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2017年 05月 23日
日本国憲法の秘密-480-
カトリック、イングランド国教会、イギリスの王政と首相誕生、ピューリタン(反イングランド国教会)、市民革命、啓蒙思想、アメリカ植民地、旧約聖書(ユダヤ教)、アメリカ独立。

啓蒙思想やフランス革命、アメリカ独立に関係してくるのがフリーメイソンである。

フリーメイソンは元々は建築関係者の組合(職人団体)であった。
その当時建築職人の地位(評価)は比較的高かった上に、技術の伝承していかなければならない故、秘伝的な要素もあり、また厳しい掟も存在した。
現在に続くフリーメイソンはもちろん職人団体ではない。同じ名称を語った社交クラブである。
1700年前半にイギリスで誕生した。それはちょうどジョージ1世と、その息子ジョージ2世が王だった時代である。

フリーメイソンの信条(会員規定)の要約 ・・・メイソン版聖書
メーソンは、人に博愛と親切心を実行すること、貞操を守ること、血縁と友を尊敬すること、宗教の信条を受け入れ教義に従うこと、貧しいものを支えること、盲を導くこと、足の不自由なものを支えること、孤児に宿を貸すこと、祭壇を護衛すること政府を支持すること、道徳を教えること、学びを普及すること、人を愛すること、神を畏れること神の慈悲を請い幸福を望むことを教える(ラインは私によるもの)

フリーメイソンには神(宗教)への尊崇義務が存在した。但しその神(宗教)を公に特定はしていなかった。
啓蒙思想は王政や教会といった古い価値観を否定したものである。
よってフリーメイソンと啓蒙思想も相容れないはずなのだ。
そこで注目するのが「政府を支持すること」という信条。
このことからフリーメイソンは王政や教会という古い価値観(旧体制全般)を否定したのではなく、「王」を否定したのではないかと推測できる。
つまり首相や議員周辺で始まり広まったのではないだろうか。
フリーメイソンに集ったのは民衆ではなく比較的上流にいた人達である。
反王政と言うことになれば、王が頂点にいるイングランド国教会だって肯定は出来ないであろう。
逆を言えば、それ以外の宗教は容認できるということである(要するにカトリックはOKなのだ)。
「教える」が信条のメインなので啓蒙思想のようであるが、宗教や政府を否定していない。
カトリックの「代理人」になったといった感じだろうか。


これに対して神(宗教)までをも否定したのがフランスで最初に作られた(1733年創立)フリーメイソンだった。
神(宗教)への尊崇義務を会員規定から撤廃し、政治的な会話をすることも禁じた。
これがイギリスのフリーメイソンとの確執を引き起こす原因となった。
フランスという国(一応カトリック国)はなかなか複雑である。
フランス最初のフリーメイソンには上流階級と中流階級に分かれた派閥があった。
1765年に派閥が衝突して中流階級が上流階級を追い出すことに成功。
追い出された上流階級派閥は別のグランドロッジ(グランドオリエント)を設立。これがさらに啓蒙思想に忠実な無神論的な組織となる。(もちろんカトリックもNOである)
残ったはずの中流階級ロッジは発展なく消滅してしまう。
フランスのフリーメイソンは庶民でも会員になれた。

しばしばフリーメイソンリーは相互に親善関係にない二つの系統から構成されるといわれている。
英連邦メイソンとそれに連なる管区(グランドロッジと呼ばれる)の伝統、そして
欧州大陸系の大東社とそれに連なる管区の伝統(グランドオリエントと呼ばれる)である。




宗教と関係しているのがお金。
キリスト教(カトリック)は個人の蓄財を悪しきこととして認めていない。お金持ちは救済されない。天国へ行けない。そんなにお金があるならば教会に寄付しなさいと言うわけである。(そんなカトリック教会は当時腐敗していた)
ところが宗教改革で蓄財は良いことと言った人物がいた。
フランス出身の神学者ジャン・カルヴァンである。
物事を比較する時には基準がないといけない。
基準もなく神に選ばれし人物かは分からないではないか。基準はお金である。お金が貯まる人は神の恩恵を受けている人であるから神に選ばれた人なのだと説いた。
お金や蓄財は悪である、欲にまみれている、汚い、人間を堕落させる、そう教えられ思い込んできたのに、そうではないと言う。
人々は神の救済を願い、また選ばれた人になりたいがためにお金を貯めるようになった。
目的は物を買うためではない。だから貯めたお金は出て行かない。
こうしてヨーロッパには銀行が続々誕生しお金が集まり資本となった。

銀行がお金を貸すのは王族や皇帝である。戦争なんかすると莫大な費用がかかる。貸し付ける額が違う。
大金を貸すからには土地や建物など担保をとっておく。返せなければ金貸しに渡るということ。
金融家の中には貴族の称号をもらった者もいた。(黒い貴族などと呼ばれる)
当時は貿易の要であったヴェネチアに本部を置く銀行が多く、ここで育った金融家がこぞってスイスに移ってスイスは金融立国となった。
カトリック教会や王族・皇帝が保有していた権威や権力や不動産をお金で絡め取った。
(思想や信条ではなく金融業で成り立っているのでその利害によってOKにもNOにもなる)



