2017年 07月 11日 ( 1 )

2017年 07月 11日
日本国憲法の秘密-514-
・エチェル・ブロンフマン(初代)
1898年にルーマニアからカナダへ移住。売春業から始まり、アメリカのユダヤ系ギャングと組んで大規模な酒や麻薬の密輸密売を行って巨万の富を築く。
マイヤー・ランスキーの作った全米犯罪シンジケートにも供給していた。
その金でジョセフ・E・シーグラムが創業した「ジョセフ・E・シーグラム&サンズ社」という酒造会社を買収して、あえて「シーグラム」という社名にした。


・フィリス・ブロンフマン(2代目)
イスラエルのランベール銀行の経営者の娘ジーン・ランベールと結婚。
ランベール銀行はベルギーの貴族ランベール一族が創立した銀行である。
ランベール銀行はイスラエル建国資金の一部を出資しているのでイスラエルの株主のようなもの。


・エドガー・ブロンフマン(3代目)
彼は4人と5回結婚しているが、そのうちの1人(1953年結婚‐1973年離婚)がアン・ローブである。
彼女の父はウォール街の投資銀行家であるジョン・ランゲロス・ローブで、母はリーマン・ブラザーズのリーマン一族出身である。


前回、ブロンフマンに関連して、※ランベール銀行、※ソシエテ・ジェネラル、※グループ・ブリュッセル・ランバートのことを書いた。その続きである。


※EU(欧州連合)
欧州の統合はベネルクス3国によるベネルクス関税同盟に始まった(1948年)。
ベネルクス三国とはベルギー・ネーデルランド(オランダ)・ルクセンブルクである。
この3国の中心がベルギーの首都ブリュッセルだった。
だからここから発展したEUの本部もベルギーのブリュッセルにある。
関税同盟のベネルクス3国の他にフランス・ドイツ・イタリアが加わり1952年に欧州石炭鉄鋼共同体が作られる。
1957年にその6か国が欧州経済共同体と欧州原子力共同体を設立(ローマ条約)。
1967年には、欧州石炭鉄鋼共同体・欧州経済共同体・欧州原子力共同体の3つの共同体の運営機関が統合される。
1993年にEUが発足した後も2009年までこれらの共同体は存続していた。
ここから見えるのは、最初に出来た共同体とEUは同じ流れの上に乗っているようでいて、微妙に違うのではないかということである。
インナーシックスは第二次世界大戦の戦いで負けた国である。
ベネルクス3国とフランスは早々ドイツに負けた。イタリアとドイツも結果的に敗戦国となる。
戦いに敗れた国々が手を組んだのが共同体だった。
だから共同体はどちらかと言うと防衛的。それに対してEUは攻撃的である。
EU発足の際、本部はベルギーのランベール銀行に置かれていたという。

共同体の中で今現在残っているのは欧州原子力共同体のみで、この欧州原子力共同体はEU発足後にEUの下部機関という位置づけになったが、ほぼ独立して存在している。宙に浮いているような感じ。核開発の怪しさはここにも浮かび上がっている。


昨年のEU残留意思を問う国民投票の記憶が新しいイギリスであるが、イギリスの迷いは今に始まったことではない。戦後から続いている。
当初インナーシックスと呼ばれるベルギー・ネーデルランド(オランダ)・ルクセンブルク・フランス・ドイツ・イタリア以外のヨーロッパの国は共同体に懐疑的であり、インナーシックスも拡大を望んでいたわけではなかった。
イギリスはアメリカと同様に戦勝国である。戦いに敗れ去った国とは少し違う。
イギリスの最初の加盟申請は1961年。加盟が実現したのは1971年なので、最初の申請から実に10年の歳月を要している。
これにはイギリスがアメリカの内通者になることを懸念してフランスなどが加盟を拒否したという歴史がある。
第二次世界大戦後の世界は束の間の平和を享受しながら疑心暗鬼に満ち溢れていた。
イギリスの加盟の条件は保守党政権が受け入れた。
そのため1975年に労働党が政権を取った際に労働党は国民投票で残留の意思を国民に問うも、残留支持67%で維持された。

下記はEUの組織や機関の本部が置かれている場所。イギリスの名はない。

欧州委員会(ベルギー)
欧州議会(フランス)
欧州理事会(ベルギー)
欧州連合理事会(ベルギー)
欧州司法裁判所(ルクセンブルク)
欧州会計監査院(ルクセンブルク)
経済社会評議会(ベルギー)
地域委員会(ベルギー)
欧州投資銀行(ルクセンブルク)
欧州中央銀行(ドイツ)・・・1998年設立。ドイツ連邦銀行及びドイツの州立銀行をモデルにしている。
欧州原子力共同体(ベルギー)


