2017年 02月 28日 ( 1 )

2017年 02月 28日
父の病⑭
地域連携課(室)

近年は急性期病院や大規模病院を中心に地域連携課(室)や地域医療連携課(室)という名の部署を設けている病院が多い。
一頃、高齢化社会の到来と医療費の増大とともに「3時間待ちの3分診療」といった病院の待ち時間の長さと診療時間の短さが取り沙汰された。
大きい病院=良い病院という意識が長いこと人々の意識にあり、ちょっとしたことでも大きな病院を受診する人が多かった。
また高齢者は、安い医療費負担(1割)のためか、暇を持て余しているのか、それとも心地よいのか、寄合所かサロンのように病院や診療所に集うとの批判もあった。
これは診療所の例だが、「最近〇〇さんに行き会わないけど具合が悪いんかね~」「あなたは具合が悪いからここに来てるんじゃないんかいっ!」(←そんなことは言いません)、というようなことも無きにしも非ず。
ともかく大きな病院の新患受け入れは原則他の医療機関からの紹介状が必要になった(予約制)。(新患でなく既患でも予約ベースのところが多し)
他の医療機関からの紹介(予約)の窓口になっているのが地域連携課である。

急性期病院では救急車で搬送されてくる患者がいる。救急の場合には一見さんを受け入れているわけである。
但しすでに述べてきたように急性期病院にいられる期間は短い。
病状が少し安定したところで、退院させるか相応しい病院に転院させる。この調整を行っているのも地域連携課である。
在院期間が長くなってきた患者や高齢者の転院や退院の相談に乗り連絡調整(在宅医療・転院・施設入所など)を行うのも地域連携課である。
つまり、病院・診療所・介護施設や福祉施設・地域包括支援センター・ケアマネジャーなどと連携を図るうえで欠かすことの出来ない部署であり、病院の病床管理や平均在院期間を維持するという重要な役割を担っている。
その他、医療費の心配など経済的問題、退院後の療養や医療についての相談を受けている。

地域連携課(室)のスタッフは看護師と医療ソーシャルワーカー(相談員)、事務員で構成されている。
地域連携課(室)はなく、医療ソーシャルワーカーが1人か2人程度、病院事務室(総務)に配属されているという病院もある。


ソーシャルワーカー

以前私はソーシャルワーカーについて少し書いたことがある。
第一次世界大戦前から独立運動を行い、戦後にチェコスロバキア共和国の初代大統領に就任したトマーシュ・マサリクについて書いていた時の事である。
トマーシュ・マサリクはチェコの東部の町の労働者階級の家に生まれた人物。妻がアメリカ人であった。
32歳の時にプラハ大学の哲学教授に任命されたが、若い頃は鍛冶屋として働いており大学で学び段階を踏んで教授になったわけではないので、妻がアメリカ人だったことの影響があったのではないかと私は書いた。
トマーシュ・マサリクはアメリカ人妻の5人の子がいて、そのうちの1人アリツェに関連してソーシャルワーカーについて触れた。
アリツェははカレル大学に入学を許可された最初期の女子学生の1人であり、その後、英国、ドイツ、アメリカに留学した。帰国後、大学教授となり、1911年のカレル大学における社会学部設立に貢献したが、第一次世界大戦中はマサリクの子は危険人物であるとして幽閉状態に置かれ、活動を制限された。チェコスロバキア独立後はチェコスロバキア赤十字総裁となり、父親の意向で女性の権利拡大にも貢献した。しかし、1939年のナチス・ドイツのチェコスロバキア併合により、米国に亡命。終生米国で暮らした。

アリツェ・マサリクはアメリカのシカゴに招かれた。
ハルハウスではなくて、シカゴ大学内に設置されたセツルメントに招かれたらしいが、ハルハウス創設者の社会福祉の母たちとの出会いがあった。
そしてチェコに戻った後の1911年にプラハ・カレル大学に社会学部を設置し教授となる。
シカゴとシカゴ大学に縁がある人なのだ。

第一次世界大戦後に独立をはたしたチェコスロバキア共和国で、1919年にチェコスロバキア赤十字の総裁となり、第二次世界大戦前の1938年にドイツがチェコスロバキアに侵攻するまでその地位にあった。
ドイツ侵攻後は再びシカゴ大学セツルメントに招聘され、アメリカで暮らした。


困っている人などを援助する社会福祉的な仕事をする人を英語ではsocial worker(ソーシャルワーカー)と言う。
この場合には慈善事業やボランティアなども含まれてくるので広義のソーシャルワーカーである。
日本では国家資格である社会福祉士と精神保健福祉士のことをソーシャルワーカーと呼んでいる。これは非常に狭い範囲のソーシャルワーカーである。
イギリスではソーシャルワークを行う場合には資格が必要でさらに登録制である。


