2017年 06月 11日 ( 1 )

2017年 06月 11日
日本国憲法の秘密-494-
2006年の『不都合な真実』で一躍メジャーになった「地球温暖化問題」だが、地球温暖化説の発端はもう少し遡って1980年代にある。
NASAゴダード宇宙研究所の科学者ジェームズ・ハンセンが6人の科学者と共著で書いた論文『増大する大気二酸化炭素の気象への影響』を科学雑誌『サイエンス』に投稿した。
この論文の中で、21世紀に予想される地球温暖化が南極の氷を溶かし世界の多くの都市を水没させ、内陸部は砂漠化する恐れがあると論じられた。
ジョームズ・ハンセンもアル・ゴアも地球温暖化を回避するために必要なものは原子力発電だと主張してきたのである。


劇的な温暖化説の発端は1980年代にNASAの研究者からもたらされたが、実はそれより以前から気候変動に注目する動きはあった。
それはそうだろう、地球誕生以上今日まで地球の気候は同じではなかったというのが通説なのだから。
地球の最後の氷河期は1万年前だったと言われる。
「地球」を語る以上、長いスパンで物事を見る必要がある。

氷河学的には、氷河期という言葉は、南半球と北半球に氷床がある時期を意味する事が多く、この定義によれば、グリーンランドと南極に氷床が存在する現代、我々は未だ氷河期の中にいることになる。
過去数百万年に関して言えば、氷河期という言葉は一般的に、北アメリカとヨーロッパ大陸に氷床が拡大した寒冷期について用いられる(アジア地域は氷床が発達せず寒冷な地帯であったらしい)。この意味で言えば、最後の氷河期は1万年前に終了したということになる。この約1万年前に終わった出来事を、文献によっては「最後の氷河期」と記載していることもあるが、科学者の多くは氷河期が終わったのではなく、氷河期の寒い時期「氷期」が終わったとし、現在を氷期と氷期の間の「間氷期」と考えている。


間氷期は人間が生活できる暖かい場所がかなりの範囲に広がっている時期ということである。
でも歴史科学的にはまた氷河期がやってくるはずなのだ。
ともかく間氷期における気温は上昇と下降を小刻みに繰り返していて、 有史以来今よりも気温が高かった時代はいくらでもあった。
人間の生活がもたらす影響なんてちっぽけだと言ってしまえばそれまでだ。
1800年前半から始まった産業革命は石炭の時代をもたらし、1900年代にはさらに機械工業化が進み石油の時代をもたらしたが、1800年代で区切り、それより前の時代の気温を一切考慮しないというのは片手落ち。
それより前に気温が上昇する時代があったならば原因は違うところにあるかもしれない。
そもそも「昔」と「今」が比較に耐えられるデータなのかどうかも怪しい。(データすらないフィクションなのかノンフィクションなのか分からない書物や絵画などではもっと心許ない)
それくらい雲をつかむような話である。
聖書がフィクションやノンフィクションか問うた時に、人は一様の答えを出せますか?
(地球外部の気温ばかり気にしていて地球内部の温度を気にしないのも片手落ち)


ロジャー・レベル(Roger Revelle)という海洋学者がいた。
アメリカは戦後も核実験を実施していたのだから、核が海洋引いては地球に与える影響を研究すればよいものを、何故か二酸化炭素に目を向けたのだった。
それは国際地球観測年と深く関係している。

第1回国際極年
1882年から1883年の第1回国際極年には、12カ国(オーストリア=ハンガリー帝国、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、オランダ、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、イギリス、カナダ、アメリカ)が参加した。
これらの国は北極近辺の14の測候所で、氷、大気、電磁気、地磁気、曙光、海流、潮、構造および運動の観測を行った。このほか、世界中の40を越える気象台が、国際極年の観測に協力した。

第一次世界大戦後、電信、ラジオ、電話が発達し、飛行機などが実用化すると、これらを利用した提案が1927年に、国際気象委員会に提出された。


第2回国際極年
1932年から1933年の第2回国際極年は、これらの新技術を使って気象情報を交換することが可能であるか、また、それが各国の気象予報にどれだけ有効であるかを調査する目的であった。また極地の気象観測が、気象予報にどれだけ意味を持つのかを調査する意味もあった。44カ国がこれに参加し、情報が集積された。しかし、両極地の情報は極端に少なかった。

国際地球観測年
1950年代、アメリカのLloyd Berknerによって、ロケット観測などを含む第3回の国際極年が提案された。国際学術連合(ICSU)は、これを極地以外の総合的な地球物理学観測の計画に拡張した。70を超える国立またはそれに相当する機関が協力し、国際地球観測年委員会を組織し、実行した。

