2016年 01月 23日
日本国憲法の秘密-168-
日本航空のシンボルマーク

鶴丸家紋にそっくりの日本航空シンボルマークは誰が作成したのか?

宮桐四郎氏(日宣美会員のフリーランスデザイナー、との記録あり)が原案を作り、アジア方面に強かったアメリカの広告代理店Botsford, Constantine & Gardner(吸収され現Ketchum)のヒサシ・タニ氏が製図。
日本航空の新ロゴより ロゴの変遷が見られます>

第二次世界大戦が1945年9月に日本の降伏で終結した後、日本の占領に当たった連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) によって、直ちに官民を問わず全ての日本国籍の航空機の運航が停止された。やがて、1950年6月にGHQにより日本の航空会社による運航禁止期間が解除されることとなり、1951年1月に日本航空創立準備事務所が開設された。
1951年8月に「日本航空株式会社」として設立された。

日本政府主導による半官半民の体制で、設立当初の本社は現在の銀座日航ホテルがある場所に置かれた。社員はわずか39名であった。社員は徐々に増えていくが、大半が復員軍人や学徒出陣兵。さらに英語堪能な日系2世を多数採用して「外人部隊」とする奇妙な集団であった。


終戦から7年目となる1952年4月28日、「日本国との平和条約」「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」が発効され、日本は主権を回復した。目に見える形での占領体制に終わりを告げたのだ。
これからは賠償金や積み重なっている借金のために日本にはバンバン働いてもらわなければならない。
そうした中、日本独自の法律を根拠にした特殊会社・日本航空株式会社が誕生する。
それは自衛隊法の施行よりも早かった。
航空技術を持っていたのは民間であり、そこに軍人パイロットが登用され、自衛隊よりも早く空を飛ぶ環境が整った。
国家の附属物である自衛隊と半官半民の飛行機会社、ともに日本の法律に支えられている組織ではあるが、その立場は微妙に違う。
病院で例えれば、(国立大学が国立大学法人になる前の)国立大学医学部附属病院と赤十字病院の違いといった感じになるだろう。

「日本航空株式会社法」の公布に基づき、1953年10月1日には特殊会社である新しい「日本航空株式会社」が誕生し、それまでの日本航空株式会社は同日付で新会社に一切の権利義務を承継して解散した。現在の日本航空株式会社はこのときの新会社である日本航空株式会社の法人格を引き継いでいるため、同日が設立年月日となっている。

このように日本航空は戦後に設立された会社である。
戦前はこうした特殊会社のことを国策会社と言っていた。
法律に基づいて設立された半官半民の会社であり、国家の保護と支配のもと特権を与えられた。
満州事変(1931年)から第二次世界大戦終結(1945年)の間に設立された会社の多くは国策会社であった。
大日本帝国の名に恥じない帝国主義的発展を遂行する目的を有していた。
明治から第二次世界大戦終結までは名実ともに絶対君主の時代であった。
半官半民であっても、国の息がかかった会社である以上、君主の命令は絶対、それに従わなければならなかっただろう。

法律がどう変わっても、誰が何と言おうと、戦争を牽引して敗戦した国の君主がその地位を維持したまま存続したという事実は揺るがない。
それはどんな手を使っても誤魔化すことができないものだ、そのことが敗戦処理の最大の失敗だろう。
日本の天皇は宗教指導者や資本家という肩書で存在していた人ではない。表に立って国家を動かすリーダーだったはずだ。逃げ隠れ出来ない立場にいた。
戦犯として罰せられたり処刑されたり人が日本に一人もいないというならばまだ分かる。でもそうではない。
最優先で潰すべきものを戦勝国・連合国・世界は潰さなかった。歴史的にも特筆すべきことである。
それがあの戦争の答えであるし、戦後の世界を形成してきだものだ。
本質は何も変わっていない。ただ戦後の天皇は逃げ隠れ出来る立場になったということである。
そして世界は野心をオブラートで包むようになった。
誤魔化すことが容易に出来るようになった反面、強大な力を発揮しにくい。

戦後もし再び帝国を目指そうとするならば、半官半民の日本航空という会社はそれに貢献しうる会社だったのだろうか。
帝国主義的発展と借金返済は両立するものなのだろうか。
民営化が進んだものの特殊会社(特殊法人)は今日においても存在する。

日本航空は当初は赤字だったものの、1955年に国内線も国際線も黒字に転じる。
この頃から、皇族や首相、閣僚の移動に日本航空の特別機が頻繁に利用されるようになった。
文字通りフラッグ・キャリアの道を歩み始めた。


