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2017年 09月 05日
日本国憲法の秘密-549- (加計学園問題について)
西の小林一三、東の五島慶太。
阪急電鉄の小林、東急電鉄の五島。
東宝(と宝塚)の小林、東映の五島。
こういう対立関係にあった。
小林一三は慶應義塾→三井出身の実業家。
五島慶太は東京帝大→官僚の実業家。
小林、五島ともにやり手な事業家ではあったが、東急電鉄の創業者は五島ではなく渋沢栄一の田園都市株式会社であり、小林はその会社に密かに関与していたので五島は最初からビハインドな立場にあった。
小林は阪神(近畿)のイメージがとても強いが、出身地は山梨県である。
東急電鉄の株式を保有していた小佐野賢治も山梨県の出身である。小卒で上京し自動車部品の会社で働き、戦時中に東京トヨタ自動車に入社し、後に独立した。
小佐野賢治は故郷山梨をこよなく愛していたそうで、山梨県に小佐野賢治記念財団が設立されている。


倒産寸前にまで陥っていた東映は、借金が11億円(2006年の貨幣価値に換算すると数100億円)にも膨らんでいたが、住友銀行の鈴木剛頭取と交渉して融資を引き出した。東映再建には、東急専務で「経理の専門家」として五島が多大な信頼を寄せていた大川博を社長として派遣し、見事に3年で立ち直らせた。東映再建が失敗していたら五島家は破産していたといわれる。(でも今は東宝の独り勝ち状態)
住友銀行の鈴木剛は広島県、京都大学出身。住友銀行の西野田支店長時代、融資先であった松下電器産業の松下幸之助や三洋電機の井植歳男と出会い交流を深めた。
(三洋電機は新潟中越沖地震での子会社被災をきっかけに経営危機に追い込まれる。にもかかわらず倒産を回避しパナソニックとの経営統合によって巨大企業が消滅するという日本経済史上初の事例となった。倒産すれば会社が消滅するのは分かるが、ネームバリューのある大企業を統合再建する場合は通常そのまま名を残すことが多い。例えばシャープなど。しかし三洋電機はそのブランドを残すことを許されなかった。)
(住友銀行は現在は三井住友銀行となっている。銀行名を見ると三井銀行と住友銀行が合併して三井銀行がやや優位だったのかと思うかもしれないが、この合併は複雑。もともと三井系の銀行より住友銀行のほうが圧倒的に力があった。がしかし「さくら銀行」と「わかしお銀行」が絡んだ合併によって力関係が微妙な感じになっている)
大川博は鉄道院にて五島の先輩であった。経理に非常に明るかった。



(五島慶太は)1955年に横井英樹の白木屋乗っ取りに手を貸し、これに東横百貨店を吸収、「強盗慶太」の健在ぶりを知らしめる。
「強盗慶太」は慶應閥が五島慶太に付けたあだ名。(「ごとう」と「ごうとう」を掛けています。そんなの分かってるから?)五島自身も結構この名を面白がっていたようだ。
そんな五島を慕ったのが横井英樹だった。
横井は愛知県出身で小卒。しかしながら戦争で儲けた口で不動産業にも乗り出す。
横井は暗礁に乗り上げた白木屋(材木商→呉服屋→百貨店)買収の際に五島に頼み込んだ。

白木屋側、横井側も疲弊しきっていた。そこで横井は東急の五島慶太に買収を頼む策を講じる。横井は白木屋の株を買い取りをお願いするため、ほぼ毎日朝の6時に五島の家の前に立ち出勤を見送り、旅行に行く際には東京駅まで列車が出発するまで見送るなどしていた。その熱意によって五島は白木屋の買収に乗ることになる。ただし1株350円でしか引き受けないという条件であった。結果的に横井は5億8000万も損したことになる。

1956年(昭和31年)1月半ば、五島は築地にある料亭に横井と鈴木一宏を招き、五島は「君たち“五島学校”に入学せんかね、君たちのような生きの良い若い勝負師と組んで、まだまだ面白い仕事をしてみたい」と言い、それを聞いた横井は「五島会長、お言葉ありがたくちょうだいさせていただきます。今回の株の損は五島学校の入学金と思えば別に高いとも思えなくなってきました」と五島学校の門下生となった。しかし鈴木は門下生にはならなかった。白木屋乗っ取り騒動の一件で横井は五島という後ろ盾を得、その後も五島の企業買収にエージェントとして関わることが多かった。

