2013年 08月 21日
器官30
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尾崎豊が死んでホッとしたと言った人々

生前も死後も彼の名前を最大限活用して仕事にしている人達が、このように言ったり書いたりしている。
死んでホッとするくらい嫌悪していたならば、死後も一切関わらなければいいではないか。
それとも死んでホッとする理由が他にあるのか。
死んで反論一つ出来ない人を寄ってたかって食い物にするその姿勢がすごく嫌だ。


尾崎豊と幻冬舎を立ち上げた見城徹の関係
(NHKの番組「知るを楽しむ」での特集を見て)

尾崎のために会社に内緒で銀行からお金を借りたりして、まさに尾崎と心中するくらいの勢いだったんだと思います。SONYのスタッフ以外で、尾崎のためにこんな働きをした存在がいたことを初めて知ったので、正直驚きました。

尾崎の訃報を知らせる留守番電話が34件も入っていたそうで、その中で唯一、尾崎再生に向けて一緒に闘ったSONYのスタッフにだけは電話をしたそうです。その人が見城氏に「正直、ホッとしました」という言葉を言ったそうです。普通に考えればひどい言葉に聞こえますが、見城氏も同じ気持ちだったと。



見城徹プロフィール】

1950年静岡県生まれ。
慶応義塾大学を卒業後、廣済堂出版に入社。
1975年、角川書店に入社。『野性時代』副編集長を経て、『月刊カドカワ』編集長。
1993年、角川書店を退社。幻冬舎を設立し、代表取締役社長に就任。
2003年にはジャスダックに上場を果たす。
2010年、エイベックスの非常勤取締役に就任。
2012年12月、幻冬舎グループの出版ベンチャーとして新会社「gift」の設立。取締役会長に就任。

●株式会社giftの主要経営陣

最高顧問 秋元康 (作詞家)
名誉会長 松浦勝人 (エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社 代表取締役社長)
取締役会長 見城徹 (株式会社幻冬舎 代表取締役社長)
取締役副会長 藤田晋 (株式会社サイバーエージェント)
代表取締役社長 山本由樹  (「元STORY」「美ST」編集長)  

●Mr.Children 『GIFT』より

一番きれいな色ってなんだろう?
一番ひかってるものってなんだろう?
僕は抱きしめる 君がくれたGIFTを
いつまでも胸の奥で
ほら ひかってるんだよ
ひかり続けんだよ


悲惨の港を目指してみせた尾崎豊
(見城徹ウェブマガジン「オンリー・イエスタディ」より)

彼が悩んだ重圧と無関係な人は、この世に一人も存在しません。僕も彼の間いかけにギリギリまで苦しめられ、何度か自殺も考えました。そんな彼が死によって僕から永遠に離れた時は、ホッとしました。でも憎しみや恐りを彼に抱いていたのではありません。無理難題を突き付けられることがなくなり、ホッとしただけです。彼が抱えていた人生に対する問題は本質的だったと思うし、彼が愛用した玉虫色のベルサーチのネクタイと共に、ずっと僕のそばにあります。

彼が死んだと聞いた時は、少しも驚きませんでした。彼を見限った僕と音楽Pの須藤くんとアートDの田島さんを自分の元に戻って来させるために、死んで見せようとしたんでしょう。



●Carpenters 『Only Yesterday』より

Only yesterday when I was sad and I was lonely
You showed me the way to leave the past
and all its tears behind me
Tomorrow maybe even brighter than today
Sinc I threw my sadness away
Only yesterday



尾崎豊が死んだ日の早朝

1992年4月25日早朝、尾崎豊は民家で倒れているところを通報されて白髭橋病院に搬送された。
本人が申告できる場合、出来なくても所持品に身元が分かるものがあれば、救急隊員なり病院職員なりが家族へ連絡を取る。
それ以外の場合には警察が介入する。
尾崎を発見した民家の住人は救急車ではなくて警察を呼んだようなので、そうだとすると身元確認は駆け付けた警察官が行ったことが考えられる。
そして警官の判断で病院へ搬送され、連絡を受けたと思われる奥さんが病院へ向かった。
当時夫妻には2歳の子供がいた。
前の晩、パーティーに出掛けた夫妻は子供を預けていたそうだが、子供は翌日の朝に自宅にいたんだろうか。
早朝5時6時という時間であれば一般的に子供はまだ寝ている。
奥さんは子供ひとり自宅に残したまま病院へ向かったのか。それとも起こして連れて行ったのか。誰かに預けたのか。

