2017年 04月 21日
日本国憲法の秘密-457-
松方三郎(1899-1973) ※本名は義三郎、1950年に改名
                 ※1943年に松方家3代目当主となる

 実父?:松方正義(1835-1924)
      川上佐七郎(1851-1917)・・・松方正義の妻の従兄弟か兄弟らしい

 世話人:松方巌(1862-1942)・・・十五銀行(華族銀行)頭取、2代目松方家当主 →十五銀行倒産で失脚
 巌の娘婿:黒木三次(1884-1944)

黒木三次の父は黒木家に養子入りした薩摩藩士。
父が死去し長男である三次が爵位を継承し伯爵となった。
関東大震災が発生すると復興を目的とした帝都復興院の参与に就任した。(帝都復興院の総裁は医師であり満洲鉄道の初代総裁でもあった後藤新平が就任。幹部は後藤の腹心やブレーン。NHK前身の東京放送局の初代総裁も後藤であった)


 養父:松方幸次郎(1865-1950)

川崎造船所の川崎は地名ではなく創業者(川崎正蔵)の名字。川崎正蔵は薩摩藩出身。国有の郵便汽船会社は西南戦争を機に三菱汽船会社と合併したが、その前から川崎は国有会社の副社長でもあった。
川崎は同郷の先輩であり自分の事業の恩人でもあった松方正義の三男に会社を譲った。
幸次郎の妻は三田藩最後の藩主・九鬼隆義の娘である。九鬼隆義も三田藩主家に養子入りした人物。その経緯には怪しさが残る。廃藩置県に前後して福沢諭吉の勧めで神戸の土地を買い締め巨万の富を得る。キリスト教をはじめ西洋文化を積極的に取り入れ、宮内省にも勤務した。
三田藩主の九鬼家に仕えていた白洲家も慶應出身。
慶應義塾の創始者・福沢諭吉は薩摩の島津家や九鬼隆義から経済援助を受けている。
慶應義塾は島津家や松方家(日銀)、岩崎家(三菱)寄りの立場にあるということである。
慶應は学閥が強いことで昔から有名。
先日まで書いていた話に出てきた阪急グループ創始者も慶應出身。阪急・小林一三並びに三越・三井・三菱の三グループは全て慶應閥であり、東急グループのオーナーだった五島慶太はこの慶應閥から兵糧攻めにあった。
東急グループの母体企業・田園都市株式会社の創始者は(日本経済の父であり理研の創始者でもある)渋沢栄一であり五島ではなく、その田園都市株式会社の経営にこっそり関わっていたのが小林一三であった。
また東急電鉄の株式を握っていたのも五島ではなくフィクサー小佐野賢治であった。
小佐野は日本航空と全日空の株を買収して航空業界へ進出することを狙っていた。その後ろにはロックフェラーがいたとされる。(過去記事参照)

阪神大震災や地下鉄サリン事件が発生した1995年当時の日本銀行総裁は兵庫県神戸市出身者。
1998年3月20日に大蔵省接待汚職事件のスキャンダル(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)により任期途中で引責辞任した。
1998年という年は日本銀行法が全面改正され新法となった1997年の翌年だった。
引責辞任した総裁の後任者も神戸出身。


川崎造船所は最初は築地の官有地に作られたが、その後神戸に移っている。
上にも書いてあるが廃藩置県に前後して福沢諭吉の勧めで神戸の土地を買い締め巨万の富を得たのが、川崎造船所の社長だった川崎幸次郎の妻の父・九鬼隆義である。


  幸次郎の娘:松方花子→松本重治に嫁ぐ→松本花子

父・松方幸次郎(松方正義の三男)
                     ======松方花子(松本重治の妻となる)
母・好子(九鬼隆義の次女)

父・松本枩蔵(旧姓・井上、松本家に養子入り)・・・失脚 
                     =======松本重治       
母・光子(松方正義の五女) 
 


井上枩蔵が養子入りしたのは松本重太郎。
肥料、銀行、紡績、鉄道など多くの企業の設立や経営に参画した。
西の松本、東の渋沢(栄一)と呼ばれた、大物実業家。

松本重治(1899年〈明治32年〉10月2日 - 1989年〈平成元年〉1月10日)は、日本のジャーナリスト。財団法人「国際文化会館」(東京都港区六本木)の専務理事。理事長。アメリカ学会の会長。

