2012年 05月 08日
辻褄
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ジョン・レノンのプライベートビデオ

2008年、オノ・ヨーコはまた訴訟を起こした。
ジョン・レノンのプライベートライフを撮影したビデオの使用を巡って制作会社を訴えたのである。

プライベートビデオを撮影したのは、オノ・ヨーコの2番目の夫であるアンソニー・コックス。
撮影時期はビートルズ解散直前の1970年2月。
撮影場所はイギリスにあったジョン・レノンの大きな邸宅。ヨーコと結婚してから購入した家。
『イマジン』のビデオに出てくるホワイトハウスを彷彿させるあの家である。
フィルムは9時間にも及ぶものだということだ。
このフィルムを制作会社がアンソニー・コックスから買い取り、2時間に編集し『3 Days in the Life』というタイトルで公開しようとしたところ、オノ・ヨーコからクレームが付き裁判沙汰となったのである。


このフィルムにはジョン・レノンがマリファナを吸っているところが映っていたという。
また、ホワイトハウスに行ってニクソン大統領(撮影当時のアメリカ大統領)のお茶にLSDを入れることを話している箇所もあったそうだ。
水道水に混ぜろといったのはスティーブ・ジョブズ
オノ・ヨーコは元々ジョン・レノンの著作権や肖像権に人一倍煩い人ではあるが、それ以上に、これらの場面を公にしたくなかったのではないかと思われる。
裁判についてはこちら
結局、著作権はオノ・ヨーコにあるという判決が下りた。


しかしオノさんは強いですね。裁判で負けたことがあるんでしょうか?
外国では知らないけれど、日本ではそのあたりにも顔(口)が利くそうです。
ジョン・レノンがそう言っていたようです。
それはともかく、私はこのフィルムにはもっと重大な問題があると思うのです。



撮影者は元夫


ジョンのプライベートビデオの撮影者はオノ・ヨーコの元夫アンソニー・コックスであったという。
もう一度、こちらを振り返ってほしい。
アンソニー・コックスが登場した過去記事。(TopT方々

ヨーコが日本の精神病院に入院していた頃に親しくなった(ヨーコ談)というアンソニー・コックスとの間に子供が生まれたのが1963年8月8日。
日本で産んでいて、その後またニューヨークへ行き、1966年にロンドンに渡った。
育児をする気は全くなく、夫にまかせっきり。
日常も旅行も退屈で、仕事がしたくて仕方なく、夫と娘だけでバカンスに追いやる。
その間にヨーコはジョン・レノンと関係を持つ。
離婚もせずにジョン・レノンと暮らし、ビートルズの仕事の現場に同伴し、挙句の果てに麻薬で逮捕され、妊娠もし流産もするといった具合。
2人の全裸の写真を使用したアルバムの発売もこの間の出来事。
アンソニーとの離婚は1969年2月。
翌月の3月20日にジョン・レノンとオノ・ヨーコは結婚。そう、これは地下鉄サリン事件のあった日と同じである。(復習


プライベートビデオが撮られたのは離婚1年後ということになる。
元夫に現在の夫のプライベートビデオを撮らせるなんてことは普通はちょっと考えられない。
離婚までの経緯を考えると尚更。
映像作家でもあった元夫に大金を積んでオノ・ヨーコが依頼したのだろうか?
それとも愛など最初からどこにも存在しなかったのだろうか?
異様な関係が浮かび上がる。

しかも彼らは娘キョーコの親権を裁判で争ったり、誘拐まがいのことをしたと伝えられている。
離婚後にも家族同士のお付き合いがありプライベートビデオまで撮っている人達が裁判や誘拐もないもんだ、と思うのだがどうだろうか?
その後に関係がこじれたのだろうか?仲間割れ?
そうだとすると今更感があるが理由は何だったのだろう?
少なくとも愛情のもつれではないと思うが。



不穏な時代

ジョンのプライベートビデオが撮られたのは、学生運動から新左翼、赤軍派事件に繋がっていったあの不穏な時代である。(構造
ニクソン大統領のお茶にLSDを入れようと画策していた3ヵ月前には日本でも左翼活動家らが首相特別機に特攻を仕掛けることを企てていた。
オノ・ヨーコはジョン・レノンに日本の左翼組織のヘルメットを被せ歌わせた。
その後、ニューヨークに移住し、『イマジン』を発表し、反体制を掲げ政治的活動に積極的に関与した。
世界各地で日本の左翼組織が関わった事件が起きて、日本国内でも群馬~長野(軽井沢)を舞台に「連続リンチ殺人」「あさま山荘立て籠もり事件」など大事件が発生した。

この時代に過激なことをしていた人達が今日の社会で天才や権力者や人格者と敬われ、平和や環境問題に取り組んでいるのである。
表立ってゲバ棒を振り回さなくても彼らはあの頃よりずっと「力」を持っている。
それを必要以上に与えたのは私達でもある。
科学技術はあの頃よりもずっと進歩し、世界はあの頃よりも近く親しくなって均一化した。
端と端ということを考えれば、現在はとても危うい時代であるとも言える。



