886年、東京人造肥料会社(後の日産化学)を設立。会社が軌道に乗り始めた折、かねてより米国で特許出願中であった「高峰式元麹改良法」(ウイスキーの醸造に日本の麹を使用しようというもので、従来の麦芽から作ったモルトよりも強力なでんぷんの分解力を持っていた)を採用したいというアメリカの酒造会社より連絡があり、1890年に渡米する。
    東京人造肥料会社の株主であった渋沢栄一に渡米を止めるように言われ、譲吉は当初渡米を渋っていたが、益田孝の強い勧めもあって、渡米を決意する。
    渡米後、木造の研究所をこしらえ研究を続けるが、麹を利用した醸造法が採用されたことでモルト職人が儲からなくなり怒りを買うが、新しい醸造工場にモルト職人を従来より高い賃金で雇うことで和解した。しかし、モルト工場に巨額の費用をつぎ込んでいた醸造所の所有者達が、譲吉の新しい醸造法を止めようと、夜間に譲吉、キャロライン夫妻の家に武装して侵入し、譲吉の暗殺を試みた。その時譲吉は隠れていたので見つからず、そのまま醸造所の所有者たちは譲吉の研究所に侵入、結局譲吉を発見できなかった所有者たちは、研究所に火を放って研究所を全焼させた。

    1894年、デンプンを分解する酵素、いわゆるアミラーゼの一種であるジアスターゼを植物から抽出し「タカジアスターゼ」を発明する。タカジアスターゼは消化薬として非常に有名となった。
    譲吉が最初に居住したシカゴは当時アメリカでも有数の肉製品の産地で多数の食肉処理場が存在していた。この時廃棄される家畜の内臓物を用いてアドレナリンの抽出研究をはじめ、1900年に結晶抽出に成功。世界ではじめてホルモンを抽出した例となった。アドレナリンは止血剤としてあらゆる手術に用いられ、医学の発展に大きく貢献した。
    1912年には帝国学士院賞を受賞している。1913年6月26日、帝国学士院会員となる。同年、日本における「タカジアスターゼ」の独占販売権を持つ三共(現在の第一三共)の初代社長に就任する。


    1921年、大河内正敏が理化学研究所の3代目所長に就任した。
    1代目2代目所長は二足三足のわらじで他の仕事が忙しく理研にかまっている暇はなかった。名前貸しのようなものであったのだろう。
    そもそも研究も理研で専属に行っているわけではなく、東京帝国大学の研究室で行われたりしていた。
    そんなわけで1代目2代目所長の時には理研はぱっとせず、当然これといった成果も出ずに資金だけを食いつぶしていった。
    2代目所長の古市公威と三島由紀夫の祖父が親交があり、古市が三島由紀夫の本名の名の由来なのだとか。(ちなみに三島由紀夫の祖父は福島県知事だったことがある)


    理研を発展させたのは1921年に43歳で就任した3代目所長である。

    大河内 正敏(1878年-1952年)

    東京府出身。子爵。理化学研究所(理研)の3代目所長、貴族院議員。
    無名時代の田中角栄を引き立てたことでも知られる。
    孫は女優の河内桃子。

    当初彼も東京帝大教授と貴族院議員とを兼務していたが、1925年に理研専属となる。
    大河内は日本初の造兵学者で兵器研究が専門だった。当時は東京帝国大学工科大学に造兵科があって、彼は三島由紀夫と同じく恩賜の銀時計組(首席と次席)だった。
    理研も兵器製造などを目指したのだろうか。
    理研は物理・化学の基礎研究が中心で応用技術は少なく、特許を販売しても大した額にはならなかった。
    とにかく何か事業につなげたかった。

    「工業的試験は基礎科学の発明研究よりもはるかに困難で独自の試験所を設立する必要がある」という大河内の信念のもと、1922年に「東洋瓦斯試験場」が設立された。
    アドソールを活用すれば、自動車や航空機用の燃料を得ることが出来るようにもなるとしていたが、それは結局成功しなかった。
    アドソールは、新潟県で産出できる酸性白土の蒲原粘土を原料にした材料である。
    吸湿性に優れていて、これを使った冷房装置を考案している。

    活性白土は酸性白土を熱酸処理して得られるものであり、原土の比表面積が100平方メートル毎グラム程度であるのに対し、活性白土は200平方メートル毎グラム以上となることが多い。
    その生産場所は日本では新潟県胎内市・新発田市・糸魚川市や山形県鶴岡市など酸性白土の産地の近くであることが多い。最大手の水澤化学工業が約8割を生産する。1935年前後に相次いで日本活性白土、東洋活性白土、武田白土工業(現水澤化学工業)が設立された。

    多孔質で吸着性・脱色性に優れ、植物油を軽度の真空状態で接触させてカロチノイドやクロロフィルなどの有色素成分を除去したり、石油製品の脱色精製に用いられる。使用済みの廃白土はセメント原料や有機肥料製造時の発酵促進に使われる他、白土に残留した植物油を分離してバイオディーゼル燃料を作る試みもなされている。

    東洋瓦斯試験所のアドソールを事業化する目的で設立された会社が理化学興業であると言われることもあるが、高性能なピストンリングを大量に製造するためである。
    理研はやがて理研コンツェルンという財閥になっていくのだが、理化学興業はその中核をなす会社である。
    1927年、三井・三菱・住友などの協力を得て設立した。
    ピストリングの加工技術を理研の研究者が開発し、理化学興業(後の株式会社リケン)、ひいては理研コンツェルンの基盤づくりに貢献した。
    1932年、理化学興業は柏崎工場を建設。
    アドソールならば新潟ということも合点がいくが、そうではなくてピストリングの工場である。
    朝日新聞の航空機「神風号」に使われたことで名を上げたとか。

    2007年7月16日、新潟中越沖地震で被災、7月22日まで操業停止した。その影響を受け国内乗用車メーカー全8社が生産を一時停止、メーカー各社の技術者が操業再開の支援のために駆けつけるほどの影響があった。

    この理化学興業柏崎工場の建設に14歳の田中角栄が関わっていたというのだ。
    小学校卒業後、土木工事の現場で働くも1ヶ月で辞めて、その後は柏崎の県土木派遣所に勤めていたという。








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    # by yumimi61 | 2017-08-04 23:41
    2017年 08月 04日
    資料(吉田学校の生徒たち、生徒と言っても大人です)
    (Wikipediaより転載)

    吉田は1949年第24回衆議院議員総選挙公職追放された旧勢力の公認候補の代わりとして、各省庁から有能な官僚を送り込み、結果総選挙に圧勝した。吉田はこれら吉田学校生らを強いリーダーシップで率い、戦後日本の政治体制の基礎を固めた。

    主な吉田学校生徒

    第24回衆議院議員総選挙で初当選

    官僚

    法曹界

    財界

    学界

    マスコミ界

    第24回衆議院議員総選挙よりも前に初当選

    初当選後に民主党から移籍
    ※この民主党は自民党の前身党の1つである。
    公職追放令で幹部を多数失った日本進歩党と吉田茂総裁に不満を抱く日本自由党芦田均系が合同して結成され、芦田を初代総裁とした党。

    第25回衆議院議員総選挙で初当選

    第2回参議院議員通常選挙で初当選


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    # by yumimi61 | 2017-08-04 14:53
    2017年 08月 04日
    日本国憲法の秘密-529- (加計学園問題について)

    加計学園と政権の関係は今に始まったことではない。
    つまり安倍総理と加計孝太郎加計学園理事長が親友であったというだけではないのだ。
    安倍総理や麻生副総理の祖父の時代から、加計孝太郎理事長の父(加計学園グループ創立者)の時代から、続いていることである。
    だから「総理の意向」や「加計ありき」でなかったということではない。
    むしろそれを補強するものである。

    吉田茂(東京都)・・日本自由党・民主自由党・自由党(自民党の前身党)
     第1次吉田内閣 1946年5月22日-1947年5月24日(368日)

    ーー片山哲 片山内閣(292日)・・社会党
    ーー芦田均 芦田内閣(220日)・・民主党(自民党の前身党の1つ)
      ※吉田茂に不満を抱き社会党と連立を組んだがやがて自民党に飲み込まれていく。
       この内閣の崩壊の原因は昭和電工事件(戦後間もない時期に起きた贈収賄事件)

     第2次吉田内閣 1948年10月15日-1949年2月16日(125日)
     第3次吉田内閣 1949年2月16日-1952年10月30日(1353日)
     第4次吉田内閣 1952年10月30日-1953年5月21日(204日)
     第5次吉田内閣 1953年5月21日-1954年12月10日 (569日) (通算2616日)

    ーー鳩山一郎 鳩山内閣 (通算745日)・・日本民主党・自民党 ※自由党+日本民主党=自民党
    ーー石橋湛山 石橋内閣 (65日)・・自民党 

    岸信介(山口県)・・自民党
     第1次岸内閣  1957年2月25日-1958年6月12日 (473日)
     第2次岸内閣  1958年6月12日-1960年7月19日 (769日) (通算1241日)

    池田勇人(広島県)・・自民党
     第1次池田内閣 1960年7月19日-1960年12月8日 (143日)
     第2次池田内閣 1960年12月8日-1963年12月9日 (1097日)
     第3次池田内閣 1963年12月9日-1964年11月9日 (337日) (通算1575日)

    佐藤栄作(山口県)・・自民党
     第1次佐藤内閣 1964年11月9日-1967年2月17日 (831日)
     第2次佐藤内閣 1967年2月17日-1970年1月14日 (1063日)
     第3次佐藤内閣 1970年1月14日-1972年7月7日 (906日) (通算2798日)

    田中角栄(新潟県)・・自民党
     第1次田中内閣 1972年7月7日-1972年12月22日 (169日)
     第2次田中角栄内閣 1972年12月22日-1974年12月9日 (718日)(通算886日)

    三木武夫(徳島県)・・自民党
     三木内閣 1974年12月9日-1976年12月24日 (747日)

    福田赳夫(群馬県)・・自民党
     福田内閣 1976年12月24日-1978年12月7日 (714日)

    大平正芳(香川県)・・自民党
     第1次大平内閣 1978年12月7日-1979年11月9日(338日)
     第2次大平内閣 1979年11月9日-1980年6月12日(217日) (通算554日)

    鈴木善幸(岩手県)・・自民党
     鈴木内閣 1980年7月17日-1982年11月27日(864日)

    中曽根康弘(群馬県)・・自民党
     第1次中曽根内閣 1982年11月27日-1983年12月27日(396日)
     第2次中曽根内閣 1983年12月27日-1986年7月22日(939日)
     第3次中曽根内閣 1986年7月22日-1987年11月6日 (473日) (通算1806日)


    安倍晋三(東京都)・・自民党
     第1次安倍内閣 2006年9月26日-2007年9月26日(366日)
     第2次安倍内閣 2012年12月26日-014年12月24日(729日)
     第3次安倍内閣 2014年12月24日-現在
    2017年5月に小泉首相の在任日数を抜いて戦後歴代3位(佐藤栄作・吉田茂・安倍晋三)となった。
    自民党は昨年11月の総務会で、これまで「2期6年」だった総裁任期を「3期9年」に延長することを決定。
    このまま安倍内閣が続けば、2019年8月に佐藤首相(2798日)を、同年11月には、戦前も含めた歴代最長の桂太郎首相(2886日)を抜くことになる。
    2期6年では2018年12月に期限が切れてしまうから、前もって自民党はそのお膳立てをした。ということは続ける腹積もりなのだろう。

    与党第1党は自民党であり、その自民党が政権を維持し、野党第1党は社会党が占めていた体制を55年体制という(1955年に成立したこの構図が長く続いたため)。
    ただ自民党は一大政党と言ってもよいくらい強力で、単独で政権をとれるような野党はほぼなく、政権をとった時代も僅かで、日本は二大政党とはとても言えない状況である。


    明治新政府成立以後、日本は表社会と裏社会が一体となっていた。
    戦後間もなく政権をとった吉田茂の特色は、表社会の補強と言おうか、官僚や官僚出身の政治家を囲い込んだことにある。(裏社会とは裏方の裏ではない)
    その目的のために帝国大学や官庁に送り込まれた人物もいただろう。
    人間は強さと欲に弱い生き物なので弱みに付け込んで勢力拡大した。

    吉田学校
    吉田茂の独自体制を支えるために集められた国会議員のグループを指す。吉田と同じ官僚出身が多数を占め、吉田学校出身者の多くは吉田の引退後も戦後日本を牽引した。吉田学校出身者では首相となった池田勇人、佐藤栄作らが有名である。


    吉田茂(旧名:竹内茂)が養子となった吉田健三(40歳で死亡)はジャーディン・マセソン商会の商人であった。
    この商社もアヘンを扱っていて香港上海銀行設立時に出資している。
    安倍首相の祖父・岸信介は1936年に満洲に渡った。
    吉田茂、岸信介、とともにアヘンの密輸出入や販売に携わっていた。
    アイゼンベルグがサッスーン一族を駆逐してアヘン販売網を奪取できたのは、この日本勢の協力があったからである。
    上海から日本に来たアイゼンベルグは里見甫とも出会っていたのである。


    ●吉田茂(1878年生まれ)東京都出身 ・・麻生副総理の祖父
    実父・実母ともはっきりとしていない。
    実父は高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士で板垣退助の腹心だった竹内綱であったとされるが、茂の誕生は竹内綱が投獄中のことである。 
    養父・吉田健三は竹内の親友であったそうで、女は吉田健三を頼りにして茂を生んだ。
    吉田茂は横浜在住の商人であった吉田健三に養子入りし、健三が早死にしたことから子供ながらに莫大な財産を相続した。


    ●池田勇人(1899年生まれ)広島県出身 ・・吉田茂の舎弟

    大蔵官僚を経て終戦後まもなく政界入りすると、吉田茂の右腕として頭角をあらわし、吉田内閣の外交・安全保障・経済政策に深く関与した。佐藤栄作と並ぶ「吉田学校」の筆頭格である。1960年に首相に就任した。


    ●岸信介(1896年生まれ)旧姓佐藤、佐藤栄作の実兄 山口県出身 ・・安倍首相の祖父
    農商務官僚(三島由紀夫父と同期の官僚)から満州国へ、そして戦争。
    東條ら7名のA級戦犯が処刑された翌日の1948年12月24日、駐日アメリカ大使ジョセフ・グル―の計らいにより不起訴のまま無罪放免。
    「昭和の妖怪」と呼ばれた。


    ■ジョセフ・グル―
    アメリカ・ボストンの銀行家一族。
    ハーバード大学時代に学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていた。
    クリムゾン」は1873年に創刊された学内新聞としては最古の歴史を誇る。
    過去にはフランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディなど後に大統領になった人物も学生時代に編集に関わったことでも知られている。
    ジョセフ・グル―がクリムゾンに所属していた時の仲間に、キャボットが出資したラッセル商会のアジア担当取締役になり、第二次世界大戦中の大統領にもなるフランクリン・デラノ・ルーズベルトがいた。この2人は学生時代からの友人であった。

    ジョセフ・グル―は後にキャボット一族とペリー一族の血を引くアリスと結婚し、駐日アメリカ大使になるわけだが、家族はジョセフがハーバード大学を卒業すると彼を世界旅行に旅立たせた。この時に日本にも来ている。
    そしてジョセフ・グル―は「鈴木」という名の人物を連れてアメリカに帰国した。
    ジョセフとアリスとの縁を取り持ったのはこの「鈴木」だったという。鈴木大拙!?
    その後は家族や友人のコネクション(圧力、忖度?)を存分に使い外交官大使の地位を手に入れた。
    外交官としてエジプト、メキシコ、ロシア、ドイツ、デンマーク、スイスなどに派遣された。
    しかしジョセフ・グルーは難聴気味であり他国の言葉での会話は不可能であったという。

    ジョセフ・グルーは1908年から第一次世界大戦アメリカ参戦1917年までドイツにいた。
    ここで注目すべき点がある。
    前に書いたようにアメリカはホワイトハウスの主(大統領)が変われば、長官をはじめ政府高官、その下にいる補佐官や秘書などごっそり入れ替わる。党が変われば尚更である。ところがジョセフ・クルーは変わらなかったのである。
    次期大統領候補の呼び声も高かったハーバート・フーヴァーは、 人々がドイツの発展を脅威に思っている最中にドイツに近づいていった。彼は親ドイツなのか、それとも反ドイツなのか、ジョセフ・グル―はハーバート・フーヴァーがドイツで何をする気なのか見張っていた(見極めていた)のである。
    ハーバート・フーヴァーはクェーカー教徒の一家に生まれて自身もクェーカー教徒であった。
    クェーカー教徒と言えば、アメリカ建国に一役買ったトマス・ペイン、ジョンズ・ホプキンス(大学の初代学長はラッセル商会にいたダニエル・ギルマン)。GHQにも信者がいて現天皇の皇太子に家庭教師を務めたエリザベス・ヴァイニングもクェーカー教徒であった。

    第一次世界大戦の終盤、ジョセフ・グル―とハーバート・フーヴァ―は一緒にフランスに入った。
    彼らが日本の代理人として西園寺八郎と牧野伸顕、松平恆雄、吉田茂を育成した。
    西園寺八郎は天皇の私的顧問、牧野伸顕は公式顧問、松平恆雄と吉田茂は私的相談役になった。

    西園寺八郎は長州藩(山口県)の毛利一族であり、昭和天皇(1901年生まれ)の実父だという説あり。
    同じく長州藩出身の伊藤博文らの仲介により公爵西園寺公望の養子となった。
    西園寺(毛利)八郎の長男は、ゾルゲ事件(スターリン時代のソ連のスパイ組織・ゾルゲ諜報団が日本で諜報活動)にてスパイ容疑で逮捕されている。

    牧野伸顕は薩摩藩士・大久保利通の息子(大久保伸顕→牧野伸顕)。 娘・雪子が吉田茂の妻となった。つまり吉田茂の義理の父親。

    アメリカも明治期以降の日本もヨーロッパ(ロスチャイルドなど)の影響下にあった。
    ジョセフ・グル―とハーバート・フーヴァ―はどちらかと言うとロスチャイルドから独立して勢力拡大を狙うアメリカのロックフェラー寄りになっていったのではないだろうか。それに追従したのが日本であった。
    ロスチャイルドとロックフェラー、両者の影響下にいて、両者を上手く利用した。
    両者の影響下にあったという点では中国も同じである。

    ジョセフ・グル―、彼こそが天皇制維持の必要性を主張した人物。
    こうして真の戦犯たちは罪や責任から上手く逃れ、何食わぬ顔で戦後を生きることになる。


    ●佐藤栄作(1901年生まれ)山口県出身 岸信介の実弟・安倍首相の大叔父
    運輸省官僚から1949年政界入り。衆議院議員に当選する前の1948年、第二次吉田内閣で官房長官として入閣するという異例の人事。
    吉田茂とは縁戚関係にあり早くから親交があった。いわば身内。
    ノーベル平和賞受賞(初の国連大使だった加瀬俊一のロビー活動が寄与。加瀬は千葉県出身、妻が小野英二郎の娘)


    ●橋本登美三郎(1901年生まれ)茨城県出身 ・・吉田茂の舎弟
    衆議院議員。自民党幹事長、建設大臣、運輸大臣などを務めた。
    ロッキード事件で受託収賄(全日空ルート)で懲役2年6ヶ月(執行猶予3年・追徴金500万円)・・1990年1月19日死去で公訴棄却


    ●宮沢喜一(1919年生まれ)東京生まれの東京育ちだが本籍は広島県にあった。
    父親・宮澤裕は広島県出身の衆議院議員。
    大蔵省の官僚から1953年に政界入り。
    1991-1993年首相であった。


    ○永野重雄(1900年生まれ)広島県出身 
    新日鉄会長、経済同友会創立者で会長。“戦後の財界のドン” 財界四天王の1人
    全日空(ANA)の前身は朝日新聞航空部である。 会社設立に協力したのは永野重雄。若狭得治に「一切永野さんと美土路さんの手によって全日空が作られた」と言わしめるほど。
    ショーン・アイゼンベルグを紹介されスクラップ工場設立に協力した。アイゼンベルグが結婚したのは永野の娘という説もある。
    アイゼンベルグらはイギリスに麻薬貿易に貢献したサッスーン一族を殺して麻薬販売網を力ずくで奪い取った。

    【財界四天王】・・・池田勇人内閣を表裏で支えた4名を指す。
    小林中(富国生命保険相互会社元社長、日本開発銀行初代総裁、アラビア石油元社長)
    水野成夫(経済同友会元幹事、産経新聞元社長、フジテレビ元社長
    永野重雄(日本商工会議所元会頭、富士製鐵元社長)
    櫻田武(日経連元会長、日清紡績元社長)


    ○加計勉(1923年生まれ)広島県出身
    池田勇人(1960-1964年首相)が中学の大先輩にあたり親交があった。
    その関係で宮澤喜一(1991-1993年首相)の後援会長も務めていた。
    1955年予備校・広島英数学館を設立。
    1961年、岡山県岡山市半田山の山麓(現在の岡山市北区理大町)に学校法人「加計学園」を設立⇒岡山理科大学


