2017年 05月 11日
日本国憲法の秘密-471-
1989年1月、盛田昭夫と石原慎太郎の共著『「NO」と言える日本』が発売された。
その年の5月、盛田昭夫は1969年より就任していたJPモルガンの国際諮問委員会メンバーを退任した。

入れ替わりでJPモルガンの国際諮問委員会メンバーとなったのは小林陽太郎。
小林はカトリック教徒である。ローマ・カトリック・イエズス会が設立母体の上智大学から名誉博士号が贈られている。歴任した理事や評議員は多数。
代表的なものは、日米欧三極委員会アジア太平洋委員会委員長、経済同友会終身幹事(元代表幹事)、慶應義塾評議員・理事。
日米欧三極委員会はデイヴィッド・ロックフェラーが主導で1973年に設立された。
前出の山本正も日米欧三極委員会の事務局。
国際人として有名な女性・緒方貞子もそうである。
共通点はカトリック教徒であるということ。(ということは、対立したロックフエラー3世もデイヴィッド・ロックフェラーどちらもがカトリック教徒を仲間としていたことになる)



デイヴィッド・ロックフェラーは1970年代から1981年までチェース・マンハッタン・バンクの頭取だった。
(2000年にJPモルガンとチェース・マンハッタンが経営統合している)
そのチェース・マンハッタンにも日本人の国際諮問委員会メンバーがいた。

古株としては石坂泰三(元東京芝浦電気取締役社長、元経団連会長)。
1967年にチェース・マンハッタンの国際諮問委員会に就任しているので盛田昭夫がJPモルガンの国際諮問委員会に就任するよりも2年ほど早い。

次に藤野忠次郎(元三菱商事元社長)。1971年就任。藤野が就任していた時期はデイヴィッド・ロックフェラーが頭取に就任していた時期に一番重なる。

その他、長谷川周重(元住友化学社長、元経団連副会長)、緒方四十郎(元日本銀行理事、元日本開発銀行副総裁、緒方貞子の夫)、江尻宏一郎(元三井物産社長)がいる。


①石坂泰三
1986年(明治19年)生まれ。
第一生命保険、東京芝浦電気(現・東芝)社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、1956年(昭和31年)2月21日-1968年(昭和43年)5月24日)。経団連会長を4期、12年務めた。経団連会長の異名 「財界総理」は、石坂泰三を嚆矢とする。

1911年(明治44年)東京帝国大学法科を卒業。逓信省に入省、貯金局に配属された。
岡野敬次郎法制局長官の紹介で第一生命保険相互会社(現・第一生命保険株式会社)の矢野恒太社長に紹介されたのが機縁となり、1915年(大正4年)逓信省を退官し、第一生命に入社し、矢野社長の秘書となる。


岡野敬次郎は群馬県出身。父は上州岩鼻代官所勤務の幕臣だった。
1886年帝国大学卒業後ドイツに留学。その後帝国大学教授となり商法関係法案の起草にあたった。日本商法学の基礎を作った人物。宮中顧問官も兼任し貴族院勅選議員となる。長官や大臣、中央大学学長などを歴任。

(石坂は)1938年(昭和13年)に第一生命取締役社長に就任し(1947年まで)、同年第一生命本社ビルが完成しし、第一生命は大手生命保険会社に成長した。
戦後GHQの本部となったのがこの第一生命ビルであった。

三井銀行(現・三井住友銀行)頭取の佐藤喜一郎と東京芝浦電気(現・東芝)社長の津守豊治の依頼で、1948年(昭和23年)東京芝浦電気取締役、翌年社長となる。
1956年(昭和31年)に石川一郎経済団体連合会(経団連)会長辞任を受けて、後任の経団連会長、産業計画会議委員(議長・松永安左ヱ門)に就任する。1957年(昭和32年)石川島播磨重工業(現・IHI)相談役、東京芝浦電気会長に就任する。