ソーシャルワーカーとは、人権擁護の理念のもと、人々の社会的疎外を解決し、共存共栄社会の実現のために働く人たちの総称のことである。
発祥の頃は資格名や職種名ではなかった。ボランティアなどでも良かったのである。
その後は社会福祉に携わるあらゆる職種の総称となる。
日本ではさらに狭まり「相談援助職」(相談員や支援員)のことをソーシャルワーカーというようになった。
実は今現在も誰がソーシャルワーカーを名乗っても違法ではない。
その点、心理相談員や心理カウンセラーも同様である。

無資格者でもソーシャルワーカーの自称は可能であり、また活動そのものは無資格のソーシャルーワーカーが自己を名乗る際に「社会福祉士」、「精神保健福祉士」と名乗らなければ法律に抵触する事はないが(名称独占資格)、ソーシャルワーカーの国家資格である社会福祉士もしくは、精神保健福祉分野に特化した精神保健福祉士の資格を所持している者の方がもちろん無資格者よりステータスが高く、国家資格という形で国から認定されたソーシャルワーカーということになる。

巷にはソーシャルワーカーや心理カウンセラーが溢れている。
しかし現在医療現場でソーシャルワーカーと言えば社会福祉士のことである。
医療機関では「医療ソーシャルワーカー」と言っている。

医療ソーシャルワーカーとして勤務するための資格は無いが、ほとんどの病院で社会福祉士を保持することを条件としている。採用が内定しても、「社会福祉士国家試験に不合格の場合内定を取り消す」と明示している病院も少なくない。
理由としては、1,診療報酬点数の中に「社会福祉士」であることで請求できるものがあること。 2,病院機能評価機構が実施する評価の中に、専任のソーシャルワーカー配置や専用の相談室の設置などがある が考えられる。
また医師をはじめ、看護師、薬剤師、臨床検査技師など国家資格を保持している職種が働く機関において、無資格であることが許されないという情緒的な理由も考えられる。

(医療ソーシャルワーカーの)資格は無いが実質的には(国家資格である)社会福祉士を保持することが必要といえよう。


業務独占資格、名称独占資格

資格を有するものだけがその業務を行えるのが業務独占資格、資格を有するものだけがその名称を名乗ることが出来るのが名称独占資格である。
業務独占資格は名称独占資格でもあることが多い。

業務独占資格は、医師、看護師、助産師、薬剤師、臨床検査技師、理学療法士、作業療法士、救急救命士、弁護士、税理士、などなど。
資格を持つものでしか提供が許されない業務(行為)がある。
医療には資格者だけに許されている医療行為がある。

名称独占資格は、保健師、栄養士、調理師、介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士、公認心理士などなど。
例えば保健師は保健指導や健康教育を業務として行う。
しかし保健指導や健康教育・健康相談は医師や看護師や助産師や栄養士などであってもそれぞれの範疇において出来るものであるし、実際に行うこともある。
つまり保健指導や健康教育という業務は保健師が独占しているわけではないので、業務独占資格ではない。
でも資格のない者が「保健師」を名乗ってそれを行うことは禁じられている。
国家資格である看護師が保健指導を行っているとしても、保健師国家資格がないのに「保健師」と称したり登録することは違法である。

「ソーシャルワーカー」は資格がなくとも誰でも名乗ることが出来る。
また看護師も保健師もソーシャルワーカー的な業務を行うことがある。
しかしながら、一般人はもとより看護師や保健師も社会福祉士を名乗ることは出来ない。
国家資格である「社会福祉士」は名称独占資格なので有資格者しか名乗ることが出来ない。
医療ソーシャルワーカー(相談員)=社会福祉士であることがほとんどなので、病院の地域連携課にはほぼ同じような仕事をしていたとしても看護師と社会福祉士がそれぞれ別の肩書(資格名)でいるということになる。


日本の医療ソーシャルワーカーの母!?

病院の医療ソーシャルワーカーの先駆者が浅賀ふさと言われている。
1929年にかの聖路加病院の医療社会事業部に勤務したことに始まる。

浅賀ふさ
生年:1894(明治27)年2月17日
没年:1986(昭和61)年3月3日
出生地:愛知県半田市
学歴:日本女子大学英文科卒(1916年)、ハーバード大学大学院教育学部修了

1919年(大正8年)に兄がアメリカに飛行機操縦の勉強に行くことになり、ふさはそれに同行した。
25歳になっていたふさは美術学校でデザインの勉強をしながら色々な仕事をした。
1924年30歳の時にシモンズ大学の社会事業専門学校に入り学んだ。
その後にハーバード大学教育学部で1年学んだ。(学歴はハーバード大が強調されている)
1928年(昭和3年)12月に帰国。翌年2月から聖路加国際病院(の前身病院)に勤務した。

戦後はすぐに厚生省児童局に入り、渉外専門家として社会事業に携わる。
1953年の中部社会事業短大(現:日本福祉大学)創設に加わり、教授として80歳まで日本福祉大学の教壇に立った。
日本医療社会協会の初代会長。

