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2017年 06月 09日
日本国憲法の秘密-493-
アル・ゴアはハーバード大学を卒業し、1974年にヴァンダービルト大学ロー・スクールに入学したが1976年に中退している。
その年にテネシー州から下院議会選挙に出馬し当選したアル・ゴアは、下院議員の就任宣誓式を待たずに早速活動開始。
彼が一番最初にしたことはテネシー州にあるオークリッジ国立研究所でエネルギーと環境に関する研究に浸ることであった。
ゴア家はテネシー州の出身である。アル・ゴアの父親も議員だったのでアル・ゴアはワシントンD.C.で生まれている。

オークリッジ国立研究所
アメリカ合衆国エネルギー省の管轄下でテネシー大学とバテル記念研究所が運営する科学技術に関する国立研究所。
後にオークリッジ国立研究所となった施設は、1943年にマンハッタン計画の一部として建設された。研究施設とその近くの町であるオークリッジは、一年弱でアメリカ陸軍工兵司令部によって建設された。オークリッジには、約2年間 75,000 人が住み、その存在は秘密にされていた。
マンハッタン計画のオークリッジでの目標は、核兵器に使用するためのウランとプルトニウムの分離精製であった。このため、4つの施設(コード名は、X-10、Y-12、K-25、S-50)が建設された。このうち X-10 が現在のオークリッジ国立研究所に相当する。

現在の(現在も?)売りは中性子の研究である。

過去記事より(受付のお姉さま方?インフォメーション?工場見学案内係?オークリッジに置かれたY-12国家安全保障複合施設のシフト交代の写真を掲載した記事です)
1942年2月~11月、テネシー州オークリッジの土地を取得。
ウラン精製工場とマンハッタン計画の司令部施設用地として取得された。
(面積)56,000エーカー(23,000ha)+追加の3,000エーカー(1,200ha)

今話題の豊洲市場は40.7ha。東京ディズニーランドは51ha、東京ディズニーシーは49.3ha。
上記のオークリッジの土地は豊洲市場の565倍。
どれほど大きな爆弾を作るつもりだったのか!?量産!!?

ちなみにアメリカのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートは日本のディズニーランドとディズニーシーを合わせた面積の100倍以上ある。山手線内側が余裕で2つ入る大きさなんだとか。
ディズニーランドパリも日本のディズニーランドとディズニーシーを合わせた面積の20倍ある。
福島第一原発の面積は350ha。
環境省が、福島県内を除染して出た廃棄物を保管する中間貯蔵施設に予定している面積は約1,600ha。

(オークリッジに出来た施設は)1943年初頭、公式にクリントン・エンジニア・ワークス(CEW)と名付けられた。
最初の工場ができると全米から労働者が集められ、人口は増大し、1945年5月にクリントン・エンジニア・ワークスに82,000名、ローン・アンダーソンに10,000名が雇われた時、最大の75,000名となった。
オークリッジの施設はサイトXという暗号名を与えられた。後のオークリッジ国立研究所となった。のちにオークリッジは、アトミック・シティ(原爆の町)、シークレット・シティ(秘密都市)と呼ばれるようになった。


アル・ゴアはその後もオークリッジ国立研究所を何度も訪れていて、オークリッジ国立研究所も地球温暖化に関する分析や気候変動のシミュレーションを提供した研究機関の1つである。


2006年のアル・ゴアの『不都合な真実』にお墨付きを与えたのは「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」であった。
IPCCは国際連合環境計画(United Nations Environment Programme: UNEP)と国際連合の専門機関にあたる世界気象機関(World Meteorological Organization: WMO)が1988年に共同で設立した機関。早い話、国連の組織である。
第二次世界大戦後に設立された国連にはロックフェラーやロスチャイルドが深く関わっている。

1980年代にNASAの科学者ジェームズ・ハンセンらが論文を投稿し、そのジョームズ・ハンセンが1988年にアメリカの上院公聴会で「地球温暖化は化石燃料の大量消費が原因」と述べた。
その年にIPCCは設立された。
しかしこの説がメジャーになったのは2006年の『不都合な真実』によって。さらに翌2007年にアル・ゴアとIPCCが揃ってノーベル平和賞を授与され、それを煽った。

