2017年 06月 25日 ( 2 )

2017年 06月 25日
War Is Over
ちょっと早かったね(第二弾!?)

前記事で枯葉剤(除草剤)のことを取り上げたけれども、じゃあ「枯葉剤」が撒かれたベトナム戦争とはいったい何だったのかということになりますね?
いつ始まったのか、何のために戦ったのか、なぜアメリカが関係あるのか、かなり分かりにくい戦争である。

第二次世界大戦前のベトナムはフランスの植民地であった。
大戦前に各地の植民地解放を支援していたのは、共産主義インターナショナル・コミンテルン(第三インターナショナル)だった。
1919~1924年までコミンテルンを率いたのはレーニンである。
レーニン死後、その後継を巡ってトロッキーとスターリンが激しく対立するもトロッキーが不利な立場になり、1929年には国外追放されるに至る。
同じ組織であるが、レーニン時代とスターリン時代はその中身が全く違う。
トロッキーは国外で活動を続けて、コミンテルンに代わる国際社会主義運動の組織化を画策しており、1938年には第四インターナショナルを結成した。
ドイツ・イタリア・日本が反共産主義インターナショナルを掲げて同盟を組んだのは1936年のことである。
この頃スターリンもトロッキー関係者や自身に反する者を粛清している。
トロッキーも1940年に殺された。

植民地解放を支援していたのはコミンテルンであるが、1924年を境にコミンテルンの中身が変わっていく。
ということは、植民地解放・民族主義運動・革命などの目的や質も微妙に変わっているはずである。
これが外からはなかなか分かりにくい点である。
ともかくベトナム(インドシナ)では1930年にインドシナ共産党が結成され、独立運動には共産党が主導的な役割を果たした。

1939年9月、第二次世界大戦勃発。
1940年にはフランスがドイツに敗北し全土をドイツ軍の占領下に置かれ、親ドイツ独政権であるヴィシー政権が成立した。
フランスの植民地政権はここがチャンスとばかりにすぐさま独立に動いたわけではなく、ヴィシー政権に付き従うことを選択した。要するに親ドイツ(もっと言うと親枢軸国)となったということである。
肝心のドイツはベトナムには興味を示さなかった。代わりに触手を伸ばしたのは日本だった。
日本とフランス・ヴィシー政権は、ベトナムにおける日本の経済的優先権と軍事的便宜を認めるから、ベトナム(インドシナ)におけるフランスの主権を認めるという約束をし、フランス軍がいたところに日本軍が進駐した。
約束の上のことだったわけだが、住民たちはそんなことは知らないから、日本がフランスを追い出してくれたと勘違い。
日本はフランスの主権を認めたからこその進駐なのだから、ベトナム独立なんか支援するはずもない。

ヴィシー政権統治下および日本軍進駐下における1944年末から1945年にかけてのベトナム北部で大飢饉が発生し、20万人以上、ホーチミンの主張では200万人が餓死する事態が発生する。コミンテルンの構成員であったホー・チ・ミンを指導者とするベトミン(ベトナム独立同盟)武装解放宣伝隊は「飢饉は日本軍の政策によるもの」と主張し、民衆の反日感情が爆発した。またフランス政庁も反日感情をあおるために保有米を廃棄するなどした。この飢饉がベトミンの勢力拡大の決定的な機会となった。
※ベトミン・・・ベトナムの独立を目指す民族統一組織。


第二次世界大戦で日本は敗北。これを機に1945年9月、ホー・チ・ミン率いるベトミンがベトナム民主共和国を樹立し独立することを宣言した。
これに対抗してフランスが南部に傀儡政権を建国。
1946年からこの両者が戦争をする。(第一次インドシナ戦争)
         ↓
 8年戦った末にフランス側敗北
         ↓
1954年7月のジュネーブ協定により北緯17度線を境にしてベトナムは分断
南ベトナムはベトナム共和国となる。大統領はベトナムの貴族出身ゴ・ディン・ディエムが就任。
(朝鮮半島みたいですね)

