2016年 12月 31日 ( 1 )

2016年 12月 31日
ホタルノヒカリ
蛍の光、窓拭きは・・・
書読む月日重ねつつ
何時しか年もすぎの戸を
開けてぞ今朝は別れ行く


『蛍の光』という曲の原曲はスコットランド民謡である。
"Auld Lang Syne"(スコットランド語)
英訳すると逐語訳では"old long since"、意訳では"times gone by"だそうだ。
作曲者は不詳。
歌詞を現在伝わる形にしたのは、スコットランドの詩人のロバート・バーンズである。
従来からの歌詞を下敷きにしつつ、事実上彼が一から書き直している。この歌詞は、旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容である。
こうして採譜された「オールド・ラング・サイン」には、ハイドンやベートーヴェン、シューマンといった著名な作曲家たちも伴奏を付けたり編曲したりしている。



=ロバート・バーンズの詩の和訳(大意)=

旧友は忘れていくものなのだろうか、
古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。

我らは互いに杯を手にし、いままさに、
古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。

我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。
だが古き昔より時は去り、我らはよろめくばかりの
距離を隔て彷徨っていた。

我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。
だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。

いまここに、我が親友の手がある。
いまここに、我らは手をとる。
いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。
古き昔のために。


年中一緒にいた時(いられた時)の二人の関係は決して穏やかなものではなかった。
傍からはそう見えなかったかもしれないが、二人の間には常に距離があって隙間風が吹き荒れていた。
取り立てて何かがあったわけでもないのに、言葉にはできない感情がむくむくと育ち、わだかまりを生んで、ぎこちなくなってしまう。
親友と呼ぶに値する友にほど距離を感じてしまう不思議。
長い時を経ればそんな感情も消え果てるものなのだろうか。
長い時を経て再び友と向き合う。
手をとる二人は真の友情を感じ得たのか。
それとももう二度と埋めることの出来ない距離を知っているからこそ
手を取ることができるのか。



スコットランド民謡だったが現在においても世界中で愛されている楽曲である。
日本には大日本帝国海軍を経由して持ち込まれたのだと思う。
1881年(明治14年)11月24日発行の『小學唱歌集 初編』にて『螢』というタイトルで初めて掲載され発表された。
日本の作詞者は不詳とされていることもあるが、陸奥国棚倉(現:福島県東白川郡棚倉町)出身の国学者・作詞者の稲垣千穎である。

『蛍の光』


蛍の光、窓の雪、
書読む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。

止まるも行くも、限りとて、
互に思ふ、千万の、
心の端を、一言に、
幸くと許り、歌ふなり。

筑紫の極み、陸の奥、
海山遠く、隔つとも、
その真心は、隔て無く、
一つに尽くせ、国の為。

千島の奥も、沖繩も、
八洲の内の、護りなり、
至らん国に、勲しく、
努めよ我が兄、恙無く。




富国強兵時代に付けられた歌詞であり、特に3番4番が露骨な感じなので、現在これはカットされていて、あまり知られていない。
大日本帝国海軍を経由して持ち込まれたのだと思うと上に書いたが、現に海軍兵学校(明治9年・1876年~1945年終戦まで存在した海軍の士官養成学校)で「告別行進曲」もしくは「ロングサイン」というタイトルで卒業式に用いられていた。

『小學唱歌集 初編』に掲載されたのが1881年だが、その2年前1779年に琉球処分(明治政府による強引な沖縄併合)があった。
また明治政府は1875年(明治8年)にロシアとサンクトペテルブルク条約(千島樺太交換条約)を結び千島の奥(ロシア領だった部分)を含めて列島全島が日本の領土となったと解釈されているが、この条約は条約の体を成しておらず有効ではなく法的拘束力を持っていない。

八洲(国)とは日本国の美称である。
獲得したばかりの「沖縄」や「千島の奥」を作詞者・稲垣千穎は「八洲(日本)の護り」であるとし、「至らん国」と表現した。
至らんとは・・?
「至らん」には「要らない」といった意味もあるし、日本の統治が至らない国(つまり外国)いうような意味にもとれる。
海軍兵学校では1881年以前から使われていた曲なので、その当時からこの歌詞が付いていたとするとまだどちらも日本の領土ではなかったということ。
防衛の要所として欲しい場所、そこで功績を残せるように、滞りなく務めなさい、我が男子たち、という意味。
護りの場所なんか欲しがらないで、それでもちゃんと功績が残せるように、滞りなく務めなさい、我が男子たち、という意味。
さてさてどちらでしょうか。

4番の歌詞の地名は、日清戦争後に「千島のはても台湾も」、日露戦争後は「台湾のはても樺太も」に変更された。
つまり地名が領土誇示色を強め、帝国主義を色濃く反映することになった。


1番の歌詞「何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く」は、すぎが「過ぎ」と「杉」の掛詞だと言われている。