東京芝浦電気は先日書いた田中製造所→芝浦製作所の後身会社で東芝の前身。

1957年(昭和32年)にアラビア石油会長に就任。1960年(昭和35年)、1964年東京オリンピック資金財団会長に就任。1963年(昭和38年)日本工業倶楽部理事長に就任。1964年(昭和39年)、日本は経済協力開発機構(OECD) に加入。それにともない、産業経済諮問委員会(BIAC)にも加入し、石坂はBIAC日本委員長となり、積極的に資本の自由化に取り組んだ。同じ年、小泉信三の後を受けて、1975年(昭和50年)まで宮内庁参与に就任。 

小泉信三は現天皇の教育責任者だった人物。慶應義塾の塾長でもあった。小泉信三の父も慶應義塾の塾長や横浜正金銀行支配人を歴任している。


<石坂泰三の親兄弟>
石坂泰三は7~8人兄弟の3男。父親は石坂義雄。埼玉県大里郡奈良村(現埼玉県熊谷市)の地主であった。
江戸時代に領地を持っていた大名ならともかく、地主という考え方は基本的になかった。
地主になったのは明治初期に何らかの方法で土地を得た人達である。
どの程度の地主かは分からないが、明治新政府寄りの人物のほうが地主になりやすかったはずである。

石坂義雄の長男・弘毅(1878年(明治11年)生まれ)は、陸軍士官学校を経て軍人となった。
「石坂家」は通常はこの長男が本家を継ぐ。
長男の妻は、夏目漱石が明治43年に胃病の転地療養のために滞在した伊豆の修善寺温泉・菊屋の主人の弟で滞在中に漱石を診察した医師・野田洪哉の孫にあたる人物。
弘毅の長男・公成も医師である。本家を継ぐべき人物はこの医師である。
石坂公成
1925年(大正14年)生まれ。府立二中、旧制成蹊高等学校を経て、1948年、東京大学医学部卒業。
国立予防衛生研究所免疫血清室長、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長、ジョンス・ホプキンス大学医学部教授(京都大学医学部教授兼任)、 ラホイヤ・アレルギー免疫研究所所長、カリフォルニア大学内科教授、米国免疫学会会長等歴任。

弘毅の娘の1人は三井生命社長の井上八三に嫁いでいる。

石坂義雄の末息子・禄朗(1897年(明治30年)生まれ)。
1922年東京帝国大学経済学部卒業。横浜正金銀行に入り東京支店頭取席、神戸、上海、カルカッタ、ロンドン各支店在勤、バタビヤ、神戸各支店副支配人、業務人事各部次長を歴務。
戦後は ニューエムパイヤ自動車顧問 芝浦製作所顧問のち取締役、日本輸出入銀行理事、芝浦機械製作所専務、東芝機械専務歴任。

石坂泰三は官僚から1938年に第一生命の社長に就任したが、弟である禄朗はそれより先に横浜正金銀行に入行している。

石坂家は三井や横浜正金銀行に関係があったことが分かる。埼玉県深谷出身の渋沢栄一繋がりだろうか。
さらに福沢諭吉の慶応義塾系である。


********************************************

日本ビクター
1901年、アメリカで ビクタートーキングマシンが設立される。
1927年、ビクタートーキングマシンの日本法人が設立される。
1929年、 ビクタートーキングマシンはRCA(Radio Corporation of America)に買収され、RCAビクターとなる。(RCA社は日本法人に関しては三井と東芝から出資を受けている)
1938年、日中戦争などきな臭さが漂い外資系への風当たりも強くなったことからRCAが撤退。
その後RCAの株式は日産に譲渡され、さらに東芝に売却。日本ビクターは1943年に完全にRCAとの資本関係を解消し東芝の傘下に入った。
戦後間もなく、資本が東芝から日本興業銀行へ移行。
日本興業銀行から日本ビクターの再建を懇望されたのが松下電器の松下幸之助。松下電器(現:パナソニック)の傘下となった。
2007年、ケンウッドと資本提携。(2012年までパナソニックが筆頭株主であった)。