※イギリスとドイツ、イギリスとベルギーの切っても切れない関係
1714年からイギリスの王家はドイツ出身となっている。ドイツのハノーファー公国の君主の家系からイギリス君主が出たのでハノーファー公国を冠した王家となった。
1901年にドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公国を冠する王家となる。
1901年の改称は「大英帝国」を象徴する女王として知られるヴィクトリア女王の後から。
ヴィクトリア女王の母がザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系の人物であり、ヴィクトリア女王の夫は母の兄の子であるので(いとこ婚)、やはりザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系。
こちらの公国の名を使用したというわけである。
現在のウィンザー家も第一次世界大戦中で敵国となったドイツの名を冠した家名を避けて改称したもので、流れ自体は続いているからドイツ出身の家系である。
またヴィクトリア女王の母の弟が初代ベルギー国王(レオポルト1世)となった。ベルギーとも親戚なのだ。
ついでに言うならば、ベルギーとオランダの王家も親戚である。

ベルギーやドイツは第二次世界大戦で敗れて共同体を作った。勝ったイギリスはそれとは立場が違う。
がしかし元を正せば、イギリス王家はドイツ出身である。
イギリスはドイツの血を分けた国なのだ。ドイツにも同じ勝者としての血が流れている。そう思っても不思議はない。
ベルギーにしたってそう。ベルギーはドイツに負けたが、ベルギー王家もドイツ出身である。兄弟喧嘩では敵わなかったが他人には勝てると思っても不思議はない。


※ドイツとイギリスとフランスの複雑な関係
第一次世界大戦よりもっと前、ナポレオン戦争(1796-1815)以前の状況は過去記事に書いた通り。

ロスチャイルドが台頭してきたのは、カトリックとプロテスタントの対立(宗教改革)に端を発する貴族の勢力争いである。
オーストリアやチェコスロバキアの辺りを中心に広大な領地を支配していたハプスブルク家(神聖ローマ帝国君主家でありカトリックの盟主)は、北や西側のドイツの小中領邦をも統一して大ドイツ帝国の実現を目指していた。
このハプスブルク家に対抗してドイツ周辺の王族を統一し新王国の建設を企てたのがヘッセン家という貴族。
ヘッセン家はドイツ中部に領地を持っていた。
ハノーヴァーやプロシア、ザクセン・ヴァイマール、バエルンなどを統一し、プロテスタントのルター派やカルヴァン派(スイス・蓄財は悪ではない派)と繋がる君主を立て、絶対王政を敷こうとしていた。
ロスチャイルドは元々はヘッセン家の金庫番であった。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)

■諜報活動担当(通信・郵便):タクシス家 ・・当主としてヨーロッパ一の地主。モナコの産業を支配下に置く。ベルギーが本拠地。
■軍事担当(傭兵):スイス、サヴォイ家・・・麻薬販売、ダイアナ元妃を暗殺したとも言われている。
■資金担当:ロスチャイルド家
(全てがハプスブルク家とヘッセン家どちらの勢力にも加担していた。 vsオスマン帝国(イスラム)という戦いもあった)

1714年よりイギリスの王家がハノーヴァー出身となる。つまり反ハプスブルク家(カトリック)、親ヘッセン家(プロテスタント)ということになる。
フリーメイソンは当初反イギリス・反イングランド国教会であった。つまり親カトリック。
アメリカに渡ったのは反イギリス・反イングランド国教会の教徒たち(ピューリタン)で、それはフリーメイソンとも深く関係していた。アメリカをイギリスから独立させた勢力とも言える。
啓蒙思想などを介してフランスのフリーメイソンにも応援を求めた。
それら勢力とアメリカで戦ったイギリス正規軍はヘッセン家(プロテスタント)が調達した。
一方イルミナティは親カトリック(親教皇)。ヘッセン家から破門された男爵が支援しており、神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)側に取り込まれ、反ヘッセン家(反プロテスタント)組織となった。

ハプスブルク家(カトリック)vsヘッセン家(プロテスタント)
ハプスブルク家(カトリック)vsイギリス王家(ヴェルフ家・ハノーヴァー出身・プロテスタント)
        フリーメイソンvsイルミナティ

