2017年 05月 03日 ( 2 )

2017年 05月 03日
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『Waiting For Love』

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by yumimi61 | 2017-05-03 23:33
2017年 05月 03日
日本国憲法の秘密-464-
三省堂の創業者
・亀井忠一(旧姓:中川)
・亀井万喜子

中川忠一の父親は幕臣であり江戸に暮らしていた。
明治新政府となった後、一家は静岡県沼津市に移住。生活は楽ではなかった。


幼くして両親を亡くした万喜子は、亀井家の婿養子になっていた姉の夫の養子となった。
その亀井家も明治新政府成立以降は静岡に転居した。
しかし姉の夫も亡くなってしまう。亀井家に残されたのは姉妹であった。
そこで妹万喜子に婿養子前提の縁談話が持ち上がった。そのお相手が中川忠一であった。

当時2人はともに15歳ほど。(2人は同い年くらいなのだが、後年どうして母子に間違われることになったのか・・)
2人が若かったせいか、忠一本人か中川家の意向か分からぬがとにかく一旦はお断りしたそうである。
でも最終的に忠一の両親も同居することで縁談はまとまった。
2人が結婚して忠一が亀井家の婿養子になったのが1870年(明治3年)。
その若き夫妻が万喜子の生家に近い神田神保町で古本屋を開業したのは1881年(明治14年)、2人が25,6歳のことである。
古本屋に持ち込まれる本は洋書や医学書、辞典などであり、客はそれなりの人達だったわけである。
そうした本を扱い、そうした人と接するには無学ではダメだと万喜子は独学でいろいろと勉強をした。
徳と才を兼ね備えた素晴らしい人だったそうである。

古本屋から新刊書店、その後は出版業にも進出。翻訳書の出版を軌道に乗せ、教科書・地図も手掛けるようになった。
1908年(明治41年)には日本の本格的百科事典を目指して「日本百科大辞典」(全10巻)を刊行したが、次第に経営が行き詰まり、6巻まで発行した1912年(明治45年)に一旦は倒産してしまう。(辞典は財界や学会の支援を受けて数年後に10巻まで発行した)
1915年(大正4年)、出版・印刷部門を分離独立し、株式会社化(株式会社三省堂を設立)で再建した。
この時創業者は顧問となり、社長の座は息子(亀井忠一の4男・寅雄)に譲った。
寅雄はアメリカに留学経験もあった。

ソニーの盛田昭夫夫人は亀井忠一の5男・亀井豊治の娘(4女)である。
豊治も三省堂の専務や取締役を務めた人物で、亀井忠一の4男と5男が亀井兄弟として出版業界で名を馳せた。
亀井家本家を継いだのは社長の座を譲り受けた4男寅雄。
5男の亀井豊治は分家した。
亀井良子(後の盛田良子)さんは亀井家の分家の娘であった。

亀井豊治の子供は女子5人。
そこで姉夫妻の子を養子として迎え入れている。
姉は福岡の弁護士に嫁いで亀井姓から坂巻姓になっており、その坂巻家の次男が養子となり、亀井豊治の長女と結婚し(婿養子)、亀井家分家を継承した。

亀井寅雄には後継者がいなかったのか、この養子が寅雄→豊治の後の社長となる。
三省堂が家業であれば、寅雄が養子を迎える必要がある。
しかし三省堂は株式会社化して法人となっていた。亀井家は創業家であるが、もはや家業ではない。
こうした場合には社長職に就くものは家督継承者である必要はない。株主や社長が決めたならば全くの第三者だって構わないということになる。








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by yumimi61 | 2017-05-03 00:58