2013年 08月 14日
器官25
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須藤晃Wikipediaにこんなことが書かれていた。

尾崎のことは尊敬を込めて基本的に「尾崎さん」と呼んでいる。
尾崎らを担当していた当時は、サクマ式ドロップスを愛用していた。


出典はテレビドラマ 「風の少年~尾崎豊 永遠の伝説~」(2011年3月21日)となっていた。
ということは、テレビドラマ放映後に付け加えられた一文ということになる。

尾崎らを担当していたことと、サクマ式ドロップスがどう関係するのだろう。
ドラマも観ていないし、これだけは意味するところが全く分からない。
意味なんかない、ただの事実?

上の写真に写っている物も「サクマ式ドロップス」。
2006年2月に私が撮った写真。
ブログに載せたことがあるような気がして探してみた。
写真は縮小されていたが(ブログに載せる写真は縮小している)、当時ブログ掲載写真に入れていた「p*little by little」という文字が入っていなかった。
載せようと思ったけど載せなかったんだろうか。はっきりと覚えいてない。

もう1枚「サクマ式ドロップス」入りの写真があった。
これも縮小・モノクロになっていたが、やはり文字入れはされていない。
最近撮った写真ではないことは、息子達なら分かる。
すでに存在しない筆入れなどが写っているから。
でももし合成写真でないことを否定しろと言われれば、ここで簡単にそれを証明することは私には出来ない。
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トラブルの原因

村下孝蔵さんの元奥さんが「親族とのトラブルがあった」と説明していたので、私は最初、宗教絡み(信仰・信心)の問題なのかと想像した。
親族間のトラブルといえば、おおよそ遺産か宗教か、慰謝料か親権かといったところだろう。(私の独断です。生理的にダメとか種々問題を抱えている方もいるでしょうけれども、今日のところはご容赦願います)

お金のトラブルというのは多くの人が想像つくと思うけれども、宗教のトラブルは縁のない人にはよく分からないかもしれない。
親戚や家族又は親しい友人に保険外交員がいて、断りたいけれども断れないという、あの感じに似ているかもしれない。
全員が一方向に向っている時にはまだいいが(それはそれで問題があるけれど)、違和感や嫌悪感を感じる親族家族がいたり、あからさまに拒絶する者がいれば、かなり深刻なトラブルへと発展する。
何といっても、宗教というのは「人の人生や命を救うことが可能」なものである。
信じる信じないは別として、それは動かしがたい事実なのである。
だから、その力が逆方向に働いた時には怖いものとなる。

尾崎家は宗教問題を抱えていた。
そんなこともあって、まっさきに宗教問題を想像したのであるが、村下さんの元奥さんの「真実の話」を読むとお金を巡ってのことだったようだ。




最期の言葉

尾崎豊さんの最期の言葉は「勝てるかな」だった。
ファンの間ではかなり以前から実しやかにこの話が伝えられてきた。

それもそのはず、発信源が尾崎豊さんのお兄さん(尾崎康さん)だったからだ。
お兄さんが出版した本『弟 尾崎豊の愛と死と』に書かれているそうだ。
またテレビのインタビューにも答えていたことがあったようだ。

尾崎豊の死に際して疑惑や疑問を感じたファンも多い。
怪しい人物として様々な人が浮かんでは消えていったわけだが、血の繋がった家族であるお父さんやお兄さんは別格で、「尾崎豊の味方」であると考えられてきた。
他の人が言った言葉は鵜呑みには出来ないが、お父さんやお兄さんの発言に嘘はないと信じられている。
勘違いとか聞き間違いだってあるでしょ?人間だもの。ねぇ?