    ○加瀬英明(1936年生まれ)東京都出身
    ノーベル平和賞の裏工作を担当した国連大使・加瀬俊一の息子。オノ・ヨーコの従弟。
    慶應義塾大学卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。
    日本会議代表委員・東京都本部会長、史実を世界に発信する会代表を務める。
    「新しい歴史教科書をつくる会」(残留組)の顧問で、その教科書出版を担当する自由社の社長。
    一方で離脱組の「日本教育再生機構」の代表委員とや「日本会議」の幹事や代表委員でもある。







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    # by yumimi61 | 2017-08-04 13:26
    2017年 08月 03日
    日本国憲法の秘密-528- (加計学園問題について)
    “the last mile”
    技術が発達して機械化が進んでも収穫時期を判断しているのは人間である。
    収穫者が収穫時期を逃してしまえば、技術発展もそれまでの作業や努力も意味ないものになってしまう。
    それほど最終段階、最終ランナーは大事なものである。
    人工知能というからにはコンピューター(機械)がそれを出来なければならない。
    人間が収穫機械のスイッチを入れるのではなく、コンピューター(機械)が自分で最適な時期を判断して人間に知らせるなり、自動でスイッチを入れて機械を動かし収穫する必要がある。
    現段階ではそれは不可能である。

    コンピューターで何かを検索したり買い物をすると、そのままそれが広告として表示されたりする。
    あれでは「オウム返し」である。
    オウム返しは幼児期や発達障害の人に見られる特徴。
    「暑いね~」暑いね~」
    「寒いね」「寒いね」
    「カッコいい!」「カッコいい!」
    「上手」「上手」
    「これやって」「これやって」
    「ダメでしょ」「ダメでしょ」
    「このハゲー」「このハゲー」
    「バカ何言ってるの」「バカ何言ってるの」
    「ごめんね」「ごめんね」
    「傷ついた」「傷ついたんですね」
    「ありがとう」「こちらこそありがとう」
    「また明日」「はい、また明日」
    オウム返しは安心感と心地よさを与えるという側面もある。
    同意してもらい受容されている気持ちになるからであろう。
    相手の言ったことを否定しないで同じような言葉を返すのはカウンセリング技術の1つでもある。
    語彙が少なくなり短文化して必要以上にオウム返しを望む社会は健全とは言い難い。


    文科省が教科書検定を行い合格不合格を付ける。
    教育委員会や学校長が合格した教科書の中から使用する教科書を選ぶ。
    選んだ教科書を児童生徒に無償配布したり購入させる。
    その教科書を用いて教師が児童生徒に教える。児童生徒が自発的にそれを読む。
    授業では教科書以外に教師が用意した資料が使われることもある。
    児童生徒は自発的に教科書以外の書物を読める環境にある。
    学習塾に通っている子も少なくない。
    学校の授業では1冊の教科書を1年で教え終わらないこともある。最後は駆け足になったり、自分で読んでおくようにとか言って終わることもままある。
    特に歴史は年々増えていくわけだから年々厳しくなってくる。近現代の歴史は入りきらないことも多い。
    しかし近現代の情報を得ることは古代の情報を得る事よりも簡単であろう。
    私立有名進学校では教科書を用いない授業を売りにしたりもしている。

    “the last mile”
    それは末端ともいえる。
    アマゾンが即日に出荷しても、配送業者が3日も4日も荷物を据え置いておいたのでは意味がない。
    やはり最終ランナーは大事である。
    だからそれを他者に頼まず自社でそれも機械(無人ヘリコプター・ドローン)にやらせようとしていたりするがはてどうだろうか。

    教科書をつくる人、教科書を選ぶ人、教科を教える人。
    この場合、最終ランナーは教師ということになりそうだ。
    しかし今の子供達は学校や教師以外からも学ぶ機会も多い。
    教科書の「侵略」や「進出」の言葉分けがそれほど重要とは思えない。
    それが重要となってくるのは試験の解答に其の語が用いられる時であろう。
    テストや試験あっての教科書である。教科書と試験のセットで言葉は初めて威力を持ってくる。(だから教科書を使わない授業で有数の進学校というのは少々怪しい。本当ならば学校の力量ではない。私立→私立ではその限りではないが)
    例えば大学入試センター試験で「侵略」が正解で「進出」が不正解となれば、よほどのことが無い限り受験生は「侵略」と書く。記憶力の良い子ほど間違いは少ない。
    その逆も然りで、種々の歴史背景から自分では「侵略」と判断しても、「進出」が正解だと教えられれば「進出」と記入する。
    そのうち本当に「進出」と思い込む人もいれば、試験は試験、自分は自分で、自分の意見は変わらない人もいるだろう。
    しかしながら外から与える一方だと思考は育ちにくくなる。いわゆる思考停止状態となる。



    第二次教科書問題

    「日本を守る国民会議(現在の日本会議)」編の高校用教科書『新編日本史』(原書房) に中国が批判し、中曽根康弘首相が文部省に検討を要請、5月27日、異例の再審議が行われた。これは第二次教科書問題ともいわれる。
    この『新編日本史』は「皇室への敬意を育む」「神話を通して建国を理解させる」などの方針に基ずいて編纂されており、天皇中心の記述が多かった。
    「天皇の人間宣言」が記載されておらず、4回にわたる文部省との折衡の焦点となり、『新編日本史』を作成した日本を守る国民会議側は「人間とか神格否定の語句だけは絶対入れたくない」と主張した。
    こうしたさなか国民会議支援の懇談会が、不二歌道会、新日本協議会など40数団体が集結して開かれ、政府、文部省に対する糾弾大会の開催が決定した。
    『新編日本史』は、検定に合格したが、教科書採択率は低く、昭和62年8月の締め切りで32校8900部に留まり、その理由として朝日新聞が批判記事を書いたことを「悪質な妨害活動」と神社新報は糾弾している。

    なお、家永三郎は当時、「立場は違うが、検定で落とせとは口が裂けても言えない」と語り、教科書は自由発行・自由採択であるべきとの持論を述べた。


    ということは、「日本を守る国民会議(現在の日本会議)」は戦後もずっと、そして今も、天皇が人間ではなく神だと思っているということでしょか?
    ということは、ローマ教皇も人間ではなく神だと考えているのでしょうか?あれは職業のようなものだから人間だ!?
    地上に天(神)ありということで、天存(アマゾン)ですか!?








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    # by yumimi61 | 2017-08-03 12:54
    2017年 08月 03日
    旬と物価
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    旬を外れると、値段も外れる。
    旬を過ぎると値段が安くなることもあるし、旬を過ぎると値段が高くなるという例もありますね。

    野菜などは旬の時期が一番安くて美味しい。
    育つのに適した季節(温度や気候)がある野菜は、その時期を過ぎると温めたり冷やしたりと余分なエネルギーや物や作業が必要になる。だからそのエネルギーや物や作業分の値段が上乗せされる。
    また作れる人が少なくなり競合相手が減るので価格を下げる必要がなくなるということもある。

    一方、季節性や流行のある物品は旬の時期のほうが高い。
    それほど値段を下げなくても売れる(需要がある)。
    旬を過ぎると安くなる。
    夏物が安く売られたり、冬物が安く売られたり。
    型落ち製品が安くなったり。

    但し野菜の場合も短期的にみれば、旬が高値ということはある。それは採り旬(適した採り時)である。
    採り旬を過ぎたものを無料で提供したり安く売ったりすることはある。
    本格的な出荷では採り旬を逃したものは難しいが、今流行りの直売所などでは多少の幅が許されるので、値段を下げて売ったりできる。

    野菜の例は育成に旬がある。
    育ちきった後、購入後はそれほど保存が効かない。

    一方下の物品の例は需要に旬がある。
    そして保存が効く。1年だけでなく何年も使える物がほとんど。
    でもそれでは物が売れないので、メーカーはあれこれ変えて新製品を出し、新しい物を買わせようとする。

    需要より供給が上回ると物の価値(値段)は下がる。
    物価が上がらないとするならば、それは供給過多ということである。






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    # by yumimi61 | 2017-08-03 11:17
    2017年 08月 02日
    旬聞く?
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    # by yumimi61 | 2017-08-02 23:49
    2017年 08月 01日
    日本国憲法の秘密-527- (加計学園問題について)
    「軍に無理やり協力させられた」というセリフはミスリード。
    戦争は軍が悪いという誤った解釈に誘導して、軍のみが悪である(悪であった)と植え付ける。
    明治憲法という揺るぎない証拠があるのに、どうしてもそれに目を瞑るのか。
    「軍」ではなくて「国」や「天皇」と言うべきだわ。

    もう少し歴史教科書の件を引っ張る。

    「新しい歴史教科書をつくる会」が設立されたのは1996年。
    創設者の藤岡信勝は湾岸戦争以前まで日本共産党員であったが、保守に転向して右にも左にも組しない自由主義史観の構築を提唱した。
    左から右への転身など自由主義覇権(金融覇権)を主張したアメリカの新保守主義(ネオコン)に似ている。


    昨今の日本のニュースにおいては日本の首相もアメリカの大統領も事あるごとに「日本とアメリカは強固な同盟国」と言っていることが報じられるので、第二次世界大戦直後から日本とアメリカは同盟国になったような感覚に陥っている人もいるのではないかと思う。
    一方で、戦争の敵で殺し合いをし勝者と敗者になった者がどうして強固な同盟国になんかなれるんだ?と腑に落ちない人もいると思う。
    殺人の被害者と加害者が例え和解はしたとしても、堅い絆で結ばれた最良の友、親友になれるだろうか?ということである。
    「同盟」という言葉が最初に使われたのは1981年のこと。
    鈴木善幸首相とレーガン大統領との会談後の共同声明の中で初めて「同盟関係」という文言が記された。
    だから新たな軍事的密約を懸念したマスコミから記者会見の場で「同盟関係ということが初めて謳われたが何か軍事的に変わったことがあるか」という質問がなされたくらいであった。
    同盟関係になったのはそれほど昔ではない。(十分昔ですよ?)

    アメリカではレーガン大統領の時にネオコンが誕生した。
    環境マフィアと呼ばれることもある『不都合な真実』のアル・ゴアの顧問弁護士がネオコン派の代表的人物であったことから少し前にネオコンについて書いた。
    **新保守主義(ネオコン)
    新保守主義とは左翼から鞍替えした右翼のこと。
    旧保守主義とは区別するために新保守主義と呼ばれる。
    公民権運動、フェミニズム運動(ウーマン・リブ)、反戦運動などのムーブメントにより大々的に「道徳的正さ」が求められるようになり、品行方正な政治家を良しとする風潮が生まれた。
    公民権運動、フェミニズム運動(ウーマン・リブ)、反戦運動、こうした運動をする側は反体制、要するに左翼として捉えられる。アメリカの政党で言えば民主党である。
    ヘルメットを被って暴れるといった左翼のイメージからは品行方正さは感じられないが、左翼の運動は結果として波風を立てない大人しい政治家を生みだした(これもある意味、核抑止力が効いていたということですね)。
    左翼の中の異端児と言おうか、窮屈な社会に息が詰まったとでもと言うべきか、いつなんどきも品行方正であることがそんなに偉いことか!、といった感じの人達がネオコンである(核抑止力の崩壊と言ってもいいでしょう)。
    第二次世界大戦後、ソ連を脅威に感じてびくびくしながら冷戦で様子を窺っていたアメリカだったが、レーガン大統領(1981-1989)は強硬路線を採った。これに乗って左翼・民主党から転向した人が結構いた。
    レーガン・中曽根時代には、よくタカ派という言葉が聞かれたが、主張のはっきりとした行動的な人達のことであり、ネオコン派ともダブルものがある。
    民主党が政権を取ると、左翼から右翼(反体制から保守)に回るので、必然的にネオコンに足を突っ込むことになる。


    レーガン大統領がネオコンではなくて、レーガン大統領の時に左翼から右翼に転向したネオコンが生まれたわけである。
    日本とアメリカの共同声明の中で「同盟関係」と言及したのは、同じタカ派で仲が良いと有名なロンヤスコンビの中曽根康弘首相の時ではない。
    左翼の人物をも惹きつけたレーガン大統領と鈴木善幸首相との会談によるもので、中曽根首相は鈴木善幸首相の後の首相である。

    1981年にアメリカと同盟関係を結んだ鈴木善幸首相の娘と1983年に結婚したのが麻生太郎議員。
    この流れを見れば政略結婚と見做されても仕方ないだろうと思う。


    1996年に創設された「新しい歴史教科書をつくる会」も度々物議を醸してきたが、歴史教科書が最初に問題としてメディアに取り沙汰されたのはもっと前だった。
    それが実は1982年なのである。

    第一次教科書問題(教科書誤報事件)
    1982年に文部省が教科書検定で「華北へ侵略」を「華北に進出」に変えさせたとする誤報がなされ、これにより日本の外交・内政に混乱が生じた事件。
    1982年、あなたは何歳でしたか?

    1982年(昭和57年)6月26日、大手新聞各紙および各テレビ局は、「文部省(現在の文部科学省)が、教科書検定において、高等学校用の日本史教科書の記述を(中国華北に対する)“侵略”から“進出”へと改めさせた」と一斉に報じた。『朝日新聞』は「教科書さらに『戦前』復権へ・『侵略』表現薄める・古代の天皇にも敬語」、『毎日新聞』は「教科書統制、一段と強化・過去の日本、正当化・“自衛隊合憲”の記述定着」、『読売新聞』は「自衛隊成立の根拠を明記・明治憲法の長所も記述・中国『侵略』でなく『進出』」といった見出しが並んだ。

    同日付の『東亜日報』では「日本、教科書検定強化、古代の天皇に敬語、侵略の用語を抑制」と二段で簡単に報道しただけであった。約二週間後の7月8日付社説でも取り上げられたが、この時点ではさほど大きな問題になってはいなかった。


    小学校と中学校の教科書検定は4年に1回行われている。
    高校は低学年・中学年・高学年と別に検定が行われているので変則的。
    1982年度(昭和57年度)には小学校と高校の教科書検定が実施された。(1983年度に教育委員会や校長に採択され、翌1984年から使用される)
    1982年度検定に合格した全教科書593点が1982年6月16日に報道機関に配布された。
    これに全部目を通して取材するのは大変なことである。いつになるか分からない、旬を逃してしまう。
    そもそも合格しただけのことでその教科書が採択されるかどうかはまだ分からないのだ。
    ということで、当時の記者クラブ(文部記者会)では教科書取材については「各社分担・持ち寄り制」という慣行があった。
    1981年には次の37点がピックアップされた。
     ・高校―日本史10点、世界史10点、政治経済5点、国語5点、地理4点、倫理3点(計37点)
    理科系には口出しできないということでしょうか?定義は変えようがないだろう?


    記者クラブ
    公的機関や業界団体などの各組織を継続取材を目的とするために大手メディアが中心となって構成されている任意組織。英語では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記される
    大手メディア以外の記者・ジャーナリストも加盟できる「プレスクラブ」(日本では、社団法人である日本記者クラブや、日本外国特派員協会などが該当)とは全く性格を異にし、日本独特のシステムと言われ、フリーランスなどに対し排他的であるとして近年、批判を受けている。
    アメリカのホワイトハウスや連邦政府の官庁、国連本部などに似た組織が存在している。


    記者クラブは法人としての登記が為されていない私的な組織で、主に大手メディアが構成する。日本には約800の記者クラブがあり、中央省庁・国会・政党を初め、企業・業界団体、地方自治体の役場などに置かれている。ほとんどの記者クラブは庁舎内に専用の記者室を取材対象側から無償もしくは低額で割り当てられ、情報提供などを独占的に受けている。光熱費などの運営費も負担しないケースも多い。年間110億円、全国紙1社あたり数億円の負担を免れている。

    つまり敵にはなりにくいとうこと。記者はほとんどがクラブに常駐している。

    公的機関はクラブに対し記者室を提供、光熱費なども負担しており、「便宜供与に当たるのでは」といった批判も出ている。また、官房機密費を使っての供与疑惑も持ち上がっている。
    取材対象側から情報提供を安定して受ける結果、横並び意識になり、また記者の能力低下も懸念されている。


    ニュースなどで聞いて一番馴染みがあるのは「警視庁記者クラブ」ではないだろうか。
    しかしこの「警視庁記者クラブ」は1つではなく、3つのクラブが存在するのだとか。
    ①朝日、毎日、読売、東京、日経、共同の新聞・通信社6社が加盟する「七社会」。
    昔はここに時事新報も加盟していたので、7社の加盟で七社会に。警視庁の記者クラブの中では最も歴史と権威がある。
    ②日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の民放5社が加盟するのが「ニュース記者会」。
    ③NHK、産経、時事、ニッポン放送、文化放送、MXテレビが加盟する「警視庁記者倶楽部」。実質的に常駐しているのは前3社で記者クラブの中では最小規模。
    このことから分かるのは、同じグループでも新聞とテレビでは記者クラブが違うということ。

    当時の文部記者会には新聞やテレビ、通信社など16社が加盟しており、新たに合格した教科書は前の教科書のどこがどうに変わったのか確認したり取材したりすることを各社で分担した。
    分担したのでその結果を持ち寄り報告し合った。
    それが1982年6月22日だったという。
    その場で、実教出版の「世界史」を担当した日本テレビの記者が、「日本軍が華北に侵略すると」という記述が検定によって『日本軍が華北に進出すると」に変わったと報告。
    実教出版は工業・商業・農業などの実業高校の分野に強い。昨今も愛国者側(自虐的歴史は嫌だサイド)から度々批判の対象となる教科書出版。
    そうした出版社の表記を文部省が検定によって書き換えさせたということを問題視し報道機関は報道した。
    それは国による権力行使(強権発動)であり、結果的に再び軍国主義に突き進むのではないかという懸念を持っていたからであろう。
    だけど前述の通り、記者クラブは便宜供与されているのに、文部省の協力なく文部省を悪者に出来たのだろうか?
    ともかく実際は書き直しはしておらず検定前も検定後も「進出」であったというのだ。(実教出版は今より穏健だった?)
    そうとなれば、このような結論がリードされる。
    出版社の表記を文部省が検定によって書き換えさせた。⇒事実無根。報道機関の誤報(嘘)。
    国による権力行使であり、結果的に再び軍国主義に突き進むのではないかという懸念。⇒在り得ない。


    検定した文部省は教科書出版に意見を述べるわけだが、その意見には、直さなければ合格せず必ず直す必要がある修正意見(A意見)と、直しても直さなくてももよい改善意見(B意見)があったという。
    「侵略」という文言に付くのはB意見であり、直しても直さなくても合格可能だった。
    だから報道の通りに出版社(著者)が書き直したとしても何ら不思議はなかった。
    現に直す出版社もあれば直さない出版社もあったと言うが、1982年検定で書き直しした出版社はなかったという。(実教出版は最初から「進出」だったらしい)
    こういってはなんだが検定過程においては大した問題ではなかったわけだ。
    採択する者が気になるなら、そうでない教科書を選べばよいだけの話であり、選択肢がある状態であったということなのだ。(こうなるとと採択者が重要になりますか?)

