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2017年 05月 22日
日本国憲法の秘密-479-
(He) was a key figure of the American Enlightenment.

1754年に創立されたコロンビア大学の最初の教授サミュエル・ジョンソンはイギリスからアメリカに渡ったピューリタン(清教徒)の家系であり、牧師の補佐をしていた祖父の影響から自身も厚い信仰心を持っていた。
そのサミュエル・ジョンソンがアメリカ啓蒙思想(主義・運動)の重要人物(黒幕)だった。

啓蒙思想(英: Enlightenment, 仏: Lumières, 独: Aufklärung)
理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。その主義性を強調して、啓蒙主義とも言う。ヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように、原義は「光で照らされること(蒙(くら)きを啓(あき)らむ)」である。自然の光(ラテン語: lumen naturale)を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味。

時代的に先行するルネサンスを引き継ぐ側面もあり、科学革命や近代哲学の勃興とも連動し、一部重複もするが、一般的には専ら(経験論的)認識論、政治思想・社会思想や道徳哲学(倫理学)、文芸活動などを指すことが多い。17世紀後半にイギリスで興り、18世紀のヨーロッパにおいて主流となった。フランスで最も大きな政治的影響力を持ち、フランス革命に影響を与えたとされる。ヨーロッパで啓蒙思想が主流となっていた17世紀後半から18世紀にかけての時代のことを啓蒙時代と言う。


ヨーロッパでは、ゲルマン民族の進出拡大によってローマ帝国が崩壊し、新しくヨーロッパ大陸に拡がったゲルマン民族とともに権威を高めたイエス・キリストを神とするキリスト教(カトリック)が支配した時代を中世と呼ぶ。
ホスピスのルーツのところでも書いた

しかしやがてその蛮族であるゲルマン民族はヨーロッパ全土に広がり各地を支配するようになる。
西ローマ帝国の滅亡からゲルマン民族がヨーロッパを支配した時代までを「中世」と言っている。
中世は「暗黒時代」とも言われる。
何故暗黒時代なのか?
ゲルマン民族の支配によって古代ギリシア・古代ローマの偉大な文化が衰退・停滞したからだという。
知的でもアカデミックでもない馬鹿な体育会系というような感じに思われていたのではないだろうか。
史上最大とも言える広大な帝国を作り上げたモンゴル帝国の遊牧民なんかも同じように思われていたかもしれませんね。(巻き込まないでくれ?)
ヒトラーやナチスはゲルマン民族の優位性を信じていた。(ヒトラーがゲルマン民族だったかどうかはともかくとしてゲルマン民族にはヨーロッパを支配したという動かぬ実績がありますからね)
ユダヤ人に「馬鹿な体育会系」と言われたことに憤慨したのか(そんなこと言ってませんよ?)、ナチスはオリンピックに力を入れ、青少年団体の加入を義務付けた。やがてこれがドイツの兵力を支えていく。

近代キリスト教・カトリック(あえて近代と言う)は、このゲルマン民族の大移動とともに拡大していき、ゲルマン民族が支配者になることでその地位を動かぬものにしていったのである。
つまりカトリックとゲルマン民族は切り離すことが出来ない。中世・暗黒時代の主役はカトリックとゲルマン民族なのである。


中世は輝かしいルネサンス時代の到来をもって終焉を迎えた。
輝かしいルネサンスとは何か?
ルネサンス(仏: Renaissance)は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動。

宗教改革も同じ時期であり、1500~1600年代(14-15世紀)頃。それによりカトリックは窮地に陥り、プロテスタントが興った。
大航海時代は1400~1600年代(15-17世紀)。
こうして世界の中心はヨーロッパ本土からイギリスやアメリカに移っていくことになる。


啓蒙思想とは、科学的・合理的・批判的精神に基づく思想。
王政やキリスト教に代表される旧来からの権威や思想を徹底的に批判した。
すなわち「反体制」と言えよう。

そんな反体制である啓蒙思想の原義はヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように「光で照らされること(蒙(くら)きを啓(あき)らむ)」だそうである。
そこで言葉の意味についてもう一度考えてみたい。

「啓」は、開く、開放する、申し上げるなどの意味がある。
「蒙」は、受ける、被る、覆い隠す、(道理などに)暗い、愚か、無知などの意味がある。ちなみにモンゴルの略称(漢字)は「蒙古」であり、この字が使われている。
「啓蒙」ならばやはり「無知から開放してやる」「本当のことを教えてあげる」みたいな意味がありそうである。

辞書には次のようにある。
▶啓蒙
 (名詞)《「啓」はひらく、「蒙」はくらいの意》人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。

▶enlightenment
 1不可算名詞  a教化(すること), 啓発. b【仏教】 悟り.
 2[the E[N16-A12A]] 【哲学】 (18 世紀のヨーロッパ,特にフランスでの合理主義的)啓蒙運動.
 [ENLIGHTEN+‐MENT]

▶enlighten
 (動詞)啓発する、教化する、疑いを解く、(…に)教える、教える、明らかにする


啓蒙思想のベースにあるのはどうやら「教える」ということのようだ。
注目したのは英語enlightenmentという単語。
この単語は次のように分解が出来る。
en light en ment

mentは、~するもの(こと)、~させるもの(こと)、といった意味。
lightは光。
enは次のように使うことがある。

1名詞につけて「…の中に入れる」の意の動詞を造る.encase, enshrine.
2名詞・形容詞につけて「…にする,…ならしめる」の意の動詞を造る 《★この場合さらに接尾辞 ‐en が加わることがある: embolden,enlighten》.