下記はこちらから転載

「いつしか年もすぎのとを あけてぞけさはわかれゆく」の解釈について
この部分は意味のとりにくいところです。以下、幾つかの解釈をあげてみます。

(A) 日本近代文学大系53『近代詩 I 』(角川書店、昭和47年11月10日初版発行、平成元年8月30日再版発行)に『小学唱歌集』が取り上げてあって、「すぎのとを」の 頭注に、「「杉」の戸と「過ぎ」の懸詞。「杉」の板戸を開けるようにいつしか年も過 ぎてゆきという意」と、小川和佑氏  の注がありました。
小川氏は、「杉の板戸を開けるように」「年も過ぎてゆき」(下線は引用者)ととっておられるわけですが、できれば、「年も過ぎてゆき」は「年も明けてゆき」としてほしかったところです。つまり、「いつしか年も過ぎていって、杉の板戸を開けるように、年も明けてゆき」としてほしかったと思うのですが。)

(B) CD 『螢の光のすべて』(キングレコード、2002年)の解説冊子に、中西光雄氏による「螢(螢の光)」の通釈が出ています。この部分は、「いつのまにか年も、過ぎてしまったが、この学舎の杉の戸を、開けて、夜が明けた今朝、わたしたちは別れてゆく。」と訳しておられます。ここでは、「杉の戸を開けて」に実質的な意味をとり、「明けて」を「夜が明けて」ととっておられるわけです。そして語釈のところに、すぎのと…杉の戸。「すぎ」は「過ぎ」と「杉」との掛詞。和歌・雅文の影響が強く感じられる。この歌で唯一の修辞的表現。「杉戸(すぎと・すぎど)」は、江戸時代以降しばしば用いられた言葉で、質朴なイメージが喚起される。としておられます。

(C) 『埼玉大学』のサイトの高校生向け「埼玉大学だより」第3号に、山口仲美教授の「身近にいきづく昔の日本語」というページがあり、そこに山口教授のご著書、岩波新書『日本語の歴史』(2006年5月19日第1刷発行)から、この歌の1番の歌詞の現代語訳が紹介されていますので、ここに引用させていただきます。(注:このページは現在はインターネットでは見られないようです。……2009年9月29日付記)
蛍の光や窓の外に積もる雪を明かりにして本を読み学ぶ月日を重ねて、いつしか年も過ぎてしまったが、杉の戸を開けて、夜が明けた今朝は、別れてゆきます。 
「杉の戸を開けて」に実質的な意味をとり、「明けて」を「夜が明けて」ととっておられる点は、前者と同じです。

(D) 上にも引いたように、新日本古典文学大系 明治編 11『教科書啓蒙文集』の脚注には、「いつのまにか年限も過ぎ(「過ぎ」は次の「杉」にもかかり)、杉の戸を開ける(学業の成ること)」とあり、「あけて」の「あけ」に、「開け」と「明け」を掛けている、とはありませんので、注釈をお書きになった倉田氏は、「いつのまにか年限も過ぎ、学業も成って、今朝は別れてゆくのだ」とおとりになるのでしょうか。

(E) ここは、「いつしか年も過ぎ」(「杉の戸を開けて」)「明けてぞけさは別れゆく」という表現になっている。つまり、「杉の戸を開けて」は、「いつしか年も過ぎ」と、「明けてぞけさは別れゆく」を技巧的につなぐ働きをしているだけで、「(あの慣れ親しんだ、懐かしい杉の戸)」という響きを歌に与えるのは確かだとしても、歌詞の内容には直接的には関係していない(実質的な意味は持たない)。だから、ここを「杉の戸を開けて別れる」とは訳さない。
「いつのまにか年も過ぎてゆき、卒業を迎える年が明けて、いよいよ今朝はみんなと別れてゆくのだ。」(「杉の戸を開ける」を、倉田氏のように「学業が成って」ととれば、「いつのまにか年も過ぎてゆき、学業が成り、いよいよ卒業を迎える年も明けて、今朝はみんなと別れてゆくのだ。」とすることも考えられる。)                 
 ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※
(E)は、私の解釈です。この解釈について忌憚のないご意見をお聞かせいただければ幸いです。



良い解釈だと思います。
杉の戸に何か特別な思い出があり何かしらの意味合いが込められていたとしても、「杉の戸」と急に言われてもそれを知らない人にはあまり響きませんものね。
情緒や情感的にも「杉」はしっくりこない。リアル杉ると言うか何というか・・・。
でも掛詞だということなので、「杉」と「過ぎ」を掛けたのと同様に、「戸を」と「遠(とお)」、「開けて」「明けて」「空けて」を掛けたのではないでしょうか。
明けては夜が明けるという意味もあるし、奉公明けなど一定期間が終了するという意味もある。
戸は超えるべき戸でしょう。終了地点であり次に進むための通過点。出口であり入口。一区切りつける場所と言う意味。
それを一番に持ってきたところが心憎いところだと思います。

蛍の光、窓の雪、
書読む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。

開けるには明けるよりも意思や意志が感じられるような気がします。
そして「ぞ」が活きます。









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by yumimi61 | 2016-12-31 14:47