ゴ・ディン・ディエムは、熱心なカトリック教徒で、反共産主義者でもあった。
東南アジアでの共産主義の拡大を懸念するアメリカの支援をうけて、ジュネーヴ協定成立直前に政権を樹立し、ジュネーブ協定に基づく南北統一総選挙を拒否するなどベトナム民主共和国への対決色を強めていった。
アメリカは当初フランス軍を支援するという形で南部を支援していたが、直接支援に切り替えた。
北部と南部は分断されたが、住民は好きな方の国家を選択して移ることが可能であった。
北から南に移ったのは100万人。これは主にカトリック教徒。
南から北に内ったのは9万人。
共産主義は権威主義的な宗教に依存しない(宗教を否定する)という特徴があるので、共産主義である北部からはカトリック教徒が移動したということになる。
枢軸国の反共産主義もやはり宗教がらみであると推測できる。

ゴ・ディン・ディエムは自身の弟を大統領顧問に任命し、秘密警察と軍特殊部隊を掌握させ、国内の共産主義者を始めとする反政府分子を厳しく弾圧した。
このように独裁的で汚職にまみれ、農民が多い南部地域に合った政策が採られるわけでなく、南部の国民の不満は募っていった。

そこで北部のベトナム民主共和国は南部の独立派に働きかけ、武力による統一を試み南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成。北部と南部の戦いが始まる。
フランスやアメリカは南部側の味方だった。言い方を変えればカトリックの味方であった。
北部は共産主義であるから、ソ連や中国に近い存在である。ソ連は原爆裏事情を察しながら「我々も原爆を成功させた」と言った国であり、アメリカにとって脅威であった。

北部と南部の戦いであるベトナム戦争にアメリカが直接介入したのは1965年。
カトリック教徒であるケネディ大統領が暗殺された(1963年)後の事である。
ケネディ大統領は何故殺されたのか?裏切り者だったのか。それとも忠誠者だったからか。

アメリカが直接介入を始めた1965年、アメリカの仲介により日本と韓国は日韓基本条約を締結。時の首相は佐藤栄作。
戦前・戦時中の賠償も謝罪も曖昧なまま、「経済援助」として多額の資金が韓国に送られた。
アメリカや韓国はベトナム戦争に派兵していた。
我々が(あなた達の代わりに)軍隊を出してやっているのだから、その見返りはきっちり貰いますよ的な感じ?
弱みを握られていて、出さざるを得なかった感じ?


ねえどっちにする?

アメリカが枯葉剤を散布した地域は南部に含まれると言う。
もう一度言いますが、アメリカは南部の味方をしてたんです。
でも北部のベトコンがジャングルなどに潜んでいるということで枯葉剤を散布したそうなのだ。
東か西かと聞かれれば、西の味方だけれども、西に原爆を落としたことと共通点はありますか?


Bed In

ベトナム戦争と言うと枯葉剤の次に反戦運動が思い出されるくらいにムーブメントだった。
どうしてアメリカに直接関係ないようなベトナム戦争の反戦運動がそれほど盛り上がったのだろうか。
それほどまでにアメリカ軍兵士の犠牲者が多かったということなのか?

オノ・ヨーコが共産系のヘルメットを被り、反共産主義だったヒトラーの声明文を読み上げ、共産主義とカトリックの戦いとも言える戦争に対して反戦運動を繰り広げたのは何故なのか?
共産主義同盟のヘルメットを被り、ヒトラーの声明文を読み上げたオノ・ ヨーコの意図がよく分からない。

ベトナムのジャングルという環境で戦意を喪失し、世論の反戦大合唱でさらに戦意を喪失し、帰国しても待ちわびてくれていたはずの人達は冷淡で、散々だったアメリカ軍。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。

1975年4月、ベトナム戦争は終結した。
アメリカは、南部ベトナムは、カトリックは、北部ベトナム(共産主義)に敗北した。
長い長い戦争が終わった。
独立まもない、そして独立以降のかなりの日々を戦争に費やした小国に、大国や権威が全く歯が立たなかった。
ロシア帝国を倒して羨望の眼差しを浴びたかつての日本のように、北部ベトナムもまた誰かの憧れの存在になったのだろうか。


TDRに遊べ、空港に学べ!?