「週刊現代」1994年4月9日号の記事(尾崎康さんへのインタビューから)
医師は、12時6分に豊の死亡を確認している。
僕は豊の「死にざま」について、次のことを強調しておきたい。
豊は、七転八倒して、もがき苦しんで、なにものかと最後までたたかって、そして死んだのだ。
それは決して「安らかな死」などと呼べる代物ではなかった。
豊の最後のことばは、僕の知る限りにおいては、「・・・勝てるかな」ということばだった。


現在の尾崎豊Wikipediaには、「26歳での突然死」の項にこのように書かれている。

10時ごろになって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。搬送先の日本医科大学付属病院で手当を受けるも、午後0時6分に死亡した。最期の言葉は「僕、本当に勝てるかな」だったという。

この「僕、本当に勝てるかな」という言葉は、2011年3月21日に放送されたテレビドラマ『風の少年〜尾崎豊 永遠の伝説〜』から引用されたものらしい。(私はドラマを観ていない)
ドラマの原作は、須藤晃著「尾崎豊覚え書き」(1998年:ソニーマガジンズ)であるという。
ドラマ化することが発表されたのは2011年1月

尾崎豊の幼少期役の子役が詩音くんという名前で誕生日が8月15日!! まあなんという偶然。
こちらは私の『しおん』
その一番下にあるのは旧ブログに載せた写真。
『君を忘れない』というタイトルで庭に咲く紫苑を載せた時に、「詩音」さんという人が次のようなコメントを入れてくれました。

皆さんこんにちは。そして初めまして。私の名前の由来は母によると、紫苑の花からとってシオンらしいです!!上の写真とっても綺麗ですね♪ 皆さんよかったら良いんでお話に混ぜてくれませんか?


成人の尾崎豊役は、成宮寛貴さん。
成宮さんは2010年12月に公開された映画『ばかもの』にも出演していて、内田有紀さん(『北の国から』に出演していた吉岡秀隆さんの元奥さん)とともに、2009年頃、群馬県に結構長いことロケに来ていた。
つまり、この映画の公開のすぐ後に尾崎豊役は発表されたわけ。
『ばかもの』は高崎市在住の芥川賞作家・絲山秋子さん原作の映画で、全編群馬ロケだった

私は『ばかもの』も観てないけれど、予告編を観てみたら
「右手を洗ってほしい」と言っていて、しかも強調されている。手を洗いなさい・・・。

こちらは前橋の例だけど群馬県にも結構ロケが来るのよ。だからしょうもない噂を小耳に挟んだりするわけ。

成宮さんってどっかのお店にマイケル・ジャクソンに会いに行かなかった? ←うろ覚え

だんだん論点がずれてきて何を話していたか忘れてくるわね。


要約してみた

1999年に公開されたフライデーの写真を見ると、1992年4月25日の白髭橋病院や日本医科大学付属病院への救急搬送は極めて怪しいものになる。
搬送や処置は1992年当時には法的に認められていない部分を含んでおり不可解な状況である。

フライデーの写真に家族や親族が猛抗議したのならまだ分かるのだが、それがされておらず、一度ならず繰り返し雑誌に掲載されている。
特に、尾崎豊さんの兄は法律や裁判に対して素人ではないのだから、その気さえあれば必要な対抗措置を取れたはずである。

「死」というデリケートな写真であること、尾崎豊が青少年に与える影響が大きい人物であることを考慮すれば、何かしらの措置を取って然るべきだと思う。
それをしないということは、尾崎豊で今なお稼いでいる家族や親族として無責任極まりないし、フライデーに掲載された写真を否定していないとも取れる。

伝えられている尾崎豊の死の経過にはむしろ積極的に加担し、さらにフライデーの写真に抗議や否定もしないところを見ると、親しい家族もまた嘘を付いているとしか考えられない状況である。


政治家の影

震災前の2011年1月頃、尾崎関係周辺は少々ざわついていたようだった。
ドラマ制作発表時期と重なるので、そのあたりの影響なのか。
それとも2009~2010年に放たれた出来事がきっかけなのか。

こんな出来事もあったそうだ



オウム真理教の影

尾崎豊とオウム真理教の関係についても時たま語られている。
オウム真理教が信者獲得ために尾崎豊を利用していた時期があったようだ


オウム真理教は1994年6月に「省庁制」を採用した。
このとき、麻原彰晃の最高参与として機能したのが「法皇官房」と呼ばれた部署であり、実質的な責任者は石川公一だった。
彼は開業医の家庭に生まれた。
父親は衆議院議員・後藤田正晴の後援会会長だった。
超進学校の灘高校から日本最難関最高峰と言われる東京大学理科III類(医学部)に現役合格(1987年)。
それなのに~。(それなのには余分だった?)
1990年にオウム真理教に入団し、転落の人生の始まり。(いいんだよ、それで?)