⇒フリーメイソン+イルミナティ

右側サイドがやや劣勢に立つ。
そこに登場したのがナポレオン!ヨーロッパの王族や貴族はこの新しい敵を前に一致団結!!
この反ナポレオン勢力に資金を貸し付けたのがロスチャイルド家で、傭兵を貸し出したのがヘッセン家。
ナポレオンはカトリックの権威を利用しようとカトリックに近づく。
しかしナポレオンはイエズス会の残党がいたらしいロシアやプロイセンの反撃により失脚を余儀なくなされる。
ナポレオン撃破に貢献したのはカトリックということで教皇の地位も上がりイエズス会は晴れて復活。
かつてカトリックに対立したヘッセン家は傭兵と郵便支配(ナポレオン戦争のドサクサに紛れてタクシス家を掌中に収めた)で大儲け。ヘッセン家の財産はロスチャイルドがロンドンに移し守ってくれた。
両者win-winで万歳!!


この頃、フランスは親プロイセンで、イギリスは親オーストリアだった。フランスとイギリスは植民地戦争を行っていた。フランスとイギリスは因縁の仲である。

ナポレオンはカトリックを利用しようとして逆に利用される形になった。
イエズス会が復活したのはナポレオンが失脚した1814年のことである。
復活後のイエズス会は急激な成長を遂げた。

イルミナティはローマ教皇がヨーロッパ王家の圧力に屈してイエズス会を解散した時に起こったイエズス会内紛をきっかけに設立された組織。「解散に怒った人達(可愛さ余って憎さ百倍派)」と「怒らなかった人達(何事も淡泊あるいは相も変わらず派)」がいたのであろう。イルミナティは怒らない人達が結成した。
またイギリスは王家がドイツ出身の家系となった時にイギリスには首相が誕生していて、以降政治の中心が王家から内閣へと変わっていった。従って反イギリス王家=反イギリスという短絡的な図式が成り立たなくなっていく。

ややこしいことに、ドイツは古くから領邦の国(連合国家のような国)なので、簡単に「ドイツ」と括れない側面がある。
それぞれの領邦に権威者がいたのでその権力争いもあったし宗教の違いによる戦いもあった。
歴史的なドイツをごく簡単に分ければ、ドイツも北部と南部に分けられる。
かつてのドイツ南部はオーストリア周辺であり、現在はドイツではない。
カトリックのローマ教皇と組んだハプスブルク家、神聖ローマ帝国が支配した地域である。
北部の代表はプロイセン王国で、オーストリアとプロイセンは1866年に戦争を行い、プロイセンが勝利している。それはカトリックの敗北も意味する。
イギリス王家の出身公国もドイツ北部に属していた。
勝利したプロイセンがオーストリアを除いてドイツ統一を果たし、1871~1918年の間、プロイセン国王がドイツ皇帝となった。
ドイツの産業界の台頭が脅威だったことを背景に第一次世界大戦は勃発したが、もうひとつ重要な要素としてカトリックが(ドイツ南部がドイツ北部に)敗北していたということもある。


※ロスチャイルドはフランキスト?カトリック?
ロスチャイルド家の祖はマイアー・アムシェル・ロートシルト(独: Mayer Amschel Rothschild)(1744-1812)
ロスチャイルドは英語読み。フランス語ではロチルド。
神聖ローマ帝国生まれ。
親戚の紹介でハノーファー王国のユダヤ人銀行家オッペンハイム家に丁稚奉公した。ここで宮廷御用商人(ほとんどがユダヤ人なので「御用ユダヤ人」とも呼ばれたの業務を学んだ
ハノーファーはイギリス君主を輩出した国である。
マイアー・アムシェル・ロートシル(ロスチャイルド家)はその後ヘッセン家の金庫番として台頭する。
父親の仕事を手伝っていた彼の息子5人が5か国(ドイツ・オーストリア・イギリス・イタリア・フランス)に散らばる。
この5人のロスチャイルド兄弟(ロスチャイルド家)に貴族の称号と紋章を与えたのはハプスブルグ家のオーストリア皇帝であった。1822年のことである。
ハプスブルグ家はカトリックとともに歩んだカトリックの擁護者。

ロスチャイルド家の祖マイアー・アムシェル・ロートシルトはユダヤのゲットーで生まれたユダヤ人である。
マイアー・アムシェル・ロートシルトの父親はユダヤ教徒であった。
マイアー・アムシェル・ロートシルトが金庫番を務めるヘッセン家はプロテスタント一家である。
マイアー・アムシェル・ロートシルト死後10年目にロスチャイルド家を貴族にしたのはカトリックのハプスブルグ家であった。

