2017年 11月 16日
日本国憲法の秘密-621- (外貨準備と貿易について)
実はわたしこの春4月にLINEデビューしたんです。
今まで数年間、何度も「えっやってないの?」と言われましたが、やましいことはしていませんむしろ何でそんなに必要なのか分からなかった。
LINEとiPhoneはメッセージ表示の仕方がよく似ていて別に目新しい感じがしなかったし、既読機能にも必要性は感じなかった。大人社会では用事があってメッセージやメールを送ったら遅い早いは別にして普通返事が返ってくるから。電話もそんな長時間しないし。
でもメッセージやメールをほとんど使わずにLINEを使っている人は、メッセージで送ってもすぐに気付かないということがあるという話を聞いた。
息子達がまさにそんな感じで、こちらは用事があって送っているのに返事がなかなか返ってこず、読んでいるのか読んでないのかすら分からないということが何度かあった。
そう言ったらLINEなら見ると言うので始めたのでした。
LINEって受信した時に一番上に表示されるから、既読が付かなくても見ているってことなのかな。
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人類はどこから来たのだろうか。
人類の祖先はアフリカで発生して、そこから全世界に広がっていったという「アウト・オブ・アフリカ」(出アフリカ)と呼ばれる説がある。
この説は、かつてアフリカに現代人すべての祖先となる女性がいたと想定するイブ仮説にも通じる。
キリスト教的にいえば最初に創造された人間はアダムとイブ(エバ)である。
アダムとイブはエデンの園に誕生した人間である。
エデンの園は地上の楽園と呼ばれることもあるくらいだから、神とともにいたというがやはりそこは地球上のどこかだったということだろう。
2人は裸で暮らしていたが、食べてはいけないと言われた禁断の果実を口にしたことによって2人の無垢は失われ、裸を恥ずかしいと感じるようになり局部を葉で隠すようになる。
これを知った神がアダムとイブを楽園から追放した。痛みも苦しみも死もある人間の始まりとなるというのが旧約聖書の創世記で語られていることである。

私は人間の始まりが裸であったと記されていることに意味があると考えている。
つまり裸で暮らせるほど温暖(あるいは熱帯)な気候だったということだ。
エデンの園の描写から、そこは草木が生い茂り果実がなる豊かな場所であったことも窺える。
氷河や寒冷地や砂漠地帯では決してないはず。
人類は暖かい地方で誕生した。他の人類起源説と照らし合わせても、このことはどうも間違いなさそうである。
地球全体が今よりずっと暖かかったことも考えられる。

しかしながら猿は毛におおわれている。
人間と猿が同じ霊長類だとするならば、人間だけが進化の過程で体毛を捨てたということになる。
ではなぜ同じ気候環境にいても猿は進化しないのか?
そう考えると、人間は猿から進化したのではなく、最初から猿ほどは体毛のない現代人に近い姿で誕生したように思える。
神がどうこう言ったという部分はともかくとして、猿から進化したのではないという点においては創世記に近いのではないかと思えるのだ。

裸で暮らせるような温暖な地で生まれた人間が何らかの理由で寒さ暑さの厳しい土地に広がっていったのではないか。
何らかの理由は、罰だったかもしれないし、好奇心や野望だったかもしれない。
あるいは裸で暮らせるような気候であった地球全体が少し冷えて衣類を身にまとわないと生きていけなくなってしまったということか。


1985年12月、アメリカにて"Out of Africa"という映画が公開された。
日本での公開は1986年3月で『愛と哀しみの果て』という邦題であった。
デンマークの小説家が書いた小説『アフリカの日々』(1937年出版)が原作である。
カレン・ブリクセン
デンマーク語と英語の両方で執筆し、デンマーク語版は本名のカレン・ブリクセン名義、英語版はペンネーム(男性名)のイサク・ディーネセンもしくはアイザック・ディネーセン(Isak Dienesen)名義で作品を発表した。作品によっては作品間の翻訳の際に加筆訂正がなされ、時には別作品ともいえる物になっているという複雑な作家である。

『アフリカの日々』は彼女の経験がベースになっている。
以下は彼女の人生。
1913年に父方の親戚のスウェーデン貴族のブロア・ブリクセンと結婚し、翌年ケニアに移住。夫婦でコーヒー農園を経営するが、まもなく結婚生活が破綻(夫に移された梅毒は生涯の病になった)し、離婚。単身での経営を試みるがあえなく失敗し、1931年にデンマークに帰国した。1933年(当時48歳)に本格的に作家活動を始めた。1934年にアメリカで出版したイサク・ディーネセン名義の作品「七つのゴシック物語」で成功を収め、その翌年デンマークでカレン・ブリクセン名義でそのリライトを発表し、以降その名義の使い分けを始めた。 
1950年代に入ると体調を崩す事が多くなり、執筆活動が困難になるものの、ラジオ番組などに出演するなどの活動を続けた。1962年にルングステッズで死去。


