2016年 01月 25日
日本国憲法の秘密-170-
ハワイ

半官半民の会社が国家権力のしがらみから逃れようと思ったら民営化するしかない。
しかし半官半民の会社である以上、政権有力者の力添えがなければ民営化自体難しいだろう。
でもまあともかく民営化したとする。
国家権力のしがらみから逃れたと思ったら荒くれ世界が手ぐすね引いて待っていた。

新左翼-天皇・政権-新右翼

このような関係性で繋がっていれば、結局のところ官営でも民営でも同じであり、そうそう思う通りにはならないということだ。
有り余るお金を持ち、お金を作れ、お金を回す人に勝てないのと同じで、暴力と権力と金の三拍子揃った人に勝てる気なんかしないだろう。

日本航空は1987年に根拠法が廃止され民営化された。
児玉誉士夫は123便が墜落する前年1984年に、小佐野賢治は翌年1986年に亡くなった。
ともにロッキード事件で実刑判決を受けた。
小佐野は日本航空と全日空の株を買収して航空業界へ進出することを狙っていた。(その後ろにはロックフェラーがいたとされる)

※小佐野賢治
山梨県出身。
1940年に東京トヨタ自動車に入社。時は戦時中。
その翌年1941年には自らの自動車部品会社「第一商会」を設立し、軍需省からの受注に成功した。
戦争が終わった1945年に「国際商事」と名を変え、ホテル観光事業に乗り出す。
東京急行電鉄から東京観光自動車・東都乗合自動車を買収してバス事業を始める。
駐留米軍を相手に仕事をして儲けたと言われている。
1947年に「国際興業」に改称。この会社は今に続く。
箱根の名門ホテル「富士屋ホテル」も1966年に買収して国際興業のものとなった。

ハワイでは1963年(昭和38年)にロイヤル・ハワイアン、モアナ・サーフライダー、シェラトン・プリンセス・カイウラニといった複数の名門ホテルを取得したほか、1973年(昭和48年)には大型ホテル、シェラトン・ワイキキを買収したが、小佐野自身の資産を売却せず、さらに外為法により国外への円の持ち出しが制限されていた時期にどう買収を行ったのかは今もって不明である。

特筆すべきはハワイではないだろうか。アメリカと日本を繋いだのがハワイだとして、ではアメリカと日本を繋いだ人物は誰なのだ?

1960年当時のハワイ州知事であったウィリアム・クイン氏(William Quinn)は、衰退しつつあったサトウキビ栽培に変わる新しい産業としてリゾート開発を政策として打ち出し、ローレンス・ロックフェラー氏をハワイ島に招待、リゾート開発の検討を依頼しました。
ロックフェラー氏はカウナオア湾の白い三日月形のビーチを上空から見下ろし、『ぜひあそこで泳ぎたい』と言いました。ロックフェラー氏はマウナケア山頂の斜面から湧き水が流れる景観に感銘を受け、ハワイアンスピリットを感じることのできるこの特別な場所に『最高のホテルを建てる』と決心しました。環境保護に熱心なアウトドア愛好家であったロックフェラー氏は『景観を損ねないこと』を基本とし、自然に溶け込む建築を意識し、自らの信念である『プロの仕事』を成し遂げるために、建築設計にスキッドモア・オーイングス・メリル社(Skidmore Owings Merrill Inc.)、インテリアデザイナーにデビス・アレン氏(Davis Allen)、ゴルフコース設計士にロバート・トレント・ジョーンズ Sr. 氏(Robert Trent Jones Sr.)等々、最高の専門家たちを採用しました。そして1965年7月、総額1,500万ドルという当時としては莫大な金額をかけ、マウナケアリゾートがオープンしました。
マウナケアビーチホテル(ハワイ島)- プリンスホテル&リゾート リリースPDFより>

ローレンス・ロックフェラーはオバマ大統領の支援者だったということだ。
オバマ大統領は1961年8月4日にハワイにて誕生。
ローレンス・ロックフェラーがハワイ開発に乗り出した頃である。