ロスチャイルド家は神秘主義(オカルト)を信奉していたと言われている。
神秘主義も元々の意味から変異して、黒い貴族の周辺で好まれ、キリスト教とユダヤ教の垣根を超えて結合した。
先日「フランク」や「フランキー」の話をしたが、ユダヤ教の神秘主義者にフランクがいて、フランクの信奉者をフランキストと言った。

ヤコブ・フランク(1726-1791)
ヤコブ・フランクは、ポーランド出身のサバタイのような“自称メシア”で、ユダヤ教の救世主思想を「この世の悪や不幸を人為的に頂点にまで満たして、この世を破壊し尽し、メシアを到来させる」という危険な思想に転換させた。
ヤコブ・フランクとその信者(=フランキスト)たちは、正統派ユダヤ教のラビ から破門されたが、フランキストたちは「改革派ユダヤ教」と名称を変え、ユダヤ教の中で一大勢力となっている。
そして、このフランキストがサバタイ派と結びつき、キリスト教徒・イスラム教徒・仏教徒たちの中に紛れ込んで、危険な終末思想を実現しようとしている。
さて問題は、世界を支配するユダヤ王ロスチャイルドが、ただの大富豪ではなく、タルムードを信奉していて、しかもサバタイ派=フランキストに属して いることである。
世界中で起こっている、まるで地球を滅ぼそうとしているかのような数々の破滅的な出来事の裏には、政治・経済・軍事・宗教・メディア・教育等を支配する一 族の意向があるのではないだろうか?

サバタイ派フランキストより>

1700年代半ば、当時のポーランド領(現在のウクライナ)においてヤコブ・フランクがフランク主義(フランキズム)を掲げて社会運動を起こした。
フランクは自らがシャブタイ(サバタイ)・ツヴィの生まれ変わりであると主張した。


サバタイ・ツヴィ(1626-1676)
トルコ出身のユダヤ人である。
激しい躁鬱病患者であったサバタイは、自分がメシアであるとの自覚を持っていたが、彼をメシアと認める人はいなかった。しかし、カバラ学者のナタ ンと運命的な出会いをし、ナタンはサバタイを「メシアだ」と宣言した。信用あるナタンの宣言により、人々はサバタイをメシアとして受け入れた。
サバタイは、イスラム教やキリスト教などの内部に、彼らの味方のふりをして入り込み、内部から腐らせ、無力化させて最終的には崩壊にいたらせるという戦法 を説いた。このアイディアは、屈辱的に改宗せざるをえなかったマラーノたちに希望と言い訳を与えてくれるものでもあった。このサバタイの思想は、 多くの熱狂的な信者を獲得し、ユダヤ人の間に大ムーブメントを起こした。

サバタイ派フランキストより>

シャブタイ派は、その中心人物たるふたりのカバリスト(カバラ思想信仰)の出会いをきっかけに誕生している。そのふたりとは、奇人として知られていたシャブタイ・ツヴィ(サバタイ・ツヴィ)(1626年〜1676年)と「ガザのナタン」ことアブラハム・ナタン(1643年〜1680年)である。
アブラハム・ナタンはエルサレムで生まれ育ち、シャブタイと出会った頃に幻の中で「シャブタイ・ツヴィこそがイスラエルの救世主である」という預言を受けたそうである。

フランク主義者(フランキスト)の多くはユダヤ教の伝統的なモラルを無視して放蕩にふけり、シャブタイ派思想の本質的な部分をさらけ出していた。フランクも同様に仲間を集めて擬似家族と小規模な王国を作り、仲間内で近親相姦を繰り返していた。この運動は1759年に信奉者(フランキスト)たちが大勢キリスト教に改宗したことにより終焉を迎えているとされる。

ユダヤ教の正統派からは異端とみなされていた。ただし現在のユダヤ教がシャブタイ派の影響を少なからず受けていることは事実である。

ロスチャイルドもユダヤのフランキストからキリスト教に改宗したのだろうか?
1700年代はプロテスタントのヘッセン家の金庫番をしていた。
その父が亡くなり、息子達に貴族の称号を与えたのはカトリックのハプスブルク家である。
カトリックに改宗したのか。それともずっとフランキストだったのか。









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by yumimi61 | 2017-07-11 14:29