2017年 08月 11日
日本国憲法の秘密-534- (加計学園問題について)
昭和電工の話の続きです。
・鈴木三郎助・・父の代から商家。味の素の創業者
・森矗昶・・漁師一家。森コンツェルン(戦前の財閥)の創始者。衆議院議員(1924-1932)
・安西直一・・漁師一家。森矗昶の仲人で、後に千葉県議会長となる。


鈴木はヨード事業に成功して味の素に軸を移し、さらに電気化学事業へ進出した。
一方の、森&安西コンビは、日露戦争が終わって需要が減り、ヨード事業は思うようにいかなくなる。
強引に千葉県のヨード事業者を連合させて生き残りを図るも、軍需で潤った事業は軍需が無くなれば当然沈む。
第一次世界大戦後に経営難に陥った。森が救済を頼み込んだのが鈴木だった。 


戦争で需要が高まったのは火薬の原料となりうる塩化カリウムである。ヨードより多量に灰に含まれる。
でも戦争が終われば需要が無い。他に使い道はないか?そう考えたのが鈴木家(鈴木商店)で、塩化カリウムを電気分解してマッチの原料となる塩素酸カリウムの製造を行うことを始めた。
電気分解というからには電気というエネルギーが豊富に必要である。
だから電気がなければ仕事にならないし、電気が高ければ儲からない。
そこで自前で電気も作ることにした。
三郎助は、芝浦製作所(現在の東芝)の常務取締役の岸敬二郎に相談を持ちかけた。水力発電の第一人者といわれる岸はこの案に賛成し、長野電灯取締役の小坂順造と高橋保を紹介する。
こうして東信電気が誕生し、長野県に発電所を建設するに至る。
その時に建設部長に就任し、その後塩素酸カリウム製造工場の工場長に就任したのが森矗昶。
鈴木三郎助なくして森コンツェルンなし。
森は負債を片付け新たに自身でも森興業(日本沃度→日本電気工業)という会社を創立。 


発電所で作る電力が余ったので、他に何か利用できないかということで誕生したのが昭和肥料という会社。
余剰電力を使用して石灰窒素と硫酸アンモニウムを製造した。
必要に迫られて作ったのではなく、電力が余ったから物を作った(ただ余らせておいたのでは無駄である)。
言い方を変えれば、需要があるから供給するのでなく、供給するから需要を掘り起こせということになる。


日本電気工業と昭和肥料が合併して昭和電工となったのは1939年。
この時代に何が起きていたのかと言えば、日中戦争。
1938年3月、近衛内閣において、「国家総動員法」や「電力国家統制法」が成立し施行された。
大々的な戦争に突入するための法準備を整えたのだった。
こうして民間人がそれぞれの場所で行っていた電力事業が国家に掌握されることになる。

しかしそもそも明治時代の誕生は公と私の境界を曖昧にさせていた。
公共所有であったものを権力者が私有に転換したり、縁故者に無料あるいは格安で払い下げたりもした。
福沢諭吉や渋沢栄一、松方正義、大隈重信などに代表されるように、以後官なのか民なのか分からない人物が増えるきっかけともなった。
また外から見れば、官であろうが民であろうが「日本」である。
日本にお金を貸している債権者から言えば、官であろうが民であろうが「債務者」である。

日本は倒幕と明治政府誕生の際にも借金。
日清戦争、日露戦争でも借金。
1923年の関東大震災の際は、日本の大手電力会社も巨額の外債を発行している(借金)。
信用で成り立つ世界においては借りたものは返す必要がある。借りるということは通常元金だけでは済まない。
金利は固定物もあるが世の情勢によって変化するものもある。
変動金利は今は安くても将来高くならないという保証はない。
返済計画以上に急激に上昇すれば返済に行き詰まることもあるだろう。だから変動金利での借金は怖いのだ。固定金利は通常割高)


1932年、ライバルであるはずの日本の大手電力会社5社は手を組んだ。金利が上昇して返済が厳しくなったからだ。
国内で競争していたのでは(競争は値段下げ合戦となったりサービス過剰を生む)外国への返済に回す利益が確保できずに共倒れになってしまう。
だから競争しないで高い価格で押し付けたり、安い価格で買ったり没収する。
このような手を組むことを企業連合やカルテルと言うが、お互いの利益を守るために行う。他社の台頭や参入を拒む独占目的でもある。
1938年の国家統制の前に下準備が整っていれば人々は変化に気付きにくく移行もしやすい。


森興業(日本沃度→日本電気工業)、昭和肥料、東信電気、これらは漁師一家出身の森&安西コンビが関わった会社である。
スポンサーは、ヨード事業を手掛けていた鈴木商店で成功を収め、味の素を創業した鈴木三郎助である。
電力事業を行っていた東信電気は国家統制に組み込まれることになった。後に東京電力の一部となる。
日本電気工業と昭和肥料は合併して昭和電工となった。


