2013年 08月 12日
器官23
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韓国からの留学生(!?)にもらった「ノリゲ」他





みんなの党

前の記事に転載したように、2012年8月に後藤氏の出馬や群馬1区が次期衆院選で激戦になりそうだということが報じられた。
たぶんそれより前のことだったと思うが、次期選挙では「みんなの党」の渡辺喜美氏が群馬1区から出馬するらしいという話を聞いた。
その後は沼田市長の星野已喜雄氏が「みんなの党」から出馬するのではないかと言われていた。
結局、渡辺氏は地元栃木から出馬して当選し、星野氏の出馬はなかったけれども。


渡辺一家

渡辺喜美氏の父親は、総理大臣有力候補とまで言われたミッチーこと渡辺美智雄氏。

息子の喜美氏がリクルートから5000株を受け取っていたことが発覚し、総理の座が遠のいたとか。
しかしそれでも「そんな端金」と吐き捨てたというから、もっと大金を手にしているということなんだろう。
ミッチーには3人の子供がいて長男が渡辺喜美氏。次男(弟)と長女(妹)はともに日本医科大学出身の医師とのこと。

(弟)渡辺美千明氏は日本医科大学千葉北総病院に勤務している産婦人科医。
同病院は日本で初めてドクターヘリを導入した病院。
アマチュア無線技士の資格も持っており、総務省に意見(PDF)したりしているのでかなり本格的。
ちなみに、沖田浩之さんもアマチュア無線の資格を持っていた。
息子の渡辺美知太郎氏が先月行われた参議院選挙に「みんなの党」の比例代表で立候補して当選した。
「みんなの党」の比例トップは薬害エイズ訴訟の原告だった川田龍平氏。

(妹)渡辺美由紀 形成外科医。専門医認定を取り消されたことがあるらしい。



小和田家との関係

渡辺美智雄氏は、1991年11月5日~1993年4月7日、副総理と外務大臣を務めた。
この時の外務事務次官が皇太子妃雅子様の父・小和田恒氏である。

皇太子殿下と雅子様の愛のキューピットはユニセフだったという話を先日載せたが、愛のキューピットが渡辺ミッチーだったという説もある。

こちらは松島みどり氏が2006年9月に外務大臣政務官に就任した時のコラム。

1992年、朝日新聞の記者として、経済部から政治部に移って最初、外務省を半年間担当しました。渡辺美智雄大臣(ミッチー、渡辺喜美衆議院議員の父)、小和田恒事務次官(雅子妃殿下の父上)の時代で、PKO国会、天皇陛下のご訪中があり、そして渡辺大臣についてニューヨークの国連総会にも行きました。

その松島氏はパチンコ業界や貸金業界と懇意らしい


日本医科大学つながり

渡辺美智雄氏の次男で、渡辺喜美氏の弟であり、渡辺美知太郎氏の父親である、渡辺美千明氏が勤務する日本医科大学千葉北総病院は1994年に日本医科大学によって開設された病院。

1992年4月25日、尾崎豊さんの死亡が確認された病院が文京区千駄木にある日本医科大学附属病院(日本医大病院)だったと言われている。
屋外に倒れていて最初に搬送されたのが墨田区東向島にある白髭橋病院。
搬送が本当ならばおそらく軽症で自宅に戻ったはずだ。(参考記事:波及機宜*50
倒れていた場所や自宅があった場所などとの位置関係は下マップ参照。
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尾崎事件のあった数年後から白髭橋病院は、中規模民間病院でありながらDMATなど幾つかの指定を東京都から受けていた。
しかしキャパ不足だったのか、同病院を運営していた「医療法人社団誠和会」は2012年に破産した。
後を引き継いだのは「医療法人伯鳳会」。兵庫県にある法人。
理事長の古城資久氏はベンチプレスでも大活躍


丸山ワクチンの開発者である丸山千里氏は、日本医科大学の病院長、付属ワクチン療法研究施設所長、学長、名誉教授を歴任した。
ソニーにてゲーム機「PlayStation」に関わった丸山茂雄氏はその息子であり、糸井重里氏が称賛していたことはすでに何度か書いた。(相関関係*3集約移送*23
震災後の2011年7月に発売されたプレステソフト「ファイナルファンタジー 零式」のテーマソングはBUMP OF CHICKENの『ゼロ』である。

