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2017年 06月 29日
日本国憲法の秘密-506-
アル・ゴアの顧問弁護士だったルイス・リビー。

ルイス・リビー
ブッシュ政権で、国家安全保障問題担当副大統領、チェイニー副大統領首席補佐官、ブッシュ大統領補佐官を兼任していた。
ネオコンの代表的人物。
小説家としての顔を持ち、保守派に典型的に非難された種類の性的逸脱で満ちた『ジ・アプレンティス』(The Apprentice)を1996年に発表。天然痘流行によって1903年の冬に北日本の宿屋で立ち往生した旅行者という設定。
2005年にプレイム事件(CIAリーク事件)で起訴された。


ルイス・リビーは、イエール大学の元教授で国務次官や国防副長官、世界銀行総裁などを務めたポール・ウォルフォウィッツの教え子である。
ポール・ウォルフォウィッツは親イスラエル(親ユダヤ)、親インドネシア(親イスラム)であり、親保守主義者(ネオコン)を代表する人物で対テロ戦争で重要な役割を果たした。
リビーが国務省に入ったのもこの師匠のおかげ。

リビーはイエール大学の後にコロンビア大学法科大学院法務博士課程を修了しており法律家である。
法律家としての師匠というか上司というか親分というかが、アンドレ・マイイヤー。

André Meyer(1898-1979)。
文字の上の点で分かると思うけれども(!?)、アンドレ・マイヤ―はフランス人である。
ユダヤ系の家系であるが裕福な家庭ではなかった。
16歳で学校を中途退学し、パリ証券所でメッセンジャーとして働き始める。
そのうち第一次世界大戦が勃発し、人手不足になった銀行に入る。
そしてラザール・フレールのレイモンド・フィリップに目を掛けてもらいラザール・フレールに入る。

ラザール・フレール
パリのラザード兄弟が始めたプライベートカンパニー(個人名義の不動産・株式・現預金などの資産を運用するための資産保有会社)である。株式非公開の投資銀行の最大手。ロスチャイルド系の投資銀行である。
 1852年パリ「ラザール・フレール」
 1870年ロンドン「ラザード・ブラザーズ」
 1880年ニューヨーク「ラザード・フレール」
経営が別だったが2000年に統合した。

FRB(連邦準備制度理事会)の5代目議長、そして世界銀行初代総裁であったユージン・マイヤーはラザート家の親戚である。
ユージン・マイヤーはワシントン・ポストの経営者だったキャサリン・グラハムの父である。

Katharine Meyer Graham(1917-2001)
アメリカ合衆国の新聞社経営者。夫のフィリップは1961年にニューズウィークを買収、後に謎の自殺を遂げる。キャサリンは1969年以後、アメリカの新聞ワシントン・ポストの発行人から社長、そして会長を歴任した。
マクリーン家からワシントン・ポストを買収したユージン・メイヤーの娘。夫フィリップ・グレアムの自殺後、同社を経営。
リチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件報道は、ワシントン・ポストの評価を高めると共に、報道に踏み切った英断を行った発行人として彼女の名を一躍有名にし、アメリカで最も影響力のある女性の1人として広く語られることとなった。


マルク・マイヤー(祖父)・・ニューヨーク「ラザード・フレール」勤務
ユージン・マイヤー(父)・・・ニューヨーク「ラザード・フレール」勤務
                 ユージン・マイヤー・アンド・カンパニーを設立
                 ニューヨーク証券取引所理事、戦時軍需品・財政委員会・戦争産業委員会メンバー
                 FRB理事・議長(5代目)、再建金融公社会長
                 世界銀行総裁(初代)
                 ※1933年にワシントン・ポストを買収した(1946年から娘の夫に任せた)。
キャサリン・マイヤー・グラハム(娘)・・夫の死後(1963年)にワシントン・ポスト経営者となる。


ユージン・マイヤーやキャサリン・グラハムのバックにはラザード・フレールがいたわけだが、そのラザード・フレールを代表する人物となったのがアンドレ・マイヤーである。
アンドレ・マイヤ―はゴア家、ケネディ家、リンドン・ベン・ジョンソン大統領をクライアントに持ち、CBSの会長を長く務めた。
デイビッド・ロックフェラーを育てたのもアンドレ・マイヤーである。

André Meyer, called "the most creative financial genius of our time in the investment banking world" by David Rockefeller, became one of the most important people in American business with an influence that extended around the globe.

Although he personally was publicity-shy, André Meyer was an advisor to the Kennedy family and a lifelong friend and advisor to Jackie Onassis. He was a friend and advisor to other high-profile public figures such as William S. Paley at CBS and Katharine Graham at the Washington Post. He was also a close confidant of U.S, President Lyndon Johnson, consulting at the Oval Office several times a year during Johnson's tenure.



