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2017年 05月 09日
日本国憲法の秘密-470-
1989年5月、ソニーの盛田昭夫はJPモルガンの国際諮問委員会メンバーを退任した。

入れ替わりでJPモルガンの国際諮問委員会メンバーとなったのは小林陽太郎。
小林はカトリック教徒である。ローマ・カトリック・イエズス会が設立母体の上智大学から名誉博士号が贈られている。

ロンドンに生まれる。父親は大日本セルロイドから独立した富士写真フィルムのロンドン支店長から富士写真フイルム第3代社長となった小林節太郎。
慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校から1956年(昭和31年)慶應義塾大学経済学部卒、1958年(昭和33年)ペンシルベニア大学ウォートン・スクール修了(MBA)。

1958年(昭和33年)に富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)に入社、1963年(昭和38年)に富士ゼロックスに転じ、1968年(昭和43年)に取締役。副社長を経て、1978年(昭和53年)に吉村寿雄の後任として社長就任。1992年(平成4年)に会長に就任。2006年(平成18年)から2009年(平成21年)まで相談役最高顧問。2000年(平成12年)、西安交通大学より名誉博士号を授与された。
2015年(平成27年)9月5日死去。82歳没。


歴任した理事や評議員は多数。
代表的なものは、日米欧三極委員会アジア太平洋委員会委員長、経済同友会終身幹事(元代表幹事)、慶應義塾評議員・理事。


過去記事(マララさんの新聞記事)にも経済同友会終身幹事(元代表幹事)という役職を持っている人が登場した。
現在のNHK中央放送番組審議会副委員長は北城恪太郎氏。
バークレー・マフィアで名高いあのバークレー校で修士号取得(大学は慶應)。
現在は、日本IBM相談役、国際基督教大学(ICU)理事長、文部科学省中央教育審議会委員、経済同友会終身幹事。
かつて皇后陛下の御父上(正田氏)や麻生副総理兼財務大臣(元総理)の御父上(麻生氏)も経済同友会の幹事であった。
NHK中央放送番組審議会の委員長は元日本銀行総裁の福井俊彦氏。


全日空(ANA)の前身は朝日新聞航空部である。
会社設立に協力したのは永野重雄。若狭得治に「一切永野さんと美土路さんの手によって全日空が作られた」と言わしめるほど。
何で急にANAの話が出てくるかと言うと、航空機のことを書いていた過去記事にも経済同友会が出てきたからである。
経済同友会を創立し初代代表幹事に就任したのは他でもない永野重雄である。
財界のドンとなる永野重雄を社会党の片山哲首相に紹介したのが和田博雄(社会党左派)であり、和田博雄を片山哲首相に紹介したのは吉田茂首相であった。
永野は佐藤栄作とも親交を結んだ。
吉田茂は麻生副総理・財務大臣・元首相の祖父。佐藤栄作は安部首相の叔父。

朝日新聞は左(左翼)寄りや反日と言われることが多い新聞だが、航空業界を通して言えば、朝日新聞は皇室や政府寄りな存在である。
皇室や政府を「右」や「日本(愛国)」にすれば真逆であるが、私は常々ここに人々の思い込みや煽動・洗脳があると感じている。
どういう事かと言えば、皇室や政府自体が人々の思う「右」や「日本(愛国)」ではない可能性もあるということだ。
皇室や政府が「左」は「反日」ならば、そこに近い朝日新聞が左寄りや反日でも、なるほど筋が通る。
皇室や政府の表だっての「左」や「反日」は不味いと思えば、カモフラージュするだろうし、もっともらしく振る舞うだろう。
前にも書いたが詐欺師と名乗ってくる詐欺師はいない。 

・永野重雄(1900年生まれ)
広島県呉市沖の瀬戸内海に浮かぶ下蒲刈島三之瀬にある浄土真宗本願寺派の弘願寺が実家。
重雄の父・法城は本来11代目を継ぐ立場にあったが、明治初期の激動期に寺を出奔して上京、大學南校(東京大学の前身)で法律を学び裁判官となった。法城は島根県浜田市を振り出しに松江市・山口県岩国市・山口市と中国地方の裁判所で判事生活を送ったのち職を辞し広島市中町(現・中区中町)で弁護士事務所を開業した。
重雄は10人兄弟の次男として島根県松江市に生まれた。だが実際に育ったのは広島のため、終生広島出身と押し通した。
広島市名誉市民。