鈴木商店や味の素の鈴木三郎助には弟がいた。鈴木忠治。
兄の三郎助は戦前の1931年に没。弟の忠治は戦後1950年に没。
電力会社がカルテルを組んだり国家統制法によって戦争に直走った時代にはすでに三郎助は生きておらず弟が継いでいた。
鈴木一族は長州五傑の1人である井上勝や日銀創立者の松方正義一族と姻戚関係にある。

井上勝の次女・・松方正義の息子(松方義輔)と結婚
    三女・・松浦勝純と結婚(婿養子で井上姓となり井上勝純となる)
井上勝純の娘・・鈴木竹雄(味の素創業者の弟である鈴木忠治の三男)と結婚

鈴木竹雄東大名誉教授(商法学者)
兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。娘は日本放送協会(NHK)報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。





安西家は3代前までさかのぼれば、ただの庶民であった。この家族を語るときは必ず、戦前の新興財閥であった森コンツェルンとの関係を抜きには語れない。安西八郎兵衛、森為吉は、勝浦の貧しい一漁師にすぎなかった。
漁師と言っても、割のいい仕事はカジメの拾い集めだったという。
「拾い屋」から始まり、個人の拾い屋を結集して、さらに小事業者を強引に仲間に入れて総房水産株式会社を起こしたわけだが、これが結局上手くいかず鈴木三郎助を頼ることになる。
他者を強引に連合させて起業する、一塊の拾い屋にどうしてこんなことが出来たのだろうか?


安西八郎兵衛
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安西直一
(森矗昶より12歳年上で豪農の娘と結婚した森矗昶の仲人となる、後に千葉県議会議長)
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安西浩(東京瓦斯会長)・・・帝国コークス社長の娘と結婚 
安西正夫(昭和電工会長)・・・森矗昶の長女と結婚

東京瓦斯の最高実力者として20年以上も君臨し、「法王」と呼ばれる。
東京瓦斯は現在の東京ガス。
1885年10月 - 当時の東京府から東京府瓦斯局の払い下げを受け渋沢栄一、浅野総一郎らによって、東京瓦斯会社として創立される。
当時の東京府長・渡辺洪基は福沢諭吉に師事した慶應義塾出身者で岩倉使節団にも随行している。府長在任は1年で(当時は1期1年でほとんど1年で交代)翌1886年には唯一の帝国大学(東京大学前身)の初代総長に39歳で就任した。
また駐オーストリア公使、衆議院議員、貴族院議員を歴任し、東京統計協会(日本統計協会の前身の一つ)、国家学会、日本建築学会、工業化学会(日本化学会の前身の一つ)など多数の学会会長を務めた。
1892年45歳の時に両毛鉄道(両毛線)の社長にも就任。両毛線は群馬県前橋市と栃木県小山市を結ぶ鉄道。伊勢崎市、桐生市、足利市、佐野市などを通る。かつては貿易の稼ぎ頭であった生糸・織物の輸送で重要な路線だった。
帝国コークスのコークスは石炭系の固形燃料。


安西浩の長男・一朗(昭和アルミニウム社長)
 東京大学名誉教授で癌研究会癌研究所所長でもあった吉田富三の娘と結婚
安西浩の長女・和子 ・・・佐藤栄作首相の次男と結婚
安西浩の次男・邦夫(東京ガス相談役)・・・日本交通社長であった川鍋秋蔵の娘と結婚

安西正夫の長男・孝之・・・日清製粉会長の正田英三郎の娘(皇后美智子の妹)と結婚
安西正夫の次男・直之・・・住友財閥の創業家住友家16代当主吉左衛門の娘と結婚
安西正夫の長女・千世・・・政治家大橋武夫の長男である大橋宗夫と結婚※※
安西正夫の次女・八千代・・・現在も武蔵野音楽大学の学長である福井直敬と結婚
安西正夫の三女・公子・・・住友銀行会長堀田庄三の長男でモルガン・スタンレー証券会長堀田健介と結婚

皇后の妹と結婚した安西孝之は慶應義塾大学卒で昭和電工入りし取締役となった。

※※大橋武夫は吉田・池田・佐藤内閣で入閣し、労働大臣や運輸大臣を歴任した。
濱口雄幸首相は義父にあたる。
長男の大橋宗夫は、元大蔵省関税局長で、NTT常務や安田総研の取締役理事長などに就任しており、2015年に亡くなった。
大橋武夫の息子には他にも昭和電工社長となった大橋光夫がいる。
彼は、日本と台湾間実務関係を維持するために設立された特殊な性格を有する日本台湾交流協会の4代目会長に2011年6月より就任している。この協会の理事長は事務長は歴代全て外交官である。
中華民国(台湾)とは1972年の日中国交正常化によって国交を断絶した。それは今でも変わらない。国連他、中華民国を承認していない国が多数である。台湾は独立した国家ではなく中国に含まれるという認識にあるはずなので台湾との関係は純粋に台湾との関係だけでは済まない。
前にも書いたけれど、二重国籍問題は、「台湾との二重国籍」ではなくて、「中国との二重国籍」問題となるはずである。





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by yumimi61 | 2017-08-11 15:45


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