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2017年 06月 02日
日本国憲法の秘密-488-
キャボット家→(資産)→シェルバーン家(スイスユニオン銀行経営)→ロスチャイルドなど(銀行家)→王族や貴族、企業にさらに貸し出す。

キャボット家の創始者はアメリカ大陸発見者。コロンブスと同じジェノヴァに生まれ、前半生はヴェネツィアで活動し、1484年にイギリスへ移住した。1496年に国王ヘンリー7世の特許状を受けて航海した。


ロスチャイルド、イギリス東インド会社、ディビッド・サッスーン商会、ジャーディン・マセソン商会、ベアリング商会などが出資したのが香港上海銀行で、薩摩藩や長州藩にも資金や武器を提供した。
吉田茂が養子となった吉田健三はジャーディン・マセソン商会の商人(横浜在住)だった。


アヘンを輸出して儲けていた。
そんなに美味しい商品(麻薬)ならばと、アメリカからも参入(というか権益を分けて上げた)。その1つにラッセル商会がある。
ラッセル商会設立者サミュエル・ラッセルと従兄弟のウィリアム・ラッセルはピューリタン(清教徒)系大外のイェール大学で「スカル・アンド・ボーンズ」(Skull and Bones、S&B)も創設している。 


このラッセル商会は、ブッシュ大統領(共和党)を輩出したブッシュ家、クーリッジ大統領(共和党)を輩出したクーリッジ家、ルーズベルト大統領(民主党)を輩出したデラノ・ルーズベルト家、タフト大統領(共和党)を輩出したタフト家が取締役や監査役に就任していた。
その他、雑誌「フォーブス」を創刊し上院議員を輩出するフォーブス家、ジョンズ・ホプキンス大学の初代学長を輩出したギルマン家の人物も取締役だった。


※ジョンズ・ホプキンス大学
クェーカー教徒の実業家ジョンズ・ホプキンスの遺産を基に、1876年に世界初の研究大学院大学として設立された。初代学長はアヘン輸出入業者のラッセル商会取締役であったダニエル・ギルマン。
アヘンに関連して人間の支配や心理戦争などを研究した。
それまでのアメリカの大学教育は教養中心の学部教育であったが、新たに研究を中心とした専門教育を行うことを目的とし、大学院教育のシステムを確立した。大学院教育と奨学金を組み合わせることによってPh.D.(博士)の学位の授与制度の改革を行ない、この制度を他の多くの大学が取り入れることによってアメリカ全土に広まったとされる。
全米で初めて実験室での科学実験を行ったのも、また、公衆衛生大学院 (School of Public Health) を初めて設置したのもこの大学である。附属のピーボディ音楽学院(Peabody Institute)も北米で最初の音楽学校であり、この大学には「アメリカで最初」と言われるものが多い。


アメリカの最初のPh.D.は1861年にイェール大学が神学、古典語、物理学の3分野で3件授与したのが最初である。当初は分野も数も限られていたが、上記のようにジョンズ・ホプキンス大学がPh.D.の授与制度の改革を行って広まった。アメリカの学術界の発祥の地とも言えよう。

※クェーカー教はプロテスタントに分類されることもあるが、正式にはカトリックでもプロテスタントでもないキリスト教のフレンド派ということになる。会員は"Friends"を自称している。
平和主義や質素を掲げるが神秘主義を信仰の特色とする。一方極めてリベラル(要するに科学的)でもある。
発祥はイギリス。アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられるベンジャミン・フランクリン(フリーメイソン、父はイギリスからの移民)がイギリスからアメリカに移住させ、『コモン・センス』というパンフレットを発表してアメリカがイギリスから分離独立することが正当であることを強く訴えたトマス・ペインもクェーカー教徒であった。
アメリカ建国にはピューリタンの他クェーカー教徒も関係している。
戦後の日本においてGHQのボナー・フェラーズ准将が熱心なクエーカー教徒で日本でのクエーカーの布教活動に精力を注いだ。また、信徒のエリザベス・ヴァイニングは後に天皇となる皇太子・明仁の家庭教師を務めた。(皇太子明仁とは現天皇)