キョーコの誕生


アンソニー・コックスとオノ・ヨーコとの間に生まれたというキョーコ・チャン・コックス。
キョーコちゃんは、京子ちゃんではなく、キョーコ・チャンで、アグネス・チャン方式だったわけだ。

前述したが誕生が1963年8月8日。
インターネットで調べてみてもこの日付が出てくる。
但しインターネットの場合はコピーなども多いので最初の情報やWikipedia等の有名どころが間違えていると、間違えたものがそのまま伝播し、それが大多数になってしまう可能性もある。
数が多いから正しいというわけでは決してないところが歯痒いところ。
ちなみこのブログは8月3日となっている。
「8」と「3」の見間違いをしたのか、それとも別の根拠があるのかは分からない。
念のため海外のサイトを当たってみたがAugust 8, 1963や8 August 1963であった。
いずれにせよ1963年生まれだということ。


しかしながらキョーコをヨーコが産んだとするならば、この時も前夫と離婚する前に妊娠したことになる。
すんなりとアンソニー・コックスの実子であると認められる状況ではない。

『ただの私』という本の中でヨーコ自身が語っている経過は下記の通り。

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1961年夏 ニューヨークで暮らした最初の夫(一柳慧)が仕事の都合で1人で日本へ帰国

1962年初春 ヨーコも日本へ帰国

その後、2人は東京で、マンションの11階に暮らしていた。
ヨーコは夜中に窓から飛び降りようとし一柳に止められるということを毎晩のように繰り返した。
薬も飲み、しょっちゅう死にたいと考えていて、気が付くと精神病院にいた。
入院中のヨーコにアンソニー・コックスを合わせたのは、他でもない夫の一柳であるという。
彼はヨーコに会うために来日したそうだ。
アンソニー・コックスはヨーコの症状も服用している薬も治療内容も知っていた。
(アンソニーが病院の医者から予め聞き出したとヨーコは書いているが、そうであるならば守秘義務違反である。)
退院後もアンソニー・コックスとは新宿の風月堂で会った。
2人とも孤独だった。そして結ばれた。
一柳と別れたくなかった。別れたくないのに別れざるを得なく、涙が止まらなかった。1963年。

アンソニー・コックスとヨーコは結婚して、渋谷近くの外人村に住んだ。
ここで子供を生んだそうだ。それが京子なのだという。

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一般的に出回っている履歴によるとアンソニーとの結婚は下記年月日となっている。

1962年11月28日 アンソニー・コックスと結婚

1963年3月1日 前夫の一柳慧との離婚が成立しておらず、アンソニー・コックスとの結婚は無効とされる 

1963年6月6日 アンソニー・コックスと結婚



1963年8月8日出産が正期産だとしておおまかな排卵予定日を計算すると1962年11月15日頃となる。
非常に危うい時期に妊娠出産したこととなる。


子供が生まれてからもヨーコはニューヨークが恋しくてたまらず、夫と娘を日本に置いたままニューヨークへ一人で旅立ったそうだ。(1964年)
アンソニーとキョーコがニューヨークのヨーコのところに来たのはそれから半年後のことだという。




キョーコはすでに生まれていた?


ところが不可解なことがあるのだ。
こちらの話と辻褄が合わないのである。

そのリンク先でインタビューされているのは映画作家の飯村隆彦氏。
実は、『ただの私(あたし)』というオノ・ヨーコの本の編者が飯村氏なのである。

その彼がインタビューでこう語っている。


――オノ・ヨーコさんが『LOVE』のサウンドトラックにノイズ音のような音楽をつけていますね。

 その頃、オノ・ヨーコが草月ホールでジョン・ケージたちとパフォーマンス(当時はハプニング)をやるということで、帰国したんですね。そのときにサイレントだったこの作品を見て、一度で彼女は気に入り、ニューヨークで上映した方がいいと言ってくれました。当時、彼女は渋谷のマンションの一三階にキョウコちゃんという娘と暮らしていました。そこへ訪ねていき、音をつけてくれるように頼んだら、その部屋の窓からいきなりマイクを突き出して風の音やノイズを録音したんです。「これ、あなたにあげる」って言って。ところどころ、自動車のサイレンとかが入ってるんですけどね。それが『LOVE』に使われている不可思議なノイズ音のようなサウンドトラックとなりました。


『LOVE』は飯村氏の1962年の作品である。
文中でもこう説明書きがある。
男女の性行為をどこか写っているか分からないほどクローズ・アップして撮った『LOVE』(62、レギュラー八ミリ、一六ミリブローアップ、モノクロ、一五分、音楽:オノ・ヨーコ)

1962年の『LOVE』を制作した時にはヨーコにはキョウコちゃんという娘がいたというのだ。
そして11階ではなく13階に住んでいたという。








*2月27日分の「抗議*1」より目次を作りました。


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by yumimi61 | 2012-05-08 17:13


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