2016年 12月 09日
パール
天然か養殖か

STAP細胞騒動の時に特許についても話題になり、特許というものへの認識が非常に曖昧であることが分かった。

特許法は「発明」を一定期間保護する法律であるので、特許は受ける対象は「発明」である。
その「発明」の定義はというと、「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なもの」ということになっている。

・自然法則とは?
自然における出来事や存在などの諸事実の間 で成立している一般的、必然的な関係を表した法則。
自然界において経験的に見いだされる科学的な法則。


2つ前の記事では「規範法則」をタイトルにしたが、「自然法則」と「規範法則」は対立する概念である。
「自然法則」は事実の間に(自然に)成立しているのに対して、「規範法則」は人間が定めたものである。
神か人間かくらいの違いがある。
私は以前、映画『タイタニック』のセリフから物理と数学について書いたことがある。
物理と数学は違うものなのだ。

Andrews(アンドリューズ)
She is made of iron, sir.
I assure you, she can. And she will.
It is a mathematical certainty.
鉄で出来た船は沈む。そうだろ? 物理的真実だ。

Andrews(アンドリューズ)の「mathematical certainty」が、日本語では「物理的真実」と訳された。
直訳すれば物理的でなく数学的である。

映画では船の設計者であるアンドリューズに、浮力とか比重といった物理的な考えではなく数学的な確信だと言わせた。
物理は数学との親和性が高いから完全に切り離すことは正しくないかもしれなけれど。
物理というのは、人間にはどうすることも出来ない自然界の普遍的な法則があり、それを人間が利用できるように表現した学問のような気がする。
一方、数学は人間ありきの学問。人間が定義を定めたものである。普遍ではなく仮定から始まっている。
このことから考えれば、人間界においての物理に正解はない。数学には必ず正解があるということになる。
それだけ絶望的だと言いたかったのだろうか?


特許でも計算方法や会計方式、経済の法則、ビジネスモデルなど数学や経済に関することは対象とならない。
それは自然法則を利用したものではなく最初から人間が決めたものだからだ。
「人間が決めたこと」をもっと小さく言えば「私が決めたこと」ということになる。
私の中のルール、家族のルール、地域のルール、国家のルール、アジアのルール、EUのルール、、、このように決めようと思えば個人やある集団が好きなルールを決めて運用することが出来る。
所変わればルールも変わる。普遍性が無い。万物のスタンダードではない。
一方の自然法則は誰にでも該当するものである。

ノーベル賞も数学賞がない。(数学賞が無いのはノーベルの恋敵が数学者だったとか言われているが、そんなことはないだろうと思う)
経済学賞もなかったが、異質な形(アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)で後から付け加えられた。
この点からノーベル賞も自然法則に関係するものであったと考えられるので、本当は文学賞と平和賞も相応しくない。
要するに「科学」とは自然法則を利用した技術的思想なので、その技術を何かの結論付け(例えば犯人かどうか)に用いるならば、自然法則を利用した技術的思想でもって反証方法も用意しておくべきだと思う。
だって自然法則は誰にでも当てはまってしまうものであるのだから。
結論付けるのは自然(神)ではなく人間というファジーな生き物。だからせめて一方の結果や意見だけではなく、その反対の結果や意見も提示されるべき。
裁判は検察と弁護という形でこれが形式的には成立しているが、その中で用いられる「自然法則を利用した技術的思想」に対してはそれがない状態である。


ビジネスモデルは自然法則を利用した技術的思想ではないので、特許申請したとしても通らない。
ところが特許庁は例外を認めた。特許庁も方針変更した。
ビジネスモデルにコンピューターが利用されている場合で下記のいずれか。
①ソフトウェアによる情報処理に自然法則が利用されていること
②ハードウェア資源が利用されていること

コンピュータプログラムは数学や論理学上の法則を用いており自然法則ではない。
だから発明として保護されるのではなく著作権法で保護されている。


自然法則を利用する意味

「自然法則」でないものは特許の対象とはならない。
自然法則は自然界において経験的に見いだされた科学的な法則であり、「エネルギー保存の法則」もこれに該当する。
だからこの世に永久機関(外部からエネルギーを受け取ることなく仕事を行い続ける装置)はないし、100%の熱機関もない。
これが在ると言うことは、「エネルギー保存の法則」に反する。
先日ブラウンガスについて書いたが、ブラウンガス(日本でのオオマサガスなど)の研究をしている人の中には投入した以上のエネルギーが得られるという主張を展開する人がいる。
言論の自由があるので何を言っても別に構わないし、作れるならば作って売っても構わない。
但しそれで特許申請を行っても現状審査は通らない。
理由は簡単。「自然法則」に反するものだから。

特許は申請されたものを審査機関が全て作って確かめて性能を見極めているわけではない。
実現性とか再現性とか有効性とか関係ない。かかる費用や売れる売れないも関係ない。
必要な条件を満たせばよいのである。

また同じような理由で「自然法則の発見」も特許の対象外。
審査を通らない。すでにある自然法則を利用した技術的思想ではないから。
「エネルギー保存の法則」が間違えていて、違う法則を発見したとするならば、それは特許庁が扱えるものではなくなる。
ここでこそ学者の出番だろう。
自然法則の転換となれば大きな学会かなんかで法則の正否を喧々諤々やってもらうしかない。
特許申請は誰でも出来る。科学者でなくとも。
でも自然法則自体を覆すことは誰にでも出来ることではない。
但し自然法則というからには誰にでも再現できるものでなければならない。

「受精をしなくても子供が作れます」「体細胞から全能性細胞・受精卵が作れます」という主張は「自然法則(生物の法則、遺伝法則)」に反するものである。
だからそれを主張した「STAP細胞」は特許の対象にはならない。
人間が保有する細胞(全く存在しないものではない)で、すでにこれまでにも別方法が知られている「万能性細胞」の作成方法という技術として特許申請したに過ぎない。


特許とノーベル賞

・特許の発明の定義「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なもの」の技術的思想とは?
「技術」とは一定の目的を達成するための具体的手段をいい、誰がやっても同じ結果を得るものでなければならない。
単なる情報の提示や単なる美的創造物は技術的思想に該当しない。


情報の提示も該当しないということでデータベースも特許の対象外。


・「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なもの」の創作とは?

