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2017年 06月 30日
日本国憲法の秘密-507-
ブッシュ政権で国家安全保障問題担当副大統領・チェイニー副大統領首席補佐官・ブッシュ大統領補佐官を兼任していたルイス・リビーの律家としての師匠というか上司というか親分というかが、アンドレ・マイヤー。
ラザード・フレールを代表する人物となった。
そしてゴア家、ケネディ家、リンドン・ベン・ジョンソン大統領をクライアントに持ち、CBSの会長を長く務めた。
デイビッド・ロックフェラーを育てたのもアンドレ・マイヤーである。

アンドレ・マイヤ―は顧問弁護士と紹介されていることも多いが、前記事に書いたように16歳で学校を中退しており、彼は法的な法律家ではない。(職歴もメッセンジャー→銀行マン)
「顧問弁護士」と言うよりも「顧問」と言った方が相応しいであろう。
もっとも松本重治がインタビューで次のように答えていたことがあるので(過去記事にも書いた)、上の方の世界では法的資格など別に必要ないのかもしれないが。

■国際弁護士時代
ある日、大船駅のホームで、いとこの松方正広君にばったり出会った。彼の弁護士事務所に机を置かして貰えまいかと頼んだところ、快く引き受けてくれた。・・・私は外国からの技術導入を専門に扱う「国際弁護士」になった。・・・私はジャーデイン・マデイソン社の顧問弁護士もやっていた・・・


日本では通常、大学の法学部や法科大学院(2004年に創設された制度)を卒業したからといって、弁護士になれるわけではない。
まず司法試験に受かる必要がある。その上で司法修習生として決められた期間の修習と研修を受け、最終試験に合格しなければならない。
松方重治は経歴を見る限り、日本でも外国でも弁護士資格を取得したような経歴ではない。
松本重治は日銀の松方家と親戚で、松方三郎と親友。ロックフェラーらと日本に国際文化会館を設立して理事長となった人物である。


ルイス・リビーはマーク・リッチの顧問弁護士だった。

マーク・リッチ(Marc Rich, 1934-2013)
ベルギー出身の起業家、相場師。スイスの商品取引大手であるグレンコア社の創設者。

ベルギーのアントウェルペンにてユダヤ人の家庭に生まれる。出生名は Marc David Reich。1941年にナチを避けて一家で渡米。高校卒業後、ニューヨーク大学に進学するが、一学期で退学。すぐにディーラーとして働き始め、貴金属取引の分野で頭角を現す。
1974年、グレンコア社の前身である商品取引会社マーク・リッチを共同創業。

イランからイスラエルに必要量の石油を極秘にパイプライン輸送で供給する合弁事業を何年にもわたって成功させた。イランとイスラエルとの間の非公式仲介者として活動し、またイスラエル諜報特務庁(モサド)の活動を財政面で支援した。アパルトヘイト政策のため経済制裁を受けていた南アフリカ共和国へ総額20億ドル(約1780億円) 相当の石油を販売した。

1970年代のオイルショックの際には巧妙な原油取引により巨億の富を手にした。しかし、パートナーのピンカス・グリーンと共謀して脱税やイランとの不正な石油取引を行った疑いで、1983年にアメリカの検察当局から起訴される。当時、リッチはスイスにいたが、連邦捜査局(FBI)の「10大重要指名手配犯リスト」に名前が載ったためにアメリカに帰ることは事実上不可能になった。1984年には欠席裁判で有罪判決を受けた。

2001年1月20日、任期終了数時間前のクリントン大統領から恩赦が与えられた。しかし、これに先立ってリッチの元妻デニス・アイゼンバーグ・リッチが民主党に総額100万ドル以上の献金を行っていたため、一部のメディアで「金で恩赦を買ったのではないか」と物議をかもした。クリントンの決定の裏側には、イスラエル政府からの嘆願や、リッチが献金していた名誉毀損防止同盟からの圧力も存在したと伝えられている。

リッチは赦免を獲得するや否や、石油・食料交換計画のスキャンダルに絡む事業でサッダーム・フセインと協力を行っている。



マーク・リッチは1966年32歳の時にデニス・アイゼンバーグと結婚した。(1996年離婚)

デニス・アイゼンバーグ・リッチは作詞家(Joy Denny)である。
シスター・スレッジ(アメリカ出身の4姉妹グループ)の"Frankie”という楽曲を作詞したことによって他の有名歌手の作詞も手掛けるようになる。
シスター・スレッジは1971年にマイナーデビュー、1972年にメジャーデビュー、1975年にアルバムデビュー。
1979年に“He's The Greatest Dancer”と“We Are Family”が大ヒットするも、その後は低迷。
しかし1984~1985年にイギリスで再びヒットする。
"Frankie”は1985年にイギリスで1位に輝いた。(アメリカでは50以内にも入らず)


マーク・リッチはまずフィリップブラザーズという非鉄金属のトレーディング事業を行う会社に入った。この会社はロスチャイルド系である。
宝の山とはよく言ったもので、非鉄金属を含む産業廃棄物のスクラップを買い取り、それを金属メーカーに持ち込んだり海外に輸出したりして、新たな金属としてリサイクルする事業がある。
アルミ缶などを集める廃品回収はお金になりますね?それと同じ。
レアメタルという言葉を聞いたことがあると思うが、あれも非鉄金属である。
買い取るということは、買取価格があるわけで、買取価格にはやはり相場がある。だから投機の対象にもなる。

