2017年 06月 17日 ( 1 )

2017年 06月 17日
日本国憲法の秘密-500-
前記事で「有効性」と「有用性」の違いについて書いたので、ついでに「相関関係」と「因果関係」の違いについて。

(例)がん検診受診率が高い地域ほどがん罹患率も高い。

この場合、がん検診受診率とがん罹患率には「相関関係」が認められるということになる。
しかし、がん検診を受診したから、がんに罹患したと言いきることは出来ない。(=がん検診受診とがん罹患の因果関係を疑うことは出来ても、1つの相関関係だけで因果関係があるとしてがん検診を悪者にすることは出来ない)
何故か?
元々がん罹患率が高い地域であり、そのことが広報され、がん検診を積極的に促した故に受診率が高くなっているということも考えられる。
罹患率が高い地域ほど受けさせる側も受ける側も検診に熱心になったということ。
検診受診率が高いから罹患率が上がったのではなく、罹患率が高かったから検診受診率も高くなったという全く逆の因果関係がある可能性も捨てきれない。


(例)A製薬のB胃腸薬を常用していた人と、そうでない人を比較したら、常用していた人のがん罹患率が高かった。

B胃腸薬を常用すると、がん罹患率は高くなるという相関関係がある。
しかしこの場合、比較対象が悪い。
胃腸薬を常用している人は元々体調が悪かったと考えられる。
常々体調が悪かった人と悪くなかった人のがん罹患率を比べれば果たしてどうだろうか。
ともかくこの比較と相関からB胃腸薬を常用するとがんに罹患しやすくなるという因果関係を導き出すことは難しい。


(例)選挙の出口調査で得票数の高かった候補ほど実際に当選する確率も高い。(←本来テレビが言えるのはこの程度のことのはず。全て開票していないのに当選確実を出すなんて言語道断)

出口調査の得票数と選挙結果(得票数)には相関関係がある。
では、出口調査の得票数が高いと当選する、こういう因果関係があると言えるだろうか?
あるから「当選確実」と言ってるんだろう?
「確実」とは、間違いや変更がない客観的事実のことである。(「確か」と言えば、主観的事実となる)

統計に「絶対」や「100%」はない。
それは何故かと言うと、人間である私達は「偶然」や「奇跡的」を排除することが出来ないからである。
でもそれを言い出すとキリがない。
例えば、幾ら理路整然にSTAP細胞を否定しても、奇跡を考慮してしまうと、完全否定は出来なくなる。
すると「ほんとだもん、偶然出来たんだもん」「我々は奇跡的に成功した」とか言い出して悪用される。
これは非現実的で社会性を欠き、社会にとってプラスになるとは言えない。
そこで「そんな低い確率でしか起きないことは、起きないと言ってもいいよね」という値(有意水準)を決めておくのだ。
よく用いられる値が5%や1%。
これ以下でしか起こってこないこと(有意差あり)は否定の根拠となり得るという約束(ルール)の上で成り立っている。
もしも5%や1%以上の値が得られたとしても(有意差なし)、それを理由に「偶然」「奇跡」側が因果関係や正当性を主張することは出来ない。
数値的に否定の根拠になり得なかっただけのことで「不確定」「どちらとも言えない」といった状態である。データ(回数)を増やせば値が変わる可能性がある。


出口調査のほとんど全て正解する。「凄い偶然」「奇跡的なこと」である。
そこで「ほとんど正解する出口調査はインチキである」と思ったとする。
そしたら「出口調査は公平公正に行われていて当たり外れは半々である」という反対の仮説を立てる。
そして実際に公平公正に出口調査を行って選挙結果と照らし合わせるという検証を幾度も行う。
有意水準を5%としよう。
出口調査がほとんど正解していたとか、ほとんど外れていたとか、そうした極端な結果が5%以下ならば「そんな低い確率でしか起きないことは、起きないと言ってもいいよね」と言えるわけである。つまりテレビで行っている出口調査はインチキだと主張する十分な根拠になり得る。
ほとんど正解やほとんど外れが5%以上となれば、「結構そういう偶然ってあるものなんだね」ということになり、「ほとんど正解する出口調査はインチキである」とは言えなくなる。
しかしながら、この結果によって「出口調査が公平公正に行われている」とも言えない。






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by yumimi61 | 2017-06-17 23:59