2017年 05月 29日 ( 2 )

2017年 05月 29日
日本国憲法の秘密-484-
前記事に書いたシェルバーン家はスイスユニオン銀行(UBS)の経営一族でありスイスの金融家でもあった。
ロスチャイルドなどに有利な条件で資金を貸し付けてきた。
シェルバーン家に財産を管理させたのがキャボット家。キャボット家の創始者はアメリカ大陸発見者。
キャボット家→(資産)→シェルバーン家(スイスユニオン銀行経営)→ロスチャイルドなど(銀行家)→王族や貴族、企業にさらに貸し出す

ジョン・キャボット
中世の航海者。カトリック教徒。北アメリカ大陸の発見者として知られる。
コロンブスと同じジェノヴァに生まれ、前半生はヴェネツィアで活動し、1484年にイギリスへ移住した。1496年に国王ヘンリー7世の特許状を受けて、ブリストルを出航したものの失敗。翌年、息子のセバスチャン・カボットを伴って再び船団を率い、ヴァイキングの航路を辿ってカナダ東南岸のケープ・ブレトン島に到達し、ニューファンドランド島やラブラドル半島を発見するなどの成果を挙げて帰国した。1498年にも探検隊を組織し、グリーンランド東西沿岸の調査航海を行ったものの船員の叛乱によって南下を余儀なくされ、その途上で没した。この二度目の航海でデラウェアとチェサピーク湾を発見したことは、イギリスがフロリダ以北の北米大陸の所有権を主張する根拠となった。


セバスチャン・キャボット
16世紀のイギリスの航海者。父と共に北アメリカ大陸の発見者に名を連ねる。
ヴェネツィアの航海者ジョヴァンニ・カボートの子として生まれる。1484年にイギリスに帰化。1497年には、ブリストルを出航してアジア航路を開拓する船団に参加。父ジョヴァンニは翌1498年の航海途上で亡くなるものの、セバスチャンはその遺志を継ぎ、1508年には北アメリカの東海岸を探検する。そこでは後のハドソン湾、ハドソン海峡を発見し、南北をなぞるようにフロリダまで達した。

しかし、父子ともども庇護を受けたヘンリー7世の死後、後を継いだヘンリー8世が出資に消極的であったためにイギリスでの活動を諦め、1513年に英国王の使節として赴いたスペインにそのまま移住。宮廷に仕えて主席水先案内人の地位を得る。1526年から翌年にかけては南アメリカのラプラタ川流域も探検したが、成果を挙げられずに帰国したためカルロス1世の怒りを買って投獄され、次いでアフリカへと追放された。1533年に赦免された後はイギリスへ戻り、「新しい土地への冒険商人会社」(Company of Merchant Adventurers to New Lands、モスクワ会社の前身で、レバント会社やイギリス東インド会社の先駆者)といった会社の総支配人や製図業者として北極海を通したロシア貿易航路探検隊や北東航路探検隊を組織し晩年を過ごした。


庇護したヘンリー7世と出資に消極的だったヘンリー8世、この2人の何が大きく違うかと言うと、カトリックとの関係である。
結婚離婚や世継ぎを巡ってローマカトリックと揉めて、イングランド国教会をカトリックから分離独立させたのが、ヘンリー8世(在位:1509-1547)である。
さらにアイルランド王を兼務するようになったのもヘンリー8世の時からである。
しかし再びイギリスとカトリックは近づいて行く。それが1700年後半。
シェルバーン家はアイルランド貴族となり重要な役割を果たす。


大航海時代に貿易でお金になったのは、鉱石、麻薬、お茶、絹や綿繊維、香辛料、奴隷(移民希望者)など。
シェルバーン家もアヘンと奴隷で儲けたが、それはつまりキャボット家がアヘンと奴隷で大儲けしたということでもある。
イギリスは清(中国)とアヘン戦争したことからも分かるように国家ぐるみでアヘンを輸出していた。
麻薬の素晴らしいところは中毒性があるところである。
イギリスは中国から物を買うのに銀で支払っていたけれども、「銀なんかいらん、頼む、アヘンで払ってくれ!」とかなんとか言われたらしいから、イギリスにとっては中毒様様である。

ロスチャイルド、イギリス東インド会社、ディビッド・サッスーン商会、ジャーディン・マセソン商会、ベアリング商会などが出資したのが香港上海銀行で、薩摩藩や長州藩にも資金や武器を提供した。
吉田茂が養子となった吉田健三はジャーディン・マセソン商会の商人(横浜在住)だった。