まとめると、enlightenmentという単語は光にならしめる(外部の力で輝かせる)ということである。
「ならしめる」は外力によって「~にさせる」こと。
自発的あるいはすでに内包しているものは「たらしめる」である。私を私たらしめる、僕を僕たらしめる。

そう考えると上記のこの説明には矛盾がある。
自然の光(ラテン語: lumen naturale)を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味。

啓蒙思想とは、神や先人(旧来からの体制)の教えに盲目的に従うのではなく、自分で納得するまで論理的に思考することなのだ。盲目的でないことは確かに大事かもしれない、そこまでは良しとしよう。
がしかし、物事を考える時(何かを評価する時)には基準が必要である。
先日お金の話でもこう書きました。
各国が好き放題に紙幣を製造できるという状況においては、貿易がコントロールできないし、国際比較も不可能となる。
多種多様なものを客観的に比較する時には何か軸となるものが必要である。そしてそれはやはり普遍的な価値が相応しい。


啓蒙思想の基準も普遍・不変である。言い換えると正しいものは普遍・不変・法則ということである。
「自分の頭で自ら考えて’普遍・不変・法則’を探しなさい」「普遍・不変・法則こそが最適・妥当なものです」というのが啓蒙主義。これを理性や常識とも言う。
普遍・不変・法則から外れようものならば狂気や狂人と呼ばれる。
だけど自分で探しなさいと言っても無知ならば探しようもない。だから予め「普遍・不変・法則」を教えておく必要がある。
一般大衆に広く教育を施すことによって無知から脱却できて貧困も解消されると主張してそれを実践した。
この考え方が公教育(義務教育)に繋がっていく。
結局自発は在り得ないというか自発ではない。嫌と言うほど「正しさ」を刷り込んでおく。「答え」を教えておくのだ。
自分で考えているようでそうではない。一種の洗脳である。
正しいこと(教わったこと、答え)は何だったっけ?と思い出しているに過ぎない。ペーパーテストなんかまさにそうだろう。どれくらい洗脳が進んでいるかの確認作業である。
例えば「江戸朝」だって間違いではない、むしろそのほうが当たっていても、「江戸幕府」と書かなければ×を付けられて点数にならない。
年齢を重ねれば「そんなのでは’良い学校’には進めませんよ」tと脅される。
いや、もう十分洗教育れているので、脅されなくても自分の頭で(江戸朝って書いたら×にされるな)(こんなことを書いたら良い学校に進学できなくなる)と判断して妥当なことをするのだ。
「人類の月面着陸はなかった」とか「あれは原爆じゃない」なんて言ったって狂人扱いされ村八分になるのがオチ、仮に自分の頭で考えてそう思ったとしてももう口になんか出さない。
啓蒙思想は広く浸透している。
(それなのにホロコーストを否定する発言は法的に取り締まらなくてならないということは、答えに相当揺らぎがあるということでしょうか?)
(また人間の記憶は万全ではないため教えられたことを覚えられなかったり思い出せない人が多数いるのも事実)


正さや答え(普遍・不変・法則)を多くの人に、それこそ異端児がでないように、与えなければならないわけだから、それを与える人にはやはりそれなりの権威が必要である。
多くの人がはははははーと跪かなければならない。その昔、跪くという動作は神に祈りを捧げることに他ならなかった。今でもイスラムの人達がやっていますね。
多くの人を跪かせる、すなわち多くの人が「あの人は上の人だから間違うはずがない」と認めて異を唱えない状態を作り出さなければならない。
その役割を担っているのが高等教育。啓蒙させるための先生育成。何か特別な感じの大学。ノーベル賞などの賞。
メディアが効果的に使用される。
権威は高ければ高いほど多くの人を網羅できる。旧来の神といったい何が違うのか?


そういえばコロンビア大学のモットーも旧権威のはずの聖書からの引用である。

大学のモットーは、"In Thy light shall we see the light"("In lumine Tuo videbimus lumen")。旧約聖書・詩編36編9節(Psalm 36:9)の"in thy light shall we see light"(大学のモットーは、"In Thy light shall we see the light"("In lumine Tuo videbimus lumen")。旧約聖書・詩編36編9節(Psalm 36:9)の"in thy light shall we see light"(我らは汝の光によりて光を見ん。)を元にしている。


「我らは汝の光によりて光を見ん」は、あなたの光が眩しすぎて私が光っているのが見えない!ということではなくて、私たちは汝の光(神の英知や慈愛)によって光(希望など)を目にすることが出来るという意味。
啓蒙思想とは程遠い神あげ。しかも旧約聖書からの引用である。
よく旧約聖書がカトリック、新約聖書がプロテスタントと誤解している人がいるが、旧約聖書や約束の地の時代で、イエス・キリストの時代が新約聖書。キリスト教は後発。
カトリックとプロテスタントどちらもが新旧聖書を聖典としているが、歴史的背景を考え合わせれば、旧約聖書がユダヤ教で新約聖書がキリスト教と言うのが一番しっくりくる。

カトリック、イングランド国教会、イギリスの王政と首相誕生、ピューリタン(反イングランド国教会)、市民革命、啓蒙思想、アメリカ植民地、旧約聖書(ユダヤ教)、アメリカ独立。
この関係性をどう考えればよいのだろう。




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by yumimi61 | 2017-05-22 13:21