17~18世紀のイギリスとフランスは海上覇権や貿易利権などを争って対立関係にあった。
1700~1815年の115年の間のおよそ半分60年間は戦争状態であった。
1756~1763年の七年戦争(アメリカではフランス・インディアン戦争)では、北アメリカとインドの両植民地でイギリスとフランスが戦いフランスが破れて、フランスは植民地を失った。
1775~1783年がアメリカ独立戦争。アメリカの独立にもフリーメイソンが関与していると言われている。

コロンビア大学の設立は1754年。
おそらく最初の教授サミュエル・ジョンソンはイギリスのフリーメイソン系の人物だったのだろう。
反イギリス王(反ドイツ出身王?)、反イングランド国教会、反フランス、親カトリック、これで辻褄が合う。
アメリカはこの流れを汲んだ国であると言うことだ。



1714年にイギリスの王はスコットランドの家系からハノーヴァー(ドイツ)の家系へと移った。王朝が変わったのだ。
ハノーヴァー朝の最初の王がジョージ1世である。
フリーメイソンが正式に発足したのはこの時代で発祥はイギリスのスコットランドと言われている。
ちょうど王朝の変化に重なるようにして誕生し発展した。

イギリス王家となったハノーヴァー(ドイツ)の家はヴェルフ家である。
中世の神聖ローマ帝国で皇帝位を争った有力なドイツの諸侯。ヴェルフェン家(Haus Welfen)とも呼ばれる。初期中世バイエルンに発し、その分家がユーラブルグントの王となった。さらに初期ヴェルフ家の断絶後、その跡を継いだヴェルフ=エステ家(ヴェルフェン=エステ家)が勢力を誇り、さらに分家であるブラウンシュヴァイク=リューネブルク家からイギリスのハノーヴァー王家が出ており、フェラーラとモデナのヴェルフ家が近代まで続いた。歴史に大きな足跡を残したのがヴェルフ=エステ家で、ザリエル朝、ホーエンシュタウフェン朝と帝位を争ったが、神聖ローマ皇帝となったのはオットー4世のみだった。

中世の神聖ローマ帝国はカトリックの教皇と結びつきが強い。どちちが偉いかで教皇と皇帝で揉めたこともあったけれど、両者は持ちつ持たれつで権威者になったので基本的にはセットな関係であった。(神聖ローマ帝国皇帝は主にハプスブルク家が継承した)
ヴェルフ家から唯一皇帝となったオットー4世の母方の祖父はイギリス王のヘンリー2世であり、オットー4世は幼少期をイギリスで過ごしている。
帝位争いをする頃にはカトリックの教皇とは味方になったり裏切ったりを繰り返し、神聖ローマ皇帝になった後の1210年にとうとう教皇から破門を宣告されるに至っている。

イギリス王を輩出したハノーヴァー王家は分家だった。
オットー4世の弟・リューネブルク公ヴィルヘルムの子オットーは、子のないオットー4世の遺領も相続してブラウンシュヴァイク=リューネブルク公を称した。この家系はブラウンシュヴァイク=リューネブルク家として、しばしば領土の分割を重ねながら続いた。14世紀にはヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世がルクセンブルク家のヴェンツェルの対立王になっている。また、17世紀から18世紀にはハプスブルク家、ロマノフ家(ロシア)、ホーエンツォレルン家(ドイツ)、オルデンブルク家(デンマーク)と縁組を結ぶなど、勢力を増している。
1692年、その分枝に属するカレンベルク侯(ハノーファー公)エルンスト・アウグストが選帝侯となった。子のゲオルク・ルートヴィヒは1714年にイギリス王位を獲得してハノーヴァー朝を開き、その血統は現在まで続いている。


王朝名の改称はしているものの現在のウィンザー家もこの家系である。
ジョージ1世がイギリス王になったことはカトリックにしたらおもしろくないであろう。
オットー4世がカトリックローマ教皇から破門された上に、イギリスもカトリックから分離独立してプロテスタントに属することにした国である。
フリーメイソンにはカトリック、特に教皇精鋭部隊と言われるイエズス会が関係しているはずである。
フリーメイソンに資金提供していたのはやはりロスチャイルドだった。
そしてそのロスチャイルドにもバックがついているらしい。


また話がややこしくなるが、ヴェルフ家は一度断絶しており、新ヴェルフ家は実は黒い貴族(ヴェネチアの金融家出身)なのではないかという噂がある。
だからこそイギリスは大英帝国として繁栄を極めることが出来たのではないか。
要するに黒い貴族出身のヴェルフ家が王に就いたイギリスは、ヴェネチア・スイスルートのコネクションの恩恵を受けられたのではないかということである。







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by yumimi61 | 2017-05-23 16:04