    だけど古今東西「侵略」という言葉には敏感であるがゆえ、選択肢がある状態が許せない人もいるのだろう。
    つまり「侵略」「進出」どちらでもよいという意見ではなく、「侵略」に対して文部省は修正命令であるA意見を付けるべきという考えの人がいるということ。
    この侵略問題は外に相手がいるだけに面倒である。外交問題となる。
    侵略した側は侵略ではない(合意の上の進出)と主張し、侵略された側は侵略だと主張する。
    進出した側は合意の上の進出だったと主張し、進出された側は一方的な侵略であり合意なんかあるはずないと主張する。
    これは合意があったとかなかったとかで言い争う強姦罪によく似ていますね。
    強姦罪は日本では今のところ被害者からの告訴がなければ検察が起訴することができない親告罪である。
    捜査機関が独自に逮捕や捜査をすることは出来ない。
    だから金銭で片が付くことも少なくない。
    侵略された中国が告訴し、国際連盟がそれを調査し侵略行為と認定。日本は満州国建国の無効と日本軍の撤退を求められたが、それが不服で国際連盟を脱退した。
    言うなれば、裁判の結果に従わなかったということである。この歴史から進出と語るのは無理がある気がするが。

    報道から1ヶ月後に中国から正式な抗議があり、韓国でも反発が大きいと伝えたのは共同通信社ソウル支局長の黒田勝弘であった。
    共同通信社の創立は下記を参照。新聞社とNHKが出資して前会社の事業を受け継ぐ形で設立され、電通とも関係がある。

    日本広告・電通→電通
    際通信社・東方通信社→新聞連合社→同盟通信社→(戦後に解散・加盟新聞社とNHKが出資)→共同通信社
    ※電通は通信部門は同盟通信社に、同盟通信社は広告部門を電通に。

    日本広告と電通の創業者は熊本県人。
    長年電通のトップとして君臨した成田豊は創業家一族ではなく元従業員であった。
    成田の父は石川県出身だが朝鮮総督府鉄道に勤務しており朝鮮半島を転々としていて、豊は日本統治下の忠清南道天安郡(現在の天安市)に生まれている。
    国籍がどうなっているかは与り知らぬが、韓国生まれの韓国育ちであった。

    電通は1932年に満洲国において新聞聯合社と電通の通信網を統合した国策会社「満洲国通信社」(国通)を創立。
    同社は新京に本社を置き里見甫を主筆として活動したが、1936年(昭和11年)には通信部門は同盟通信社に譲渡され、電通は広告代理店専業となる。


    里見甫という名前に見覚えはないだろうか?アヘン王であった里見は電通の国策会社にいたのである。
    吉田茂(旧名:竹内茂)が養子となった吉田健三(40歳で死亡)はジャーディン・マセソン商会の商人であった。
    この商社もアヘンを扱っていて香港上海銀行設立時に出資している。

    安倍首相の祖父・岸信介は1936年に満洲に渡った。

    吉田茂、岸信介、とともにアヘンの密輸出入や販売に携わっていた。
    アイゼンベルグがサッスーン一族を駆逐してアヘン販売網を奪取できたのは、この日本勢の協力があったからである。
    上海から日本に来たアイゼンベルグは里見甫とも出会っていたのである。



    支配下に置いた時代もあったので、日本びいきの旧知の知り合いなど太いパイプはあるだろう。
    しかし一方、侵略し支配下に置いたということは、反発する人だって少なくない。
    中国と韓国の外交問題に発展すると、なかなか日本の意のままにはいかなくなって、「進出」では済まない。

    韓国の反発が大きいと報じた共同通信社ソウル支局長の黒田勝弘の意図はどこにあったのか、彼はその後NHK→フジサンケイグループの産経新聞へと転職。
    フジサンケイグループと言えば自虐的歴史を良しとしない新しい教科書の出版を請け負う扶桑社・育鵬社を擁している。
    だからフジサンケイグループは保守派メディアと言われている。
    客を拒む権利が店主にはあるのと同じようにメディアには報道しない自由もあるらしいので、韓国の反発を報道しないという選択もあっただろうか?なし?意向がある?圧力がある?煽っただけ?


    しかしながら、どうして書き換えしていないものが書き換えしたことになってしまったのだろうか。
    文部省が説明するように本当に書き換えはなかったのか?文部省が嘘を付いているということはないのか?
    政府関係者が答弁で嘘を付く事なんかよくあることではないか。
    いつの時代も権力や法律を盾にする政治家の前に民間人は弱い存在である。
    そういう疑問は払拭できなかったのだろう。
    あるいは、世間が全く無関心だったか。

    そこで次なるキャンペーンがうたれた。
    書き換えていないのに書き換えたと報道した報道機関が悪者になった。

    書き換え報道があってから2ヶ月後の9月2日になって文藝春秋のオピニオン誌『諸君!』に渡部昇一の「萬犬虚に吼えた教科書問題」が掲載された。『諸君!』の渡部論文は、板倉由明の調査や8月6日付世界日報「テレスコープ」「実際は変わっていない“教科書”」「一部を誇大に報道」「『侵略』記述は、逆に増加」などを参考にしている。これに先立ち渡部は8月22日放映の『竹村健一の世相を斬る』に出演、用語を書き改めた教科書が皆無であることを明確に断言している。
    『週刊朝日』はこの問題について、野坂昭如と対談しないか、と渡部に企画を持ちかけ、また、「書き換えは存在しない」ことのソースをしきりに知りたがったという。


    『週刊文春』には「意外『華北・侵略→進出』書き換えの事実なし」が掲載され、9月7日には産経新聞が一面で訂正お詫びを掲載した。ここに「侵略進出書き換えは誤報である」との主張が始まった。
    一方朝日新聞はお詫び記事を掲載せず、「読者と朝日新聞」という中川昇三社会部長名の四段の囲み記事で、「『侵略』→『進出』今回はなし」「教科書への抗議と誤報」「問題は文部省の検定姿勢に」と報じた。「一部にせよ、誤りをおかしたことについては、読者におわびしなければなりません」としながら、「ことの本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか」「侵略ということばをできる限り教科書から消していこう、というのが昭和三十年ごろからの文部省の一貫した姿勢だったといってよいでしょう」と書いた。


    誤報であるという顛末に納得がいかなかったのが週刊朝日や朝日新聞だったということらしい。
    元々は国家に近い存在だった朝日が左翼として敵視されるようになったのはこの頃からではないのか。

    「侵略→進出」がセンセーショナルに報道された一方で、「『侵略→進出』書き換えが誤報である」ことは広く伝わることはなかった。いわゆる「進歩的文化人」は、その後も「日本の右傾化」「侵略主義の隠蔽」といった表現で論議を展開していく。たとえば藤原彰は1994年8月に出版された著書の中でも「文部省の歴史教科書の検定が「侵略」を「進出」に直させたり」と書いている。

    センセーショナルに報道されたものが後で間違いだと分かっても、それが広く伝わることがないのは全くその通り。
    だから印象操作のためにセンセーショナルに報道すると批判されても仕方ない部分がある。
    でも間違いであったという姿勢に態度を大きく変えて大々的に報道すると、手のひら返しなどと言われてこれも激しく非難されるので、誤りを報道しにくいという側面もあることは確か。


    この騒動は結果的に教科書定基準の中に「近隣諸国条項」の追加するはめになったという。策士策に溺れる!?
    条項―近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。

    それにお嘆きなのが、加戸元文部省官僚(元愛媛県知事)。
    自虐史観記述の源流「近隣諸国条項」撤廃も 2013年4月11日 産経ニュース(新しい歴史教科書のお仲間である産経のニュース)

    安倍政権が、教科書検定制度の見直しを目指す。その背景には、現行制度では社会科を中心に多くの教科書にはびこる自虐史観の記述に歯止めをかけることができず、改正教育基本法に掲げた愛国心の育成を阻害しているとの考えがある。その源流ともいえるのが、近現代史の教科書記述で近隣アジア諸国への配慮を求めた「近隣諸国条項」だ。

     条項導入のきっかけは昭和57年の高校教科書検定で、当時の文部省が、中国華北への日本の「侵略」を「進出」に書き換えさせたと報道されたことだった。実際には誤報だったが、中国と韓国が強く反発して外交問題に発展したため、沈静化を図ろうと検定基準に付け加えた。

     これを機に、「慰安婦問題」や「南京事件」など主に歴史認識の問題について、自虐史観の記述が急増していく。

     当時、文部官僚として条項導入に携わった元愛媛県知事の加戸守行氏は「条項導入で、省内は中国と韓国に関する記述はアンタッチャブルですべて認めざるを得ないという雰囲気に陥った。一方の教科書会社側は『削れるものなら削ってみろ』という勢いで自虐史観の記述を強めていき、明らかに条項導入前より過激になった」と振り返る。



    報道悪のキャンペーンを張った論調jの記事を書いた渡部昇一は、上智大学卒のカトリック教徒である。

    先生の本を読んで、これは凄いと思いました
    渡部昇一先生×メグビー株式会社代表取締役 笹木多恵子
     より

    笹木:先生は上智ですから、カトリックですよね?幼児洗礼を受けていらっしゃるんですか?

    渡部:家内は親の代からですが、私は大学の2年の時です。
    中川先生(元国際基督教大学学長)というとてもお元気な100歳近いプロテスタントのリーダーの一人ですが、お話を伺った時に「この歳になると死んで神のそばに行くとかキリストのそばに行くとか、そんなことを考える必要は無いですね。虚空に消えるだけでいいじゃないですか。」って仰ったんですよ。キリスト教の大リーダーですよ!
    若い人は病気で死ぬから苦しむんです。究極の医学は95歳まで生かせることですよ。
    いわゆるボケ老人ではなくて、ボケていない人は95歳まで生きないと気の毒です。それまで生きれば安らかに死ねると思いますよ。ボケたら死ぬのは怖くないんでしょうか?
    先生は老齢までお元気で、一番参考になる方のおひとりですよ。スキーに行って亡くなられましたよね?


    どうですか、これ。
    カトリック教徒なはずなのに、国際基督教大学学長であったプロテスタントリーダーの影響を受けたような話しぶり。
    日本のカトリックとプロテスタントの区別はかなり怪しい。
    皇室を見ても(そもそも神道であるはずの皇室がキリスト教の学校出身であることや、あえて入学することが信じられないけれども)、カトリック系の学校とプロテスタント系の学校を股にかけている。






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    # by yumimi61 | 2017-08-01 14:58
    2017年 07月 30日
    資料(日本会議国会議員懇談会の会員)
    日本会議 国会議員懇談会の会員(2016年現在) ※氏名はあいうえお順

    1.逢沢一郎 自由民主党 衆 岡山1区 [19][20]
    2.愛知治郎 自由民主党 参 宮城県 [19][20]
    3.青木一彦 自由民主党 参 島根県 [19][20]
    4.青柳陽一郎 民進党 衆 比例南関東(神奈川6区) [19][20]
    5.青山周平 自由民主党 衆 比例東海(愛知12区) [19][20]
    6.赤池誠章 自由民主党 参 比例区 事務局次長 [19][20]
    7.秋元司 自由民主党 衆 比例東京(東京15区) [19][20]
    8.浅尾慶一郎 無所属 衆 神奈川4区 [19][20]
    9.東徹 日本維新の会 参 大阪府 [19][20]
    10.麻生太郎 自由民主党 衆 福岡8区 特別顧問 [19][20]
    11.阿達雅志 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    12.穴見陽一 自由民主党 衆 比例九州(大分1区) [19][20]
    13.安倍晋三 自由民主党 衆 山口4区 特別顧問 [19][20]
    14.甘利明 自由民主党 衆 神奈川13区 [19][20]
    15.有村治子 自由民主党 参 比例区 政策審議会副会長 [19][20]
    16.安藤裕 自由民主党 衆 比例近畿(京都6区) [19][20]
    17.池田道孝 自由民主党 衆 比例中国 [19][20]
    18.池田佳隆 自由民主党 衆 比例東海(愛知3区) [19][20]
    19.石井準一 自由民主党 参 千葉県 [19][20]
    20.石井正弘 自由民主党 参 岡山県 [19][20]
    21.石関貴史 民進党 衆 比例北関東(群馬2区) [19][20]
    22.石破茂 自由民主党 衆 鳥取1区 相談役 [19][20]
    23.石原宏高 自由民主党 衆 東京3区 [19][20]
    24.礒崎陽輔 自由民主党 参 大分県 政策審議会副会長 [19][20]
    25.磯崎仁彦 自由民主党 参 香川県 [19][20]
    26.伊東良孝 自由民主党 衆 北海道7区 [19][20]
    27.稲田朋美 自由民主党 衆 福井1区 政策審議会副会長 [19][20]
    28.井上貴博 自由民主党 衆 福岡1区 [19][20]
    29.井上信治 自由民主党 衆 東京25区 [19][20]
    30.井上英孝 日本維新の会 衆 大阪1区 [19][20]
    31.井上義行 無所属 参 比例区 [19][20]
    32.井林辰憲 自由民主党 衆 静岡2区 [19][20]
    33.井原巧 自由民主党 参 愛媛県 [19][20]
    34.伊吹文明 自由民主党 衆 京都1区 [19][20]
    35.今枝宗一郎 自由民主党 衆 愛知14区 [19][20]
    36.今津寛 自由民主党 衆 比例北海道(北海道6区) [19][20]
    37.今村雅弘 自由民主党 衆 比例九州 [19][20]
    38.岩田和親 自由民主党 衆 比例九州(佐賀1区) [19][20]
    39.岩屋毅 自由民主党 衆 大分3区 幹事 [19][20]
    40.上野通子 自由民主党 参 栃木県 [19][20]
    41.宇都隆史 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    42.浦野靖人 日本維新の会 衆 比例近畿(大阪15区) [19][20]
    43.江渡聡徳 自由民主党 衆 青森2区 [19][20]
    44.衛藤晟一 自由民主党 参 比例区 幹事長 [19][20]
    45.衛藤征士郎 自由民主党 衆 大分2区 [19][20]
    46.江藤拓 自由民主党 衆 宮崎2区 幹事 [19][20]
    47.遠藤敬 日本維新の会 衆 大阪18区 [19][20]
    48.大岡敏孝 自由民主党 衆 滋賀1区 [19][20]
    49.大隈和英 自由民主党 衆 比例近畿(大阪10区) [19][20]
    50.大島理森 自由民主党 衆 青森3区 [19][20]
    51.太田房江 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    52.大塚高司 自由民主党 衆 大阪8区 [19][20]
    53.大塚拓 自由民主党 衆 埼玉9区 [19][20]
    54.大西英男 自由民主党 衆 東京16区 [19][20]
    55.大西宏幸 自由民主党 衆 比例近畿(大阪1区) [19][20]
    56.大野敬太郎 自由民主党 衆 香川3区 [19][20]
    57.大家敏志 自由民主党 参 福岡県 [19][20]
    58.岡下昌平 自由民主党 衆 比例近畿(大阪17区) [19][20]
    59.岡田広 自由民主党 参 茨城県 [19][20]
    60.奥野信亮 自由民主党 衆 奈良3区 幹事 [19][20]
    61.小倉將信 自由民主党 衆 東京23区 [19][20]
    62.小里泰弘 自由民主党 衆 鹿児島4区 [19][20]
    63.小田原潔 自由民主党 衆 東京21区 [19][20]
    64.越智隆雄 自由民主党 衆 東京6区 [19][20]
    65.尾辻秀久 自由民主党 参 鹿児島県 相談役、日本会議代表委員 [19][20]
    66.鬼木誠 自由民主党 衆 福岡2区 [19][20]
    67.尾身朝子 自由民主党 衆 比例北関東 [19][20]
    68.柿沢未途 民進党 衆 東京15区 [19][20]
    69.梶山弘志 自由民主党 衆 茨城4区 [19][20]
    70.片山さつき 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    71.勝沼栄明 自由民主党 衆 比例東北(宮城5区) [19][20]
    72.勝俣孝明 自由民主党 衆 比例東海(静岡6区) 副幹事長 [19][20]
    73.加藤勝信 自由民主党 衆 岡山5区 [19][20]
    74.加藤寛治 自由民主党 衆 長崎2区 [19][20]
    75.門山宏哲 自由民主党 衆 比例南関東(千葉1区) [19][20]
    76.金子万寿夫 自由民主党 衆 鹿児島2区 [19][20]
    77.金子恵美 自由民主党 衆 新潟4区 [19][20]
    78.金子恭之 自由民主党 衆 熊本5区 [19][20]
    79.金田勝年 自由民主党 衆 秋田2区 [19][20]
    80.神谷昇 自由民主党 衆 比例近畿(大阪18区) [19][20]
    81.神山佐市 自由民主党 衆 埼玉7区 [19][20]
    82.亀井静香 無所属 衆 広島6区 [19][20]
    83.亀岡偉民 自由民主党 衆 福島1区 [19][20]
    84.鴨下一郎 自由民主党 衆 東京13区 [19][20]
    85.河野正美 日本維新の会 衆 比例九州(福岡4区) [19][20]
    86.河村建夫 自由民主党 衆 山口3区 [19][20]
    87.神田憲次 自由民主党 衆 比例東海(愛知5区) [19][20]
    88.木内均 自由民主党 衆 比例北陸信越(静岡7区) [19][20]
    89.城内実 自由民主党 衆 静岡7区 [19][20]
    90.黄川田仁志 自由民主党 衆 埼玉3区 [19][20]
    91.岸信夫 自由民主党 衆 山口2区 [19][20]
    92.岸田文雄 自由民主党 衆 広島1区 [19][20]
    93.北村茂男 自由民主党 衆 石川3区 [19][20]
    94.北村誠吾 自由民主党 衆 長崎4区 [19][20]
    95.木原誠二 自由民主党 衆 東京20区 幹事 [19][20]
    96.木原稔 自由民主党 衆 熊本1区 幹事 [19][20]
    97.木村太郎 自由民主党 衆 青森4区 [19][20]
    98.木村義雄 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    99.工藤彰三 自由民主党 衆 愛知4区 [19][20]
    100.熊田裕通 自由民主党 衆 愛知1区 [19][20]
    101.上月良祐 自由民主党 参 茨城県 [19][20]
    102.鴻池祥肇 自由民主党 参 兵庫県 [19][20]
    103.國場幸之助 自由民主党 衆 比例九州(沖縄1区) [19][20]
    104.小島敏文 自由民主党 衆 比例中国(広島6区) [19][20]
    105.小林鷹之 自由民主党 衆 千葉2区 [19][20]
    106.小林史明 自由民主党 衆 広島7区 [19][20]
    107.今野智博 自由民主党 衆 比例北関東(埼玉11区) [19][20]
    108.齋藤健 自由民主党 衆 千葉7区 [19][20]
    109.斎藤洋明 自由民主党 衆 比例北陸信越(新潟3区) [19][20]
    110.酒井庸行 自由民主党 参 愛知県 [19][20]
    111.坂本哲志 自由民主党 衆 熊本3区 [19][20]
    112.坂本祐之輔 民進党 衆 比例北関東(埼玉10区) [19][20]
    113.櫻田義孝 自由民主党 衆 千葉8区 副幹事長 [19][20]
    114.笹川博義 自由民主党 衆 群馬3区 [19][20]
    115.佐々木紀 自由民主党 衆 石川2区 [19][20]
    116.左藤章 自由民主党 衆 大阪2区 [19][20]
    117.佐藤正久 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    118.佐藤ゆかり 自由民主党 衆 大阪11区 [19][20]
    119.山東昭子 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    120.塩崎恭久 自由民主党 衆 愛媛1区 [19][20]
    121.塩谷立 自由民主党 衆 静岡8区 [19][20]
    122.柴山昌彦 自由民主党 衆 埼玉8区 [19][20]
    123.島田佳和 自由民主党 衆 比例東海(三重2区) [19][20]
    124.島村大 自由民主党 参 神奈川県 [19][20]
    125.清水貴之 日本維新の会 参 兵庫県 副幹事長 [19][20]
    126.下地幹郎 日本維新の会 衆 比例九州(沖縄1区) [19][20]
    127.下村博文 自由民主党 衆 東京11区 副会長 [19][20]
    128.新谷正義 自由民主党 衆 比例中国 [19][20]
    129.新藤義孝 自由民主党 衆 埼玉2区 [19][20]
    130.末松信介 自由民主党 参 兵庫県 [19][20]
    131.菅義偉 自由民主党 衆 神奈川2区 副会長 [19][20]
    132.菅原一秀 自由民主党 衆 東京9区 [19][20]
    133.鈴木淳司 自由民主党 衆 比例東海(愛知7区) [19][20]
    134.世耕弘成 自由民主党 参 和歌山県 [19][20]
    135.瀬戸隆一 自由民主党 衆 比例四国(香川2区) [19][20]
    136.薗浦健太郎 自由民主党 衆 千葉5区 幹事 [19][20]
    137.高市早苗 自由民主党 衆 奈良2区 副会長 [19][20]
    138.高木宏壽 自由民主党 衆 北海道3区 [19][20]
    139.高鳥修一 自由民主党 衆 新潟6区 事務局次長 [19][20]
    140.高野光二郎 自由民主党 参 高知県 [19][20]
    141.高橋克法 自由民主党 参 栃木県 [19][20]
    142.滝沢求 自由民主党 参 青森県 [19][20]
    143.武井俊輔 自由民主党 衆 宮崎1区 [19][20]
    144.竹下亘 自由民主党 衆 島根2区 [19][20]
    145.武田良太 自由民主党 衆 福岡11区 [19][20]
    146.武部新 自由民主党 衆 北海道12区 [19][20]
    147.武村展英 自由民主党 衆 滋賀3区 [19][20]
    148.竹本直一 自由民主党 衆 大阪15区 [19][20]
    149.田所嘉徳 自由民主党 衆 茨城1区 [19][20]
    150.田中英之 自由民主党 衆 京都4区 [19][20]
    151.田中良生 自由民主党 衆 埼玉15区 [19][20]
    152.棚橋泰文 自由民主党 衆 岐阜2区 [19][20]
    153.谷垣禎一 自由民主党 衆 京都5区 顧問 [19][20]
    154.谷川とむ 自由民主党 衆 比例近畿(大阪19区) [19][20]
    155.田畑裕明 自由民主党 衆 富山1区 [19][20]
    156.田村憲久 自由民主党 衆 三重4区 [19][20]
    157.塚田一郎 自由民主党 参 新潟県 [19][20]
    158.柘植芳文 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    159.津島淳 自由民主党 衆 青森1区 [19][20]
    160.土屋正忠 自由民主党 衆 東京18区 [19][20]
    161.寺田稔 自由民主党 衆 広島5区 [19][20]
    162.土井亨 自由民主党 衆 宮城1区 [19][20]
    163.冨樫博之 自由民主党 衆 秋田1区 [19][20]
    164.渡嘉敷奈緒美 自由民主党 衆 大阪7区 [19][20]
    165.冨岡勉 自由民主党 衆 長崎1区 [19][20]
    166.豊田俊郎 自由民主党 参 千葉県 [19][20]
    167.中泉松司 自由民主党 参 秋田県 [19][20]
    168.長尾敬 自由民主党 衆 比例近畿(大阪14区) [19][20]
    169.永岡桂子 自由民主党 衆 比例北関東(茨城7区) [19][20]
    170.中川雅治 自由民主党 参 東京都 [19][20]
    171.中川郁子 自由民主党 衆 北海道11区 [19][20]
    172.長坂康正 自由民主党 衆 愛知9区 [19][20]
    173.長島昭久 民進党→無所属 衆 比例東京(東京21区) [19][20]
    174.長島忠美 自由民主党 衆 新潟5区 [19][20]
    175.中曽根弘文 自由民主党 参 群馬県 会長代行 [19][20]
    176.中谷元 自由民主党 衆 高知1区 [19][20]
    177.中谷真一 自由民主党 衆 比例南関東 [19][20]
    178.中野正志 日本のこころを大切にする党 参 比例区 [19][20]
    179.中村裕之 自由民主党 衆 北海道4区 [19][20]
    180.中山恭子 日本のこころを大切にする党 参 比例区 [19][20]
    181.中山泰秀 自由民主党 衆 大阪4区 [19][20]
    182.西田昌司 自由民主党 参 京都府 [19][20]
    183.西村明宏 自由民主党 衆 宮城3区 [19][20]
    184.西村康稔 自由民主党 衆 兵庫9区 [19][20]
    185.二之湯武史 自由民主党 参 滋賀県 [19][20]
    186.額賀福志郎 自由民主党 衆 茨城2区 副会長 [19][20]
    187.根本幸典 自由民主党 衆 愛知15区 [19][20]
    188.野上浩太郎 自由民主党 参 富山県 [19][20]
    189.野田聖子 自由民主党 衆 岐阜1区 [19][20]
    190.野田毅 自由民主党 衆 熊本2区 [19][20]
    191.野中厚 自由民主党 衆 埼玉12区 [19][20]
    192.野村哲郎 自由民主党 参 鹿児島県 [19][20]
    193.萩生田光一 自由民主党 衆 東京24区 事務局長 [19][20]
    194.橋本岳 自由民主党 衆 岡山4区 [19][20]
    195.橋本聖子 自由民主党 参 比例区 幹事 [19][20]
    196.長谷川岳 自由民主党 参 北海道 [19][20]
    197.馬場成志 自由民主党 参 熊本県 [19][20]
    198.馬場伸幸 日本維新の会 衆 大阪17区 [19][20]
    199.浜田靖一 自由民主党 衆 千葉12区 [19][20]
    200.林幹雄 自由民主党 衆 千葉10区 [19][20]
    201.平口洋 自由民主党 衆 広島2区 [19][20]
    202.平沢勝栄 自由民主党 衆 東京17区 幹事 [19][20]
    203.平沼赳夫 自由民主党 衆 岡山3区 会長 [19][20]
    204.福井照 自由民主党 衆 比例四国 [19][20]
    205.福島伸享 民進党 衆 比例北関東(茨城1区) [19][20]
    206.福山守 自由民主党 衆 比例四国 [19][20]
    207.藤井比早之 自由民主党 衆 兵庫4区 [19][20]
    208.古川禎久 自由民主党 衆 宮崎3区 政策審議会副会長 [19][20]
    209.古屋圭司 自由民主党 衆 岐阜5区 副会長 [19][20]
    210.星野剛士 自由民主党 衆 神奈川12区 [19][20]
    211.細田健一 自由民主党 衆 新潟2区 [19][20]
    212.堀井学 自由民主党 衆 北海道9区 [19][20]
    213.堀内詔子 自由民主党 衆 比例南関東(山梨2区) [19][20]
    214.舞立昇治 自由民主党 参 鳥取県 [19][20]
    215.前田一男 自由民主党 衆 比例北海道(北海道8区) [19][20]
    216.牧原秀樹 自由民主党 衆 比例北関東(埼玉5区) [19][20]
    217.松沢成文 無所属 参 神奈川県 [19][20]
    218.松下新平 自由民主党 参 宮崎県 [19][20]
    219.松浪健太 日本維新の会 衆 比例近畿(大阪10区) [19][20]
    220.松野博一 自由民主党 衆 千葉3区 [19][20]
    221.松野頼久 民進党 衆 比例九州(熊本1区) [19][20]
    222.松原仁 民進党 衆 比例東京(東京3区) [19][20]
    223.松本文明 自由民主党 衆 比例東京(東京7区) [19][20]
    224.松本洋介 自由民主党 衆 東京19区 [19][20]
    225.松山政司 自由民主党 参 福岡県 幹事 [19][20]
    226.丸川珠代 自由民主党 参 東京都 [19][20]
    227.三ッ林裕巳 自由民主党 衆 埼玉14区 [19][20]
    228.御法川信英 自由民主党 衆 秋田3区 [19][20]
    229.三原朝彦 自由民主党 衆 福岡9区 [19][20]
    230.三原じゅん子 自由民主党 参 比例区 [19][20]
    231.宮内秀樹 自由民主党 衆 福岡4区 [19][20]
    232.宮川典子 自由民主党 衆 比例南関東(山梨1区) [19][20]
    233.三宅伸吾 自由民主党 参 香川県 [19][20]
    234.宮腰光寛 自由民主党 衆 富山2区 [19][20]
    235.宮崎政久 自由民主党 衆 比例九州(沖縄2区) [19][20]
    236.宮澤博行 自由民主党 衆 静岡3区 [19][20]
    237.宮下一郎 自由民主党 衆 長野5区 [19][20]
    238.武藤貴也 無所属 衆 滋賀4区 [19][20]
    239.武藤容治 自由民主党 衆 岐阜3区 [19][20]
    240.村岡敏英 民進党 衆 比例東北(秋田3区) [19][20]
    241.村上誠一郎 自由民主党 衆 愛媛2区 [19][20]
    242.茂木敏充 自由民主党 衆 栃木5区 [19][20]
    243.望月義夫 自由民主党 衆 静岡4区 [19][20]
    244.森英介 自由民主党 衆 千葉11区 副会長 [19][20]
    245.森屋宏 自由民主党 参 山梨県 [19][20]
    246.森山裕 自由民主党 衆 鹿児島5区 [19][20]
    247.保岡興治 自由民主党 衆 鹿児島1区 [19][20]
    248.簗和生 自由民主党 衆 栃木3区 [19][20]
    249.柳本卓治 自由民主党 参 大阪府 [19][20]
    250.山口俊一 自由民主党 衆 徳島2区 [19][20]
    251.山崎正昭 自由民主党 参 福井県 副幹事長 [19][20]
    252.山下貴司 自由民主党 衆 岡山2区 [19][20]
    253.山田賢司 自由民主党 衆 兵庫7区 [19][20]
    254.山谷えり子 自由民主党 参 比例区 政策審議会会長 [19][20]
    255.山本公一 自由民主党 衆 愛媛4区 [19][20]
    256.山本幸三 自由民主党 衆 福岡10区 [19][20]
    257.山本順三 自由民主党 参 愛媛県 [19][20]
    258.山本拓 自由民主党 衆 比例北陸信越 [19][20]
    259.山本朋広 自由民主党 衆 比例南関東 [19][20]
    260.山本有二 自由民主党 衆 高知2区 [19][20]
    261.義家弘介 自由民主党 衆 比例南関東(神奈川16区) [19][20]
    262.吉川貴盛 自由民主党 衆 北海道2区 [19][20]
    263.笠浩史 民進党 衆 神奈川9区 [19][20]
    264.若林健太 自由民主党 参 長野県 [19][20]
    265.鷲尾英一郎 民進党 衆 比例北陸信越(新潟2区) [19][20]
    266.和田政宗 無所属 参 宮城県 [19][20]
    267.渡辺周 民進党 衆 静岡6区 副会長 [19][20]
    268.渡辺猛之 自由民主党 参 岐阜県 [19][20]
    269.渡辺博道 自由民主党 衆 千葉6区 [19][20]
    270.渡邉美樹 自由民主党 参 比例区 [19][20]