※エリザベス・ヴァイニング
終戦後の1945年には著作活動を停止しアメリカ・フレンズ奉仕団広報部に勤務、1946年にGHQによって皇太子明仁親王の家庭教師に選ばれ来日、少年時代の皇太子と義宮(現・常陸宮正仁親王)らに英語教育などを施すなどした。また、学習院大学や津田塾大学においても講義などを行なった。

※アメリカ・フレンズ奉仕団
1917年にアメリカ合衆国フィラデルフィアで戦争による民間の犠牲者の救済のために設立されたキリスト友会(クエーカー)系の人道援助や社会正義、人権、平和や死刑の廃止などのために活動する団体である。1947年にイギリス・フレンズ協議会と共にノーベル平和賞を受賞した。
フレンド派は伝統的にあらゆる形態の暴力に反対し兵役を拒否したため、AFSCの当初の目的は良心的兵役拒否の実現のための兵役の代替であった




オーガスト・ベルモント
ドイツ生まれのユダヤ人。ロスチャイルド一族の庶子だった。若い頃からフランクフルトのロスチャイルドのそばで働いてきたロスチャイルド代理人。彼は1837年24歳の時にアメリカに送りこまれた。
ラッセル商会の設立は1824年であるが、その頃にはアメリカでのロスチャイルドの立場が危うくなってきたということだろうか。
このオーガスト・ベルモントが結婚した相手がキャロライン・ペリー、黒船で日本にやってきたペリー提督の娘である。1849年に結婚している。

ジョセフ・グル―
アメリカ・ボストン生まれ。1932~1942年まで駐日アメリカ大使だった。
要するに真珠湾攻撃と太平洋戦争開戦時に日本にいた大使である。
ジョセフの従妹ジェイン・ノートン・グルーが初代J・P・モルガンの長男(後継者)であるジャック・モルガンの妻であった。
モルガンもロスチャイルドの代理人(代理店)である。
このジョセフ・グル―のの妻アリス・ペリー・グルーはその名の通りペリー一族である。


アリス・ペリー・グルー
ペリー提督の兄の孫にあたるトーマス・サージェント・ペリー(アメリカ・ボストンの言語学者)と、キャボット一族であるリラ・サミュエル・キャボット(印象派画家)の間に生まれた娘である。夫妻には3人の娘がいてアリスは3女である。
アリスの父トーマス・ペリーは慶應義塾大学の教授として来日した。妻と3姉妹も一緒に赴任した。
1898年に慶應義塾の創始者・福澤諭吉がハーバード大学学長に書簡を送り、教授の派遣を依頼したことによる。
福沢諭吉は伊藤博文・井上馨・西郷従道など300人以上を招待してペリー教授紹介の園遊会を盛大に催した。
一家は1901年に帰国したが、アリスは駐日大使夫人として夫ジョセフ・グル―とともに再来日した。

キャボット家とペリー家の血を引く人物が日本と関係深いのである。


鍋島信子(松平信子)
アリス・ペリー・グルーの親友。
鍋島信子は佐賀藩主の娘。キリスト教徒。
元会津藩主・京都守護職の松平容保の六男・松平恆雄(明治10年生まれなので幕末を知らない、外交官・政治家)の妻となる。前にも書いたけれど会津藩は徳川幕府に忠誠を尽くし明治新政府に対抗して最後まで戦った藩である。
鍋島信子と松平恆雄の娘は秩父宮妃である。
昭和3年(1928年・明治維新から60年目)、秩父宮雍仁親王(大正天皇第2皇子)と松平勢津子(容保の六男・恆雄の長女)の婚礼が執り行われた。会津松平家と皇族の結婚は、朝敵会津藩の復権であると位置づけられているといわれる。
朝敵会津藩の復権ではなくて、旧会津藩が変な気を起こさないように取りこんだのであろう。