同質か異質か

現代から後ろを振り返った時、1960年代と1980年代は何か独特の雰囲気を感じる。
共通するのは学生が元気だったということかもしれない。
1960年代は安保闘争や学生運動の時代。
1980年代は校内暴力や不良、路上パフォーマーの時代。
なんだ、そういう元気かと呆れる人もいるかもしれないが、野心をオブラートに包むと強大な力を発揮しにくくなるのと反対に、野心や主張を剥き出しにした人達が良くも悪くも人々の心を掴んでしまうということは確かにあるのだ。
共感も反感も崇拝も嫌悪も心理学的に言えば投影に過ぎないという側面がある。
共感や反感や崇拝や嫌悪が大きくなった状態というのは、個の潜在意識が掘り起こされている状態と考えることが出来る。

その1960年代に台頭したのが新左翼。
ここで質問です。新左翼のような活動家に投影されたものは何でしょうか?
活動家や運動に共感し、その後、幻滅した人々は、自分のどんな思いを投影していたのでしょうか?
新左翼は日本のみならず欧米にも出現したが、国の状況はそれぞれ違った。
今まさに戦争(ベトナム戦争)を行っている国と、戦争を行うことも戦争に参加することも出来ない国。
月とスッポン、天と地の差。両者の「反政権」の意味は全く違うものとなるはずだ。
そしてもし政府の方針が自らの意ではないとするならば、政府と反政権とは意気投合することになる。
但し意気投合することと、戦力として使えるかということは、別問題である。
また同じ国に住んでいたとしても、今まさに戦争に行っている人と、戦争に行く必要のない人とでは、雲泥の差があるだろう。
その時代のことをこちらに書いた


受難の季節

1970年代は航空業界にとって悪夢の時代であった。
日本航空は事故続き。
1972年の5月15日から11月29日の半年間に、日本航空羽田空港暴走事故、日本航空ニューデリー墜落事故、日本航空金浦空港暴走事故、日本航空ボンベイ空港誤認着陸事故、日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故という死亡事故を含む連続事故が発生した。6月14日に発生した日本航空ニューデリー墜落事故により、「安全日航」が誇りとしていた乗客死亡ゼロ170万時間という記録が途絶え、運輸省による立入調査が行われ、規定類の遵守、国際線乗務員の技能の保持、国際線運航乗務員の語学力の向上等の「業務改善命令」が発せられた。しかし、この対応もなす間もないまま、日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故が発生し、((略)

さらに日本赤軍のテロのターゲットにもなった。
日本赤軍が実行した主だったテロが6つあるが、1つは空港を狙ったもの、2つは日本航空機のハイジャック、3つは大使館を狙ったものであった。
外国と飛行機に執着があったと推測される。

全日空はロッキード事件に巻き込まれた。(発覚は1976年)
1970年代前半、ロッキード社は全日空をはじめとする世界各国の航空会社や政府関係者に巨額の賄賂をばら撒いていた。
前内閣総理大臣の田中角栄が、1976年(昭和51年)7月27日に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕され、その前後に田中以外にも運輸政務次官佐藤孝行や元運輸大臣橋本登美三郎2名の政治家が逮捕された。
さらに、収賄、贈賄双方の立場となった全日空社長の若狭得治以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、行動派右翼の大物と呼ばれ暴力団やCIAと深い関係にあった児玉誉士夫や、児玉の友人で「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治と相次いで逮捕者を出した。また、関係者の中から多数の不審死者が出るなど、第二次世界大戦後の日本の疑獄を代表する大事件となった。



1960年代と1970年代に活発化した政治運動に対しては、新右翼でもって新左翼を制すという手法が積極的に用いられた。
政権が新右翼と組んだわけである。
この方法を確立したのは安倍首相の祖父にあたる岸首相である。闇社会や裏社会との連携を鮮明にした。
もしも上記のように政権の本音が新左翼と同じであれば、新左翼と組んで新右翼を制すということになる。
全部同質のものならば政権も新左翼も新右翼もみな仲間で問題なし。残る問題は個人的恨みか金の恨み。
戦後の日本に大河のように横たわっている反米という思想に一番近い人物は天皇であるはずなので、新右翼のバックにも新左翼のバックにも天皇という存在があったと考えることもできる。
田中角栄というこれまでとは違うタイプの首相が登場したのが1972年だった。

