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2017年 05月 06日
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"I be going MIA on people sometimes."

"Don't go MIA on me."

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by yumimi61 | 2017-05-06 23:11
2017年 05月 06日
日本国憲法の秘密-466-
ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報  日本のロックフェラーの総代理人・山本正氏がガンで死去:その功罪とは? より
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タダシ・ヤマモトが作り上げた国際交流ネットワーク

(2010年2月13日 副島国家戦略研究所・中田安彦)

 日本で活動するアメリカ企業でつくる「在日米商工会議所」(ACCJ)というロビー団体では、毎年暮れに「今年のひと」を選出している。

 過去には07年に米企業側からも要望の多かった郵政民営化を推進した竹中平蔵・元参議院議員が選ばれている。他にも、06年には奥田碩(トヨタ相談役)、05年には西室泰三(東芝顧問)が選ばれているが、去年選ばれたのは、山本正(やまもとただし)という人物だった。おそらくこの連載をお読みの方で、この名前を知っているひとは半分もいないと思う。ただ、かつては「あらゆることが山本を経由する」といわれたほどの大人物なのだ。

 山本正氏は、財団法人日本国際交流センター(JCIE)理事長の肩書きを持つ。日本と国際社会との橋渡しをする「民間外交」を担うべく、まだ冷戦時代だった1970年に設立された。今回の受賞は今年が日米安保改定50周年とJCIE設立40周年に当たることがその理由だろう。

 山本氏は日米関係に少しでも携わったことのある人であれば、その名を知らないものはいない。ただ、積極的に表に出ることはせず、あくまで「黒子」に徹している。この連載では、以前に米富豪ロックフェラー家の肝いりで作られた、日米欧三極委員会(トライラテラル・コミッション)について何回か言及してきた。ロックフェラーら米国側のメンバーと一緒に、三極委員会の設立を73年に行ったのが、この亡くなった宮沢喜一元首相であり、この山本氏であった。石原慎太郎氏と共著で『NOと言える日本』を出したソニーの盛田昭夫氏が、デイヴィッド・ロックフェラー氏とニューヨーク郊外で読売新聞の企画で対談した時、盛田氏に付き添ったのもこの山本氏である。 

 山本氏は、三極委員会以外にも、日米議員や知識人の知的対話の場を提供した下田会議(1967年から)の立役者として知られる。この下田会議や続く日米議員交流には、歴代首相の相談役ともなった日本研究家のジェラルド・カーティス、皇太子妃の父上である小和田恒、ドナルド・ラムズフェルド(当時)そして若き日のジョゼフ・ナイら政治家・知識人が参加していた。このように日米人脈のつなぎ役(コネクター)となった山本氏だが、現在も中曽根康弘元首相が議長を務める「東アジア共同体評議会」(CEAC)の副議長のひとりであるほか、数年に一度、都内の米国大使館近くのホテル・オークラで開催される三極委員会年次総会では、ホスト役として活発に動く存在である。

<渋沢ファミリーの縁戚としての人脈力>

 山本氏は滅多にインタビューには応じないが、数年前に日経新聞で数回にわたる連載や、今回のACCJの受賞特集を読むとこの人の“人脈”が見えてくる。山本氏は国際都市・神戸の生まれ(1936年)で、父親が商社勤めであったという。香港、インドのムンバイなどに移り住んだ後、戦争中は母は父を残して5人の兄弟と一緒に神戸に戻ってきたという。

 山本氏より一世代前、すなわち戦後間もないころの日米交流人脈の拠点が国際文化会館(ロックフェラー3世らが設立)である。この理事長を09年に亡くなるまで務めていたのが、東京三菱銀行初代頭取の高垣佑(たかがきたすく)氏である。山本氏がいた頃の香港の日本人学校には、後に緒方四十郎・日銀総裁に後に結婚することになる、緒方(旧姓・中村)貞子(元国連難民高等弁務官)や高垣氏も在籍していたという。

 山本氏はカトリックの家系に生まれたことから若い頃は神父になるつもりだったというが、結局神父になったのは長男の山本襄治(聖イグナチオ教会)であった。イエズス会の上智大学在学中に聖職に就くべきか悩んだあげく、米国の大学に編入し、やがてMBA(経営学修士)を取得し、帰国後の62年には信越化学工業に入社した。