以下は映画のあらすじ。
カレンは貴族のブロアと結婚し、酪農場経営を夢見てデンマークからケニアに移住。
ブロアがカレンのお金を使ってコーヒー農園を買ってしまう。
ブロアは仕事をしないで浮気ばかり。
挙句のはてにカレンに梅毒を移して、カレンはデンマークに一時帰国。
体調は戻るが出産できない身体となる。
ブロアは相変わらず浮気ばかりでついに離婚。
その後にカレンは 自由人のデニスと恋仲となる。

カレンは、2人の間を継続的な関係にしようと試みるが、やがてデニスのことを、まるでアフリカそのもののように、手にすることも手なずけることもできない人なのだと知る。
デニスは、ぜいたく・所有・肩書きといったヨーロッパの習慣よりも、雄大な土地で牧畜生活を営むマサイ族の自由で素朴なアフリカを好んでいた。
デニスはカレンの家に移ってきたが、カレンの、物や人までも「所有」したいという欲望を批判し、結婚することも自由な生き方をやめることも拒否し、ただ一枚の紙切れに過ぎない結婚が、デニスの彼女への愛を増やすことにはならない、と話す。カレンはそれを認めざるを得なかった。


子供が産めなくなったカレンはアフリカの子供達にヨーロッパ式の教育を施そうと学校をつくることを決意するが、コーヒー農園が経営難に陥る。
挙句の果て、火災にて全てを失う。
恋人デニスとの関係も終わり、デンマークへ帰ることを決めたカレン。
最後の夜にデニスと再会し最後のダンスを踊った。
翌日彼が飛行機で港のある街まで送っていくことになっていたが、彼は現れなかった。飛行機事故で亡くなっていたのだった。
彼女はデンマークに戻り、そして小説家になった。アフリカでの出来事を書いたが、二度とアフリカの地を踏むことはなかった。


実はこの小説も少々入り組んでいる。
カレンはデンマークの裕福な家の御嬢さんだった。
結婚したのは上にあるように父方の親戚のスウェーデン貴族のブロア(男爵)。貴族といってもすでに没落していて、金銭的にはカレンのほうが恵まれていた。
ブロアには双子の兄がいて、映画では本当のカレンの恋人は兄のほうだったという設定である。
双子の兄はカレンとブロアがケニアに移住した4年後の1917年に飛行機事故で死亡した。
離婚した夫のブロアはサファリ・ツアー(狩猟ツアー)の会社を始め、顧客にはイギリスの皇族や貴族がいたという。
ブロアはカレンとの離婚後、探検家のエバと再婚するも2年後にエバが亡くなり、ブロアはスウェーデンに帰国し、その地で没した。
カレンが離婚後に恋仲になったデニスも貴族である。ケニアの土地を買ってやはりサファリ・ツアー(狩猟ツアー)の会社を経営していた。
自由人で結婚したがらなかったというが、実は彼は1930年からは牧場経営者の女性と親しくなり、2人で飛行機の操縦も学び、ケニア中を飛び回っていた。
そしてこちらも本当にカレンがデンマークに帰国しようと決心した時に飛行機事故で死亡してしまう。


アフリカの景色は美しいけれども盛り上がりに欠けて退屈、長ったらしいという感想とともに、この映画の邦題がセンスがないだとか、原題のままで良かったのではないかという意見もある。
センスが邦題や誤訳的な邦題は確かあるが、私はこの邦題は良く出来ていると思う。
この邦題がいまいちだと思う人はひょっとするとOut of Africaの意味もよく理解していないのではないだろうか。
カレンの愛と哀しみの果てにあったのはアフリカではなく、生まれ故郷デンマークだった。
 
私達はアフリカ人と簡単にひとつにまとめてしまうがアフリカは広い。
同じアフリカに、同じ国に暮らしていても、部族が違えば得体のしれない不気味な民族に映るほど、互いが互いを理解することは難しい。
特権を持ちお金を持ち、苦労なく綺麗に毎日を過ごしていける人々が、危険を顧みず見知らぬ土地で自分の手で何かを切り開いていこうとする姿は別の意味で美しい。
だが彼らはアフリカに住んでもアフリカの中には決して入り込めないのだ。
恋に敗れ、愛を失い、事業に失敗する、何か大切なものを一つでも、あるいはその全てを失った時、彼らはそこにいる意味を見いだせなくなる。
アフリカが終の棲家とは成り得なかった人の哀しみや切なさが、雄大で激しいアフリカの景色に重なる時、それは増幅する。







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by yumimi61 | 2017-11-16 14:25


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