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2017年 07月 09日
日本国憲法の秘密-513-
カナダはその昔イギリスとフランスの植民地だった。植民地争いから英仏戦争も勃発したが(イギリス勝利)、フランス人もそのまま住み続けるなど多様な面をみせる。
以降もカナダは多くの移民・難民を受け入れてきた。
カナダはアメリカ同様に移民の国である。
アメリカが「人種のるつぼ」なら、カナダは「人種のモザイク」である。

るつぼとは異なる金属を溶かして混ぜ合金を作るための道具である。
融け合ってしまったため元の金属がそれぞれ個を主張することはない(少なくとも表面上は)。あくまでも新たに出来た合金であり、それは均質等質である(でなければならない)。
モザイクは違う。
モザイクと言うと「モザイク処理」を思い浮かべる人が圧倒的に多く、やはり個を消すというイメージを抱くかもしれないが、モザイクとは装飾(アート)の事である。
小石や大理石、色ガラスやタイル、木片や貝殻など異なる材料で様々な模様や絵を表現 する技法や、その絵画(装飾)の事。
性質や姿形の異なる物が1つの絵を構成するが、材質そのものが融け合うということはない。
るつぼは現実的に融け合っているが、モザイクは現実的には融け合っていない。モザイクに融け合うという表現を使うとすればそれはあくまでも感覚的なものである。
アメリカは移民に対してアメリカという新たな国家に融けることを求める。アメリカの価値観に沿って暮らせということである。
一方のカナダは、元の民族国家の特徴そのままの共同体を作ってくれて構わないという国である。
だからカナダの中でも場所を移せば、イギリスであったりフランスであったりウクライナであったりイタリアであったりインドであったり韓国であったりする。逆に言うと「カナダ人」というものがどういう人達なのか分かりにくい。
モザイク処理に当てはめて考えたいならば、モザイクがかかっているのはカナダ人ということである。
移民というのは今に始まったことではなく、かなり古くからいたが、歴史的にも「人種のモザイク」が一般的である。だからこそアメリカは特別に「人種のるつぼ」と言われてきたという背景がある。

カナダがイギリスから完全に独立したのが1982年。しかしながら今でもイギリス連邦王国の1つである(カナダの君主はイギリスのエリザベス2世女王)。



カナダのシーグラムはブロンフマン一族のものである。
ブロンフマンを一躍有名にしたのは、1917年にアメリカで可決された禁酒法で1920年から全面的にアメリカ全土で全面的な禁酒が始まると、隣国のカナダにあったブロンフマン家は、ギャングやマフィアの重要な酒を調達するための供給源となった。
ブロンフマンも積極的にギャングとマフィアを巧みに操りながら、酒を密売し、天文学的な財を築いた。その結果、ブロンフマンはわずか数年で一躍北米有数の大富豪の仲間入りを果たし、「造酒王」の称号をほしいままにした。



・エチェル・ブロンフマン(初代)
1898年にルーマニアからカナダへ移住。売春業から始まり、アメリカのユダヤ系ギャングと組んで大規模な酒や麻薬の密輸密売を行って巨万の富を築く。
マイヤー・ランスキーの作った全米犯罪シンジケートにも供給していた。
その金でジョセフ・E・シーグラムが創業した「ジョセフ・E・シーグラム&サンズ社」という酒造会社を買収して、あえて「シーグラム」という社名にした。


・フィリス・ブロンフマン(2代目)
イスラエルのランベール銀行の経営者の娘ジーン・ランベールと結婚。
ランベール銀行はベルギーの貴族ランベール一族が創立した銀行である。
ランベール銀行はイスラエル建国資金の一部を出資しているのでイスラエルの株主のようなもの。


・エドガー・ブロンフマン(3代目)
彼は4人と5回結婚しているが、そのうちの1人(1953年結婚‐1973年離婚)がアン・ローブである。
彼女の父はウォール街の投資銀行家であるジョン・ランゲロス・ローブで、母はリーマン・ブラザーズのリーマン一族出身である。


※ランベール銀行
ランベール銀行はベルギーを本拠としている銀行でベルギーの貴族ランベール一族が創立した。
ランベール銀行はベルギーのソシエテ・ジェネラル(Société générale de Belgique)の親会社でもある。
(フランスにも「ソシエテ・ジェネラル」が存在する)


