2017年 09月 10日 ( 2 )

2017年 09月 10日
日本国憲法の秘密-553- (森友・加計学園問題について)
不動産の現況と権利関係を登記簿に記録して公示するのが不動産登記である。
法務省の地方支分部局である法務局が不動産登記という制度によって土地や建物を管理している。
その制度に基づいて国がその不動産が誰のものであるかを証明してくれる。
だから調べようと思えば誰が所有者なのか分かる。
また抵当権が登記されていれば、その不動産を担保にして誰がお金を貸しているかも分かる。


土地は法的に無期限の価値を持つし(減価償却されない資産)、土地を作ったり壊したりということは基本的に出来ないので(埋立地は別)、建物に比べると所有者や価値が動き難く、同時に明確にしておく必要がある。
一方の建物は劣化するし、造ったり壊したりも可能。
価値の増減は土地以上に大きい。
そんな建物の新築時登記には「建物表題登記」と「所有権保存登記」と「抵当権設定登記」がある。
「建物表題登記」は建物を新築した際に行う登記。
この建物の所有者は誰々さんであるという表札みたいなもの。借地に建てた場合などには特に重要である。
「所有権保存登記」は所有権登記のなかった不動産に初めてされる所有権の登記のこと。
「抵当権設定登記」は住宅ローンなど融資を受ける際に行われるもの。

登記のない建物の所有者になった者は不動産登記法に基づいて「建物表題登記」や「所有権保存登記」をする必要がある。
但し実際には未登記の建物は数多く存在する。
未登記となる一番の理由は銀行を介していないこと。要するに融資(ローン)で建物を新築したのではなくて手持ち現金で建てた場合。
また母屋は登記されているが、母屋以外の建物(離れ)を後から建てた場合の離れや増築部分が未登記であることなども多い。
未登記ならば固定資産税が逃れられるかと言えば、そんなことはない。
固定資産税は登記の有無に関わらず課税される。税金徴収への執念は凄まじく(?)、ちゃんと見回って発見するので見逃されることはまずないとのことです。


融資を受ける場合には何か抵当に入れる必要がある。
例えば銀行から3000万円借りようと思ったら、同じ価格(価値)程度の不動産を抵当として差し出す。
差し出すと言っても自分の物でなくなるのは万一返済不能となった場合の事で、返済が行われていれば不動産を実際に差し出す必要はない。
抵当権という権利をお金を貸してくれた人に渡すだけのことである。
完済すれば抵当権は抹消できる。
銀行もビジネスなのでそんなに気前よくポンポンとお金を貸してくれはしない。審査の上で貸してくれることになっても何か抵当権を設定する。
通常庶民が住宅ローンで家を新築する場合には、新たに新築する家の土地建物に抵当権が設定される。


抵当権それ自体は契約書も登記も必要なくて、お互いの意思表示つまり口約束だけでも成立する。
だからこそと言おうか、だけれどもと言おうか、言った言わない論争でなんとか有耶無耶にしてしまおうなんて考えは甘い。
お金を借りるということはそれだけの覚悟を持って行うこと。お金を貸すということはそれだけのリスクを背負うということ。
同時にお金の貸し借りは信用第一であるということでもある。
しかしながら抵当権は複数の人が持っている可能性がある。
1つの不動産に1つの抵当権しか設定できないということではないのだ。
例えば、1つの家にA銀行、B銀行、C社、3つの抵当権が設定されることもある。家の所有者は3か所から借金をしているということ。
借金返済に行き詰まれば、3者が返せ返せ返せと言い、それぞれ抵当権を主張する。
債権者平等という原則があるので、本来お金を貸している人の権利は平等であるべきなのだ。
しかし1つの価値を3等分したら到底貸した金額は戻ってこない。
貸した側がなるべく損をしないためには2者よりも優先して返してもらわなければならない。
それが抵当権の登記によって可能になる。
優先順位は登記の早い順なので、お金を貸したのは先だったけれど登記を忘れていて先を越されてしまえば、もう1番にはなれない。
だから抵当権が設定されたらすぐさま登記する必要がある。
銀行など第三者からお金を借りるときには、こうして第三者側から登記が求められるので未登記であるということはまずない。
また一般的に考えればあまり価値のない物件に2番目3番目として融資することはないだろうと思う。
お金を貸した当時の評価額よりも相当高値で売れなければお金が戻ってくることは考えにくいからだ。


抵当権を設定したら登記をすぐに行う必要があると書いたが、建物を抵当に入れるのに建物が存在していなかったら意味がない。透明では何の価値もない。
つまり建物の登記は基本的に建物が完成したら出来るということになる。
では建築主に引き渡される前(建設途中)の建物の所有者が誰かと言えば建設業者である。
建設業者は工事が完了したら所有権を建築主に引き渡し、工事完了引渡証明書を発行する。(その後に残工事をすることはある)
所有権が建築主に引き渡されていないのに登記することは出来ない。
「所有権保存登記」と「抵当権設定登記」の間が開いてしまうと、抵当権の順番に先を越されてしまう可能性があるので、これは同時に行ったほうがよい。