 そうして70年にJCIEを設立することになるのだがそのオフィスは都内麻布にあった。『軍隊なき占領』(ジョン・G・ロバーツ他著)という本には、その住所にあったのはもとはMRA日本センターだったという。このMRA(道徳再武装運動)で重要なのは、今もJCIEの評議員を今も務める渋澤雅英(渋沢栄一記念財団理事長)との関わりである。ロバーツらの著書によれば、雅英と山本は「縁戚関係」にあるという。また、「渋沢家五代目」として外資系金融機関で勤務した経験を生かして、現在は「コモンズ投信」の会長として活躍する、渋澤健氏は自らブログで山本氏のことを「私の叔父」として紹介している。渋沢家といえば、敬三など日銀総裁を輩出したことでもしられるが、その縁戚関係の広がりからも山本氏の日本の民間経済界における位置づけが分かってくる。

 ただ、三極委員会など「山本人脈」に連なるネットワーク組織の多くが、冷戦の時代に設立されたものであり、複雑化するアジア太平洋の国際関係の現在に対応し切れているかといえば必ずしもそうではないだろう。山本氏の人脈は「ロックフェラー人脈」に直結している。そのことがこれまでは強みであっただろう。ただ、ロックフェラー氏自身が、今年で95歳という高齢であり、山本氏自身もすでに現在73歳である。躍進を続ける中国、インドなど、BRICs諸国をいかにしてグローバル経済の枠組みに取り込んでいくかが、日本やG7諸国の現在の重要なテーマである。その中で日米欧という“西側”の三極を越えた、アジアへの人脈構築が求められている。「山本人脈」は良くも悪くも「アメリカ経由の国際交流」であった点はどうしても否定できない。

 三極委員会の北米会長であり、下田会議にも古い段階から参加してきた、ジョゼフ・ナイ元米国防次官補。オバマ政権の駐日大使の呼び声も高かったが、結局はそうならなかった。山本氏が親しいトマス・フォーリーが駐日大使に就任した97年ころから、時代は明らかに変化している。「山本人脈」につらなる竹中平蔵(ダボス会議評議員)、船橋洋一(朝日新聞主筆)らは、リベラル派の親米派知識人といえる存在だが、民主党新政権で存在感を示す、小沢一郎・党幹事長の唱える、「日米正三角形論」の枠組みからはずれた存在のようにも見える。

 山本氏が唱えた、非公式の民間交流の重要さは誰しも認めるところだろう。ただ、時代が変化するにつれて、その方法論もそれに応じて変化が求められていくが、今のところその新しいアジアの知的交流の芽はまだ見えてこない。(了)



山本正の出身地である神戸は以前書いた通り、明治時代の廃藩置県に前後して福沢諭吉の勧めにより九鬼隆義が買い占め、それにより九鬼家は巨万の富を得た。九鬼隆義はキリスト教をはじめ西洋文化を積極的に取り入れ、宮内省にも勤務したという人物。
松方正義の3男で松方三郎の養父でもある松方幸次郎(川崎造船所社長→衆議院議員)の妻の父親が九鬼隆義である。
九鬼家の屋敷があったところにカトリック教会が造られていて、九鬼家には神学者になった者もいる。
ロックフェラー3世の親友だという松本重治の妻は松本幸次郎の娘である。
松本重治の葬儀は東京聖三一教会(聖公会)で執り行われた。
松本重治やロックフェラー3世と親しかった松方三郎は晩年カトリック教会で洗礼を受けたと言う。
何かとキリスト教(主にカトリック)に縁深い。
神戸に生まれた山本正もやはり親の代からのカトリック信者であった。


前にも書いて、先日も書いた、国際基督教大学。
この大学はロックフェラーと所縁がある。
1952年設立の国際文化会館と1953年設立の国際基督教大学(ICU)ともに、ロックフェラー3世(ロックフェラー財団)が関与し資金援助したのである。
日本銀行(戦後日本の金融界に絶大な権力を持ってローマ教皇庁に例えられ一万田法王と呼ばれた一万田尚登)やマッカーサーも関係している。

国際基督教大学(ICU)
東京都三鷹市大沢三丁目10番2号に本部を置く日本の私立大学である。
高松宮宣仁親王が設立準備委員会の名誉総裁に就任し、当時の日本銀行総裁である一万田尚登が設立のための募金運動に奔走した。またGHQ最高司令官を務めたダグラス・マッカーサーも、大学設置に際し財団の名誉理事長として、米国での募金運動に務めた。
1953年に初代学長として湯浅八郎を迎え、一期生198人より開学に至った。