そんなに美味しい商品(麻薬)ならばと、アメリカからも参入(というか権益を分けて上げた)。その1つにラッセル商会がある。
ラッセル商会
19世紀に極東で著名であったアメリカ系の貿易会社である。主に上海に拠点を置き、横浜にも支店を置いた。主にトルコから中国への阿片の輸出と、東アジアからの生糸と茶の輸入を中心に取引を行なっていた。
1824年、アメリカ合衆国コネチカット州ミドルタウン出身の事業家サミュエル・ラッセルにより広州で設立された。


アメリカのアヘン輸入専売会社であるラッセル商会は、アヘンと中国人奴隷の輸出入業社で、アヘン常用者の中国人苦力(クーリー)を奴隷としてアメリカに運んで鉄道建設などに従事させた。常用者なのでアメリカでもアヘンを欲しがる。当然アメリカにも入っていく。

キャボット家はこのラッセル商会にも出資していた。またフォーブス家(世界の富豪を発表しているあのフォーブスです)も出資していた。

ラッセル商会設立者サミュエル・ラッセルと従兄弟のウィリアム・ラッセルはピューリタン(清教徒)系大外のイェール大学で「スカル・アンド・ボーンズ」(Skull and Bones、S&B)も創設している。

Skull and Bones(S&B)
アメリカのイェール大学にある秘密結社。「The Brotherhood of Death」の異名がある。会員名簿は公開されている。ウィリアム・ハンティントン・ラッセルと、従兄弟のサミュエル・ラッセルが1832年に設立した。また彼らはラッセル商会とカルパーリングをも創設した。

構成員同士が協力し合いアメリカで経済的・社会的に成功することを目的としている。週に二回ニューヘイヴンのクラブストリートのはずれの窓のないクラブハウスで議論をするために集まる。なおイェ―ル大学には他に、「スクロール&キー」「ベルセリウス」「ブック&スネーク」「ウルフズヘッド」と呼ばれる結社が存在している。
アメリカの大学に複数ある排他的結社の一つで、入会に関する一切が不明であり、ただ大学の「新入生の中から15人選出される」のみが判明している。

 入会式に関しては、「新入生がドロレスをする」「棺桶に入り、初体験などを告白する」と言われる。入会者へは高価な振り子時計が送られ、卒業の際には1万6000ドルが送られるという。

 322という数字に意味を付けている。「新入生には、322のナンバープレートを盗ませる」「入会に際し、頭蓋骨と322が描かれ、リボンがかけられた黒い封筒が送られる」「デモステネスの没年であるBC322年を基本とし、会員(ボーンズマンと呼ばれる)はBC322年を紀元1年とするカレンダーを使う」などと言われている。

 これに関し、スカルアンドボーンズは元来ドイツの大学の学友会で、W・H・ラッセルが、在学中ドイツへ留学したおり、むこうの学生と深い親交を結び、帰国後、フラタニティの名前を「322番目の」学生結社とした、という説がある。 

2004年秋のアメリカ合衆国大統領選挙の2人の候補者である、ジョン・ケリー(1966年)とジョージ・W・ブッシュ(第43代アメリカ合衆国大統領。入会時は1968年)が2人ともS&B出身だった。また、ジョージ・W・ブッシュの父である第41代アメリカ合衆国大統領のジョージ・H・W・ブッシュ(1948年)や、祖父のプレスコット・ブッシュ(1917年)もS&Bのメンバーだった。

プレスコット・ブッシュはS&Bでハリマン家の息子ローランド・ハリマンと出会い、銀行家の道を歩み成功する。その後、二人はユニオン銀行の頭取と社長として、ヒトラーの資金援助者だったドイツの鉄鋼石炭王フリッツ・ティッセンと深い関係を築いていく。
歴代のCIA長官はボーンズマンが務めている。その他、ボーンズマンは金融、石油といった産業界の中枢だけでなく、国防総省、国務省などの政府機関にも存在している。

ボーンズマンen:Daniel Coit Gilmanは、en:Timothy Dwight V・アンドリュー・ディクソン・ホワイトの2人とベルリン大学へ哲学を学びに留学した仲間だったが、1856年にS&Bを Russel Trust Association として改組した。これはen:Russell Sage Foundationの前身である。


ブッシュ大統領は一般的にはS&B会員だったというよりキリスト教原理主義者(聖書重視の変わらない福音派でリベラルと対立する、プロテスタント)として有名である。


"Skull and Bones"という名称は儀式に頭蓋骨や骨を用いたかららしい。(なにせ秘密結社なので断定は出来ない)
それもアメリカ大陸の先住民であったアパッチ族の指導者のそれを利用したらしい。
ちなみにアパッチ族のアパッチはズニ族の言葉で敵という意味でフランス人が命名したもので自ら名付けた部族名ではない。(先住民同士でも敵味方があったわけですね)
アパッチ族
ヨーロッパからの移民(いわゆる白人)に対しても絶えず、強力で好戦的な部族であり、アパッチの有名な指導者として知られるコチーズ、マンガス・コロラダス、そしてジェロニモなどは、敵対したアメリカ陸軍やメキシコ陸軍から、獰猛な戦士、また熟練した戦略家として知られている。

