2017年 06月 15日
日本国憲法の秘密-498-
ローマクラブはMIT(Massachusetts Institute of Technology;マサチューセッツ工科大学)に委託して『成長の限界』を書かせた。

マサチューセッツ州の首都がボストンである。

前にも書いたかもしれないけれど、私の大学時代の友人の恋人がアメリカに留学していた。
彼女は恋人に会ってばかりいて(?)一年留年した、私より入学年が1年早い先輩であった。
講義の始まる時間ぎりぎりか少し遅れてやってきて、いつも一番前の席に座った。
ファッションも持ち物も佇まいも小奇麗でどこか大人びていて、それが少しも不自然ではなかった。
簡単に人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた。私は後ろのほうの席から嫌でも目に入る彼女を見ていた。
きっかけは忘れたけれど私達はじきに意気投合し、その後研究や実習のグループも一緒になり、濃密な時間を過ごすようになる。
彼女はお勧めの洋楽を録音したカセットテープを私にくれたりした。久保田利伸のファーストアルバム『SHAKE IT PARADISE』も「これすごくいいよ」と彼女が私にくれたものの1つである。名曲『Missing』が収録されているアルバム。
私にはその頃ボストンに留学している友人がいた。
そんなこともあって彼女から夏休みに一緒にアメリカに行こうと誘われた。「向こうで航空券取ってもらえば安く行けるから」と。
結局私達は一緒にアメリカには行かなかったけれども。
彼女は卒業後に医師と結婚し、NIH(アメリカ国立衛生研究所)に研究留学した夫とともにアメリカで暮らすことにもなる。

マサチューセッツやボストンと聞くと、今でもあの頃に引き戻される。青春、そんな時代があるとするならば、その青春時代に。
~今しか出来ない青春を~送ったとしてもね、あの時にあんなことしていなければなぁと思ったりすることもある。それが大人になるということなのよ。
それに、したいことがあっても青春には出来ないことも多いのが現実ね。
でもまあ、若いってことは、やっぱり素晴らしいことよ。あなた達が思う以上に。
青春を輝かせているのは老い、そのことは忘れないでね。


人間の成長には限界がある。
思春期、あるいは20歳前後を境に成長は止まり、下り坂となっていく。
私は「成長の限界」を考える時、いつもあるSF小説を思い出す。
『地球の長い午後』(原題 Hothouse(温室) アメリカでは The Long Afternoon of Earth)。
イギリスの小説家ブライアン・W・オールディスが1962年に出版したものである。
ローマクラブが『成長の限界』を発表したよりも早いが、ロジャー・レベルが海の二酸化炭素吸収スピードが考えていたより遅いので排出が上回れば温暖化を招く恐れがあると発表したよりは遅い。

はるか未来、寿命が尽きかけ膨張した太陽のもと、地球の自転は停止し地上には永遠の昼と夜が現れた。熱帯と化した昼の世界では、巨大に進化した樹木が大陸を覆い尽くし、活動する食肉植物が絶滅した動物にかわって地上を跋扈していた。そんななか、文明を失った人類は弱肉強食の世界で細々と生きていた。仲間を追われた少年グレンの旅の行方は……。

ブライアン・W・オールディスは第二次世界大戦中、陸軍に召集されて東南アジアで任務にあたったという。
そこは温室で、巨大に進化した樹木が鬱蒼としており、見たこともないような生き物がいて、まるで別世界のように感じたのではないだろうか。
私は目を閉じて留まることを知らない木々を想像してみた。

むかーし、次男がサボテンだか観葉植物を欲しがったことがあって、サボテンとエアプランツを買ってあげたことがあった。
最初はせっせと面倒を見ていたが、そのうちに忘れてしまったのだろう。
ある日私は次男の部屋で、ひょろっと、くねっと、伸びたサボテンを見つけた。
鉢は小さくむろん巨大というわけではない。でもその形が恐竜のようだった。
恐竜ってサボテンだったのではないのかと唐突に思いつき、太古の世界にサボテン恐竜を置いてみた。

『成長の限界』(1972年)では、(今後、技術革新が全くないと仮定すると。=日本語では削除)現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇(あと20年で石油が枯渇する)や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らしており、破局を回避するためには地球が無限であるということを前提とした従来の経済のあり方を見直し、世界的な均衡を目指す必要があると論じている。

畏まって「成長の限界」やら「資源の枯渇」などと言うと何だかとても大変なことのような感じがするけれど、よく考えれば、普通に考えれば、限界があるということはごくごく当たりまえのことである。
月に届くほど背が伸びたら困るのだ。
それにどんなに技術が進歩しても人間はまだ死から逃れられない。
地球が宇宙の1つの構成要素だとするならば、地球にも限界や死があって然るべき。
1個人という小さな単位で物事を見れば、限界や死は理不尽で残酷で納得のいかないことばかり。
でも単位を大きくすると、限界や終わりがあるからこそ、始まりがあり持続可能なのだ。
限界や終わりを必要以上に避ければ資源も枯渇する。資源は「終わり」が作ったものなのだから。
そう考えていくと、宇宙の観点から見ると、地球は決して無限などではないはずだ。
生まれては消えていく。消えてはまた生まれる。

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by yumimi61 | 2017-06-15 12:58


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