前にロックフェラーのお家騒動のことを書いたけれども、ロスチャイルドにもそれなりにお家騒動がある。
ロスチャイルド5人兄弟で一番成功したのがイギリス家。
そのイギリス家にはイヴェリン派(分家)とジェイコブ派(当主・本家)がある。
両者はイギリス・ロスチャイルドの中核N・M・ロスチャイルド&サンに部外者を許すのかどうかなどで対立。(結局2010年に200年続いた同族経営に終止符を打っている)
イギリス家当主のジェイコブ・ロスチャイルドはN・M・ロスチャイルド&サンから締め出され、ここを所有しているのはイギリス家分家のイヴェリン(国籍はスイスに移した)とフランス家当主である。

アメリカで巨大に成長しロスチャイルドからの独立を画策したロックフェラー家(2世の子供達)の中でロスチャイルドと組んでいたのは末っ子のディビット・ロックフェラー。
N・M・ロスチャイルド&サンから締め出されたイギリス家当主のジェイコブ・ロスチャイルドは、ロックフェラー4世(本家で3世の息子)に近づいた。
しかしながら、ディビット・ロックフェラーも、ジェイコブ・ロスチャイルドも、ロックフェラー4世も皆さん力を落としているとか(ご高齢で亡くなった方もいるくらいですからねぇ・・)。
2000年前後からロスチャイルド系とロックフェラー系の銀行や企業の統合が相次いでいる。


ラザール・フレールの顧問になった日本人がいる。澄田智である。

澄田智(1916-2008)
群馬県出身の第25代日本銀行総裁、元大蔵事務次官。
群馬県高山村に陸軍軍人・澄田睞四郎の長男として生まれる。父方の先祖は伊予国宇和島藩士の家系。

1934年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。同級生に中村彰(日本初の学士俳優)がいた。旧制第一高等学校を経て、1940年に東京帝国大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。しかし、戦争の為、すぐに大蔵省を離れ、海軍経理学校に入校・卒業し、その後、従軍先のセレベス島にて終戦を迎える。

戦後、大蔵省に復帰。銀行局長時代に金融効率化行政を手掛け、太陽銀行誕生に力を発揮、1969年8月から1971年6月にかけて大蔵事務次官を務めた。「大物事務次官」の要件とされる2年間の任期を全うする。同省退官後は、輸銀に総裁として天下り、輸銀退任後には日本銀行に進む等、いわゆる「ロイヤル・ロード」を歩み続けた。大蔵省局長級以上の人事に関しても、澄田 - 竹内道雄の大物次官経験者ラインが、大きな影響力を及ぼしていたとされた。

1979年、前川春雄日銀総裁の下で副総裁職に就いたのだが、前川が輸銀時代には澄田の部下であったため(澄田輸銀総裁時代に副総裁職に居たのが前川であった)、この人事は「逆転人事」として話題を呼んだ。5年間の雌伏の時を経て、1984年に念願の第25代日本銀行総裁に就任。戦後、大蔵省の「ロイヤル・ロード」を極めたのは、山際正道・森永貞一郎に続いて3人目のことであった。

日銀総裁の座に就いた澄田の前には、日米貿易摩擦と円高圧力の難局が待ち受けていた。折からのアメリカの対日貿易赤字の拡大に際して、アメリカ側は日本側への政治的圧力を強めてきていた。1985年のプラザ合意でドル高是正が行われ、円レート決定は完全な自由相場制に移行し急激な円高となった。


日本航空123便が墜落したりプラザ合意が行われた1985年の日銀総裁は澄田だった。
1989年に日銀総裁を退任し後、ラザール・フレール顧問に就任している。
1993~2008年という長期に亘り日本ユニセフ協会の会長を務めている。
ユニセフ(UNICEF:国連児童基金)は、「世界中の子どもたちの命と 健康を守るために活動する」国連機関だそうだが金融機関と考えて差し支えないないであろう。


澄田智は澄田睞(らい)四郎の長男である。
澄田らい四郎
日本の陸軍軍人。陸士24期、陸大33期。最終階級は陸軍中将。

本籍愛媛県。澄田忠興陸軍中佐の四男として名古屋で生れる。広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1912年(明治45年)5月28日、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月砲兵少尉に任官し重砲兵第4連隊付となる。陸軍砲工学校高等科を卒業し、澎湖島重砲兵大隊付、陸軍重砲兵射撃学校教官などを経て、1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(第33期)を首席で卒業した。

由良重砲兵連隊中隊長、陸軍省軍務局付勤務(砲兵課)、軍務局課員、フランス駐在などを経て、1925年(大正14年)から3年間、フランス陸軍大学校で学んだ。フランス滞在中には、フランスに留学していた甘粕正彦とも親交があった。

