2013年 09月 20日
器官55
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バイキングならぬバンキング

こちらに書いた、提携などから見る関係性

三井住友フィナンシャルグループ - ゴールドマン・サックス  (日本トラスティ・サービス信託銀行)
                                      郵貯・簡保管理機構が保有する国債など約130兆円の管理

三菱UFJフィナンシャル・グループ - モルガン・スタンレー   (日本マスタートラスト信託銀行)



日本のメガバンクは3つ。
上記の「三井住友フィナンシャルグループ」 と「三菱UFJフィナンシャル・グループ」、もう一つが「みずほフィナンシャルグループ」である。

「みずほフィナンシャルグループ」は、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が前身である。

●第一勧業銀行は「宝くじの銀行」として記憶に残している人も多いのではないだろうか。
以前こちらにも書いたが闇勢力とも深く関わっていた。

●富士銀行の前身は安田銀行である。戦後(1948年)に安田銀行から富士銀行に改称された。
安田とくればピンとくる。そう、あの安田財閥の中核をなす銀行であったのだ。
何度も繰り返すようだが、安田財閥を作ったのはオノ・ヨーコの曽祖父(母方)・安田善次郎。
当時財閥は幾つかあったが、安田財閥というのは金融財閥として特化しており、金融資本は他の財閥の追随を許さなかった。資本規模は日本最大であった。

●日本興業銀行は1902年(明治35年)に開業した銀行。
1897年(明治30年)に開業した日本勧業銀行は、養蚕や紡織など農工業への融資を主としていた。
それに対して日本興業銀行は重工業への融資を主とする。
重工業は戦争によって活況を呈し国内資本では賄いきれなくなった。そうなれば頼るは外資である。
しかしその信頼性などにおいて単独企業では外資調達は難しい。
そこで政府保証のもと外国で債券を発行して、国内重工業へ融資を行う案が出され、この業務に携わる銀行として日本興業銀行の設立が検討された。
しかし債券の保証を国がすることには問題がないわけではない。
国会で紛糾したあげく、有耶無耶にお茶を濁して日本興業銀行はスタートした。
戦時中に軍用機のほとんどを製造していた中島飛行機はここから多くの融資を受けていた。
オノ・ヨーコの祖父(父方)・小野英二郎は日本興業銀行の総裁だったことがある。


上記を簡潔にまとめると、みずほフィナンシャルグループは歴史的にオノ・ヨーコと闇社会と関係が深い。
また養蚕、中島飛行機、ギャンブルということで、群馬県の面影もある。




オノ・ヨーコと日本銀行の関係


==小野英二郎の生涯==

1864年生まれ。
1880年 同志社英和学校に入学。新島襄より洗礼を受けた。
1884年 徴兵を逃れるために同志社を退学。
      アメリカにわたり、オハイオ州オベリン大学文学科に入学した。
1887年 ミシガン大学大学院に進学。
      著名な財政学者であるH. C. アダムス(H. C. Adams, 1851-1921)に師事し、経済学・財政学を学んだ。
1889年 アメリカより帰国。
1892年 同志社内に同志社政法学校が開設され、同校の初代教頭兼教授となった。
1895-1900年 慶応義塾大学理財科で銀行論貨幣論を担当した。
1896年 当時の日本銀行総裁に勧められ、同志社を辞して日本銀行に入社。大阪支店副支配人、本店検査局長を歴任。
1906年 日本銀行ニューヨーク代理店監督役に就任。
1908年 日本銀行ロンドン代理店監督役に就任。
1911年 イギリスより帰国し本店営業局長となった。
1913年 日銀の組織変更に伴い日本興業銀行に移り、副総裁となった。
      この副総裁時代に中国を3度訪問。
      日本人が今後世界で文明指導の任務を果たすには、中国の文明にも貢献し中国人と調和しなければならないという持論を展開した。
1923年 第4代総裁に就任。日仏銀行副総裁、共立鉱業会長、東亜興行取締役、中日実業取締役も兼務した。
1927年 執務中に倒れ死去。


オノ・ヨーコの父方の祖父・小野英二郎は、日本興業銀行の前の17年間、日本銀行(日銀)に勤務していた。
勤務地は大阪、東京、ニュー―ヨーク、ロンドンに亘る。
日本興業銀行には14年間。副総裁と総裁を歴任。

こちらに書いたが、オノ・ヨーコの母方の曽祖父・安田善次郎も日本銀行に関わりを持つ。
日本銀行創設に尽力し、理事を務めていたらしい。




==小野ファミリー==

父 小野英輔(1902年生まれ)
母 安田磯子(1910年生まれ)
長女 小野洋子オノ・ヨーコ(1933年生まれ)
長男 小野啓輔*(1936年生まれ)  
次女 小野節子**(1941年生まれ)


