2013年 05月 04日
機宜*93
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12月8日と12月9日

「王政復古の大号令」 慶応3年(1867年)12月9日/新暦では1868年1月3日

「真珠湾攻撃」 ハワイ1941年12月7日朝/日本時間では12月8日未明(旧暦では10月20日)

「ジョン・レノン射殺」 ニューヨーク1980年12月8日夜/日本時間では12月9日昼(旧暦では11月3日)



江戸幕府倒幕(王政復古)クーデター決行は、当初12月8日を予定していた。
しかし、土佐藩(現在の高知県)の後藤象二郎から2日後への延期を要請されたため、やむなく1日延期して翌9日に決行した。
後藤象二郎の息子に後藤猛太郎がおり、その猛太郎の非嫡出子が「キャンティ」のオーナーの川添浩史(本名:川添紫郎)である。
川添という名字は養子先の名字らしい。
川添は高松宮宣仁親王(大正天皇の三男)の国際関係特別秘書でもあった。(大正天皇の長男が昭和天皇)

荒井由実( 松任谷由実)やYMOを世に出した音楽プロデューサーの川添象郎は川添浩史の息子である。
尾崎豊の最後のアルバムのプロデューサーもこの人。
比較的最近では青山テルマをプロデュース。
慶応義塾幼稚舎から慶應義塾高校にストレート進学するも、何故か鹿児島県のラ・サール高校に転校。(カトリック教徒の実母の意向だったらしい)
しかしその後もう一度、悪名高き(?)和光高校に転校。
この川添象郎の2番目の妻が、尾崎豊の奥さんの友人(明子)。


林真理子の『アッコちゃんの時代』という本のアッコちゃんのモデルとなったのは明子さん。(林さんもキャンティの常連だったらしい)
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お若い時の象郎さんと明子さん。
明子さんは私の友人にやや似ているが、それはいいとして。 

こちらは2005年及び2010年のアッコちゃん。
2012年には銀座「熟女クラブ」でホステスとして働き、2013年には昼の仕事に就く予定であるとのこと。
なんでも多額の養育費の切れ目が優雅の切れ目だとかで。印税の権利を手に入れたほうが確実ということね。

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亀田誠治さんと川添象郎さん。
亀田さんは椎名林檎やスピッツなどのアレンジャー・プロデューサー。
東京事変のベーシストだった。
ab bankの資金集めに結成されたバンドBank Bandのベーシストでもある。
(雑誌『オリジナルコンフィデンス2008年3月3日号』の写真)


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痩せた岡村靖幸さんと川添象郎さん。
(岡村靖幸さん来宅!川添象郎オフィシャルブログ画像 2010年11月8日)



4番目だった・・・そうです

上記に「川添象郎の2番目の妻が、尾崎豊の奥さんの友人(明子)」と書きました。
1番目の妻が風吹ジュンで2番目が明子というのが定説ですが、本人(象郎さん)の親告(ブログにて)によれば明子さんは4番目の妻だそうです。
前2人の奥様、なかったことにしてしまい、申し訳ございませんでした。



銀座の高級クラブ勤務時代にスカウトされて歌手及び女優になった風吹さんとの結婚期間は1981~1992年との記述がある。
川添さんと風吹さんが婚姻関係にあるうちに明子さんが川添さんの子供を妊娠し、川添さんと風吹さんが離婚。
そして川添さんと明子さんが結婚したと言われている。これが1992年のこと。
それから15年目の2007年に川添さんと明子さんは正式に離婚し、川添さんは別の女性と結婚。
この時、川添さんはすでに10年近く明子さんと別居していたと話している。
それから明子さんとの子供が2007年春に高校に入学したとも言っている。(2007年度に16歳になった息子がいる)
ということは1991年(早生まれなら1992年)には子供は生まれていたということになる。
また明子さんは別居期間中に他の男性の子供を生んでいたが、川添さんはそれを全く知らなかった(厚生年金手続きで発覚)。
離婚していなかったので川添さんの子供になっていたが、家族が増えたので目出度いことと寛容。


どこぞのヨーコさんも顔負けな感じ。

明子さんの後の川添さんの妻も「陽子」というらしい。ひえ~?

明子さんが4番目の妻だとすると吹雪さんは3番目ということになるから、風吹さんの前に2回結婚していたのかぁ。
川添さんは1941年生まれということだから吹雪さんと結婚したときが40歳くらい。ありえなくないな。



春樹の奥さんも陽子

村上春樹さんの奥さんも陽子である。旧姓は高橋陽子。現在は村上陽子。
1991年にこんな本を出版したこともある。

陽子さんは三代続いた文京区生まれであるということなので江戸っ子であるわけだが、江戸っ子は好きではないと思われる。
何故かと言えば、江戸っ子は「義理と人情とやせ我慢」と言われるから。
ご近所や親戚、会社や学校などで関わる人達、いわゆる世間一般のおつきあいを重視しなければならない。
義理人情が一緒の時もあれば、義理と人情の板挟みに苦しむこともある。
それでも顔で笑って心で泣いて。
上野国(群馬県)風に言えば「雷と空っ風 義理人情」。

しかし村上夫妻は親戚の冠婚葬祭などにも一切出席しないのだそうだ。春樹さんが何かにそう書いていた。
社会生活を営んでいると、そうしたくてもこれはなかなか出来るものではない。
江戸っ子なんか完全否定である。


では「三代以上つづいた山手線内側っ子(というんだそうである)」という言葉は何を言っているのか?
江戸っ子の定義を踏襲しつつも江戸っ子を否定した生き方。そう、大事なのは江戸っ子ではなく、山手線内側っ子なのである。
「江戸っ子」だとか、「23区生まれ」だとか、「あの世田谷よ」とか、「ふん、昔は新宿も渋谷も田舎だったわよ」とか、東京人にもいろいろ言い分がある。
「東京」で一括りにしたら、「あなた田舎者ね」と言われること間違いなし。
東京人には東京人のプライドとステイタスがあるのだ。
陽子さんに根付くそれは山手線内側なのではないだろうか?

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by yumimi61 | 2013-05-04 15:55


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