帰国後、陸大教官、参謀本部員、兼軍令部参謀、フランス大使館付武官、陸大教官、参謀本部課長、野砲兵第3連隊長、砲兵監部員、独立重砲兵第15連隊長などを歴任し、1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級した。


澄田らい四郎は愛媛県の家系で、本人は名古屋で生まれ広島で育っている。
戦前からフランスとの関係が深かった人物。
第二次世界大戦中はインドシナ(ベトナムなど)、中国で任務に就いた。
その息子である澄田智が何故に群馬県生まれなのかと言うと、澄田らい四郎の妻・静枝が群馬県の高山村の出身だからである。
静枝は製糸と紡績業で財を成した高山の地主である松井家に生まれた。
静枝の父・松井貫一はキリスト教徒であり、高山村に教会(日本キリスト教団・名久多教会)を開いた信者の1人。
松井貫一の長男(静枝の兄)・松井萬緑は、加島銀行常務、大同生命取締役、第一銀行広島支店長を歴任した。

加島銀行や大同生命でピンと来るかもしれないが、NHKの朝ドラ『あさが来た』の主人公モデルである広岡浅子(大同生命創業者)と関係がある。
広岡浅子は三井家のお嬢様である。(しかしながら浅子は三井家男子が外に作った子供で母親も定かではない。浅子は三井家に養子入りした)
浅子の夫となったのが大阪の豪商・加島屋8代目の次男の広岡信吾郎(分家・広岡商店)。
夫は遊び人で、浅子が仕事に精を出し、本家(加島屋)と一緒に加島銀行を設立。その後、大同生命を創業。
浅子は三井家から嫁ぐ際にお手伝いも一緒に連れてきたが、夫はそのお手伝いと恋仲になり、お手伝いは広岡信吾郎の子を4人産んだ。(浅子との子は1人)
そのうちの1人が松井萬緑と結婚したのである。
ちなみに広岡浅子もクリスチャンである。

お手伝いが産んだ男児・広岡松三郎(大同生命取締役)の妻・澤田貞子の兄の妻は岩崎久弥(弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)の長女。
澤田貞子の別の兄の子供にはカトリック司祭にになったり、上智大学教授になったりしている者がいるので、カトリック教徒であると考えられる。
ちなみに今人気の(?)棋士ひふみん(加藤一二三、福岡県出身)もカトリック教徒である。

・1970年12月25日に下井草カトリック教会で洗礼を受ける。
・1971年10月にバチカンでおこなわれたマキシミリアノ・コルベの列福式に参列。列福式の前後にはヨーロッパ各地を訪れた(初の外国旅行)。1982年10月10日におこなわれたコルベの列聖式にも参列し、コルベの出身地・ポーランドも訪れた。
・1986年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章。有事の際には馬に乗って駆けつけなければならない、と、将棋観戦記者である東公平に語ったのは、湾岸戦争の話をしていた時であった。
・自戦記などを書くとき、必ずと言っていいほどキリスト教のことに触れる。「キリスト教について」という章名を入れることさえある。「将棋世界」誌で自戦記を連載した際も、毎回必ず冒頭にキリスト教の話題を持ち出した。
・対局中の望ましい態度として、「元気いっぱい、明るい気持ちで、前向きに積極的に、快活で、勇気を持っていること(ひるんだり、弱気になったり、落ち込むのは良くない)」が大事であり、いい状態を持続させるために祈ったり歌を歌ったりする。
・夫人と共に、麹町の聖イグナチオ教会で、カップル相手に結婚講義を行っている。


ちなみに将棋ソフト不正使用疑惑を掛けられた三浦弘行九段は群馬県出身である。



日銀総裁からラザール・フレールの顧問になった澄田智の父親・澄田らい四郎は「中国山西省日本軍残留問題」の中心人物である。

残留の発端は、中国共産党軍(中原野戦軍)と対決していた閻錫山が内戦の本格化を見越し、日本人らの大規模残留を希望。これに城野宏や河本大作ら現地の関係者が同調し、結果、当時3万人いた民間人のうち約1万もの人数が残留に応じる。

閻錫山は、蒋介石の中国国民政府の軍人であり重鎮である。
第二次世界大戦前後の中国にはこのような関係があった。

  蒋介石(中国国民党)vs日本・アイゼンベルグ
  ラッセル商会(アメリカ)vs日本・満洲・昭和通商
  サッスーン商会(イギリス)vs日本・満洲・昭和通商・アイゼンベルグ

  漢民族vs満洲民族(少数民族であるが清の支配層であった)
  漢民族(原住民)vs漢民族客家(北から南下してきた漢民族で我こそが正統であると主張する)
  満洲民族vs漢民族客家
  国民党vs共産党vs北洋軍閥(満洲は北洋軍閥の流れを汲む)