以前こちらに書いたように、浄土真宗本願寺とくれば、織田信長である。
織田信長の一番の敵は石山本願寺だった。
織田信長だけではない、イエズス会も石山本願寺を危険視していた。
現在の本願寺派の総本山は京都の西本願寺だが、本願寺と名の付く宗派は本願寺派しかなく、当然その流れを汲んでいる宗派であろう。

(永野は)新日本製鐵会長、経済同友会代表幹事、日本商工会議所会頭などを歴任した、戦後日本を代表する経済人の一人。財界四天王の一人で、"戦後の財界のドン"ともいわれた。

【財界四天王】・・・池田勇人内閣を表裏で支えた4名を指す。
小林中(富国生命保険相互会社元社長、日本開発銀行初代総裁、アラビア石油元社長)
水野成夫(経済同友会元幹事、産経新聞元社長、フジテレビ元社長)
永野重雄(日本商工会議所元会頭、富士製鐵元社長)
櫻田武(日経連元会長、日清紡績元社長)



日米欧三極委員会はデイヴィッド・ロックフェラーが主導で1973年に設立された。
ロックフェラー3世の協力のもと1952年に松本重治らが設立した国際文化会館に対抗したのだろうか?
前出の山本正も日米欧三極委員会の事務局。
国際人として有名な女性・緒方貞子もそうである。
共通点はカトリック教徒であるということ。(ということは、対立したロックフエラー3世もデイヴィッド・ロックフェラーどちらもがカトリック教徒を仲間としていたことになる)


どんなに一生懸命グローバルと言ったって、国際社会で活躍できる人を!と言ったって、女性活躍と言ったって、「緒方貞子なんて別に興味ないし~」という人がほとんどだと思うので、ここでちょっと緒方貞子にも注目してみたい。

緒方貞子----------------------------------------
1927年(昭和2年)、(現在の)東京都港区に生まれる。
曽祖父は元内閣総理大臣の犬養毅。祖父は外交官で犬養内閣外相の芳沢謙吉(犬養の長女・操と結婚した)。
芳沢謙吉・操夫妻の長女が緒方貞子の母である。
父は外交官・元フィンランド特命全権公使の中村豊一。
犬養毅の長男の子に共同通信社の社長であった犬養康彦やエッセイスト犬養道子、タレントの安藤和津(異母・妾が産んだ子)がいる。
犬養康彦は上智大学出身。妻は大原財閥の大原総一郎の娘(長女)。大原総一郎の次女は日清製粉の正田英三郎の息子(美智子皇后の弟)に嫁いだ。大原総一郎は親の代からカトリック教徒である。ちなみに美智子皇后の兄・正田巌は日本銀行の監事であった。
犬養道子はボストンとパリのカトリック大学で哲学・聖書学を専攻し、ハーバード大学研究員を経て作家となる。イエズス会の活動を行っているカトリック教徒。
安藤和津も学習院と上智大学出身。イギリス留学後にテレビ朝日「CNNデイウォッチ」でキャスターを務めた。
皆さんカトリックである。
旧犬養邸は上智大学に提供されている模様。

夫・緒方四十郎は元日本銀行理事、日本開発銀行副総裁。朝日新聞社副社長や自由党総裁、副総理を務めた緒方竹虎の三男である。ここにも朝日の存在あり。

父の仕事で都合でアメリカ、中国、香港などで幼少期を過ごす。
小学校5年生の時に日本に戻り、聖心女子学院に転入、聖心女子大学文学部英文科(現:英語英文学科英語英文学専攻)を卒業。その後、父の勧めでジョージタウン大学およびカリフォルニア大学バークレー校の大学院で学び、政治学の博士号を取得した。
こちらもバークレー校。
聖心女子大出身者には美智子皇后やクリスチャン(カトリック)作家として有名な曽根綾子などがいる。曽根さんは日本郵政の取締役に就任している。

