2017年 03月 22日
サムライ~生きるために死んでいく~
あの世代の方達は、よく「もののけ姫」とか「侍ジャパン」とかおっしゃるので、ちょっと我々というか、違和感を感じるところであります。

「七人の侍」をしっかりと守ることが私の責任です。



黒澤映画『七人の侍』は、毎年のように野武士に襲われて作物を奪われる農民らが7人の侍を雇って対抗する物語である。
農民は野武士の野盗から村を守るため侍を雇うことを決断する。
雇われたのは食べることもままならない浪人であった。
彼らは農民自らが戦うことが出来るように訓練する。
農民はそれぞれ武器を手に、雇った侍(浪人)とともに野武士と戦うのであった。


タイトルは侍であるが、農民に雇われるまでの彼らは浪人であった。
侍とは武士の別称。
主君に仕える職業が武士である。
侍は「従う」を意味する「さぶらう」 に由来する名称である。
主君のために命を投げ出すことも厭わない。
その代わり普段は主君の後ろ盾があり領地や食糧などが与えられる。
安心な毎日と危険な毎日が背中合わせに存在している。
どうも武士や侍を勘違いしている人が多いような気がする。

浪人や野武士は、主君(主家)を滅ばされたり、解雇されたり自ら飛び出したりして、主君を失った武士の事である。
望んで離れた者もあれば、望まないのに放り出されてしまった者もいる。いろんな人がいる。
武士や侍が主君に使える職業である以上、主君を失った時点で武士ではなくなる。
厳密に言えば、浪人や野武士は武士でも侍でもない。元武士や元侍である。
彼らを持っているのは食う物にさえ困る日々である。
危険を避ければ飢えと渇きが襲ってくる。
飢えと渇きを満たすには結局危険に身を晒す必要がある。


ラストシーンで語られる有名なセリフはこうである。7人の侍のリーダー格のお言葉。(7人の侍は全員無事とはいかなかった)
「今度もまた負け戦だったな・・・いや、勝ったのはあの百姓達だ、私達ではない」


「黒澤明と早坂文雄−風のように侍は」(筑摩書房)のなかで、西村雄一郎が、黒澤明本人に、この有名な台詞の意味を直接訊いたというクダリがあります(739頁)。

《黒澤本人に、聞いたことがある。
「七人の侍」のラストで、志村喬の勘兵衛が「勝ったのはあの百姓たちだ、儂たちではない」というが、あれはどんな意味だったのかと。
すると黒澤はこう答えた。
「百姓は、なかには藤原釜足のようにずるいのもいるし、土屋のような賢いのもいる。しかしどんな場合でも、大地と共に根強く生き続けていく。それに対して侍は、ただ旗のように翻っているだけだ。大地をさっと吹き過ぎていく風のようなものなのだ」
と答えた。》
のだそうです。

映画収集狂 勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない より>

人は食べなければ生きていけない。
作物に始まり作物に終わる映画。
農民は本当に弱い存在なのだろうか。自由とは何か。安心とは何か。安全とは何か。
村に襲来して作物を奪う野武士も雇われた浪人も、実は同じような立場の人間であった。
『7人の侍』、このタイトルが意味するものは、農民という主君によって一時的に侍となり得た浪人たちということであろう。
武士とは因果な職業である。

生きろ!

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by yumimi61 | 2017-03-22 21:35


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