2017年 03月 07日 ( 1 )

2017年 03月 07日
父の病⑱
かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

1月17日(火) D病院受診(鎮痛剤トラムセットを10錠処方)
1月19日(木) かかりつけの病院を午後受診→そのまま夕方入院 (午前中は母が受診)
1月20日(金) 入院に必要な荷物を持っていったり書類を提出したり。
1月21日(土)
1月22日(日)

1月23日(月) 地域連携課から電話あり(面談予約)。
1月24日(火) 地域連携課担当者と面談し、その後転院先へ送る書類記入。
1月25日(水)
1月26日(木) 地域連携課担当者から電話あり。面談。夕方3者面談。(午前中は母が受診)
1月27日(金) ナースステーション前の個室に移っている。地域連携課担当者と面談。
1月28日(土)
1月29日(日)
 死亡


父は入院して10日で亡くなった。上記が父が入院してから亡くなるまでの経過である。

1月17日から2日後の19日がかかりつけの病院の呼吸器外来の日だった。
月に2回(午後のみ)しか来ていない医師なので、もしも17日以降外来日までの期間がもっと開いていれば状況はまた違ったものになっただろうと思う。
ちょうどこの頃、母もめまいやふらつきが酷いということで受診することになっていて、午前中は母の受診に付き添っていた。(母が通っていたデイケアで母を担当してくれていた理学療法士さんが受診を勧めてくれたこともあって予約してあった)
母と入れ替わりで父を病院に連れて行った。
12月頃からの様子や1月18日の夜中に起きた出来事、D病院を受診して鎮痛剤を処方してもらったこと、D病院で放射線治療を受けた時に緩和ケアのアンケートを取っていたので繋げてもらえると思ったというようなこと、D病院を受診するならばかかりつけ医の紹介状を持ってきてと言われたこと等を話すと、肺気腫を長いこと診ていた呼吸器外来の医師は「そういうことならばとりあえずすぐにこのままこちら(系列病院)に入院させて、B病院の緩和ケア病棟に転院する手続きをとりましょう」と言ってくれた。
そして入院を手配してくれた。
但しこの呼吸器外来の医師はかかりけ病院の常勤ではく非常勤である。普段は開業医。


かかりつけの系列病院に移動して、そちらの病院の医師とも少し話をした。
その医師も「B病院の緩和ケア病棟に転院を前提に1~2週間を目途にお預かりします」と言っていた。
「ただB病院が空いていないと転院できないしなぁ。今日も送ろうとしたけど断られたんだよ」ともちょこっと言っていた。
「状態が今後どうなっていくか、どれくらい持つのかそれははっきり分からない。急変して転院まで持たないということもあり得るということは覚悟しておいて下さい」と付け加えた。
こちらの医師としてはそう言うしかないだろう。
この系列病院は、呼吸器科があるわけでもないし、がんの病院でもない。がんの疼痛コントロールなんて完全に専門外。救急搬送されてくる急性期病院である。
逆を言えば急性期病院であるからこそ、急な受け入れに対応できるということでもある。
しかし私もここに長くいられるとは思っていなかったし、それを強く希望していたわけではない。
ただこの時点では父が入院できたことは本当に一安心だった。


週が明けた月曜日午後にその病院の地域連携課より電話があった。
転院にあたってお聞きしたいことや記入してもらうものがあるので来てほしいということだった。
翌火曜日に予約した。


1月24日(火)
地域連携課の部屋の前にスタッフの氏名や顔写真が掲載されていた。
お電話をいただいた人の名前を探すと、看護師ではなく相談員とあった。
実際にお会いすると、身分証明書を首から下げていたので、何気にそれを見ると看護師と書いてあった。
この病院に看護師として就職したわけではない(現役看護師ではない)が、看護師資格を有しているのだなあということが分かった。
おそらく経験豊富な看護師さんでリタイア後に医療ソーシャルワーカーとして働いているということなのだろうと勝手に解釈した。
御本人も「看護師の〇〇です」と名乗った。

私は日々の生活の中で自分が保健師や看護師資格を有していることを積極的に言うことはあまりない。
仕事や就活の場以外でそれを言うことはメリットよりデメリットのほうが大きいと感じるからである。
人には知らない方がいいこともあるのだ。
ところが最初に面談で担当の人が名乗った時、「私も看護師の資格持っているんです」と、つい口が滑ってしまった。こんなことは珍しい(ほんとですよ!ねぇ?)

肺がん発覚からこれまでの経過を一通り説明した。
そして緩和ケア病棟に入るには審査があるということを聞いた。
まずは書類をファックスで送るのだという。その後に今度は病院に行って面接もあるとのことだった。
病気についてどのように説明されたか、どのように思っているか、緩和ケア病棟に何を望むなど、記述式の問いがある用紙に記入を求められた。
患者本人と家族がそれぞれ別に同じ質問に答える必要があった。
但し患者が書けない場合には代筆でもよいということであり、私はその場で2枚の用紙を書きあげて提出した。
別れ際に「では早速書類を作ってファックスしておきますね」と担当者は言った。