ケンウッド
1946年、有限会社春日無線電機商会が長野県駒ヶ根市で設立される。(創業者3名親族)
1947年、商標を「TRIO」に決定。
1960年、社名をトリオ商事株式会社に変更。
1961年、日本国外向けブランド名をKENWOODを決定。
1969年、音楽レコード事業に進出(レーベルは「トリオレコード」)。
1972年、創業者3名のうち2名が経営方針の違いから会社を離れる。社名をケンソニックとする。
1970年末、経営危機に陥る。
1979年、日本銀行理事だった石坂一義(石坂泰三の長男)が顧問として送り込まれ、1980年より社長に就任。
1982年、社名をアキュフェーズに変更。
1986年、社名をケンウッドに変更。
2008年、日本ビクターの傘下に入る。


東芝
1893年、三井銀行(藤山雷太を送り込む)が田中製造所を引き受け芝浦製作所と改称。
1904年、株式会社芝浦製作所として再出発。
1939年、重電メーカーの芝浦製作所と弱電メーカーの東京電気が合併し、東京芝浦電気として発足。
1949年、三井銀行頭取の依頼で石坂泰三が社長に就任
1960年、レコード会社・東芝音楽工業(→1973年東芝EMI株式会社→EMIミュージック・ジャパン→ユニバーサル ミュージック合同会社 EMIレコーズ・ジャパンレーベル→ユニバーサル ミュージック合同会社 EMI Rレーベル)を設立。
1984年、東芝に社名変更。

※EMIを買ったテラ・ファーマがシティグループから騙されたと言って訴えた話はこちらに書きました
「テラ・ファーマ・キャピタル」は、日本の野村ホールディングスのイギリス法人である野村インターナショナルのプリンシパル・ファイナンス・グループから分離独立した投資会社だよという話はこちらに

********************************************


音楽関係者ならよく知っているだろう石坂敬一。

昭和20年8月25日生まれ
昭和43年、慶應義塾大学経済学部卒業
東芝音楽工業(現 東芝EMI)入社
洋楽ディレクターとして、ビートルズ、ピンク・フロイド、レノン&ヨーコ、Tレックス、エルトン・ジョン、ジェフ・ベックなどを担当
昭和56年、同社 邦楽本部において、BOOWY、松任谷由実、長渕剛、矢沢永吉を担当
平成3年、 常務取締役 就任
平成6年、 ポリグラム株式会社(現 ユニバーサル ミュージック株式会社)入社、代表取締役社長 就任
平成11年、ユニバーサル ミュージック株式会社 入社、代表取締役社長 就任
平成13年、同社 代表取締役社長兼CEO 就任
平成18年、同社 代表取締役会長兼CEO 就任
平成19年7月より、社団法人日本レコード協会会長 を務める


2016年末に亡くなられたそうである。


エンタメステーションMUSIC
生みの親だった石坂泰三、育ての親となった石坂範一郎~「あの会社はつぶしたほうがいい」という発言
より

石坂一族の本家に生まれた石坂範一郎(のりいちろう)は、分家の出身だった石坂泰三とは縁戚にあたる関係にあった。戦前は東芝の子会社になった日本ビクターに出向し、戦後もそのままレコード部門で洋楽部長を務めていた。
石坂範一郎の長男で父と同じ慶応大学を卒業し、1968年に東芝レコードに入社して洋楽ディレクターとなり、ビートルズやピンク・フロイドを担当した石坂敬一は、後に外資系のユニバーサル・ミュージックとワーナーミュージック・ジャパンで社長と会長を歴任してきたミュージック・マンである。東芝がレコード産業に参入したことについては、泰三の「弔い合戦」だったとインタビューでこう語っていた。

東芝のトップだった石坂泰三さんが「弔い合戦をやる」ということで、面子にかけてレコード会社を作ることになったんです。それでEMIというイギリスの国策的レコード会社と東芝が技術提携して、東京芝浦電気音楽事業部という部署ができたのが、昭和27年か28年頃です。戦前から戦後、東芝からビクターに行っていた父が東芝に戻って事業部長をやっていました。
(Musicman’s RELAY第82回 石坂 敬一)