田中角栄首相は金脈政治だと言われた。
その後の日本では金権(金券?)政治が定着していくようになる。
金脈と金権は意味が違う。
金脈は金に化けるもの、大儲けできる脈のあるもののことである。言い換えればハイリターンが期待できて投資する価値があるもの。
金権は金という権力である。金で得る権力と言い換えることも出来るかもしれない。
上は少ないお金で可能だが、下は十分なお金がないと出来ない。

お金も権力も大事かもしれないが、なんだかんだいって世界で一番力を持っているものは暴力である。
だから戦争だってなくならない。
暴力の前には金も権力も通用しない。
世界を支配できるのは恐怖なのだ。
それへの対抗処置として有効なのは可能な限り暴力を小さくすること。要するに暴力組織を縮小すること。
あとは生身の人間はシェルターにでも閉じこもって、無人戦闘機やサイボーク兵士を送り込んで暴力を撃退することくらいですかね?


急降下!?

人は忘れる生き物であり、所詮みな他人事である。
1960年代の反米運動も1970年代の諸問題も、1982年に発生し逆噴射という言葉が有名になった羽田沖墜落事故もなんのその、日本航空は沢山の人や物を乗せて広い空をひたすら飛び続けた。
そしてとうとう、1984年にIATAが発表した1983年度の世界の民間航空会社の輸送実績統計では、旅客と貨物を含めた国際線定期輸送実績で、長年ライバル関係にあったパンアメリカン航空などを上回り世界第1位になった。

日本のフラッグ・キャリアが、あの鶴丸が、国際線の部で世界1位になったのだ。

日本航空123便ボーイング747の墜落はその翌年1985年8月12日に発生した。
(先日蒲田の環状八号線で中央分離帯に衝突したバスのナンバーは746であった。7月4日はアメリカ独立記念日で、聖書的には、7は完全数、6は不完全数である。)
その飛行機は筑波技術万博のオフィシャル・エアラインであった。
夏休みということもあり万博やディズニーランド帰りの客を多数乗せていた。
また全米ビルボード1位に輝いたことのある坂本九や「ナショナル」をブランドにしていた松下電器社員も数多く搭乗していた。
人は忘れない生き物で、所詮みな個人的恨みしかないもの?


誕生秘話

日本航空が最初に用いていたマークは一般公募から選ばれたものだった。
赤い鶴丸マークが採用されのは1959年のことである。

公式「私どもは家紋など見たこともなく、鶴丸は存じておりませんでした」
非公式「そもそも家紋の鶴丸とは有名なものなのでしょうか?」
日本航空はこんなことは言わない。
何故かと言えば、日航は鶴のマークが完成する前から日本の家紋や市松模様を好んで「旅のしおり」等に多用していたのである。
鶴の家紋以外にも鶴が描かれ、とにかく鶴の人気が高かったらしい。

新しいマークを導入することが決まった1958年、日本人は迷っていた。鶴という素材や家紋からの発想は新しさやスピードには適さないのではないかと。
アメリカの広告代理店BCGは「美しさでも新しさでもなく、儲けにつながるマークを」と助言した。
かくしてまんまパクリか?とも言えるような非常に均整のとれた美しい日本航空の鶴丸マークが誕生したのである。
そしてそのマークは1959年に商標登録された。
登録日が8月15日だという説もあるのだが不確かな情報である。ただ8月であることは間違いない。


民営化

朝鮮戦争の最中、そして日本が主権を回復する数か月前の1951年4月3日 アメリカでは財務省と連邦準備制度が協定を結んだ。(アコード;実質的にFRBの独立)
きっかけは、そう、戦争である。戦争を行うには資金が必要。
しかし税金で国家運営がなされている以上、余分なお金がそうあるはずがない。
予算が決まっている以上、想定外のお金を無暗に出すことも出来ない。
すでに借金があればなお都合が悪い。
しかし戦争を行うには戦費を調達する必要がある。

