2011年 03月 22日
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反戦 反核 いったい何ができるというの

小さな叫びが聞こえないこの街で


---尾崎豊  『核(CORE)』より---  







先日書かせてもらったこちらのブログで尾崎豊さんの名前を見かけたので、今日は私も尾崎豊さんの話です。
以前からとても不思議に思っていたことがあるのです。


彼の死自体が不思議といえば不思議なのかもしれませんが、今日書くのは写真の話です。

尾崎さんが亡くなったのが1992年4月。
明け方、足立区千住河原町の民家の軒先で傷だらけで倒れていた(転げ回っていた?)ところを発見通報され、
墨田区の白鬚橋病院に救急車にて運ばれたそうです。
彼を発見した民家の方、警察官、病院の医師の証言をあたってみると、この時の彼は意識不明ではなかったようです。

彼は午前中のうちに、奥様とともに自宅へ戻られたということですので、そのことからも体調は悪かったにせよ意識はあったということになります。
しかし自宅にて容態が急変し、日本医大病院に救急搬送されるも意識は戻らず死亡が確認された・・・。
これが一般に伝えられている彼の最期です。


それから7年後の1999年、写真週刊誌に蘇生処置をしている尾崎さんの写真が掲載されました。


私が疑問に思ったのはその写真です。
これです。
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実際の写真週刊誌は私の手元にはなく、ネットの中にあったものです。


疑問点などをあげてみます。


■当時、救急隊員には気管挿管は出来なかった。

写真を見ると、確かに蘇生処置が行なわれていて、気管挿管も施されているようです。
しかし、気管挿管は当時、医師または歯科医師以外の者が行なうことを許されていなかった医療行為です。
救急車で駆けつける救急隊員であろうと気管挿管を行なうことは出来なかったはずなのです。

所定の講習と実習を受けた救急救命士に気管挿管が法的に許可されたのが2004年。
つまり尾崎さんの亡くなった1992年、写真の掲載された1999年には、救急隊員に(救急救命士であろうと)気管挿管は許されていなかった。

ただし違法と知りながら、救急救命士が気管挿管を行なっていた自治体が実際にはあったようで、
その法令違反の発覚がきっかけとなって救急救命士の気管挿管を認める法律が出来ました。

当時、東京都の一部でも違法の気管挿管が行なわれていたのかは分かりません。
でも、どうでしょうか。
違法と知りつつやっていたとすれば写真など撮られたくないはずです。当然拒むのではないでしょうか。


■そもそも誰に写真が撮れたのか。

繁華街ならともかく、明け方の民家の軒先にたまたまカメラを持った人が居合わせたとは考えにくい。
当時はまだ携帯電話も普及していません。カメラ付携帯を誰もが持っている時代ではないのです。
あらかじめカメラを用意し、彼の後をつけていたとか、彼がそこにいることを知っていたという人でなければ難しいと思うのです。
且つ、救急隊員に拒まれることなく(拒まれても)写真の撮れる人間とはいったい?


■気管挿管とは心肺停止患者の気道確保のために行なわれる。

前述しましたが、民家の軒先で彼が発見された時には意識があったようです。
自宅に戻るまでには会話も交わされているようです。
とすれば、蘇生処置、特に法を犯してまでの気管挿管などするわけがないのです。
百歩譲って気管挿管がされていたとしても、気管挿管をするほどの患者であればわずか数時間後に自分で帰宅することはありえないし、
経過を見ずに医師が帰宅させたとも到底考えられない。
つまりあれは、最初に発見されて白鬚橋病院に搬送されるまでに撮られた写真ではない。

ちなみに、白鬚橋病院は救急医療や災害医療に力を入れており、現在、二次救急医療機関であるほか、
東京都災害拠点病院、東京DMAT指定医療機関(大学病院を除く民間医療機関としては唯一の指定)となっています。 wikipediaより
今回の大地震に際しても医療救護班を編成し東北入りされているようです。


では、自宅から日本医大病院までの間に行なわれた蘇生処置なのでしょうか?
そうなるとまた、誰がこの写真を撮ったのかという問題に突き当たります。
自宅から救急車で病院へとなると、屋外で倒れたという状況よりも密室性が高い。
また写真では病院内には見えません。
もしこれが自宅からの救急搬送の時に撮られた写真なら、(カメラを持っていた)ごく限られた人にしか撮れるチャンスはなかったはずです。



■皮膚はただの擦過傷や打撲傷?