    [19]俵義文 『日本会議の全貌——知られざる巨大組織の実態』 花伝社、2016年。ISBN 9784763407818。
    [20] 成澤宗男編著 『日本会議と神社本庁』 金曜日、2016年。ISBN 9784865720105。

    ※ラインは同会の役職者。
    ※赤色は現内閣のメンバー。

    国会議員数は、衆議院475人、参議院242人で、計717人。
    このうちの270人が日本会議国会議員懇談会の会員であるから、約40%(37.656904)が会員である。

    自称安倍晋三応援団と公言しネット戦略アドバイザーで安倍Twitterの中の人でもあるくらいなのに会員ではない山本一太議員のように、熱烈に安倍首相を支持していても会員でない人もいるから、何らかの事情で入りたくても入れない人もいるのかもしれない。(一太議員は国連の意向ですか?)
    但し、山本一太議員は神道政治連盟国会議員懇談会(会員国会議員310人)の会員ではある。
    現在の入閣者で日本会議国会議員懇談会の会員とされていない者も数名いるが、神道政治連盟国会議員懇談会のほうには属している。
    今現在どちらでも確認できないのは鶴保庸介内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)のみ。野田聖子議員の元パートナー。
    かつては本人のホームページにも所属していることが記されていたが、現在は本人サイトでも会のサイトでも確認はとれず。

    神道政治連盟
    日本の国民運動団体。略称名は神政連。神社界を母体として1969年(昭和44年)に結成された神社本庁の関係団体である。 現在の会長は、長曽我部延昭(伊豫豆比古命神社宮司)。 本部所在地は神社本庁と同一である。
    「神道政治連盟国会議員懇談会」は神道政治連盟の趣旨に賛同する日本の国会議員からなる議員連盟。

    キリスト教徒であることを公にしている麻生議員(カトリック)や石破議員(プロテスタント)が日本会議国会議員懇談会や神道政治連盟国会議員懇談会に同調しているというのも胡散臭い。(どちらも両方に属している)
    愛国ー!伝統ー!日本がー!神社―!とか言うならば改宗し、それを公表した方がよいのではないかとさえ思う。
    世界的に宗教の問題ってデリケートなはず。

    その証拠に超党派と言えど日本会議国会議員懇談会に公明党の国会議員(2016年現在60名)は一人もいない。
    創価学会という宗教組織がバックについているからだろう。
    熱心な信仰者は宗教の垣根をそんなに簡単には超えられない。

    それから日本会議国会議員懇談会の副会長でもある古屋圭司議員。
    この人、国家公安委員会委員長(内閣府の外局であり警察庁を管理する)だった人である。
    国家公安委員会委員長も首相が任命するのだということに気が付いて愕然とした。

    2012年9月の自由民主党総裁選挙では安倍晋三を支援し、推薦人にも名を連ねた。
    同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、岐阜5区で前回敗れた民主党の阿知波に比例復活すら許さないほどの大差をつけて破り、8選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で国家公安委員会委員長兼内閣府特命担当大臣(防災)および拉致問題・国土強靭化を担当する国務大臣に任命され、初入閣した。


    1976年3月に成蹊大学経済学部経済学科卒業後、同年4月に大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)へ入社。1984年に退社し、安倍晋太郎(当時外務大臣)の秘書に転じる。同年、養父である古屋亨の秘書を務める。 


    日本会議国会議員懇談会も神道政治連盟国会議員懇談会も国会議員懇談会であるので、国会議員でなくなればここに属する資格はなくなる。(大元の日本会議や神道政治連盟には属せる)
    小池百合子現東京都知事もかつては会員であったが、2016年東京都知事選挙に立候補したため衆議院議員を自動失職。
    こちらからも抜けた。
    しかし在籍時は副幹事長を務めていた。 日本会議国会議員懇談会の役職だったのだ。
    ちなみに石原慎太郎元都知事は日本会議の代表委員である。






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    # by yumimi61 | 2017-07-30 20:21
    2017年 07月 30日
    日本国憲法の秘密-526- (加計学園問題について)
    第一次安倍内閣:2006年9月~2007年9月
    第二次安倍内閣:2012年12月~

    なぜ安倍政権一強で野党にも受け皿がないと言われるかと言えば、超党派な組織があるからである。
    また2011年3月に発生した東日本大震災時の政権が民主党で、その時の混乱の記憶が人々に強く残っているからである。
    政権を握っていることの多い自民党が、たまたまあの時に政権でなかったことは自民党にとってはかなりラッキーだったとも言える。(今に限らず内閣誕生以後ずっと日本は二大政党とは言えない)


    「新しい歴史教科書をつくる会」
     ①残留組
     ②離脱組=日本教育再生機構(2006年発足)、改正教育基本法に基づく教科書改善の会(2007年発足)

    「新しい歴史教科書をつくる会」=扶桑社(フジサンケイグループ)⇒2007年に関係解消
     ①残留組―自由社
     ②離脱組―扶桑社・育鵬社(扶桑社が新たに設立した子会社)

    ※豆知識―育鵬社の「鵬」は中国の伝説の鳥である。


    「新しい歴史教科書をつくる会」に内紛が絶えなかったのは事実であるが、2006年の分裂が内紛によるものだったかどうかは若干怪しい。
    残留組(つまり「新しい歴史教科書をつくる会」)の教科書出版を担当するのは扶桑社から自由社に変更された。
    扶桑社は離脱組に付随した。

    自由社の社長は加瀬英明。つくる会の顧問でもある。
    ちなみにつくる会の現会長は早稲田大学法学部卒の弁護士である。

    加瀬英明はオノ・ヨーコの従弟。
    オノ・ヨーコの父(小野英輔)と加瀬英明の母(小野寿満子)が兄妹である。
    足利赤十字病院院長だった小野康平も英輔の弟で寿満子の兄。
    兄妹の父は(オノ・ヨーコからみると祖父)は日本興業銀行の総裁を務めた小野英二郎。

    この件、前にも記事にした。
    末っ子の小野寿満子さんは、外交官の加瀬俊一氏と結婚。
    加瀬俊一氏は総理大臣顧問や国連大使を歴任。
    佐藤栄作首相のノーベル平和賞受賞に向けて尽力したのも加瀬氏だったということです。
    当時の日本において重要なポストにいたことは間違いないでしょう。

    この加瀬俊一氏と寿満子さんの息子さんが、オノ・ヨーコさんと従弟である加瀬英明氏。
    教科書に繋がるのはこの方です。
    彼もまた首相特別顧問、外相特別顧問などを歴任しているようです。

    加瀬英明氏は、一頃盛んにニュースにもなった「新しい歴史教科書をつくる会」の顧問であり、 「新しい歴史教科書」を出版している自由社の社長であられます。
    統一教会とも関係があります。(統一教会はX JAPANの話題でリンクした先にも出てきていた)

    上記の自由社はWikipediaにリンクしてありますが、自由社という同じ名前の社が2つあります。
    石原萠記氏が社長の自由社と、加瀬英明氏が社長の自由社です。
    社長は違えど、社名も所在地も同じ。
    (加瀬氏は、石原氏の自由社の取締役でもある)
    (加瀬氏の自由社の監査役の弁護士がパチンコチェーンストア協会法律分野アドバイザーというのもなかなか凄い)
    教科書検定に合格したのが石原自由社。
    すぐさま版権を譲渡し出版したのが加瀬自由社。
    歴史もあやふやなら教科書出版社もあやふやといったところでしょうか。(現実に問題多々あるらしい)

    石原萠記氏は学生時代、先頃話題になっていた読売グループの会長、渡辺恒雄氏らとともに学生運動に参加。
    社会主義者です。
    東京電力とも関係があり、自由社は東電から財政援助も受けていました。
    なんと3月11日大震災と原発事故発生の日にも東京電力の勝俣会長と一緒にいたというから悪運強し。

    渡辺恒雄氏は共産党員でしたが、後に自民党の中曽根首相など保守系の政治家と親密になっていったのは周知の通り。
    また読売グループは原子力発電とも関係が深い。(参考:CIAのスパイでもあったらしい正力松太郎氏)



    自虐的な歴史は嫌だ!愛国万歳!!日本万歳!!!といった感じでバリバリの保守(右翼)と見做されている「新しい歴史教科書をつくる会」の背景には実は共産主義・社会主義(左翼)が大きく横たわっている。
    オノ・ヨーコもかつて集会ジョン・レノンのコンサート(?)で共産系組織のヘルメットを被り、反共産主義のヒトラーの声明を読み上げるという意味不明な行動をしていた。血筋だろうか?
    再三述べているが、右左という短絡的な思想では物事は判断できない。

    昨年の1月7日、私は日本会議のことを記事にした。
    皇室経済会議の構成員を書いた流れである。

    サミットは教団の総会?

    皇室経済法にて皇室経済会議の構成員が定められている。

    オウム真理教は教団内の教祖の絶対性が事件を引き起こすことになったと言われるけれども、天皇や首相の絶対性、それに付随している宗教家集団、気に入らなければポアパワハラ、この社会とオウム真理教の構造にはいったいどんな違いがあるというのだろうか?
    オウム真理教には選ばれない人達(弱者)も多数いたが、こちらの教団は選ばれた人(強者)ばかりだということだろうか?
    チェック機関か決定機関に身内や仲間や舎弟を配し、そのうえ権力を利用した恐怖政治・恐怖支配を行うならば、冷静公平に決定することもないだろうし、チェック機能が正常に働くとも思えない。


    皇室経済会議の構成員は皇室経済法第8条に定められており、誰でもなれるわけではない。
    次の役職である必要がある。
    衆議院・参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、財務大臣、宮内庁長官、会計検査院長

    記事を書いた当時はこうだったのだ。
    --------------------------------------------------------------------------------------------------
    ・衆議院議長:大島理森(69歳)
     青森県出身、慶應義塾大学卒、青森県議、自民党
     尾崎行雄記念財団会長
     国務大臣環境庁長官(第32代)、文部大臣(第128代)、科学技術庁長官(第61代)、
     農林水産大臣(第34代)、自由民主党幹事長(第44代)、自由民主党副総裁(第12代)などを歴任。

    ・衆議院副議長:川端達夫(70歳)
     滋賀県出身、京都大学卒、東レ(三井財閥の中核企業の1つ)、民主党
     2009年9月、鳩山由紀夫内閣で文部科学大臣に任命され、初入閣した。
     民主党国会対策委員長、民主党幹事長(第6代)、文部科学大臣(12・13代)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)、
     総務大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)などを歴任。

    ・参議院議長:山崎正昭 (73歳)
     福井県出身、日本大学卒業、福井県議、自民党
     保守主義団体日本会議の役員
     参議院議院運営委員長、参議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員長、内閣官房副長官、
     参議院政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党参議院幹事長、参議院副議長(第29代)などを歴任。

    ・参議院副議長:輿石東(79歳)
     山梨県出身。都留市立都留短期大学(現:都留文科大学)卒、民主党
     参議院国土交通委員長、民主党参議院国会対策委員長、民主党参議院幹事長、民主党代表代行、
     民主党幹事長職務代行、民主党幹事長(第12代)、民主党参議院議員会長などを歴任。

    ・内閣総理大臣:安倍晋三(61歳)
    ・財務大臣:麻生太郎(75歳)

    ・宮内庁長官:風岡典之(69歳)
     新潟県出身、東京教育大学卒、官僚、元国土交通事務次官

    ・会計検査院長:河戸光彦(62歳)
     山口県出身、東京大学卒、会計検査院
    ---------------------------------------------------------------------------------------------------

    「保守主義団体日本会議」は、1997年5月30日に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」とが統合して組織された。

    「守る会」は、円覚寺貫主・朝比奈宗源が神道・仏教系の新宗教に呼びかけて1974年4月に結成、政治課題に対して様々な政治運動を行っていた。一方、「国民会議」は、最高裁判所長官を務めた石田和外らの呼びかけによって財界人・学者中心で、元号法制定を目的に1978年7月に結成された「元号法制化実現国民会議」をもとに、これを改組してつくられ、やはり政治運動を行っていた。

    神社本庁*、解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所、キリストの幕屋、仏所護念会、念法真教、新生佛教教団、オイスカ・インターナショナル、三五教等、宗教団体や宗教系財団法人等が「守る会」以来の繋がりで多数参加している。特に神社本庁とは、「建国記念の日奉祝式典」や皇室関連の問題への取り組み等、人的交流も盛んである。2015年の時点で、日本会議の役員62名のうち24名が宗教関係者である。
    宗教団体ならば何でもござれといった様相を呈している。


    現在の皇室経済会議の構成員は、参議院の議長と副議長、宮内庁長官が変わっており、他は同じである。
    郵政公社の不動産売却に関して会計検査院がおかしなレポートを上げていたが、会計検査院長も構成員の1人である。

    大島理森衆議院議長は、神奈川県相模原市の障害者施設「県立津久井やまゆり園」で大量殺人事件を起こした犯人がその数か月前に手紙を渡した(警察官経由で)人物であったということから名前を記憶している人もいるのではないだろうか。
    事件が起きたのは7月、大島衆議院議長に手紙を渡したのは2月、私が上記記事を書いたのは1月。
    殺人を犯すと場所まで指定されて予告されたのに防げなかったのは事実。
    手紙を独自入手したと言っていたのはフジサンケイグループのフジテレビだった。(今年1月に記事にした


    「新しい歴史教科書をつくる会」は分裂した。
    離脱組が安倍内閣をバックに新たに結成した日本教育再生機構(2006年発足)と改正教育基本法に基づく教科書改善の会(2007年発足)には日本会議が関わっている。
    しかし残留組が組んだ出版社の社長で、つくる会の顧問もである加瀬英明は、日本会議の監事及び代表委員でもある。

    これが日本会議の役員だ!