築地と豊洲の市場について凄く良い考えがあるので一言。
「せっかくの築地ブランドが」とか「築地のブランド力を活かしたい」とか言うならば、豊洲市場を築地市場という名にしてしまえばいいと思う。
先例があるじゃないですか! 千葉にあっても東京ディズニーランド。千葉にあっても新東京国際空港。
これは東京というブランドを活かした命名ですよね?
豊洲にあっても築地市場。これで問題解決。

しかしながら築地ってそんなにブランド力あるんでしょうか?
確かに築地という名称は知っている。築地直送という表示も見たことがある(やや古臭いイメージ)。
でもお魚は築地直送品しか買わないもんね!とかいうことは全然ない。
寿司屋でも料亭でもないからあまり拘りはない。安さと鮮度と手軽さをミックスした感じで選ぶ感じでしょうか。
現代人にとってお魚ってそこまで身近ではないし。その気になれば通販で産地直送で買えたりするし。
産地で食べるのがやはり一番おいしいだろうと思う。
私は牡蠣は広島に行って初めて食べられるようになった。それまで苦手だった。
新潟の市場で買ってきた鮭も美味しかった。(なんで新潟で鮭なのか?よく分からないけれど鮭でした)

そもそも築地って東京ですよね?東京に魚?水族館?東京湾?
海外からの観光客のことは知らないけれど、日本に住む消費者からすると築地のブランド力って言うほどのものではないと思う。
私は築地市場にも行ったことない。
今どき出張マグロ解体ショーなんかも出前でやってくれて、私は見たことないけれど、母は見たことあるらしい。

ちなみに新東京国際空港は正式名称で呼ばれなくて「成田」というローカル名で呼ばれ続け、今では正式名も成田国際空港になっている。
これも小が大を倒した事例でしょうか。




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by yumimi61 | 2017-06-25 23:33
2017年 06月 25日
綿(コットン)と枯葉剤
誤解のないように綿の木について補足しておく。

綿の木はアオイ科の植物である。
アオイ科の植物にはハイビスカス、ムクゲ、フヨウ、タチアオイ、オクラなどがある。(どれも花の容姿が似ていますね)(徳川家の家紋のアオイはアオイ科ではない)
アオイ科の植物は基本的に熱帯地方に自生する熱帯植物であり、日本では夏季に花が咲き、冬越しが難しい植物が多い。

但し今まさに道端や空き地や畑の周囲などあちこちで花が咲いているタチアオイは冬に地上部が枯れても時期が来れば芽を出して毎年花を咲かせる強健な宿根草(多年草)で帰化植物扱いである。
うちの実家にはアメリカフヨウがあるが、これも冬に地上部が枯れても芽をだし、暑い季節に巨大な花を沢山付ける宿根草(多年草)である。
このように寒い季節(植物によっては暑い季節)に一旦地上部が枯れてしまうものは、毎年芽を出して花を咲かせたとしても、通常は木(木本性)とは言わない。草(草本性)である。
落葉樹は葉を落とすが、幹が枯れて見えなくなってしまうことはない。
もう一つの見分け方としては茎が木化するか(硬くなるか)どうかである。

実際には木(木本性)と草(草本性)の中間の性質を持つ植物も多く存在しており、草本と木本を明瞭に区別することはなかなか難しい。
特に自生地(原産地)と違う気候で育てた場合には違う育ち方をする場合も多々ある。
冬季など生育不適期に葉を落として休眠してしまうのも植物が生き延びるための術である。
限界を超えれば休眠での冬越しも不可能ということになる。
アオイ科の植物の中には、熱帯樹木に分類されるものもあれば、常緑の多年草に分類されるものもある。
葉を落とすだけの多年草もあれば、上に挙げた例のように地上部が枯れて新たに芽を出す多年草もある。