写真を見るかぎり尋常な状態ではないように思えます。
一度病院を受診しておきながら、この状態で病院側が帰宅させることも、家族が連れてかえることもちょっと信じ難い。
写真だからよくは分からないけれど、炭のような黒い色は土か痣か?
土や汚れだとするなら、何故自宅に戻りながら尚もこのような状態だったのでしょう。
またそれが痣だとすればとても自宅に戻す気持ちにはならないと思うのですが・・・。

警察は不可解な点はないとしたそうですが、何を持ってして不可解な点がないのか、私はとても不可解です。
署名による再捜査嘆願書も受理されることはありませんでした。
また、検死をした支倉逸人氏の著書『検死秘録』」(光文社)には、擦過傷と打撲傷をじっくり調べたが他殺をうかがわせるようなものはなかったとの記述があるそうです。
支倉逸人氏は後に地下鉄サリン事件の被害者の検死も担当されている権威ある方のようです。
地下鉄サリン事件の裁判の証人として出廷もされています。

写真週刊誌に彼の写真が掲載された後に発行された本のようですが、掲載された気管挿管の写真は知らなかったのでしょうか。


■写真は本当に尾崎さんだろうか?

これも疑ってみました。
別人の写真だとか、作り物だとかいうことはないのだろうかと。
でも顔(特に眉)の感じは確かによく似ています。
目のところの痣があったというところなど証言とも一致しています。

そういう写真を作成したのではないかとも考えました。
でも7年も経ってからそんなことをする意味とは?

ご家族からの差し止め請求や「写真は本物ではない」という訴えもないようなので、やはりあれは尾崎さんだと考えるべきなのでしょう。
最期を見ているはずのご家族なら偽者ならわかるはずですから。
週刊誌は一度だけでなく何度か掲載しているようですし。


■何故7年後にこの写真が写真週刊誌で公表されたのだろうか。

いったい誰が何のために? 誰から誰に渡ったのか? 
1992年当時に撮られたものなら何故もっと早く出てこなかったのでしょうか?
1999年である必要があったとか?




彼の死については多くの人がいろいろなことを言い、19年経った今なお語られているくらいです。
テレビや雑誌、ネットなどを通して、実に多くの人が彼の死に接しています。
蘇生処置といわれる写真も出回っています。
これだけ多くの人が接しながら、誰もこの根本的な疑問をあげている人がいなかったのです。
もしかしたら気付いていた人はいたのかもしれません。
私が今日までこの疑問をこんなふうに言うことができなかったように、気付いたとしても言えない、言う機会もないという人は多いのかもしれません。

でも多くの人はそのことには気付けなかったのではないでしょうか。
気管挿管のことなどは専門的なことだから仕方ないという面はあります。
救急隊の気管挿管が社会問題になってニュースで取り上げられた時期もありましたが、大多数の人にとっては身近な問題ではなかったと思います。

そこにはっきりと見えていても、見えていないものがある。
写真は真実でも真実を語っていないかもしれない。言葉も然り。
何かに呑み込まれてしまう、その恐怖を感じる時があります。


あってはいけないことなのに、あってはいけないことを中心にして、その他のことが上手く辻褄が合っているというのは何故なのでしょう。




今日も夜が停電でした。でも先日よりは時間は短かったです。
こちらでは、ガソリンは今もって買えない状況です。
ガソリンスタンドは半日位しか営業していなくて、行列、ガソリン待ちのための渋滞、前日の夜から並んでいたりする・・・。
私の車のガソリンも残り僅かなので大切に乗っています。

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by yumimi61 | 2011-03-22 23:58


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