2017年 05月 12日
日本国憲法の秘密-472-
それにしても東芝がレコード産業に参入したのが「弔い合戦」だったとはどういうことだろうか。
「あの時は敵わなかったけれど成長して見返してやる」くらいな感じならば分からなくもないけれど、「弔い合戦」と言ってしまうとやはり穏やかではない。
東芝音楽工業(後の東芝EMI)というレコード会社が設立されたのは1960年だが、それより前に東京芝浦電気内に音楽事業部が出来ていたらしい。
それが昭和27年か28年頃(1952,1953年頃)で、事業部長となったのがビクターから戻った石坂範一郎だという。


「弔い合戦」とは、戦死者の仇を打って、その霊を慰めるための戦いである。
1952,1953年頃の直近の戦争と言えば第二次世界大戦(太平洋戦争)だから終戦の年から7,8年経っている。
1954年12月~1973年11月までが日本の高度経済成長期と言われる時代なので、東芝に音楽事業部が出来たのは戦後混乱期から高度経済成長期への過渡期である。
戦争に負けた憂さを音楽で晴らそうと思った、「弔い合戦」はそんな比喩的な言葉だろうか。
しかしながらたとえ合戦が本当の戦争ではなく比喩的な言葉だとしても、弔い合戦という言葉を用いたということは何か戦争に関係があったはずである。


もう一度この言葉を引用しておこう。

東芝のトップだった石坂泰三さんが「弔い合戦をやる」ということで、面子にかけてレコード会社を作ることになったんです。それでEMIというイギリスの国策的レコード会社と東芝が技術提携して、東京芝浦電気音楽事業部という部署ができたのが、昭和27年か28年頃です。戦前から戦後、東芝からビクターに行っていた父が東芝に戻って事業部長をやっていました。
(Musicman’s RELAY第82回 石坂 敬一)


仇を打つのが目的だとしたらイギリスと手を組むことは少々不思議ではないだろうか。
第二次世界大戦中、確かイギリスは敵だったはずである。アメリカやイギリスは連合国であった。日本は枢軸国である。
敵と手を組んでいったい誰に仇を打つつもりなのか?アメリカ?それともイギリスと手を組んだふりして乗っ取り作戦?
ひょっとして原爆の恨みだろうか!?
イギリスは当初原爆開発不可能派で、アメリカとイギリスは原爆開発に関して意見がなかなか一致しなかった。チャーチル首相もアメリカ側から半ばコケにされたし。
原爆はアメリカによって投下された。イギリスは面子をつぶされた形になった。その憂さを晴らすために敵国日本と意気投合!?


でも東芝の社長であった石坂泰三は東芝レコードの方針に異を唱えていたようである。
その成長を手放しで喜んでいたわけではなさそうだ。

城山三郎が書いた伝記的な小説「もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界」には、泰三が東芝レコードに対して怒りを抑えられなくなる場面が出てくる。ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」が爆発的にヒットしていた1967年の年末の出来事だ。

山下太郎を失ったこの年の暮れ、石坂の心を騒がせる歌が流行した。学生バンドのザ・フォーク・クルセダーズによる『帰って来たヨッパライ』で、天国行きを目指した酔っ払いが、天国へ入ることを許されずうろうろするといったユニークでユーモラスな歌であった。
だが、この歌は石坂の癇にさわった。妻の死を「最大の不幸」と記したほどの石坂にとっては、死は生の一大事、天国はまた妻雪子と再会できる静かな聖地のはずであった。いや、妻の死とか、わが身の高齢とかを差し引いても、死や天国をそんなふうにふざけの対象にしていいものなのか。
さらに、そうした歌を少年少女までがおもしろがるという風潮が、石坂の心を暗くした。それは、日本の青少年の思想を悪くし、ひいては少年のような日本を危うくすることにならないのか。ユーモアを解することにかけては人に負けぬつもりの石坂であったが、黙っては居られなくなった。しかも、皮肉にも、そのレコードの発売元が東芝の子会社である。石坂は怒りを抑えきれなくなった。
もっとも、石坂は東芝関係は全て土光に任せ、今は一相談役のみである。その辺のところは心得ていて、はっきり物を言い合える間柄の岩田弐夫専務に鬱憤をぶちまけた。
「同じレコードでもベートーベンならいいが、あんなもので儲けるとは、何事だ」
すさまじい見幕でたたみかけ、
「経営とは徳義だ。あんな歌で儲けるくらいなら、あの会社はつぶしたほうがいい」とまで言った。もっとも、爆発させてしまえば、それで終わりで、そのレコード会社は以後も若者向けのヒット曲で成長を続けることになる。