こちらは事件当日、尾崎豊を診察したという白髭橋病院医師へのテレビインタビューの内容
医師は病院でしばらく様子をみるように引き留めたが、再三の説得にも応じず奥さんが連れて帰ったと話している。
但し、すぐに命に関わる状態とは判断していなかったようで、だからこそ帰宅に応じたとも言っている。
そして奥さんと中年男性が車に乗せて連れ帰った。

この時診察したのは白髭橋病院の石井達男医師だったそうだ。
こちらのお方である。今年の春に「ガーデンプラザ石井クリニック」を開院している。
場所はなんと白髭橋病院の目と鼻の先
フライデーの写真が白髭橋病院に運び込まれた時の尾崎豊なのかどうか、事件の真相に近づくにはこれが非常に重要となる。
写真が掲載されたのは7年も後のことなので、患者が一般の人ならば記憶に残していないかもしれないが、上記のように尾崎が亡くなった当日から報道陣が病院にも取材に行っているわけだから、それを考慮すると記憶に全くないということはないように思える。
当日白髭橋病院で診察にあたった医師と看護師には写真を見て重要な証言が出来ると思うけれども、一般的な取材では医療従事者に課せられた守秘義務がそれを拒むかもしれない。



尾崎が亡くなる直前同じ部屋にいた3人

奥さんと一緒に病院へ行った中年男性とははたして誰だったのか。

奥さんから連絡を受けた尾崎豊の兄と、兄の友人であり尾崎豊のマネージャーをしていた大楽光太郎が、夫妻が暮らしていたマンションに駆け付けた。
尾崎が亡くなるまでこの3人が一緒にマンションの部屋にいたという。
この3人は3人とも本を出版しており、尾崎豊の死んだ当日のことを書いている。
そこに大きな相違はない。それこそが尾崎近親者が嘘を付いていると私が思う所以である。
看病する気がある大の大人が3人も居て、尾崎豊がフライデーの写真のような姿で自宅にいたとは通常考えられない。

兎にも角にも、自宅に戻ったこととフライデーの写真が本当ならば、あの写真は自宅から日本医科大学付属病院へ運ばれた時の写真ということになる。
写真が撮れる場所は、自宅か救急車内か病院内しかない。

こちらのサイトで尾崎の死因を検証している。
「奥さんが無理やり連れて帰ったのではなく尾崎豊が帰りたいと言った」という本に書かれた内容(証言)を採用している。
「奥さんが説得にも応じず連れ帰った」という発言は白髭橋病院の医師が当日の取材に答えたものであるが、報道を否定している。
そして、奥さん1人ではなく3人で看病していたことを理由に殺人陰謀説も否定。
だけどもし3人が結託し3人とも嘘をついていれば、殺人陰謀説は否定できない。
自宅マンションというのはいわば密室である。そこにいた者以外の証言が取れない。



個人事務所の副社長兼マネージャー

角川書店にいた見城氏も「尾崎のために会社に内緒で銀行からお金を借りた」と言っていたらしいが、尾崎豊と一緒に個人事務所「アイソトープ(ISOTOPE)」を設立した鬼頭明嗣も角川書店の編集者だった。
彼も尾崎死後に尾崎本を何冊か出版しており、尾崎豊は傲慢で疲弊したことなどが綴られているそうだ。


【鬼頭明嗣】
1954年愛知県生まれ 
日本大学芸術学部放送学科卒業
1981年、角川書店『月刊カドカワ』編集者。
1990年、尾崎豊の個人事務所「アイソトープ」を設立し、代表取締役副社長に就任。
1993年、幻冬舎に。
2002年頃より講演活動や著述業に従事。
2006年、比例東海ブロックで当選した衆議院議員の秘書となる。

愛知県名古屋市の出身。
秘書を務めたのは2005年に当選した篠田陽介議員
しかし2009年の選挙で落選。比例でも上がらなかった。
次期選挙では愛知3区からみんなの党公認で出馬する意向を示していたが、2011年8月に出馬取りやめを発表し、同党の3区支部長も健康上の理由で辞任した。


起業交流会「NextStep信州」(松本新聞の記事)の代表幹事で、中小企業のIT支援を行っている「バックステージ」(長野県塩尻市)の社長・三浦毅は、かつて「アイソトープ」で働いていたことがある。
昨年2月にはNextStep信州のイベント(”起業家たちのしゃべり場” ビジネスセッション)のゲストに鬼頭氏が登壇した。





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by yumimi61 | 2013-08-21 18:22


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