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2017年 05月 05日
日本国憲法の秘密-465-
ソニーの創業者の1人盛田昭夫一家はソニーのアメリカ進出をかけてアメリカに渡った。
子供達が通った学校はニューヨーク・マンハッタンのアッパー・イースト・サイドにある私立名門校のSt. Bernard's School(男子校)とNightingale-Bamford School(女子高)であった。
校章に十字が入っているSt. Bernard's School(男子校)は文学に強い学校であった。
盛田夫人は出版社三省堂創業一族の出身である。三省堂の成功のきっかけは洋書の翻訳であり外国との繋がりが当初から深い。創業者の息子はアメリカに留学経験もあった。
盛田家に学校を紹介したのはアメリカの証券会社スミス・バーニーのソニー担当役員で、当時スミス・バーニーは米国預託証券(ADR)を発行していた。
現在ADR発行を引き受ける預託機関(預託銀行)は、バンク・オブ・ニューヨーク・メロン、JPモルガン、シティバンク、ドイツ銀行といった大手銀行によって占められているそうである。

スミス・バーニーは1998年にソロモン・ブラザーズと合併「ソロモン・スミス・バーニー」となった。
ソロモン・ブラザーズは1980年にアメリカ有数の投資銀行に成長したが、1987年のブラックマンデーと1991年の不正スキャンダルで地に落ちた。
そんなソロモン・ブラザーズとスミス・バーニーをくっつけたのは、かのウォーレン・バフェット氏である。
その後シティグループの傘下となり、2009年には「モルガン・スタンレー・スミス・バーニー」となり、さらにその後、モルガン・スタンレーがシティ保有の株式を買い上げたらしい。


盛田家に学校を紹介したのはスミス・バーニーの役員であったが、モルガンもソニーのADRを発行していた。
ということで、ソニーが1970年にニューヨーク証券取引所に上場する以前よりモルガンとのお付き合いもあった。

ではJPモルガンとモルガンスタンレーの関係はということになるが、それは以前書いた

1838年 ロンドンで「ジョージ・ピーボティ&カンパニー」*設立。
1854年 ジュニアス・スペンサー・モルガンがパートナー就任。
1864年 「J.S.モルガン&カンパニー」と社名変更。
1900年 ロスチャイルド一族のエドワード・グレンフェル
**が支配人となる。

*アメリカ出身のジョージ・ピーボディによってイギリスで設立された。
これは「ブラウン・ブラザーズ」を通じて行われたものであり、ロスチャイルドの三男・ネイサン・ロスチャイルドの代理人となる。
独身だったピーボディは後継者問題に直面し、ジュニアース・モルガンと提携した。
モルガン家はイギリスからアメリカに移住し財をなした一家であり、そのルーツはイギリスにあった。


**エドワード・グレンフェルはイングランド銀行総裁ヘンリー・グレンフェルの息子。
イギリスの老舗投資銀行「ブラウン・シプリー」の重役でもあった。
「ブラウン・シプリー」の創業者はアイルランド移民のアレグサンダー・ブラウン。
1800年に創業したリネン製品の輸入会社が成功して金融業に進出した。

ブラウン家がアメリカにて投資銀行家で鉄道王のハリマン家と結びつき、「ブラウン・ブラザース・ハリマン」になっている。
この「ブラウン・ブラザース・ハリマン」は多くの政治家を輩出。
父ブッシュ(41代大統領)の父親であるブレスコット・ブッシュが「ブラウン・ブラザース・ハリマン」の前身の1つ「W・A・ハリマン」に就職し、頭取だったジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘・ドロシー・ウォーカーと結婚。
2人の間に41代大統領となったブッシュ(次男)が生まれる。
43代大統領のブッシュは孫にあたる。
ブッシュ大統領の「ジョージ・ハーバート・ウォーカー」という名前は、そっくり祖父(母方)の名前である。
父ブッシュの母の家系を辿るとイギリス王室に繋がるらしい。

「W・A・ハリマン」を設立したのは、ハリマン一族で政治家にもなったW・アヴェレル・ハリマン。
ブッシュの父・ブレスコット・ブッシュは合併した「ブラウン・ブラザース・ハリマン」の経営者となった。
「ブラウン・ブラザース・ハリマン」はドイツでナチスを支援していた鉄鋼石炭王フリッツ・ティッセンの良きビジネスパートナーであり、アメリカ参戦後も敵国でありながら財政支援していた。