ここで問題となるのが融資(振込み)時期と業者への支払いの関係。
3000万円の工事費を融資してもらうことが決定したが、実際にお金が振り込まれるのは建物が完成し建築主に引き渡されて登記後になるということである。
例えば建設業者への支払いが、着手1000万、中間1000万、完成(引き渡し時)1000万だとすれば、とりあえずその3000万円を自分で用立てる必要がある。
通常建設業者は支払いのない工事を進めたり、支払いのない建築主に所有権の引き渡しを行ったりはしないから建築主はその工面が絶対必要となる。
とりあえず手持ちのお金を融通しておくか、実際に振込みが行われるまで他の所から借りるか(つなぎ融資)。
とりあえずの短期だからと説得して親兄弟や知人に無利子で借りるという手段もあろう。
工事期間が長ければ長いほど融通しづらくなるし、ビジネスで借りれば金利がかさんでくる。
建設業者との交渉で最終段階の引き渡し時期などは多少融通がきくこともある。



森友学園の問題は国有地が安く払い下げられたということから始まったはずだ。
土地評価額は9億5600万円。
森友学園は地下のごみ撤去費など(8億1900万円)が差し引かれた約1億3400万円で購入したという。
近隣国有地に比べると破格の安さ(10%ほど)だと問題視された。

学園「ごみ撤去1億円」 国は8億円見積り 国有地購入
吉村治彦、飯島健太
朝日デジタル 2017年2月14日12時10分


 国有地は国土交通省大阪航空局が管理していた8770平方メートル。財務局は2013年に売却先を公募し、森友学園が小学校用地として取得を要望。学園が10年以内に買い取るとした定期借地契約が15年5月に結ばれたが、基礎工事の掘削中に「地下に埋設物が見つかった」と連絡してきた学園と財務局との間で、16年6月に売買契約が結ばれた。

森友学園はやはり購入資金が不足していたのか、国有地をすぐには購入するつもりはなく、10年以内に買い取るという条件でとりあえず借りる契約を結んだ。
ところが、地下に埋設物が見つかった途端、売買契約に変更。それはつまり値引きの理由が出来て、安く買えることになったということだろう。
値引きの理由(地下埋設物が本当にあったのか)と値引き額が嘘偽りない事実なのか、それとも人を騙すための創作話なのかは分からない。

 財務省の資料によると、近畿財務局はこの売買にあたり、不動産鑑定士が査定した更地価格9億5600万円から、国交省が積算した地下のごみの撤去・処理費8億1900万円と撤去によって事業が長期化する損失を差し引いていた。

建物と違い土地は完成を待つ必要はない。土地はすでに存在している。
売買と同時に所有権移転登記が出来る。
しかし前述したように建物は完成してからの登記であるので、融資と業者への支払いの関係で工事期間が長くなることは望ましいことではない。
工事が始まってから当初の予定より工期が長くなることを余儀なくされたとなれば、確かに建築主には損失が生じる。
工事費が高額になればなるほど建築主は損失は大きい。それは金利を考えれば分かること。
森友学園の小学校建設の場合、建設に支障ある埋設物が存在するにも関わらず説明もなく土地を売却した責任は国にあるということで、撤去費と損失分を値引きしたということなんだろう。
国有地売買の法的詳細や契約は分からないが、一般的に考えると代価を値引きするという行為はおかしくはない。
問題はその価格が正当かどうかということになるが、埋設物がどんなもので、その撤去費が幾らなら妥当なのか、また損失計算をどのようにしたのか、埋設物の存在が土地の価値に影響を与えるのか、開校時期がずれこむなど森友学園の事業に与える損失があったのか、国と学園の間で交わした売買契約に違約があったのか、詳細が分からないので何とも言えない。
2015年5月に定期借地契約、2016年6月に売買契約を結び、2017年には校舎はほぼ完成しているようなので、工期延長による金利分の損失と常識的な金利から考えれば8億越えの値引きは高いと感じる。何年何十年と延びたわけではないのだから。










[PR]

by yumimi61 | 2017-09-10 15:48
2017年 09月 10日
1Q8…6?7?8?9?
あなた、今どこにいるの?
僕は今どこにいるのだ?

尾崎豊と『ノルウェイの森』

尾崎豊が逮捕されたのは1987年12月22日。
覚醒剤に気が付いた父親が警察に通報しての逮捕だったそうだ。

懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の判決を受け、逮捕から2か月後の1988年2月22日に釈放された。

その日、東京拘置所から出る尾崎は手にある物を持っていた。
作家、村上春樹が書いた本、『ノルウェイの森』である。

この本は上下巻となっており、1987年9月に発売された。
クリスマスに向かう秋に発行され、当時としては斬新な赤と緑の表紙で、「100パーセントの恋愛小説」というコピーも受けたのだろうか、ベストセラーとなった。
マスコミなどに取り上げられ、評判は増幅し、驚異的なセラーとなる。
これによって村上春樹は国民的に認知される作家となったし、国際舞台へ出ていくことにもなった。


