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2017年 07月 06日
日本国憲法の秘密-510-
マーダー・インクの説明に「組織は一連のメンバー逮捕および実刑確定により事実上消滅した」との記述もあったが、逮捕されたからメンバーとして知られたのであって、逮捕されること無く潜伏したメンバーいただろう。
また逮捕されてもその生涯の多くを知られていないメンバーもいる。
死刑になった者もいるが出所した者もいる。
そもそもマーダー・インクを組織したボスたちが生き延びており、全米犯罪シンジケートが消滅したわけではなかった。

ボクシングのヘビー級王者となったチャールズ・"ソニー"・リストン(Charles "Sonny" Liston)のバックには、ボクシングプロモーターでフィラデルフィアマフィアの裏の顔を持つフランク・パレルモやニューヨークマフィアのルッケーゼ一家の一員でマーダー・インクの殺し屋でもあったフランキー・カルボなどが付いていた。

フランク・パレルモとフランキー・カルボ、「フランク」に「フランキー」である。
マーク・リッチと1966年に結婚したデニス・アイゼンバーグは、シスター・スレッジに"Frankie”(フランキー)という曲の歌詞を提供した。
この曲はアメリカの歌手フランク・シナトラ(Francis Albert "Frank" Sinatra)のことを書いたそうである。

フランク・シナトラ
現在も歌い継がれる数々の世界的大ヒット曲やゴールドディスクを世に送り出し、その卓越した歌唱力によって「ザ・ヴォイス」と称された。エルヴィス・プレスリーやマイケル・ジャクソンなどと並び、20世紀を代表する歌手の一人である。

第二次世界大戦前の1930年代より死去する1990年代までの長きに渡り現役の歌手として活動し、数々のミリオンセラーを連発し、また多くのミュージシャンに影響を与えた。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位にランキングされた。

しかし、デビュー期からイタリア系マフィアとの深い関係が度々取りざたされており、またマフィアを介してジョン・F・ケネディ大統領と親密な交友関係を持ち、ケネディの大統領当選に貢献したものの、後に仲たがいしたことから、同大統領の暗殺に関与したと噂されたこともある。



シナトラとマフィアとの関係

●タブー
シナトラはその生涯にわたり、イタリア系マフィアとの黒い噂が絶えなかった。実際にマフィアの大物のサム・ジアンカーナやカルロ・ガンビーノ、ラッキー・ルチアーノなどのイタリア系マフィアの歴代の大ボスとの交流があったことが、FBIの資料で公になっており、その資料は合計で2,403ページにも及ぶことから、いかに深く広いつき合いがあったかわかる。

しかも、このことは「公然の秘密」であったにも関わらず、メディアのインタビュアーがマフィアとの関係を尋ねることはタブーとされていて、実際に尋ねてしまった場合はインタビューは即時中断し、そのインタビュアーは二度とシナトラに対するインタビューはできなかった。

なお、有名なニュースアンカーのウォルター・クロンカイトがインタビュー番組の収録の際、番組のプロデューサーにけしかけられてシナトラにマフィアとの関係を尋ねてしまった際には、怒ったシナトラが自らのマネージャーを呼びつけて中座し、インタビューは中止された。その後、シナトラとマネージャー、プロデューサーの話し合いの後に再開し、シナトラより「興行先で興行主がマフィアであると知らず同席することはあった」との説明があったに留まった。


●最初の結婚
1940年代、シナトラはジェノヴェーゼ・ファミリーの副ボスウィリー・モレッティと友人となった。シナトラの最初の妻だったナンシー・バルバートはモレッティと縁のある人物のいとこであった。

●『ゴッドファーザー』

シナトラが『地上より永遠に』の脇役に抜擢されるまでの有名なエピソードがある。つまり、カムバックを狙ったものの、映画界における女性スキャンダルが元で役につけなくなったシナトラが、「育ての親」であるサム・ジアンカーナに泣きつき、最終的にジアンカーナが裏で「マフィア的に」動いて役に抜擢されたというものである。

このエピソードは後に、イタリア系マフィアの血族を描いた映画、『ゴッドファーザー』で取り上げられ、世間に知られるようになる(映画上ではさすがに実名ではなく、「ジョニー・フォンテーン」と言う芸名になっている)。

その後、あるパーティーに、「ゴッドファーザー」の原作者のマリオ・プーゾとシナトラとが同席していて、知人がプーゾをシナトラに紹介しようとしたところ、「Fuck off(うせろ)!!」と怒鳴ったのは有名な話である。


●ケネディ大統領暗殺事件
娘のナンシーによれば、ケネディが1960年の大統領選挙に立候補する際、ケネディの父親で、密造酒商売を通じてマフィアと繋がりが深く、禁酒法時代に密造酒製造・販売で財を成してのし上がった過去があるジョセフ・P・ケネディが、シナトラの歌手デビュー当時から密接なつき合いがあるイタリア系マフィアの大ボスで、ショービジネス界を裏で握っているジアンカーナに選挙運動に協力するように頼んでほしい、とシナトラに頼んだと証言している。
(略)
しかしケネディは大統領当選後、ケネディ家とジアンカーナをはじめとするマフィアとの関係を怪しんだFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーに忠告を受けたため、マフィアの協力で大統領に当選したことが表ざたになることを恐れた弟で司法長官となったロバートが、大統領就任後にジアンカーナをはじめとするマフィアとの繋がりがあるシナトラを露骨に避けた上、この様な事実のもみ消しのために「マフィアを徹底的に取り締まる」と発表し、実際にジアンカーナとシナトラとの関係を一方的に断った。