次なる買収は東洋製糖。
後一歩で経営権を取得できるところまでいったところで、横井英樹襲撃事件が発生する。さらに五島が急死、東急を継いだ五島の長男・昇は、東急が横井に協力して買い占めていた東洋精糖の株式を東洋精糖の経営陣側に譲渡するなどの調停案(岸信介の絡みで永田雅一がまとめた)で合意し、東急は乗っ取りから撤退、東洋精糖の乗っ取りは結局横井が一人孤立してしまう格好になってしまう。このため、五島邸へ直接出向いて抗議している。
五島の急死が誤算だったのはいわずもがな、衝撃なのは長男の昇から横井は出入りを終生断られたことである。

五島慶太と横井英樹の関係をその息子は良かれと思っていなかったということだ。

五島慶太の死後は、五島門下生と言われた横井英樹と小佐野賢治が富士屋ホテルを巡って対立した。
横井も小佐野も五島慶太よりも30歳以上若い。
東京帝大卒の五島に対し、横井も小佐野も小学校卒という学歴しかない。
その2人が五島と仕事をしていたので、五島が師であり、2人は門下生と言われたわけだが、東急の株式を保有していた小佐野は横井とは立場が違う。
同じ五島慶太を師に仰ぎ、その五島から箱根の強羅ホテルを買った小佐野賢治がインテリに対する劣等感をぬぐえずにいたことに比べると、能天気でお気楽で執着心の強い横井の方が世間の注目を集めた。「ホテル経営は紳士の仕事」という名言とはそぐわぬ両雄ではあるが富士屋ホテルの支配権争奪をめぐり火花を散らすことになる。
このように小佐野にはインテリ(学歴)コンプレックスがあったようだ。一方の横井は能天気でそんなことは気にしないタイプ。
そして、五島から強羅ホテルを譲ってもらった(買った)のが小佐野賢治ならば、東京タクシーを譲ってもらったのが川鍋秋蔵である。

因縁はさらに続く。
1979年、横井英樹はホテルニュージャパンを買収した。
元の持ち主は藤山愛一郎、彼は藤山雷太の長男である。慶應義塾に銅像が出来るくらいの父を持っているわけだから当然慶應畑(但し大学は中退)。
大学中退したって別に困ることはない。父の興した藤山コンツェルンを継いで大日本製糖の社長となった。
1982年、ホテルニュージャパンは火の海と化し33人が死亡。
横井はホテル運営に違法があったとして実刑判決を受けて服役した。(藤山が持ち主の時に火災が起きていたら藤山愛一郎が服役していたということだろうか)


これまで見てきたように前川・前文科事務次官の縁戚関係から考えると、安倍首相サイドにいてもおかしくない人である。
そう受け取られても仕方ない背景を持っている。
では、あえてだからこそ前川事務次官の時に加計学園の獣医学部が新設が強力に推し進められたのだろうか?

獣医部新設は加計学園ありきだった。客観的事実と加計学園の背景からこれには同意できる。
加戸・前愛媛県知事は12年前も前から愛媛県は加計学園ありきだったと証言している。
加戸が愛媛県知事を務めたのは1999-2010年(3期12年)。
12年前は2005年なので、愛媛県は2005年から加計学園ありきで今治市への誘致を始めた。
当時はまだ国家戦略特区(2013年12月に国家戦略特別区域法制定)は存在しておらず、誘致に利用されたのは構造改革特区(2002年12月構造改革特別区域法制定)であった。
これは小泉首相(在位:2001年4月26日-2006年9月26日)の時に始まったものである。

特区で行われた規制の全国展開にあたっては、総理大臣を本部長とする構造改革特区本部に下に設けられた評価委員会が、各規制所管省庁との議論を経て、内閣総理大臣に意見を提出する。
初代評価委員長は、八代尚宏国際キリスト教大学客員教授。
その他の委員には、白石真澄東洋大学助教授、市川眞一クレディ・スイス証券チーフ・ストラテジストなどがいた。なお、当初は、三木谷浩史楽天会長や、野中ともよ三洋電機会長、北川正恭早稲田大学大学院教授も委員を務めていた。

例としては、認可第1号となった群馬県太田市(清水聖義市長)の外国語教育特区などがある。これは小学校から高校まで国語などを除き、すべて英語で授業を行うという構想である。