国際基督教大学准教授、上智大学教授を歴任する。
1968年(昭和43年)、国際基督教大学 (ICU) 講師を務めていた時に、参議院議員を務めていた市川房枝の訪問を受けて、市川から「今年(1968年)の国際連合総会日本代表団に加わって戴きたい」と要請される。これが契機となって緒方自身は国際連合の仕事に関わるようになる。


市川房江は後年のイメージと違って戦前国策(戦争遂行)に協力した人物である。
市川は大日本言論報国会(昭和17年(1942年)12月23日に、大東亜戦争遂行のための言論統制を担当していた情報局の指導の下に設立された団体。情報局の外郭団体であり、戦時下における事実上唯一の評論家団体であった)の理事に就任していた。言論統制側の人間であった。

国連公使、国際連合児童基金 (UNICEF) 執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、第8代国連難民高等弁務官:1990(平成2)年-2000(平成12)年他を務める。2001年(平成13年)からアフガニスタン支援政府特別代表、2003年(平成15年)から国際協力機構 (JICA) 理事長。

2002年(平成14年)、外務大臣田中真紀子の更迭時にはその後任に推す声もあったが、本人が固辞した。2007年11月のデイヴィッド・ロックフェラー来日時には、回顧録出版記念パーティーの発起人を務めた。

小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関として、2004年(平成16年)12月27日に設置された皇室典範に関する有識者会議に、メンバーの一人として参加した

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グローバルとか開かれた世界とか保護主義はダメだとか弱者の味方だとかどんな宗教を信仰していてもとかなんとか言うけれど、国際社会は昔から秘密結社とかインナーサークル的なことが大好き。
誰にでも平等に開かれてなんかいないわよ。表と裏の顔があるの。見えないところでは平気で無視。虫けらみたいな扱いするのよ。ねえそうよね、そうでしょビル?


日米欧三極委員会はビルダーバーグ会議が日本の受け入れを拒否したから設立されたとも言われている。
しかしビルダーバーグ会議の中心人物も日米欧三極委員会を設立したデイヴィッド・ロックフェラーやキッシンジャーなどである。
ビルダーバーグ会議はロックフェラー3世と松本重治らが設立した国際文化会館(1952年)の2年後にスタートしている。
この頃の日本とのパイプ役はデイヴィッド・ロックフェラー(1962年初来日)ではなくロックフェラー3世(1978年没)だった。

ビルダーバーグ会議
1954年から毎年1回、世界的な影響力を持つ政治家や官僚、多国籍企業・金融機関の代表やヨーロッパの王族、貴族の代表者など約130人が、北米や欧州の各地で会合を開き、政治経済や環境問題等の多様な国際問題について討議する完全非公開の会議である。「陰のサミット」と呼ばれることもある。
最初の会議には、西ヨーロッパの11ヶ国から50名、アメリカからは11名が参加した。


アメリカ一の財閥ロックフェラー家の当主3世をそっちのけで大西洋重視というのもなんだかおかしい。
ということはロスチャイルドの意向?太平洋より大西洋重視?

ビルダーバーグ会議は、世界的な影響力を持つ政治家や多国籍企業・金融機関の代表やヨーロッパの王族、貴族などの代表者による会議であり、非欧米諸国からの出席者は少ない。
出席者のおよそ2/3が多国籍企業ないし多国籍金融機関の経営者、国際メディア、およそ1/3が各国の政治家と言われている。毎年、アメリカから30人、欧州各国から80人、国際機関などから10人とも言われている。また、著名な大企業であっても自薦では参加者を送ることができないと言われている。

1991年の会議には、当時アーカンソー州知事だったビル・クリントンが招待された。クリントンは会議の1年半後の1993年1月にアメリカ大統領に就任した。1993年の会議にはイギリス労働党のトニー・ブレアが招待された。ブレアは会議の4年後の1997年5月にイギリス首相に就任した。