一番手っ取り早いのは新たにお金を作ってしまうことだ。
現代では一般的にお金を作れるのは中央銀行である。
政府は中央銀行にお金を作るようにと圧力をかける(金融緩和圧力)。
中央銀行は専門風を吹かせ「いやいやそんなことをしたらインフレを招きます」とかなんとか言って渋い顔をする。
政府と中央銀行のにらみ合い。そんなことしているうちに戦争に負けてしまいますよ?
中央銀行と政府が対立することは良くないということで、「FRBの金融政策の独立性を尊重することを誓います」という協定が結ばれた。
FRBはもう政府に縛られることはない、自由にお金を作って、自由な金融政策をとることが出来る。
政府は限りなく重要な特権を民間企業に与えてしまったのだ。
世界の中央銀行の多くも1980年代後半から1990年代にかけて独立性を獲得した。
余分なお金を持たず、お金を作れず、お金を回せない国家が、余分なお金を持ち、お金を作れ、お金を回せる人達に勝てるわけがない。
だったら一味になってしまえばいいじゃないか?
中央銀行と政府は一味の時もあれば、そうでない時もある。

再三書いてきたが紙幣とは債券である。金融緩和する(お金を市場に出す)ということは国の中に借金が増えるということに他ならない。
借金が下界でぐるぐる回っているのが、「金は天下の回り物」ということだと思う。
同じ借金ならば日本銀行券(紙幣・債券)より国債のほうがランクが上。
何故かと言えば、たぶん発行数が紙幣よりも少ないから。
だから日本の中央銀行である日銀は日銀券をばら撒いてせっせと国債を買い取っている。プライドというものがないのだろうか?
まあともかくなんかいや~な感じ。
私達の経済は全て借金で成り立っていて、そのシステムを変えない限り永久に借金から逃れらない。


123便が墜落した翌月、1985年9月22日、ドル高是正のためのプラザ合意が発表された。
同じ月に日本航空民営化の方針が打ち出された。
1985年9月には、当時の中曽根康弘首相が進める国営企業や特殊法人の民営化推進政策を受けて完全民営化の方針を打ち出し、その後準備期間をへて1987年11月に完全民営化された。

墜落の衝撃から、『沈まぬ太陽』という小説や映画の影響から、墜落後ただちに経営難に陥って経済支援を受け、そのあげく倒産したような印象があるがそうではないのだ。
直ちに行ったことは民営化であった。



狙われた鶴丸の垂直尾翼?

日本航空のシンボルマークから鶴丸が外れたことがあった。

4代目 2003年~2011年 ランドーアソシエイツ 日本エアシステムとの統合によりロゴをリニューアル。

これが一部でかなり不評だった。それくらい鶴丸はインパクトが強い優れたシンボルマークである。

この刀傷ロゴマークを初めて見た時に何か違和感がありました。
JALのAの右上からノの字で、JALが刀で切り落とされるような印象がありました。
JALが赤ペンチェックされているようにも見えましたし、垂直尾翼の赤い無個性な
塗りつぶしは世界の一流航空会社からニ流への塗り替えに見えました。
これなら、前の鶴丸の方がずっとマシやんという感じでした。
垂直尾翼の赤い塗りつぶしが日の丸の一部分とは日本人なら思いません。
赤い垂直尾翼はノースウエストの方がはるかに認知されています。

不吉なロゴをデザインしたのはランドーアソシエイツというアメリカの大手デザイン会社で、
JALはかなりのデザイン料を払ったようです。
日本航空のライバルは国内が全日空(ANA)海外はアメリカン航空(AA)で、
そのライバルのAを叩き切るのだとランドーアソシエイツ側の説明があったとか。
曼荼羅絵図じゃないですし、ましてロゴに怨念など込めてはいけません。
結局ライバルはますます元気で自分が経営破綻とは...。

デザウマ JALの鶴丸が復活しています。(2011.05.01)より>


JALが刀で切り落とされるような印象というより、私はJALのAが切り落とされるような印象を受けた。
日本航空はJALとして有名だが、航空会社コードという観点でみると、IATA航空会社コード(2レターコード)は「JL」である。
「JAL」はICAO航空会社コード(3レターコード)である。

IATA航空会社コード(IATA Airline Designators)の2レターコードは国際航空運送協会 (IATA) により定められており、世界各地の航空会社に割り当てられている。主に航空券(特に国際線)や旅行代理店でのデータ処理など、旅行業関連の商用ベースで使用されている。

ICAO航空会社コード(3レターコード)は国際連合の付属機関である国際民間航空機関 (ICAO) により定められているコード。主に航空管制やフライトプラン等、航空機の運航に関連する公的機関のレベルで使用されている。

1984年に日本航空が国際線定期輸送実績で1位になったのはIATAの統計であった。だからJLのほうである。
Aを切り落とすと、垂直尾翼が赤く染まった・・・。



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by yumimi61 | 2016-01-23 09:43


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