2017年 03月 14日 ( 1 )

2017年 03月 14日
乳の病⑳
本当に「受容」が理想なのか?―前記事にリンクした「キューブラー・ロスによる5段階モデル(死の受容モデル)と、それへの代表的な批判について」の中で挙げられていた批判の1つである。
そしてもう1つの批判が、「神との取り引き」という段階は科学的なのか?というもの。

精神科医であったキューブラー・ロスが、この5段階モデルで示したのは、精神医学的には「防衛」と呼ばれるメカニズムです。ただ第3段階とされる「取り引き」には「神」が登場します。これは、科学的なアプローチではなく、神学的なアプローチであり、混乱を招いてきました。

ここに、精神科医として、精神医学的な表現をするべきだったという批判があります。結果として、この理論は、科学としての説得力を下げてしまっています。

さらに『死ぬ瞬間』の原著(On Death and Dying)において、第3段階とされる「取り引き」に割かれているのは、わずかに3ページと言います。通常の科学的な態度では導き出せないステップを、サラリと簡単に触れただけで、あとはそれを事実として取り扱う態度はどうなのかという批判があって当然でしょう。



分からないことが多い。誰にでも証明できない。その気があれば捏造できる。
科学と神(宗教)という存在に関しての共通点である。
科学と神(宗教)は元々がとても近いものである。

(過去記事より)
ロスチャイルド家が台頭した1700年~1800年代はちょうど、ヨーロッパにおいてオカルティズムな神秘主義が拡大した時代だった。
その前の1500~1600年代に起こった宗教改革が良くも悪くも宗教の権威主義に変化を与え、合わせて独裁的な君主に反旗を翻す市民革命も起こったため、様々なことが世俗化し、自由の名のもとに多様化していった。
1人の人間が発揮する吸引力というものが失われた時代であると言える。
またイングランドでの中央銀行の誕生を経て、1800年代半ばから始まった産業革命が、近代化への幕開けを告げた。
それは科学の時代の到来でもあった。

要するに、「金(紙幣・数字)で買えない物はない」「科学で解決できないことはない」という時代を迎え、宗教はその根幹から揺らぐことになった。
「マリアの処女懐胎」や「イエスは神の子」を謳うキリスト教、特にそれによって権力を獲得したローマカトリックへの打撃が深刻であることは想像に難くない。
こうした時代の変化をいち早く読み取れば、宗教や国のこれまでの権力者は金(紙幣・数字)や科学に近づいていくだろうと思う。
それは自身が生き延びる術であるからだ。


分からないことに対しては恐れ・畏れを抱く。だからこそ威厳が保たれるという側面がある。
分かることが増えるにつれて宗教の権威が揺らぎ始める。社会は変化していく。
それならばと、宗教は率先して金や科学を懐に抱く。


それまでの絶対的権力が緩んだことによって勢いを増したのが、狂信的や反社会的として迫害されていた異端の宗教や宗派や教派である。
自由の名のもとに様々なものが交差して混じり合い変異した。
ユダヤ教とキリスト教の神秘主義の一体化はすでに述べたところであるが、さらには東方やエジプトの古代文明もが取り込まれアジアやイスラム圏にも近づいた。
この時代の神秘主義の中身が何かと言えば、神秘思想、占星術、魔術、錬金術などである。
神秘主義は秘密結社という場に於いて一際光輝いた。そこにはおそらく優越感や背徳感や一体感が存在したのだと思う。
いつの世にも決して廃れない占いやスピリチュアル、『ハリーポッター』や『鋼の錬金術師』などの流行を見れば、科学の時代になって久しい現代においてもこれらのものが多くの人々を魅了することを証明しうる。
また社会が金融や科学に傾けば傾くほど、これら神秘主義は支持されるという側面も持つ。
音楽や唱和などは多分にこの要素を持っている。

余談になるが、こうした時代背景を考え合わせれば、魔女狩りは神秘的な魔女を恐れて迫害したのではないという予想が付く。
どちらかといえば現実的で科学的だったからであり、その現実性や科学性が権力者や世俗の方向性と合致しなかったため迫害されたのだろう。 


(略)

不利な状況に追い込まれながら、こうした激動の時代を乗り越えて、今なおローマ教皇という宗教権力者が存在していることは、無条件の賞賛に値することかもしれないとも思う。
「事実」と「真実」という言葉に違いがあるとすれば、「真実」という言葉を贈れるような、そんな。
「事実」が必ずしも必要とされるものではないことを長い年月をかけて証明してみせたのは宗教であった。


(略)