湯浅八郎の父は、同志社創立者の新島襄と同郷(群馬県安中)の湯浅治郎である。
八郎は第10・12・13代同志社総長および初代国際基督教大学学長を歴任した。
このように 国際基督教大学(ICU)は新島襄や同志社との関係を匂わせて設立されている。
(ちなみに大学が置かれた場所は戦前中島飛行機が所有していた土地である。中島飛行機も群馬で創業された会社)
国際基督教大学はキリスト教長老派による創設で、米国型リベラルアーツ・カレッジの形式を踏襲しているとも書かれているのだが、この説明は少しおかしいことを先日も指摘した。
ダグラス・マッカーサーは以前にも書いた通り、フィリピンに長い間いた人である。
マッカーサーがキリスト教を信仰していたとするならばカトリックであったと考えるのが自然である。


そしてこれも前に書いたことになるが、第2次世界大戦後、日本との平和条約を締結するために来日したダレス国務長官とダグラス・マッカーサーに同伴したのがロックフェラー3世だった。


山本正、その人がロックフェラーについて(ロックフェラー回顧録を読んで所感などを)述べている。

世界を動かしたロックフェラー
-デイヴィッド・ロックフェラー『ロックフェラー回顧録』
山 本   正  新潮社読書情報誌『波』2007年11月号


筆者は、デイヴィッドとその家族、長兄のジョンに知己を得、長年にわたり親交を深める幸運を得た。初めて会ったのは、1972年、宮沢喜一氏、大来佐武郎氏等とともにロックフェラー邸での三極委員会設立準備会議の席だった。以来、30年以上にわたり三極委員会はじめ、筆者が主宰する(財)日本国際交流センターの活動についてもデイヴィッドは深い関心と支援を続けてくれている。ソニーの故盛田昭夫氏とデイヴィッドの対談を企画したり、マンハッタンやニューヨーク郊外の屋敷や別荘に伺ったり、あるいはプライベートな旅行に同行するなど、親しくその人柄に触れる機会を持ってきた。穏やかでゆったりした語り口で周りに不思議な安心感を与える、その人となりに長年接してきた筆者であるが、本書を通じて実に多くの事実をあらためて知った。

(略)

週給5ドルの店員から石油王として巨万の富を築いた初代ロックフェラーは資本主義の巨悪の象徴として弾劾されたが、敬虔なプロテスタントとして、酒、タバコを控え収入の10%は慈善寄付をするようにとの教育を子どもたちに施してきた。祖父を超えることはデイヴィッドの父には不可能に近く、如何にロックフェラーの富を社会と子どもたちに還元し、ロックフェラー家としての矜持を保つかに腐心した。

(略)

戦前から今日に至る人脈の華麗さは、ロックフェラーという名前だけで王族にも国家元首にも会えるということがなければ築けなかったことではあるが、一時は政治家を志した財界人デイヴィッドの力量に負う所が多い。中東や南米の元首たちとの交渉裏話はまさに、歴史そのものである。デイヴィッドとキッシンジャーが画策したとされるイランのパーレビ国王の亡命は米国政府の約束不履行を繕うためだった等、いくつものエピソードが述べられている。
国際関係に果たした役割の余りの多さ、大きさ故に、日本については世界的な話題となった三菱地所のロックフェラー・センター買収顛末が中心となっている。デイヴィッドが丸ビルの玄関で転倒、骨折し某病院に急遽入院、痛み止めと称してマティーニをホテル・オークラから届け、丁度電話をかけてきた夫人のペギーに見破られたこと、ソニーの大賀会長の好意で自家用機を出してもらい米国に帰っていただいたこと等、今では懐かしく思い出される。
しかし、本書の本質は、「社会の健全性のためにはフィランソロピー(社会変革をめざす寄付・助成活動)が必要」という確固たる一族の信念である。巨万の富を社会向上のために如何に分配するか、現在活躍している数多くの世界的な組織はロックフェラーの資金により生まれている。WHO(世界保健機関)もロックフェラー財団の活動から生まれたものであることは決して不思議なことではない。



「敬虔なプロテスタント」と書いているが、それは誰の事なのか?
ロックフェラー家の初代か2代目か?2代目の子供達も敬虔なプロテスタント信者であったのだろうか。
では3世だけが違っていたということであろうか?
3世の日本での人間関係等から推し測るとこの記述は怪しい。カトリック(あるいはカトリックに近い聖公会)との繋がりが強いと思われる。







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by yumimi61 | 2017-05-06 00:41