2017年 04月 17日
日本国憲法の秘密-455-
・松方正義の妻・満佐子の父―川上助八郎(薩摩藩士、明治期に米商会である中外商行会社の頭取、蠣殻町米商会所第三代頭取となる)

・松方正義の妻・満佐子の従兄弟―川上左七郎(日本海陸保険、大阪舎密、川崎造船所などの取締役、大阪株式取引所理事、日本銀行監事などを歴任)


松方正義の妻は川上助八郎の長女だという資料が多いが、川上左七郎は川上助八郎の長男であるとする資料もある。
そうなると川上左七郎は松方正義の妻・満佐子の従兄弟ではなく兄弟ということになって、このあたりも辻褄が合わなくなる。
従兄弟なのか兄弟なのか、それとも全く赤の他人なのか、正解は分からない。
「川上」とは川の上流という意味になるので、地名としても比較的ポピュラーであることが推測される。
現に鹿児島市にも町名として存在する。
また「上流に住んでいる〇〇さん」のことを、「川上の左七郎さん」(例えです)と言っても不思議はない。
このように川上自体がそもそも混乱を来たしやすい名字である。

混乱ついでに言えば、同じく鹿児島出身の川上直之介という人物もいる。
銀行家。鹿児島県生。東京帝大卒業後、米・ 独に留学。横浜正金銀行に入行後、日本勧業銀行に転じる。元勧業銀行理事・元日本銀行監事。

川上直之介の父の名は川上助七。
川上直之介の妻は、松方正義の三女(男子含めたトータルでは8人目の子)・松方廣子である。
つまりこちらの川上さんも松方家と親戚である。


それで昨日書いた松方正義の14男・義行が実は川上左七郎の次男だという話の続だが、彼は松方正義の次男・松方正作の養子になった。その後に7代目森村市左衛門の養子となった。
  川上義行→松方義行→森村義行
松方正作は外交官で、彼の妻は三菱財閥創始者岩崎弥太郎の弟で2代目総帥岩崎弥之助(元日本銀行総裁)の長女である。
従って川上左七郎の次男・義行の養父は日本銀行創始者(後に総理大臣にもなる)の息子、養母が三菱財閥の娘ということになる。さらに義行は森村財閥の娘と結婚した。


松方の14男とされている義行が実は川上左七郎の次男だという説を取れば、川上左七郎一家には他にも松方家へ送り込まれた子供がいることになる。

 川上左七郎の4男・川上義三郎―松方正義の三男・松方幸次郎の養子となる。
 川上左七郎の5女・川上文子―松方正義の三男・松方幸次郎の養子となる。

3 三男:幸次郎(1865-1950、実業家、政治家) 川崎造船所*社長、衆議院議員。妻は三田藩最後の藩主・九鬼隆義**の娘。幸次郎の娘・花子は松本重治夫人。孫の操は建築家・槇文彦の妻。

しかしながら義三郎と文子はともに松方正義の子供とする資料もあるわけである。
 松方正義の15男(女子も含めたトータルでは21人目)・松方義三郎
 松方正義の7女(男子も含めたトータルでは22人目)・松方文子
松方義三郎は松方正義が64歳の時の子供、松方文子は68歳の時の子。
そして松方正義にはまだこの後に4人の子がいることになる。



21 十五男:三郎(1899-1973) 登山家、ジャーナリスト、実業家。
ボーイスカウト日本連盟第6代総長。共同通信社専務理事。東京ロータリークラブ会長。巌の養子となり松方家第3代当主となる。本名は義三郎。筆名として「後藤信夫」(G.N.)など。

松方正義Wikipediaの家族欄では巌(松方正義の長男)の養子となったとあるが、ここは勘違い。
正式に養子となったのは3男・松方幸次郎のほう。長男・巌の世話になっていたこともあったということのようである。
松方三郎Wikipediaのほうでは松方幸次郎の養子として届け出たことが記されている。
昭和30年(1955年)5月9日、本名“義三郎”を“三郎”と改名。子供のころから“義三郎”の名を嫌い、自他ともに“三郎”で通っていたのが家庭裁判所で認められた(『松方三郎』341頁)

1899年 8月1日 - 松方正義と松方の妾キタの子として生まれる。“義三郎”と名付けられる。京都の北、松ヶ崎の農婦である乳母の家に預けられ4歳までここに育つ。その後、兄巌に養われ芝区南佐久間町に住む。
1905年 4月 - 兄松方幸次郎の養子として届出。


はたして、川上左七郎の4男なのか、松方正義の15男か、正解は不明。
(川上左七郎は川崎造船所の取締役、養父の松方幸次郎は川崎造船所の社長である)
正解は不明だが、松方義三郎(後に三郎)は松方家の3代目当主に納まった。
 松方家初代当主 松方正義(父)
 松方家2代目当主 松方巌(長男)
 松方家3代目当主 松方三郎





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by yumimi61 | 2017-04-17 11:26


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