松本重治は松方家に二重の縁がある。
①母が松方正義の娘(但し正妻の子ではない)
②妻が松方幸次郎の娘

松方幸次郎の養子となった松方三郎と、松方幸次郎の娘と結婚した松本重治は同い年である。

松本重治は東京大学卒業後にアメリカへ遊学。さらにウランス、オーストリア、イギリスを巡る。
松本重治の妻となる花子(幸次郎の娘)もイギリスへ8年あまり留学していた。
重治と花子はイギリス・ロンドンで出会い(落ち合い?)、ロンドンでプロポーズして、1927年に帰国し結婚。
川崎造船所のある神戸の地元紙(神戸新聞)では帰国時に「松方花子さまのお帰り!」とかなんとか記事にするほどであった。
松本重治は東京大学で助手として勤務した後、1932年(33歳の時)に新聞連合社(後の同盟通信社)に入社し、1945年に退職するまで上海支局長や編集局長、常務理事などを歴任した。
前記事の松方三郎の経歴に、「1934年(昭和9)に新聞連合社(後の同盟通信社)に転職」と書いたが、この会社に先にいたのは松本重治だったのである。
親戚でもあるし、同い年でもあって、松本重治と松方三郎は親しい間柄にあった。
松本重治はロックフェラー3世と大の仲良しだったことでも有名。


戦後、松本重治が設立に関わり、専務理事や理事長を務めた国際文化会館の設立にはロックフェラー3世が関与している。
ロックフェラー家はアメリカ連邦準備制度(FRS)やその理事会(FRB)の設立メンバーにも名を連ね、現在も大株主ではないかと言われている(非公開のため実態が不明)。

2世の5男であるデイヴィッド・ロックフェラーvs3世の長男であるジェイ・ロックフェラー。
ここが長らく揉めていたが、デイヴィッドがお歳を召し(先日亡くなったとか?)、今現在はジェイ・ロックフェラーさんがジョン・ロックフェラー4世ということで落ち着いたようだ。
3世はロックフェラー家やアメリカにとっても不評で隠しておきたい存在なのか、日本語版Wikipediaには存在しない。
ただこの3世とその息子の4世は日本にとても関係が深い。

ロックフェラー4世は、ハーバード大学で東洋の歴史と言語を学んだ後、日本の国際基督教大学に留学し日本語を3年間学んだ。
この大学はロックフェラーと所縁がある。
それもそう、1852年設立の国際文化会館と1853年設立の国際基督教大学(ICU)ともに、ロックフェラー3世(ロックフェラー財団)が関与し資金援助したのである。



国際基督教大学(ICU)
東京都三鷹市大沢三丁目10番2号に本部を置く日本の私立大学である。
高松宮宣仁親王が設立準備委員会の名誉総裁に就任し、当時の日本銀行総裁である一万田尚登が設立のための募金運動に奔走した。またGHQ最高司令官を務めたダグラス・マッカーサーも、大学設置に際し財団の名誉理事長として、米国での募金運動に務めた。
1953年に初代学長として湯浅八郎を迎え、一期生198人より開学に至った。


湯浅八郎の父は、同志社創立者の新島襄と同郷(群馬県安中)の湯浅治郎である。
湯浅八郎
1890(明治23年)東京に生まれた。同志社理事・群馬県会議長・衆議院議員を務めた実業家・政治家である父・湯浅治郎、徳富蘇峰・徳富蘆花兄弟の姉である母・初子の間に生まれた。湯浅家は当時の日本ではまだ珍しいクリスチャン・ホームであった(父方の叔父に聖書学者として知られる湯浅吉郎がいる)。少年期は主として京都で過ごした。
第10・12・13代同志社総長および初代国際基督教大学学長を歴任した。


国際基督教大学(ICU)は新島襄や同志社との関係を匂わせて設立されている。
(ちなみに大学が置かれた場所は戦前中島飛行機が所有していた土地である。中島飛行機も群馬で創業された会社)
このような記述もある。
キリスト教長老派による創設で、米国型リベラルアーツ・カレッジの形式を踏襲している。1949年、御殿場にあるYMCA東山荘で催された日米のキリスト教指導者による会議において、国際基督教大学の創設が正式に決定された。

でもこのあたり少しおかしい。
ダグラス・マッカーサーは以前にも書いた通り、フィリピンに長い間いた人である。
マッカーサーがキリスト教を信仰していたとするならばカトリックであったと考えるのが自然である。