オバマがロックフェラーに長い間育てられたという具体的証拠が出てきた

オバマ大統領の実父(イスラム教徒)はアフリカ人であるが、ハワイ大学とハーバード大学を卒業している。
白人である母はイスラム教徒と結婚し離婚。その後はハワイに留学していたインドネシア人と再婚しインドネシアに渡る。インドネシアはイスラム教徒が多い。
日本は1960年からはインドネシアとの戦争賠償協定に基づき「インドネシア賠償留学生」を多数受け入れている。(こちらの記事の「インドネシアと留学、時々オバマ大統領」に書いた)
オバマ大統領は子供の頃に日本にも来たことがあると語っている。

ハワイとロックフェラーとハーバードと山梨と言えば、STAP細胞も思い出すだろう。
世界初の体細胞クローンマウスの作成に成功したとされる若山教授。STAP細胞の騒動の陰で妻と共に宇宙マウスの誕生にも成功したと言うから呆れる凄いですね!

ともかく大方の予想通りロックフェラーが関係していることは間違いなさそうだ。
ロックフェラーは大富豪で世界的に超有名一族であるが歴史は浅い。〇世という数を見れば一目瞭然。
シカゴ大学とロックフェラー大学やロックフェラー財団を創立した1世。ロックフェラー・センターを設立し、国連にニューヨーク国連本部の建設敷地を寄贈したのはロックフェラー2世。
3世は日本の国際基督教大学(ICU)に資金提供して設立に関与した。そこに秋篠宮家の娘さんは入学した。

4世は国際基督教大学に留学していたことがある。
時期はフローレンス・ロックフェラーがハワイ開発に乗り出した頃である。
ゴールドマン・サックスのオーナー。
1954年にフィリップス・エクセター・アカデミーを卒業し、ハーバード大学で東洋の歴史および言語を学び1961年に卒業、東京の国際基督教大学で日本語を三年間学んだ。
大学卒業後、ロックフェラーはワシントンD.C.で平和部隊に働き、最大の海外事業であるフィリピンでの計画の監督を務めた。


以前こちらにロックフェラー一族のことを書いた。FRBも関係している。
ロックフェラー家は後継者争いで揉めていた。
2世の長男(3世)が自宅敷地内で交通事故死(不気味?)。
4世を誰が継ぐか。2世の2男であるネルソン・ロックフェラーvs3世の長男であるジェイ・ロックフェラー。
嫡男継承を取らず、ネルソンが継承するも、翌年に愛人宅で腹上死(不気味?)。
さてどうする?2世の5男であるデイヴィッド・ロックフェラーvs3世の長男であるジェイ・ロックフェラー。
ここが長らく揉めていたが、デイヴィッドがお歳を召し(先日亡くなったとか?)、今現在はジェイ・ロックフェラーさんがジョン・ロックフェラー4世ということで落ち着いたようだ。
3世はロックフェラー家やアメリカにとっても不評で隠しておきたい存在なのか、日本語版Wikipediaには存在しない。
ただこの3世とその息子の4世は日本にとても関係が深い。
まさに日本の時代がやってきたのだ。
今以上~それ以上~?

そういえば2014年6月、デイヴィッド・ロックフェラーの次男であり医師であったリチャード・ロックフェラーが自家用機を操縦していて墜落し亡くなった(不気味?)。


東急フループ

小佐野賢治はホテル事業に進出した時に東急グループのオーナー・五島慶太との面識を得る。
東急グループの母体は(銀行家であり理研の創設者でもある)渋沢栄一が創設した田園都市株式会社である。
創始者は五島ではなく渋沢なのだ。
東急グループの中核企業は東急電鉄。現在の売上高は、JR東日本、JR東海、に次いで第3位。
1947年から1972年まで、プロ野球チームの「東急(急映・東映)フライヤーズ」(北海道日本ハムファイターズの前身)を所有していた。1964年まで、映画製作・配給を手掛ける東映(旧・東横映画)は東急グループの傘下であった。