オバマ大統領は呼ばれなかったのかなぁ?
2003年のイラク戦争、アメリカのブッシュ大統領が「悪の枢軸」とイラクを非難したり、副大統領が「イラクの核脅威は、予防的攻撃の正当性を証明している」と発言したり、イギリスのブレア首相が「イラクは、化学兵器と生物兵器を保有している。イラクのミサイルは45分間で展開できる」と断言したり、アメリカのパウエル国務長官が「サッダーム・フセインはガス壊疽、ペスト、チフス、コレラ、天然痘など、数十種類もの病原菌の研究に着手した」と言って戦争は始まったけれど、戦争をすることを決定したのは2002年のビルダーバーグ会議(5月30日-6月2日にアメリカのバージニア州で開催)だったとか。
「悪の枢軸」以降の発言は皆その会議の後に行われた。
戦争しても結局何の証拠も出てこなくて、石油畑のブッシュ大統領が悪者になったやつです。

議長
ベルンハルト王配 オランダ (1954–1975)
サー・アレック・ダグラス=ヒューム イギリス (1977-1980)
ヴァルター・シェール ドイツ(1981-1985)
エリック・ロール (Eric Roll, Baron Roll of Ipsden) イギリス(1986–1989)
第6代キャリントン男爵ピーター・キャリントン イギリス (1990–1998)
ダヴィニオン子爵エティエンヌ・ダヴィニオン (Étienne Francois Jacques Davignon, Viscount Davignon)ベルギー (1999–2011)
アンリ・ドゥ・キャストゥル (Henri de Castries) フランス (2012~)


先進国首脳サミット(G7)は日米欧三極委員会の設立(1973年)よりも遅く1975年から。
サミットは、ビルダーバーグ会議や三極委員会の意向を反映すると言われる。下部組織の1つだろうか。

ダニエル・エスチューリン(Daniel Estulin)は以下のように主張している。

・各年のビルダーバーグ会議の決定に従って、各国政府、財界への工作、メディアを通じた世論操作が発動される。

・その都度、議論されるトピックは国際政治経済状況による異なるが、最終目標は、あくまでも欧米による世界統一権力の樹立である。そのための手段として、メディアおよびネットの国際的支配、国民総背番号制と「人体埋め込みチップ」、GPSによる大衆監視、電子通貨システムを通じた国際通貨統合、人口抑制といったサブ・テーマが継続的に取り扱われている。

・9.11以降、米国・ネオコン派に対して米国・非ネオコン派および欧州派の意見対立がある。

・1997年の会議でビルダーバーグでは、カナダからケベック州を分離した残部をアメリカに統合する計画を検討する予定であったが、ダニエル・エスチューリン、ジェームス・P・タッカー(Jim P.Tucker,Jr)らの活動により、「トロント・スター」紙をはじめとするカナダのマスコミが大々的にビルダーバーグ会議について報道するに至った。それが国際世論の注目を集めたことにより、計画は頓挫した。その結果、ダニエル・エスチューリンは暗殺されかけた。 



ダニエル・エスチューリン
ジャーナリスト。1966年3月ソ連生まれ。1980年3月反ソ活動によりソ連から追放される。父のアイザック・エスチューリンは、著名な科学者だったが、反体制活動家でもあり同郷の市民のために、言論の自由を求めたことに対する罪で、投獄され、KGBの拷問を受けて死亡した。さらに、叔父が、スターリンの悪口を言ったことを家族の誰かに密告され、チェーカー(KGBの前身)に殺害される。
一方で、祖父は、KGBの部長を務めていて、1950年代は対敵諜報部員をしていた。その関係で、KGBをはじめMI6や、CIAからも多くの情報が得られ、著者はどのジャーナリストよりも、信頼度の高い詳細な機密情報を持っている。特にビルダー・バーグの権力掌握については、多角的な分析から、衝撃的な事実をいくつも掘り起こし、何度も命を狙われた。そのため、長年カナダのトロントに住んでいたが、現在ではマドリッドに移住し、執筆活動を続けている。


幾らなんでも父と祖父のギャップがありすぎるような気もするけれど・・そういう考え方はやっぱり日本的で家に囚われているからなのかな。
でも子供は父の血を継いでいる、影響を受けていると見做されて当然だと思うのに、拷問を受けて死亡した人物の子が警戒されずに情報が得られるもの?
犬養家はみなカトリックですよ! 3世もデイヴィッドも日本ではカトリック教徒を仲間にしていますよ!