IPCC
国際的な地球温暖化問題への対応策を科学的に裏付ける組織として、間接的に大きな影響力を持つ。
代表者、会員の氏名は非公開である。
名称は「政府間パネル」であるが、参加者は政府関係者だけに限られず、各関連分野の科学者など専門家も参加している。


ノーベル平和賞を受賞したくらいなので議長は分かっている。
ラージェーンドラ・クマール・パチャウリー(英語:Rajendra Kumar Pachauri, ヒンディー語:राजेंद्र कुमार पचौरी, 1940年8月20日 - )は、環境エネルギー問題の専門家。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の議長を2002年から2015年までの2期13年務めた。2002年よりIPCCの3代目の議長となり、2007年にはアル・ゴアと共にIPCCがノーベル平和賞を受賞した。

インドで生まれ、アメリカのノースカロライナ州立大学で学ぶ。

インドの財閥タタ・グループのタタ・エネルギー研究所の所長や日本の財団法人・地球環境戦略研究機関の理事を務める。2007年の来日時には立命館大学から名誉博士号を授与され、2009年には日本政府から旭日重光章を叙勲されている。

2015年2月24日にセクハラ疑惑によりIPCCの議長職を退任。議長代行にはギズーリ副議長が就いた。


IPCCの議長だったラージェーンドラ・パチャウリーはインドのタタ・グループの関係者である。
タタ・グループ
インド3大財閥のひとつであり、サブグループに分かれていない単一の財閥としてはインド最大である。インドにおける産業や商業に幅広く関与しており、ほとんどの領域で上位の勢力になっている。
構成企業100社以上。車(タタ・モーターズ)、鉄(タタ製鉄)、IT、電力で売り上げの8割を占める。 

ペルシア一帯(現在のイラン)からインドに渡ってきたパールシー(ゾロアスター教徒)の子孫であるジャムシェトジー・タタ(1839年-1904年)が、1868年にボンベイ(ムンバイ)で設立した綿貿易会社をその始まりとする。1870年代には綿紡績工場を建ててインド有数の民族資本家となった。


インドはかつてイギリスの植民地であった。
タタ家はその時代にアヘン貿易で莫大な利益を上げたインドロスチャイルドとも言われるサッスーン家(サッスーン商会)と結びついた。

1865年、香港上海銀行設立。
フリーメーソンによる植民地協会(英国王室の後ろ盾)によって植民地香港で設立された。
植民地での利益を本国へ送金するほか、清に融資したり外債発行を担当した。
サッスーン商会、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイルドなどが出資者。麻薬と紅茶に関係あり。サッスーンは後にロスチャイルド家と縁戚関係となる。

サッスーン商会の 設立者はデイヴィッド・サスーンである。
インドを拠点に活動したユダヤ人の商人。バグダード出身。
スペインに起源を持つセファルディムの出身で、父サレハ(Sason Ben Saleh)はバグダードのパシャの主任会計を勤め、同市のユダヤ人コミュニティーを率いる資産家だった。その後ダウード・パシャによるユダヤ人迫害を逃れてペルシャを経て一家でボンベイに移住し、1832年にサスーン商会を設立、イギリスの東洋貿易に多大な貢献をした。特に阿片戦争のきっかけとなった当時のアヘン貿易において重要な位置を占めていた。その後は香港、上海にも営業所を構える。さらに、南北戦争によりアメリカ産綿花の輸出が途絶えたのを機にインド産綿花の輸出も成功させた。これらの功績が認められて1853年にイギリス国籍を取得。

このように世界一の人口を誇る中国での麻薬販売に多大な功績を果たしたサッスーン商会。
しかし第二次世界大戦後、中国在住のサッスーン一族はアイゼンベルグによって駆逐され、麻薬販売網が奪取された。


第二次世界大戦後のインド独立(1947年8月15日)以後、サッスーン家の権益を受け継ぎついたのがタタ家だった。
インドは1974年と1998年に核実験を行っている。










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by yumimi61 | 2017-06-09 14:55