2017年 05月 16日
日本国憲法の秘密-474-
チェース・マンハッタンにも日本人の国際諮問委員会メンバーがいた。

③長谷川周重
東京府立一中、一高を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科卒業。住友合資入社。その後住友化学へ移り、常務取締役時代に技術導入、逐次展開方式を採用した。1965年、住友化学社長に就任し、以後会長・相談役を務める。
1974年、経団連副会長、日経連理事に就いた。1981年、日本経済協議会会長、日米中西部会代表世話人となる。
日本ギリシャ協会会長として、1988年にギリシャの外国人最高勲章であるグランド・コマンダー・オブ・ジ・オーダー・オブ・オーナー受賞を受賞する。1989年には世界経営協議会会長、名誉会長に選ばれ、藍綬褒章、フェニックス賞、勲一等瑞宝章を受ける。1984年9月から1993年9月にかけて財団法人交流協会会長に。1978年から1992年まで日比谷高校如蘭会会長など。

妻は安宅弥吉(安宅産業及び甲南女子学園創設者)の娘で、1925年・1926年の全日本テニス選手権女子ダブルス優勝者になったテニス選手の安宅登美子である。


妻の父親である安宅弥吉が創業した安宅産業は商社であった。10大総合商社に次ぐ商社であったが創業者の死後1977年に破綻。 メインバンクであった住友銀行の仲介によって多くの事業は伊藤忠商事に吸収合併された。
安宅産業は大阪で開業したが安宅の出身は石川県である。
また安宅弥吉は鈴木大拙のパトロンでもあった。
(鈴木大拙は)禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。
金沢時代の旧友である安宅産業の安宅弥吉は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した。
生前、1963年にノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。


外国で禅と言うとスティーブ・ジョブズを思い出す人もいると思うのでWスズキについて少々。
欧米に禅を広めた2人の鈴木、それが鈴木俊隆と鈴木大拙とである。名字は同じだが親戚ではなく直接的な関係もない。

鈴木俊隆
神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれる。12歳で静岡県森町の蔵雲院の玉潤祖温に弟子入り。駒澤大学在学中に蔵雲院住職となる。1930年同大卒業。永平寺、總持寺で修行。1936年に静岡県焼津市林叟院住職に転任。
1959年に55歳でアメリカに渡り、サンフランシスコの桑港寺の住職となる。桑港寺はそれまで主に日系人向けに教化活動をしていたが、当時の社会運動により、非日系アメリカ人の参禅者が増加。日系人との間で軋轢を生むようになり、鈴木は彼らのために1962年にサンフランシスコ禅センターを設立。1967年には長期修行道場として、カルメル渓谷近くの山中のカリフォルニア州タサハラ温泉にタサハラ禅マウンテンセンター(禅心寺)を設立した。



鈴木大拙・・・長谷川周重(住友化学社長)の妻の父・安宅弥吉(安宅産業のメインバンクは住友銀行)がパトロンだった。
石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。
第四高等中学校を退学後、英語教師をしていたものの、再び学問を志して東京に出た。東京専門学校を経て、帝国大学選科に学び、在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅した。この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒のベアトリス・レインと出会う(後に結婚)。ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドのチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。また釈宗演より「大拙」の居士号を受ける。大拙とは「大巧は拙なるに似たり」から採ったもので、『老子道徳経』と『碧巌録』が典拠であるという。

1897年に釈宗演の選を受け、米国に渡り、東洋学者ポール・ケーラスが経営する出版社オープン・コート社で東洋学関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論』(1900年)や『大乗仏教概論』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、禅文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。

1909年に帰国し、円覚寺の正伝庵に住み、学習院に赴任。英語を教えたが、終生交流した教え子に柳宗悦や松方三郎等がいる。1911年にベアトリスと結婚。1921年に大谷大学教授に就任して、京都に転居した。同年、同大学内に東方仏教徒協会を設立し、英文雑誌『イースタン・ブディスト』(Eastern Buddhist )を創刊した(現在も同協会より刊行中)。1939年、夫人ベアトリス・レイン死去。大拙に先立つこと27年であった。

晩年は鎌倉に在住、北鎌倉の東慶寺住職井上禅定と共に、1941年に自ら創設した「松ヶ岡文庫」(東慶寺に隣接)で研究生活を行った。1949年には、ハワイ大学で開催された第2回東西哲学者会議に参加し、中華民国の胡適と禅研究法に関して討論を行う。同年に日本学士院会員となり、文化勲章を受章した。1950年より1958年にかけ、アメリカ各地で仏教思想の講義を行った。1952年から1957年までは、コロンビア大学に客員教授として滞在し仏教とくに禅の思想の授業を行い、ニューヨークを拠点に米国上流社会に禅思想を広める立役者となった。ハワイ大学、エール大学、ハーバード大学、プリンストン大学などでも講義を行なった。鈴木はカール・グスタフ・ユングとも親交があり、ユングらが主催したスイスでの「エラノス会議」に出席した。またエマヌエル・スヴェーデンボリなどヨーロッパの神秘思想の日本への紹介も行った。ハイデッガーとも個人的に交流があった。1959年に至るまで欧米各国の大学で、仏教思想や日本文化についても講義を行った。
1960年に大谷大学を退任し名誉教授となる。90代に入っても研究生活を続けた。