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by yumimi61 | 2017-05-09 20:51
2017年 05月 09日
日本国憲法の秘密-469-
ソニーはADR発行を通じて、スミスバーニーやモルガンと付き合いがあった。

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1929年、ウォール街で大暴で世界恐慌。
この時、アメリカでは銀行と証券会社を兼ねる経営が禁止される法律が制定された。
   ↓
 JPモルガン分社。
  ①JPモルガン・・市中銀行
  ②モルガン・スタンレー・・証券・投資部門

1960年、OPEC設立。

1969年、ソニーの盛田昭夫はJPモルガンの国際諮問委員会メンバーとなる。

1978年、ロックフェラー3世が交通事故死。
1979年、スリーマイル島原発事故。
1980-1988年、イラン・イラク戦争。

1984(3月~1985年8月)、グリコ森永事件。
1985年(1月)、アメリカがユネスコ脱退。
1985年(8月)、日本航空123便墜落。
1985年(9月)、プラザ合意。→円高
1985年(12月)、イギリスがユネスコ脱退。
1986年(1月)、ニューヨーク市場株価大暴落。(ユネスコ脱退が株価操作の合図だった可能性あり)
1986年(1月)、スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故。
1986年(4月)、チェルノブイリ原子力発電所事故。

1986年、盛田昭夫が経団連副会長となる。

1986年(12月)、日本はバブル景気に突入。
1987年(2月)、ルーブル合意(プラザ合意によって始まったドル安とマルク安に歯止めをかけるための合意)
1987年(9月)、マルクが上昇している中、西ドイツがアメリカの反対を押し切って金利を引き上げ。
1987年(10月)、ブラックマンデー
※ニューヨーク市場の株価大暴落を発端に起こった過去最大規模の世界的株価大暴落。その割には大きな明確な原因がなかったとも言われている。それもそのはず大暴落は1986年1月から起こっていた。

1989年(1月)、盛田昭夫と石原慎太郎の共著『「NO」と言える日本』発売。(アメリカ批判)
1989年(5月)、ソニーの盛田昭夫がJPモルガンの国際諮問委員会メンバーを退任する。


1991年(2月)、日本のバブル景気終了。

1991年(4月)、盛田昭夫が勲一等瑞宝章受章。

1991年(8月)、ソロモン・ブラザーズ不正入札発覚 ⇒有数の投資銀行に成長していたが窮地に陥る。

1991年、日本国際交流センターの山本正と読売新聞の企画に寄りデイヴィッド・ロックフェラーと盛田昭夫が対談。

1992年、盛田昭夫がイギリス王室から名誉大英勲章およびナイト爵の称号を受ける。

1993年(11月)、盛田昭夫がテニス中に脳内出血に倒れる。→以後表舞台から姿を消してハワイで療養。
 ※経団連会長に就任することが決まった後の事だった

1998年、スミス・バーニーとソロモン・ブラザーズと合併「ソロモン・スミス・バーニー」となる。(ウォーレン・バフェットによる)

2000年、JPモルガンとチェース・マンハッタンが経営統合した。

2009年、「ソロモン・スミス・バーニー」がモルガンと統合して「モルガン・スタンレー・スミス・バーニー」となる。

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ロックフェラー2世・アビー夫妻の子供達

 ♀ アビー・ロックフェラー・モーズ(1903-1976)
 ♂ ジョン・ロックフェラー3世(1906-1978) 交通事故死  ===息子4世ジョン(ジェイ)・ロックフェラー
 ♂ ネルソン・ロックフェラー(1908-1979) 愛人宅で腹上死
 ♂ ローレンス・ロックフェラー(1910-2004) 肺疾患で死亡
 ♂ ウィンスロップ・ロックフェラー(1912-1973) 膵癌にて死亡
 ♂ デイヴィッド・ロックフェラー(1915年-1917?没 ) ===2014年医師である息子が飛行機事故で死亡

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1970年代から1981年までチェース・マンハッタン銀行(現:JPモルガン・チェース)の頭取だったのが、3世の息子4世と後継者争いをしていたデイヴィッド・ロックフェラーである。