*小野啓輔
三菱商事入社。化学プラントの輸出などを担当。シンガポール支店勤務。本社電機部部長代理。
1987年に(株)オーエヌオーを設立。
三菱商事・環境プロジェクト部顧問、JAIDO(日本国際協力機構)アドバイザー、ネイチャーインタフェイス(株)社長などを歴任。
NPO WIN(NPO法人 ウェアラブル環境情報ネット推進機構)顧問。NPO WINのアドバイザーや理事はこちらの方々
こちらのブログで小野啓輔さんのお写真を拝見できる。
NPO法人 ひとと動物のかかわり研究会」主催のサマースクールを小野啓輔さんから依頼されたとの内容だが、その法人の名誉理事長が養老孟司(東大名誉教授)で、小野啓輔は顧問である。
そのサマースクールの講師の一人になっている小野有五というのは、オノ・ヨーコの従弟である。
東大名誉教授・養老孟司はベストセラーとなった『バカの壁』の著者。
「NPO法人 動物介在教育・療法学会」という法人の名誉理事長でもあり、小野啓輔は名誉顧問となっている。

以前私が書いた記事に使った写真2枚目の右上にいるお方が養老さん。
こちらの記事にも登場。夢で「小林一樹」という名前を見た時にメモした帯にお名前が・・。



**小野節子
聖心女子大学英文科卒業。
スイスのジュネーブ大学付属高等国際大学院に進学。8年間学び博士号を取得。

ジュネーブの大学院で同窓だったイタリア人ピエロ・グライエーゼンと結婚。
ピエロはジョンズ・ホプキンズ大学助教授に就任。
節子は世界銀行に就職し、アフリカ業務局でモーリタニアを担当。
ちなみに、世界銀行への就職に必要なものは然るべき推薦人のみ。(公募や採用試験はなし)
節子の推薦人はアジア開発銀行の初代総裁・渡辺武である。
大蔵官僚時代は、後に総理大臣となる福田赳夫(群馬県)とも席を並べた。
渡辺はIMF及び世界銀行の理事であったので強力な推薦人である。外資借入・対日融資に尽力した。

節子は姉ヨーコと同じく芸術家としての顔を持つ。
群馬県渋川市の伊香保グリーン牧場内にある「ハラ・ミュージアム・アーク(Hara Museum ARC)」で彫刻「夢」が常設展示されている。
ハラ・ミュージアム・アークは原美術館の別館。



==オノ・ヨーコの父(小野英輔)のきょうだい==

①小野俊一 動物学者、社会運動家、ロシア文学翻訳家。
        最初の妻はアンナ・ブブノア。離婚してからもアンナ及びアンナ姉***と共に暮らした。
        後妻との子が小野有五。         
小野税所勇二篤二 岡山県にある母の実家・税所家の養子となった。改名もしている。美術評論家(日仏美術)。
③小野英輔 ピアニストから銀行家へ転進。横浜正金銀行のサンフランシスコ支店副頭取を務めた。
④小野康平 足利日赤病院院長であった医師。
小野石井米子 太陽火災保険常任監査役等になった石井茂樹と結婚。子に画家の石井茂雄がいる。
⑥小野英作
小野加瀬寿満子 初代国連大使の加瀬俊一と結婚。子に外交評論家の加瀬英明がいる。
                    加瀬俊一が佐藤栄作首相のノーベル賞受賞の裏工作を担当。
                    その子の加瀬英明(ヨーコの従弟)も首相や外務大臣の顧問歴任。
                    「新しい歴史教科書」や「統一教会」に関係する。(過去記事


***アンナ・ディミトリエヴナ・ブブノワ(Anna Dmitrievna Bubnova)。1898年生まれ。
父親はロシア帝国の官僚のドミートリイ・ブブノフ。
母親は名門貴族ブリフ家出身で声楽家のアンナ・ニコラーエヴナ。
アンナの姉のワルワーラは美術家、画家。
アンナの妹のマリヤはピアニスト。

ロシアに留学していた小野俊一とアンナが恋仲になり1917年にロシアで結婚。
1918年に来日。日本でヴァイオリンを指導した。
オノ・ヨーコの父親となる小野英輔とも親しかった。
1958年に俊一が亡くなったことによりソ連に帰国。
アンナは1959年に日本政府から勲四等瑞宝章を授与された。

アンナの姉は父が他界したこともあり1922年に母親を連れて来日。
早稲田大学文学部や東京外国語学校でロシア語講師に就いた。
日本において「ロシア語・ロシア文学の母」と親しまれたそうだ。
アンナとともにソ連に帰国した。
1982年に日本政府より勲四等宝冠賞を授与された。