九条節子(大正天皇の妃、昭和天皇の母、貞明皇后)
アリス・ペリー・グルーの親友(鍋島信子がアリスに節子を紹介した)。
九条家は五摂家の1つで公家。
大正天皇は幼少期から病弱であり最後まで天皇の公務を全うできなかった。
そんなこともあってか、九条節子に関しては替え玉説など様々な噂がある。
また昭和天皇・秩父宮・高松宮・三笠宮と4人の男子を産んだが、子の父親が全て違うという説もある。
昭和天皇が西園寺八郎、秩父宮と高松宮が東久邇宮稔彦、三笠宮が近衛文麿。


牧野雪子(吉田雪子)
アリス・ペリー・グルーの親友。キリスト教徒。
雪子の父親は薩摩藩士・大久保利通の息子(大久保伸顕→牧野伸顕)である。つまり雪子の祖父が大久保利通ということになる。
牧野雪子は吉田茂の妻となる。
吉田茂(旧姓:竹内)はジャーディン・マセソン商会の商人吉田健三の養子になり、吉田健三が40歳という若さで亡くなったために吉田茂は子供ながらに莫大な財産を相続した。
ジャーディン・マセソン商会もロスチャイルド系でアヘン貿易に携わっていた。


吉田茂・雪子夫妻の子供達
 長男(健一)
 長女(桜子)・・・夫・寛は岸信介(安倍首相祖父)・佐藤栄作兄弟の従兄弟。佐藤寛が婿養子となり吉田寛となった。
 次男(正男)
 次女(江子)
 三女(和子)・・・九州の実業家であった麻生太賀吉の妻となる。夫妻の長男が麻生太郎。長女信子は寛仁親王妃。


麻生セメント株式会社
麻生グループの中核企業。麻生グループは麻生太賀吉の父である麻生太吉が明治時代に福岡県飯塚市で始めた麻生炭鉱を源流としている。
麻生セメントは2001年に旧麻生セメントがセメント部門を分社化して新しく麻生セメント株式会社を設立して誕生した会社。フランスのセメント大手であるラファージュ(Lafarge)が資本参加している合弁会社であった。
この会社が2004年に三井鉱山セメントの土地と鉱山を継承している。また同年、麻生ラファージュセメント株式会社に社名変更。
2013年にラファージュの資本5%を買い取り社名からラファージュを抜いた。
ラファージュはロスチャイルド系企業でヒラリー・クリントンが顧問に名を連ねていた。
2014年にラファージュはスイスのセメント大手ホルツィムと合併してラファージュホルツィムとなっている。

2016年6月報道
 フランスのセメント大手が、シリアに持つ工場の操業を続けるため、過激派組織イスラム国(IS)などと取引をしていたと6月22日付の仏ルモンド紙が報じた。
従業員らの通行の許可をISから受けたり、石油を購入したりしたという。
 問題が指摘されているのは仏ラファージュ(現ラファージュホルツィム)。
シリア北部アレッポの北東に工場を構えていたが、近郊をIS(の前身組織)が支配下に置くようになったため、2013年にIS側との「取引」が始まったという。

 ルモンド紙によると、石灰石を積んだトラックや従業員らの往来に支障がないようIS側に許可を求め、通行証の発行を受けた。また、仲介者経由でIS側から石油を買ったり、「税金」を支払ったりし、間接的にISに資金供給した形だという。
こうした「取引」は、工場の操業を断念した14年秋まで1年余り続いた。ラファージュ幹部も事情を把握していた模様。
 これに対してラファージュ側は「工場がある地域に紛争が迫るさなかでは、従業員らの安全確保が最優先課題だった」とする声明を出した。ISとの関係については言及していない。


2013~2014年というのは、湯川遥菜や後藤健二が拘束された時期と重なる。
拘束(人質)事件が発覚し大々的に報道されたのは2015年1月~2月。







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by yumimi61 | 2017-06-02 16:10