「創作」とは新たに創り出すことなので、特許申請される技術は新しいものである必要がある。
また新しいこと(方法)を作り出した「創作」と、すでにあるものを見つけ出した「発見」とは区別されている。
この点からも「自然法則の発見」は、「創作」や「発明」とは見做されず特許の対象外である。
また天然物の発見や物質の構造の解明なども同様で、「創作」や「発明」とは見做されず特許の対象外。

ノーベル賞と特許が大きく違うのは、ノーベル賞は天然物の発見や物質の構造の解明などだけでも受賞できること。
シビアな人からは「だから何?」と言われかねない。極論を言えば、それが間違えていても然程支障が無い。
自然界は放っておいてもちゃんと回っているのだから。
ノーベルさんはダイナマイトで巨万の富を得たかもしれないが、ノーベル賞受賞者がみな巨万の富を得られるとは限らない。(賞金が巨万の富か!?)


「実用新案登録出願中」

特許法は発明を保護しているが、現代社会での発明や発明家という言葉にはどことなく胡散臭さや奇抜さ、能天気な感じが漂うせいか言葉としてはあまり積極的には用いられていない。
特許は技術が保護されるだけにもっとお堅い印象がある。
どんなに見た目が奇抜でユニークな発想であっても、新しい技術ではなくありふれた技術を用いていたならば特許の対象にはならない。
また技術的にあまりに低レベルなものも特許の対象にはならない。高度と謳っているくらいだから。

技術的高度さを要求されないのが「実用新案」である。
「発明」という言葉もこちらでわりとよく使われているかもしれない。
発明工夫展や創意工夫展などに出品されたり、アイデア商品や主婦の発明品などとして催事で扱っているような物などは、「発明」を前面に推しだしている気がする。

実用新案の発明も「自然法則による技術思想の創作であること」は同じ(高度は抜けた)。
ただ発明に方法は含まれない。「物品の形状、構造、組み合わせに係る考案であること」。
特許の発明はほとんど方法なのでこの点が全然違う。

また実用新案には審査はない。
書類が整っていれば、誰でもその考案に対して独占排他的な権利を得ることが出来る。
但し権利を持っていることと売れて儲かることは別な話。
商品化して儲けたいと思うならばやはり企業に売り込む必要があるだろう。
個人でその物品を作って個人的に売っているならばそれだけの話であって、権利を持っていようがいまいが特段変わりない。
「実用新案権を持っているから金額上乗せしちゃおう」と決めたって、「こんなのいらない」「高いから買わない」と言われればそれまでのこと。
結果を出す(利益に繋げる)って難しいですね。


忘れられた奇襲攻撃

特許においてはどちらが早かったかということは重要になるわけだが、戦争開始についてはそうでもないのだろうか?
ハワイへの真珠湾攻撃が太平洋戦争の始まりだったように語られることが常だが、本当は違う。
イギリス領マレーとシンガポールへの奇襲上陸進攻のほうが若干早い。

作戦名はマレー作戦。
マレー作戦(馬来作戦、日本側作戦名「E作戦」)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦である。
日本の対英米開戦後の最初の作戦である。
世界史的には、本攻撃によって第二次世界大戦はヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大したとされる。

開戦時における日本軍の戦略目標は、石油や天然ガス、ゴムなどの豊富な天然資源を持つオランダ領東インド(現インドネシア)の資源地帯の占領であったが、そこに至るには手前に立ちはだかるイギリスの植民地であるマレー半島およびシンガポールを攻略する必要があった。

大本営はマレー上陸とアメリカの属領であるハワイに対する真珠湾攻撃との関係に考慮を要した。陸軍はマレー上陸が長途の海上移動の危険を伴うことから奇襲を絶対条件とし、海軍も真珠湾での奇襲に期待をかけていた。しかし、一方が先行すれば他方の奇襲が成り立たなくなる。マレーとハワイとでは18時間の時差がある。双方を両立させるのがマレーの深夜、ハワイの早朝という作戦開始のタイミングであった。

1941年12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩少将率いる第18師団佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始した。アメリカ領ハワイの真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分、いわゆる太平洋戦争はこの時間に開始された。

この上陸作戦自体は、駐米日本大使館の失態による遅延により結果的に開戦後の宣戦布告となってしまった対米宣戦布告予定時間より前に開始されており、開戦前に宣戦布告を行う予定であった対米開戦とは異なり、日本軍が宣戦布告無しで対英開戦することは予定通りであった。この時の日本軍の開戦日の暗号は「ヒノデハヤマガタ(ヒノデハヤマガタトス)」である。


上陸しない奇襲攻撃なんて意味がない。
ハワイへの奇襲攻撃は何のために行ったのかさっぱり分からない。
それに比べると、イギリス領への奇襲は上陸をしている。その地に上陸して進攻し占領する意図がはっきりとある。だから「作戦」でもあった。
狙いはこちらだったのだ。







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by yumimi61 | 2016-12-09 11:07


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