地方や種類によって、熱帯性樹木であることもあるし、多年草であることもある。
さらにややこしいのは一年草品種が作られたこと。

プランテーションの時代くらいまでは多年草である綿の木に出来る綿毛を手摘みしていた。非常に手間暇が掛かり労働力が必要だったわけである。そこに使われていた人が奴隷と呼ばれたりしていた。
農場で使うと奴隷と非難され、工場で使えば雇用(従業員)と称賛されるなんて、何だかおかしな話であるが、それだけ農業は大変ということだろうか。
ちなみに現代でも機械で収穫できない野菜農家などは収穫時期に人を雇って使っている。
次第に農業にも機械化の波が押し寄せ、大型機械で一気に収穫するような方法にとって代わっていった。
個々の成長に配慮しない一気収穫は多年生に与えるダメージも大きくなる。
こうなると多年草を年間通して管理するよりも、毎年新しく種を播き生え揃って樹勢などにばらつきが少ない一年草のほうが扱いやすい。
綿栽培は(綿栽培に限ることではないが)、農業の機械化と大規模化、それに合わせた品種改良や化学薬品の使用などによって変化を遂げてきた。


一年草だから思う存分に枯葉剤が撒けるのではないかと思うかもしれないが、収穫までに実が傷んだり落ちたり綿の木が倒れたり枯れ果ててしまっては意味がないのである。そうなっては元も子もない。
従って一年草であっても(むしろ一年草であるからこそ)、、そこまで強い薬品は使えない。
葉だけを落として機械で一気に収穫する。
収穫してもしなくても一年草なので放っておけば枯れる。


ベトナム戦争の枯葉剤。
枯葉剤の散布は、名目上はマラリアを媒介するマラリア蚊や蛭を退治するためとされたが、実際はベトコンの隠れ場となる森林の枯死、およびゲリラ支配地域の農業基盤である耕作地域の破壊が目的であったといわれる。

マラリアを媒介するマラリア蚊や蛭を退治するという目的では薬品用途が違い過ぎる。
森林(ジャングル)の枯死は言うほど簡単なことではなく、ほとんど意味を成さないであろう。

熱帯雨林
地域としては東南アジア、中部アフリカ、中南米などに見られる。特徴としては生息する生物の多さ、種の多様さ(生物多様性)が挙げられ、複雑な生態系を形成している。全世界の生物種の半数以上が熱帯雨林に生息しているとも言われる。また、大気中に含まれる酸素の40%は熱帯雨林によって供給されたものと見られている。

熱帯雨林に見られる植物の7割が樹木である。
これらの樹木は垂直に3 - 5層からなる層構造をしている。最上層には飛び抜けて高い樹木がまばらにあり、これを超高木層と言う。その下に樹木の枝葉で覆われた層がある。これらを樹冠と呼び、高さ30 - 50mにも達する。樹冠が集まる上層部を林冠と呼ぶ。また、構成樹種がきわめて多いのも特徴の一つである。 太陽エネルギーを元に合成される生産量の大半が樹冠に集中するため、下層とは異なる樹冠生態系と呼ばれる特異な生態系を形成している。また、つる植物や着生植物が多いのもこのような森林の特徴である。これらの植物も樹冠生態系を構成する要素となる。樹冠の下は1 - 3層から成る中間層の林冠、最下層の林床が形成されている。

熱帯雨林では、濃い植生のために日射が遮られ、地表付近では下草が生長しにくい。 これは、人間も含めた大型動物にとっては移動に適した地形となる。 これが、何らかの理由(伐採、山火事など)によって日射量が得られるようになった場合、いわゆるジャングルと呼ばれる低木・つる植物の豊富な、中を歩きにくい植生となる。