小佐野賢治は東急電鉄のバス事業を買収した。
東急電鉄の株式を多く保有していたのはオーナーの五島ではなく小佐野だったのだ。
しかしその小佐野も1986年に没する。


ジブリ

■トップクラフト(ジブリの前身・東映出身の原徹が設立)
1984年 『風の谷のナウシカ』  徳間書店/博報堂 東映
1985年 - トップクラフトを改組して株式会社スタジオジブリ設立(スポンサーは徳間書店)

■ジブリスタジオ
1986年 『天空の城ラピュタ』  徳間書店 東映
1988年 『となりのトトロ』   徳間書店 東宝
       『火垂るの墓』   新潮社 東宝
1989年 『魔女の宅急便』   徳間書店/ヤマト運輸/日本テレビ 東映 
1991年 『おもひでぽろぽろ』  徳間書店/日本テレビ/博報堂 東宝

1991年 - 宮崎駿の新スタジオ建設案で経営方針の対立が勃発。原徹が常務を辞任し退社。

1992年 『紅の豚』  徳間書店/日本航空/日本テレビ 東宝
1994年 『平成狸合戦ぽんぽこ』  徳間書店/日本テレビ/博報堂 東宝
1995年 『耳をすませば』  徳間書店/日本テレビ/博報堂 東宝
1997年 『もののけ姫』  徳間書店/日本テレビ/電通 東宝

1997年6月 -経営悪化した徳間書店の収益確保の一環で徳間書店に吸収合併。株式会社スタジオジブリを解散。徳間書店の社内カンパニー「株式会社徳間書店 スタジオジブリ・カンパニー」となる。同年『もののけ姫』完成後、宮崎駿が退社。

1999年 『ホーホケキョとなりの山田君』  徳間書店/ディズニー/博報堂  松竹

1999年 - 徳間書店が事業部制を導入。「株式会社徳間書店 スタジオジブリ事業本部」となる。同年に宮崎駿がスタジオジブリ所長として復帰

2001年 『千と千尋の神隠し』  徳間書店/ディズニー/日本テレビ/電通/東北新社/三菱商事 東宝
2002年 『猫の恩返し』  徳間書店/ディズニー/日本テレビ/博報堂/三菱商事 東宝
2004年 『ハウルの動く城』  徳間書店/ディズニー/日本テレビ/博報堂/三菱商事 東宝

2005年4月 - 株式会社スタジオジブリ(2代)がスタジオジブリ事業本部の業務すべてを継承。鈴木敏夫が代表取締役社長に、宮崎駿とスティーブン・アルパートがそれぞれ取締役に就任。

2006年 『ゲド戦記』  日本テレビ/電通/博報堂DYMP/ディズニー/ディーライツ(三菱の子会社) 東宝

2008年2月 - 鈴木敏夫が代表取締役社長を退任し、後任に星野康二(元ウォルト・ディズニー・ジャパン会長)が就任。

2008年 『崖の上のポニョ』  日本テレビ/電通/博報堂DYMP/ディズニー/ディーライツ(三菱の子会社) 東宝

2009年4月 - トヨタ自動車本社内に新スタジオとして「西ジブリ」を開設

2009年 『借りぐらしのアリエッティ』  ディズニー/日本テレビ/電通/博報堂DYMP/三菱商事/ワイルドバンチ(夢番地?) 東宝

2010年8月 - 西ジブリを閉鎖。

2011年 『コクリコ坂から』  ディズニー/日本テレビ/電通/博報堂DYMP/三菱商事  東宝
2013年 『風立ちぬ』  ディズニー/日本テレビ/電通/博報堂DYMP/三菱商事/KDDI  東宝
2013年 『かぐやひめの物語』  ディズニー/日本テレビ/電通/博報堂DYMP/三菱商事/KDDI  東宝
2014年 『想い出のマーニー』  ディズニー/日本テレビ/電通/博報堂DYMP/三菱商事/KDDI  東宝

2014年8月 - 制作部門の休止が発表。社内では年内をもって制作部門の社員全員の退職が発表される。


テレビで再三放映するせいか、今ではそんなイメージが全くないと思うが、公開当時は『となりのトトロ』『火垂るの墓』(2本立て)は興行的に成功とは言えなかったそうだ。
成功と言われた『風の谷のナウシカ』を大きく下回った。

