2017年 05月 19日 ( 1 )

2017年 05月 19日
日本国憲法の秘密-477-

1865年、香港上海銀行設立。
フリーメーソンによる植民地協会(英国王室の後ろ盾)によって植民地香港で設立された。
植民地での利益を本国へ送金するほか、清に融資したり外債発行を担当した。
サッスーン商会、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイルドなどが出資者。麻薬と紅茶に関係あり。サッスーンは後にロスチャイルド家と縁戚関係となる。

1866年、香港上海銀行の日本支店を横浜に設立。
その後も神戸、大阪、長崎にも次々に支店を開設した。日本政府の貿易金融政策の顧問業務を担い、大阪造幣局における金銀通貨の造幣にも協力した。横浜正金銀行(後の東京銀行→東京三菱銀行→三菱東京UFJ銀行)がその体制を作る際には、香港上海銀行がモデルとなったし、香港上海銀行も支援した。

 ⇒倒幕の際に長州藩や薩摩藩に資金援助したのは香港上海銀行だったと思われる。
  新政府以後は融資や外債発行などを担当した。日本の借金に最初から深く関与している。
  
1868年は明治元年。

1870年、ドイツ銀行設立。設立指導者(取締役)にジーメンス社創業者の叔父がいた。
1874年、ジーメンス社の設立。以後急成長しジーメンス財閥を形成。

1874年、日本では小野組が倒産し、古河市兵衛が官営鉱山の払下げを受け、古河本店(現:古河機械金属)を設立した。その2年後に三井銀行が開業。

1876年、ドイツ銀行が国内最大銀行となる。
ドイツ銀行は国内外に出資して勢力を拡大していく。
またジーメンス社のジーメンス兄弟も次々と世界初の発明を成し遂げる。また単なる原理を実用化することにも長けていた。
ジーメンス社のジーメンスは経営者としてだけではなく技術者(発明家)としての顔を持っていた。
発明王と呼ばれるエジソンの発明はジーメンスの発明を応用したものがかなりある。エジソンは発明家というか応用力に優れていたのかもしれない。

1883年、ユダヤ人実業家・エミール・ラーテナウ(ドイツの政治家ヴァルター・ラーテナウの父親)がエジソンの技術を利用する権利を得てドイツ・エジソン電力応用社(Deutsche Edison-Gesellschaft für angewandte Elektrizität;DEG)を設立。出資者はロスチャイルドなど。

1883年、ドイツ人技術者カール・ベンツによってベンツ社(Benz & Cie)設立。

1887年、DEGがAEG(Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft)に社名を変更。
エジソンとロスチャイルド系のAEGがドイツ発のジーメンズ領域に進出してきたことが対立の芽となった。

1889年、エジソンがアメリカでエジソン総合電気(Edison General Electric Company)を設立。(→1892年にゼネラル・エレクトリック(GE)となる)

1889年、独亜銀行を上海設立に設立。独亜銀行は中国の鉄道建設や鉱山開発に出資。
独亜銀行への出資者はドイツの銀行10余り。筆頭株主はディスコント銀行。次がドイツ銀行とロスチャイルド系の銀行、ロスチャイルド親銀行もそれに次ぐ。日清戦争後は香港上海銀行を上回る勢いがあった。

1890年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールルが現在の和歌山県沖で遭難し500名以上の犠牲者を出した。→この一件からイランイラク戦争を跨いで現代に続くトルコと日本の美談が存在する。その美談と怪しさについてはこちらに書いた

1891年、ロシアのシベリア鉄道建設。←フランス・ロシア・イギリス・ドイツ・アメリカなどから投資されていた。
同じ頃、イギリス(アフリカ~インド、3C政策)とドイツ(ベルリン~イラク、3B政策)も鉄道建設を計画していた。イギリスとドイツの鉄道は一部被っており、ドイツがもっと伸ばせばイギリスの線にもろ被ってくるということでライバルとなっていた。
ドイツのこの鉄道(バクダット鉄道)の社長はドイツ銀行のゲオルグ・ジーメンスの娘の夫である。
ゲオルグ・ジーメンス自身もドイツ国鉄総裁の娘と結婚している。(夫妻には娘しかいなかった)

1892年、ドイツがアナトリア鉄道を完成させ開業させた。(1888年にオスマン帝国から認可を取得していた)