    ==日本会議の役員(平成27年6月15日現在)==

    [名誉会長]
    三好達  元最高裁判所長官

    [顧 問]
    石井公一郎   ブリヂストンサイクル(株)元社長
    北白川道久  神社本庁統理
    鷹司尚武   神宮大宮司
    服部貞弘  神道政治連盟常任顧問
    渡邊惠進  前天台座主

    [会 長]
    田久保忠衛  杏林大学名誉教授

    [副会長]
    安西愛子  声楽家
    小田村四郎  元拓殖大学総長
    小堀桂一郎  東京大学名誉教授
    田中恆清  神社本庁総長

    [代表委員]
    秋本協徳  新生佛教教団最高顧問
    石原慎太郎  作家
    板垣正  元参議院議員
    市川晋松  前日本相撲協会相談役
    伊藤憲一  青山学院大学名誉教授
    稲山霊芳  念法眞教燈主
    今林賢郁  (公社)国民文化研究会理事長
    入江隆則  明治大学名誉教授
    宇都宮鐵彦  株式会社日華代表取締役会長
    大石泰彦  東京大学名誉教授
    岡田光央  崇教真光教え主
    岡野聖法  解脱会法主
    小串和夫  熱田神宮宮司
    尾辻秀久  日本遺族会会長
    加瀬英明  外交評論家
    城内康光  元ギリシャ大使
    黒住宗晴  黒住教教主
    慶野義雄  日本教師会会長
    佐伯彰一  文芸評論家
    佐藤和男  青山学院大学名誉教授
    澁木正幸  日本会議経済人同志会会長
    志摩篤  (公財)偕行社理事長
    志摩淑子 (株)朝日写真ニュース社会長
    住母家岩夫  日本会議経済人同志会相談役
    関口慶一  佛所護念会教団会長
    千玄室  茶道裏千家前家元
    髙城治延  神宮少宮司
    武覚超  比叡山延暦寺代表役員
    竹本忠雄  筑波大学名誉教授
    長曽我部延昭  神道政治連盟会長
    寺島泰三  (社)日本郷友連盟会長
    德川康久  靖國神社宮司
    中島精太郎  明治神宮宮司
    中野良子  オイスカインターナショナル総裁
    長谷川三千子  埼玉大学名誉教授
    廣池幹堂  (公財)モラロジー研究所理事長
    保積秀胤  大和教団教主
    松山文彦  東京都神社庁庁長
    丸山敏秋  (社)倫理研究所理事長
    村松英子  女優・詩人
    横倉義武  日本医師会会長

    [監 事]
    加瀬英明  外交評論家
    澁木正幸  日本会議経済人同志会会長

    [理事長]
    男成洋三  明治神宮崇敬会理事長

    [事務総長]
    椛島有三  日本協議会会長

    [事務局長]
    松村俊明  日本会議常任理事



    教科書版権に関しても不可解な点がある。

    扶桑社が発行している「新しい歴史教科書」「新しい公民教科書」の版権は扶桑社にあり、著作権も執筆者、監修者、扶桑社にある共同著作物で、著作者全員が了解しなければ他の発行者から発行することはできない。ところが新しい歴史教科書をつくる会は2008年4月2日、自由社から発行する中学校歴史教科書について「内容は、基本的に現行の『新しい歴史教科書』(改訂版)の内容と変わりません。但し、一部書き直しや図版の変更等の手直しは行っております」として、扶桑社版を元に作成することを表明し、4月17日に文部科学省に検定申請した。これに対して扶桑社は、違法な複製であるとして反発している。

    フジサンケイグループの扶桑社と決別した「新しい歴史教科書をつくる会」と手を組んだ自由社は、版権と著作権の関係で同じ物は発行できないはずだが、文科省に教科書検定申請を行ったというのだ。
    この時、2つの自由社が駆使されている。
    ミスがあったりしてすんなりは運ばなかったが結局検定に合格して発行に至っている。
    扶桑社は反発するというポーズを見せたものの、法的手段など強硬な抗議をしなかったということになる。





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    # by yumimi61 | 2017-07-30 13:57
    2017年 07月 28日
    資料(新しい教科書採択状況と教育再生実行会議メンバー)
    なるほどというか何と言うか、かなり偏りのある採択状況とメンバーとなっています。

    育鵬社版の歴史・公民教科書 採択状況

    公立校

    歴史
    栃木県大田原市
    埼玉県立伊奈学園中[要出典]
    東京都立中高一貫校(白鴎・両国・富士・大泉・武蔵)
    東京都立中等教育学校(小石川・桜修館・立川・三鷹・南多摩)
    東京都立特別支援学校(聴覚、肢体不自由)
    東京都大田区[要出典]
    東京都武蔵村山市
    東京都小笠原村
    神奈川県横浜市
    平塚中等教育学校[要出典]
    神奈川県藤沢市
    島根県益田地区
    広島県呉市
    山口県岩国地区[要出典]
    香川県立高松北中
    愛媛県立中等教育学校(松山西・今治東・宇和島南)[要出典]
    愛媛県立特別支援学校[要出典]
    愛媛県今治市[要出典]
    愛媛県四国中央市[要出典]
    愛媛県上島町[要出典]
    大阪府大阪市


    公民
    栃木県大田原市[要出典]
    埼玉県立伊奈学園中[要出典]
    東京都立中高一貫校(白鴎・両国・富士・大泉・武蔵)
    東京都立中等教育学校(小石川・桜修館・立川・三鷹・南多摩)
    東京都立特別支援学校(聴覚、肢体不自由)
    東京都大田区[要出典]
    東京都武蔵村山市
    東京都小笠原村
    神奈川県横浜市
    神奈川県藤沢市
    大阪府大阪市
    大阪府東大阪市
    大阪府河内長野市
    大阪府四條畷市
    広島県呉市
    広島県尾道市
    香川県立高松北中
    愛媛県立中等教育学校(松山西・今治東・宇和島南)[要出典]
    愛媛県立特別支援学校[要出典]
    愛媛県今治市[要出典]
    愛媛県四国中央市[要出典]
    愛媛県上島町[要出典]
    沖縄県八重山地区(八重山教科書問題を参照)


    私立校

    歴史
    国学院大学栃木
    幸福の科学学園(栃木)
    樹徳
    帝京大学
    麗澤
    狭山ヶ丘
    福井工業大学附属福井
    長野日大
    麗澤瑞浪
    帝京大学可児
    津田学園
    皇學館
    浪速
    同志社大学香里
    尾道学園
    開星
    岡山理科大学附属
    岡山学芸館清秀
    幸福の科学学園(滋賀)
    近畿大学附属東広島
    明徳義塾

    公民
    国学院大学栃木
    幸福の科学学園(栃木)
    帝京大学
    麗澤
    狭山ヶ丘
    福井工業大学附属福井
    長野日大
    麗澤瑞浪
    帝京大学可児
    津田学園
    浪速
    同志社大学香里
    尾道学園
    岡山理科大学附属
    岡山学芸館清秀
    清風
    開星
    甲子園学院
    明徳義塾


    教育再生実行会議のメンバー

    第1次安倍内閣時に設置された教育再生会議は、安倍晋三の首相退陣後、求心力を失った。安倍の首相復帰に際して設置された当会議は、事実上の「再生会議の復活」と見なされている。

    2015年10月に有識者の総入れ替えを行った。これは発足当初の有識者委員に、下村博文 文部科学大臣(当時)が政治献金を受けている塾の経営者がいたこと、下村は当該委員が就任する前に寄付は全額返納したとしていたにもかかわらず、翌年にも当該委員から寄付を受けていたことが発覚したことなどが関係しているとみられる。


    閣僚
    内閣総理大臣 安倍晋三
    内閣官房長官 菅義偉
    内閣官房副長官
    文部科学大臣兼教育再生担当大臣 松野博一
    文部科学副大臣 (オブザーバーとして)
    文部科学大臣政務官 (オブザーバーとして)


    有識者(委員)
    出雲充 (株式会社ユーグレナ代表取締役社長)
    伊原木隆太(岡山県知事)
    漆紫穂子 (品川女子学院校長)
    鎌田薫座長(早稲田大学総長)
    小林りん (インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢代表理事)
    貞廣斎子 (千葉大学教育学部教授)
    三幣貞夫 (千葉県南房総市教育長)
    清水信一 (武蔵野東高等専修学校校長)
    鈴木典比古(国際教養大学理事長・学長)
    坪谷・ニュウエル・郁子 (東京インターナショナルスクール理事長)
    中邑賢龍 (東京大学先端科学技術研究センター教授)
    中室牧子 (慶應義塾大学総合政策学部准教授)
    名和晃平 (彫刻家、SANDWICH Inc.ディレクター、京都造形芸術大学大学院教授)
    細江茂光 (岐阜市長)
    堀義人 (グロービス経営大学院大学学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー)
    松本紘副座長(理化学研究所理事長、京都大学前総長)
    向井千秋 (東京理科大学副学長、日本学術会議副会長)
    湯野川孝彦(株式会社すららネット代表取締役社長)

    【2015年(平成27年)10月5日までの有識者】
    大竹美喜 (アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)創業者)
    尾崎正直 (高知県知事)
    加戸守行 (前愛媛県知事)
    蒲島郁夫 (熊本県知事)
    川合眞紀 (東京大学教授、理化学研究所理事長特別補佐)
    河野達信 (岩国市立高森小学校教諭、前全日本教職員連盟委員長)
    佐々木喜一(成基コミュニティグループ代表)
    鈴木高弘 (専修大学附属高等学校理事・前校長、NPO法人老楽塾理事長)
    曽野綾子 (作家)
    武田美保 (スポーツ/教育コメンテーター)
    佃和夫副座長(三菱重工業株式会社相談役)
    八木秀次 (麗澤大学教授)
    山内昌之 (東京大学名誉教授、明治大学特任教授)
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    # by yumimi61 | 2017-07-28 23:51
    2017年 07月 28日
    日本国憲法の秘密-525- (加計学園問題について)
    郵政民営化の広報にあたっては、小泉政権の主な支持基盤とされる「B層」に絞ってPRを展開すべきとし、ネガティブな表現を極力避けたうえで、「B層」に伝わりやすい新聞折込みフライヤー(チラシ、ビラ)やテレビ・ラジオの広報番組を利用し、民営化の必要性を徹底的に「ラーニング」させるように、また、「A層はB層に強い影響力を持つ」として、「A層」向けに数万人規模のイベントを開催し、間接的に「B層」にも影響を与えるようにと提言した。

    徹底的に「ラーニング」させる、つまり学習させるということである。
    「ラーニング」に似た意味で「刷り込み」という言葉が使われることがある。
    どちらも繰り返し教えて(聞かせて)何かを学ばせる(覚えさせる)という意味があるように感じるかもしれないが、本来の意味の「刷り込み」は繰り返しではない。
    繰り返しの刷り込みは新聞の印刷のようなイメージがあるのかもしれない。

    鳥は最初に目にした鳥を親だと思うという話を聞いたことはないだろうか。あれが「刷り込み」である。
    通常、後天的にものを覚える、つまり学習が成立するためには、特に知能がさほど発達していない動物では、繰り返しと一定の時間の持続が必要であると考えられていた。しかし、この例ではほんの一瞬でその記憶が成立している。しかも、それがその後にも引き続いて長時間にわたって持ち越される。ローレンツはこの現象が、まるで雛の頭の中に一瞬の出来事が印刷されたかのようだとして、刷り込み(imprinting)と名付けた。

    刷り込みに関わる行動は、その基本的な部分は先天的遺伝的に持っているものであって、そこに後天的に変更可能な部分が含まれていると考えられている。
    ラーニングは後天的な記憶である。
    ある事柄を大事なことだと認識し記憶するには繰り返しや劇的な感情を伴う刺激が重要である。
    繰り返しに導くには心地よい感覚が必要。不快なことは繰り返したくないという気持ちが先立つ。
    同時に刺激も必要だが、肯定を意図してのラーニングだから怒りや悲しみといった否定的感情が支配したのでは逆効果。
    心地よく好意的な刺激で感情を高ぶらせながら学習させる、その教育係がA層といったところ。
    本来恐怖や悲しみといった感情のほうが刺激が強く記憶に残りやすいので、好意的感情の反対の感情を上手く使うか、徹底的に好意的な感情を繰り返す必要がある(それでも人には飽きというものがあるけれども)。

    これは、教育によって無知から脱出させ、民衆を啓蒙させるという思想である「啓蒙思想(主義)」に似ているところがある。
    一見素晴らしい思想のようだが、外から与えるということなので、権力者などが都合の良いものを教え込むということが出来る。
    引っ張りたい方向に引っ張る、支配に利用できるのだ。
    だから都合の悪いものは間違いと切り捨たり認められなかったりする。
    現代の教育には啓蒙思想が大いに利用されている。
    最初は自己主張ができないようなタイプがターゲットにされ、それが大勢を占めてくると権力者と相まって自己主張(独自の主張)が許されない社会が形成される。
    ラーニングや啓蒙はひとつ間違うと洗脳やマインドコントロールになる。



    なんでこんな話をしてきたかと言うと、加計学園問題の証人の1人である加戸元愛媛県知事(文部省をリクルート事件で辞任しJASRACの理事長などを歴任)は、「新しい歴史教科書をつくる会」編纂の教科書を採択ように主導していた人物だったからである。

    愛媛県知事時代の2001年、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を推薦し、県立ろう・養護学校の一部で採択された。
    翌2002年には、2003年開校予定だった中高一貫の県立中学校3校で使う歴史教科書として同教科書が採択された。公立中学ではこれが初めてだった。


    新しい歴史教科書をつくる会とは、1996年に結成された日本の社会運動団体。

    湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡信勝は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転進すると共に、旧来の左右双方のどちらにも組しない独自の自由主義史観の構築を提唱した。藤岡らの提唱は大きな反響を呼ぶことなり、1996年12月に西尾幹二ら有志と「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)を結成。産経新聞で連載され反響を呼んだ自由主義史観研究会の『教科書が教えない歴史』は後に書籍化され全4巻で120万部を超えるベストセラーとなった。

    つくる会は、既存の歴史教科書(特に中学校社会科の歴史的分野の教科用図書)は、必要以上に日本を貶める自虐史観に毒されていると批判し、それに代わる「“東京裁判史観”や“社会主義幻想史観”を克服するとし、その双方の呪縛から解放されたという自由主義史観に基づく、子供たちが日本人としての自信と責任を持つことのできるような教科書」の作成と普及を目的として結成され運営されている。



    藤岡信勝は北海道生まれで北海道大学出身。長いこと共産党員、左翼だった。
    湾岸戦争で国連が結成した多国籍軍に刺激されたのか、一国平和主義から脱することを決意し、左翼(社会主義)を見限って保守に転じたらしい。
    国連、多国籍軍、一国平和主義からの脱却、となればグル―バルと言えよう。
    しかし共産主義・社会主義は古くからインターナショナルなわけで、本来閉鎖的でも一国平和主義でもない。
    グローバルの中味は違うが、単にグローバルという観点に立てば、民主主義vs共産・社会主義という構図は成り立たない。

    そのことが分かっているのか、旧来の左右双方のどちらにも組しない独自の自由主義史観の構築を提唱した。
    これはやはり左翼から強い保守に鞍替えし、自由主義覇権(金融覇権でもある)を主張したアメリカのネオコン(新保守主義)と似ている。
    一応保守と言われるが、「一国平和主義」ではなく「グローバル」が好きなので、昔ながらのコテコテの「愛国」とは異なる。
    スマートでクールで且つ強い国際人が憧れ。だから他国で暴力を振るったり、戦争に負けたりした母国や、国際テロを繰り返した共産主義組織などは認めたくないのであろう。

    つくる会は、日本全国から集まる会費と関連本の印税収入を財源として活動している。2007年5月には、7代目会長につくる会が発足するきっかけを作った藤岡信勝が就任した。つくる会の地方支部のほか、地元財界や旧軍関係者による採択支援運動が行われている。平沼赳夫や萩生田光一といった会の主張と同じくする保守政治家から強く支持されているほか、日本会議も支援している。また、藤岡によれば、つくる会の事務所に電話をかけ「よくぞ立ち上がってくれた。これで安心してあの世に逝ける」と電話口で泣き崩れた老人もいたという。

    萩生田光一現官房副長官も加計学園問題の登場人物でしたね。

    しかしながら、つくる会は内紛も絶えない。権力争いとかいろいろあるみたい。
    でもそれはなんとなく分かる気がする。
    自虐的歴史は嫌だ!という点では意見が一致しても、グル―バルや国際人を目指す人と、昔ながら愛国者は相容れない点も多いことは容易に想像がつく。
    左翼出身者と右翼出身者のわだかまりや埋められない溝みたいなものも存在するのではないか。
    そして「なんか違うぞ・・」「こんなのと一緒にされたくない」とか思い始めてしまうのではないだろうか。



    「新しい歴史教科書をつくる会」は実際に教科書を編纂して出版している。
    その出版を担当していたのがフジサンケイグループの扶桑社である。
    しかしながらこの両者の関係を2007年に解消した。

    そのきっかけとなったのは第一次安倍内閣(2006年9月‐2007年9月)である。
    安倍内閣が発足すると、「日本教育再生機構」なる組織が作られた。
    表向きは「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛により同会を離脱したメンバーによって発足されたとされているが、内紛がきっかけなのか安倍内閣誕生がきっかけなのかは微妙なところではないだろうか。

    ■日本教育再生機構
    複数の顧問が日本会議の幹部でもあり、組織面・運動面で関係が深いといわれている。
    2012年2月26日、地方組織「日本教育再生機構大阪」がシンポジウムを開催。理事長の八木秀次が進行役となり、元内閣総理大臣(当時)安倍晋三と大阪府知事松井一郎が対談した。安倍と松井は、これを機に会合を重ねていったことから、日本教育再生機構は両名を結びつける役割を果たしたとされる。


    松井大阪府知事は森友学園問題の登場人物でしたね。

    第一次安倍内閣では準憲法的性格を有すると言われていた教育基本法を改正した。
    教育基本法も憲法と同じく1947年制定以来一度も改正されたことがなかった。(憲法は1946年制定以後改正されていない)
    やはり安倍内閣は改正好きなんでしょうか?