土壌の発達は良くない。落葉や腐植の層はほとんどない。これは、気温が高くて分解速度が速いためと、主としてシロアリが、落葉を素早く裁断して自分の巣に持ち込んでしまうからである。地質は、分解速度の速さと多量の降水のために養分が溶脱してしまい、やせた酸性の土壌となる。



樹木が何層にもなっている森林に上空から空中散布したところで森林が枯死すると思いますか?
除草剤を使ったことがあるでしょうか?
除草剤には以下のような区分けの仕方がある。

・非選択的除草剤―雑草と作物の区別なく枯らす。
・選択的除草剤―特定の植物には無害で目的の雑草だけを枯らす。

・茎葉処理型除草剤―散布された薬剤が茎や葉の表面から吸収され(根まで)枯らす。根や木化した茎からは吸収されない。(これで生えていた雑草が枯れると、陰に隠れていた種が光を浴びて一斉に発芽するので第2波雑草が急激に育つことが多く2度撒きが必要なことが多い)
・根吸収型除草剤―散布された薬剤が根から吸収されて枯らす。(葉に薬剤がかかっていなくても枯れる可能性ありということ)
・土壌処理型除草剤―地表面に除草剤の処理層をつくり、発芽した種子が育たないで枯れるようにする。(待ち伏せ型)

・光合成を直接阻害する除草剤―DCMU
・光合成の電子伝達系から還元力を奪って酸素に渡してしまう除草剤(酸素還元指示薬)―パラコート
・光合成には無関係な植物ホルモンタイプの除草剤―2,4-D

このうちパラコートが植物にも人間にも毒性が高いことで有名。自殺や殺人にもよく用いられた。但し土壌残留性は低い。
1882年には合成されていたが、除草剤としての特性を発見したのは1955年で、除草剤として発売されたのは1965年(ちょうどベトナム戦争中)。
イギリス・ロンドンのマンチェスター・スクエアに本社があるインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)社が開発した。

パラコートは、細胞内に入ると NADPH などから電子を奪ってパラコートラジカルとなる。パラコートラジカルが酸化されて元のパラコートイオンに戻る際に活性酸素が生じ、細胞内のタンパク質や DNA を破壊し、植物を枯死させる。パラコートは触媒的に何度もこの反応を繰り返し起こすので、少量でも強い毒性を示す。 NADPH は動物体内にもあるため、同様の反応を起こす。パラコートは、肺に能動的に蓄積する性質があるため、致死量摂取すると最終的に間質性肺炎や肺線維症が起こる。
人間に対しては致死性が高く解毒剤もなく、散布中の経気・経皮中毒の事例も報告されている。


雑草は人々に毛嫌いされるほど逞しい。森林どころか空き地や畑の雑草を駆逐することでさえ言うほど簡単なことではない。
散布しただけでは樹木に対しては効果がないものも多い。
ベトナム戦争で枯葉剤を散布したのは、フェアチャイルドC-123 プロバイダー(Fairchild C-123 Provider)。
第二次世界大戦後にアメリカのフェアチャイルド社によって製造された軍用輸送機である。
つまり上空から散布したということである。

除草剤は高温であるほど移行性が高くなり効果を発揮しやすい。熱帯地域にはぴったりではないか!と思ったかは知らないが、スコールのように降らせるには大量の液体が必要である。
ミスト化すれば少ない量で済むかもしれないが、土壌はおろか葉面まで確実に届かない可能性が高くなる。
粒子を小さくすればそれだけ気化(ガス化)しやすい。
気体(ガス)も高温のほうが拡散力が高いので、狙ったところに届かずふわ~と四方八方に拡散してしまい、肝心の効果は薄まる可能性が大いに考えられる。なにせ屋外である。
これで森林破壊できると思うほうが不思議である。












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by yumimi61 | 2017-06-25 13:47