こうしたことから"Skull and Bones"は有色人種撲滅を目指していたのではないかと言われることもある。
しかしながらイェール大学は反イギリス・反イングランド国教会のピューリタンがルーツにある。
確かに当初は反イギリス・反イングランドだったフリーメイソンやピューリタンが変異したことを考えれば、後の時代に出来た"Skull and Bones"はすでにカトリックやイギリスと繋がっていたと考えることも出来る。そこに秘密結社の背徳的な感じと奴隷問題などが相まって有色人種撲滅を想像しても不思議はない。
でもブッシュ大統領がキリスト教原理主義だったことから考えると、そういった組織だったとは考えにくい。
聖書の登場人物、ユダヤ人もアラブ人もアブラハムもモーゼもキリストもみな有色人種である。
だからアパッチ族の骨を使った儀式はむしろ獰猛な戦士・熟練した戦略家に肖ろうとするものだったのではないだろうか。
では"Skull and Bones"が思い描いていた敵は誰なのか?
イェール大学だけにイギリス?ロスチャイルド?リベラル派?カトリック?内紛的にアラブ人?イスラム?(ラッセルはトルコ産のアヘンを売り捌いていた。イギリス系は主にインド産)











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by yumimi61 | 2017-05-29 16:11
2017年 05月 29日
日本国憲法の秘密-483-
押しも押されぬ世界的財閥となったロスチャイルドもロックフェラーも最初から財閥だったわけではない。
いいとこ200~300年の歴史。
ヴェネチアやスイスの金融の歴史はもっと長い。


ロスチャイルドが台頭してきたのは、カトリックとプロテスタントの対立(宗教改革)に端を発する貴族の勢力争いである。
オーストリアやチェコスロバキアの辺りを中心に広大な領地を支配していたハプスブルク家(神聖ローマ帝国君主家でありカトリックの盟主)は、北や西側のドイツの小中領邦をも統一して大ドイツ帝国の実現を目指していた。
このハプスブルク家に対抗してドイツ周辺の王族を統一し新王国の建設を企てたのがヘッセン家という貴族。
ヘッセン家はドイツ中部に領地を持っていた。
ハノーヴァーやプロイセン、ザクセン・ヴァイマール、バイエルンなどを統一し、プロテスタントのルター派やカルヴァン派(スイス・蓄財は悪ではない派)と繋がる君主を立て、絶対王政を敷こうとしていた。
ロスチャイルドは元々はヘッセン家の金庫番であった。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)

■諜報活動担当(通信・郵便):タクシス家 ・・当主としてヨーロッパ一の地主。モナコの産業を支配下に置く。ベルギーが本拠地。
■軍事担当(傭兵):スイス、サヴォイ家・・・麻薬販売、ダイアナ元妃を暗殺したとも言われている。
■資金担当:ロスチャイルド家
(全てがハプスブルク家とヘッセン家どちらの勢力にも加担していた。 vsオスマン帝国(イスラム)という戦いもあったゆえ)

1714年よりイギリスの王家がハノーヴァー出身となる。つまり反ハプスブルク家(カトリック)、親ヘッセン家(プロテスタント)ということになる。
フリーメイソンは当初反イギリス・反イングランド国教会であった。つまり親カトリック。
アメリカに渡ったのは反イギリス・反イングランド国教会の教徒たち(ピューリタン)で、それはフリーメイソンとも深く関係していた。アメリカをイギリスから独立させた勢力とも言える。
啓蒙思想などを介してフランスのフリーメイソンにも応援を求めた。
それら勢力とアメリカで戦ったイギリス正規軍はヘッセン家(プロテスタント)が調達した。
一方イルミナティは親カトリック(親教皇)。ヘッセン家から破門された男爵が支援しており、神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)側に取り込まれ、反ヘッセン家(反プロテスタント)組織となった。


ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)
ハプスブルク家(カトリック)vsイギリス王家(ヴェルフ家・ハノーヴァー出身・プロテスタント)
         フリーメイソンvsイルミナティ   

右側サイドがやや劣勢に立つ。
そこに登場したのがナポレオン!ヨーロッパの王族や貴族は新しい敵を前に一致団結!!
この反ナポレオン勢力に資金を貸し付けたのがロスチャイルド家で、傭兵を貸し出したのがヘッセン家。
ナポレオンはカトリックの権威を利用しようとカトリックに近づく。
しかしナポレオンはイエズス会の残党がいたらしいロシアやプロイセンの反撃により失脚を余儀なくなされる。
ナポレオン撃破に貢献したのはカトリックということで教皇の地位も上がりイエズス会は晴れて復活。
かつてカトリックに対立したヘッセン家は傭兵と郵便支配(ナポレオン戦争のドサクサに紛れてタクシス家を掌中に収めた)で大儲け。ヘッセン家の財産はロスチャイルドがロンドンに移し守ってくれた。
両者win-winで万歳!!