1966年に、絞扼性腸閉塞のため東京築地の聖路加病院で死去、没年95。


仏教徒なのにわざわざキリスト教である聖路加病院にかかるものなのかしら?(救急搬送?)(医療に信仰は関係ありません!?)
キリスト教徒の松方三郎とも親しかったようだし。

それはともかく、1911年に結婚したベアトリスはアメリカ人。
神智学徒だったということだけれど、じゃあ神智学って何よっていう話ですよね?
神智学とは、神秘的直観や思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて、神とむすびついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするものである。
語源的には、ギリシア語で神を意味する θεός(テオス)と叡智を意味する σοφία(ソピアー、ソフィア)の合成語 θεοσοφία, theosophia (テオソフィア、神智)に由来する。

グノーシス派、新プラトン主義、インドの神秘思想などにも神智学的傾向がみられるが、狭義には以下の二つのものを指す。
一つは、17世紀にヨーロッパで顕在化した近代の「キリスト教神智学」の潮流であり、もう一つは1875年に設立された神智学協会の思想である。後者は近現代に新たに創出された体系であり、両者には共通点もあるが、系譜上のつながりはない。


長谷川周重は日本ギリシャ協会会長で、ギリシャの外国人最高勲章も受賞しているようだけれど、そのあたりは関係ないのかしら?
ベアトリスの神智学はどうも神秘主義に関係しているようである。
ベアトリスは1920年頃に高野山で密教の研究もしていた(密教は神秘主義に通じるものがある)。高野山は天皇家とも関係が深い。

ジョブズと関係が深いのはノーベル平和賞候補の鈴木さんではなくて鈴木俊隆のほう。

乙川(知野)弘文
新潟県加茂市の曹洞宗の寺に生まれる。駒澤大学を経て、1964年に京都大学大学院で修士号(大乗仏教)を取得した。
福井県の永平寺で3年に及ぶ修行を積み、1967年、僧侶・鈴木俊隆の招きでアメリカ合衆国に渡った。タサハラ禅マウンテンセンターにて、1970年まで補佐を務め、1971年に鈴木が死去した後には、ロスアルトスの禅センターにて、1978年まで活動、1979年にはロスガトスの慈光寺に転任した。

1986年にはスティーブ・ジョブズのNeXT社の宗教指導者に任命され、1991年にはスティーブ・ジョブズとローレン・パウエルの結婚式を司った。
その後も各地にて活動していたが、2002年7月26日、スイスにおいて、5歳の次女を助けようとして溺死した。



住友の長谷川周重と関係あるほうの鈴木大拙とベアトリス夫妻には実子がいなかったそうで、イギリス人男性と日本人女性の間に生まれた子供(1916年生まれ)を養子にしている。
その子は鈴木勝(アラン勝, Alan Victor Suzuki)。
なかなか手を焼く子供だったようだ。
1948年に日本コロンビアから発売されヒットした笠置シヅ子歌唱の『東京ブギウギ』の作詞者である。
鈴木勝は、宝塚歌劇団出身だが宝塚では芽が出なかった池真理子(芸名:三日月美夜子)と結婚した。(彼女は宝塚に入る前には女子ミッションスクールに通っていた)
戦後は日本コロンビアから歌手デビューしスウィングの女王と呼ばれるまでになる。
1959年に離婚。


ジョブズが傾倒した禅というのは早い話シンプルということなんだと思う。シンプルは美しさに繋がる。究極の美は何もないことだろう。
私も時々「物がない世界に暮らしたい!」と強烈に思うことがある。(そのくせ次の日には物を買っていたりするからダメなんだけど)
ごちゃごちゃした感じが凄い嫌になることがある。物があると掃除も面倒になるし。(でも美しいと思う庭はシンプルな日本庭園ではないんだよなぁ)
生きていくには、生活していくには、いろんな物が必要であり、モデルルームのような部屋はなかなか維持できない。
それと似たようなことになるけれど、人はごちゃごちゃといろんなことを考える。それは悩みと表現されることもある。
そうした時には何もかも捨てたくなることがある。知っている人が誰もいないところに行きたい、人なんか誰もいないところに行きたい、とにかく余分なものが何もないところにいたい、そのように思う。
本当に死んで清算してしまう人もいるけれども普通は思うだけで変わらない日常を送っている。
そうした人間の雑多な余分な考え(煩悩?)を除くのが精神修行であり、その状態に至るのが悟りなんだと思う。でも本当は日常の場でその状態に達しなければ意味がないとも思う。
余分なものがあまりないお寺かなんかで俗世を捨てて質素な生活をするということは、転地療養と同じで環境的アプローチであって精神的なアプローチとは少し違うような気がする。
シンプルで美しい暮らしと言えばドイツ。
自然を愛し物を大切にする、物をあまり買わない、エコライフの実践。
ドイツの製品は品質が良くて頑丈でデザインもセンスがある物が多い(というイメージがある)。
ジョブズの禅はドイツにも通じている。