1894-1895年、日清戦争
1894年、露仏同盟。

1900年、ドイツ人技術者のゴットリープ・ダイムラーらがダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社(Daimler Motoren Gesellschaft, DMG)を設立。自動車の燃料に石油を使うということでアメリカで油田開発も推進した。

1901年、ドイツのロスチャイルド家が消滅(息子がいなかったため)。遺産を受け継いだのはゴールドシュミット家とディスコント銀行。(もともとロスチャイルドはゴールドシュミットから独立した家。家業は両替商・金貸し)

1902年、日英同盟。
1904年、英仏協商。
1904-1905、日露戦争。
1907年、英露協商。
1907年、世界恐慌。

この頃、ヨーロッパにとってジーメンス社やドイツ銀行をはじめとするドイツの躍進が脅威となっていたのだろう。
彼らはロスチャイルドの庇護を受けることなく飛躍的発展を遂げたわけだから。

1910年、JPモルガン所有のジキル島クラブで秘密会議を開いた。JPモルガン、ロスチャイルド、ロックフェラー家関係者7名が参集。
1913年、連邦準備法によって連邦準備制度が成立(アメリカのFRB)。

ヨーロッパだけではダメだと思ったのかアメリカを巻き込む作戦に出る。
開戦直前にはドイツ銀行は世界最大銀行とまで言われるようになっていた。

1914-1918年、第一次世界大戦。
第一次世界大戦のきっかけとなったのはオーストリア皇太子の暗殺だが、第一次世界大戦で中央同盟国(ドイツ、オーストリア、オスマン帝国、ブルガリア王国)の敵側になったのは、露仏同盟・英露協商・英仏協商によって作れる三国協商(Entente Powers)を中心としていた。つまり、ロシア・フランス・イギリスである。

欧米では石油が非常に重要な資源となりつつあった。
第一次世界大戦勃発時点で、ドイツ銀行はオスマン帝国石油の25%を支配していた。イギリス・オランダ資本のロイヤルダッチ・シェル(ロスチャイルド系)が25%、あとの50%はイギリス資本のBP(ロスチャイルド系)。
戦前ドイツ銀行と交渉を重ねたがその支配率は変わらなかったという。(オスマン帝国は当時中東全域を支配していた要の国であった) これが開戦の背景にあったとも言われる。

そしてドイツは負けた。
負けたのに何も変わらないというのはおかしい。
ドイツはこの敗戦によってロスチャイルドの庇護下に入ったのではないだろうか。

1923年、日本の古河財閥とジーメンス社が合弁会社を設立。富士電機製造(現:富士電機)である。
1924年、ドイツ銀行はロスチャイルド傘下の銀行を吸収。
1926年、ベンツとダイムラーが合併し、ダイムラー・ベンツとなる。ドイツ銀行が筆頭株主。
1929年、ドイツ銀行は最大のライバルディスコント銀行(ドイツロスチャイルド家の遺産を受け継いだ銀行)と合併。

まるでドイツ銀行が戦前と変わらずに拡大していて、ロスチャイルド系をも呑みこんでいるように感じるが、それはやはり逆で敗戦によってロスチャイルドに呑みこまれたのではないかと思う。 

※ドイツの自動車メーカー・ポルシェの創業者ポルシェも元はダイムラーの設計者だった。
ポルシェを創業したのは1930年頃で最初はデザイン事務所で、第二次世界大戦後に息子によって自動車メーカーとなった。



第一次世界大戦でドイツは負けた。しかしドイツだけでなく戦争に参加し戦場と化したヨーロッパはみな疲弊した。
一番の勝者はアメリカ。ロックフェラーはこの戦争で大儲けして資本力を増大させた。
ただ勢力的に言えば、中東や中国、日本などを支配していたのはロスチャイルドであった。