●イギリスの諜報活動担当:シェルバーン家

シェルバーン家はアイルランド貴族。
イングランドの君主(王)がアイルランドの君主を兼ねるようになったのが1509年から。
シェルバーン家は「伯爵」という爵位を1719年に与えられた(1期)。元はアイルランド議会の議員であった。
貴族は基本的に世襲だが国家功労者などに与えらえることがある。
最初のシェルバーン家(伯爵)は継承者なく一代で途絶えてしまう。
次にまたシェルバーン伯爵の称号が与えられたのが1753年(2期)。1期シェルバーン伯爵のにあたる人物だったとか。
1766-1768年に首相を務めたウィリアム・ピットもシェルバーン伯爵の配下の一人であった。戦争をしたがらないウォルポールを批判して台頭した。1766年にチャタム伯爵の称号を与えられる。
1757年から1761年にかけて第2次ニューカッスル公爵内閣で南部担当大臣を務め、七年戦争を実質的に指導し、インド亜大陸や北アメリカや西インド諸島などの植民地でフランス勢力を駆逐することに成功し、大英帝国の基礎を築いた。

※イギリスのシンクタンクである王立国際問題研究所(通称:チャタムハウス)はウィリアム・ピット一族所有の建築物である。
王立国際問題研究所と外交問題評議会(CFR)は姉妹機関。
"When a meeting, or part thereof, is held under the Chatham House Rule, participants are free to use the information received, but neither the identity nor the affiliation of the speaker(s), nor that of any other participant, may be revealed".
チャタムハウスルール (Chatham House Rule) とは、王立国際問題研究所に源を発する、会議参加者の行為規範である。チャタムハウスルールを適用する旨の宣言の下に運営される会議においては、当該会議で得られた情報を利用できるが、その情報の発言者やその他の参加者の身元および所属に関して秘匿する(明示的にも黙示的にも明かにしない)義務を負うというルール。このルールの適用により、参加者はその所属する組織への配慮や、発言が自らのものとして公表された際の影響を度外視しやすくなるため、進行中の問題や政治的な話題を取り扱う場であっても闊達な議論をもたらすとともに、情報の共有が促進されることが期待される。また、会議全体ではなく、その一部のみへの適用も可能である。このルールは、王立国際問題研究所において1927年に考案され1992年および2002年に改正されたものであるが、その適用は同研究所主催の会議等に限定されるものではなく、英語圏を中心に広く一般に用いられている。


なんでもかんでも出所(出典)を求めるなんてナンセンスですよね!?
それはともかく、シェルバーン伯爵の息子(2代目)もイギリスの首相を務めている(1782-1783年)。

イギリスの爵位
・公爵(Duke)・・・現在ならばウェールズ公チャールズやエディンバラ公フィリップ王配など。
・侯爵(Marquess)
・伯爵(Count)
・子爵(Viscount)
・男爵(Baron)
・準男爵(Baronet)
・騎士(Knight)

1714年にイギリスの王はスコットランドの家系からハノーヴァー(ドイツ)の家系へと移った。
1714-1727 ジョージ1世
1727-1760 ジョージ2世
フリーメイソンはこの時代に創設されている。

シェルバーン家は、ヴェネチア、ジェノバ、ボストン、ジュネーブ、ローザンヌ、ロンドンなどを転々とし、アヘンと奴隷で莫大な富を築いた一家。
イギリス・フランス・スイスのイエズス会との関係を築き上げていて、フリーメイソンの上層部にいた人物でもあった。
シェルバーン伯爵は神秘主義(悪魔崇拝とも言われる)に魅せられていたという。
イエズス会が解散させられたのが1773年。
イルミナティはイエズス会が解散後のイエズス会の内紛をきっかけに1776年に創立されたとされている。(イルミナティ創設はイエズス会の中の親教皇派によるものではなかったということは前述した)
イルミナティ創設にはシェルバーン伯爵が関与していて、ここでプロテスタントのはずのイギリスとカトリックが明確に繋がり、さらにフリーメイソンとも繋がることになる。







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by yumimi61 | 2017-05-29 00:32