その後が『魔女の宅急便』。
徳間書店の作品の配給を担当してきた東映は東宝に配給させた前作の『となりのトトロ』『火垂るの墓』との興行的失敗を理由に本作を持ってジブリ作品の配給の打ち切りを決定し、本作は東映が配給した最後のジブリ作品になった。
公開時のキャッチコピーは、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」(糸井重里)。
どこかで聞いたことがあるセリフかもしれないが、コピーライター糸井重里さんの作品。

2008年にジブリの代表取締役社長に就任した星野康二氏は創価大学出身の創価学会員で幹部であるらしい。ディズニー・ジャパンの社長だった。
スポンサーが増えて大きくなるにつれて、映画も派手に宣伝されるようになった。
2005年以降は創立当初から支えてきた徳間書店が消えて三菱商事がスポンサーに加わっている。
広告代理店も博報堂と電通という2枚看板が付くようになった。
2013年以降はKDDIが参画。
日本テレビとは長いお付き合い。

なぜ急にジブリ映画の話をし出したかというと、日本航空と関係があるからだ。
1992年の『紅の豚』のスポンサーの1社が日本航空である。
元々は、日本航空での機内上映用として製作が開始されたが、長編化したため、劇場作品へと変更された。このため、劇場公開より先に日本航空国際便機内で先行上映され、劇場公開後も機内上映は続けられた。
ということは、伊丹作品も元々観光バスのために製作された映画だったりして?


利光松男

1990~1995年、日本航空の代表取締役社長だったのは利光松男。
『紅の豚』の製作に関与したということになる。
小田急電鉄創業者の息子であった。カトリック信徒で上智大学卒業。日本航空生え抜きで社長になった。

1999年、自宅に銃弾が打ち込まれる。以降、総会屋・暴力団などの反社会的勢力とJALの決別の推進への報復を警戒し、2004年10月まで利光家は24時間体制で警察の警備を受けた。
2004年、警察の警備が解除されて約1か月後、利光は首をつった状態で発見された。


警察は自殺と断定したようだ。年齢は80歳であった。

1999年、囲碁が好きだったこともあり、日本棋院理事長に就任。累積赤字で悩む棋院の財政を立て直すため、コスト削減などを断行し「囲碁界のカルロス・ゴーン」と呼ばれた。棋院創立80周年事業として囲碁殿堂資料館の設立も主導したが、運営方針をめぐる激しい対立から2004年4月に任期途中で辞任した。


首を吊ったのも同年。

遺書はなく、自殺のはっきりとした理由は不明だが、ある日本棋院関係者は「心当たる原因とすれば、あの紛争しかない」と明かす。紛争とは、日本棋院が対局ソフトを開発する際の提供企業の選定をめぐって生じた理事会内の対立のことである(日本棋院が「パンダネット」から韓国の「世界サイバー棋院」に切り替えた問題)。 辞任前から持病の不整脈に加え、不眠などを訴えており、棋士と財界人の間で板ばさみになり、心身ともに疲れ切っていた。その心労が癒えず、自殺につながったとの声もあり波紋が広がっている。

一方でこんな話もある。

どれほど洞察力や分析力の鋭いアナリスト、あるいは公認会計士であろうと、JALの粉飾決算を解説出来る者は居ない。
なぜならば、直接の関連会社であるグループ企業が約350社、その子会社・下請けを含むと約1万社に及ぶJALをファンダメンタルな解析で説明できるはずがないからだ。
ここで重要な存在が、JALの与党総会屋である後藤民夫。
約25年前からJAL周辺に巣食う、野党総会屋として賛助金目当てに食い込んだ結果、ようやく万歳屋(与党総会屋)に出世できた。
今や年俸数億円という、稀有な存在の “ 特殊株主 ” であろう。
この男こそ、JALの “ 粉飾決算の生き証人 ” に他ならない。
 