結核患者や貧困患者への相談や支援を行い、医療ソーシャルワークの草分け的存在となった。
その医療ソーシャルワーカーが国家資格にならなかったことや、聖路加国際病院が今日全室個室の富裕層向け病院となっていることは皮肉なことか、然もありなんといったところか。
女性の選挙権獲得にも大きな関心を持ち、女性運動家として母子保護法の制定に関わったり、1958年の国際社会事業会議で「放射能と人類福祉-なぜ日本人が核兵器実験に反対するか」というテーマで発表(広島の医療ソーシャルワーカーとともに被爆者調査をしたということで世界に発信)した。
朝日訴訟にも関わっている。

朝日訴訟
朝日訴訟とは、1957年(昭和32年)当時、国立岡山療養所に入所していた朝日茂(あさひ しげる、1913年7月18日 - 1964年2月14日:以下「原告」と呼称)が厚生大臣を相手取り、日本国憲法第25条に規定する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)と生活保護法の内容について争った行政訴訟である。

結核患者である原告は、日本国政府から一カ月600円の生活保護給付金と医療扶助を受領して、国立岡山療養所で生活していたが、月々600円での生活は無理であり、保護給付金の増額を求めた。

1956年(昭和31年)、津山市の福祉事務所は、原告の兄に対し月1,500円の仕送りを命じた。
市の福祉事務所は同年8月分から従来の日用品費(600円)の支給を原告本人に渡し、上回る分の900円を医療費の一部自己負担分とする保護変更処分(仕送りによって浮いた分の900円は医療費として療養所に納めよ、というもの)を行った。
これに対し、原告が岡山県知事に不服申立てを行ったが却下され、次いで厚生大臣に不服申立てを行うも、厚生大臣もこれを却下したことから、原告が行政不服審査法による訴訟を提起するに及んだものである。



社会福祉士

保健師・助産師・看護師(保助看法)の歴史が古いのに比べると、福祉専門職資格の歴史は浅い。
社会福祉士は1987年に新設された国家資格である。
また必置資格となったのは、2006年の地域包括支援センターの創設時が初めてだった。

必置資格
ある事業を行う際に、その企業や事業所にて特定の資格保持者を必ず置かなければならない、と法律で定められている資格。業務独占資格が必置資格としての性質を併せ持つ場合もある。
病院や診療所には医師と看護師が必ず必要。
保育所には保育士、クリーニング所にはクリーニング師、美容所には管理美容師、理容所には管理理容師、一定規模以上の事業場には衛生管理者など、様々な場所に必置資格者の設置が定められている。

社会福祉士資格が誕生するまで、日本における相談援助職と言えば、福祉事務所のケースワーカーと病院の医療ソーシャルワーカーのことだった。
ケースワーカーは大学卒業後に自治体に採用され、社会福祉主事任用資格を得て職に就くという形が主流だった。
社会福祉主事任用資格とは、大学で一定の科目を履修するか、入職後に一定の研修を経た者に資格を付与するものであり、自治体がケースワーカーを任用するための資格に過ぎず、包括的かつ深い知識や実務経験は問われない。
同じく自治体に採用される国家資格の保健師などとは違い、社会福祉主事任用資格を得ても部署が異動して他の業務に就くこともあり専門性は必ずしも高くなかった。
上記のように医療ソーシャルワーカーも独自の資格としては認められてこなかった。

(1989年に誕生した社会福祉士は)これまでは医療保険算定上においても職員の人員規定が無かったので、資格取得者を雇用しても雇用者側が一方的に人件費を費やすのみになり、『非生産部門』と位置づけられて地位も低かったが、昨今では医療保険点数の改訂にて後期高齢者退院調整加算等が創設され、保険加算のための人員配置基準となり、また地域包括支援センターにおいても職員の(主任)介護支援専門員、保健師と並んで人員配置基準になっており、資格者を求める傾向または無資格者には資格取得を求める傾向が出てきた。


地域包括支援センター

地域連携課の連携先の1つである地域包括支援センターというところがある。
地域包括支援センターは、介護保険法で定められた、地域住民の保健・福祉・医療の向上、虐待防止、介護予防マネジメントなどを総合的に行う機関である。各区市町村に設置される。2005年の介護保険法改正で制定された。
センターには、保健師、主任ケアマネジャー、社会福祉士が置かれ、専門性を生かして相互連携しながら業務にあたる。
法律上は市町村事業である地域支援事業を行う機関であるが、外部への委託も可能である。要支援認定を受けた者の介護予防マネジメントを行う介護予防支援事業所としても機能する。

(受託法人は社会福祉法人)

かつて市町村役場内にあった在宅介護支援などの相談業務を行う部署や窓口が専門性を高めて独立し外に出たということである。
妊産婦や乳幼児、成人の健康診断や健康相談、健康教育を行う部署が保健センターとして独立して外に出たのと似ている。
保健師はこの自治体の保健センターに多く就業している。自治体の地域包括支援センターに配属されている保健師もいる。






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by yumimi61 | 2017-02-28 12:33