第二次世界大戦がヨーロッパの国で始まったということは仕掛け人はロスチャイルドではないだろう。
例え的に勝利しても本拠地であるヨーロッパを舞台にしてしまうと疲弊してしまうことを第一次世界大戦の経験から身を持って知っていたのだから。
そうとなれば仕掛けたのはロックフェラーである。アメリカと関係ない所で戦争をしてくれて自分達が儲かり勢力拡大できれば一石二鳥。
ナチスを支援したのはロスチャイルドではなくロックフェラー。
ロックフェラー家はドイツの出身だがユダヤ人ではなく、プロテスタントでもカトリックでもなかった。(でもカトリックが利用されているというか、カトリックが利用したというか)
枢軸国(その代表者たち)は反共産主義インターナショナルであり親カトリックであった。、
ドイツに応戦したのは結局イギリスやフランスだが、ドイツはこの時も強かった。
さらに悪いことにドイツが核開発をしているらしいとの情報があった。
このままではヨーロッパが疲弊するどころか、ドイツとロックフェラーに負けてしまうかもしれない。
そこでロスチャイルドはロックフェラーの目論見潰しのため日本の野心を利用してアメリカと戦わせることにした。日米開戦、いわゆる太平洋戦争が始まる。
これが功を奏して1943年から飛ぶ鳥を落とす勢いだったドイツが劣勢に回る。


アメリカ・ニューヨークのマンハッタンにあるロックフェラーセンター。
ほとんどのビルは1931~1939年にかけて建設されたもので、その敷地の所有者はコロンビア大学である。

1938年、ウォルター・ヘンリー・ジン(カナダ)がアメリカに帰化。⇒コロンビア大学へ
1938年末、フェルミ(イタリア)がノーベル物理学賞受賞。授賞式の後にアメリカに移住。 ⇒コロンビア大学へ
1939年初頭、シラード(ハンガリー)はイギリス・オックスフォード大学の研究所(アメリカ滞在)を辞めて、アメリカに移住。⇒コロンビア大学に転がり込む
1939年3月、シラードとフェルミがコロンビア大学でそれぞれ別の装置を用いてウランの核分裂実験を行い、ともに複数の高速な二次中性子が放出されることを確認した。
1939年8月、シラードがアインシュタインに頼み込んで、アメリカ・ルーズベルト宛てに「核開発」を促す書簡を書いてもらい送付。
(1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、戦争が始まる)


1942年、マンハッタン計画のもとフェルミやシラードはシカゴ大学に移る。
歴史上初めて臨界に達したという原子炉(シカゴ・パイル1号)はシカゴ大学にあった。
シカゴ大学はロックフェラーが設立した大学である。
マンハッタン計画には他に長いこと公立ナンバーワンであるカリフォルニア大学が加わっていた。

イギリスやアメリカ政府は原爆開発は無理だと判断しており、当初全く乗り気ではなかった。

原爆は初めて作るわけで、実現不可能という意見が多くを占めていた。それが理論通りに成功する保証などどこにもないはずである。
そもそもルーズベルト大統領がプロジェクトを承認した1941年10月の段階ではアメリカはまだ参戦していない(真珠湾攻撃前)。だから最初から日本に落とす予定だったでは辻褄が合わない。
投下までが上手くいく保証ももちろんない。軍用機の航続力には限界がある。爆撃機が投下前に攻撃されてしまえばそれで終わり。
誰がどこで使う予定で開発し製造するのか?どの範囲を狙い、それにはどれほどの威力が必要なのか、今ある軍用機に搭載可能なのか、少なくともそれくらいの指標は必要ではないだろうか。
そうした検討も行わずに、なんとなく作ってみました?
時間と金と成功率を鑑みれば、いかにこのプロジェクトがギャンブル的であったかが分かる。

またその爆弾が原子であろうが、どんな威力があろうが、爆弾である以上、それだけは何の意味も持たない。
戦争に勝つためには、侵攻して占領するか、相手から降参を引き出さなければならないのだ。
普通の爆弾ならともかく大量の放射性物質が降り注ぐと結論付けた原子爆弾を落とした所になんか侵攻して占領したくないだろう。
放射性物質は無害という評価だったのか?
西に落として東が占領できると思ったのか?
そうでないならば、残るのはただ1つ。相手から降参を引き出すしかない。
原爆は極めて他力本願な決め技である。決め技としては心許ない。どんなに負けが込んでいたって、占領も無く降参もしなければ勝敗は付かないだろう。
原爆の有効性を本当に信じていたらば、最初から日本に落とす予定で(あるいはイギリス?)、降参するという保証がなければ出来ない。







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by yumimi61 | 2017-05-19 16:29