【住友グループ】

住友財閥は、日本の三大財閥の1つ。
ロスチャイルド財閥を超える世界最古の財閥と言われており、その歴史は400年以上前にさかのぼる。
世界財閥家系のなかでも最も古い歴史を持つ住友家だが、住友家の先祖は平家一門といわれ、桓武天皇の曾孫・高望王の二十二代目に備中守忠重が現れ、「住友姓」を称し、室町将軍に仕えたとされている。いわば、この武家である住友忠重が「始祖」ということになるのだが、住友家には、家祖と業祖と2つの創業者が存在する。


室町将軍は源氏の分家筋である足利氏。

・家祖(住友家の本家)
家祖といわれるのは、忠重から数えて八世にあたる住友政友(現在の福井県坂井市丸岡町出身)で、この人が武士から僧侶となり、そののち還俗して京都で書籍と薬を商う「富士屋」を開き、商家・住友家を興した。
 ⇒住友政友の長男が継承(本家)
 ⇒住友政友の長女が政友の姉婿にあたる蘇我理右衛門の長男(銅吹所の跡取り息子)を養子に迎える。
 ↑
・業祖(住友家に居候していたが名字も家業も別だったという今で言うマスオさんだろうか?)
業祖といわれるのは、政友の姉婿にあたる蘇我理右衛門で、この人は南蛮吹きといわれる銅精練の技術を開発し、1590年京都に銅吹所を設けた。(これが住友金属鉱山の源流)

要するに両家が合体して、養子(蘇我理右衛門の長男・銅吹所の跡取り息子)をが住友家の2代目となった。

住友3代目は養子の長男。幕府御用達の銅山師となり日本一の銅鉱業者へと発展させた。
そして何と言っても4代目。住友4代目が中興の祖と言われる。
それまでも順風満帆だったが1691年に開発に着手した別子銅山が素晴らしかった。これが世界最大級の産銅量を誇る鉱山に成長して住友財閥(現在の住友グループ)の礎を築いた。
この銅山のおかげで住友家は財閥の地位を確実にした。だから4代目が中興の祖なのである。
住友は鉱山に始まった財閥である。世界有数の金鉱脈がある菱刈鉱山も経営している。

菱刈鉱山
鹿児島県伊佐市の菱刈地区東部にある日本最大の金鉱山である。金だけではなく、銀も産出する。
菱刈町は、江戸時代において産金地であった。そのため、昭和40年代より金属鉱業事業団(現:独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構)が金鉱探査を行い、1981年(昭和56年)に鉱脈を発見した。住友金属鉱山により1985年から採鉱が行われている。ここにおける産金量は年間国内産金量のほぼ全てを占めている。
菱刈鉱山における推定の金埋蔵量は250tと推定され、これは国内の他の主要金山全てを合計したものを上回る大規模なものである。1997年(平成9年)には鉱山の累計産金量が国内トップ(83t)となった。探鉱自体は継続的に行われており、2012年(平成24年)には新たな鉱脈も発見された。
また菱刈鉱山の金鉱石は高品位という特徴があり、通常の金鉱石の品位は数グラム/tであるのに対し、菱刈のものは鉱床探査の試錐で290グラム/t、鉱山の平均でも約50グラム/tと非常に高く世界最高水準である。


鹿児島は島津家の本拠地だったわけだが、そのあたりは関係ないのかしら?(所有権を主張するとか)
福岡で買い付けようとしていた(そして紙幣を強盗された)金は菱刈鉱山の金でしょうか?


住友は三菱グループ以上に「結束の住友」として井桁マークののれんにこだわった。また、住友グループ主要企業の社長会である「白水会」においては、他の企業よりも数が少なく、それだけ直系を重視している。

早くから東京に拠点を置いた三井・三菱(創業時は大阪)両グループに対して、住友グループは長らく大阪の地に拘り続け、今も大阪に本社を置く住友グループの企業は多い。住友グループにあっては、少なくとも高度成長期までは名実共に大阪にその中心を置いていた企業が多かったことも事実であり、「住友」と言えば即座に大阪を連想することが多く実際、近畿圏においては、特に年配者層を中心に、今もってなお三井・三菱両グループよりも住友グループのプレゼンス・社会的ステータスをより一段と高く評価することが多いのもまた事実であり、住友グループの大阪での存在感は健在と言える。






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by yumimi61 | 2017-05-16 14:58


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