2017年 08月 08日
日本国憲法の秘密-533- (加計学園問題について)
日本中央政界における政権交代は失政による内閣総辞職後の衆議院野党第一党党首への大命降下や衆議院多数派工作で成立したものがほとんどであった。

どういう事かと言うと、日本は民意によって政権交代がなされたことがないということである。
1885年に内閣制度が誕生して以降、初めて民意(選挙で野党第一党が単独で圧勝)によって政権交代がなされたのは2009年だった。
74年目にして初。
これによって鳩山由紀夫内閣が誕生した。
吉田茂の孫が麻生太郎、岸信介の孫が安倍晋三、そして鳩山由紀夫もまた同時代に首相を務めたことがある鳩山一郎(最終的に自民党)の孫である。


政権交代を可能にするほどの野党民主党風がどうして吹いたのか覚えていますか?覚えていませんよね?
そう、これといった理由はない。
あえて言うならばこれまで民意による政権交代がなされたことが無かったから。
自民党にいながら「自民党をぶっ壊す」と訳わからないことを言って観客を熱狂させた小泉劇場が目的を果たして終幕。
高揚したものは下がる運命にある。
上がったものが下がらなければ継続は難しい。
小泉内閣の後、自民党は安部内閣(366日)、福田内閣(365日)、麻生内閣(358日)とまるで計画したように1年内閣を繰り出してきた。
変わらない時は何があったってとことん変わらないが、英語派で漢字が読めないとかお金持ちだからカップラーメンの値段が分からないというような理由で首相の資質が大問題になる時もある。
そしてついに政権交代という切り札を使った。
野党はもちろんのこと、与党もメディアも「政権交代」を匂わせて選挙に突入したので誰も不思議に思わないけれども、同じような面々で74年起こらなかったことが起こるほどのことがあっただろうか?
ない、と言わざるを得ない。

地球温暖化への対策に必要な二酸化炭素の排出削減のための「鳩山イニシアティブ」をとったのも、アジアの問題を蒸し返したのも、急激な円高と株価下落という憂き目にあったのも、東日本大震災が発生したのも、政権交代した民主党政権であった。
その後に誕生したのが今日まで続く安倍政権。
2009年政権交代、2012年安倍政権誕生。
たった3年で民意によって初めてもたらされたはずの政権交代を同じ民意が否定していく。



戦争に敗北するという大事があれば通常国の在り方や社会は大きく変わるものだが、日本ではそれでも変わらず戦前戦後跨いで74年も民意による政権交代が行われなかった。
74年目の政権交代が本当に民意だったかも怪しい。
戦後日本の一党支配の基礎を築いたのは吉田茂。
その吉田茂に不満を抱き社会党と連立を組んだのが芦田均内閣。
この内閣は昭和電工事件をきっかけに崩壊していくが、もしも事件が起こらなかったらその後の歴史は変わっていたのだろうか。


昭和電工事件
##1948年4月27日‥衆議院で昭和電工の復金融資を巡る贈収賄が問題化。肥料工場拡充のため23億円余の復金融資を受けた際に日野原節三社長が政・官・財界に膨大な運動費をばらまいた。
##6月23日‥日野原社長逮捕
##9月13日‥福田赳夫大蔵省主計局長を10万円の収賄容疑で逮捕。
##9月18日‥大野伴睦民自党顧問、20万円の収賄容疑で逮捕。
##9月30日‥栗栖赳夫経済安定本部総務長官、30万円と他の収賄容疑で逮捕。
##10月6日‥西尾末広前副総理(社会党書記長)を100万円の収賄容疑で逮捕。
##10月7日‥芦田内閣総辞職
##12月6日‥衆議院本会議で芦田、北浦圭太郎、川橋豊次郎の3氏に対する逮捕請求、20票の差で許諾。
##1962年4月13日‥最高裁で日野原元社長に懲役1年執行猶予5年の確定判決、同年11月に栗栖の懲役8ヶ月執行猶予1年追徴金150万円が確定。他の重要被告はほぼ無罪となる。



昭和電工のルーツの千葉県の漁業にある。
昭和電工の前身企業の創業や経営に大きく関わったのは、鈴木三郎助、森矗昶、安西直一の3人で、3人とも現在の千葉県勝浦市の出身である。

・鈴木三郎助・・父の代から商家。味の素の創業者
・森矗昶・・漁師一家。森コンツェルン(戦前の財閥)の創始者。衆議院議員(1924-1932)
・安西直一・・漁師一家。森矗昶の仲人で、後に千葉県議会長となる。

この3人の事業の始まりと成功はヨード(ヨウ素)にあった。
ヨード(ヨウ素)とは原発事故の時に散々話題になったあれ。
カジメという海草を乾燥し焼いて灰を作り、灰の浸出液を煮詰めて取り出す。
日本では1880年代から各地で行われていて、特に千葉では盛んに行われていた。

・森コンツェルンの創始者となる森矗昶は漁師の家に生まれたが、矗昶はヨード工場で見習い工をしていた。勝浦の豪農の娘と結婚。その豪農の隣家が安西家であり仲人を務めた。

・商家に生まれた鈴木三郎助は自身も商人を目指すが、結婚後も米相場に財産を注ぎ込むほどのめり込んでいた。ヨード事業を始めたのは母と妻。(過去記事229に書いた)
ヨード事業で成功を収めるが、その資金でもって新たに会社を創業する。
東京帝国大学にいた化学者・池田菊苗の発見したL-グルタミン酸ナトリウムの権利を貰って味の素製造に乗り出したのだ。
池田菊苗は理化学研究所が創立後は理研にも所属していた。


ヨード(ヨウ素)は上記3人の発見では決してない。すでに作られて利用されていたものである。
鈴木の母と妻は作っていた製薬会社の社員から「作るといいよ」とアドバイスされ作り方を教わったくらい。
先発ではないのに何故成功に繋がったのか?
それは日露戦争(1904-1905)で需要が一気に高まったからである。
何故需要が高まったか?実は需要が高まったのはヨードではない。
ヨードより多量に灰に含まれる塩化カリウムのほうである。
塩化カリウムとチリ硝石(主成分:硝酸ナトリウム)から硝石(硝酸カリ)を作ることが出来て、その硝石は黒色火薬の原料となった。
戦争に使う火薬の原料として(カジメ→灰→塩化カリウム→+チリ硝石で硝石)の需要が高まった。
硝石まで作れないにしてもカジメを採取し塩化カリウムを抽出できれば、それを売ることが出来る。

鈴木家は硝石まで作ることが可能だった。
何故かと言うとイギリス系商社ドットウェルの日本事務所(横浜)と付き合いがあったからだ。
ドットウェル商会の前身はアダムソン商会で、1858年に中国で設立され中国各地に事務所を持ち、お茶などを輸出入をしていた。
イギリスと中国とお茶と言えば、麻薬(アヘン)も忘れてはいけない。
その貿易商社と鈴木家は取引があったため、日本で産出されず手に入らなかったチリ硝石を格安で手に入れることが出来た。
だから硝石まで作ることが出来たのだ。





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by yumimi61 | 2017-08-08 15:17


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