このような無礼な仕打ちに怒ったジアンカーナとシナトラは徐々に反ケネディに傾いて行き、ジアンカーナは「ケネディ大統領暗殺事件の黒幕の一人」と言われ、シナトラも「ケネディ大統領暗殺の際に何らかの役割を果たしたのではないか」、「ケネディ兄弟の暗殺はシナトラやジアンカーナへの裏切りに対する報復であっただろう」と言われる根拠となっている。ちなみにシナトラはケネディ大統領暗殺事件の直後、自分が出た映画「3人の狙撃者」のフィルムを回収して回った。なぜなら、そこでのシナトラの役は大統領狙撃未遂の主犯の上官だったからである。



「フランクに話そう」などと言うフランク(frank)は率直というような意味で用いられている。
日本語ならば「明け透け」といった感じだろうか。
本音で話し、嘘はつかない、隠し事はしない、年齢や身分、立場などの上下関係も関係なくフラットな感じで接する。
好感を抱く人もいれば無遠慮で礼儀知らずな嫌な奴と感じる人もいるだろう。
このフランクの語源になったのは、3世紀頃に隆盛した西ヨーロッパのフランクという部族集団である。
気取らない率直な性格で自由な社会を築き、且つ勇敢で強かった。
その特徴が英語のfrank(フランク)の意味となった。

flunk(フランク)ならば落第や失敗という意味である。
flunky(フランキー)ならば制服を着た使用人、下働きや助手、卑屈にぺこぺこする人、おべっか使い、太鼓持ち、取り巻き、ごますり(yes-man)、取るに足りない奴、言い成りになる人などの意味で、frankとはだいぶ意味が違ってくる。

フランキー(franky)と書いた場合は「フランクな人」という意味合いになるのだろうか?
シスター・スレッジの楽曲はFrankieと書いてフランキーである。Frankieとflunkyを掛けたとか!?

FrankやFrankieは、Francis(フランシス)という名の愛称として用いられる。
フランシス(Francis)は、アッシジのフランチェスコに由来する英語圏の男性名及び姓。
フランス語圏ではフランソワ、イタリア語圏ではフランチェスコ、ドイツ語圏ではフランツとなる。

アッシジのフランチェスコは、フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士。「裸のキリストに裸でしたがう」ことを求め、悔悛と「神の国」を説いた。中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりであり、カトリック教会と聖公会で崇敬される。また、「シエナのカタリナ」とともにイタリアの守護聖人となっている。


要するにFrancis(フランシス)、Frank(フランク)やFrankie(フランキー)はカトリックに関連のある名前である。


フランク・シナトラの説明に、マイケル・ジャクソンなどと並び20世紀を代表する歌手の一人とあったので、ついでにマイケル・ジャクソンの「ファミリー」について。
と言っても、ジャクソン5でも、お姉さんでも、お父さんでも、子供達の話でもない。

実はマフィアのグループは「ファミリー」と呼ばれる。だからそれが気になっている。ソニーだけにね!?
今更と言えば今更でもありますが、この動画の1:14あたり、「僕らはファミリーなんだ」という字幕がでるが、実際英語で何と言っているのか聞き取れない。(なんて言ってますか?その前がI love you なのは分かります)


マイケルの死後に設立されたジャクソン・ファミリー財団は御存知だろうか?(ファミリーですけど大丈夫ですか?)
なんと日本支部がある。→http://jffj.jp/greeting.html
Engilish→http://jacksonfamilyfoundation.ning.com/

慈善団体であるジャクソン・ファミリー財団は、マイケル・ジャクソンの悲劇的な死後、ジャクソン・ファミリーの全歴史とマイケル・ジャクソンの壮大な遺産を維持する為の献身的な目標と共に、マイケル・ジャクソンのジャクソン・ファミリーの家長であるジョセフ・ジャクソン、女家長であるキャサリン・ジャクソン、そして、わたくしサイモン・サフーリによって設立されました。

日本支部の代表は古賀賢治というお方。

古賀賢治
日本の芸術家、グラフィックデザイナー、アートディレクター。長崎県生まれ。東京都在住。
代表作ともいえる切手のコラージュ「平和の象徴」が、ニューヨーク国連本部のパーマネント・コレクション(永久保存)に日本人として初めて選出。
「平和の象徴」は、小さな紙片の中に人と人を結びつける力を強く秘めた切手に、世界の平和を希求する想いを託したものである。