ロックフェラー家は石油事業を独占することでアメリカ一の財閥に伸し上った一家である。
従ってエネルギー問題に深く関係している。
ところがロックフェラー家には後継者を巡ってお家騒動が持ちあがった。いわば内紛。
ロックフェラー家の本道エネルギーは石油である。
その本道に対抗しようと思えば、石油以外のエネルギーを持ち上げて本道を陥れようとする。
つまりロックフェラー一族の中に石油派と石油派以外がいるということになる。
そのようなことを前にも書きました

ロックフェラーの闘いとして有名なのは、デイヴィッド・ロックフェラ-vsジェイ・ロックフェラー。(敬称略)

ジェイ・ロックフェラー(以下ジェイRF)は日本にいたこともあるんですね。
野口英世とロックフェラーの関係は前にも少し書きました。
ジェイRFはアメリカ大統領も目指していたそうですが、民主党予備選でビル・クリントン(元大統領)に負けてしまったのです。
自分の叔父であるデイヴィッド・ロックフェラ-(デイヴィットRF)はクリントンを応援したというから心中穏やかではありません。
実はクリントンもロックフェラー家と並々ならぬ関係なんだそうです。

そんなこんなで、デイヴィットRFvsジェイRFが取り沙汰されるわけです。
昨今はデイヴィットRFの情勢が厳しいとか。

それはつまりこういう図式であるということです。

 シティグループvsゴールドマン・サックス  (リーマンショックのリーマン・ブラザーズは、シティグループの傘下)

 石油資源(エクソンモービル)vsクリーンエネルギー(原発含む)



ロックフェラー家がアメリカ一の財閥として大きな力を持ってくると、それを育てたロスチャイルド家もその地位を脅かされる。
大きくなってくれることを望んでいたが、あまりに大きくなると今度は逆に自分自身にとって脅威になるのだ。それは君主と軍隊の関係にも似ている。
こういう背景を考えると、石油派のロックフェラーに対抗する者にロスチャイルドが味方した可能性もある。


『「NO」と言える日本』での盛田のアメリカに関する主張
・アメリカの企業 アメリカの企業はM&Aのようなマネーゲームに躍起になり、実際の商品の創造や製造力を蔑ろにしている。
・アメリカの企業は短期的な利益に躍起になり、製造の海外移転などの長期的な全体の生計を犠牲にしている。
・アメリカの企業の重役の収入は多すぎて企業のためにならない。
・日本の企業は厳格な共同体であり、全体として結果はよい。
・アメリカとの貿易黒字はアメリカには望ましい製品が欠けていることが原因である。
・アメリカの企業は基本的な調査によれば強力だが、製品の進歩やマーケティングにおいてはそうではない。
・日本政府が日本の企業を保護することは当然である。政府は税金の収入に頼っているのだ。



アメリカでも問題視されたこの本を出版した後、盛田昭夫はJPモルガンの国際諮問委員会役員を退任している。
その2~3年後、勲一等瑞宝章と名誉大英勲章およびナイト爵の称号を相次いで受けている。
これは長年の功績というよりもどちらかというと、モルガン(ロックフェラー本道)を離れたことへの評価だったのではないだろうか。
そんな状況で行ったのが、本筋(3世亡き後の長男4世)とお家騒動を繰り広げたデイヴィッド・ロックフェラーとの対談である。

日本との関係が深かったのは終戦直後に日本を訪れたロックフェラー3世である。
アメリカに渡った盛田夫妻が紹介されたのも3世であった。
盛田昭夫は対談で(こともあろうにデイヴィッドに)3世の妻と私の妻が親しくていたと話した。
デイヴィッド・ロックフェラーが初めて来日したのは1962年のことだったというから3世よりはだいぶ後の事である。(4世が日本の国際基督教大学に留学した後)
それまではもっぱら3世が日本とアメリカのパイプ役だったわけである。
「3世の妻と私の妻が親しくていた」という話をデイヴィッドはどんな気持ちで聞いたのだろうか。
盛田はそれから2年あまりで表舞台から姿を消した。









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by yumimi61 | 2017-05-09 13:48