小泉首相は慶應義塾大学出身。太田市の清水市長も慶應義塾大学出身。
市長は特区で作った私立の学校の理事長となり、市長という権限を利用して公費を投入したことから地元では一頃問題になった。
慶應義塾大学に公務で行ったり、特区で作った学校の学生をとってもらえるように頼んでこようとツイッターで発言していたこともある。
三洋電機東京製作所は三洋電機の主力工場だったのだが、東京ではなくて群馬県の大泉町というところにあった。
太田市は2005年3月28日に「平成の大合併」を行い、新生・太田市となったが、大泉町は太田市との合併に合意しなかったため清水市長が嫌っていた。(市の名称でも太田か新田かで揉めた)
三洋電機が野中ともよを会長兼CEOに就任させるという人事を発表したのは2005年4月8日だった。


この三洋電機の奇抜な人事は従業員のみならず世間を仰天させた。
専門性や十分な経歴、民間企業での職歴などが微塵も感じられなかったからだ。
それがいきなり巨大企業のトップに立つ。誰だって驚く。
野中ともよ
東京都出身。都立富士高校卒。上智大学文学部新聞学科卒業後、アメリカ合衆国のミズーリ大学コロンビア校大学院に留学。帰国後フォトジャーナリストとしての活動を開始。
1979年からNHK総合テレビの報道、スポーツニュース番組でキャスターに就任。主な番組は、小林和男と共にキャスターを務めた海外ウィークリー、スポーツとニュース、サンデースポーツスペシャル等。
1993年から1997年にはテレビ東京・ワールドビジネスサテライトの2代目キャスターを担当した。
1987年には中京女子大学(現・至学館大学)の客員教授に就任。
1994年、上智大学大学院文学研究科博士前期課程修了。2001年には経済界大賞「フラワー賞」を受賞。ジャーナリスト活動のほか、各種社会団体の委員、アサヒビール、ニッポン放送等企業の社外取締役や日興フィナンシャル・インテリジェンス理事長、NTTドコモ、日興コーディアル証券経営アドバイザーなどとして活躍。
2008年5月には、国連IPCC議長であり、2007年度ノーベル平和賞受賞者であるパチャウリとの間で、パチャウリが代表を務めるインドTeriとガイアイニシアティブとの活動協力を続ける。


ご覧のとおり、彼女もカトリック系の上智大学卒。
新聞学科を出てジャーナリストやキャスターになった。それはよい。
だけど経営諮問委員というのは果たして適任なんだろうか?
社会的活動
宇宙航空研究開発機構(JAXA)経営諮問委員
産業総合研究所 経営諮問委員
文部科学省中央教育審議会委員(第2期~第3期)
NPO法人ガイア・イニシアティブ代表理事
NPO法人ポイントグリーン]理事 (POINT GREEN は、鴨下一郎元環境大臣が2002年からすすめるエンターテインメントや文化の発信力を活用して「多くの人々に環境意識を発生させる」ための活動)
アースデイ いのちの森 実行委員長



もう何度か書いているが、野中ともよは「安倍晋三を囲む午年の会」と「エンジン01文化戦略会議」のメンバーである。
「安倍晋三を囲む午年の会」の発起人はフジテレビの黒岩裕治キャスター(2011年4月より神奈川県知事)。彼もどちらのメンバーでもある。
「エンジン01文化戦略会議」は文化人とか芸能人とかいろいろな人がいるが、代表は作曲家の三枝成彰、幹事長は林真理子、副幹事長の1人が秋元康であった(最新を確認していないので変わっているかもしれませんが私が記事を書いた頃はそうだった)。
iPS細胞の山中教授もメンバーに名を連ねていた。
それでそのメンバーの大部分を渡辺プロダクションが引き受けていて、渡辺プロダクションはフランス政府やイギリス・ロスチャイルドとの関係を匂わせている。
過去記事、甍(いらか)三甍(いらか)四十八 器官51など参照してください。

有志の囲む会に参加しているくらいだからどっからどう考えたって野中ともよは安倍首相派であろう。
それとも発起人を重視してフジテレビ(フジサンケイグループ)とでも言えばいいのだろうか?
ともかく、そして三洋電機は消滅した。
エンジン01文化戦略会議は地方を回って、知事や議員や有力者を取りこんでいるみたいな感じ。










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by yumimi61 | 2017-09-05 14:18