2017年 04月 09日 ( 1 )

2017年 04月 09日
父の病㉚
かかりつけの病院→A病院→B病院→C病院→D病院→かかりつけの病院

1月17日(火) D病院受診(鎮痛剤トラムセットを10錠処方)
1月19日(木) かかりつけの病院を午後受診→そのまま夕方入院 (午前中は母が受診)
1月20日(金) 入院に必要な荷物を持っていったり書類を提出したり。
1月21日(土)
1月22日(日)
1月23日(月) 地域連携課から電話あり(面談予約)。
1月24日(火) 地域連携課担当者と面談し、その後転院先へ送る書類記入。
1月25日(水)
1月26日(木) 地域連携課担当者から電話あり。面談。夕方3者面談。(午前中は母が受診)
1月27日(金) ナースステーション前の個室に移っている。地域連携課担当者と面談。
1月28日(土)
1月29日(日) 死亡


1月27日(金)、この日は父の担当医になってくれていた医師が不在ということで、土日明けて来週に担当医に報告して転院になるでしょうということだった。
地域連携課の担当者との話を終えて、父の病室に戻った。
私はB病院の緩和ケア病棟ではなくて一般病床(呼吸器科)に来週転院になりそうとだけ父に伝えた。
特筆すべき反応はなかったと記憶している。
脱いだものを入れておく蓋付きバケツの中を確認すると、中に入っていたパジャマと下着から尿臭がした。
ポータブルトイレがすぐそばに置いてあったけれど間に合わなかったのかなと思った。

私は学生時代に保育園にも特別養護老人ホームにも実習に行ったことがあるが、何が強烈だったかというと特別養護老人ホームの独特な匂いである。
保育園も特養もどちらもトイレが完全ではないおむつ利用の人や粗相をしてしまう人がいる場所であるが、匂いに関しては全く違った。
病院も病棟によっては尿を溜めておく部屋があり(現在は尿量測定トイレなどもある)、そこはやはり独特な匂いがするが特養ほどではなく限定的である。
私はあの匂いで特養では働くことは出来ないと思った。
(もっともその匂いにも一定期間いれば慣れるらしい。実習くらいの期間では慣れなかったということだけなのかも)
私は汚物系の匂いに弱い。好きな人はそうそういないと思うけれども。
一番困ったのは嘔吐の匂い。
嘔吐物を片付けるとかが嫌なわけではないのだが、匂いを嗅いでしまうと私自身吐き気を催してしまう。
要するに反射的に「おえっ」と込み上げてしまうのである。
吐いてしまった人に対して申し訳なさすぎるのだが反射なので如何ともし難い。
子供などが嘔吐した場合には「大丈夫だからね~」と安心させてささっと片付けるが、下手に匂いを嗅いでしまうと「おえっ」となってしまうので、息を止めて匂いを嗅がないようにしなければならないのだ。
鼻と口と両方止める方法はあっという間に苦しくなってくるので、鼻だけ止めて口だけで息をしながら片付けたりするが、口を意識してしまうと今度は食事を思い出してしまい、好まざるものを積極的に口に吸いこんでいるようで躊躇してしまう。


1月28日(土)、父は大変だから毎日来なくてもいいと言ったけれども、着替えを持って午前中に顔を出した。

1月29日(日)
容態が悪くて呼ばれたわけではなく、いつものように父のところに行った。
父の具合はよくはなかったが私は今日この日に父が亡くなるとは思っていなかった。
この日は午後2時に母と父の病室を訪ねた。妹と姪も来た。
彼女たちは私以上に今日亡くなるなんて思っていなかっただろうと思う。
だから虫の知らせだったと言えばそうなのかもしれない。

父は一変していた。
酸素吸入は鼻腔カニューレから酸素マスクに変わっていた。
ギャッジアップされているベッドに苦しそうに横たわっていたが、おむつをしていてズボンを履いておらず布団もかけていない。
少しシーツも汚れていたので(前の晩下痢で大変だったらしい)着るものがないのかと思ってすぐに確認したがまだ着るものはあった。
普段ならばそんな姿を見せるのは嫌がるであろう父だがもはや姿格好なんて気にするふうもない。
女ばかり4人いたので病室に入ってきた看護師さんが気を使ったのか布団をかけようとしたがやはり剥いでしまう。
看護師さんの話だと熱がっているのだと言う。若干熱があるようだ。汗を拭いてあげた。
父はもうほとんど目を開けることも出来ない。時々顔をしかめる。
それでもまだ話しかける声は聞こえていて返事くらいは出来た。
「苦しいの?痛いの?」と私が訊くと、「両方」と答えた。

ベッドサイドモニタのアラームがなった。
ベテラン看護師さんが時々来てくれていたが、アラームが鳴っても誰も飛んではこなかった。
アラームはエラーぽかった。
妹が「さっきからアラームがずっと鳴っているんですけれど」とナースステーションに声をかける。
父が動いた拍子に何か接続が外れたらしかった。

「昨日の夕方あたりからかなり具合が悪くなってきたのですが、まだ大丈夫そうだったので特に連絡などはしませんでした」と看護師さん。
まだもう少しこの状態が続くと思ったのか、おむつを業者から購入するための契約書に署名するように求められ記入した。

私がちょうど席を外していた時に父がコーラを飲みたいと言ったらしく、妹と姪が売店でコカ・コーラを買ってきた。
しかし看護師さんからストップがかかる。「血糖値を測っているので先生に訊いてみてからではないと」ということだった。
さすがにこの日の父は食事は摂れてないらしかった。
看護師さんがおやつの果物を「食べる?」と聞いても首を横に振る父。
でも「食べましょうね」と半ば強引に口に押し込む。なんとか食べている父。
おやつのゼリーやアイスもあって、時々食べさせていた。
「おいしい水があるので飲ませてあげてください」と看護師さんが言うのでどんな美味しい水があるのかと思えばスポーツドリンクだった。
汲みに行ってストローで飲ませた。

父は相変わらず苦しそうでじりじりと重い時間が過ぎていく。
私は父の左手をずっと握っていた。
横に母が座っていた。
下顎呼吸が始まり意識も低下してきた。もう声も出ない父。
でも一度だけ顔を横に向けて母のほうを見て目を開けた。片目がやっと開くような感じではあったが確かに母の顔を見て目を開けていた。
母が「見える?」と訊いたが返事はなかった。
それが最後の意思表示だった。

またアラームが鳴り出す。
経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)、呼吸数ともにかなり落ちてきている。
口からたらりと一筋の液体がこぼれる。
看護師さんが来て吸入をしてくれる。
やがて呼吸が停止した。まだ心臓は動いている状態。
私達はただ心臓が止まるのを待つしかないのだ。

モニタを見ていた看護師が心停止を告げ、すぐに医師がやってきて臨終を告げた。午後4時46分だった。
午後2時くらいに病院にお見舞いに来て、2時間46分父を看取るという形になった。


「アイスがいいならコーラも飲んでもよかったんじゃない?」と後になって姪が言っていたけれど、コーラは結局飲めずじまいだった。
火葬の前の棺の中に紙コップに少しだけコーラを注いで入れて上げた。


世界が終わる時、あなたが食べたいものは何ですか?
あなたがこの世を旅立つ時、手にしていたい物はなんですか?
重力崩壊と究極の愛がずしりと響く。





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by yumimi61 | 2017-04-09 17:41