1861年 ジョン・ピアポント・モルガン(ジューニアス・スペンサー・モルガンの息子)が「J.P.モルガン&カンパニー」をニューヨークに設立。
1871年 ドレクセル・モルガン&カンパニーに改称。(フィラデルフィアの銀行家アンソニー・ドレクセルと組んだ)
      以後10数社の鉄道事業を買収して再編成した。
1892年 発明王エジソンの会社を吸収してゼネラル・エレクトリック(GE)を設立し、電気事業を再編。
1895年 再び「J.P.モルガン&カンパニー」と改称。
1901年 カーネギー鉄鋼会社を買収してUSスチール社を設立し、鉄鋼業を再編。
1907年 当時全米の電話を独占していたAT&Tを買収。

こうして様々な事業に投資し再編を行うことで金融資本による経済支配構造を構築した。(上記はアメリカ版)
構築初期段階で「モルガン」がロスチャイルドやユダヤ系であるということを上手く覆い隠した。
そして全ての富が一族(財閥)に転がり込むようなシステムを作り上げた。
そのために非常によく利用されたのが婚姻である。
一族内で婚姻を繰り返し財産が外に出ていかないようにしている。
また、政略結婚により他財閥や政治家と協力関係を結んだり、他財閥や有力者を取り込むことに成功した。
一族の人間を政治の世界へ送り込む場合もある。
こうして経済と政治を掌握していった。

(略)

1909年 「J.S.モルガン&カンパニー」を「モルガン・グレンフェル」に改称。

アメリカのモルガン親子を通じて、ロスチャイルド(イングランド・グレンフェル)はアメリカ(モルガン)を取り込んだのである。


余談だが沈没したタイタニック号の実質的オーナーは、J.P.モルガン&カンパニーであり、モルガン・グレンフェルである。

イギリス・ロスチャイルド家発の会社(ジョージ・ピーボティ&カンパニー→JSモルガン)のパートナーにジューニアス・スペンサー・モルガンが就任し、JPモルガンはジューニアス・スペンサー・モルガンの息子がニューヨークに設立した。当然この2つの会社は関係があった。
JPモルガンは上記のようにアメリカで巨大化した。
しかし1929年ウォール街で大暴落があり世界恐慌に繋がる。
この時、アメリカでは銀行と証券会社を兼ねる経営が禁止される法律が制定された。
そこでJPモルガンは会社を分けたのである。
JPモルガンは銀行として、証券・投資部門はモルガン・スタンレーとして再出発した。
モルガン・スタンレーの「モルガン」はジューニアス・スペンサー・モルガンでもその息子・ジョン・ピアポント・モルガンでもなく、投資部門の一社員から昇進していった人物の名前に由来すると言われるが、その叩き上げの社員というのはJPモルガンを設立したジョン・ピアポント・モルガンの孫であるのでモルガン一族の人間であり純粋な叩き上げとは少し違う。
モルガンは企業であり法人であるので家業ではないが、当時はモルガン一族が大きな影響力を発揮していたと考えてよいだろう。当然その後ろにはロスチャイルド家やロックフェラー家の後ろ盾があるわけだが。
家業ではなく株式会社なので状況によったり時を経れば創業家と言えど(ソニーと盛田家のように)会社への影響力を失うこともあるので、現在のモルガンがどうかは分からない。


2000年、金融持株会社であるJPモルガンとチェース・マンハッタンが経営統合した。(JPモルガン・チェース銀行とJPモルガンはこの持株会社の子会社である)
その後、アラバマ州で地方債を発行し手数料を稼いだ。賄賂が多方面に支払われていたので事件化した。自治体の財政にとって危険な債務債券化協定を結んでいた。
しかしその後も大手銀行を買収。さらに2007年以降の世界金融危機で経営状態の悪化した銀行を買収し規模を拡大した。
いろいろ優遇されたり悪いことをしていたりして、結構それが公になるのだが、銀行と投資部門のどちらもその地位は揺るがず。ヘッジファンド部門は米国最大。
2011年にはバンク・オブ・アメリカを抜き、アメリカ最大の資産を擁する銀行となったそうである。

チェース・マンハッタン・バンク
1955年にバンク・オブ・マンハッタンがチェース・ナショナル・バンクを買収して誕生した銀行。
なお、バンク・オブ・マンハッタンは1799年の創立で、JPMチェースの前身企業中最古の歴史をもつ。かつて水道事業者だったマンハッタン社を、アーロン・バーが銀行に転換させた。現在のJPMチェースのロゴは前身のチェース・マンハッタンのものであり、そしてさらに前身のバンク・オブ・マンハッタンのものであるが、かつての水道事業に因んで、木製水道管の断面が図案化されている。