『ノルウェイの森』というタイトルは、ビートルズの"Norwegian Wood"いう曲の邦題と同じであった。
小説の冒頭をはじめ、何カ所かにビートルズのこの曲が登場する。

小説は学生運動の時代の学生の話である。(1968〜1970年)
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚した頃。
著者である村上春樹の学生時代とも重なる年代である。
過去記事より)



『ノルウェイの森』上下巻を確かに私も持っていたはずで、前にも探したことがあるが、どこにいってしまったのか見つからないでいる。


公益財団法人和敬塾
東京都文京区目白台にある男子大学生・大学院生向けの学生寮。1955年(昭和30年)、前川製作所の創業者である前川喜作によって創設された。


村上春樹はこの寮にいたことがあるそうだ。
大学一年の春から秋まで西寮生だったものの、和敬塾そのものが肌に合わず引っ越す。村上の代表作『ノルウェイの森』に出てくる寮は、和敬塾をモデルにしている。


7,000坪の敷地に、東寮、西寮、南寮、北寮、巽寮、乾寮の全部で6つの寮がある。塾生は約600名、塾生の所属大学は約50校である。留学生もいる。発足時は西南北の3つだったが、後に東寮、2005年4月より大学院生と留学生のための寮である巽寮が加わり、さらに2009年4月より乾寮が加わった。乾寮は全寮の中で留学生が最も多く、中国や韓国、台湾等のアジア系民族が多い。なお西寮と北寮は2009年に建て直された。

年間を通じて様々な行事があるが、なかでも開催期間1ヵ月、約20種目を数える体育祭は最大行事である。また各界の著名人による講演も数多く催され、大講堂前の廊下には湯川秀樹、金田一京助等の著名人からの色紙が飾られている。

和敬塾本館(旧細川侯爵邸)について
和敬塾本館は、1936年に細川護立(元首相細川護煕の祖父)が細川侯爵家の本邸として建てた西洋館であった。細川護煕も幼少時、和敬塾本館で過ごしていた。東京都指定有形文化財になっており、映画やドラマ撮影のロケにも使われている(現在は敷地が分割されているが、新江戸川公園、永青文庫の敷地まで細川邸であった)。 また、本館は結婚式の会場に使われることがある。

熊本藩、熊本洋学校(熊本バンド)、新島襄と同志社、赤十字社、近衛家、島津家、キリスト教・・・✚


兵庫県立神戸高校を卒業して1968年に早稲田大学に入学した村上春樹は、大学にはほとんど行かずジャズ喫茶でアルバイトをし、1971年に学生結婚した。
1974年に国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店。
早稲田大学を卒業したのは1975年だったという。
1977年、「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移す。
1979年、作家デビュー。
1981年、住居を千葉県船橋市に移す。

和敬塾を創設した前川喜作も早稲田大学出身。
その孫にあたるのが前川喜平・前文部科学省事務次官。
奈良県御所市室出身。御所市立秋津小学校4年生の時に東京に転居。麻布中学校・高等学校を卒業して東京大学に進学。
1979年4月 - 東京大学法学部卒業、文部省入省
1986年9月 - 宮城県教育委員会行政課長
1989年2月 - 在フランス大使館一等書記官



あー!(なになに?)
当時群大医学部に麻布高校出身の先輩がいたなあ。
カッコいいと評判だったかも!?
お昼に学食でよく見かけた。


喫茶?ジャズ?出会い?
私は普通の喫茶店でアルバイトをしていたことがある。
今風に言えばカフェ。普通のカフェですよ。
群馬県前橋市上小出町1-21-3にあった「ハートピア」という名前の喫茶店。
現在は「やきとり一蔵(上小出店)」というお店になっているみたい。
もう少し前は居酒屋だったような。
「やきとり一蔵(上小出店)」の写真を見てみたが、店舗は同じもののような気がする。作りがよく似ているから。
カウンター席があって、その向こう側にテーブル席があった。
カウンター内から見て右手に学生が貸切でわーっと出来るような大きなテーブルがあった。カウンターから見て左側には人目に付きにくい半個室(スペース)があった。
入り口は2か所。駐車場あり。
お客さんは医学部や大学病院に近かったので学生や先生の常連客とか、あと公園にもわりと近いのでカップルなども多かった。
お料理担当はマスター(御主人)、デザートや飲み物担当はママさん(奥様)。プラス、昼間はパートさんがいて、夕方から夜には学生のバイトがいた。閉店は21時か22時くらいだったと思う。
ある時ママさんと話をしていたら、ハートピアが親戚の税理士事務所の顧客だということが判明して、その偶然にとても驚いたことがあった。
どうしてそんな話になったのかは全然覚えていないけれど。
私は幼少期に病気で入院していたことがあるが、その時母が私に付き添っていたため妹はその税理士一家に預けられていた。


♪広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず~
七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず~♪
仙台のご当地ソング(?)である『青葉城恋歌』。
実は前橋にも広瀬川という小さめな川がある。(七夕祭りもあります)
学生の時にはよくこの川のほとりを歩いた。






[PR]

by yumimi61 | 2017-09-10 00:53