もう少し古い時代に遡れば、ロバート・ケネディやマリリン・モンローを検死したロサンゼルス検死局長のトーマス野口も日本医科大学の出身者である。その後、アメリカのロマ・リンダ大学へ渡った。

こちらはケネディ大統領の検死時の写真

尾崎豊を検死した支倉逸人氏は後に地下鉄サリン事件の被害者の検死も担当し、地下鉄サリン事件の裁判の証人として出廷した。(信州大学の教授だったこともある

こちらの記事では、ソニーとゲームとレキシントンの幽霊について書いた。
こんな暑い日には、ありえないはずの手が写っているこの写真などはどうだろうか

そうだ。もう1つこんなのはどう?
バンプオブチキン。バンプ、オブチ、キン!  オブチ=小渕(元総理)


フライデーとレべッカ

関係者しか見たり撮ったり出来ないはずの死後の写真や検死時の写真がよく出回るものだと感心する。
10年~20年位前まではその急先鋒は雑誌やテレビだったわけだが、インターネットのおかでさらに身近になった。
手間暇お金を大してかけずに、わりと簡単に世界中で閲覧可能である。

『核』に載せた尾崎豊さんの写真は、没後7年目の1999年に写真週刊誌フライデーに掲載されたもの。
あの写真が1992年4月25日に白髭橋病院や日本医科大学付属病院へ搬送された時のものとは、私にはどうしても思えない。

フライデーと言えば、たけし(ビートたけし・北野武)軍団のフライデー襲撃事件を思い出す人もいるであろうが、ビートたけしさんが巨匠になったゆえ現代の若者は知らないかもしれない。
衆議院議員の東国原英夫(そのまんま東)氏も襲撃メンバーだったのである。
私はブログで「左派思想」や「ジブリ」、「風月堂」や「キャンティ」、「連合赤軍」などに絡んだ記事でビートたけしさんとフライデーに触れた。(社会

実はフライデーにはもう1つ気になることがあった。
レベッカ・ブラックがリリースした『Friday/フライデー』である。
以下リンク先Wikipediaからの転載。
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曲はiTunesで発売され、Youtubeに2011年2月10日にミュージックビデオがアップロードされた。
当初の1か月はこのビデオは1000回程度しか再生されていなかった。
しかし2011年3月11日になってコメディアンのブログで批判的に取り上げられたことから突如twitterで噂になり、数日のうちに動画の再生回数は数百万回に達し、「レベッカ・ブラック」は同時期の東日本大震災などをしのいでtwitterで最も話題になっている単語となった。
その評判はブーム当時から惨憺たるもので、大部分の音楽批評家やリスナーから「過去最悪の歌」と呼ばれるなど否定的な評価を受けた。
YouTubeに掲載されたミュージック・ビデオは一時1億6000万回以上の再生を記録し、ブラックを「バイラルスター」に押し上げた。
Rebecca Black は2011年Googleで最も検索されたキーワードとなった。

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2011年3月11日というのは、まさに東日本大震災が発生した日である。
こちらが『フライデー』である。
自身でTwitterを利用していない私がこの曲とMVを知ったのは、イギリスのバンドメンバーのTwitterがきっかけだった。

そしてそれを見て思い出したのが、1980年代後半に活躍した日本のバンド「レベッカ」だった。(まあ、そのまんまだけどさ)
こちらは「レベッカ」の『MOON』
私はこの曲も含めてレベッカの曲は好きだったのだけれど、このMVは今見ると否定的な評価を受けても仕方ないと思わせるものがある。時代の違いなんだろうか。
尤も私は1980年代にはこのMVを見たことがなく、知ったのは最近のことである。
否定的な評価と言えば、尾崎豊の歌もそうであろう。
こちらに書いたが、尾崎さんを名指しでバカバカと歌ったバンドもあった。

震災のあった3月11日に突然『フライデー』が話題になったというのは、まったくの偶然なんだろうか?



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by yumimi61 | 2013-08-12 00:26


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