大戦で日本は敗北した。蒋介石(中国国民党)は連合国サイドに立って日本に宣戦布告したのだから、蒋介石(中国国民党)にも敗北したという形になる。
中国では戦後に国民党と共産党の内戦が始まった。
そして天下を取ったのが中国共産党(中華人民共和国)で、台湾に追いやられたのが中国国民党(中華民国)。
日本は国民党と戦っていたのだから国民党は憎きライバルだったはず。
ところが反共産党で団結し、そのライバル国民党と手を組んだというのだ。(日本はよっぽど共産党がお嫌いなのですね)
戦う気満々だったのか、ただの残留希望なのか分からぬが、現地に3万人いた日本人民間人(戦時中にもかかわらず敵国に3万人もの人がいたのですね。満洲中心かな)の実に1/3が中国残留を希望したという(調査したんですかね?)

これに日本軍の一部(当時山西省を担当していた澄田睞四郎中将麾下の支那派遣軍第一軍将兵59000人)が同調。紆余曲折の末、在留邦人および日本兵を合計した約2600人が戦闘員(特務団)として現地に残され閻錫山の軍隊に編入、終戦後も4年間の内戦を戦うこととなった。
4年間のうちに約1600名は日本へ内地帰還できたが、残り約1000人のうち約550名が戦死、残りは人民解放軍により長きにわたる俘虜生活を強いられた。

この残留では、A級戦犯としての追訴を免れると同時に日本軍兵力の温存を望む澄田睞­四郎と共産軍と戦うために国民党軍の戦力の増強を目論んだ閻錫山との間で不明朗な合意が結ばれ、当時の現役日本兵のうち残留を希望しない者も正規の軍命により残留を余儀なくされたと主張する元残留日本兵が、軍人恩給の支給を求めるという形で訴訟を起こしている。

しかし、日本政府は残留兵を「志願兵」とみなして「現地除隊扱い」とし、原則として恩給等を補償しないという姿勢である。2005年には本件で最高裁判所に上告したが敗訴している
。仮に日本政府がこれを軍命による残留と認めると、ポツダム宣言に定める日本軍の武装解除に違反することになるとされる。


国民党を支援していた日本は中国の内戦でも負けてしまったわけだが、旧日本軍が台湾(中華民国)を秘密裏に支援してきたということはよく語られることである。(私も前に書いたことがある)


岸信介と吉田茂は、昭和通商の里見甫とともにアヘンの密輸出入や販売に携わっていた。
アイゼンベルグがサッスーン一族を駆逐してアヘン販売網を奪取できたのは、この日本勢の協力があったからである。
上海から日本に来たアイゼンベルグは里見甫とも出会っていたのである。

アメリカのラッセル商会でアジア担当だったウォーレン・デラノ・ジュニアが紅幇いう中国の秘密結社と取引をしており、その紅幇は蒋介石を支援したと前記事に書いたが、イギリスに貢献したサッスーン商会もやはり蒋介石を支援していた。
その蒋介石は日本と戦っていたわけだから次のような関係になる。
これはもうアメリカとイギリスは蒋介石を支援するしかない。
でもアメリカとイギリスは歴史的背景からしてそれほど仲が良いわけではない。


ラッセル商会はロックフェラー系、サッスーン商会はロスチャイルド系。
共産党政権の中華人民共和国を共産主義国以外で真っ先に承認したのはイギリス。

満洲は日本に置き換えられるので、中国(国民党)と日本(北洋軍閥・満洲)の勢いのどちらもを抑えたければ共産党を支援するしかない。
サッスーン商会を潰されたイギリスにとってはアメリカを牽制する意図もある。さらに余計なことをさせないためにイギリスはアイゼンベルグも取りこんでおいたのだのだろうか。
ともかくロスチャイルドはアイゼンベルグによってアジアのアヘン市場をだいぶ縮小させられてしまった。


ちなみにFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の初代副議長は、ウォーレン・デラノ・ジュニアの息子である。
ウォーレン・デラノ・ジュニアの孫にあたるのが第二次世界大戦中のルーズベルト(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)大統領。 
原爆開発にそれほど積極的ではなく1945年4月に急死した。

世界一の人口を誇る中国での麻薬販売に多大な功績を果たしたサッスーン商会。
しかし第二次世界大戦後、中国在住のサッスーン一族はアイゼンベルグによって駆逐され、麻薬販売網が奪取された。
ではそのアイゼンベルグとは何か?

・アメリカ最大のマフィアであり、麻薬ネットワークを構築している。
・金銭で殺人を請け負う「殺人株式会社」と呼ばれている。
・イスラエル建国の中心的存在であり、あらゆる産業を支配している。国家そのものと言っても過言ではない。





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by yumimi61 | 2017-06-29 13:53