旧人類と新人類で分ければ、石坂泰三は旧人類。石坂範一郎は新人類。
ビートルズは1962年にEMIからデビュー。1963年にはヨーロッパを席巻した。当時ビートルズは新人類だった。

イギリスのEMIはレコード会社として有名だが当時は多種の事業に参入しているコングロマリット(巨大複合企業体)であった。収益は主に軍事レーダーが上げていた。
レコード産業はアメリカのコロンビアレコードのイギリス法人とドイツのグラモフォンレコード(HMV)のイギリス法人が合併してEMIとなったので、コロンビアとHMVそれぞれのレーベルがあった。アメリカのキャピトルレコードもEMIの傘下にあった。
ビートルズはEMIのパーロフォン・レーベルからデビューしたが、これも元はドイツの会社でEMIに買収されていた。コロンビアやHMVといったレーベルに比べると弱小レーベルだった。
ビートルズは当初コロンビア、HMV、キャピトルなどの大手レーベルからは相手にされなかった。(後にアメリカでのリリースはキャピトルとなる)
キャピトルの海外アーティスト発掘育成担当(A&R;Artists and Repertoire)のデイブ・デクスター・ジュニアはビートルズはアメリカでは売れないと断固拒否していたという。

同じ頃キャピトルが扱いヒットした海外アーティストがいた。日本の歌手・坂本九だった。
坂本九は日本ビクターレコードからデビュー。1960年に東芝レコードに移籍。ビクターから東芝ということで石坂範一郎と同じ歩み。
アメリカでヒットしたのは1963年のこと。英語で歌うビートルズが売れなくて(イギリス英語だから?訛っているから?)、日本人が日本語で歌い、しかもSUKIYAKIなんて歌の内容と全く関係ないタイトルが付いた曲が(もしかして食べ物ではなくて’好き’と’妬く’の好き妬き?)、今ほどの情報社会ではないあの時代に売れる理由が分からない。
1963年6月15日、「SUKIYAKI」(邦題は上を向いて歩こう)がビルボード誌では週間1位を獲得。年間でも10位。(こういう順位も情報操作みたいなことはないのでしょうか?売りが売りを呼ぶみたいなかんじで)(ちなみにこの坂本九は1985年に墜落した日本航空123便に搭乗していて亡くなった)
キャピトルのデイブ・デクスターが手の平を返してビートルズを認めたのは1963年末のことで、1964年ビートルズはアメリカで記録的にヒットした。
日本にビートルズが入ってきたのはアメリカでのヒットとほぼ連動している。
ビートルズ初来日は1966年6月29日。

東芝レコードの石坂範一郎がアメリカのポピュラー音楽のカタログを充実させるために、三大メジャーのキャピトル・レコードと原盤供給契約を交わしたのは1959年の夏のことだ。

1961年、フランク・シナトラと並ぶ大物エンターテイナー、コールの来日公演を永島が実現させている。ZACの出身だったマネージャーのカルロス・ガステルは、ペギー・リーやメル・トーメも抱える腕利きで、キャピトル・レコードの最高経営責任者グレン・ウォリクス会長とも親密な間柄にあった。

戦後の日本のプロモーターの歴史はアメリカのZACとガステルから、永島へというラインで始まったとも言われている。


1962年にデビューしたビートルズは1970年に解散。
ジョン・レノンはデビューの翌年1963年に最初の結婚をしている。
オノ・ヨーコとの出会いは1966年11月9日のことだそうだ。ビートルズが日本に初来日した5ヶ月後。
オノ・ヨーコの曽祖父は銀行家。日本銀行理事でもあったという。
1969年に2人は結婚した。



石坂泰三の妻・雪子はマリアという洗礼名を持つカトリック教徒であった。
そうとなれば子供達だって少なからず影響を受けているはずである。
石坂泰三も晩年洗礼を受けてペドロという洗礼名を授かっていたようである。
ペドロはスペイン語・ポルトガル語での名前である。新約聖書の使途ペテロのこと。聖ペテロ十字(逆十字)のペテロさんである。英語ならばピーター、ドイツ語はペーター、フランス語ではピエール。
例えばポールはスペイン語・ポルトガル語ではパブロになるわけですね。
スペイン、ポルトガルで最大宗教はローマカトリック。
イスラム教に奪われたイベリア半島を700年あまりの運動(戦い)にてカトリックが奪還してスペインとポルトガルという国は生まれた。レコンキスタの地、復活の地である。
宗教改革と大航海時代には貿易と布教がセットになっていて、この2か国の船は世界中に出て行った。