20世紀の世界各国の使用済み切手と、国連が過去40年間に発行した切手による作品(この作品のみオリジナル制作。
他はすべてシルクスクリーンプリント)、それら合計8点のアート作品が国連郵便管理局によって永久保存されている。
また1994年、国連で開催された“自然災害軽減世界会議”の記念切手案が国連切手デザイン委員会の決定を経て、1994年に選出される。
オリジナル絵画3点およびデザインを手掛けたその作品は、1995年、ニューヨーク、ジュネーヴ、ウィーンのそれぞれの国連より20世紀最後の国連記念切手として発行された


国連尽くし。

凄く長いですが、年譜も貼っておきます。
国連難民高等弁務官事務所が度々出てくるが、ここもカトリックに関係あり。

1974年 - ニューヨーク渡米。アートワーク活動開始。

1982年 - デザインオフィス株式会社C.Y.A設立。

1992年 - NGO団体(主に国連難民高等弁務官事務所への支援)日米アースサクセス委員会ニューヨーク本部設立。同年8月日本支部設立。現在に至る。
マイケル・ジャクソンよりワールドツアー日本公演の際、「マイケル・ジャクソンワールド」のイメージ空間デザインの依頼・制作。

1993年 - ニューヨーク、アートディレクターズギャラリーにて個展開催。
ニューヨーク、ミューチュアル保険会社本社ギャラリーにて個展開催。ニューヨーク国連本部にて原画2点、シルクスクリーン6点の永久保存特別レセプションが行われる。

1994年 - 国連記念切手「国際防災の10年」の世界コンペへ作品提出、ニューヨーク国連本部デザイン査問委員会の決定を経て選出される。
伊勢丹デパートにて個展開催。横浜にて「自然災害軽減世界会議」へ特別出展。(日本で初めての国連国際会議。皇太子徳仁親王・同妃雅子さまが観覧した。)

1995年 - ニューヨークメットライフ(旧パンナムビル)保険ギャラリースペースにて個展開催。
「自然災害軽減の10年」の記念切手、ニューヨーク国連本部、ジュネーヴ国連支部、ウィーン国連支部から販売される。国連認定の難民救済募金箱設置スタート。(以後一年に一回国連難民高等弁務官事務所を通し基金の寄付を行っている。)阪神・淡路大震災被災者に対するベネフィットCD作成・参加。ジャズ界よりハービー・ハンコック、キース・ジャレット、パット・メセニー、チャールズ・ロイド、坂本龍一他海外アーティスト数十人参加。阪神・淡路大震災被災者、高校生・大学生6000名のためのフリーチャリティコンサートを企画・開催。ハービー・ハンコック・トリオ、小曽根真、菊池雅章他多数出演。

1996年 - 伊勢丹デパートにて個展開催。
1997年 - 銀座ミキモトアートギャラリーにて個展開催。

1998年 - 第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの弟、ロバート・ケネディ司法長官の次男ロバート・ケネディJr. (リバーキーパーズ財団を率いて河川汚染問題を主軸にした環境汚染を追求するアメリカ屈指の人物)を日本へ招聘。東京・京都で日米アースサクセス環境セッションを主催。

1999年 - メキシコ「サンイグナシオ・ラグーン(環礁)」の野生動物・植物(世界遺産候補地)が絶滅の恐れがあるため日米アースサクセス委員会とロバート・ケネディJr.並びに世界環境保護協会(アメリカ最大のNGO)、世界有数の学者が現地に集まる。

2000年 - 「ニース国連世界水会議」に出席。
「国連難民高等弁務官事務所・創立50周年記念コンサート」を開催。その際ニューヨークより「アメリカ公民権運動家」でもあり「ジャズ界のゴッド」でもあるマックス・ローチ・カルテットを招聘。2001年 - 天台宗総本山・比叡山延暦寺にて黒沢久雄、小林大僧正等とのパネル・コラボレーション。

2003年 - 「KENJI KOGA ANIMAL ARTBAG」ブランド、ニューヨークデビュー。

2006年 - <ダ・ヴィンチ・コード展>総合アートディレクション。最新のデジタル技術を駆使した「ダ・ヴィンチの謎」を六本木ヒルズで展開した。会場内で販売されるウォッチ・グラスなどのアート作品のプロデュースも手掛ける。

2010年 - LEDウッドオブジェ<ル・コルビュジエへのオマージュシリーズ>制作。近代建築の三代巨匠の一人、ル・コルビュジエ後期の代表作「ロンシャン礼拝堂(1955年竣工)」。その礼拝堂内部の南壁に無数に作られた「光入れのためのステンドグラスのカタチに魅せられ、マホガニーとLEDを組み合わせた作品である。尚、同時に<”ポスト侘び寂び”>としてウッドアートオブジェの作品も発表された。

2012年 - 5月皇居前に位置する「パレスホテル東京」がグランドオープン。その一階ロビー部分に設置されたデジタルサイネージ作品「淋派・狩野派などの日本の名画シリーズ」のアートディレクションを手掛ける。淋派・狩野派などの重要文化財クラスの名画の新しい見せかたを展開。新しいパブリックサイネージデザインを提案した。



何故にジャクソン・ファミリー財団日本支部の代表を務めているのか?
マイケル・ジャクソンとの関係はワールドツアー日本公演の際にイメージ空間デザインを依頼をされたかららしい。






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by yumimi61 | 2017-07-06 00:17