2017年 06月 04日 ( 1 )

2017年 06月 04日
日本国憲法の秘密-489-
※豆知識※

その1:慶応幼稚舎は幼稚園ではなく小学校である!
知ってる?じゃあ。

その2:慶応幼稚舎の所在地は元々は福沢諭吉の別邸(広尾別邸)だった。
1879年(明治12年)、福沢諭吉が現在の幼稚舎の校地の場所を購入し、広尾別邸とした。
1937年(昭和12年)、幼稚舎は福沢家広尾別邸の場所に移転した。
##「幼稚舎」という名称であるが、小学校であり幼稚園ではない。幼稚舎出身の南博は旧制東京高校尋常科(後身校:東京大学)に入ったとき、修身の時間に教育勅語を暗誦できなかったため、「君は教育勅語を知らんのか、いったいどこの小学校からきた」と教師から怒られ、「慶應義塾の幼稚舎です」と答えたが、「幼稚園のことを訊いているのではない、小学校は何処だ」と怒鳴られたという。このようなエピソードからもわかるように、現在でも幼稚園であるとの誤解が多く、また、そう思い込む者も多い。

(森友学園はやっぱり「目指せ東大!」だったのでしょうか?)

その3:福沢諭吉がハーバード大学学長に教授の派遣を依頼したことによって慶應義塾に赴任したトーマス・ペリーのお披露目会である「園遊会」が行われた場所は福沢の広尾別邸(後の慶応幼稚舎)であった。

その4:皇室行事の園遊会が催されるようになったのは戦後1953年のことで、実はそれほど古式ゆかしい行事ではない。
戦前(明治時代)に行われていたものに「観菊会」「観桜会」があるが、これは江戸時代に締結した通商条約の改正交渉をスムーズに運ぶために始められたものであり政府主導。天皇皇后が臨席したが主催者ではない。
成り立ちからロスチャイルドなどヨーロッパ系と繋がっていた明治新政府が条約を改正したかったということは、その条約が日本にとって不平等だったのではなくヨーロッパにとって不平等だった(と感じていた)からに他ならないであろう。
行われた場所は新宿御苑や浜離宮。元は地方藩の下屋敷であった場所である。
現在新宿御苑にて内閣総理大臣主催の「桜を見る会」、環境大臣主催の「菊を観る会」が開催されている。
新宿御苑は大正天皇・昭和天皇の大喪の礼が執り行われた場所でもある。

その5:観菊会(かんぎくかい)はたぶん「見ても聞いても言わない(貝!)」に掛かっている。
ところで日光東照宮をはじめ有名な「見ざる聞かざる言わざる」の三猿。
英語では、"Three wise monkeys"(3匹のずる賢い猿)と言われていて、"see no evil, hear no evil, speak no evil"と訳される。
「あの人たちさぁ良いことしか言わないよね」
「そうそう、自分達に都合の悪いことは見ないし、聞かないし、言わない」
つまり半分皮肉である。
論語には入っている「行わない」(悪いことは行わない)が省かれていることから、あの人達は自分達の悪いことは見ないし聞かないし言わないけれど、悪いことはするという意味が隠されています(たぶん)。

おまけ:お買い物に行ってそらまめを買っておやつに食べました。

以上、豆知識を終わります。

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ジョセフ・グル―
アメリカ・ボストン生まれ。1932~1942年まで駐日アメリカ大使だった。
要するに真珠湾攻撃と太平洋戦争開戦時に日本にいた大使である。
ジョセフの従妹ジェイン・ノートン・グルーが初代J・P・モルガンの長男(後継者)であるジャック・モルガンの妻であった。
モルガンもロスチャイルドの代理人(代理店)である。
このジョセフ・グル―のの妻アリス・ペリー・グルーはその名の通りペリー一族である。


ジョセフ・グル―はボストンの銀行家一族である。
ハーバード大学時代に学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていた。
「クリムゾン」は1873年に創刊された学内新聞としては最古の歴史を誇る。
過去にはフランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディなど後に大統領になった人物も学生時代に編集に関わったことでも知られている。
ジョセフ・グル―がクリムゾンに所属していた時の仲間に、キャボットが出資したラッセル商会のアジア担当取締役になり、第二次世界大戦中の大統領にもなるフランクリン・デラノ・ルーズベルトがいた。
この2人は学生時代からの友人であった。

ジョセフ・グル―は後にキャボット一族とペリー一族の血を引くアリスと結婚し、駐日アメリカ大使になるわけだが、家族はジョセフがハーバード大学を卒業すると彼を世界旅行に旅立たせた。この時に日本にも来ている。
そしてジョセフ・グル―は「鈴木」という名の人物を連れてアメリカに帰国した。
ジョセフとアリスとの縁を取り持ったのはこの「鈴木」だったという。鈴木大拙!?
その後は家族や友人のコネクション(圧力、忖度?)を存分に使い外交官大使の地位を手に入れた。
外交官としてエジプト、メキシコ、ロシア、ドイツ、デンマーク、スイスなどに派遣された。
しかしジョセフ・グルーは難聴気味であり他国の言葉での会話は不可能であったという。

ジョセフ・グルーは1908年から第一次世界大戦アメリカ参戦1917年までドイツにいた。
ここで注目すべき点がある。
前に書いたようにアメリカはホワイトハウスの主(大統領)が変われば、長官をはじめ政府高官、その下にいる補佐官や秘書などごっそり入れ替わる。党が変われば尚更である。
ところがジョセフ・クルーは変わらなかったのである。

1901-1909年 セオドア・ルーズベルト(共和党)(フランクリン・ルーズベルトと親戚)
1909-1913年 ウィリアム・タフト(共和党)(イェール大学、ラッセル商会、スカル・アンド・ボーンズ)
1913-1921年 ウッドロウ・ウィルソン(民主党)(父がアメリカ長老教会創設者)(ジョンズ・ホプキンス大学から政治学のPh.D. を受けている)






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by yumimi61 | 2017-06-04 13:03