    この後に今度は「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」が結成された。

    ■改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会(教科書改善の会)
    教科書改善の会(きょうかしょかいぜんのかい)とは、「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」の内部分裂により脱退したメンバーが、引き続き中学校歴史・公民教科書の発行を行うために2007年に組織した団体。正式名称は「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」。代表は屋山太郎。
    教科書出版社として扶桑社が設立した「育鵬社」から教科書を継続発行することが決定している。

    2007年に当時の安倍内閣が成立させた、「公共の精神の尊重」と「我が国と郷土を愛する態度を養う」などを謳う「改正教育基本法」(平成18年法律第120号)に基づいた歴史教科書及び公民教科書を出版することを目的として同会が設立された。日本教育再生機構と共に、教育とは「押しつけるもの」「植えつけるもの」と主張している


    「日本教育再生機構」と「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」は一心同体のような組織。
    「新しい歴史教科書をつくる会」、安倍内閣、日本会議、そしてフジサンケイグループが深く関係している。
    フジサンケイグループの扶桑社は、「新しい歴史教科書をつくる会」に別れを告げて、「日本教育再生機構」と「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」と結ばれたのだ。
    扶桑社が安倍内閣をバックに付けたこの組織のために設立した子会社出版社が「育鵬社」で、ここから新しい歴史教科書を刊行している。
    しかし全く新たに作ったというわけではなく、つくる会が編纂した教科書と変わらない。
    それもそのはず扶桑社が版権を持っている。

    扶桑社が発行している「新しい歴史教科書」「新しい公民教科書」の版権は扶桑社にあり、著作権も執筆者、監修者、扶桑社にある共同著作物で、著作者全員が了解しなければ他の発行者から発行することはできない。


    加計学園問題の証言者の1人である加戸守行元愛媛県知事は2013年1月より教育再生実行会議(第2次安倍内閣における教育提言を行う私的諮問機関)の委員を務めていた。
    安倍首相や安倍内閣と非常に近い存在であるはずなので証言の中立性に疑問符が付く。



    美しい日本の心を伝える 日本教育再生機構 ホームページより

     日本教育再生機構は、「教育再生から日本再生へ」を合い言葉に、教育を国民の手に取り戻したいという思いか ら、平成18年に発足した団体です。(平成21年に一般法人化)

     教育を通じて国民意識を覚醒させ、国家への愛情を取り戻すことーこれは衰退期に陥った国家が再生するに当たって一つの鉄則といえます。

     その意味で、現在の日本の教育には「日本」が足りないと言えます。かつて、日本の教育は、世界から絶賛される高い水準にありました。日本人一人ひとりの胸にある使命感や道徳心がその教育力を支えていたのです。しかし、今や見る影もありません。いつしか教育が、文部科学省や教育委員会、教育関係者の占有物のようになり、教育を支える国民意識が奪われていったのです。

     今こそ教育を真の意味で国民の手に取り戻そう。教育を国家戦略の中心に位置づけ、教育の立て直しを国家再建の要諦(ようてい)とする政策を各界の要路に向けて発信しようー。そうした思いを共にする多くの個人や団体と手を結んで、私ども日本教育再生機構は「日本を取り戻す」事業に取り組んで参りました。

     全国各地で教育再生民間タウンミーティングを開催し、政府の「教育再生会議」(第一次安倍内閣)に政策提言をして「ゆとり教育」からの路線転換を遂げさせました。育鵬社の中学校歴史・公民教科書の編集や採択を支援することで、毎年7万人以上の中学生が、日本への愛情をはぐくむ教科書で学べるようになりました。「道徳」の教科化を提言して実現させ、あるべき道徳教育の教材として『13歳からの道徳教科書』『はじめての道徳教科書』を作成し、普及に努めて参りました。



    愛媛県の加戸守行知事は、総理の意向ならぬ知事の意向で渦中の人であった。

    愛媛県教委 新設の3中学校で 「つくる会」教科書採用 公立では初めて
    愛媛県教育重点会(井関和彦委員長)は十五日、来春開校する中高一貫教育型の県立中学校三校(生徒定員四百八十人)で使う歴史教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書(扶桑社発行)を採択した。昨年の愛媛県立と東京都立の養護学校などに続く三例日の採択で、公立中学では初めて。文部科学省によると、扶桑社版は今年から私立含めて計十二校約六百人が使用。来年は千人以上が使うことになる。「アジア侵略正当化」「戦争賛美」「国粋主義的」などの指摘があり、終戦記念日と重なった今回も国内外から批判の声が上がった。

    「扶桑社版がベスト」知事の意向を反映 教育委員は「言いなり」
    愛媛県の加戸守行知事は就任四年目の今年、新設三中学校用に「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書(扶桑社発行)を採択することを「県政の重要課題」と位置付けていた。昨年に続く採択には「扶桑社版がベスト」と公言してきた知事の意向が反映されたと指摘する声は多い。
     加戸知事は昨年の採択後「国の歴史に対する愛情を深めさせる。学習指導要領の方向に一番ぴったり」と扶桑社版を絶賛。今年に入ってからも「昨年と考え方は変わっていない」と話していた。
     元文部官僚で、つくる会に近い「教科書改善連絡協議会」の会長を務める作家三浦朱門氏が文化庁長官の時には、文化庁次長として仕えた。官房長だった一九八九年四月、当時の西岡武夫文相が「リクルート事件のけじめ」として人事を刷新した際、辞職した。
     十五日の採択を決めた教育委員六人は元県立高校長と県内の元市立小校長各一人、木材会社と製紙会社の社長各一人、PTA役員、教育長を兼務する県職員。「全員加戸知事に任命され、知事の言いなり」 (県内の教育関係者)との指摘もある。
     知事の懸念は中国や韓国との摩擦。「外交問題に発展すれば、県教育委員会では対応できない。知事が責任を取るぺき問題」との見解を明らかにしている。




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    # by yumimi61 | 2017-07-28 18:32
    2017年 07月 28日
    日本国憲法の秘密-524- (加計学園問題について)
    政治家、官僚、財界にばら撒かれた未公開株。
    戦後最大の企業犯罪と言われたその事件の当事会社であるリクルートコスモスは20年後、郵政民営化の移行期間に郵政公社から多くの不動産を取得した。
    リクルートコスモスの落札は全て幾つかの物件を抱き合わせで売る(セット販売)バルク方式であった。
    この方法を日本で初めて導入したのは、リクルートコスモスの独立を担当したユニゾン・キャピタルの共同創業者の1人である三井銀行(出身)の佐山展生であったという。

    佐山展生
    米国を中心とした海外企業の買収案件を多数成約させた他、1997年に日本のM&A業界において前例のない 大型倒産企業のM&A案件の日債銀(現 あおぞら銀行)子会社で当時最大の1兆円を越す負債を残して破産したクラウン・リーシングの営業譲渡を成約。約3,000億円の不良債権を日本で初めてのバルク入札により 約3カ月で売却。この際のバルクセールの手法は、今日の日本の不良債権バルクセールの礎となった。1998年には大倉商事の破産事件にも関与し、日本の倒産企業のM&Aの先例となる。
    INTEGRAL(インテグラル) メンバー紹介より>

    クラウン・シーリングは日本債券信用銀行の関連会社であった。
    巨額の不動産担保融資が不動産バブル崩壊とともに不良債権化し1997年4月に約1兆2千億円の負債を抱えて破産した。

    不動産は担保になる。バブル期など不動産価格が高い時に不動産を担保にして巨額の融資をする。
    バブルが弾けて不況が到来すると貸したお金が戻ってこない。
    そこで担保になっていた不動産を没収するが、肝心のその不動産もバブルが弾けて時価が大幅に下落しているため売却してもお金にならない、そもそも売れない。何もせずにただ持っていても維持費がかかるだけ。何かしようにも資金が必要だし不況の真っただ中。どうにもならなくなる。
    こうして借りた企業だけではなく貸した企業も倒れる。

    日債銀の関連会社は、上記のクラウン・シーリングの他に日本トータルファイナンス、日本信用ファイナンスサービスも破綻しており、3社合計で2兆1838億円と記録的な巨額の負債総額であった。(クラウン・シーリング1社だけでも記録的)
    この3社はノンバンクである。ノンバンクということは銀行のように預金を持っていない。
    銀行は誰かから預かったお金を他の誰かに貸し付けたりして儲けるのだ。でも銀行ではないノンバンクは預金がない。
    そこでどうするかと言うと、銀行などからお金を借りるのである。借りて貸す。
    銀行→ノンバンク→企業などに融資。
    銀行→企業などに融資。

    バブル期に日債銀系列の上記ノンバンク3社は、住宅金融専門会社、末野興産、イ・アイ・イ・インターナショナル、第一不動産グループ、千昌夫の経営会社等に積極融資を行っていたが、バブル崩壊とともに1992年に金利減免の要請を三菱銀行などの貸出先に行うにあたり、日債銀本体の経営に疑念が持たれ始めることとなる。
    日債銀はこれら不良債権を抱えたノンバンク処理を行う上で、元国税庁長官の窪田弘を頭取とし、1997年4月に破産申請を行うこととなった。
    貸付債券以外は比較的優良な資産を抱えていたため破産管財人により東京地裁の許可を得て三井銀行のM&Aチームをアドバイザー(佐山展生、現一橋大学大学院教授)とし、入札等で2ヶ月で約4000億円(海外資産800億円程度を含む)の回収を行い、債権者に20%以上の高配当がなされた


    日本債券信用銀行についても以前書いた。

    おおぞら銀行
    1998年12月に経営破綻した「日本債券信用銀行」。
    前身は「朝鮮銀行」である。
    1909年に「韓国銀行」の名称で設立され、1911年に「朝鮮銀行」と改称された。

    経営破綻後、一時国有化され(特別公的管理銀行として預金保険機構の管理下に置かれた)、5兆円の公的資金を投入された。(公的資金=国民のお金よ)
    2000年、ソフトバンクは、東京海上火災保険、オリックス、アメリカの投資会社サーベラスとともに、日本債券信用銀行の経営を引き継ぐということで株式を取得し、孫社長も取締役に就任した。
    銀行名を「あおぞら銀行」と変更。
    ソフトバンクは493億円出資し49%の株式を保有し、「あおぞら銀行」の筆頭株主となった。

    この直後、日本債権信用銀行の頭取が遺書を残して自殺した。
    北朝鮮関係の不良債権処理で出張した大阪でトラブルに巻き込まれたと噂された。

    経営譲渡には「瑕疵担保特約」いうお得な特典が付いていた。
    新たな不良債権が発生した場合には、その損失を公金で補填するという特典である。
    リスクなく再建に打ち込めるはずだった。
    ところがソフトバンクにはそんな気はなかったようで、2003年再建目途も立たないまま、「あおぞら銀行」の株式を「サーベラス・キャピタル・マネジメント」に1000億円で売却。
    ソフトバンクは500億円の売却益を得た。

    サーベラスは2000年頃から経営不振に陥った日本企業に大口出資を行うようになり、ハゲタカファンドの名を欲しいままにする。


    日債銀はバブルが弾けた1991年に未公開株で儲けるプライベート・エクイティ・ファンド(日債銀プライベートエクイティ社)を設立していた。


    日本郵政民営化と言えば小泉元首相と竹中平蔵元大臣。

    モーリス・ストロング(アナン国連事務総長の特使) ― ジェフリー・サックス(アナン国連事務総長の特使)
                 (北朝鮮問題特別顧問)         (ソ連崩壊前後のソ連・ロシア経済改革の顧問)
                      |                             |
                    小泉首相(拉致問題進展) ―  竹中平蔵(郵政民営化など経済改革)
                                                    |
                                        西室泰三(東芝社長、日本郵政社長、東証社長)
                                                    ↓
                              東芝の原子力事業企業買収で巨額損失、日本郵政の買収でも巨額損失




    竹中平蔵元大臣はパソナグループの会長でもある。
    パソナグループ、覚えていますか?

    迎賓館は利用しませんっ!

    某有名歌手の覚醒剤逮捕にて話題となったパソナグループと政治家の出入りもあったというパソナの迎賓館「仁風林」。
    パソナグループの取締役会長は竹中平蔵氏。慶應義塾大学の教授でもある。
    小泉内閣にて「聖域なき構造改革」を主導した人物。
    日本経済低迷(崩壊?)を招いた首謀者として小泉・竹中コンビは悪評も高い。
    竹中氏はハーバード大学留学中にジェフリー・サックス氏やローレンス・サマーズ氏と知り合って、ハーバード大学客員准教授にも就任したことがあることは「ソチ」に書いた。
    総理大臣の片腕として政治の中心にいた人物が会長となっているのがパソナである。その迎賓館に政治家の出入りがあっても何ら不思議はないであろう。

    「友達の友達はみな友達」はネズミ講とも言えますね

    以前こちらに、安倍晋三(総理)を囲む「午年の会」のことを書いたことがある。
    メンバーは芸能人や文化人だそうだ。
    同じく芸能人や文化人が大挙してメンバーになっているのが「エンジン01文化戦略会議」である。「甍(いらか)三」に書いた。
    iPS細胞の山中教授も名を連ねる。
    一時期三洋電機取締役会長兼CEOに就任した野中ともよ氏や、神奈川県知事の黒岩祐治氏は、「午年の会」「エンジン01文化戦略会議」どちらのメンバーでもある。
    この「エンジン01文化戦略会議」のメンバーをほぼ丸抱えしているのが芸能事務所の渡辺プロダクションである。
    ENJIN01(ゼロワン)「カルチャークラブ」事務局

    渡辺プロダクションの歩みを見ると、2009年11月に「英国ロスチャイルド家/バロネス・シャーロット・ドゥ・ロスチャイルド プライベートコンサートパーティー招待出席」とある。
    ロスチャイルド家とも懇意なのかしら?

    会長個人の経歴はこちらをどうぞ。
    フランス政府とも懇意かしら。
    2012は藍綬褒章も受章している。
    フランスといえば、こちらに書いた東京都のプロジェクトにシラク大統領が関係していたようである。
    猪瀬氏や秋元氏は安藤氏やボノ氏が出てくる、あの話題である。
    シラク大統領は東京の銀行に巨額の隠し口座を持っていた(巨額振込み)疑惑があったが、それを追っていたジャーナリストが消え、シラク大統領も表舞台から消えた。




    小泉首相と言えば小泉劇場と言われた劇場型政治。STAP細胞騒動同様に広告代理店が関与している。
    この小泉劇場の郵政民営化の広報戦略でターゲットにされたのがB層だったという。
    B層ってご存知ですか?

    B層(ビーそう)とは、郵政民営化の広報企画にあたって小泉政権の主な支持基盤として想定された、「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」と定義されている。

    2005年、小泉内閣の進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から受注した広告会社・有限会社スリードが、小泉政権の主な支持基盤として想定した概念である。

    スリードの企画書では国民を「構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸として分類し、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」とした。B層には、「主婦と子供を中心した層、シルバー層」を含み、「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層、内閣閣僚を何となく支持する層」を指すとされる。

    上記の企画書がネット等を通じて公に流布されたため、資料中に使用された「IQ」という知能指数を示す語や露骨なマーケティング戦略が物議を醸すところとなり、国会でも取り上げられた。


    スリード社等は、国民を以下の4層に分類している。

    A層―エコノミストを始めとして、基本的に民営化の必要性は感じているが、これまで、特に道路公団民営化の結末からの類推上、結果について悲観的な観測を持っており、批判的立場を形成している。「IQ」が比較的高く、構造改革に肯定的。構成者は財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、都市部ホワイトカラーなど。

    B層―郵政の現状サービスへの満足度が極めて高いため、道路などへの公共事業批判ほどたやすく支持は得られない。郵政民営化への支持を取り付けるために、より深いレベルでの合意形成が不可欠。マスコミ報道に流されやすく「IQ」が比較的低い、構造改革に中立的ないし肯定的。構成者は主婦層、若年層、シルバー(高齢者)層など。具体的なことは分からないが小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持する。

    C層―構造改革抵抗守旧派。「IQ」が比較的高く、構造改革に否定的。構成者についてはこれ以上の分析はない。

    D層―「名無し層」「命名無し層」と呼ばれることも多い。「IQ」が比較的低く、構造改革に否定的。構成者は既に失業などの痛みにより、構造改革に恐怖を覚えている層。


    郵政民営化の広報にあたっては、小泉政権の主な支持基盤とされる「B層」に絞ってPRを展開すべきとし、ネガティブな表現を極力避けたうえで、「B層」に伝わりやすい新聞折込みフライヤー(チラシ、ビラ)やテレビ・ラジオの広報番組を利用し、民営化の必要性を徹底的に「ラーニング」させるように、また、「A層はB層に強い影響力を持つ」として、「A層」向けに数万人規模のイベントを開催し、間接的に「B層」にも影響を与えるようにと提言した。
    「C層」及び「IQが比較的低く、構造改革に否定的」な層についてはPRの対象外としている。











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    # by yumimi61 | 2017-07-28 14:06
    2017年 07月 27日
    日本国憲法の秘密-523- (加計学園問題について)
    リクルートコスモス社の未公開株がばら撒かれたリクルート事件。
    リクルートコスモスという会社は、マンション・不動産事業を手掛けるリクルートの子会社であった。

    (リクルートコスモス社の沿革)
    1969年6月20日 - 株式会社日本リクルート映画社として設立。
    1974年2月8日 - 事業目的を不動産に変更し、商号を環境開発株式会社に変更。(創業)
    1985年3月1日 - 株式会社リクルートコスモスに商号変更。
    1986年10月30日 - 株式を店頭登録(現ジャスダック)。
    1998年5月 - 初の再開発事業となるラムザタワーが完成。
    2005年6月30日 - ユニゾン・キャピタルなどから出資を受ける形でMBOの手法によりリクルートグループから独立。
    2006年9月1日 - 株式会社コスモスイニシアに商号変更。また、本社を東京都千代田区内幸町1-3-2へ移転。


    同社が手掛けて1998年に完成したラムザタワーはJR武蔵浦和駅周辺。
    リクルート事件は大事件となったが、当のリクルートコスモス社は存続してきた。
    もっとも親会社であるリクルートの株式を多数所有していた創業者の江副浩正は1992年に保有株式をダイエーの創業者である中内功に譲渡しダイエーグループ入りした。
    リクルートはダイエーから送り込まれた役員などによって会社の立て直しに成功し、有利子負債を自力で完済。
    しかしながら今度はダイエーが1990年代後半に業績が悪化。
    すると恩を忘れたリクルートはダイエーグループから離脱。これが2000年頃。
    ダイエーは破綻寸前にまで追い込まれたが近年イオンの完全子会社となった。

    ダイエーから離脱したリクルートの不動産部門である子会社リクルートコスモスは、その後リクルートから独立するが、それは日本郵政の民営化と重なるところがある。
    日本郵政が民営化したのは2007年のことだが(とはいっても独自の法律によってなる特殊会社、NTTも同じく)、移行準備として2003年に郵政公社が設立された。
    2003年までは省庁が郵政事業を行っていた。国営である。
    郵政公社は政府が100%出資して省庁から独立させた組織で、NHKやJRA,年金機構などと同じ特殊法人の形式をとった。

    日本郵政公社は成立した2003年から民営化に伴い解散する2007年までの間に保有資産を次々と売却していった。
    売却した資産は628物件。
    この時、3回にわたる一括売却(抱き合わせ売却のバルク売却)で合計424の物件を落札したのが、リクルートコスモス(コスモスイニシア)を代表とするグループであった。
    売却物件の67.5%がリクルートコスモス(イニシア)に渡ったことになる。

    郵政公社による物件売却について会計検査院がレポートしている。

    国会からの検査要請事項に関する報告(検査要請)
    簡易生命保険の加入者福祉施設等の譲渡等に関する会計検査の結果について

    1) 旧日本郵政公社が締結した譲渡契約に係る分(平成15年度〜19年度上期)
    ア 譲渡施設の概要
     15年度から19年度までの間に、公社が不用資産として売却した土地、建物等の不動産は、図表第2-2-1 のとおり628物件となっており、その売却価格は総額1093億7632万余円に上っている(物件ごとの売却状況については別表2-1 参照)。
     そして、関係書類及び日本郵政の説明によると、売却物件に係る売却時直近の簿価は合計775億3725万余円となっていることから、売却価格との差額318億3906万余円が売却益となっている。


    簡単に言うと、売却したことによって318億3906万余円の利益が出たということなのだ。
    しかしこの利益は、「取得価格-売却価格」で計算したものではない。
    「簿価ー売却価格」となっているのである。

    簿価は減価償却が関係する。
    以前も私はソーラーパネルやドクターヘリの件で減価償却について書いたことがあるが、減価償却とは費用の計上の仕方のことである。
    多くの物品は使い捨てではない。反面いつまでも新品ではない。
    そこで耐用年数というものが定められていて、物品を取得するのにかかった費用は耐用年数で割って分けて計上できる。
    例えば600万円で営業に使う自動車を購入。普通自動車の耐用年数は6年である。
    取得した年にかかった費用600万円と計上するのではなく、6年間毎年100万円ずつ計上するのである。
    その営業車であげる売上が年200万円だとする。(分かりやすくするために他の費用は無視しています)
    支出計上は100万円で、売上が200万円だから、その車で年間100万円の利益が出ていることになる。
    計上は分割(減価償却)にしていても、もしも現金一括で購入していれば、最初の年に600万円お財布から出てるわけだから、あとの5年の利益でお財布に回収することになる。
    利益が出なければ赤字になる。(ただ通常は営業車だけで会社の利益が決まるわけではない)
    問題は現金一括で買う余裕が無くローンで購入した時。
    この場合、最初に600万円お財布から出していない。出したのは金融会社である。
    しかし支出として計上できる。100万円ずつ6年。

    購入した会社は金融会社に返済していく必要がある。ローンだから利子が付くので当然600万円では済まない。
    営業車によって上げた利益はお財布に回収するのではなく返済に充てていく。
    借金で購入するほど余裕のない会社なので、その営業車によって上げられる利益が返済限度額である。
    上記のように100万円の利益が出れば、毎年100万円ずつ返済できる。ひと月8万3000円くらい。でも利子もある。
    100万円ずつ減価償却(返却)するのにその営業車による売上が100万円では利益が出ない。
    そうなると資金繰りに行き詰まり破綻に向かってしまう。
    また耐用年数は6年と定められているが、返済期間はもっと長いかもしれない。
    6年経つと100万円ずつの減価償却が無くなって簿価は0円となり帳簿から消えるが、イコール完済ということではない。
    返済が残っていることもあるので返済に充てる資金は別途確保しておかなければならない。
    借金していることを忘れるな、ということである。