例えどんな宗教であっても信心深いということは死や生や神を冒涜されることについては抵抗感があるだろう。
宗教が戦争の理由になることに関して、宗教を信仰する人がどうして戦いやテロなど出来るのかと訝しがることがよくあるが、冒涜が許せないという気持ちが強いからそうなってしまうのだろう。
自分の子供や愛する者を傷つけるやつは絶対に許さないという人は珍しくない。なかには仕返しをすると公言する人もいる。そこまでではなくても極刑にして欲しいと願う被害者や遺族は多い。最近では関係ない第三者までがそいうことを簡単に口にする。酷いやつはそれにみあった酷い罰を受けなければならない、状況によっては殺されてもいいと考えているわけである。
それは結局深く信じたり愛しているものを冒涜された時の反応と同じである。
死や生や神を冒涜されることについて抵抗感があるということは殊更特別なことではないのだ。
自分は大した信仰心もないのにその気持ちを利用する者がいるとするならば、それは同じではないけれども。

信心深いということに絡んでくるのが旧人類・新人類という区別。
人は老いを感じた時や死を身近に感じるようになるとやはり信心深くなるものである。この信心というのは宗教そのものであることもあるし、そうではなくて価値観の変化みたいなものも含まれる。
前に書いたように、生の中に死がある人と、死の中に生がある人は、同じではない。
年齢的なものだけではなく、戦争の中にある人とそういうものに無縁な人、安泰な生活をしている人と危険の中に身を置いているような人では、価値観や信心深さは常々違うだろうと思う。


石坂泰三は死や天国をおふざけの対象にした歌や、その歌を売り出した会社を許せないと思った。(ちょうど時期的にセンシティブな時でもあった)
そうだとすると、キリスト教を冒涜したと受け取られたジョン・レノンの発言やジョン・レノン、ビートルズなんかもあまり快く思ってはいなかった可能性もある。
そして石坂泰三はデイヴィッド・ロックフェラーではなくロックフェラー3世世代でもある。言い換えると石油派でもあった。


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ビートルズ初来日。
彼らは日本航空の法被(はっぴ)を着てタラップを降りた。
ビートルズより1年早くアメリカでヒットを飛ばした坂本九は日本航空の旅客機に乗っていて死亡した。
そのおよそ5年前の1980年12月8日(アメリカ時間)、ジョン・レノンも暗殺されて亡くなっている。
12月8日は真珠湾攻撃の日にちと重なるが真珠湾攻撃の12月8日は日本時間でハワイ時間では7日だったという。



ところで、すき焼は牛肉派ですか?(ちなみに肉じゃがは牛肉派?豚肉派?)
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前記事に載せた石坂敬一氏の経歴の中に
東芝音楽工業(現 東芝EMI)入社
洋楽ディレクターとして、ビートルズ、ピンク・フロイド、レノン&ヨーコ、Tレックス、エルトン・ジョン、ジェフ・ベックなどを担当

とあったが、上の牛さんはピンク・フロイドが1970年に発売したアルバムジャケット。
『原子心母』は邦題。原題は"Atom Heart Mother"。

邦題は、「Atom=原子」「heart=心」「Mother=母」と英語をそのまま直訳したものである。このタイトルをつけたのは、東芝音楽工業(現・EMIミュージック・ジャパン)の洋楽ディレクターだった石坂敬一である。

現在"progressive rock"は英語でも普通に使われている言葉である。省略形は"prog-rock"。
この言葉の誕生説として、1970年に発売されたピンク・フロイドの『原子心母/Atom Heart Mother』の日本盤のタスキに、「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」 (発案者は当時東芝EMIで担当ディレクターをつとめていた石坂敬一)というコピーが掲げられたのが初であるという説が有力とされるが、1968年に発売されたキャラヴァンのセルフタイトルのデビューアルバムのライナーノーツにも"progressive rock"という言葉が出ている。








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by yumimi61 | 2017-05-12 13:51


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