フィリピンは世界でも類を見ないほどの(?)カトリック国である。
国民の90%以上が一神教のカトリック信者で信仰心も厚い。日曜日は家族で教会が当たり前。
そんなフィリピンのアメリカ統治時代を任されていたのがマッカーサーだった。親子2代、フィリピンを担当することになる。



一万田尚登
日本銀行総裁としての在任期間3115日間は歴代最長である。一萬田自身の鋭い眼光の目つきと彫りの深い容貌もあいまって「法王」の異名を取り、戦後の金融界、経済界に重きを成した。

東京帝国大学卒業後、日本銀行に入行した。1944年には、日本銀行の理事に就任した。1946年、前任の新木榮吉の公職追放に伴い、日本銀行の第18代総裁に就任した。インフレーション下の戦後日本経済再建のため、日本銀行は金融面での絶大な権威を持ち、ローマ教皇庁にたとえられたことから、「一萬田法王」の異名を取った。


1946~1954年、日本銀行総裁。
1954~1956年、大蔵大臣。
1957~1958年、大蔵大臣。

戦後の日本の金庫番が国際基督教大学の創立に深く関わっていたということだ。

 
 妻:松方星野・・・山口県出身、実業家佐藤市十郎の次女

松方三郎の妻は敬虔なカトリック信者だったという。
星野という名前は「ベツレヘムの星」ちなんでいるというから、親も熱心なカトリック信者だったのであろう。
しかしですよ、星野といったら名字!
松方星野では、まるで松方さんと星野さんという2人の名字が併記されているよう。
(前にも書いたが星野姓が全国多いのは群馬県)
ともかくこのように松方三郎の妻はカトリック信者。

松方三郎の親戚であり友人の松本重治の妻(松方幸太郎の娘)も母が九鬼家(三田藩主家)出身である。
三田藩家老・九鬼兵庫(松方星野ばりの名前!)の屋敷跡に1952年に献堂されたカトリック三田教会がある。
三田藩の藩主も家老も九鬼家で親戚である。一般的には、藩主が本家筋で、家老が分家筋。

九鬼隆義はキリスト教とも無縁ではない。
神戸在住の宣教師(プロテスタント)と知り合いキリスト教に強い関心を示した。この影響で多くの三田出身者がキリスト教に入信したそうだ。1875年に三田旧領の子女教育のため神戸に「神戸ホーム(のち神戸英和女学校)」(現:神戸女学院)を開校した。
1882年に上京し宮内省(準奏御用掛華族局)に勤務し、1884年に子爵を授かり、1886年に吹上・浜両御苑勤務に異動した。
1887年に神戸教会にてキリスト教の洗礼を受けた。しかしながら三田内部および三田の寺院の強い反対でキリスト教を棄教して仏教に帰信したという説もあるようだ。


三田藩家老・九鬼家の屋敷跡にカトリック三田教会が造られたことからも分かるように、三田藩家老の九鬼家は敬虔なカトリック信者であった。
神学者になった者や修道院に入った者がいるほどである。
家老家がカトリックで藩主家がプロテスタントとは考えにくい。
九鬼家のキリスト教信仰もカトリックとプロテスタントの混同があり少々おかしい状況。
日本人はキリスト教や十字架やイエスやマリアは知っていても、宗派や教派(カトリックやプロテスタントの違いさえ)を理解していないところがあるので、一緒くたになってしまったのだろうか?
中にはカトリックとプロテスタントの違いが分からない人がいたとしても敬虔なカトリック信者を抱えていることから、「家」としてはカトリック信仰であったと言ってよいだろうと思う。
無宗教・無信仰の日本人にはピンとこないかもしれないが、宗教の違いは結婚その他の障害になるほど大変なことである。
「家」「家族」を重視するならば尚のこと。

松本重治の密葬は世田谷(アンゴラ大使館のお隣)の東京聖三一教会(聖公会)で執り行われた。
従ってキリスト教信者であったことは間違いないが、聖公会とはイギリスの王(現在は女王)を頂点とするキリスト教である。
カトリックから分離したのでプロテスタントとも言われるが、カトリックの教義などそのまま維持しており、限りなくカトリックに近いとも言われる。









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by yumimi61 | 2017-04-21 13:21


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