2017年 05月 15日 ( 1 )

2017年 05月 15日
日本国憲法の秘密-473-
デイヴィッド・ロックフェラーは1970年代から1981年までチェース・マンハッタン・バンクの頭取だった。
(2000年にJPモルガンとチェース・マンハッタンが経営統合している)
そのチェース・マンハッタンにも日本人の国際諮問委員会メンバーがいた。

古株としては石坂泰三(元東京芝浦電気取締役社長、元経団連会長)。
1967年にチェース・マンハッタンの国際諮問委員会に就任しているので盛田昭夫がJPモルガンの国際諮問委員会に就任するよりも2年ほど早い。

次に藤野忠次郎(元三菱商事元社長)。1971年就任。藤野が就任していた時期はデイヴィッド・ロックフェラーが頭取に就任していた時期に一番重なる。



②藤野忠次郎
1901年生まれ。渋沢栄一や石坂家同様に埼玉県出身。
1925年(大正14年)三菱商事に入社。
戦後、渉外部長として財閥解体でGHQとの折衝役を務め、昭和29年の三菱商事再統合で常務、41年社長、49年会長に就任。社長時代は沈滞気味だった社内を活性化して総合商社トップの座を不動のものにしており、同社“中興の祖”といわれる。
また三菱グループ首脳の集まりである金曜会の代表としてグループの結束に努めたほか、40年代の国交正常化前の中国にグループ企業の代表を率いて訪ね、日中貿易拡大に先鞭をつけた。
44年から56年まで東京商工会議所副会頭。


藤野が三菱商事の社長に就任したの日本の高度経済成長期(1954-1973)の最中の1966年。
しかし1970年代、日本は、いや世界は大転換期を迎えることになった。

【ニクソン・ショック】
1971年7月15日―第1次ニクソン・ショック(ニクソン訪中宣言)
ニクソン大統領の中華人民共和国(中国)への訪問を予告する宣言。翌1972年2月に実際に北京を訪問した。

1971年8月15日―第2次ニクソン・ショック(ドル・ショック)
ニクソン大統領が米ドル紙幣と金との兌換一時停止を宣言した。
固定比率(1オンス=35ドル)(1オンス≒31.1グラム)による米ドル紙幣と金の兌換を一時停止した。


それまでは金と交換できる唯一の通貨がドルであり、ドルは絶対的価値を持ち、だからこそ基軸通貨でもあった。
何故ドルが基軸通貨になり得たかと言えば第二次世界大戦直後、アメリカは世界の金の3分の2を保有していたからである。つまり戦争で疲弊しなかった国とも言える。
(アメリカの製品をアメリカから買うのに日本円を出したって受け付けてもらえない。ドルや他に価値あるもの、たとえば金を渡す必要がある。使い道のない紙幣はいらない)
すでに各国とも金本位制ではなかったが、国際的には金を裏付けにした(金本位制)。
戦後はドルに対し各国通貨の交換比率を定めて、世界経済の安定を図ったわけである。
各国が好き放題に紙幣を製造できるという状況においては、貿易がコントロールできないし、国際比較も不可能となる。
多種多様なものを客観的に比較する時には何か軸となるものが必要である。そしてそれはやはり普遍的な価値が相応しい。
円は1ドル360円と決まっていた。
1オンス(約31.1グラム)の金を手に入れるためには、12,600円が必要となる。


しかしやはり各国が好き放題に紙幣を製造できるという状況においては、このコントロールも意味をなさなかった。
各国とも紙幣をどんどん増やす。要するに各国の経済規模はどんどん大きくなる。
(人間には製造できないものが、あるいは製造することに限界があったり簡単に作れないものがベースにあれば経済規模が無制限に大きくなることはない)
紙幣の量はアメリカをはじめ世界の金保有量を軽く凌駕するようになった。
簡単に金が買えてしまう状況である。言い換えると紙幣に見合う金が存在しない世界。
そんな中、基軸通貨であるため勝手な政策がとれないアメリカ。
加えてアメリカは第二次世界大戦後も戦争に参戦し、第二次世界大戦で疲弊しなかったにもかかわらず戦後赤字に陥っていく。そしてインフレを招いた。
一方、日本をはじめ疲弊した国々は回復してくる。
アメリカという国はある意味貧乏くじを引いたようなものである。
この状況に待ったをかけたのがニクソン大統領だった。

ニクソンショックの宣言は一時停止だったが、結局これが固定相場制から変動相場制へ移行のきっかけとなり、その後の世界経済にも大きな影響を与えた。
変動相場では為替差損が生まれるため(例えば円高時と円安時の差)、貿易など国際的な取引には常に為替変動リスクが存在する。
経済規模が大きければ大きいほど国際取引に強いとは言い切れなくなった。そういうコントロールの仕方である。
コントロールというと悪い印象も少なからずあるが、裏付けがない世界においては必要なものとも言える。