※ソシエテ・ジェネラル
ベルギーのソシエテ・ジェネラル(Société générale de Belgique)
ベルギー最大の持株会社で,コンツェルンを形成。本社はブリュッセルにある。1822年にブリュッセルの商人,金融業者たちが,通貨の混乱を克服し為替取引の便を図るために発券銀行として企画。当時ベルギーを統治していたオランダ国王ウィレム1世は,これを認可するに当たってその定款を大幅に修正し,自らも大口の出資を行ってその性格を国家財政の下請機関に変え,名称も銀行の名を避けて〈全ネーデルラント産業振興会社Société générale des Pays‐Bas pour favoriser l’industrie nationale〉とした。


フランスのソシエテ・ジェネラル(Société générale S.A.)(ソジェン)
フランスの預金銀行。クレディ・リヨネ,商工信用銀行,パリ国民銀行(パリ割引銀行の後身)とともにフランス四大預金銀行と呼ばれる。本店パリ。1864年にクレディ・モビリエと対立関係にあったパリの有力銀行家および産業企業家たちにより,通常の銀行業務のほかに,長期の産業金融などあらゆる金融業務をも営む〈混合銀行〉としてパリに創設された。同行は創設の当初から,パリおよび地方への支店・営業所の開設を積極的に進め,70年までに47の店舗を設置し,フランスの銀行の中で最初に全国支店網を完成させた。
ロスチャイルドの主導によってベルギーのソシエテ・ジェネラルがフランスに設立した。(イギリスにもジェネラル・クレジットを設立し、エジプトや近東で活躍)
フランスのソシエテ・ジェネラルは1945~1987年まで国有化されたが、その後また民営化した。
国有化時代もフランスの中央銀行であるフランス銀行が理事会の席を占めていた。
このフランス銀行は創立以降、株主総会への出席者は出資額の上位200人だけに許された。そしていわゆる200家族に支配された。フランス銀行は統計上4万名の株主がいたが、大株主は彼ら家族であった。その代表格がロスチャイルドで常任理事でもある。
フランスのソシエテ・ジェネラルはロスチャイルドは主導したものの出資はしていなかったが監査役に就任していた。

※ベルギー国立銀行
ベルギーの中央銀行。欧州中央銀行制度に参加している。日銀のモデルとなり、ユーロ導入前は独自通貨ベルギー・フランを発行していた。
ベルギー総合会社は国立銀行と別の経済主体であるが、しかし国立銀行の設立時に通貨発行権を譲った歴史をもっており、現代へいたるまでの経営史も他行との関わりにおいて興味深いため、一節を割いて説明している。

日本銀行創設者である松方正義はフランス蔵相レオン・セーからベルギーの国立銀行をモデルにするようにアドバイスされたのである。

上記の説明の「ベルギー総合会社」が「ベルギーのソシエテ・ジェネラル(Société générale de Belgique)」のことである。

(ベルギー総合会社は)ウィレム1世が発起人であり、彼とその家族が株式の大部分を保有した。この会社は旧教会領や工業会社のデベロッパーとして大掛かりな抵当貸付を営む一方、政府銀行家として国債を発行したり、中央銀行として発券したり貯蓄銀行の資金を預かったりした。

そこにライバルが現れる。
1835年、対抗馬となるベルギー銀行をチャールズという男がつくった。ベルギー銀行はジョン・コックリルと組んで、ベルギー総合会社とロスチャイルドが1832年から計画してきたパリ=ブリュッセル鉄道の利権を奪った。1838年の金融危機に、ベルギー総合会社は250万フランの即時手形(2-3日以内)をベルギー銀行へ突きつけて、このライバルを潰そうとした。もっとも、1830-40年代にベルギー総合会社はしばしばロスチャイルド家と国債引受を共同した。1840-48年の間にベルギー総合会社は国王の持株を買収した。1848年革命でベルギー総合会社とベルギー銀行がともにデフォルトしてしまった。国家経済を立て直すべく、ベルギーは双方の銀行券を法定通貨として認めた。すなわち、1851年にベルギー国立銀行が両行の発券権能と国庫金出納を吸収して開業に至ったのである。このときベルギー総合会社は国立銀行株を1万株取得した。
結局両者は共存。

ベルギーのソシエテ・ジェネラル(ベルギー総合会社)は1988年にスエズ金融の傘下に入る。
(スエズ金融の前身はスエズ運河会社。スエズ運河会社はエジプトスエズ運河を建設し所有した会社。海上だけでなく海底にイギリス産のケーブルが通った。1966年まではイギリス王室の持株比率が4割近くを占めていた。設立者はフランスの外交官。1958年にスエズ金融に改称し銀行を創設。フランスのリヨン水道の主要株主となる。そのリヨン水道と1997年に合併してスエズSAとなり、2008年にはフランスガス公社と合併して世界第2位の電気ガス事業者である)
傘下のベルギーのソシエテ・ジェネラルは1998-1999年にフォルティス・フィナンシャル・グループに売却。
フォルティス・フィナンシャル・グループはオランダの保険会社が合併して出来たグループ。そこにベルギーのソシエテ・ジェネラルが加わり、オランダ国有化を経て、2010年にはオランダ東インド会社の経営に参加したホープ商会の後継である銀行と200人家族に含まれる一族が設立したABNアムロ銀行に吸収合併された)