チェース・マンハッタン・バンクがクレジットカードのMasterCharge(Master Card)の生みの親である。
この銀行で1970年代から1981年まで頭取を務めたのが、デイヴィッド・ロックフェラーである。

ここでロックフェラー家のおさらい

ロックフェラー家のルーツは南ドイツでないかと言われている。
初代ジョン・ロックフェラーの父親は問題大ありの人だったようで、決して裕福な家庭ではなかった。

ロックフェラーによる石油事業(スタンダード・オイル)の独占がアメリカ初のトラストだったが、1911年に連邦最高裁から解体命令が出され分割された。
ロックフェラーはシカゴ大学とロックフェラー大学も創設。慈善家としての顔も持つ。
ロックフェラーの息子(2世)は大恐慌時代にマンハッタンの中心地に14のビルから成るロックフェラー・センターを建設してニューヨークの大地主となった。
ジョン・ロックフェラーの弟のウィリアム・ロックフェラーはナショナル・シティ銀行(現在:シティグループ)の創業者の1人。 

ロックフェラー2世・アビー夫妻の子供達

 ♀ アビー・ロックフェラー・モーズ(1903-1976)
 ♂ ジョン・ロックフェラー3世(1906-1978) 交通事故死
 ♂ ネルソン・ロックフェラー(1908-1979) 愛人宅で腹上死
 ♂ ローレンス・ロックフェラー(1910-2004) 肺疾患で死亡
 ♂ ウィンスロップ・ロックフェラー(1912-1973) 膵癌にて死亡
 ♂ デイヴィッド・ロックフェラー(1915年-    )

1女5男。1人目が女の子だったので、後継者(襲名)は2人目長男であった。
次男のネルソンは、ニューヨーク州知事と第41代副大統領を歴任。
3男のローレンスはオバマ大統領の支援者だったらしい。
4男のウィンスロップは、アーカンソー州知事であった。(クリントン大統領もアーカンソー州知事だった)
5男のデイヴッドが現在ロックフェラー家の当主となっている。
デイヴッドは1970年代から1981年までチェース・マンハッタン銀行(現:JPモルガン・チェース)の頭取であった。


初代・・・アメリカの石油事業(スタンダード・オイル)の独占
2代目(2世)・・・ニューヨークの大地主
3代目(3世)・・・日本の国際基督教大学に関与し息子が留学経験あり、松本重治や松方三郎の親友
第2次世界大戦後、日本との平和条約を締結するために来日したダレス国務長官とダグラス・マッカーサーに同伴した。
戦後にジャパン・ソサエティの代表にも就任した。(ジャパン・ソサエティは、1907年にニューヨークで設立された。元々、日本に石油を売るためにロックフェラー家が設立した機関)
人口問題にも関わり、人口評議会と農業開発評議会を設立した。
(緑の革命を広めるためで、世界銀行と国連組織がこれを後援している)
人口問題への関与はカトリックから非難された。
歴とした3世であり、しかも日本やアジアに深く関わった人物であるにも係わらず、日本語版Wikipediaにはその存在はない。(初代、2世、4世はある)
政界入りをせず民間組織などを通じて裏で活動していたせいか、多くを知られていない。
このことは「緑の革命」の印象を悪くし、後の人口削減、種子バンク、悪魔の種(遺伝子組み換えF1種)への批判に通じる。
世界銀行と国連との関係性も両組織の在り方からしてプラスのイメージには働かない。


長男3世が亡くなった後、すぐに3世の長男(4世)に継承されなかった。

亡くなった時に3世の息子(4世)はそれなりの年齢(41歳)になっていた。
しかしロックフェラー家の当主は次男のネルソンに継がれた。
ネルソン・ロックフェラーは1974年~1977年にかけて副大統領に就任した。
1974年というのはニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任した年である。
辞任に伴ってジェラルド・フォード副大統領が大統領に昇格し、そのフォード大統領から副大統領に指名されたのであった。
この頃がどんな時代だったかといえば、こんな時代だった(ジョン・レノンの歴史とともに)。
1977年の大統領選でフォード大統領が敗れたためネルソン・ロックフェラーも副大統領職を去った。
その翌年に兄の3世が交通事故死して当主を継承するが、自身もその翌年に亡くなった。
愛人宅で心臓発作を起こしたが、浮気発覚を恐れた愛人が友人宅などに電話をするなどして時間を浪費。
救急通報までにが約1時間も遅れたことが命取りになったそうである。