1970年代の世界経済の混乱はこのニクソンショックからの為替相場制への移行と、もうひとつ、オイルショックによってもたらされた。(何かとショックの時代ですね)


【オイル・ショック】
1973年―第1次オイルショック
1979年―第2次オイルショック

オイルショックは石油原産国が原油の生産や輸出を抑制し原油の価格が上昇したもので、ショックを受けたのは石油をたんまりと必要とする先進国である。特に工業国には痛手である。
1954年から成長を続けた(規模を拡大し続けた)日本経済の高度成長期も1973年のオイルショックにて終焉を迎えることとなった。

人が生きていくためにはエネルギー源となるものが必要である。
多くの事が人間の身体ひとつで完結していた時代には人間のエネルギー源があればよかったが、人間の代わりを機械がするようになると機械にもエネルギー源となるものが必要となる。
イギリスで起こった産業革命は石炭の利用によってもたらされた。これを第二次エネルギー革命とも言う。(第一次エネルギー革命は人間による火の利用)
第三次エネルギー革命は石油と電気の利用。この革命を牽引したのは自動車だった。
欧米で石油の利用が始まったのは1800年代後半から1900年代前半のことで、石油は自動車の動力となった。アメリカではトラクターなども登場して農業も変わっていった。火力発電の燃料ともなった。
石油が必要とあれば、どこかに石油(油田)はないかと探す。そうして1900年代半ばに中東やアフリカで大規模油田が発見された。
日本で石炭から石油に変わったのは1960年代のことである。
1962年の原油の輸入が自由化され、安く大量に石油が入ってくるようになった。
炭鉱は閉山し多くの失業者を生んだ。森林から生まれる木炭や薪などのエネルギー生産者は職を失い森林や荒れ過疎化を招いた。
石油は収入と雇用形態をも変えてしまったのだ。

すでに書いたようにロックフェラー家はアメリカで石油を独占することでアメリカ一の財閥に伸し上った。
そして第一次世界大戦で大きく資本力を拡大した。
第一次世界大戦までは中東の石油利権を握っていたのはロスチャイルド(系の企業)である。
その中東ににロックフェラーが入りこみ住み分けが崩壊。
第二次世界大戦でもアメリカは疲弊しなかったが、ヨーロッパ諸国は程度の差こそあれ勝敗にかかわらず疲弊した。
それをいいことに1954年国際石油資本8社からなるイラン国際企業連合を発足させ、中東の石油利権をロックフェラーに有利な条件で決定した。
ロックフェラーが独占したわけではないが第二次世界大戦後は石油利権に関して圧倒的な支配力を誇っていた。

同じ頃、原子力の平和利用が注目を浴びていた。
1953年12月8日、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で原子力平和利用に関する提案「Atoms for Peace」(平和のための原子力)を行ったからである。
アメリカでは1954年に原子力エネルギー法が修正され、アメリカ原子力委員会が原子力開発の推進と規制の両方を担当することとなった。
 ・世界で初めて実用としての原子力発電を開始したのはソ連で1954年のこと。(5MW)
 ・世界で初めて商用原子力発電所を設置したのはイギリスで1956年のこと。(50MW)
 ・アメリカでの最初の商用原子力発電所が完成したのは1957年。
 ・欧州経済共同体による欧州原子力共同体が発足したのは1957年。
 ・国際原子力機関(IAEA)の発足も1957年。

  ・日本にて原子力基本法が成立したのは1955年。
 ・日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年。東海村の試験炉。
 ・日本に最初の商用原子力発電所が完成したのは1966年。東海発電所。ガス冷却炉だった。
 ・日本初の原子力発電営業運転開始は1970年(大阪万博に送電)。美浜原子力発電所。軽水炉。


実は世界的規模の石油によるエネルギー革命と原子力の発展時期は戦後の同じ頃なのだ。
原子力利用がオイルショックによってもたらされたというのは適当ではない。

国際石油資本
石油メジャーのうち、第二次世界大戦後から1970年代まで、石油の生産をほぼ独占状態に置いた7社は セブン・シスターズ(Seven Sisters)と呼ばれてきた。また、7社にフランス石油(CFP、現TOTAL)を加えて、エイト・メジャーズと言われることもあった。資源ナショナリズムにより石油輸出国機構(OPEC)が主導権を握るまで、世界の石油のほぼ全てを支配していた。
セブン・シスターズのうち、5社がアメリカ資本で、残りの2社が、イギリス資本系のBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)と、イギリスとオランダ資本系のロイヤル・ダッチ・シェルである。
また、エクソン、モービル、シェブロンは、ロックフェラーが創業し、1911年に34社に分割されたスタンダード・オイルが母体である。