    600万円の自動車を購入すると6年で減価償却。
    600、500、400、300、200、100、0と減っていく。
    これが簿価である。帳簿上の自動車の価値(価格)。
    4年目には300万円となるわけである。
    その4年目にその自動車が実際どれくらいの評価が付くのか(評価額・時価)、現時点において幾らで売るのが妥当なのか(時価・相場)、そうしたことと直接的な関係はない。

    上では100万円ずつ6年の減価償却(支出)で毎年200万円の売り上げと仮定したが、それがもし50万円の売り上げならば利益は出ない。毎年50万円ずつ赤字となっていたことになる。
    最初の年に600万円支出して、さらに50万円ずつ赤字となれば、回収できるどころか4年目には800万円もマイナスしていることになる。
    その時点で売りに出してトータル赤字にしないためには、すでにマイナスした金額も乗せて800万円で売る必要がある。それでトントン、何もなかったことになる。
    赤字ではなかったが利益も出ていなかったとするならば、最初に支出した600万円で売らなければ損したことになる。
    時価や相場、その不動産が上げてきた損益がいかほどなのか、そもそも利益を上げる目的で所有していた不動産だったのか(そうでなければ元々利益が出るはずもない)、維持やメンテナンスにこれまでどれだけの資金を投入したのかを無視して、単に簿価と売価を比較して利益が出たと言っているわけである。



    会計検査院のレポートでは更に目を引いたことがあった。
    「図表第2-2-1 公社における不動産売却状況」の平成15年度のところである。
    この年度は1件だけで、売却物件は土地のみである。建物は含まれていない。
    注釈にはこのようにある。
    平成15年度の売却物件は、有珠山噴火に伴う砂防事業用地として北海道に売却したものであり、公社による不用資産の売却は実質的には16年度からとなっている。

    その物件(土地)について、売却価格372,604円、 売却時直近の簿価217,500円、 売却利益155,104円とある。※単位:千円
    しかしながら通常、土地は費用換算せず、減価償却の対象ではない。
    土地に耐用年数は存在しない。

    土地を購入すれば、購入代金という支出が生じる。
    しかしどんな大金を支払ったとしても、この土地購入代金(支出)は費用として計上されない。
    土地は資産となり貸借対照表に計上される。
    例えば地価が大幅に下落して資産価値が下がったとしても、損失として費用(損益計算)に影響してくるといったことはない。
    所有者は資産価値として保有し続けるだけである。
    値段が上がろうが下がろうが売却しない限り損益は出ない。
    それは世界的なルールでもある。
    但し不動産を所有している場合には税金はかかるし、資産は担保になるので借金のしやすさや限度額に影響する。
    損益として計上するのは保有している土地を売却した時のみ。
    売却価格>購入価格ならば利益となるし、売却価格<購入価格ならば損失となる。
    日本郵政公社の売却物件は土地だけなのに「簿価」となっている。
    他の物件は建物が混ざっているため(建物は減価償却あり)、土地が簿価となっているのかどうなのかは分からないが、15年度は土地だけとある。
    どうして土地だけなのに「簿価」なのか?おかしくないだろうか。


    平成15年度に有珠山噴火に伴う砂防事業用地として北海道に売却した土地は洞爺にあったもの。
    有珠山は洞爺湖近くにあって2000年に噴火した。
    当分噴火しないだろうと思ったのか、2008年には洞爺湖サミットが開催された。
    会計検査院のレポートを少しスクロールすると、「図表第2−2−3 加入者福祉施設及び周知宣伝施設の売却状況」という表が出てくる。
    そこで売却先が北海道土地開発公社であることが分かると同時に、取得金額も記載されている。
    150,000千円。(1億5000万円)
    それなのに売却時直近の簿価が217,500千円(2億17500万円)となっており、売却価格が372,604千円(約3億7200万円)。
    どうして土地に簿価があり、簿価が取得金額より値上がりしているのか?
    時価のことなんだろうか?それにしても、地方の、それも火山を抱えているような地域の土地が、不動産バブルが弾けてて久しい時代に値上がりするものだろうか?
    ひょっとすると国の取得価格が時価ではなく何らかの理由で破格の安さだったということだろうか?
    没収地?にしては1億以上も費用がかっている。国はどこの誰からこの土地を買ったのだ?
    ちなみに夕張市は夕張市土地開発公社の経営破綻によって破綻状態(財政再建団体)となったのである。



    リクルートがダイエーグループから離脱し、さらに不動産部門の子会社であったリクルートコスモスが2005年に親会社リクルートから独立した。
    この際、出資したのがユニゾン・キャピタルであった。

    ユニゾン・キャピタル株式会社は、日本のプライベート・エクイティ・ファンド(PEファンド)運営会社の1つ。
    1998年にゴールドマン・サックス出身の日本人らによって創業。
    現在までに累計企業価値ベースで合計約6000億円に上る投資を実行している。
    日韓連携を投資テーマのひとつとしている。


    江原伸好代表取締役ら3人のゴールドマン・サックス出身者と、三井銀行(現:三井住友銀行)出身の佐山展生が共同設立した。企業を転売して儲ける投資会社である。
    実は私、前にもユニゾン・キャピタルのことを書いたことがある
    その時もWikipediaの記述を転載した。
    今現在の記述と変わっているので以前のも掲載しておこう。

    1998年にゴールドマン・サックス出身の日本人らによって創業。
    創業者をはじめパートナークラスの主要メンバーに韓国・北朝鮮系の人物が複数おり、日韓連携を投資テーマのひとつとしている。
    ファンド設立初期からの主要メンバーであった木曽健一氏が、2009年10月のSEC(証券取引監視委員会)特別査察の翌日にパートナーを懲戒解雇され自殺するという痛ましい事案が起こったファンドでも有名。


    消えた記述は「創業者をはじめパートナークラスの主要メンバーに韓国・北朝鮮系の人物が複数おり」という部分と、社員(パートナー)の自殺の記述である。

    記述は消えたが、自殺の件は事実でないということではない。
    2009年10月28日、木曽健一(43歳)が自宅で自殺しているのが発見された。
    その前日、ユニゾン・キャピタルはSFC(証券取引等監視委員会)からインサイダー取引の疑いで強制調査されていた。

    自殺したのは、大手投資ファンドのユニゾン・キャピタル(東京都港区紀尾井町、以下ユニゾン)のパートナーだった木曾健一氏。証券取引等監視委員会の特別調査課は10月27日、ユニゾンに強制調査に入り、その場で木曾氏はインサイダー取引の容疑を認めた。
    このため同社は、即刻、同日付で木曾氏を除名し、翌28日には「役職員の株取引の調査に関する第三者委員会」(委員長・国広正弁護士)を設置し、社内調査にも乗り出した。
    監視委は28日に再度木曾氏を事情聴取に呼んでいたが、約束の時刻になってもあらわれず、不審に思って自宅を訪ねると、本人が死んでいるのが見つかったという。

     木曾氏を一躍有名にしたのは、菓子メーカー・東ハトの再生案件だった。東ハトは、本業では堅調だったが、バブル期に手を出したゴルフ場開発で多額の債務を負い、03年に民事再生法の手続きを申請して倒産した。ユニゾンはバンダイ、丸紅と組んで新会社をつくり、その新会社が旧東ハトに180億円を払って菓子事業の営業譲渡を受けた。「倒産」というマイナスイメージを払拭しようと木曾氏がとったのは、元サッカー日本代表・中田英寿氏の執行役員への起用だった。中田氏自身もビジネスへの進出に乗り気だったため、チーフ・ブランディング・オフィサーとして主力商品のキャラメルコーンのリニューアルなどに関わっている。2人は、『お菓子を仕事にできる幸福』(日経BP社)を出版している。

    NETIBNEWS 名門ファンドのインサイダー疑惑 渦中の辣腕パートナーは「自殺」(上) ビジネス最前線 2009年11月 9日

    リクルートコスモスがリクルートから独立したのは2005年。
    翌2006年に三洋電機グループの子会社だった人材派遣会社三洋ヒューマンネットワーク、2007年には住友建設の元社員が創業した人材派遣会社スタッフサービスの株式を取得し子会社化。

    株式会社OSパートナーズ(RECRUIT FACTORY PARTNERS CO.,LTD.)(旧:三洋ヒューマンネットワーク)
    日本のアウトソーシンググループの製造&設計開発を主業務とする人材会社である。パナソニックグループを主なクライアントとして、電池製品・家電製品・デジタル機器・電子部品の製造事業、設計開発事業を、開発・製造工程の請負、あるいは人材派遣という形態でおこなっている。また事業の補助的位置づけとして、エンジニアおよび製造スタッフの教育・育成をおこなっている。

    三洋電機の経営が悪化していったきっかけは2004年10月23日に発生した新潟中越地震だったと言われている。
    その地震で三洋電機の子会社であった新潟三洋電子の半導体工場が被災した。
    同社は地震保険に加入しておらず、5億円を超える被害はそのまま損失計上となった。
    地震被害であったが、寄付や募金とか、買って応援とかそんなの無縁だった。
    阪神・淡路大震災を経験したはずの会社が地震保険に入っていないなんて自業自得と世間からは批判非難されたのである。
    三洋電機の本社は大阪府の守口市にあった。地震被害にあったのは新潟県の子会社である。
    近年起こった数々の災害に遭われた皆さんは保険に入っていらしたのですか?農家の皆さんは共済保険などに入ってらしたのですか?入っていたけれども寄付や応援も必要なのですか?犯罪ですらお金が解決するんですよ。


    その後、リクルートコスモスも業績悪化で大和ハウスグループ入りする。
    独立の時から転売専門投資会社の手に掛かっていたということは、経営には失敗したが、会社(資産)転売で儲かったパターンでしょうか?
    それとも子会社化や資本提携の事前情報によるインサイダー取引で儲けた人がいるとか?

    2009年4月28日 - 不動産市況悪化に伴う業績悪化による債務超過を受け、私的整理手続きである事業再生ADR手続を活用して再生を図ると発表。同日、代表取締役会長が引責辞任を発表した。
    2009年9月28日 - 事業再生ADR手続が成立し、事業再生計画が承認された。これにより管理会社コスモスライフの持株がコスモスイニシアから大和ハウス工業に売却され、2010年に大和ライフネクストとなる。








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    # by yumimi61 | 2017-07-27 23:39
    2017年 07月 25日
    日本国憲法の秘密-522- (加計学園問題について)
    リクルート事件
    1988年(昭和63年)6月18日に発覚した日本の贈収賄事件である。
    リクルートの関連会社であり、未上場の不動産会社、リクルートコスモス社の未公開株が賄賂として譲渡された。贈賄側のリクルート社関係者と、収賄側の政治家や官僚らが逮捕され、政界・官界・マスコミを揺るがす、大スキャンダルとなった。
    当時、第二次世界大戦後の日本においての最大の企業犯罪であり、また贈収賄事件とされた。



    リクルート社創業者である江副浩正リクルート社会長(当時)が1984年12月から1985年4月にかけて、リクルートの子会社であるリクルート・コスモス社の未公開株を有力政治家・官僚などに譲渡した事件である。

    江副浩正は東京大学の出身で、在学中に東京大学新聞社に在籍していた。
    東京大学新聞とは学生が編集の主体となり発行するいわゆる学生新聞である。歴史ある著名な大学が発行していることが多い。
    学内での配布が主であるが、東京大学新聞は学外で販売もしている。
    それが可能なのは、「唯一の帝国大学」という歴史と、日本一という世間での評判が背景にあるのだろうと思う。
    学生新聞は第二次世界大戦で一旦衰退するも(物資や人材不足のため)、学生運動の時代に再び繁栄した。

    国公立大学
    一橋新聞、京都大学新聞、筑波大学新聞、東京大学新聞、東京工業大学新聞、東北大学新聞
    私立大学
    青山学院大学新聞、関西学院大学新聞、慶應塾生新聞、上智新聞、成蹊大学新聞、日本大学新聞、NEWS立命通信、中央大学新聞、同志社学生新聞、東京経済大学新聞、東京理科大学新聞、法政大学新聞、松山大学新聞、武蔵大学新聞、立命館大学新聞、龍谷大学新聞、早稲田大学新聞
    廃刊
    北海道大学新聞、教育大学新聞(文理科大学新聞)、三田新聞


    Wikipediaに掲載のあった学生新聞なので漏れがあるかもしれません(あしからず)。
    この中で異色なのは松山大学ではないだろうか。
    初代首相の伊藤博文が創立した「唯一の帝国大学」が、後に「東西2つの帝国大学(東京と京都)」となる。
    さらにその後地方にも広がり、現在でも受験生に「旧帝大」と呼ばれ親しまれている帝国大学が生まれた。
    私立大学で学生新聞を発行している大学はほとんど本部が東京と京都である。
    パッと見た感じ、違うのは兵庫の関西学院大学と、愛媛の松山大学だと思われる。
    今話題となっている加計学園が運営する岡山理科大学(岡山県本部)の獣医学部を新設しようとしている今治市は愛媛県である。

    そうとなれば、松山大学にも興味を抱くであろう。(抱かない?)
    創立は1923年。創立者は新田長次郎。
    松山大学では、旧松山高等商業学校の設立に寄与した新田長次郎、加藤恒忠、加藤彰廉の3人の人物を「三恩人」と呼んでいる。

    ・新田長次郎
    明治時代から昭和前期の日本の実業家、資産家。新田帯革製造所(現ニッタ)の創業者。
    新田帯革製造所、新田ベニヤ製造所各代表社員。愛媛銀行取締役。
    1857年(安政4年)、伊予国温泉郡山西村(のちの味生村大字山西、現在の愛媛県松山市山西町)に被差別部落の農家・新田喜惣次の次男として生まれる。
    1877年(明治10年)、20歳の時に大阪に出て、米屋に丁稚奉公した。米屋を辞めて藤田組製革所に入り、西欧式製革技術を習得した。

    1885年(明治18年)に新田組として独立し、大阪府西成郡難波村久保吉(現在の大阪市浪速区久保吉2丁目)に空家を借り、製革工場を起こした。1901年(明治34年)に、東京出張店を開設し、その後各地に出張店を設置した。
    1902年(明治35年)には、実業功績者として、緑綬褒章を授与された。

    この間、2度の海外視察を行っている。まず、1893年(明治26年)、シカゴで開催された世界大博覧会出品のため渡米し、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨークを回った後、ロンドン、パリを訪れ、多くの製革所を視察するとともに、製革機械を買い入れ、工場の改善に大いに役立てた。パリの日本公使館では同郷(松山)の代理公使加藤恒忠と知り合い、以後交友を結んだ。次いで1900年(明治33年)、パリ万国博覧会への製品の出品に合わせて、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、アメリカと海外視察を行った。


    革というからには動物に関係がある。
    W加藤はどちらも愛媛県松山出身で衆議院議員であった。外交官、教育者や第五十二銀行の取締役でもあった。

    リクルートの江副の話に戻ろう。
    実は江副浩正は愛媛県今治市生まれなのだ。

    1936年(昭和11年)6月、江副良之、マス子の長男として母親の郷里の愛媛県越智郡波方村(現在の今治市)に生まれた。父・良之は教師。良之の最初の赴任校、今治実科高等女学校の教え子が浩正の実母マス子(旧姓菊川)である。

    その後、大阪府豊中市に転居(借家住まい)。
    豊中の市立小学校から兵庫県の私立甲南中学・高校に進学。
    当時、甲南に通う生徒は、高級住宅地の芦屋、御影に邸宅を構える資産家の子弟か、中流以上の家庭の子弟が大半で、数学教師の息子にすぎない江副のような生徒は、きわめて少数派の部類に属していた。
    江副は勉強でもスポーツでも飛び抜けたところはなく、同級生の間に印象らしい印象を残していない。
    江副の東京大学合格は甲南の同級生たちの間でしばし話題となった。



    江副は東京大学新聞で広告を担当していた。
    新聞なんてただの紙だから費用がなく出来るんだろうと思うかもしれないが、少なくとも紙代と印刷費はかかる。
    さらに東京大学新聞は学生が自身の考えや主張を記事にするのではなくて、原稿依頼して書いてもらうという手法を多用していた。(東大全共闘ですら三島由紀夫を呼んでましたね)
    依頼したのは東京大学出身者が多いが、現役学生の意見や主張ではないのだ。(全共闘だって三島を呼んで来たら霞んでしまうわけですよ)
    そして人に頼むとしたらなかなか無料では出来ない。謝礼くらい必要ですよね。
    費用が余分にかかるわけだから、その費用を捻出しなければならない。
    ということで広告。
    東大というネームバリューと東大出身者の評論家をチラつかせて企業に営業に行く。
    「学生新聞に広告出してもね~」と渋い顔される。
    「じゃあ求人情報はどうですか?安く使える優秀な人材が集まりやすよ!」
    「ほほ~そうかぁ、それはいいかもしれないな」

    その後、江副浩正は株式会社大学広告という会社を設立した。これがリクルートの前身である。
    リクルートはベンチャー企業の先駆けであり、江副浩正はベンチャー起業家の先駆者である。
    しかしながら求人情報でお金を稼ぐ(求人情報を掲載して企業から料金を得る事)は限りなく違法に近いグレー商法である。
    但しこれまで取り締まりされたことはない。癒着を疑われても仕方ないであろう。

    先日六本木ヒルズの森ビルのことを書いたが、森ビル創業者で初代社長である森泰吉郎の次男で、六本木ヒルズで森ビルの名を売り実質的創業者ともされる森稔は東京大学新聞の先輩であり、江副とは親しい間柄であった。
    (江副の株式会社大学広告は)森稔が経営する賃貸ビル「第2森ビル」の屋上に仮設事務所を借りて事業を行った。

    六本木ヒルズの地はかつて長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷が置かれていた。
    長州というのは山口県。安部首相の祖先の出身地。

    六本木ヒルズ誕生前は、テレビ朝日周辺の六本木六丁目は住宅密集地だったこともあり道路が狭く、消防車が通行する事も困難な状況であったため、1990年(平成2年)に同局本社の移転も兼ねた再開発計画地域に指定された。愛称で「六六(ろくろく)」と呼ばれているのも六本木六丁目が由来となっている。なお、この付近の再開発の先行事例として、同じく森ビルが行った赤坂アークヒルズがある。

    1984年 - アークヒルズ完成に伴いテレビ朝日の本社が一時移転。権利変換により森ビルが地権者となり、ここを中心にアークヒルズに続く大規模な都市再開発計画が同社内でスタートした。
    1984年 - この大規模な都市計画が六本木六丁目であることから、66再開発と呼ばれた。
    1993年 - 森ビルの働き掛けをきっかけに東京都も加わり、「六本木六丁目地区第一種市街地再開発事業」を開始。住民による勉強会が行われる。

    計画の立案後にはバブル崩壊や反対派住民による抵抗などの紆余曲折があり、その完成までには約17年の歳月を要した。
    (竣工・開業は2003年)

    開業が2003年4月25日なので以前書いた記事には尾崎豊の命日と書いたが、なぜ尾崎豊が出てくるかと言うと、尾崎豊のラブレター(?)にリクルートと江副社長が出てくるからです。


    東京の一等地の不動産に建物を建てるほどリクルートを成長をさせたが、新興企業であることで既存の大企業からは距離を置いて見られ、財界では孤立していた。財界でリクルートを注目させるべく政界を初めとして様々な業界との交流を深めようとしたが、それがリクルート事件のきっかけとなった。

    求人広告は限りなく違法に近いので、リスクマネジメントできている大企業から距離を置かれるのは仕方がない。

    江副浩正はリクルート社会長が自社の政治的財界的地位を高める目的で、有力政治家、官僚、通信業界有力者にリクルート社の子会社であるリクルート・コスモス社の未公開株を譲渡した。未公開株の取引相手は、1984年12月20から31日の期間に39人、1985年(昭和60年)2月15日に金融機関26社に、4月25日に37社および1個人にわけられる。
    1986年(昭和61年)6月に藤波孝生元官房長官ら政財界へのコスモス株譲渡がおこなわれた。



    中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄など大物政治家、官僚やNTTなど、およそ150名に200万株に上るリクルート・コスモス社の未公開株がばら撒かれていた。
    未公開株を配っておいて、新規株式公開(上場)する。
    前評判が高くて高い株価が付けば、それを転売して儲けるというわけである。
    一株3000円の株に付いた初値は5270円。最初の支出が無ければ丸儲け。
    値上がり確実な未公開株を店頭公開前に譲渡することで利益を供与する。違法である。

    1986年(昭和61年)10月30日にリクルート・コスモス株は店頭公開された。譲渡者の売却益は合計約6億円とされている。


    それは東日本大震災発生の4日後であった。
    日本航空新経営陣は第三者割当増資(未公開株割当)を行ったのだ。
    第三者割当は縁故採用ならぬ縁故割当。特定の第三者、要するに縁故者に株を割り当てる(引き受けてもらう)ことである。今までその会社の株主であったかどうかは関係ない。

    2011年3月15日 - 京セラ(250万株)、大和証券グループ(250万株)、東京海上日動火災保険(75万株)、損害保険ジャパン(25万株)、ジェイティービー(15万株)、阪急交通社(10万株)、あいおいニッセイ同和損害保険(5万株)、三井住友海上火災保険(5万株)を引受人とする127億円(635万株、1株あたり2000円)の第三者割当増資(未公開株割当)を行う。

    2011年3月28日 - 会社更生終了。民間企業に復帰する。

    2011年4月1日 - 日本航空株式会社に商号変更、日本エアシステムとの経営統合前の商号に復活する。

    2011年8月16日 - カンタス航空グループ、三菱商事との合同出資でジェットスター・ジャパンを設立し、LCC事業に参入することを発表。

    2012年9月19日、日本航空は再上場した。
    初値は売り出し価格(3790円)を20円上回る3810円だった。時価総額は約6900億円と世界の航空大手の中でも屈指の規模。世界の株式市場では米フェイスブックに次ぐ今年2番目の大型上場となった。(当日の日本経済新聞より)

    未公開株はインサイダー取引(未公開情報を利用した不公正取引)に抵触しない。
    未公開時の販売価格よりも市場価格が大幅に上回れば大儲けできる。
    大儲けできると分かっている予想できる未公開株を普通は赤の他人になんか渡したくないはず。
    だから特に縁故でもないのに未公開株をやたら勧められたら疑ったほうがよい。大損するかも。
    (U2のボノさんはフェイスブックの未公開株で大儲けしたんじゃなかったっけ?)