日本に来たショーン・アイゼンベルグが新日鉄の永野重雄を紹介されてスクラップ工場を設立したと過去記事に書いたが覚えているだろうか?
まあ、そういうことである。

ユダヤ人であるアイゼンベルグ家は1938〜1939年にかけてアルプスを越えてスイスに入った。
スイスから西ヨーロッパに移動し、1940年の終りにはオランダにいた。
第二次世界大戦がの最中にオランダから中国の上海に向った。上海には各国・各組織の諜報員たちが蠢いていた。
そして日中戦争の最中の1940年にショーン・アイゼンベルグは日本にもやって来た。
彼は日本で、日本人女性と結婚したオーストリア人の画家と接触した。その画家もスパイだったのだろうか
日本人女性は官僚の家系の娘だったという。
こうしてアイゼンベルグは財界四天王の一人である永野重雄を紹介され、終戦直後にスクラップ工場を設立している。
またアイゼンバーグは日本人と結婚して日本国籍を取得している。
そのお相手はオーストリア人画家と官僚家系日本人夫妻の娘だという説もあれば、永野重雄の娘とする説もある。(永野重雄の次女の夫は日本銀行職員) いずれにせよその娘はユダヤ教に改宗した。


ショーン・アイゼンベルグは日本に来てまず日本人と結婚したオーストリア人の画家と接触したが、マーク・立地の妻のデニス・アイゼンバーグ・リッチもオーストリアのデペロッパーと親密な関係がある。
「アイゼンベルグ」と「アイゼンバーグ」は言語による読みの違いであって同じ姓である。
この2人も何らかの関係があるのではないか。

今ではすっかり忘れているかもしれないが、私はデイビット・ロックフエラーが頭取だったこともあるチェース・マンハッタン銀行の日本人の国際諮問委員会メンバーについて書いていたところで、今は住友化学社長だった長谷川周重と住友に関連して話が広がっている最中である。
長谷川周重の妻の父親は禅を外国に紹介したという鈴木大拙のパトロンだった。
鈴木大拙とベアトリス夫妻には実子がおらず、イギリス人男性と日本人女性の間に生まれた子供を養子にしたのだが、その子は鈴木勝(アラン勝, Alan Victor Suzuki)で、後に『東京ブギウギ』の作詞者となるということを過去記事に書いた。
作詞者を送り出しているという共通点もあるのだ。

住友商事のサイトにはマーク・リッチとフィリップブラザーズに関する記述がある。

住友商事グローバルリサーチ 資源商社の盛衰
2015年10月23日 住友商事グローバルリサーチ 代表取締役社長 高井 裕之

世界最大の資源商社グレンコアの株価が9月末、上場時から9割近く下げた。ロンドン上場は2011年5月。上昇基調だった商品市況が下方転換したタイミングであり、資源ブームの潮目の変化を象徴するかのようだ。

 グレンコアの創業者は伝説の商品トレーダーと呼ばれたマーク・リッチ氏である。筆者も以前、ロンドンの夕食会でご一緒したことがあるが、一線を退いたとはいえユダヤ系のベルギー人トレーダーは神秘的オーラを放っていた。

 そもそも資源商社という業態はユダヤ系ドイツ人が1901年に創業したフィリップブラザーズ(略称フィブロ)が源流とされる。元来フィブロは非鉄金属を扱う商社で、リッチはそこで丁稚奉公をしつつ商売のイロハを学んだ。

 リッチは石油トレードで頭角を現す。1970年代に入り石油メジャーから主導権を奪還した産油国が独自で取引を始めた際に、リッチはその取引を仲介しフィブロの稼ぎ頭に躍進する。その後、彼が独立して興したグレンコアの前身が、自身の名前を冠した商社マークリッチだ。



ロスチャイルド系のラザール・フレールで育ったアンドレ・マイヤ―はアイゼンベルグの顧問であった。
ゴア家、ケネディ家、リンドン・ジョンソン大統領の顧問でもあった。
デイビッド・ロックフェラーを育てたのもアンドレ・マイヤーである
アンドレ・マイヤ―の部下のルイス・リビーはマーク・リッチの顧問弁護士だった。アル・ゴアの顧問弁護士もしていた。
ルイス・リビーは天然痘流行によって冬の北日本の宿屋で立ち往生した旅行者という設定で怪しげな小説を書いている。
マーク・リッチの妻の姓はアイゼンベルグ。
ブッシュ政権で副大統領になったディック・チェイニーはアイゼンベルグの大株主であった。
アイゼンベルグは戦後、中国にいたサッスーン一族を駆逐して麻薬販売網を奪取した。日本に来たアイゼンベルグ他、日本の協力があった。サッスーン一族もロスチャイルド系である。

マーク・リッチは1973年の第一次オイルショックで億万長者となる。
その翌年ソ連に乗り込み、マークリッチという会社を設立して麻薬や武器の生産と販売を始めた。




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by yumimi61 | 2017-06-30 18:10