1957年7月1日から1958年12月31日まで続いた、国際科学研究プロジェクトの名称。国際年の第一号として数えられる。当初は太陽の磁気が地球に与える影響を研究するために設定された。
かつての1882年から1883年の第1回国際極年と、1932年から1933年の第2回国際極年にひき続くものである。
国際地球観測年で行われた協力は12項目があった。以下に列挙する。オーロラ、大気光(夜光)、宇宙線、地磁気、氷河、重力、電離層、経度・緯度決定、気象学、海洋学、地震学、太陽活動。
ソビエト連邦とアメリカ合衆国は、国際地球観測年のために初期の人工衛星・スプートニク1号とエクスプローラー1号を打ち上げた。主な成果は、バン・アレン帯の発見、中央海嶺、プレート・テクトニクス説の確認作業などがある。



ロジャー・レベルはシアトルで生まれ、カリフォルニアのポモナ大学で地質学を学び、1936年にカリフォルニア大学バークレー校で海洋学にて博士号を取得した。
第二次大戦中は海洋学者としてアメリカ海軍に属していた。
1950~1964年まではカリフォルニア州サンディエゴにあるスクリップス海洋研究所(SIO)の所長であった。
SIOは国際地球観測年に参加しており、ハワイのマウナ・ロアと南極大陸のマウナ・ロア天文台で大気二酸化炭素の測定を開始した。
ロジャー・レベルは海洋研究科学委員会(SCOR)と国際海洋委員会(IOC)の下で最初の気候変動委員会委員長を務めた。
このSIOが二酸化炭素原因説の主要な研究所となっていくのである。

レベルは著名な化学者ハンス・スースをシカゴ大学から招き、1957年に彼と共同論文を発表した。
海は過剰な二酸化炭素を吸収していることが知られているが、論文ではその吸収速度はかつての科学者が予測した速度よりも遥かに遅いと述べている。
人間の排出が吸収速度を上回れば温室効果をもたらし、時間の経過とともに地球温暖化を引き起こすだろうと提起した。

続いてレベルは、大気中に含有する二酸化炭素の測定方法を考案するため、デーヴィッド・キーリングという科学者を招いた。
1960年、キーリングは大気中の二酸化炭素(濃度)の増加と化石燃料の燃焼の因果関係が強まった事を示す研究論文を発表した

どちらも地球温暖化(温室効果)の原因が二酸化炭素であるという直接的な根拠は示さなかったが、これらの論文は地球温暖化の基礎的事実となっていく。


このロジャー・レベルは、1964年にハーバード大学公衆衛生学院によって設立されたハーバード人口開発研究所の所長でもあった。
The Harvard Center for Population and Development Studies was founded in 1964 by the Harvard School of Public Health (now the Harvard T.H. Chan School of Public Health) under the direction of Dean Jack Snyder and director Roger Revelle with a mandate to address issues of population control.

ハーバード大学公衆衛生学院は元々は保健師養成学校だった。
The School traces its origins to the Harvard-MIT School for Health Officers, founded in 1913; Harvard calls it "the nation's first graduate training program in public health." In 1922, the School for Health Officers became the Harvard School of Public Health, and in 1946 it was split off from the medical school and became a separate faculty of Harvard University.

日本では保健師の事を英語でPublic Health Nurceと訳すことが多いが、この訳では正確に通じないことが多い。
外国ではCommunity Health Officer(地域保健師)などと言っている。
日本の場合は国家資格である保健師資格だけではなく看護師資格も保有していないと保健師にはなれない。従って看護師の上級資格ということになる。保健師は公衆衛生の専門家である。
私も一応保健師である。
しかし外国で公衆衛生の専門家と言う場合には学位重視であり資格は関係なくなる。
昨今は日本でもそんな風潮がある。保健師に限らず大学という観点から見てもかつて職人肌だったMITも方向転換した。
なにはともあれ、「公衆衛生の専門家」と「保健師」が一致していないことが多々ある。
教育課程や資格制度が違うこともあるが、大学時代に専門教育を受けなくても大学院で公衆衛生を学んで学位(ドクター)を取れば専門家になれるわけである。
大学院で学ぶというのは研究とか論文作成とかそんな感じでしょうか?その基礎となる膨大な専門知識は必要ないというわけですね。(どうせ忘れるから、いらないわよ?)(だから’飛んでも理論’なんか吹聴してしまうのでは?)
下手すれば公衆衛生関係の研究所か何処かで働けば公衆衛生の専門家になり得るのだ。