石坂敬一の父親は石坂範一郎。
石坂範一郎は石坂一族の本家の出身で石坂泰三は分家出身との記述もあるが、本家の出身であるならば医師である石坂公成の子であるはずだがそうした裏は取れない。
石坂範一郎は戦前に東芝から日本ビクターに出向していたようで、戦前から石坂一族が東芝で幅を利かせていたような感じだが、石坂泰三が三井銀行に頼まれて東芝の社長に就任したのは戦後である。
要するに石坂範一郎は東芝社長石坂泰三コネクションで東芝や日本ビクターにいたわけではなさそうである。
コネクションならばやはり三井コネクションであろう。



東芝レコードがキャピトルの権利を獲得した1959年頃から61年にかけて、範一郎と永島と草野の3人はすでに海外との契約関係でお互いにつながりを持っていた。この3人に渡辺プロダクションの渡邊晋・美佐夫妻を加えた人たちが、日本の音楽出版ビジネスの先駆者に挙げられる。しかも全員がそれぞれの立場でビートルズの来日公演に、深く関わっていたことは注目に値する事実といえるだろう。
ビートルズの来日公演の前座として出演したのは、内田裕也、尾藤イサオ、望月ひろし、ドリフターズは、いずれも渡辺プロダクションの所属であり、発売元はすべて東芝レコードだった。



・範一郎は前述の石坂範一郎。

・永野は永野達司。プロモーターの先駆者。父親が三菱銀行の銀行家。戦前にニューヨークやロンドンに駐在していた。
アメリカ軍の諜報機関だった「キャノン機関」の一員との噂があるアルフォンゾ・B・シャタラックという人物と組んで、“S・Nプロダクション”を興し、アメリカからのアーティストの招聘を始めたほか、日本のジャズブームの時代にはコンサートの興行を積極的に手がけた時期もある。
1957年に協同企画を設立してからは外国人ミュージシャンの招聘へと軸足を移して、アメリカの大手プロモーターZAC(ゼネラル・アーツ・プロダクション)を通じて、仕事を広げて海外の大物を日本に招くようになり、ほどなくして興行の世界では第一人者の立場を確立している。


・草野は草野昌一。音楽出版社の専務であり訳詞者。

・渡辺プロダクションや渡辺美佐会長のことは前に書いたことがある
以前こちらに、安倍晋三(総理)を囲む「午年の会」のことを書いたことがある。
メンバーは芸能人や文化人だそうだ。
同じく芸能人や文化人が大挙してメンバーになっているのが「エンジン01文化戦略会議」である。「甍(いらか)三」に書いた。
iPS細胞の山中教授も名を連ねる。
一時期三洋電機取締役会長兼CEOに就任した野中ともよ氏や、神奈川県知事の黒岩祐治氏は、「午年の会」「エンジン01文化戦略会議」どちらのメンバーでもある。
この「エンジン01文化戦略会議」のメンバーをほぼ丸抱えしているのが芸能事務所の渡辺プロダクションである。

渡辺プロダクションの歩みを見ると、2009年11月に「英国ロスチャイルド家/バロネス・シャーロット・ドゥ・ロスチャイルド プライベートコンサートパーティー招待出席」とある。
ロスチャイルド家とも懇意なのかしら?

会長個人の経歴はこちらをどうぞ。
フランス政府とも懇意かしら。
2012は藍綬褒章も受章している。


やはり三菱・三井―政財界・貴族・天皇―ロスチャイルドといった繋がりでしょうか。
これが著作権ビジネスにも関わっているということになりますね。


<石坂泰三の子供達>
長男―日本銀行理事、トリオとケンウッドの社長
次男―戦死
三男―三井物産、ディクソンズ・グループ(イギリス家電販売大手)の顧問
四男―三菱銀行常務、松屋会長、ダイヤモンドクレジット(後の三菱UFJカード)会長
五男―東芝アメリカ会長、アメリカのシンキングマシンズ副社長
長女―熊本工業名誉教授・三浦鍋太郎の息子で東芝中央研究所勤務の三浦勇三に嫁ぐ
次女―元最高裁判事・霜山精一の息子で上智大教授の霜山徳爾に嫁ぐ

石坂泰三家は三井とも三菱とも関係があることが分かる。







[PR]

by yumimi61 | 2017-05-11 17:19


<< 日本国憲法の秘密-472-      Rain or Shine >>