たとえば今誰かが新しい宗教を興したとする。
すでに2000年以上の歴史があるユダヤ教やキリスト教と同じだけ歴史を重ねようと思ったら、少なくとも2000年という時間が必要になる。
たとえ新興宗教が頑張って幾ら年月を重ねたとしても、ユダヤ教やキリスト教が今後も衰退せずに存続すれば、その歴史の長さを超えることは決してない。
また2000年という時間は絶対に一人で達成できるものではない。
時代の荒波を超えて多くの人々が繋いできた信仰。信仰は強い意志でなければならない。
時間×人数(聖職者及び信徒)のエネルギー、、、それを前にすれば「私個人」だけではどうにもならないという事実に息を呑むだろう。
これを一から超えようなどと思う奇特な人物はもう出現しないのではないだろうか。
まさに、遅きに失する。
救世主の名乗りを上げたとしても、宗派や教派として紛れ込む手段を取らざるを得ない。
宗教界に於いてはもはやそれほど絶対的な存在なのだ。

イエスの誕生が起源と謳われ定められた西暦が用いられ、今や世界で広く使用されるに至るが、この暦の貢献度も高い。
人は毎日毎日来る日も来る日も、キリスト教の歴史の長さや長い時間を積み重ねた偉大さを無意識のうちに刷り込まれている。
とはいっても、西暦が実際に世界に広がったのは1800年頃からで、要するに上記時代背景の下に採用された暦でもある。
金融システムに支配された世界は非常に孤立化に弱いため、結果多くのものが共有されるようになった。
こうした共有がなければ今ほどのコンピューター社会を迎えることもなかっただろう。
宗教はお金を融通してもらう存在だけに甘んじているわけでなく、産業や政治への偉大な貢献者でもあるのだ。



近代世界は共産主義や社会主義を忌み嫌った。
枢軸国(日本・ドイツ・イタリア)の始まりは反インターナショナル(反共産主義)であった。
ロシア革命で初めて世界に誕生した共産主義国(社会主義国)がソ連である。
その共産主義に密接に関係しているのが「唯物主義」。
観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方である。
「心」や「愛」を振りかざして人を騙し洗脳し搾取する世界にノーを突きつけた。
現実的で科学的。言葉だけの学より実を取り、具体的な方法論を提示した。
しかしそれは「過激」というレッテルを貼られるようになった。
人々は怖かったのだ。
虎は自分とは全く違うもの。柵を取っ払えば自分や愛する者が虎に何をされるか分からない。だから柵を取っ払おうとする人は過激に見えた。
「心」や「愛」を振りかざす世界は動物園の虎を眺めているような状態だということである。
多くの場合、動物園に入るには入園料が必要。
お金を払い安全な場所から獣を眺めて、「心」や「愛」を共有した気になる。

だけど彼にはもうお金を払い安全な場所から獣を眺める時間(退職金を息子夫婦に渡して同居し孫と一緒に暮らす時間)が残されていない。
だから見ず知らずの住民の陳情を受けて公園を造った。
自分のお金ではない、税金で造ったものだ。仕事の一環に過ぎない。
入園料を取らず、柵を取っ払って誰でもが入れるようにしたって、もうあの頃の息子は戻ってくるはずもないのに。
(映画『生きる』の話です)



戦争があったからこそ科学は発展したと言われることがあるように、戦争と科学は切っても切れないものである。
同じように医療の発展と戦争も切り離すことができないものである。
そしてそれらに大きく関わって来たもの、それが宗教である。
宗教、戦争、科学、医療、みな密接な関係にある。
「神」が科学的ではなく神学的であり科学としての説得力を下げると言うならば、逆に精神医学や科学として論じていることは本来神の領域だから人間は立ち入るなと言うことだって出来てしまう。
どちらが正しいのか、私達は誰も明確な答えを持っていない。
私達が明確に例外なく知っている事実は、人間は誰しもが肉体的な終わりを迎える、要するに死んでしまうということだけである。

ともかく医療にはキリスト教✚の影が付きまとう。

教会で看護にあたる聖職者の無私の献身と歓待を「ホスピタリティ」(英: hospitality)と呼び、そこから今日の病院を指す「ホスピタル」(英: hospital)の語がでた。
歴史的には、ホスピタルもホスピス同様に、病院だけでなく、孤児院、老人ホーム、行き倒れの収容施設なども指した。


保健師活動の基盤にもキリスト教がある。

保健師活動は1887年に京都看病婦学校(同志社)がキリスト教精神にのっとった慈善事業として実施した巡回看護がもとになっている。巡回看護は社会事業的活動として、病院に行くことができない貧しい病人に対して看護活動を行ったものである。
その後1920年代から東京市や聖路加国際病院、済生会などが精力的に活動していた。巡回看護の内容は、貧困者への看護、災害被災者への手当てと保健指導(伝染病予防)、妊婦の妊娠出産に対する援助や育児相談などであり、現在保健師が行っている公衆衛生看護活動の基礎となっている。














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by yumimi61 | 2017-03-14 14:31