アメリカ資本5社―モービル、テキサコ、シェブロン、ガルフ、エクソン ・・・・ロックフェラー系
イギリス資本―ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)  ・・・・ロスチャイルド系
イギリスとオランダ資本―ロイヤル・ダッチ・シェル ・・・・ロスチャイルド系
フランス資本―CFP(現:トタル) ・・・・ロスチャイルド系


このロックフェラーを代表とする国際石油資本に対抗して1960年に発足したのがOPEC(石油輸出国機構)である。
イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国の原加盟によって発足し、その後も他の中東諸国が次々に加盟した。
1968年にはOAPEC(アラブ石油輸出国機構国機構)も発足。イラク、サウジアラビア、クウェートなどはこちらにも加盟している。他は北アフリカの国々。
1973年にこのOPEC加盟国やOAPEC加盟国が原油価格を引き上げ、生産や輸出を制限した。
そしてこの前後に石油会社の国営化が加速した。

■現在の新セブンシスターズ(全て国営企業)
サウジアラムコ(サウジアラビア)、ペトロナス(マレーシア)、ペトロブラス(ブラジル)、ガスプロム(ロシア)、中国石油天然気集団公司(CNPC)(通称:ペトロチャイナ)(中国)、イラン国営石油(NIOC)(イラン)、ベネズエラ国営石油(PDVSA)(ベネズエラ)  

■旧セブンシスターズ(統廃合によって7社が4社に)
シェブロン、エクソン・モービル、ロイヤル・ダッチ・シェル、ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)

旧セブンシスターズの原油生産シェアは10%程度、保有する油田の埋蔵量シェアは5%程度に減少した。
一方の新セブンシスターズは、原油生産シェアも保有する油田の埋蔵量シェアも30%にまで増加。
セブンシスターズ以外の国営企業も含めると石油埋蔵量のシェアは70~80%が国営企業で、その他ロシア系の企業が15%ほど保有している。



1966年に三菱商事の社長に就任した藤野忠次郎は、沈滞気味だった社内を活性化して総合商社トップの座を不動のものにしており、三菱商事「中興の祖」と言われる。
これは純粋なバイヤー(商品買付→売却)業の成果ではなく投資の成功によってもたらされたものである。
つまりまだモノはなかった。見えないモノに大枚をはたいたのだ。
その投資額は三菱商事の資本を遥かに上回るもので常識ではありえない。投資に失敗すれば確実に会社は倒産する。
そんなリスクを犯して何に投資したかと言うと、「ブルネイの液化天然ガス(LNG)の開発プロジェクト」である。1969年のこと。
その投資を誘ったのは上に書いた旧セブンシスターズに含まれる「イギリスとオランダ資本―ロイヤル・ダッチ・シェル ・・・・ロスチャイルド系」である。
三菱はロックフェラー系、三井はロスチャイルド系と言われることもあるが、三井と三菱もいろんなところ(松方正義や石坂泰三、福沢諭吉などなど)で繋がっているし、ロックフェラー家も当主とそれ以外の兄弟(いわば本家と分家)がいて後継者問題など人間関係は複雑でありロックフェラー家と一括りに出来ない側面が多々ある。
でも藤野忠次郎はデイヴィッド・ロックフェラーが頭取のチェース・マンハッタン銀行の国際諮問委員会メンバーだったわけだからデイヴィッド派だろう。
ブルネイの投資はシェルと三菱商事がそれぞれ45%、残りの10%をブルネイ政府が出資し、合弁会社「ブルネイLNG」を設立した。
すでにお膳立てが整っていたのだと思う。
1970年からブルネイから日本への液化天然ガスの供給が始まり、以後、ブルネイから日本に入ってくる液化天然ガスの半分を三菱商事が供給するに至っている。
但し近年の日本の液化天然ガスの輸入量が多い相手国は、オーストラリア、マレーシア、カタール、ロシア、インドネシアなどでブルネイがトップということではない。
ちなみに液化天然ガス(LNG)として輸入しているのはダントツ日本がトップ。韓国、中国、インド、台湾、スペインなどが続くが日本は桁が違う。輸入量としても世界最大。
ドイツも輸入量が多いがドイツはパイプラインによる輸入である。アメリカ、イタリア、トルコ、フランス、中国などが続くが、ドイツは桁が違う。









[PR]

by yumimi61 | 2017-05-15 12:34