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2017年 05月 08日
日本国憲法の秘密-468-
少し前に私は商品だけで巨万の富を得たり多国籍企業になることはないと言いきったが、ではソニーに何も売りが無かったかと言うとそうではない。

ソニーの前身・東京逓信工業は、テープレコーダーを日本で初めて世に送り出した。
誰でも簡単に録音することを可能にしたのは盛田ら東京逓信工業だったのである。
創業者の盛田や井深は経営者だけでなく技術屋としての顔を持っていた。
ポケッタブルと呼ばれるポケットに入るほど小型のラジオ「トランジスタ携帯ラジオ」を日本で初めて作ったのも東京逓信工業である。世界的にも最小を達成し、アメリカ市場でも成功した。
1950年代のことで、盛田がアメリカに駐在する前のことである。
ソニーは間違いなく後に続くポータブル機器の先駆者であった。
東京逓信工業がソニーと社名を変えて、東証一部に上場したのは1958年。戦後に急成長した会社の1つである。

「トランジスタ携帯ラジオ」のトランジスタ開発の中心にいたのが後にソニー社長(4代目)にもなる岩間和夫。
日本における半導体産業の基盤を創った男ともいわれた。愛知県名古屋市出身。
東京帝国大学(現・東京大学)理学部地球物理学科卒。東京通信工業(現・ソニー)入社前は東京帝国大学地震研究所(現・東京大学地震研究所)に所属していた。戦時中はレーダー撹乱作戦に従事し日本軍のキスカ島撤退作戦に貢献した。


1972年にノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈は1950代に東京逓信工業にいて、トランジスタ開発に貢献した。
ノーベル物理学賞の受賞理由は「半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見」である。
その後アメリカIBM研究所を経て筑波大学の学長に就任した。
IBMはモルガングループの中核企業であり、盛田昭夫は1970年代にIBMの子会社の社外取締役にも就任していた。
同じ頃IBMのCEOがJPモルガンの社外取締役に就任しており、こうした人脈を通じてソニーはIBMとも繋がりがあった。
またIBMの取締役会でプルーデンシャル保険のCEOと知り合ったことによって、ソニーは保険事業にも参画することになる。


岩間和夫の妻は、盛田昭夫の妹・菊子である。
岩間和夫と盛田昭夫は義理の兄弟となる。年齢は岩間のほうが2つ年上である。
岩間和夫・菊子夫妻の娘は、城戸崎武の息子・城戸崎博孝と結婚した。

建築家・城戸崎博孝の経歴
1966年 日本大学理工学部建築学科卒業
1966年-1975年 松田平田設計事務所勤務
1977年 イギリス・シェフィールド大学大学院修士課程修了
1979年-1993年 丹下健三・都市・建築設計研究所勤務
1993年 アーキテクトファイブ共同主宰
2000年 城戸崎建築研究室設立


城戸崎武は三井物産の取締役や常務を歴任した人物。三井銀行の情報開発部門の顧問でもあったそうである。
城戸崎武の兄も三井不動産の取締役などを歴任した人物。後に東京ディズニーランドのオリエンタルランドの常務となった。(浦安沖を埋め立て開発に乗り出してディズニーランドを誘致しようとしたのは三井不動産と京成電鉄でオリエンタルランドという会社を設立した)
ともかく城戸崎家は三井に関係がある。

城戸崎武には娘もいる(博孝の妹)が、その娘は森永製菓創業者の孫・森永剛太(森永製菓6代目社長)と結婚した。
森永製菓にも創業パートナーがいた。松崎半三郎。
松崎半三郎の曾孫が安倍晋三首相の妻の昭恵さんである。