    第三者割当(縁故割当)の場合、一般販売価格よりも安く取得している。
    日本航空の場合、売り出し価格の半分だったと言われている。
    だから上記日経の記事の20円アップには当てはまらない。それはあくまでも一般価格。
    縁故者はもっとずっと大儲けしているはず。
    縁故者間の「未公開」なのだから半分にさえ届かず、あってないような価格だったりして。



    加計学園の獣医学部新設問題で証人として登場した加戸元愛媛県知事はリクルート事件に関係している。
    彼は文部省(文科省)の人間だった。

    加戸守行
    関東州大連市に生まれる。愛媛県八幡浜市の愛媛県立八幡浜高等学校を卒業。東京大学法学部を1957年に卒業し、文部省(現文部科学省)に入省。

    リクルート社からゴルフ接待を受けていたことなどから文科省官房長を辞職した。
    リクルート事件で逮捕されたのはリクルートの江副会長、NTTの真藤会長とその秘書くらいで、政治家では自民党の藤波孝生議員、公明党の池田克也議員が在宅起訴されたたが、大物政治家に司法の手が伸びることはなかった。
    しかしこの事件によって総理大臣の座が遠のいた人もいた。
    渡辺善美氏の御父上(渡辺美智雄)や安倍総理の御父上(安倍晋太郎)など。
    リクルートはこの事件によって経営難に陥り、バブル景気の終焉も重なって、所有していた不動産を手放していった。
    こちらには「新橋のリクルートには私も行ったことがある」と書いたが、看護職として行ったのだった。1990年代のことだ。



    加戸は東京大学卒業後に文部省に入省し、文化庁で著作権ビジネス確立に関与した。
    1970年7月から1974年6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を制定、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席している。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。現行の著作権法の草稿執筆者としても知られている。著作権の権威であり著書の「著作権法逐条講義」は著作権法を学ぶ者にとって必読の書となっている[要出典]。 

    1988年に大臣官房長に就任するも、リクルート事件との関わりで1989年4月に辞職した。
    その後は公立学校共済組合理事長に、いわゆる天下り。
    さらに日本芸術文化振興会理事長、日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長などを歴任。
    1999~2010年、愛媛県知事であった。
    2011年度より大阪国際大学客員教授を務める。2012年、秋の叙勲において旭日重光章を受章。2013年1月より教育再生実行会議の委員を務める。






     

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    # by yumimi61 | 2017-07-25 16:44
    2017年 07月 24日
    COOL CHOICE
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    # by yumimi61 | 2017-07-24 23:15
    2017年 07月 23日
    日本国憲法の秘密-521-
    第一次世界大戦はドイツが敗北し連合国が勝利したが勝敗に関わらずヨーロッパはみな疲弊した。
    終盤の参戦によってひとり勝ち組状態となったのがアメリカである。
    これによりアメリカの工業生産は絶好調となる。
    ニューヨークは世界有数の大都市となり、ウォール街は世界をリードする金融センターとなった。
    NYダウ工業株は上昇を続け、株価が下落するなんて誰も思わなかった。株投資はブームにもなっていた。
    しかし青天井なんて存在しない。上がったものは必ず落ちる。
    そうでなければバランスが取れない。
    もしもこの世のどこかに永久が存在したとしても、永久は許されない運命にある。
    悲しいかな、だからこそ世界は概ね平和で継続していけるのだ。
    そのバランスを失えば、世界は終焉に向かうだろう。
    1929年株価が大暴落した。

    ゴールドマン・サックスは、この1929年株価大暴落時に株価操作とインサイダー取引に関与したことが明るみになって、信用はがた落ちとなった。
    ウォール街の諸悪の根源とまで言われたゴールドマン・サックスを立て直したのは、シドニー・ワインバーグ。

    シドニー・ワインバーグもユダヤ系移民である両親の元に生まれている
    しかし彼は著名な金融家の2世でもなければ、アイビーリーグのような馬鹿高い学費のかかる名門大学を卒業したエリートコースを歩んでウォール街に就職してくる若者とも違った。
    学歴で言えば「小学校しか出ていない」というタイプであった。中学校を退学して社会に飛び出す。
    父親は卸売業者であった。両親は子沢山であり兄弟姉妹が多かった。
    家族はブルックリンのシナゴーグ(ユダヤ教のコミュニティセンターのような場所、会堂あるいは神殿)の中心的なメンバーであり、熱心なユダヤ教徒であった。
    小学校しか出ていない少年が、ゴールドマン・サックスの管理人のアシスタントとして週3ドルで雇われ雑用係となり、経営一族であるサックス家に気に入られ、やがてCEOにまで上り詰め、名だたる新聞雑誌から「ミスターゴールドマンサックス」や「ミスターウォール街」、「役員の中の役員」と呼称されるようになる。
    アメリカ・ウオール街、いや世界の金融業界の顔になったのだ。

    彼は株価大暴落の翌年1930年にゴールドマン・サックスの幹部となり、信用が落ち倒産危機にあったゴールドマン・サックスでリーダーシップを発揮し、諸悪の根源(単なる詐欺師集団!?)から最強の投資銀行(天才的詐欺師集団)へと生まれ変わらせる。
    ゴールドマン・サックスのトップの地位だけでなく、フォードをはじめとする30社以上の大手企業の社会取締役を務めた。
    それらの企業は当然みなゴールドマン・サックスの顧客である。彼は財界のアドバイザーとなったのだ。
    選挙資金を提供し大統領にも近づき政府の財務部門にも人材を送り込む。政界のアドバイザーでもある。
    そうしたゴールドマン・サックスを築き上げたのは小学校しか出ていないワインバーグである。
    亡くなる1969年までその地位にあった。
    ゴールドマン家が創業したゴールドマン・サックスは、その後サックス家に支配され、1929年の大恐慌後はワインバーグ家が象徴となった。



    以前の記事で私はゴールドマン・サックスのことを「大手企業の株を買い漁り、空売りも辞さないというやり手の銀行」と書いた。
    空売りとは株を持たずに売買に参加することである。
    どうしてそんなことが出来るかと言えば、株券の貸借を専門に行っている証券金融会社という会社があるからである。
    そこから空売り用の株券を借りて売買を行う。
    借りたものは返す必要がある。返さないとか踏み倒しとかはダメダメ。そんなんじゃ空売りも成り立たない。
    空売りは信用の上に成り立つ信用取引の1つである。
    もっともどんな企業の株券でも借りられるわけではなくて、空売りをしようと思っている時に賃借銘柄に指定されている会社でなければならない。
    空売り目的で借りたわけだから、売らずにいつまでも悠長に保有しているというわけにもいかない。目的が違う。

    借りて返すのがポイント!だから、売ったら買い戻す必要がある!! これが空売り。

    例えば
     現在500円の株価の株を1000株借りた。借りた株を即座に売る。
     500×1000=500,000・・・50万になった。
     でも借りた株は返さなければならないから買い戻す必要がある。
     株価が下がって300円になっているから買い戻した。
     500×1000=300,000・・・30万円支払った。
     50-30=20万円の儲け。
     簡単に言えばそいうことである。

    空売りの場合、株価が下がったほうがいいのだ。
    通常の場合、買った時より株価が上がったほうがいい。上がるとみんな喜ぶ。上がれば資産価値も増える。
    株価上昇に市場は沸く。
    安く買って高く売るのが儲けの基本だが、実際のところ高いものは財力のある人しか買えないし、高く推移している株は手放したくないという人も出てくる。
    株価が落ち着いて高めで推移している時には意外に市場は活性化されにくい。
    でも空売りは株価が下がる局面で儲けることが出来るのだ。下落幅が大きければ大きいほど投資家の利益は大きくなる。
    天才騎士であったナポレオンが失脚して株を上げたのはローマ教皇やイエズス会であったことを思い出す。
    下落幅が大きければ大きいほど、つまり落ちた者が高いものであるほど、誰かは利益に与る。

    株価の変動は値幅制限があって1日の中では上下の幅が決められている。ストップ高、ストップ安と呼ばれているものである。
    でも1日を超えて長期的に見れば株価自体に制限はない。
    制限はないと言っても株価にマイナスは付かない。下は1円ということになる。
    500円の株が最大下がっても1円まで。1000円の株が最大下がっても1円まで。10000円の株が最大下がっても1円まで。
    だから最大利益は計算できる。獲らぬ狸の皮算用。(獲らぬものは計算などしない?)
    利益は株価の範囲内にある。それを飛び越えることは決してない。
    一方上には上限がない。だから最大赤字は計算できない。青天井なのだ。
    ハイリスクハイリターンではなく、ハイリスクローリターン。理論上はそういうことになる。


    あなたはアメリカンドリームという言葉に何を思い浮かべますか?
    スポーツ選手ですか?映画俳優ですか?ロックスターですか?起業家ですか?金融家ですか?大統領ですか?
    私は子供の頃、アメリカンドリームって桁違いな、つまり限りない成功だと思っていた。
    計算できる最大利益ではなくて、計算できなかった最大利益を得る事。
    こんな人生を送ってきたこの人の成功はこの程度で生涯獲得するマネーはこれくらい。そうした予想を大幅に覆すこと、それがアメリカンドリームだと思っていた。
    つまりそれは言い方を変えると不相応な最大利益を得るということにもなる。
    どうして不相応な利益を誰かに与えるかといえば、その他大勢の者に夢を見させて競争させて現実的感覚を麻痺させるため、そう考えていた。
    多くの人が予想することならばドリームと言うほどでもない。誰にも彼にも起こることもドリームと言うほどのことではない。
    もしも収支の計算が出来ない予想外や想定外が多くなりすぎれば会社や国家というものは財政破綻してしまうはずだ。
    アメリカンドリームの下に安心して生きることは出来ないから、そこには必ず計算があるはずだ。
    アメリカンドリームは偶然でも奇跡でもない、誰かによって計算され尽くされて作られている。
    そう思っていたのだけれど、アメリカンドリームにはちゃんと定義があるらしい。

    アメリカン・ドリーム
    アメリカ合衆国における成功の概念。 均等に与えられる機会を活かし、勤勉と努力によって勝ち取ることの出来るものとされ、その根源は独立宣言書に記された幸福追求の権利に拠る。

    機会が均等に与えられているから、誰でも成功できる可能性がある。それがアメリカンドリーム(アメリカの夢?)だと言う。
    独立した新しいアメリカという国では個の主張は許されない。アメリカの市民権を得たら、あなたも私も「アメリカ人」ということになる。
    そのかわり、アメリカ人には等しく機会があって、人種や民族や家柄や学歴や性別などによって成功が閉ざされることも約束されるということもない。
    自由と平等の国、それがアメリカ。
    そういう意味で間違いないでしょうか?








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    # by yumimi61 | 2017-07-23 17:26
    2017年 07月 23日
    日本国憲法の秘密-521-
    第一次世界大戦はドイツが敗北し連合国が勝利したが勝敗に関わらずヨーロッパはみな疲弊した。
    終盤の参戦によってひとり勝ち組状態となったのがアメリカである。
    これによりアメリカの工業生産は絶好調となる。
    ニューヨークは世界有数の大都市となり、ウォール街は世界をリードする金融センターとなった。
    NYダウ工業株は上昇を続け、株価が下落するなんて誰も思わなかった。株投資はブームにもなっていた。
    しかし青天井なんて存在しない。上がったものは必ず落ちる。
    そうでなければバランスが取れない。
    もしもこの世のどこかに永久が存在したとしても、永久は許されない運命にある。
    悲しいかな、だからこそ世界は概ね平和で継続していけるのだ。
    そのバランスを失えば、世界は終焉に向かうだろう。
    1929年株価が大暴落した。

    ゴールドマン・サックスは、この1929年株価大暴落時に株価操作とインサイダー取引に関与したことが明るみになって、信用はがた落ちとなった。
    ウォール街の諸悪の根源とまで言われたゴールドマン・サックスを立て直したのは、シドニー・ワインバーグ。

    シドニー・ワインバーグもユダヤ系移民である両親の元に生まれている
    しかし彼は著名な金融家の2世でもなければ、アイビーリーグのような馬鹿高い学費のかかる名門大学を卒業したエリートコースを歩んでウォール街に就職してくる若者とも違った。
    学歴で言えば「小学校しか出ていない」というタイプであった。中学校を退学して社会に飛び出す。
    父親は卸売業者であった。両親は子沢山であり兄弟姉妹が多かった。
    家族はブルックリンのシナゴーグ(ユダヤ教のコミュニティセンターのような場所、会堂あるいは神殿)の中心的なメンバーであり、熱心なユダヤ教徒であった。
    小学校しか出ていない少年が、ゴールドマン・サックスの管理人のアシスタントとして週3ドルで雇われ雑用係となり、経営一族であるサックス家に気に入られ、やがてCEOにまで上り詰め、名だたる新聞雑誌から「ミスターゴールドマンサックス」や「ミスターウォール街」、「役員の中の役員」と呼称されるようになる。
    アメリカ・ウオール街、いや世界の金融業界の顔になったのだ。

    彼は株価大暴落の翌年1930年にゴールドマン・サックスの幹部となり、信用が落ち倒産危機にあったゴールドマン・サックスでリーダーシップを発揮し、諸悪の根源(単なる詐欺師集団!?)から最強の投資銀行(天才的詐欺師集団)へと生まれ変わらせる。
    ゴールドマン・サックスのトップの地位だけでなく、フォードをはじめとする30社以上の大手企業の社会取締役を務めた。
    それらの企業は当然みなゴールドマン・サックスの顧客である。彼は財界のアドバイザーとなったのだ。
    選挙資金を提供し大統領にも近づき政府の財務部門にも人材を送り込む。政界のアドバイザーでもある。
    そうしたゴールドマン・サックスを築き上げたのは小学校しか出ていないワインバーグである。
    ワインバーグは死去した1969年までその地位にあった。
    ゴールドマン家が創業したゴールドマン・サックスは、その後サックス家に支配され、1929年の大恐慌後はワインバーグ家が象徴となった。










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    # by yumimi61 | 2017-07-23 17:26
    2017年 07月 21日
    日本国憲法の秘密-520-
    リーマン・ブラザーズ・・・・・(サミュエル・サックス)・・・・ゴールドマン・サックス
                  友人・社員           姻戚・社員


    リーマン家、サックス家、ゴールドマン家、みなドイツ・バイエルンからの移民であるユダヤ人である。

    サミュエル・サックスは創業者マーカス・ゴールドマンの娘婿である。
    マーカス・ゴールドマンには実の息子もいた。
    娘婿とともに息子ヘンリー・ゴールドマンも会社を引き継いだ。
    ところがこの2人、第一次世界大戦勃発後に確執が表面化。
    ヘンリー・ゴールドマンは自身のルーツであるドイツを支持することを表明。
    JPモルガンが主幹事だったイギリスとフランスの戦時公債の引き受けにゴールドマン・サックスが参加することを拒否した。

    第一次世界大戦
      (同盟国)ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア帝国
      (連合国)フランス共和国、イギリス帝国、ロシア帝国、ベルギー王国、セルビア王国、大日本帝国、
           イタリア王国、ルーマニア王国、アメリカ、ギリシャ王国、中華民国など多数

    サミュエル・サックスはじめ他の社員は連合国支持であった。
    ゴールドマンもサックスもドイツにルーツを持つ家系ではあるが、アメリカに渡った移民であり、アメリカで会社を起こした。移民2世である彼らはアメリカ生まれである。
    アメリカの動きによってはドイツ支持はかなり難しい立場となる。
    それが現実的になった。
    アメリカは遅れて1917年に連合国側で参戦したのだ。
    同年ヘンリー・ゴールドマンは会社を引退せざるを得なかった。
    以後ゴールドマン・サックスは実質的にサックス家による支配のもと拡大を続けた。

    ヘンリー・ゴールドマンはその後ドイツをベースに生活や仕事をしている。
    強力なドイツ支持者であったが、反ユダヤであるナチスが権力を掌握した1933年にドイツを離れた。
    そして1937年には亡くなったので、彼は第二次世界大戦を知らない。



    ゴールマン・サックスを去りドイツに渡ったヘンリー・ゴールドマンは、ドイツで原子物理学者を支援していた。
    ドイツの産業界がロスチャイルドなどの庇護なく凄まじい発展を遂げたことは他国に脅威を与えるほどだったわけだが、科学においても抜きん出ていて、特に当時まだ新興学問であった原子物理学のメッカとなっていた。
    ヘンリー・ゴールドマンはアインシュタインなどのパトロンであったのだ。
    アインシュタインはドイツのウルムで生まれたユダヤ人である。
    そのウルムには当時世界一の高さを誇る尖塔があった。
    ルター派福音主義教会のウルム大聖堂である。
    高さが162メートルほどだそうで、現在においても教会堂建築としては世界一。

    1922年にシュテルンとゲルラッハが行った実験(シュテルン=ゲルラッハの実験)の資金を援助していたのもヘンリー・ゴールドマンだった。
    シュテルンとゲルラッハはどちらもドイツ生まれのドイツ人。ユダヤ人ではない。
    シュテルンはアインシュタインの弟子であった。

    シュテルン=ゲルラッハの実験
    加熱して蒸発させた銀粒子をビームとして磁界中に通過させると、ビームは2点に分かれることを示した。これは、電子にスピンがあることを示す。

    当初の実験の目的と違って不思議な結果が出た。
    電子がスピンしている?電子は粒子なのか?原子核の周りを粒子が回っていてスピンもする?どれくらいの速さで?
    実験の結果から導き出される理論は古典的物理学では説明が付かなかった。
    その時シュテルンとゲルラッハは30代の研究者。
    彼らは師に相談した。アインシュタインや、アインシュタインの友人でもあったエーレンフェストである。
    謎と問題を多く抱えたまま論文発表したのはエーレンフェストであった。
    しかしながら古典物理学では説明のつかないことなので、量子力学が解釈するに至る。

    ナノスケールの半導体中で実現
    2012年に東北大学、京都大学、東邦大学、日本電信電話らの研究グループは、強磁性材料や外部磁場を全く用いずに、半導体中を流れる電子のスピンを一方向に揃える手法を確立した。本実験は、量子力学の基本原理であるシュテルン−ゲルラッハ効果をナノスケールの半導体中で実現したことに相当する。
    (強磁性体や外部磁場を用いずに電子のスピンを揃えることに世界で初めて成功 -半導体中でシュテルン‐ゲルラッハのスピン分離実験を実現)



    エーレンフェストはオーストリア出身のユダヤ人。
    ウィーンの食料品店を営むユダヤ系の家庭に生まれる。子供の頃から数学に才能を見せる。最初大学では化学を専攻したがウィーン大学でルートヴィッヒ・ボルツマンの講義を聴き理論物理学の道に進む。
    1905年プランクの黒体放射の理論に関する論文を発表。
    1911年量子力学に関する重要な論文を発表。
    1912年ライデン大学(オランダ)教授に就任。
    1931年頃から精神を病み、1933年、ダウン症の息子を射殺した後、自殺した。



    ユダヤ人であるヘンリー・ゴールドマン、同じくユダヤ人であるアインシュタイン、アインシュタインの弟子だったドイツ人のシュテルン、彼らはみな1933年にアメリカに移った。
    「シュテルン=ゲルラッハの実験」をしたもう一人の研究者ゲルラッハはアメリカに移住していない。
    ずっとドイツにいて国家や軍の組織に深く関係している。
    第二次世界大戦時にはドイツの原子物理学を率いていた。
    つまりドイツの原子力、核兵器の開発に関与していたということになる。
    そのためドイツが降伏した後、敵であった連合国に拘束されてもいる。








     
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    # by yumimi61 | 2017-07-21 17:59