2020年東京オリンピックのエンブレムがベルギーリエージュ劇場のロゴと酷使していた問題があった。
リエージュ劇場(仏: Théâtre de Liège)は、ベルギーのリエージュ市にある劇場。古くからテアトル・ド・ラ・プラス(Théâtre de la Place)の名で知られていたが、2013年の新施設建築(併設)と同時に改称された。
フランス語共同体においてワロニー王立歌劇場、リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団と並び「三大文化施設」とされている。

その三大文化施設をこともあろうに「こちらが真似するほど(相手方は)有名ではなかろう」的な発言をした人が結構いたが、日本銀行からしてベルギーの国立銀行をモデルにしている。


※グループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)
ベルギーの投資会社。
ベルギー国内で十指に入る会社で1956年からBEL20の構成銘柄となっている。2014年12月31日現在、ロスチャイルドのイメリーズを支配している。GBL のルーツはランベール家にある。GBL のレオン・ランベールはパリ家ギュスターヴのひ孫である。

1975年、ロスチャイルド系のランベール銀行がブリュッセル銀行(1871年ジャック・エレラが創業)と合併してGBL となった。

GBLは翌1976年にフランシス・マーティン・ドレクセルが創業したアメリカの銀行の支配権を得る。
フランシス・マーティン・ドレクセルはオーストリア生まれで、イタリアのカトリック教会でイタリア語と絵画を学ぶ。
1817年にアメリカに移住。
1837年に永住権を取得した後、アメリカ大手金融会社の1つとなるDrexel&Co.を設立。
メキシコ・アメリカ戦争とアメリカ内戦で連邦政府との金融取引に携わる。
創業者が1860年に死去し息子が事業を継承。J
1868年にパリの会社Drexel、Harjes&Co.が設立され、1871年にはJ. P. モルガンと提携してニューヨークにDrexel、Morgan&Co.を設立。
だがその後、会社は傾いて行く。
幾つかの合併や改称を経て、1976年にベルギーに本拠を置くグループ・ブリュッセル・ランバート(Groupe Bruxelles Lambert、GBL)に吸収され、ドレクセル・バーナム・ランベール(Drexel Burnham Lambert)という社名になった。
1980年代の企業乗っ取りの中心にいたのがこの会社。ブロンフマン×ランベール一族の賜物のような銀行。
ランバートに吸収合併される前からドレクセルにいて、1980年代にジャンクボンドの帝王"Junk Bond King"として名を馳せたのがマイケル・ミルケン。
傾いていた会社はアメリカ5位の投資銀行となりウォール街に欠かせない会社へと変貌を遂げた。

ドレクセル・バーナム・ランバートは、そうしたリスクのある社債をすすんで引受けたのである。
格付け会社の評価でリスクプレミアムがついた社債を、ハイイールド債とかジャンク債という。これをドレクセルが引受けた理由は、第一に利回りが良いからである。第二はミルケンがリスク分散する方法を考えたからだった。

しかしマイケル・ミルケンの不法行為が発覚。
ジャンクボンド市場は世論から非難されるようになった。ミルケンを解雇したドレクセルは顧客を失い倒産した。ミルケンは禁固10年の判決を受けた。刑期は司法取引で2年に縮んだ。出所後はかつての顧客を取り戻し、公然とM&Aのアドバイザーなどを務めるようになった。ミルケンは第1回イグノーベル賞を受賞した。

2017年ドナルド・トランプが大統領となった。トランプは1990年前後に経営難で苦しみ、ゴールドマン、ロスチャイルド、フィデリティなどから支援を受けていた。ラファージュとHSBCが支援するヒラリー・クリントンは敗れた。いずれのスポンサーにも、グループ・ブリュッセル・ランバートや、その株主のBNPパリバが関係している。アンタントが終わるまで民衆と富豪の戦いは何世紀でも続く。(アンタントはフランス語で協約・協商)

BNPパリバは欧州1位のメガバンク。
BNPは元はフランスの国立銀行。
パリバの元はオランダ貯蓄信用銀行とパリ銀行。







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by yumimi61 | 2017-07-09 11:47