1月26日(木)
午前中は母の受診に付き添っていた。帰りに父のところに立ち寄るつもりでいた。
携帯電話に11時すぎに着信があったことに着信時間から30分後くらいに気付いた。留守電が入っていた。
しかし病院という場少しざわついた場所で聞いたせいか音量を上げても留守電の声が聞き取れなかった。
掛け直そうと思って場所を移動しようと思ったが母が診察に呼ばれたようだったので、呼び出し音の途中で慌てて切って戻った。
母はクモ膜下出血の後に耳が少し遠くなっていて普通の声はよく聞こえないため、病院で名前を呼ばれてたり、医師が質問や説明をする時にはそばにいるようにしている。
診察が終われば次は会計でいつ呼ばれるか分からないので、それが終わったら地域連携課に掛け直そうと思っていた。
するとちょうど会計をしている真っ最中に再び電話が鳴った。12時30分だった。
今度はそこで電話を受けた。
地域連携課の担当者は今日私が母と病院を受診していることは父から聞いたそうで知っていた。
予約をしていたわけではなかったが話があるということだったので「帰りにそちらに寄ろうと思っています」話すと、後どれくらいかかるかと訊かれたので、「会計中なのでもうすぐ行けると思います」と答えて電話を切った。
地域連携課を訪ねると、「実は私、この後〇時〇分から看護学校の講義があるんです」ということで、何やら急いでいた理由と看護学校の講師をしていることが分かった。

急ぎの話は、「かなり温度差がある」ということだった。
この日の朝に父に話を聞くために訪ねたところ、「転院なんか知らない。家に帰る」というようなことを父が言ったらしいのだ。
その言い方が荒かったのか無下だったのか、ともかく父は「話は娘が来てから」と全く取り合わなかったらしい。
緩和ケア病棟は家族ではなく本人が何もかも納得の上で強く希望していないと入れないそうで、「あれでは緩和ケア病棟に受け入れてもらうことは無理です」ということだった。
でも私は24日に書いた質問の答えに嘘なんか書いたつもりは全くない。
とにかくもう一度お父さんと話をしてみてくださいとは言っていたが、緩和ケア病棟への転院はもはやないような雰囲気があった。
看護学校の講義の時間が迫っていたので、夕方もう一度面談をする約束をして別れた。


「この病院には呼吸器科もないし、がんの専門でもないので強い薬もないから転院するけれど、とりあえずここに入院させてくれるって」と、私は父に入院した日とその翌日にも話しておいた。
それを忘れてしまったのか、それとも元気になって欲が出てきたのか。

実は父は入院後に少し元気を取り戻していた。
痛みは完全に無くなったわけではないとは言っていたが、22日(日)に母と姪っ子とお見舞いに行った時には途中でリハビリのスタッフが来て、ベッドに座り足の上げ下げなどのリハビリも行っていた。
リハビリスタッフは毎日訪ねてはリハビリを働きかけてくれていた。
もちろん普通に話も出来た。姪っ子に売店で何か買っておいでとお金を渡したりもしていた。
大部屋だが部屋にトイレがあり、そのトイレまでは点滴をしながらも歩いて用を足していた。
24日(火)25日(水)頃には父の声に張りが出てきたように私は感じていた。


地域連携課の担当者と別れたその足で母と父の病室を訪ねた。
「お父さんっ転院しないで家に帰るって言ったでしょ」
私は家で父に話しかけるように遠慮なくそう言った。
「今朝来て急に言われたから、娘が来てからにしてくれって言ったんだよ」と父。
「あの人は転院の手続きをしてくれている人だから。入院した時に説明したじゃない、転院するんだよって。あの時苦しかったからよく覚えてないんでしょ。だけどここにずっといられるわけではないし、家に帰っても大変だと思うよ。入院する前の日の夜の事を考えたらそう思うでしょう?今は病院で面倒見てくれるから少し楽になったかもしれないけれどさぁ」
「人は、喉元過ぎれば熱さ忘れる、なんだなあ」
結局父はすぐに観念した。
「面会に行くよ、お母さんも連れて行くから。状態がよくなれば外泊もできるんだって」と教えてあげるとちょっと安心したみたいだった。
母が「みんな心配してよくしてくれるんだからあまり我儘言わないで言うことを聞いてくださいね」と「そうだね」と父はうんうんと頷いた。

父の隣のベッドは父と同い年だった。
その人のところにはいつも奥さんが面会に来ていた。
たぶん午前中からずっといて長くいるようだった。
奥さんはいつもその旦那さんに何やらかんやら話かけていて、旦那さんは何故かいつも嫌そうで怒り調子だった。
リハビリスタッフがリハビリの誘いに来た時にも「お父さん、待っててくれているんだから早く」とかなんとか奥さんに急かされて旦那さんが声を荒げて怒っていた。
でもとげとげしい態度で接するのは奥さんにだけ。
そのせいか一緒に付いて行こうとする奥さんにリハビリスタッフが「奥さんはここで待っててもらっていいですか」と病室待機命令。(でも結局付いて行った)
娘さんらしき人がいたこともあったが、娘さんはベッドサイドで雑誌を読んでいた。

その隣の夫婦が私と父のやり取りを聞いていて話しかけてきた。
「みんな心配だからよね~」と奥さん。
「いや、この人(私の事)の言うことは合っているけれど、お前(奥さん)のは合っていない」と旦那さん。
「ねえ」とどちらにも同意を求められ若干困る私。
「でもおたくがお隣で良かったわ~話し相手がいてくれて。この病室の他の人、いつもみんな寝てるから」
5人の患者がいたっが(1人2人?入れ替わったような気もするが)、確かに他の3人は寝ていることが多かったし面会者とも行き会わなかった。
父は元々こうした病室などでもわりと誰にでも話しかけ打ち解ける人である(だから情報通で驚くことがある)。
今回の入院はさすがにこれまでのような元気はなかったが、それでも隣の人とは少し会話をしたらしかった。
隣の人も転院予定なのだという。
兎にも角にも父に転院の了承を取り付けたので一度実家に戻ることにした。
「御先に失礼します」
「あら、もう帰るの?」と奥さん。
「また夕方来なければならないので」




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by yumimi61 | 2017-03-07 11:38