JALの元社長、利光松男を首吊り自殺に追い込んだ元山口組ヤクザの岩城幸次郎。
後藤民夫は岩城幸次郎を、自ら経営する金券ショップのスポンサーと仰いだ反社会的勢力。
******************************  

JALの元社長、利光松男は元山口組系ヤクザの岩城幸次郎氏から牛の生首を自宅に送られた。
憔悴の果てに80歳を過ぎた爺さんが、首吊り自殺したという。
岩城幸次郎氏はJALの御巣鷹山墜落事件で愛人を亡くし、慰謝料名目で多額の無料切符を受け取った。
そして無料切符の授受と換金を、仲介した詐欺師が後藤民夫である。
後藤民夫は反社会的勢力を親分と仰ぎ、身を粉にして働く作業が、無上の喜びらしい。
著書で、ヤクザの使いっ走りを自慢する場面は、本当に力がこもっている。
http://www.otowa-shuppan.com/view.php?no=29



兼子勲

1998~2004年、代表取締役社長。
2004~2006年、代表取締役会長。

1960年に東京大学法学部卒業と同時に日本航空に入社。1983年6月にローマ支店長兼ローマ空港支店長を務めた後、1985年6月日航ジャンボ機墜落事故を受け勤労部長に就任。1991年6月に日本航空取締役に就任。1992年公開のスタジオジブリ制作のアニメ映画「紅の豚」ではエグゼクティブプロデューサーとして社長の­利光松男を補佐。

1999年には日本バスケットボール協会副会長、2003年より会長も務めた。

※日本バスケットボール協会歴代会長
金尾實
辻兵吉 (5代目)(1994-1999)
尾崎正敏(1999-2003)
兼子勲(2003-2005)
鬼塚喜八郎(2005-2007)
麻生太郎(2008-2014)
深津泰彦(2014)
川淵三郎(2015-) ←元サッカー協会会長(2012年より最高顧問)、日本将棋連盟非常勤理事(2011年~)、首都大学東京理事長(2013年~)


東映とテレビ朝日

東映は1964年に東急グループから離脱した。
五島慶太から東映を任された大川博と五島の後を継いだ長男との間に確執があったらしい。

1965年NETテレビの経営を巡り赤尾好夫旺文社社長と対立。赤尾が日本経済新聞社の円城寺次郎と結託すると、大川も朝日新聞社の広岡知男と手を握り、同社に東映所有のNETテレビ持株の半分を譲渡。
この一件以降NETテレビの事実上の親会社は東映から朝日新聞社に代わり、これが現在の総合局・テレビ朝日およびテレビ朝日ネットワークの形成に繋がる。


テレビ朝日とNETテレビの関係は昨夏にも書いた

東映は正社員の採用において学歴や縁故を大変重視しており、中島貞夫の著書によると日芸、早大、東大、慶大、京都撮影所枠で京大、同志社以外の学生は採用に至ることは縁故以外ではなかったという。しかしながら、近年、この傾向は弱くなりつつあり、上記の大学卒以外や専門学校卒からの採用も多くなってきている。また、一時期エース監督として屋台骨を支えた鈴木則文、関本郁夫はそれぞれ立命館大学中退、工業高校卒であり、このように他の大手で戦後に大卒でない採用社員を監督として活躍させた例はほとんどない。

東映は不良路線(時々、東映まんがまつり)、東宝はヤクザ映画やお色気映画や政治臭のする映画は配給しない健全優等生路線。
昨今は品行方正風潮が強いので、興行収入は東宝の一人勝ちだとか。
「東映まんがまつり」は映画館のみならず、市民会館のホールなどでも上映されていたような気がする。
飛行機にバスに出張サービス。映画も映画館の収入だけではなかなか厳しいものがあるのかもしれない。
昔でも厳しかったものが現代の世で厳しくないというのは俄かには信じられない。

現在でも東映がテレビ朝日 ホールディングスの大株主で、テレビ朝日ホールディングスが東映の筆頭株主になっている。
また東急電鉄とも縁が切れたわけではなく、東急電鉄も依然東映の株主である。





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by yumimi61 | 2016-01-25 15:06


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