2017年 08月 12日
日本国憲法の秘密-535- (加計学園問題について)
「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社は東京電力とも深い関係がある。
森&安西&鈴木コンビが設立した東信電気は現在の東京電力の一部となっている。
そして東信電気と昭和電工は設立者が同じである。

吉田茂・岸信介・佐藤栄作の身内である安倍晋三・麻生太郎の現総理副総理コンビはもちろんであるが、そのほか昭和電工や東京電力と大いに関係がありそうな政治家の名を上げればこの人ではないだろうか。

石破茂衆議院議員。
キリスト教徒でありながら「日本会議国会議員懇談会(相談役)」「神道政治連盟国会議員懇談会」の会員でもあることは先日書いた。

石破茂の母方がキリスト教なのである。母の祖父が金森通倫。
金森は熊本洋学校の熊本バンドの1人であった。
熊本洋学校が閉校するにあたり生徒を託されたのが同志社の新島襄(群馬出身)であった。(熊本洋学校の跡地が日本赤十字社発祥の地となった)
金森は新島襄から洗礼を受けたプロテスタントである。
同志社卒業後の1880年から5年ほど岡山教会(日本基督教団の前身日本組合基督教会の教会)の牧師を務めていた。
その後、東京の番町教会(プロテスタントの日本基督教団の教会)の牧師になるが、それも1年ほどで去り、自由党に入党し『自由新聞』の主筆となる。
この自由党は板垣退助のつくった党であるが、ここに竹内網(吉田茂の実父と言われている人物)がいた。
ちなみに読売グループの日本テレビ社屋に隣接して番町教会がある(カトリックの上智大学市ヶ谷キャンパスの近くでもある)。自由党に入党した金森は三井鉱山や東京米穀取引所に関係し、1898年に正式に棄教して、1900~1914年の間は内務省や大蔵省の委託職員であった。
1914年に信仰を回復してキリスト教への再入信を表明。救世軍に入隊。
救世軍はプロテスタントの伝道組織で本部はイギリス・ロンドンにあり。
宗教組織なのに何もかもを軍隊に準えているという不思議な団体。十字軍と間違いやすいのにね。

すでに述べたとおり、「日本会議」は教科書問題にも関わる団体である。
また石破は防衛大臣の経験もある。

防衛庁長官(第68・69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第46代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域担当)兼地方創生担当大臣等を歴任した。
父は、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任した石破二朗。

鳥取出身。慶應義塾高校・慶應義塾大学を卒業後に三井銀行(現:三井住友銀行)に入社。
石破の三井銀行入行に関して、三井信託銀行社長を務めた鳥取県出身の土井正三郎は、「昭和五十三年初夏の頃石破(二朗)さんから令息・茂君の就職について相談を受けたことがありました。そのとき私は本人の志望会社を認められることを強調し、たまたま入社志望会社の人事担当役員が古くから親交がありましたので、石破(二朗)さんと一緒に訪ねたこともありました。又、令息の学業、クラブ活動の成績等は極めて優秀、希望通り採用内定し、その通知を受けられた、ご両親のご安堵の程が察せられたことを想起しています」と述べている。東京都中央区にある本町支店に配属。

早い話、石破茂の父親(当時参議院議員)が同郷の三井銀行信託社長に三井銀行への就職斡旋仲介を依頼したということであろう。

1981年、父・二朗が死去。父の死後、二朗の友人であった田中角栄から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ、政界入りを志した。
1983年、三井銀行を退職し、田中角栄が領袖の木曜クラブ事務局に勤務する。1986年、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選した。当時28歳で、全国最年少の国会議員であった。なお、石破本人は田中派からの出馬を希望していた[要出典]が、鳥取県全県区からは既に田中派の平林鴻三が選出されていたため、中曽根派の幹部であった渡辺美智雄を頼り、中曽根派から立候補した。