ロシア(ソ連)とのパイプもあったということである。




巨大な「ゆうちょ銀行」

上記に「日本のメガバンクは3つ」と書いた。
それは「ゆうちょ銀行」が民営化されたとはいえ特別な位置づけにあり、メガバンクと見なされないからである。
しかし日本の資産・資本を考えるとき、この「ゆうちょ銀行」は外せない金融機関である。

日本の金融機関の総資産1位は「三菱UFJフィナンシャル・グループ」。
2位が「ゆうちょ銀行」である。
預貯金残高だけを見れば、1位は「ゆうちょ銀行」で176兆円。
2位は「三菱UFJフィナンシャル・グループ」の124兆円となる。

2012年末時点での総資産ベースでの世界銀行ランキングをこちらで見ることが出来る。
それによると、「ゆうちょ銀行」は世界9位に位置する。
アメリカ3大銀行と比較すると、「JPモルガン・チェース」といい勝負で、「バンク・オブ・アメリカ」より「シティグループ」より総資産が多い。
「三菱UFJフィナンシャル・グループ」はさらにその上をいき、世界5位。



アジアから見るサブプライムローン

総資産世界トップの銀行は中国。2位はイギリス。
2位のイギリスに本社を置く「HSBC」は、香港の「香港上海銀行(The Hongkong and Shanghai Banking Corporation)」が前身。
歴史的にも香港や中国との関係性が強い銀行である。
そうしたこともあってアジアの成長から多大な恩恵を受けていた銀行でもある。
近年も中国への投資が盛んだそうだ。


2006年11月、どこよりも早くHSBCはアメリカでのサブプライムローン問題について言及し、世界へ警告した。
それは自らが「貸倒れにやられた」という告白だった。
当初、投資家らはこの発言を意図的な相場操作の意味合いがあるのではないかと非難したが、後に他の金融機関からも続々とサブプライムローン問題が露呈されるに至った。
HSBCはサブプライムローンの貸付額トップ10に入っていたのである。
HSBCは2002年にイリノイ州の「ハウスホールド・インターナショナル」というサブプライム・ローン専門の会社を買収して、「HSBCファイナンス」とした。これが大きかった。
ハウスホールドは、借り手側の無知に付け込んで、極めて不利な契約を結ぶ「略奪的貸付」を得意としていた。


しかしサブプライムローンの問題はそれより以前から危惧されており、アメリカの幾つかの州は消費者保護の観点から略奪的貸付行為に対するより厳しい法律を制定した。
2003年、これに対してブッシュ政権は、州の法律よりも優先して銀行が略奪的貸付をできるようにする規定を成立させた。
言い分は「州の規制によって消費者が銀行からお金を借りることができなくなるのを防ぐため。弱者保護」だが、中央政府が民間金融機関サイドに付いたということである。
サブプライムローンの問題は、つまりリーマン・ショックは、防げるチャンスが幾度もあったのである。
でもそれをせずに逆の方向へと進ませた。

弱みに付け込んで陥れる。自分の意のままにコントロールする。
これは明らかに信用度の低い人だけに行われているものではなくて、社会的には信用度の高い人に対しても様々な形で行われていると思われる。
政治家なんかその最たるものではないだろうか。
そのために盗聴やインターネットサービス会社から個人情報収集し監視する必要がある。テロ対策よりむしろそっち対策なのではないか穿つ。
彼のように盗聴で売春がばれてしまうのである。
100%クリーンな人なんてまずいない。
政治家や芸能人であれば尚のこと。世界は弱み握り合戦の様相を呈している。
みんな自分が可愛いから、いざとなると押し黙り、「正」の方向には進みにくい。
社会の「迷惑な正義」がそれを助長する。


AIGの創業者コーネリアス・バンダー・スターは中国上海で中国人に保険を売った最初の西洋人だったそうである。
上海には既に欧米系の保険会社が存在していたが、それらの会社は欧米人を相手にしていた。
AIGの成功は中国人相手に保険を売ることに特化したことにあった。
当時その信用度からいけば中国人(アジア人)が劣っていたことは間違いないだろう。
ここにサブプライムローンの影を見ることが出来る。

光があれば影がある。
発展途上の国や人は伸び代が大きい。(善)
発展途上の国や人は騙しやすい。(悪)
だからこれを商売に取り込むと莫大な成功や儲けに繋がる。
しかしいつまでも限りなく成長するわけではない。いつか必ずそのスピードは遅くなり、立ち止まるときがある。バブルは必ず弾けるのだ。(結果、善)
一方、成長というものは約束されたものではない。成長がないところでは延々と儲け続けることができる。(結果、悪)
逆も言えるだろう。延々と儲け続けられる所には成長がない。(結果、悪)


僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない~♪
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by yumimi61 | 2013-09-20 12:46


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