本家の家督は本家当主の子供なり養子が継ぐのが筋なので、この場合3世の長男が継ぐのが正当ではある。
しかし3世の弟たちが本家ロックフェラー家の当主に納まった(主張した)のでロックフェラー家のお家騒動が勃発した。特に長いこと揉めていたのがこの2人。
デイヴィッド・ロックフェラ-(3世の末弟)vsジェイ・ロックフェラー(3世の息子の4世)。

※上記過去記事には没年が入っていませんが、デイヴィッド・ロックフェラーは現在お亡くなりになられています。



1991年、デイヴィッド・ロックフェラーとソニーの盛田昭夫が対談した。
この対談を企画したのは日本国際交流センターの山本正と読売新聞。

山本正という人はカトリック教徒である。
2012年に亡くなったが葬儀はカトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)で執り行われている。
山本は上智大学からアメリカのセント・ノーバート大学へ留学し1960年に卒業した。

上智大学は学校法人上智学院のもとにあり、ローマ・カトリック教会に所属する男子修道会の一つ、イエズス会が設立母体です。上智大学に隣接して建てられている聖イグナチオ教会も宗教法人ですがやはりイエズス会の経営によるものです。この聖イグナチオ教会はイエズス会の創設者で初代総会長を務めたイグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556.7.31)にちなんで名づけられたものです。上智大学ホームページより>

小坂財閥一族の小坂徳三郎(信越化学工業社長)の下で国際交流事業に携わり、1967年に日米の民間政策対話「下田会議」をペリー来航の地である伊豆で開催。
1970年、小坂の政界進出(衆議院議員当選)に伴い独立して、日本国際交流センターを設立した。

小坂財閥
創始者:小坂善之助
信濃毎日新聞創業社長→衆議院議員
   長男:小坂順造(日本銀行→信濃銀行取締役→信濃毎日新聞社長・長野電灯社長→衆議院議員→貴族院議員
       信越化学工業創業社長、信濃毎日新聞会長→社主、日本発送電総裁・電源開発総裁)
   二男:小坂義雄(小坂才兵衛の養子)
   三男:小坂武雄
   長女:小坂ちか(衆議院議員 花岡次郎の妻)
   二女:小坂はる(日本銀行総裁 深井英五の妻)
       (夫妻の長女・結子は日本を代表する天文学者・萩原雄祐の妻)
       (萩原雄祐・結子夫妻の3男は日本テレビの元社長。「視聴率買収事件」の責任を取り副社長に降格)
       ⇒日本テレビの視聴率4冠王を10年連続連覇したのも萩原の功績が一番だと言われている。
   三女:小坂国(三菱銀行副頭取 関根善作の妻)
   四女:小坂菊江(陸軍少将 津野田是重の妻)
   女:小坂信(中央工業会長 今井文平の妻)
   女:小坂ふじ(農商務省 田中隆一郎の妻)

ここでも女子が政略結婚にフル活用されている。

上記の小坂順造の子供達。
   長男:小坂善太郎(三菱銀行→信越化学工業取締役→衆議院議員)
   二男:小坂善次郎
 ◎ 三男:小坂徳三郎(朝日新聞社→信越化学工業社長・信濃毎日新聞社長→衆議院議員)
       (妻は三井十一家の一つである本村町家2代目・三井弁蔵と、日本の女子ゴルフ草分けの三井栄子との長女)
   長女:小坂百合子(東京都知事 美濃部亮吉の妻→離婚)

山本正は日本国際交流センター設立以降、日本における民間の国際交流のパイオニアとして数々の事業を推進した。
日米議員交流、三極委員会など、戦後日本の国際化を進める知的交流プログラムを推進したほか、近年は、「人間の安全保障」概念の普及と、地球規模課題における日本の国際的役割の強化にも尽力した。
また、独立・民間の非営利組織としての立場を貫き、日本の民間財団やNPO/NGOなど非営利セクターの強化や国際化を支援した。欧米、アジアの政財界、官界、学界、財団界、NPO界などに広汎な人脈を築き、日本と海外をつなぐ架け橋となってきた。
三極委員会(トライラテラル・コミッション)アジア太平洋ディレクター、 日英21世紀委員会ディレクター、 日独フォーラム幹事委員、 日韓フォーラム代表幹事、 世界基金支援日本委員会ディレクター、 「21世紀日本の構想」総理懇談会幹事委員(1999年)などを歴任。






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by yumimi61 | 2017-05-05 17:30