実は石破茂の妻が昭和電工の取締役だった中村明の娘である。
でもって、石破茂議員はかつての東信電気を含む東京電力の大株主であり、東電から政治献金も受けていた。
石破茂議員の娘は早稲田大学のAO入試で政治経済学部に入学し、東京電力にご就職。
ちなみにAO入試は「真正面からの裏口」「正々堂々とした裏口入学」などと揶揄されたりするものです。
もっとも卒業してしまえば、どんな成績でどんなふうに入学しどんな学生時代を送っていたかなんて全く関係なくなって、学歴だけが独り歩きしてくれますからね。だからこそのブランド校なわけで。
東電株主や政治献金についてはこちらのまとめ([炎上]石破茂さんが東電の仲間だった![東電の大株主][娘が東電入社] )に資料あり。



子供の頃、学校で日本の四大公害病を習いましたね?
昭和電工は四大公害病の原因企業でもある。

①水俣病
(種類)水質汚染(生物濃縮・食物連鎖)
(発生年)1953年頃
(発生地)熊本県水俣市
(原因企業と工場)新日本窒素肥料(現:チッソ, JNC)水俣工場
(物質)メチル水銀化合物

②新潟水俣病
(種類)水質汚染(生物濃縮・食物連鎖)
(発生年)1965年
(発生地)新潟県 阿賀野川流域
(原因企業と工場)昭和電工(現:新潟昭和) 鹿瀬工場
(物質)メチル水銀化合物

③イタイイタイ病
(種類)水質土壌汚染(排水→川→田→米)
(発生年)1910年頃
(発生地)富山県 神通川流域
(原因企業と工場)三井金属鉱業 神岡鉱山亜鉛精錬所
(物質)カドミウム

③四日市ぜんそく
(種類)大気汚染
(発生年)1959年頃
(発生地)三重県四日市市
(原因企業と工場)石原産業、中部電力、昭和四日市石油、三菱油化、三菱化成工業、三菱モンサント化成
(物質)硫黄酸化物


昭和電工の鹿瀬工場はもともと、昭和恐慌の影響により電力会社が余剰電力を抱えていたこともあり、東京電力の前身の1つである東京電燈、東信電気および鈴木商店の共同出資により、阿賀野川第一発電所の発電全量を買い取る契約で昭和肥料鹿瀬工場として1929年(昭和4年)に操業を開始した、カーバイドから肥料用の石灰窒素を生産する工場である。さらに1936年(昭和11年)には昭和肥料鹿瀬工場に隣接して昭和合成化学が設立され、昭和肥料からカーバイドの供給を受けてアセチレン・アセトアルデヒドを経て酢酸やその誘導品を合成する工場が操業を開始した。 


第二水俣病は、熊本水俣病に対しての政府の責任回避ともいうべき対応によって引き起こされたといえる。政府は熊本水俣病が発生した時点で原因の究明を怠り、チッソ水俣工場と同様の生産を行っていた昭和電工鹿瀬工場の操業停止という措置をしなかったからである。熊本水俣病に対して的確な対応をしていたならば新潟水俣病は避けられたはずであるといわれる。また昭和電工は証拠隠滅のため都合の悪い資料をすべて破棄したと見られ、事件の全容解明はほぼ不可能とみられる

昭和電工の新潟水俣病は、1971年に因果関係が認定され患者側全面勝訴した。
発生年(患者が初めて確認された年)の1965年に昭和電工の社長だったのは 、美智子皇后の妹が結婚した安西孝之の父親・安西正夫(社長在任:1959-1971)である。
安西正夫は初代社長の森矗昶の長女と結婚しており、森矗昶&安西直一というカジメ拾い漁師家コンビは姻戚関係も結んでいた。
正田美智子が天皇家に嫁いだのは(皇太子妃となったのは)1959年。
美智子の妹・恵美子が昭和電工社長の長男・安西孝之に嫁いだのが1963年。
新潟水俣病の発生より後になるが、上記に転載したように熊本ですでに発生が確認されており、同じことをしていた昭和電工は発生が予想できたはずなのだ。
にもかかわらず、その企業経営者一族に後に皇后になるだろう人の妹を嫁がせた。
さらに言うと、本家熊本の水俣病の原因企業チッソの社長として当時対応にあたったのが皇太子妃雅子の祖父・江頭豊である。
皇室はどれだけ公害病(水俣病)好きなのか。
ともかく何か裏がありそうな関係である。



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by yumimi61 | 2017-08-12 14:49


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