オウム真理教の最高峰部署「法皇官房」が作成したビデオに、こともあろうに尾崎豊が使われているという。
『戦いか破滅か 現代の黙示録を解く』、続編『魔笛 世界を操る影の存在』というビデオ。。
このビデオは教団内で通称「尾崎ビデオ」「反Aビデオ」などと呼ばれていたそうだ。
この情報源は、元オウム信者であった松永英明さんのブログ『オウム・アレフ(アーレフ)の物語』。
こちらは彼が運営しているサイト

【松永英明プロフィール】
日本のライター、文士、事物起源探究家。
『絵文録ことのは』を初めとする一連のブログ群の日本のブロガー。
京都大学文学部(言語学専攻)中退、放送大学教養学部卒業。
2003年から、松永英明のペンネームで、ライターとしての活動と共にブログを運営。

こちら、使用している画像は違うが、文章は上記ビデオ内のナレーションと同じである。

こう言ってるの。
「そして僕は、尾崎を殺した奴らを見つけた。奴らの名前は――アメリカという」
オバマ大統領、どうなの?
そんな時代は知らん?
じゃあビルに訊いてみて。
もっと前?
パパブッシュ?


ハローバイバイとハローグッバイの関係

上に登場した松永さんがある事実を発見したそうだ。
『ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説2』の内容が、かつてオウム真理教が布教のために主張していた内容(通称:尾崎ビデオ)とそっくりなこと。
詳細はこちらをどうぞ
しかし私、「スティーブン・セキルバーグ」も「ハローバイバイ」「関暁夫氏」も何も知らない。どれも聞いたことがない(と思う)。
スティーブン・スピルバーグと「紅茶の美味しい喫茶店♪」のハローグッバイなら知っているけれど。
だから「この二つが一致しているという事実をどのように解釈するかはあなた次第です」と言われても実に困る。
それで関暁夫さんをWikipediaでちゃちゃっと調べて見たらお笑い芸人とある。しかも吉本興業。

ということは、「オウム真理教と吉本興業は裏で繋がっている」ってな感じで解釈すればいいのかな?
「それとも尾崎豊と吉本興業は関係あるってことさ」ってこと?それはあるわよね。須藤晃さんの会社が一時期、吉本の子会社になっていたわけだし。
ソニーの出井会長が吉本興業を買収したくらいなんだから。
だけど出井さんの「顔」だけ使われたってことはないのかしら?「名前」だけでもいいけれど。
それとも「さよなら!僕らのソニー」なのかしら。

「興行とヤクサ」に別れを告げたらその後ろには「テレビとマフィア」が待っていたなんて、洒落にもならないと思うけど。



最期の言葉~村下バージョン~

昏睡状態に陥る前だろうか、朦朧とした意識の中で村下孝蔵は、「浜田省吾くんがいる、浜田省吾くんが来ている」とうわ言を言っていた。
これが村下さんの最期の言葉として伝えられている。

村下孝蔵も急逝したわけだが、20代と40代という年齢の違いがある上に、尾崎と違って朴訥でクリーンなイメージが強かったため、尾崎豊ほど疑惑を持たれることはなかったし騒がれることもなかった。

しかし浜田省吾という名前が何処かから出てきたということは、最期の言葉であったにせよ、そうでないにせよ、また直接的な関係ではないかもしれないが、何かしら浜田省吾と村下孝蔵の関係に疑惑なり不信感を抱いていた人がいるということではないだろうか。

こちらのブログは凄い。
村下さんと浜田さんにオウム真理教、果ては皇族まで登場する。
荒唐無稽な話なので、広いネットの世界でもこれをそのまま信用する人はまずいないだろう。
こんなこと大っぴらに言おうものなら「頭がおかしい」と言われ精神科に連れて行かれちゃうかもしれない。

でも1つ興味深いのは、そのブログが村下孝蔵さんの話から始まっていること。
死後何年も経っている村下孝蔵さんのことをこんな風に書く人ってまずいないと思う。
タイトル上の日付と右下の日付がずれているのは何故なんだろう?どこか別の場所に書いたものを移動させているのか?。







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by yumimi61 | 2013-08-14 13:08


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