森永製菓の創業者の森永太一郎は佐賀県伊万里生まれ。
横浜で数年過ごした後の1888年(明治21年)にアメリカに渡った。
陶器で商売をするのが目的だったがアメリカで熱狂的なキリスト教徒になり商売よりも伝道に傾いた時期もあったが、西洋菓子の製法を学ぶ。
1899年(明治32年)に横浜に帰国し、森永製菓を設立した。
1935年(昭和10年)、社長を退き念願のキリスト教布教活動を開始した。
ここもキリスト教だったわけである。
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明治期以降の日本は大きく分ければ「三井財閥」と「三菱財閥」で成り立っている。
ここを中心に天皇家や日本の政治中枢部に繋がる大規模な縁戚関係も成り立っている。
世界共通の金融システムに乗っかったのは明治期であるが、システム構築に貢献したのが「横浜正金銀行」と「日本銀行」。
設立者は横浜正金銀行は大隈重信と福沢諭吉、日本銀行は松方正義。
財閥系で分ければ、日本銀行は三井系で、横浜正金銀行は三菱系であった。
大隈重信の立憲改進党は三菱資本、伊藤博文の立憲政友会は三井資本。
これを背景に今でも早稲田大学、慶應大学、東京大学が政界をはじめいろいろな場面で優遇されているというか強いわけである。

以前書いたように松方正義の長男は華族銀行と呼ばれる十五銀行の頭取だったが、倒産で島津家にさらなる借りを作って失脚した。
十五銀行
1877年(明治10)5月21日に国立銀行として開業。
岩倉具視の呼びかけにより有力華族が発起人となり華族銀行とも呼ばれた。
原資は禄(貴族や官人に支払われていた金銭と維新功労者に対して付与された金銭・物資など)制度処分の代わりに発効された公債(国債)。
初代頭取には最後の長州藩主・毛利元徳が就いた。
宮内省(現在の宮内庁)の金庫(御用銀行)でもあった。


十五銀行は整理再建されたが、1944年に帝国銀行に吸収された。
帝国銀行の元は三井銀行であるので、十五銀行は三井に吸収されたことになる。
十五銀行跡地は三井系企業が利用している。
このことは天皇家や華族が三井と繋がっていたことを思わせる。
トヨタもソニーも東芝も三井系企業である。縁戚関係があったり融資してもらったり。

東芝の前身となる田中製造所は東京逓信工業よりも全然古い会社で、天才発明家と言われた田中久重が1875年(明治8年)に設立した。
1881年(明治14年)に創業者が死去。田中製造所は養子が久重を襲名して引き継いだ。
ここまでは家業であった。
しかし事業(電信機の製造)は行き詰まり、1893年三井銀行がこれを引き受け芝浦製作所と改称し、1904年に株式会社芝浦製作所として再出発した。
この時に三井銀行から芝浦製作所に送り込まれたのが藤山雷太。
芝浦製作所は1909年にアメリカのGE社に資本の1/4を引き渡して技術提携。GE社はモルガングループ企業。


藤山雷太は森永製菓創業者の森永大一郎と同じく佐賀県伊万里の出身。
慶應義塾の出身で福沢諭吉の計らいで出世した。

福澤諭吉を介して、福澤の甥であり山陽鉄道社長であった中上川彦次郎の知遇を得て、黒田清隆、大隈重信、鳩山和夫らと知り合ったという。
その後、中上川によって三井銀行に採用され、若輩ながら抵当係長という重要ポストに付けられた。その後、雷太は中上川の妻の妹と結婚し姻戚関係となった。

藤山は王子製紙の専務取締役に就任している。ということで王子製紙も三井系企業。

1909年(明治42年)に渋沢栄一に推挙され大日本製糖(現在の大日本明治製糖)の社長に就任。
この倒産寸前と評される大日本製糖を台湾での生産拡大などの経営方針で僅か2年ほどで再建させ、その後、朝鮮製糖、内外製糖、東洋精糖を合併し、規模を拡大させた。

三井退社後から、この間、駿豆鉄道社長、日本火災保険副社長、歌舞伎座取締役、出版社泰東同文局社長を歴任。帝国劇場の創立にも関わる。1917年(大正6年)から1925年(大正14年)には東京商業会議所の会頭を務め、日本商業会議所連合会会頭にも就任した。1923年(大正12年)に勅選貴族院議員となる。
この間に拡大させた企業群は『藤山コンツェルン』の基礎となる。



以前こちらに三井のことや株主のことを書いた。
近年の日本の大企業に必ずといって名を連ねている2つの信託銀行も結局のところ三井と三菱である。
そして三井や三菱の後ろにモルガン(ロックフェラー)がいる。





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by yumimi61 | 2017-05-08 15:56