この日本と諸外国の差を上手くついたというか、誤解の元になったというかが、元祖iPS細胞騒動の森口尚史の一件である。
学位は取った(ドクター)らしいが、看護師及び保健師の資格を取得しているのかは定かではない。もちろん医師でもない(でも世界初の手術を自分がしたと主張している)(日本の法律上は保健師資格があれば緊急時等に医師の指示等があれば医師の代わりが出来なくはない)。
平成の世になった1989年に東京医科歯科大学医学部保健衛生学科看護学専攻に入学し、学士(保健学)を取得後、同大大学院博士前期課程に進学し、修士(保健学)を取得した。
東京大学で博士(学術)を取得し、東京大学特任教授などを経て、東京大学医学部附属病院特任研究員を務めた。専門は知的財産法、医療技術評価。
2012年(平成24年)10月、読売新聞により「ハーバード大学客員講師」の肩書きで「iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術を実施した」と大々的に報じられたが、多方面から数々の疑義が提起され、その2日後に同新聞は「同氏の説明は虚偽」とし、それに基づいた一連の記事は誤報であったことを認めた。東京大学などがいまだ調査中である。



地球温暖化問題のベースにはロジャー・レベルらの論文があったわけだが、必要以上に危機感を煽り、それに乗っかったのが国連であり政府である。
1980年代にNASAの科学者ジェームズ・ハンセンらが論文を投稿し、そのジョームズ・ハンセンが1988年にアメリカの上院公聴会で「地球温暖化は化石燃料の大量消費が原因」と述べた。
その年にIPCCは設立された。


するとなんと、元祖温暖化説のロジャー・レベルらは、そうした風潮に反対する立場を取った。
物理学者S.フレッド・シンガーと電気工学者チャウンシー・スターとの共同執筆での記事―「温室効果ガスの温暖化について何をすべきか:あなたが飛ぶ前に見よ(転ばぬ先の杖)」。
急激な温暖化対策は雇用と繁栄を犠牲にし貧困問題を大きくするだけで効果的ではない。
特に途上国の経済は壊滅的になるであろう。
記事は次のように結論づけた。「現時点では過激とも言える温暖化対策を正当化する科学的根拠は乏しい。政策対応が遅れてもリスクはほとんどない」

In 1991, Revelle's name appeared as co-author on an article written by physicist S. Fred Singer and electrical engineer Chauncey Starr for the publication Cosmos: A Journal of Emerging Issues, titled "What to do about greenhouse warming: Look before you leap," which was published in the summer of 1992. The Cosmos article included the statement that "Drastic, precipitous—and, especially, unilateral—steps to delay the putative greenhouse impacts can cost jobs and prosperity and increase the human costs of global poverty, without being effective. Stringent economic controls now would be economically devastating particularly for developing countries...". The article concluded: "The scientific base for a greenhouse warming is too uncertain to justify drastic action at this time. There is little risk in delaying policy responses."


その論争中の1991年7月、ロジャー・レベルは亡くなった。82歳だった。

すると今度はロジャー・レベルの弟子が出てくる。(死人に口なしの弔い合戦?)
「あの記事はシンガーが一人で書いたものでロジャー・レベルは名前を使われただけ。レベルは名前を使われたことを恥ずかしいと思っていたんだ」
本人は死んでいるのでもちろん確認しようもない。
弟子は、シンガーの行動は非倫理的であり、アル・ゴア上院議員(当時)の地球温暖化政策を打ち砕くために仕立てられたものであると主張した。 (つまりアル・ゴア派)
シンガーはそのレベルの弟子に対して訴訟を起こした。
結局その弟子は「自分の主張全部間違っているわけではない」としながらもシンガーに謝罪した。
しかしその後も他の人達がレベルが実際に記事を書いていたと言い続けたことから、弟子は気分を害して再び争いは続いた。

ロジャー・レベルの娘(Carolyn Revelle Hufbauer)
地球温暖化:私の父が本当に言ったこと。 ワシントンポスト1992年9月13日
Contrary to George Will's "Al Gore's Green Guilt" Roger Revelle—our father and the "father" of the greenhouse effect—remained deeply concerned about global warming until his death in July 1991. That same year he wrote: "The scientific base for a greenhouse warming is too uncertain to justify drastic action at this time." Will and other critics of Sen. Al Gore have seized these words to suggest that Revelle, who was also Gore's professor and mentor, renounced his belief in global warming. Nothing could be further from the truth. When Revelle inveighed against "drastic" action, he was using that adjective in its literal sense—measures that would cost trillions of dollars. Up until his death, he thought that extreme measures were premature. But he continued to recommend immediate prudent steps to mitigate and delay climatic warming. Some of those steps go well beyond anything Gore or other national politicians have yet to advocate. [...] Revelle proposed a range of approaches to address global warming. Inaction was not one of them. He agreed with the adage "look before you leap," but he never said "sit on your hands."


娘が書いているように、実はアル・ゴアもハーバード大学在学中にロジャー・レベルの弟子だったのだ。
教えたことに反しているとレベルは激怒していたというのだ。




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by yumimi61 | 2017-06-11 16:20